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お堀の外から眺めた、南面から東面の名古屋城の紹介です。西面から南面に掛けては、2015年10月の次のページで紹介しています。<br />https://4travel.jp/travelogue/11143113<br /><br />また、東海地区の日本百名城巡りは、2019年8月の次のページで紹介しています。名古屋城は、日本百名城の44番(東海地区2)です。<br /><br />東海地区1:https://4travel.jp/travelogue/11533804<br />東海地区2:https://4travel.jp/travelogue/11534203

2020秋、名古屋城と名城公園(2/4):10月18日(2):名古屋城(1):名城公園からの天守閣、お堀、烏の行水、コブ白鳥

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2020/10/18 - 2020/10/18

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旅行記グループ 2021編集、尾張の城巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

お堀の外から眺めた、南面から東面の名古屋城の紹介です。西面から南面に掛けては、2015年10月の次のページで紹介しています。
https://4travel.jp/travelogue/11143113

また、東海地区の日本百名城巡りは、2019年8月の次のページで紹介しています。名古屋城は、日本百名城の44番(東海地区2)です。

東海地区1:https://4travel.jp/travelogue/11533804
東海地区2:https://4travel.jp/travelogue/11534203

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  • 手前が名城公園の御深井池に架かる弁天橋、その背後に見えるのが名古屋城の天守の光景です。築城から江戸時代までの名古屋城の北面と西面は沼地だったらしく、外堀と一体となった天然の要害だったようです。名城公園の公式HPの沿革によれば、1960年(昭和35年)3月に、御深井池に弁天橋が架けられたと紹介されていました。

    イチオシ

    手前が名城公園の御深井池に架かる弁天橋、その背後に見えるのが名古屋城の天守の光景です。築城から江戸時代までの名古屋城の北面と西面は沼地だったらしく、外堀と一体となった天然の要害だったようです。名城公園の公式HPの沿革によれば、1960年(昭和35年)3月に、御深井池に弁天橋が架けられたと紹介されていました。

  • 既に紹介したように、明治時代に現在の名城公園の沼地は埋め立てられ、陸軍の練兵場として利用されていた歴史があります。沼地だっただけに、今も水は豊富なようです。この写真には写っていませんが、1961年(昭和36年)1月、中島に御深井橋が架橋されています。

    既に紹介したように、明治時代に現在の名城公園の沼地は埋め立てられ、陸軍の練兵場として利用されていた歴史があります。沼地だっただけに、今も水は豊富なようです。この写真には写っていませんが、1961年(昭和36年)1月、中島に御深井橋が架橋されています。

  • 名城公園からズームアップした、名古屋城天守の光景です。名城公園の『南園』には、名古屋城と愛知県体育館も含まれています。簡単に言えば、名城公園は、『名古屋城址を中心とする公園』のことです。しかし、名古屋城と名城公園とは別の施設と勘違いしている人が多いように見受けます。私もその内の一人でした。

    名城公園からズームアップした、名古屋城天守の光景です。名城公園の『南園』には、名古屋城と愛知県体育館も含まれています。簡単に言えば、名城公園は、『名古屋城址を中心とする公園』のことです。しかし、名古屋城と名城公園とは別の施設と勘違いしている人が多いように見受けます。私もその内の一人でした。

  • 名前:『ツワブキ(石蕗)』<br />分類:キク科ツワブキ属の常緑多年草<br />原産:日本をはじめ、台湾、朝鮮、中国南東部に自生します。<br />その他:花茎が伸び始めていました。

    名前:『ツワブキ(石蕗)』
    分類:キク科ツワブキ属の常緑多年草
    原産:日本をはじめ、台湾、朝鮮、中国南東部に自生します。
    その他:花茎が伸び始めていました。

  • 名城公園のエリアについての紹介です。一般には、名古屋城の内堀より北側の部分の『北園』が名城公園として認識されることが多いですが、『行政上は内堀より南側も名城公園です。その他に外堀など飛び地となっている場所も名城公園に含まれます。(ウィキペディア)』、 ただし、ウィキペディアにおける内堀と外濠の定義等は、はっきりしないようです。

