2019/03/14 - 2019/03/20
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ミズ旅撮る人さん
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2019年3月、ポルトガルを訪れました。
主な行程は、リスボンからロカ岬・オビドス・ナザレ・ポルト・アヴェイロ・コインブラ
と周って、リスボンに戻り1日自由行動というものです。
11回目は、シントラにある夏の離宮ペナ宮殿の後半です。
大航海時代の富と、19世紀の改築を経て、元は修道院だった建物は、
素晴らしい変貌を遂げました。
イスラム・ゴシック・ルネッサンス・マヌエルなどの各様式をごちゃ混ぜにした、
なんとも欲張りな宮殿です。
ガイドツアーの団体は途中で離脱してしまいますが、個人で訪れたので、
最後までじっくり見て来ました。
テラスから見下ろすシントラの風景も、雄大で気持ちのいいものでした。
※ペナ宮殿は、ペーナ宮殿とも呼ばれます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
前編が天井で終わったので、後編は別の部屋の天井から始めます。
中央に2頭のドランゴンに守られた紋章の付いた天井は、
びっしりと細かな彫刻で埋め尽くされています。
普通の宮殿は天井が高いので、もっと大ぶりな装飾になりますが、
ペナ宮殿の部屋は、修道院を改修したものなので、
割合とこじんまりしており、天井が近いです。
それだけに、素晴らしく手の込んだ装飾になっています。 -
豪華な天井の梁が集まった先には、天蓋付きのベッド。
こちらの彫刻も「精緻を極める」とはこういうことかと言う程の精巧さ。
そろばんの珠のようなモチーフですが、珠が斜めについていたりして、
螺旋を描く部分もあり、おもしろい造りです。
横板部分には、いくつものハートが隠れています。 -
この部屋を最後に使ったアメリア王妃かな?
夫カルロス1世が1908年に暗殺された後も宮殿に残り、
1910年のポルトガル共和国成立まで居住していました。 -
この壁、壁紙じゃありません。
デザインの秀逸さには、ため息が出ます。
そこにいきなり簡素な造りの扉があります。
召使用の扉なのかしら?
それでも水色とシンプルなデザインが、部屋がゴテゴテし過ぎない
ストッパーのような役割をしているように思えます。 -
ブレてしまって残念ですが、
暖炉にもとても可愛い装飾が施されています。 -
この部屋の調度品と言ったら!どれだけすごいのでしょう。
宮殿の外観はへんてこりんで、およそ統一性に欠け、
壁はコンクリートに彩色という味気ないものですが、
内装は女性が細部にまでこだわって監修した素晴らしいものです。 -
この壁を持って帰りたい。
いつまでも去りがたい気持ちをなだめつつ、次の部屋に向かいます。
観光客はどんどん入って来るので、せっせと進まなければなりません。
2010年に大規模な改修工事が行われましたが、
その甲斐は十分にありました。 -
次の部屋も天井から行きましょう。
こちらは、木を組み込んだ造りになっています。 -
古い城ではなく、19世紀の内装って、とっても素敵。
フェルナンド2世の後妻だったエドラ伯爵夫人は、
素晴らしい教養と才能の持ち主でした。
ペナ宮殿は、リスボン大地震で壊滅状態だったものを、
フェルナンド2世が修復しました。
マリア2世女王の王配(夫)だったフェルナンド2世は、
マリアが34歳で亡くなった後、
1860年に国立劇場で舞台に立ったスイス生まれの
エリーゼ・ヘンスラーに一目惚れします。
オペラ歌手であり、17歳も年下の女性との結婚には、
既に退位していたとはいえ、たいへんな困難があり、
ようやく結婚できたのは1869年、
フェルナンド2世は、53歳になっていました。
結婚式の直前に、急遽「エドラ伯爵夫人」という称号が送られました。
フェルナンド2世は、遺言でペナ宮殿及びその周辺をエドラ伯爵夫人に
遺しますが、カルロス1世が買い取り、
ポルトガル王国の物になりました。 -
カルロス1世です。
1889年から1908年に暗殺されるまでペナ宮殿に居住しました。 -
カルロス1世の王妃アメリアです。
後を継いだのが、ポルトガル最後の国王マヌエル2世です。
マヌエルはカルロス1世の次男でしたが、
王太子がカルロス1世と共に暗殺されたため、即位しました。
その後1910年の革命によりブラガンサ王朝は廃止、
マヌエル2世はイギリスに亡命しました。
アメリアはフランス王家の血筋のため、フランスに亡命し、
ヴェルサイユ近郊のル・シェネで1951年に亡くなりました。 -
この部屋は漆喰による装飾と共に、直に彫刻風の絵柄の壁画があります。
これが全部本物の彫刻ならすごいのですが、
さすがに19世紀では現実的ではなかったのでしょう。 -
椅子のカバーに注目。
背もたれ、肘置きに至るまで統一されたカバーが付いています。
床は寄せ木細工のような木張で、どこを見てもため息。 -
書斎の再現。飾り気のない机ですが、
ここで羽ペンを使って手紙を書くと様になるなあ。
こうした調度品は、2010年の博物館化のための改修によって、
展示されるようになりました。
ガラス越しに見ることが多いので、ちょっと反射が気になりますが、
気にしないこと。 -
エドラ伯爵夫人及び王妃アメリアの書斎。
このキラキラしい机は、なんでしょう?飾りなのかな?
