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信長所縁の清州城紹介の締め括りです。後半は名古屋市博物館所蔵の展示品で紹介しましたが、江戸時代の初めの頃の『清州越し』の影響で、展示されている清洲城関連の展示品はほんの少しでした。日本史に残る清洲城の役割から言えば、少し残念なことでした。

2021早春、信長所縁の清洲城(5/5):2月6日(5):名古屋市博物館所蔵品、桶狭間合戦、種子島鉄砲、太閤検地、地侍

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2021/02/06 - 2021/02/06

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旅行記グループ 2021編集、尾張の城巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

信長所縁の清州城紹介の締め括りです。後半は名古屋市博物館所蔵の展示品で紹介しましたが、江戸時代の初めの頃の『清州越し』の影響で、展示されている清洲城関連の展示品はほんの少しでした。日本史に残る清洲城の役割から言えば、少し残念なことでした。

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  • 『六曲一双・長篠合戦図屏風(複製)』<br />年代:江戸時代前期<br />原資料:名古屋市博物館蔵<br />その他:長篠合戦図の中でが、現存する最古の作とされます。武田軍と長篠城を描いた右双は失われたようです。

    イチオシ

    『六曲一双・長篠合戦図屏風(複製)』
    年代:江戸時代前期
    原資料:名古屋市博物館蔵
    その他:長篠合戦図の中でが、現存する最古の作とされます。武田軍と長篠城を描いた右双は失われたようです。

  • 『火縄銃(複製)』<br />年代:江戸時代(17世紀)<br />原資料:個人蔵(稲富一夢理齊花押)<br />その他:稲富一夢は、稲富流砲術の創始者です。

    イチオシ

    『火縄銃(複製)』
    年代:江戸時代(17世紀)
    原資料:個人蔵(稲富一夢理齊花押)
    その他:稲富一夢は、稲富流砲術の創始者です。

  • 『火縄銃』の説明パネル<br />年代:江戸時代(17世紀)<br />原資料:個人蔵(稲富一夢理齊花押)<br />その他:稲富一夢は、稲富流砲術の創始者です。

    『火縄銃』の説明パネル
    年代:江戸時代(17世紀)
    原資料:個人蔵(稲富一夢理齊花押)
    その他:稲富一夢は、稲富流砲術の創始者です。

  • 『刀狩状目(複製)』<br />年代:天正16年(1588年)<br />元資料:名古屋大学文学部蔵<br />その他:鎌倉時代の1228年(安貞2年)に、第3代執権北条泰時が高野山の僧侶に対して行ったものが、日本史記録上の初見とされます。(ウィキペディア)

    『刀狩状目(複製)』
    年代:天正16年(1588年)
    元資料:名古屋大学文学部蔵
    その他:鎌倉時代の1228年(安貞2年)に、第3代執権北条泰時が高野山の僧侶に対して行ったものが、日本史記録上の初見とされます。(ウィキペディア)

  • 『豊臣秀吉座像・屏風』<br />年代:不明<br />その他:黒い式服を着た座像です。晩年に近い姿のようです。

    『豊臣秀吉座像・屏風』
    年代:不明
    その他:黒い式服を着た座像です。晩年に近い姿のようです。

  • 『豊臣秀吉座像・屏風(部分)』<br />年代:不明<br />その他:式服を纏った頭部のズームアップ光景です。

    『豊臣秀吉座像・屏風(部分)』
    年代:不明
    その他:式服を纏った頭部のズームアップ光景です。

  • 『検地帳(複製)』<br />年代:桃山時代<br />原資料:津島神社蔵<br />その他:天正20年(1592年)、秀吉が行った尾張の検地の実態を示す貴重な資料です。

    『検地帳(複製)』
    年代:桃山時代
    原資料:津島神社蔵
    その他:天正20年(1592年)、秀吉が行った尾張の検地の実態を示す貴重な資料です。

  • 『検地基準尺(複製)』<br />年代:桃山時代<br />原資料:尚古集成館蔵(重要文化財)<br />その他:検地奉行・石田三成の花押が記された1尺の検地基準尺です。<br />