    名城公園のエリアについての紹介です。一般には、名古屋城の内堀より北側の部分の『北園』が名城公園として認識されることが多いですが、『行政上は内堀より南側も名城公園です。その他に外堀など飛び地となっている場所も名城公園に含まれます。(ウィキペディア)』、 ただし、ウィキペディアにおける内堀と外濠の定義等は、はっきりしないようです。

  • 二基並んで水を噴き上げていた、御深井(おふけ)池の噴水の光景です。御深井(おふけ)の名前に因むものには、『御深井焼』と呼ばれる焼物があります。御深井焼は、尾張藩の初代藩主の徳川義直が作らせたといわれます。名古屋城の一角『御深井丸(おふけまる)』にその窯が築かれました。茶碗や花瓶、鉢など、尾張徳川家で用いられた様々な品が作られたようです。

    二基並んで水を噴き上げていた、御深井(おふけ)池の噴水の光景です。御深井(おふけ)の名前に因むものには、『御深井焼』と呼ばれる焼物があります。御深井焼は、尾張藩の初代藩主の徳川義直が作らせたといわれます。名古屋城の一角『御深井丸(おふけまる)』にその窯が築かれました。茶碗や花瓶、鉢など、尾張徳川家で用いられた様々な品が作られたようです。

  • 名古屋城の撮影のために外堀に向かう途中、『弁天橋』の袂から撮影した、枝振りの良い松の木の光景です。ただし、剪定が済んだばかりのようで、少し葉が寂しい姿にも見えました。

    名古屋城の撮影のために外堀に向かう途中、『弁天橋』の袂から撮影した、枝振りの良い松の木の光景です。ただし、剪定が済んだばかりのようで、少し葉が寂しい姿にも見えました。

  • 外堀に面したサッカーグランドの脇から見上げた名古屋城天守の光景です。先に紹介した『名城公園』の定義によれば、名古屋城もお堀も名城公園の内に入ります。ただし、名古屋城の中心部エリアへの入場は有料です。

    外堀に面したサッカーグランドの脇から見上げた名古屋城天守の光景です。先に紹介した『名城公園』の定義によれば、名古屋城もお堀も名城公園の内に入ります。ただし、名古屋城の中心部エリアへの入場は有料です。

  • 同じ場所付近から眺めた、東側方面の光景です。江戸時代初期に、清州城からこちらに引っ越してきたとき、お城の北側と西側は沼地と崖だったようです。緑が多いこの光景は、お城の北側になります。

    同じ場所付近から眺めた、東側方面の光景です。江戸時代初期に、清州城からこちらに引っ越してきたとき、お城の北側と西側は沼地と崖だったようです。緑が多いこの光景は、お城の北側になります。

  • 同じ場所付近から眺めた、西側方面の光景です。本丸と二の丸エリアの北面になるようです。石垣の上には鬱蒼とした樹木の光景がありました。公式HPの案内図面を見ますと、本丸の北側は『御深井丸』のエリアで取り囲まれているようでした。

    同じ場所付近から眺めた、西側方面の光景です。本丸と二の丸エリアの北面になるようです。石垣の上には鬱蒼とした樹木の光景がありました。公式HPの案内図面を見ますと、本丸の北側は『御深井丸』のエリアで取り囲まれているようでした。

  • 西側方面の石垣のズームアップ光景です。石垣は直線ではなく、段違い部分を設けて、防御力が高められていました。この写真の範囲の石垣は、『御深井丸』のエリアになるようです。

    西側方面の石垣のズームアップ光景です。石垣は直線ではなく、段違い部分を設けて、防御力が高められていました。この写真の範囲の石垣は、『御深井丸』のエリアになるようです。

