
2020/11/21 - 2020/11/21
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蟹江城の見学を終え、蟹江駅に戻り、次の長島城見学の最寄り駅の関西本線の長島駅まで移動しました。長島駅からは、歩いて長島城址に向かいましたが、その途中、於大の方所縁の菩提所、天機山・光岳寺に立寄りました。
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蟹江駅からJR関西本線で長島駅まで移動し、駅から歩いてやって来たお寺です。長島城址見学の前に立寄った『於大の方(おだいのかた)』の菩提寺の一つ、『天機山・光岳寺』です。徳川家康公の生母の『於大の方』の菩提寺は複数ありますが、その内の一つです。
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イチオシ
浄土宗のお寺、『天機山・光岳寺』の山門光景です。このお寺の縁起は次に紹介しますが、三重県桑名市長島町西外面に位置しています。徳川家、松平家と、牧野家に縁が深い古刹でした。
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『光岳寺草創について』と題された石造の由緒書です。開基は、『開山第1世道蓮社天機玄誉上人善慶大和尚(弘経寺第7世)』と紹介されていました。光岳寺は、徳川家康を出生したお大の方が、広忠郷(家康の父)逝去後、松平佐渡守俊勝と再婚、1602年逝去し、於大の方の息子・松平因幡守康元が、於大の方の菩提所として千葉県関宿に建立されたお寺が初まりです。
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山門の入口近くの境内に建てられていた石碑の光景です。『伝通院殿(家康母堂)の菩提所』の肩書で、『浄土宗・天機山伝通院・光岳寺』の寺名が刻まれていました。中央上部に『三つ葉葵紋』もありました。正式には、徳川家の用いた『丸に三つ葉葵』の紋になるようです。二枚葉の『フタバアオイ』を三つ葉に図案化したものとされます。
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先程紹介した石碑の左奥に見えていた立札と、その背後の本堂光景です。立札には、『1648年(慶安2年)。松平良尚公とともに小諸から長島に移ってきた、於大の方の菩提所』と紹介されていました。
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新しい花がいっぱい供えてあった五輪塔と墓碑の光景です。左側の五輪塔には、1602年に逝去された於大の方の法名の『傳通院殿蓉譽光岳智香大弾定尼』の文字がありました。右の墓碑には、梵字以外何も記されていませんでした。
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建物正面の階段下から見上げた、『浄土宗・天機山伝通院・光岳寺』の本堂光景です。右手に雨水を受ける、いい気なブロンズ製の容器が置かれていました。この本土の大屋根には、
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黒漆の下地でしょうか、その上に『天機山』の金文字が記されていました。公式HPでは、『当時の領主松平憲良に随って来た真譽上人が、以前からあった松翁山芳泉寺を改め、天機山傳通院光岳寺とし、1870年に小諸城主牧野氏の菩提寺泰安寺を合併し、現在に至っております』と紹介されていました。
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木々に半ば隠れてしまいましたが、鐘楼の光景です少し小振りな、ほっそりとした梵鐘が吊り下げられていました。
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天機山傳通院光岳寺の境内光景です。左端が鐘楼、正面奥が本堂になります。撮影している周りは境内にある墓地でした。
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外から山門に向かって、右手にあったお堂の光景です。昭和60年(1985年)に再建された、沓履子安延命地蔵を祀る地蔵堂でした。1メートルほどの木像で、桑名市の文化財に指定されているようです。旧長島町の写真で見ることができました。
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桑名市教育委員会名で建てられていた、『沓履(くつぶみ)子安延命地蔵大菩薩』のタイトルがあった説明看板の光景です。徳川家康の母伝通院殿(於大の方)の念持仏で、伝教大師作と伝えられます。光岳寺が伝通院殿の菩提所となったので、寄進されました。『沓履地蔵』とは、靴を履いた地蔵尊の意味です。
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『三つ葉葵』の紋が記された丸瓦の光景です。その背後に鬼瓦もありました。徳川氏所縁の『沓履地蔵堂』ですから当たり前かもしれませんが、現代にも、『三つ葉葵』は一定のインパクトがあります。
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地蔵堂の近くにあった小橋の上から眺めた小川の光景です。この辺りは、多分ゼロメートル地帯でしょうから、水のコントロールにはきめ細かな配慮が必要なようです。
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南側にある海に向かって伸びる水路の光景です。灌漑工事などの時に造られたのでしょうか、自然の川とは思われない、幅の狭い一直線の水路でした。水量は多いようでした。上流で水量をコントロールしなければ、直ぐに溢水しそうに見えました。