隣に陳列されている陶器の人形たちのうち、
上から3段目に並んでいるのは黒人の人形です。
さすが、19世紀初頭、ブラジルに王家を置いていたことがあり、
アフリカにたくさんの植民地を所有していたポルトガルです。 -
書斎と言っても、これは文机ではなく、
むしろアクセサリーなどの小物を収納した家具のように見えます。 -
こうした美術品もたくさんあったことでしょう。
ポルトガルという国は、12世紀にフランス貴族アンリ伯の息子
エンリケスがアフォンソ1世として即位して始まります。
15世紀にはスペインのフェリペ2世によるハプスブルク家の
支配下に入ります。
以後、フランス・スペイン・イギリス・イタリアなどとの王家と
婚姻を重ねながら存続して来ました。
それぞれの国から、様々な美術品がもたらされたことでしょう。 -
重厚な彫刻の施された家具が置かれていると、重苦しく感じますが、
この部屋は、白い壁がすっきりしていて、
却って家具の素晴らしさを引き立てます。 -
う・わ~~~!すごい戸棚。
緑色の釉薬をかけた陶器が嵌め込まれています。 -
この技術は半端ではないけれど、
欲を言うなら、見て楽しい絵柄にして欲しかったなあ。 -
この通路の天井もすごい!見ているだけで、しあわせ。
-
しかも、振り返って見ると、通路の上には紋章と怪物。
紋章はフェルナンド2世のものです。
ちらっと観光客の頭が写っていますが、
本当は振り返って見るのが怖いくらい、ぎゅうぎゅうに詰まっています。
見るものはじっくり見たい芸術品が目白押しなのに、
狭い通路を通り過ぎるように見学コースが出来ているので、
立ち止まることすら憚られます。 -
この壁には、トロンプ・ルイユ(Trompe-l'uil)と呼ばれる
騙し絵が施されています。
まるで、壁の向こうにも通路が繋がっているように見せています。 -
王家の私室から出たようですが、ここにも調度品の陳列は続きます。
-
だいぶ質実剛健な作りになって来ましたが、とても状態のいい家具です。
上は飾り棚になっているので、手すり付きです。
掃除はたいへんだったろうなと考えてしまう庶民です。 -
七面鳥の形をした容れ物です。どんなものを入れたのかしら?
-
椅子の背もたれの細工が精巧です。革細工なのかな?
中央に左手にオウムを止まらせて、
右手に花束を持つ女性が描かれています。
後ろの壁には、懐かしの青と白のアズレージョ。 -
螺鈿細工の戸棚。
ヨーロッパの城や宮殿には、チャイニーズルームがよくあります。
日本の物と中国の物との区別がつかず、ごちゃ混ぜの場合もあります。
前編で紹介したドイツ・ミュンヘンのレジデンツには、
中国製陶器の部屋もありました。
日本の伊万里焼も、健闘していますよね。 -
古き良き中国の製品を見ると、
昔訪れた頃の中国や、返還前の香港、ベトナムなどの香りを感じます。
ヨーロッパ人にとっては、相当珍しい代物だったことでしょう。 -
暖炉の前の衝立(ついたて)です。漆喰画が素敵です。
-
またまた、素晴らしい天井と壁の部屋になりました。
まるで、イスラムの礼拝堂のようです。
シャンデリアは、朝顔のような花と蔓(つる)が絡んだガラス細工です。
これ、どうやって作ったんだろう?
あんぐりと口を開けて見上げてしまいました。 -
珍しく、外の見える窓辺がありました。
ここでティータイムなど、したのでしょうか。 -
螺旋階段を降りて行きます。
チャイニーズルーム辺りで、ガイドツアーの団体は
室内の見学を切り上げ、外に出て行きました。
この先は、ぐっと人数が減って、楽に見学が出来るようになります。 -
びっしりと細かい彫刻が刻まれた戸棚。
これはインドの細工かしら?