  • 人の気配を感じると、直ぐに集まってくる鯉さん達です。立札では、お堀の水質保全のために『餌遣り禁止』と表示されているようですが、以前は禁止されてはいなかったようです。鯉さん達がその時のことを覚えているようでした。

    人の気配を感じると、直ぐに集まってくる鯉さん達です。立札では、お堀の水質保全のために『餌遣り禁止』と表示されているようですが、以前は禁止されてはいなかったようです。鯉さん達がその時のことを覚えているようでした。

  • 白い濃いだけでなく、赤や黒色も交じった鯉さん達です。目立たない色の野鯉さんもいるようでした。以前には、鴎さんとのエサ取り合戦も目にしたことがあります。双方とも、中々の迫力での餌の取り合いでした。

    白い濃いだけでなく、赤や黒色も交じった鯉さん達です。目立たない色の野鯉さんもいるようでした。以前には、鴎さんとのエサ取り合戦も目にしたことがあります。双方とも、中々の迫力での餌の取り合いでした。

  • 東北側から眺めた、名古屋城天守と石垣の光景です。名古屋城の西端の石垣とお濠の光景です。名古屋城の石垣に使われた石材は、岩崎、赤津や篠島など尾張、美濃、三河、伊勢の近在はもとより、遠く紀伊、摂津、播磨、讃岐(小豆島)、肥前(唐津)にまで及んだとされます。天下普請の名古屋城の築城は、普請奉行に滝川忠征、佐久間政実ら5名、作事奉行には大久保長安、小堀政一(遠州)ら9名が任ぜられました。最も高度な技術を要した天守台石垣は、普請助役の加藤清正が築きました。

    東北側から眺めた、名古屋城天守と石垣の光景です。名古屋城の西端の石垣とお濠の光景です。名古屋城の石垣に使われた石材は、岩崎、赤津や篠島など尾張、美濃、三河、伊勢の近在はもとより、遠く紀伊、摂津、播磨、讃岐(小豆島)、肥前(唐津)にまで及んだとされます。天下普請の名古屋城の築城は、普請奉行に滝川忠征、佐久間政実ら5名、作事奉行には大久保長安、小堀政一(遠州)ら9名が任ぜられました。最も高度な技術を要した天守台石垣は、普請助役の加藤清正が築きました。

  • 東北側から眺めた、名古屋城天守のズームアップ光景です。屋根の両端に、金色の雌雄の鯱が向かい合っていました。名古屋城のシンボルの一つです。天守閣に頂く金の鯱は1959年(昭和34)に復元されたもので、北側を雄、南側を雌が飾ります。雄は高さ2.621m、重量1,272㎏。雌は高さ2.579m、重量1,215㎏。鯱の体を覆う金のウロコには18金が使用されています。(公式HP)

    東北側から眺めた、名古屋城天守のズームアップ光景です。屋根の両端に、金色の雌雄の鯱が向かい合っていました。名古屋城のシンボルの一つです。天守閣に頂く金の鯱は1959年(昭和34)に復元されたもので、北側を雄、南側を雌が飾ります。雄は高さ2.621m、重量1,272㎏。雌は高さ2.579m、重量1,215㎏。鯱の体を覆う金のウロコには18金が使用されています。(公式HP)

  • 天守閣の周りには、4箇所あるとされる『鵜の首』と呼ばれる石垣の切れ目の一つになるようです。縄張図を参照しても正式名は見つかりませんでした。『鵜の首』と呼ばれる石垣の切れ目は、西の丸と、御深井丸との間のものが最大規模のようです。説明の都合上、『北面の鵜の首』と呼んでおくことにします。

    天守閣の周りには、4箇所あるとされる『鵜の首』と呼ばれる石垣の切れ目の一つになるようです。縄張図を参照しても正式名は見つかりませんでした。『鵜の首』と呼ばれる石垣の切れ目は、西の丸と、御深井丸との間のものが最大規模のようです。説明の都合上、『北面の鵜の首』と呼んでおくことにします。