    『検地基準尺(複製)』
    年代:桃山時代
    原資料:尚古集成館蔵(重要文化財)
    その他:検地奉行・石田三成の花押が記された1尺の検地基準尺です。

  • 『枡』<br />年代:桃山時代<br />原資料:個人蔵(重要文化財)<br />その他:天正20年(1592年)、秀吉が播磨国の升を統一するために制作した1升升です。現在のものとほとんど変わらないようです。

    『枡』
    年代:桃山時代
    原資料:個人蔵(重要文化財)
    その他:天正20年(1592年)、秀吉が播磨国の升を統一するために制作した1升升です。現在のものとほとんど変わらないようです。

  • 『天正大判』<br />年代:桃山時代<br />原資料:名古屋市博物館蔵<br />その他:『世界一大きな金貨』です。秀吉が鋳造させた天正大判は、主に贈答用として使われました。左に置かれているのが比較用の500円硬貨です。

    イチオシ

    『天正大判』
    年代:桃山時代
    原資料:名古屋市博物館蔵
    その他:『世界一大きな金貨』です。秀吉が鋳造させた天正大判は、主に贈答用として使われました。左に置かれているのが比較用の500円硬貨です。

  • 『裁断橋擬宝珠(名古屋市指定文化財)』<br />年代:元和8年(1622年)<br />発願主:堀尾金助の母<br />その他:天正18年(1590年)の小田原攻めに赴いたものの、18歳で病死した堀尾金助に対し、33回忌に母が刻んだ擬宝珠の追悼文です。

    『裁断橋擬宝珠(名古屋市指定文化財)』
    年代:元和8年(1622年)
    発願主:堀尾金助の母
    その他:天正18年(1590年)の小田原攻めに赴いたものの、18歳で病死した堀尾金助に対し、33回忌に母が刻んだ擬宝珠の追悼文です。

  • 『裁断橋擬宝珠』のタイトルの説明文と、18歳の時に息子を見送った母が、その裁断橋を改修し、刻んだ追悼文です。橋を渡る人に対し、亡き子への供養の念仏をお願いする切ない文書でした。

    『裁断橋擬宝珠』のタイトルの説明文と、18歳の時に息子を見送った母が、その裁断橋を改修し、刻んだ追悼文です。橋を渡る人に対し、亡き子への供養の念仏をお願いする切ない文書でした。

  • 『尾張の武士たち』のタイトルがあった、四人の武将とその支配地域の地図です。<br />左上:『兼松氏』:葉栗郡島村(現:一宮市)<br />左下:『滝川氏」:中島郡稲島(現:稲沢市)<br />右上:『梶川氏』:丹羽郡楽田(現:犬山市)<br />右下:『水野氏』:知多郡緒川(現:刈谷市)

    『尾張の武士たち』のタイトルがあった、四人の武将とその支配地域の地図です。
    左上:『兼松氏』:葉栗郡島村(現:一宮市)
    左下:『滝川氏」:中島郡稲島(現:稲沢市)
    右上:『梶川氏』:丹羽郡楽田(現:犬山市)
    右下:『水野氏』:知多郡緒川(現:刈谷市)

  • 『7-3:在地武士たち』:濃尾平野には、農村に基盤を持つ武士が多くいました。このような在地武士は城や館を構え、おのおの勢力拡大の動きを示していましたが、次第に織田・豊臣氏の家臣団として組織されていきました。信長・秀吉によって全国統一が進められる過程で、大名となり出身地を離れた者、尾張にとどまり尾張藩士となった者、戦いの中で滅びた者など、たどった道はさまざまでした。

    『7-3:在地武士たち』:濃尾平野には、農村に基盤を持つ武士が多くいました。このような在地武士は城や館を構え、おのおの勢力拡大の動きを示していましたが、次第に織田・豊臣氏の家臣団として組織されていきました。信長・秀吉によって全国統一が進められる過程で、大名となり出身地を離れた者、尾張にとどまり尾張藩士となった者、戦いの中で滅びた者など、たどった道はさまざまでした。

  • 『兼松家文書:織田信長判物(複製)』<br />年代:永禄9年(1566年)<br />原資料:名古屋市秀吉清正記念館蔵<br />その他:織田信長が兼松正吉に与えた兼松一族の領地の判物です。