笛を吹いているのは、ヒンズーの神クリシュナの得意のポーズです。
ポルトガルは、1510年にインドのゴアを占領しました。
1530年、ポルトガル領インドの首府はコーチンからゴアに移されて、
アジアの全植民地を統治するポルトガルのインド総督あるいは
インド副王が駐在しました。
ゴアとリスボンの間には喜望峰経由の定期航路が開かれ、
多くのポルトガル人が貿易や布教にアジアを駆け巡る拠点となりました。
1534年にはローマ教会の大司教座が設置され、
日本へもフランシスコ・ザビエルがやって来ました。
17世紀のゴアは、「東洋のローマ」と呼ばれ、黄金期を迎えました。
その後、オランダの台頭により、アジアに於けるポルトガルの絶対優位は崩れて行きましたが、
ゴアは19世紀にインド各地が次々とイギリス領になって行く中でも、
保持され続け、
1961年にインド政府が武力侵攻して、インド領に戻りました。
ゴアは、450年もの間、ポルトガルの繁栄を支えて来たのです。 -
インドの彫刻は超一流です。
ただ、残念ながら、今ではその技術は失われ、
同じものを作ることは出来ないそうです。
インドは広いので、たくさんの藩王国があり、
それぞれ独自の文化があり、財力の抜きん出た藩王(マハラジャ)たちが
趣向を凝らして寺院などを建てたので、
全国に様々な素晴らしい建築物があります。
ゴアで繁栄していたポルトガルが、それを手に入れない訳がありません。
これは、もしかするとどこかのマハラジャの持ち物だったかも
しれません。 -
窓の外、蒼穹の空の下に、大西洋が見えます。
シントラから大西洋までは、およそ10km程度。
そしてそこにはユーラシア大陸最西端のロカ岬があります。
こんな風に見えたら、シントラ駅から403番のバスに乗って、
ロカ岬にも行きたくなりますね。 -
明るくてとても綺麗なホールです。
ペナ宮殿の正面玄関上にいると思われます。
ペナ宮殿は変化に富んだ造りをしていますが、
大きな丸窓のあるのは、ここだけです。 -
ペナ宮殿のいい所は、まるでつい最近まで使われていたように
新しく綺麗で、時代が新しいため装飾や調度品が洗練されている所です。 -
一見、アラビアンナイトを連想しましたが、
ターバンを巻いている姿はインド人のようです。
ポルトガルは、ヨーロッパの最西端の国ですが、
世界を網羅し、闊歩した一大帝国でした。
「スペインの隣の国」程度の認識では、失礼ですね。 -
ペナ宮殿では、壁や天井に目を奪われることが多いです。
このイスラミックな文様は、本当に素晴らしいです。 -
メインホールに集った紳士淑女のざわめきが聞こえて来るようです。
-
ホールの一角に、一風変わったステンドグラスがありました。
-
まるで写真を張り付けたようなステンドグラス。
-
その隣がこのステンドグラス。
まるでパッチワークのように、様々なモチーフが散りばめられています。 -
真ん中だけは、「キリストの誕生」とわかります。
-
ホールの丸窓の反対側には、
窓の代わりに、同じような円盤が描かれています。
ほんのりピンク色が柔らかくて、優しくて、優美で。
このメインホールの装飾は、大好きです。 -
丸窓と対になるように造られているのが、比較するとよくわかります。
-
こちらのステンドグラスは、ピアノに映って幻想的です。
-
ステンドグラスのパッチワーク。これも最先端の技術だったのでしょう。
ステンドグラスが発明された当時は、ガラスの加工技術が未熟なため、
丸い小さな瓶底のようなガラスの寄せ集めでした。
もう、そんなステンドグラスは、なかなか見られませんが、
それでも教会の内部を明るくする画期的な方法だったことでしょう。
やがて1つのカットの形が様々に加工出来、それを組み合わせることで、
ステンドグラスはどんどん進化して行きました。
ヨーロッパの教会を訪れる時に、必ず目にするステンドグラス。
どのくらいの時期の物か、見ると大体わかるようになって来ました。
ヨーロッパは、二度の世界大戦で、戦火に遭い、
失われたステンドグラスも多々あります。
教会が再建された時、失われたステンドグラスが元のように
復刻出来ないことがあります。
代わりに現代の芸術家に依頼して製作してもらいますが、
たまに現代的過ぎて、
教会の他のステンドグラスと合わないことがあります。
ドイツのケルンの大聖堂にも、
あれ?というステンドグラスがありました。
建物は丈夫でも、ガラスは爆風で割れたり、火災で焼失したりします。
これらの作品が、長くこのまま保存されますように。 -
メインホールのステンドグラスは、こんな風に取り付けられています。
こちらは、建物の裏側になります。 -
こちらのステンドグラスは、比較的規則正しい配置になっていて、
絵柄も推測が付きます。 -
メインホールを抜けて、再び小部屋の見学です。
ますます洗練された近代的なデザインの家具が出て来ました。
やたらと重厚な物よりも、こちらの方が使いやすそう。 -
丸い天井。
ここは、ペナ宮殿の南端にある大きな天文台のような塔の最上階です。 -
かつてあったステンドグラスの一部でしょうか。
今、嵌め込まれているのは、近年の作品ということ?