  • 『北面の鵜の首』のズームアップ光景です。先にお断りしましたが、『北面の鵜の首』の呼び名は、正式ではなく、私個人の勝手な呼び名です。あまり自信はありませんが、奥も左右も、すべて御深井丸の石垣のようです。奥の上部に白っぽく見えている石垣が本丸石垣のようでした。

    イチオシ

    『北面の鵜の首』のズームアップ光景です。先にお断りしましたが、『北面の鵜の首』の呼び名は、正式ではなく、私個人の勝手な呼び名です。あまり自信はありませんが、奥も左右も、すべて御深井丸の石垣のようです。奥の上部に白っぽく見えている石垣が本丸石垣のようでした。

  • 『北面の鵜の首』で水浴びをしていたカラスさんです。『烏の行水』とも呼ばれるように、短い時間で済ませるようです。ネット動画で、飼い慣らされている烏さんが、洗面器で何度も水浴びをする場面を見ましたが、1回の時間は、あっという間でした。

    『北面の鵜の首』で水浴びをしていたカラスさんです。『烏の行水』とも呼ばれるように、短い時間で済ませるようです。ネット動画で、飼い慣らされている烏さんが、洗面器で何度も水浴びをする場面を見ましたが、1回の時間は、あっという間でした。

  • お堀の前から眺めた西側方面の光景です。この石垣の右奥になる、西北端に清州櫓が位置しています。国の重要文化財の西北隅櫓は、後ほど紹介します。お堀は外堀になります。

    お堀の前から眺めた西側方面の光景です。この石垣の右奥になる、西北端に清州櫓が位置しています。国の重要文化財の西北隅櫓は、後ほど紹介します。お堀は外堀になります。

  • 同じ場所から眺めた、正面方向の石垣光景です。写真の中央奥に天守が顔を覗かせていました。名古屋城の天守台は、江戸時代の初期、加藤清正が築いたとされる歴史的価値が高いものです。

    同じ場所から眺めた、正面方向の石垣光景です。写真の中央奥に天守が顔を覗かせていました。名古屋城の天守台は、江戸時代の初期、加藤清正が築いたとされる歴史的価値が高いものです。

  • 同じ場所から眺めた、東側方面の石垣光景です。左側が『二の丸』の北側の石垣、右側が『御深井丸』の石垣の一部になるようです。

    同じ場所から眺めた、東側方面の石垣光景です。左側が『二の丸』の北側の石垣、右側が『御深井丸』の石垣の一部になるようです。

  • 同じ場所から眺めた、西側方面の石垣光景です。『御深井丸』のエリアを介して、本丸の守りに直接影響が出る部分ですから、石垣への足掛かりができないよう、お堀はかなりの幅を持っています。

    同じ場所から眺めた、西側方面の石垣光景です。『御深井丸』のエリアを介して、本丸の守りに直接影響が出る部分ですから、石垣への足掛かりができないよう、お堀はかなりの幅を持っています。

  • 少し東に寄った、北側方面から眺めた名古屋城天守の光景です。微かに天守台が見えていました。屋根の上の鯱の金色、銅葺瓦の緑青の青色、漆喰塗の壁面の白色と、破風の部分の黒色の四色でした。

    少し東に寄った、北側方面から眺めた名古屋城天守の光景です。微かに天守台が見えていました。屋根の上の鯱の金色、銅葺瓦の緑青の青色、漆喰塗の壁面の白色と、破風の部分の黒色の四色でした。

  • 同じく、少し東に寄った、北側方面から眺めた名古屋城天守の光景です。1612年(慶長17年)に完成、1945年(昭和20年)に空襲で焼失しましたが、戦後、鉄骨鉄筋コンクリート造の建造物として再建されました。現在は、設備の老朽化や耐震性の確保などの問題に対応するため閉館しています。 (公式HP)<br />