    『兼松家文書:織田信長判物(複製)』
    年代:永禄9年(1566年)
    原資料:名古屋市秀吉清正記念館蔵
    その他:織田信長が兼松正吉に与えた兼松一族の領地の判物です。

  • 『織田信雄判物(複製)』<br />年代:天正10年(1582年)<br />原資料:名古屋市秀吉清正記念館蔵<br />その他:本能寺の変後、兄信忠に代わり尾張の支配者となった信雄は、正吉の領土を安堵し、3箇所の領地を加増しました。

    『織田信雄判物(複製)』
    年代:天正10年(1582年)
    原資料:名古屋市秀吉清正記念館蔵
    その他:本能寺の変後、兄信忠に代わり尾張の支配者となった信雄は、正吉の領土を安堵し、3箇所の領地を加増しました。

  • 『豊臣秀次朱印状(複製)』<br />年代:文禄2年(1593年)<br />原資料:名古屋市秀吉清正記念館蔵<br />その他:天正18年(1590年)、秀吉は織田信雄を追放し、尾張の領地を秀次に与えました。秀次は検地し、510石を正吉に与えました。

    『豊臣秀次朱印状(複製)』
    年代:文禄2年(1593年)
    原資料:名古屋市秀吉清正記念館蔵
    その他:天正18年(1590年)、秀吉は織田信雄を追放し、尾張の領地を秀次に与えました。秀次は検地し、510石を正吉に与えました。

  • 『豊臣秀吉朱印状(複製)』<br />年代:文禄4年(1595年)<br />原資料:名古屋市秀吉清正記念館蔵<br />その他:秀吉は、この年秀次を高野山で切腹させ、正吉には丹波領内で1000石を与えました。

    『豊臣秀吉朱印状(複製)』
    年代:文禄4年(1595年)
    原資料:名古屋市秀吉清正記念館蔵
    その他:秀吉は、この年秀次を高野山で切腹させ、正吉には丹波領内で1000石を与えました。

  • 『松平忠吉朱印状(複製)』<br />年代:慶長6年(1601年)<br />原資料:名古屋市秀吉清正記念館蔵<br />その他:松平忠吉が正吉に与えた2600石の朱印状です。

    『松平忠吉朱印状(複製)』
    年代:慶長6年(1601年)
    原資料:名古屋市秀吉清正記念館蔵
    その他:松平忠吉が正吉に与えた2600石の朱印状です。

  • 『徳川義利(義直)黒印状(複製)』<br />年代:元和6年(1620年)<br />原資料:名古屋市秀吉清正記念館蔵<br />その他:松平忠吉が正吉に与えた600石の隠居料の黒印状です。<br />

    『徳川義利(義直)黒印状(複製)』
    年代:元和6年(1620年)
    原資料:名古屋市秀吉清正記念館蔵
    その他:松平忠吉が正吉に与えた600石の隠居料の黒印状です。

  • 『片身替小花文四方皿(笹島焼)』<br />年代:江戸時代後期(19世紀後半)<br />所有:個人蔵<br />その他:脚付きの四方皿です。

    『片身替小花文四方皿(笹島焼)』
    年代:江戸時代後期(19世紀後半)
    所有:個人蔵
    その他:脚付きの四方皿です。

  • 『酒仙図方皿(笹島焼)』<br />年代:江戸時代後期(19世紀後半)<br />所有:名古屋市博物館蔵<br />その他:団扇形の中に酒を楽しむ人々、扇形の中に杜甫の『飲中八仙歌』が記されています。

    『酒仙図方皿(笹島焼)』
    年代:江戸時代後期(19世紀後半)
    所有:名古屋市博物館蔵
    その他:団扇形の中に酒を楽しむ人々、扇形の中に杜甫の『飲中八仙歌』が記されています。

  • 『草花文方皿(笹島焼)』<br />年代:江戸時代後期(19世紀後半)<br />所有:名古屋市博物館蔵<br />その他:白釉がたっぷりかかった隅切りの四方皿です。