製法が全然違うので、こちらがオリジナルなのでしょう。 -
ペナ宮殿の模型です。
麓から2つの門をくぐって、最初は右手(北側)にある
時計塔のついた黄色い建物を見学しました。
かつての修道院の建物です。ガイドツアーはここだけの見学で、
個人での見学者は、そのまま左に移動してメインホール、
その左の黄色い塔へと歩きます。
最後に出て来るのが、一番手前の黄色い建物の屋上にある
カフェテラスです。 -
黄色い塔から西を見ています。
シントラでも最高地点からの眺めは、
天下を掌中に収めた実感が湧いたことでしょう。 -
黄色い塔の内部は、キッチンでした。さすがに広いです。
城のキッチンは薄暗くて、陰気なイメージがありますが、
ペナ宮殿のキッチンは明るくて広くて、
使用人たちも使いやすかったのではないでしょうか。
次に訪れる王宮のキッチンは、巨大な煙突が2本突き出ていて、
それが王宮の外観のシンボルとなっています。
ペナ宮殿のキッチンも特徴的な建物だし、
この時代の意識は中世とは大きく違っていることがわかります。 -
お菓子の型です。犬の顔に、虫?これをどうするんだろう???
-
扉を抜けると、ひょっこりこんな場所に出ました。
ここは、南端の黄色い建物の屋上にあるカフェテラスです。
建物内部の見学を終えた人々が、のんびり寛いでいます。 -
イチオシ
背後には、今、中を歩いて来た宮殿の建物があります。
メインホールにあった丸窓が、良く見えます。 -
イチオシ
眼下には、第二の門が見えます。
遊園地のように、いろいろなパーツを好き勝手に組み合わせた建物で、
これまでの常識を覆す、新しいというか特異なデザインの宮殿です。
ドイツのノイシュバンシュタイン城(1886年居住・未完)などは、
中世の城を再現したくて造ったものですが、
1885年に完成したペナ宮殿は、「世紀末」を控えた近代を反映した、
まったく新しい建築物です。 -
第二の門に張り付けられているフェルナンド2世の紋章。
これは、メインホールの手前の通路の上部にも彫られていました。 -
正面玄関側からカフェテラスを見ています。
一周見て回ったら、テラスでお茶というのは、すごく素敵ですね。
残念ながら、私にはゆっくりしている時間はありません。
なにしろ、3つの宮殿と王宮を、一日で見て回るのですから。 -
同時期に建てられたノイシュバンシュタイン城もそうですが、
おそらくは鉄筋コンクリート造のモルタル仕上げです。
そこに、この美しいタイルが貼られているのです。 -
下層階は使用人たちのスペースなので、見学することは出来ません。
複雑な造りになっているでしょうから、是非とも探検したいものです。 -
メインホールの下を抜けて、裏側に出て来ました。
いくつもの窓がありますが、
それらはそれぞれ異なるデザインになっています。
なのに、あまりそれを感じないのもおもしろいです。
3階の窓の1つが開いていますが、ここから大西洋が見えたようです。 -
この窓は、反対側が「トリトン」の彫像のある場所になります。
同じように、精巧な造りの彫刻が施されています。
窓枠の外側に鎖でサンゴを括り付けたモチーフは、
海洋王国の象徴でしょうか。
窓の下部にもフェルナンド2世の紋章が見えます。 -
その紋章の下にあるのが、この丸窓です。
メインホールの丸窓のような明るい窓ではなさそうですね。
ここのモチーフにも海藻や貝が見られ、
海に親しんだ王国の特徴が見られます。
そうして見ると、中心の渦は「渦潮」に見えて来ます。 -
決して、「優美な」とか「~様式の典型」などとは言えない宮殿ですが、
これだけ人気があれば、言うことなしでしょうね。
内部は本当に素晴らしいし、外観だっておもしろい。
おもしろい宮殿なんて、そうあるもんじゃありません。 -
西側のテラスから、大西洋を臨みます。
-
いい場所に宮殿を建てましたねぇ。
シントラ駅は、宮殿の北側にあるので、写真より右側になります。 -
南西方向を見ると深い森。その中に1軒だけ、立派なお屋敷が見えます。
「ぽつんと一軒家」とは言わないんだろうな。 -
チボリ パラシオ デ セテアイス(Hotel Tivoli Palacio de Seteais)。