    同じく、少し東に寄った、北側方面から眺めた名古屋城天守の光景です。1612年(慶長17年)に完成、1945年(昭和20年)に空襲で焼失しましたが、戦後、鉄骨鉄筋コンクリート造の建造物として再建されました。現在は、設備の老朽化や耐震性の確保などの問題に対応するため閉館しています。 (公式HP)

  • 外堀に面した石垣の算木積みのズームアップ光景です。『算木積み(さんぎづみ)』は、石積の外観からの分類の一つで、石垣の出角部分(隅石)の積み方に用いられています。慶長10年(1605年)前後に用いられて以降、城郭の石垣に多く見られます。長方体の石の長辺と短辺を交互に重ね合わせることで強度を増しています。

    外堀に面した石垣の算木積みのズームアップ光景です。『算木積み(さんぎづみ)』は、石積の外観からの分類の一つで、石垣の出角部分(隅石)の積み方に用いられています。慶長10年(1605年)前後に用いられて以降、城郭の石垣に多く見られます。長方体の石の長辺と短辺を交互に重ね合わせることで強度を増しています。

  • 防御性を高めるために段違いにしたらしい石垣のズームアップ光景です。横矢を射ることなどが容易になるようです。平面図を参照しますと、この段差部分は、本丸エリアの東北角にも対応した造りのようでした。

    防御性を高めるために段違いにしたらしい石垣のズームアップ光景です。横矢を射ることなどが容易になるようです。平面図を参照しますと、この段差部分は、本丸エリアの東北角にも対応した造りのようでした。

  • 名護屋城天守の北面のズームアップ光景です。第二次大戦の戦火で焼け落ちましたので、その後に再建された鉄筋コンクリート造りの天守です。耐震性の問題で建て替えが必要とされ、現在は2018年から入場禁止にされています。

    名護屋城天守の北面のズームアップ光景です。第二次大戦の戦火で焼け落ちましたので、その後に再建された鉄筋コンクリート造りの天守です。耐震性の問題で建て替えが必要とされ、現在は2018年から入場禁止にされています。

  • 名護屋城天守の金の鯱のズームアップ光景です。1612年(慶長17年)、名古屋城天守が竣工した当時の金鯱は、一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3キロの金が使用されたといわれています。高さは約2.74メートルです。(ウィキペディア)

    イチオシ

    名護屋城天守の金の鯱のズームアップ光景です。1612年(慶長17年)、名古屋城天守が竣工した当時の金鯱は、一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3キロの金が使用されたといわれています。高さは約2.74メートルです。(ウィキペディア)

  • お堀を泳ぐ、『コブハクチョウ(瘤白鳥)』です。カモ科ハクチョウ属に分類される鳥類で、白鳥の一種です。日本には本来分布していない外来種とされます。 ヨーロッパ、中央アジアを中心に生息し、繁殖のため渡りをします。日本では1952年に飼い鳥として、ヨーロッパから移入したものが公園や動物園などで飼育されました。(ウィキペディア)

    お堀を泳ぐ、『コブハクチョウ(瘤白鳥)』です。カモ科ハクチョウ属に分類される鳥類で、白鳥の一種です。日本には本来分布していない外来種とされます。 ヨーロッパ、中央アジアを中心に生息し、繁殖のため渡りをします。日本では1952年に飼い鳥として、ヨーロッパから移入したものが公園や動物園などで飼育されました。(ウィキペディア)

  • 同じく、お堀を泳ぐ、『コブハクチョウ(瘤白鳥)』の光景です。このお堀に定住しているようですから、親羽が切られているようです。愛知県は『自然環境の保全及び緑化の推進に関する条例』によって本種の放逐を禁止しています。背後に見える球石垣は、本丸側ではなく、お堀の外側部分になります。

    同じく、お堀を泳ぐ、『コブハクチョウ(瘤白鳥)』の光景です。このお堀に定住しているようですから、親羽が切られているようです。愛知県は『自然環境の保全及び緑化の推進に関する条例』によって本種の放逐を禁止しています。背後に見える球石垣は、本丸側ではなく、お堀の外側部分になります。

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