    『草花文方皿(笹島焼)』
    年代:江戸時代後期(19世紀後半)
    所有:名古屋市博物館蔵
    その他:白釉がたっぷりかかった隅切りの四方皿です。

  • 『蘭図方勝形鉢(笹島焼)』<br />年代:江戸時代後期(19世紀後半)<br />所有:名古屋市博物館蔵<br />その他:方勝は、菱形を2つ組み合せた形と解説されていました。少し青味がかった白釉に描かれた蘭図と漢詩です。

    『蘭図方勝形鉢(笹島焼)』
    年代:江戸時代後期(19世紀後半)
    所有:名古屋市博物館蔵
    その他:方勝は、菱形を2つ組み合せた形と解説されていました。少し青味がかった白釉に描かれた蘭図と漢詩です。

  • 『梅花図額皿(笹島焼)』<br />年代:江戸時代後期(19世紀)<br />所有:名古屋市博物館蔵<br />その他:白釉に青絵の梅花です。

    『梅花図額皿(笹島焼)』
    年代:江戸時代後期(19世紀)
    所有:名古屋市博物館蔵
    その他:白釉に青絵の梅花です。

  • (左手前):『百人一首図四方手塩皿(笹島焼)』<br />年代:江戸時代<br /><br />(右手前):『魚図四方手塩皿(笹島焼)』<br />年代:江戸時代後期~明治時代

    (左手前):『百人一首図四方手塩皿(笹島焼)』
    年代:江戸時代

    (右手前):『魚図四方手塩皿(笹島焼)』
    年代:江戸時代後期~明治時代

  • 『茶碗(笹島焼)』<br />年代:明治時代(1868~1912年)<br />その他:笹島焼(ささしまやき)では、絵皿の他に抹茶茶碗も手掛けていたことが紹介されていました。笹島焼は、愛知県(尾張国)名古屋において作られた陶磁器です。文化年間(1804~1818年)牧朴斎により拓かれ、大正時代に終わりを告げました。

    『茶碗(笹島焼)』
    年代:明治時代(1868~1912年)
    その他:笹島焼(ささしまやき)では、絵皿の他に抹茶茶碗も手掛けていたことが紹介されていました。笹島焼は、愛知県(尾張国)名古屋において作られた陶磁器です。文化年間(1804~1818年)牧朴斎により拓かれ、大正時代に終わりを告げました。

  • 見学を終えて、振り返って眺めた名古屋市博物館の正面出入口方面の光景です。名古屋市の人口200万人突破記念事業の一環として、1977年(昭和52年)10月1日に開館した歴史博物館です。扱う資料は江戸期までが中心です。

    見学を終えて、振り返って眺めた名古屋市博物館の正面出入口方面の光景です。名古屋市の人口200万人突破記念事業の一環として、1977年(昭和52年)10月1日に開館した歴史博物館です。扱う資料は江戸期までが中心です。

  • 瑞穂区に位置する、名古屋市博物館の前庭の光景です。常設展示室では『尾張の歴史』を、特別展示室・部門展示室では尾張地域の歴史資料や、内外の文化遺産を紹介しています。他に展示説明室やビデオミュージアムがあります。

    瑞穂区に位置する、名古屋市博物館の前庭の光景です。常設展示室では『尾張の歴史』を、特別展示室・部門展示室では尾張地域の歴史資料や、内外の文化遺産を紹介しています。他に展示説明室やビデオミュージアムがあります。

  • 同じく、瑞穂区に位置する、名古屋市博物館の前庭の光景です。博物館の分館として、尾張徳川家の旧蔵書を所蔵する蓬左文庫と、豊臣秀吉や加藤清正に関する展示を行う秀吉清正記念館があります。三英傑のうち、信長は同じ尾張でも、名古屋市の北部で活躍し、家康は同じ愛知県でも三河地区の出身になります。

    同じく、瑞穂区に位置する、名古屋市博物館の前庭の光景です。博物館の分館として、尾張徳川家の旧蔵書を所蔵する蓬左文庫と、豊臣秀吉や加藤清正に関する展示を行う秀吉清正記念館があります。三英傑のうち、信長は同じ尾張でも、名古屋市の北部で活躍し、家康は同じ愛知県でも三河地区の出身になります。

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