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よく整備されていた、長島町の遺跡巡り、観光案内の標識です。この標識には、すべて左向きの矢印で、『長島城跡』、『水辺の安らぎパーク』と『又木茶屋』が案内あsれていました。まずは『長島城跡』の見学です。
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古い扁額が懸かっていたお堂の光景です。地蔵堂か、阿弥陀堂当たりのようでしたが、古い扁額の文字は、まったく読み取れませんでした。傍らに手水舎もあり、手入れも行き届いたお堂でした。
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川の流れで丸くなった、川原石を積んだ石垣の光景です。家の造りから見て、旧宅のようでした。川原石は、大きさがよく揃っていました。段によって積まれた向きも決まっていて、整然とした造りの石垣でした。つい、目が行った庭木も立派でした。
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同じお宅の玉石垣か、別のお宅だったか、記憶が薄れてしまいました。近くで撮影したことだけは間違いありません。こちらは6段に積まれ、最下部はコンクリートで塗り固められていました。
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ここにもカラフルな沢山の道路標識がありました。右向きの矢印が、『又木茶屋』、『水辺の安らぎパーク』と『長島城跡』でした。左向きは一つだけで、『長島川散歩道』でした。
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西側方面に見えていた山並みのようです。鈴鹿山脈の一部かも知れませんが、あまり高くはないようです。岩肌の見えない緑の山でした。尾根や斜面に沢山の鉄塔が並んでいました。
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移動途中で撮影した、西側方面の光景だったようです。左手方面に見える山並みは、鈴鹿山脈のようでした。鈴鹿山脈は、岐阜県及び三重県と滋賀県との県境沿いに位置する山脈で、一般的には関ヶ原の南に位置する霊仙山から鈴鹿峠までの範囲を差します。一番高い山が御池岳(1247m)で、最も有名な山が御在所岳(1212m)です。
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標識が幾つも重なった場所に来ました。右向きの矢印は『長島川遊歩道』と『近鉄とJRの長島駅』、左向きの矢印が『長島城跡』、『又木茶屋』と『水辺の安らぎパーク』でした。『長島城跡』の標識は薄紫、『水辺の安らぎパーク』は水色と、それぞれに色分けされていました。
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道案内標識に従って、現在は学校敷地になっている長島城址にやって来ました。2メートルは優にある高さの標識は、城址碑などではなく、昭和34年(1959年)9月に襲来した伊勢湾台風時の水位表示でした。死者・行方不明者の数は5,000人を超え、明治以降の日本における台風の災害史上最悪の惨事となりました。
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現在、長島城跡は桑名市立の長島中部小学校・長島中学校の敷地となっています。その校門光景です。本瓦を乗せた、城跡に相応しい造りになっていました。長島城跡の遺構の大半は失われましたが、東側に石垣および堀が残っているようです。
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中々立派な造りだった、長島中部小学校と長島中学校の校舎の光景です。ところで、長島城の起源は、寛元3年(1245年)、藤原道家が館を築いたことに遡ります。文明14年(1482年)、北勢四十八家の一人、伊藤重晴によって城が再建されました。元亀元年(1570年)、一向宗・願証寺の住職・証意によって伊藤氏一族が追放され、長島一向一揆の拠点となりました。
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『さざれ石』の標識があった、大きな石の光景です。『さざれ石(細石)』は、もともと小さな石の意味ですが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、一つの大きな岩の塊に変化したものの呼び名です。国家の『君が代』の歌詞には『巌(いわお)』と詠み込まれています。
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構内に置かれていたブロンズ像です。『少女と鳩像』の題名を記したプレートがありました。長島町福吉の元町長の故大橋氏の遺族からの寄贈であることなどが側面に記してありました。長島城の歴史紹介に戻ります。『その後、織田信長によって攻略され、滝川一益の居城となりました。賤ヶ岳の戦い後、織田信雄の居城となりますが、1586年の天正地震で天守が倒壊するなど甚大な被害を受けたため、清洲城に移りました』
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長島城の歴史紹介の続きです。『江戸時代に入ると、菅沼氏が2万石で当地に封じられ、長島城を改修し藩庁として用いました。元和7年(1621年)、菅沼氏が移封されると、長島藩は廃藩となり、長島城も一時廃城となりました。慶安2年(1649年)、久松松平家の松平康尚が那須藩より1万石をもって入り、長島藩が再興されました』
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長島城の歴史紹介の続きです。『元禄15年(1702年)には、4代将軍家綱の生母の弟増山正利の子の正弥(まさみつ)が常陸下館より2万石で移され、以後8代続き、明治維新を迎えました。
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