5つ星の超高級ホテルです。
1787年に元オランダ領事によって建てられました。
1955年にホテルになる前には、ポルトガルの貴族の館として
使用されていました。
これまでに滞在した有名人は、アガサクリスティー・ブラッドピット・
キャサリンドヌーブ・デビッドボウイ・ジョニーデップ・
マリアカラス・ミックジャガーなどがいます。 -
ペナ宮殿の楽しみは建物だけではなく、広大な敷地の散策もあります。
エリゼ(エドラ伯爵夫人)は、ガーデニングという趣味を同じくする
フェルナンド2世の協力を得て、北アメリカやニュージーランドなど
世界中から植物を集めて、この土地の特質を生かした
ペナ公園を作り上げました。
この中には日本からの杉も植えられています。
やがて、フェルナンド2世はこの森に小さなシャレーを建てて、
二人の住処とします。
フェルナンド2世の死後、エリゼはこの小さなシャレーに住みますが、
1890年にシントラを去り、一人娘のアリスとともに
リスボンに移り住みました。
園内のシントラヒル(592m)には、岩山の上に、
16世紀にジョアン3世によって建てられた十字架があります。 -
ペナ宮殿でもらったパンフレットです。
これで、広大な敷地の地図の左半分でしかありません。
右半分には、エドラ伯爵夫人のシャレーもあります。
注:この地図は上が南になっています。 -
イチオシ
ペナ宮殿からは、すぐ目の前に「ムーアの城跡」を見ることが出来ます。
7~8世紀にムーア人によって築かれた城壁で、
1147年にポルトガル初代の王アフォンソ・エンリケスによって
落城しました。ムーアの城跡 城・宮殿
-
バス停のある入り口から30分ほど歩いて、
この城壁に辿り着くそうです。
それからも、急傾斜の城壁を歩くので、足腰に自信のある人向けかな?
城壁は、写真の右側にも、同じくらい続きます。
ここからは、足下に広がるシントラの町を遠望することが出来ます。ムーアの城跡 城・宮殿
-
サン・ペドロ・デ・ペナフェリン(Sao Pedro de Penaferrim)の町の
方向には、こんな城も見えました。
地図には載っていないので、個人所有の城なのでしょう。 -
パルケ・ダ・ペナ庭園(Jardins do Parque da Pena)の向こうには、
サンタエウフェミア(Santa Eufemia)教会があります。
信者のための巡礼地であり、17世紀には、フランスの騎士が
月に捧げられた神殿があった場所に
サンタエウフェミアの礼拝堂を建てました。
サンタエウフェミア教会は463mの高さにあり、
晴れた日には素晴らしい景色を眺めることができます。
5月の初めには、聖人を称えるミサがあります。
廃墟と化していたものを、最近修復してチャペルが完成しました。
今なお、クレーンが作業を継続しています。 -
赤い時計塔の下のテラスに人が進んで行きます。
宮殿の外側を歩けるようです。行って見ましょう。 -
ペナ宮殿は、険しい岩山の上に築かれていることがよくわかります。
下にはペナ公園を巡る遊歩道が見えます。
この道は、宮殿の周りを一周できるので、
余裕があれば歩いてみるのもいいでしょう。 -
時計塔の真下を通ります。
-
歩哨が巡視する通路なのでしょうが、
ペナ宮殿は要塞としての機能はなく、見張り小屋も形だけのようです。 -
こちら側の壁は赤く塗られていますが、
反対側の正面玄関に面している方だけは黄色く塗られています。
上の階の窓の中を、先程見学して来たのです。
たくさんの部屋を見て来たけど、あっと言う間だったなあ。 -
正面に回って来ました。眼下に、1つ目の門が見えます。
バスは、この真横辺りまで来るので、
その後はヘアピンカーブを歩いて登って来るのです。 -
本当にディズニーランドのようですね。
同年代に建設されたノイシュバンシュタイン城とは、
「酔狂な城」と言う点で共通します。
19世紀末という妙な時代の象徴だったのかもしれません。 -
ペナ宮殿の見学を終えて、次回は山を下り、シントラ王宮を見学します。
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