1991/01/25 - 1992/01/27
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itaruさん
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北アイルランドからフェリーでスコットランドへ。イングランドに対抗し続けた「国」。子供の頃、ネッシーが棲息してるという話をきき、俄然興味を持ったネス湖やマクベスの舞台となったコーダー城など、魅力的なハイランド地方も旅したい。のだけれど、ロンドンでアフリカ行きのチケットを買うことなどを考えれば、スコットランドに充てる時間は限られる。グラスゴーから古都スターリングを経てエディンバラへ。駆け足で巡ります
旅の日程
1月20日 SU582 成田→モスクワ(トランジット泊)
1月21日 SU333 モスクワ→シャノン バスでリムリックへ
1月22日 リムリック→ダブリン
1月23日 ダブリン→スライゴ
1月24日 スライゴ→ロンドンデリー→ベルファスト
1月25日 ベルファスト→グラスゴー
1月26日 グラスゴー→スターリング→エジンバラ
1月27日 エジンバラ(夜行バス)→
1月28~30日 ロンドン
1月31日 ロンドン→カーディフ
2月1~2日 カーディフ&スウォンジー
2月3日 MS778、759 ロンドン→カイロ→ナイロビ
2月4~7日 ナイロビ
2月8~10日 マサイマラ(サファリ)
2月11日 ナイロビ
2月12日 KQ490 ナイロビ→ザンジバル
2月13~14日 ザンジバル
2月15日 KQ491 ザンジバル→モンバサ
2月16日 モンバサ
2月17日 KQ625 モンバサ→ナイロビ
2月18日 MS760、779 ナイロビ→カイロ→ロンドン
2月19日 ロンドン→カーディフ
2月20日 カーディフ→ロンドン
2月21日 ロンドン(夜行バス)→
2月22日 アムステルダム
2月23日 アムルテルダム→デンハーグ→デルフト→ロッテルダム
2月24日 ロッテルダム→アントワープ→ブルージュ
2月25日 ブルージュ
2月26日 ブルージュ→ブリュッセル→ルクセンブルク
2月27日 ルクセンブルク→ストラスブール→バーゼル
2月28日 バーゼル→ローザンヌ→モントルー
3月1日 モントルー→ジュネーブ
3月2日 ジュネーブ(夜行列車)→
3月3日 バルセロナ
3月4日 バルセロナ(夜行列車)→
3月5~6日 マドリード&セゴビア
3月7日 マドリード→トレド
3月8日 トレド→マドリード
3月9日 SU300、581 マドリード→モスクワ→成田
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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夕暮れ時、アイルランドを離れスコットランドへ
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サッカーなどスポーツの世界では「別の国」ですが、政治の世界では「連合王国」なので入国審査はなし
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列車で移動もグラスゴーに着いた時にはすっかり陽が落ちていましたが
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少しばかり街を散策します
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さて翌日、手持ちのポンドがなくなったので銀行を探したものの開いていない。あっ、土曜日だっけ。観光案内所やトーマスクック、駅の両替所は開いているけれどもTC換金の場合の手数料が半端ない。アメックスのポンドTCを持っていたのだけれども、自社か提携先のTCでなければ3~4ポンドも取られてしまう(当時、アメックスはロイドバンクなら手数料なしで換金できた)。他国ではレートはともかく、明確に手数料を取られるケースはほとんどなかったのに。で、この時に初めてクレジットカードのキャッシング。いくらキャッシングで利息を取られても、4ポンドにはならないから。さて工業都市のグラスゴー、当時はサッカー観戦とか考えていないので、観たいところはあまりない。軽く大聖堂を観たら
グラスゴー大聖堂 寺院・教会
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バスに乗って古都スターリングに移動しよう。と思っていたら街中で「NO WAR IN THE GULF」の文字が。今、現実に戦争が起こっている。英国の若者、自分と同世代の人々がその場にいる。モヤモヤしたものが、自分の中に広がっていくよう
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グラスゴーからスターリングはスコティッシュリンクのバス。料金は忘れたけれど国際学生証で割り引きありでした。今はどうなのかわかりませんが、当時はスコットランド内のバス会社も国際学生証で割引してくれました
スターリング城 城・宮殿
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古都スターリングで古城を観たら、エディンバラへ移動する。なので荷物はコインロッカーに収容しようと思っていたのですが、すべてoccupiedの表示。「なんでだあ」とため息をついて、仕方なしに重いバックパックを背負っての観光となりました。でも、よく考えてみたら治安対策で閉鎖していたのかも
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小高い丘の上の建つスターリング城。エリザベス1世と同時期のスコットランド女王だったメアリー・スチュアートが生後9ヶ月で即位し、幼少時から多感な青春時代を過ごした歴史のある古城です
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いかにも欧州の城という城門を抜けると
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小高い岩山の頂上にスコットランドの歴史を見続けてきた城が広がります
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主要な場内の主要な建物は15世紀~16世紀にかけて建てられたとのことですが
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城の歴史そのものは少なくとの12世紀までは遡るらしい
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当時はあまり知識がありませんでしたが、スターリングはスコットランド独立闘争の重要な場所。1996年のアカデミー賞受賞作品でメル・ギブソンが監督・主演した「ブレイブ・ハート」で演じたウイリアム・ウォレスゆかりの地です
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映画ではイングランド王エドワードの王太子の妻イザベル(演ソフィー・マルソー)とウォレスがいい関係になったり、ハリウッド映画らしい脚色満載でしたが、スコットランドのイングランドに対する複雑な感情、対抗心というのが分かり、なかなか興味深い映画でした
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1297年、ここスターリングでウォリス率いるスコットランド軍が数で勝るイングランド軍を撃退(スターリング・ブリッジの戦い)。この勝利を機にスコットランド独立の機運が高まっていったそうです
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スターリングを流れるフォース川。ここに架かる橋の上で歴史的な戦いが繰り広げられました
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エジンバラには明るいうちに移動したいところでしたが、ちょうどいい時間のバスがない。17時のバスで移動したら、中心部のホステルに空きはなし。仕方ないのでB&Bを探したところ、シングル12ポンド(約3200円)という話。これならいいか、と思ったら聞き違いで20ポンド。高い!っと、交渉して15ポンド(約3950円)で泊まることに。それでも、当時は英国全体の宿代が無茶苦茶高く感じたものです。で、27日は朝一番でロンドンへの夜行バスのチケット(11ポンド)を買ってからエジンバラの街を歩きます。The Moundからカールトンヒルを眺めつつ
カールトン ヒル 山・渓谷
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まずはエジンバラ城をぐるりと一巡り
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キャッスルロックと呼ばれる岩山の上に建つ城は
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スコットランドを象徴する城塞
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湾岸戦争の影響?なのか、ガイドブックの開館時間になっても銃を持った兵士が検問中で中には入れない。ただ、閉館しているわけではないようなので、しばしウィスキー博物館で時間つぶし。もっとも学生だったこの頃は、飲むとしたビールか酎ハイ、たまにワインという感じだったので、スコッチに関する興味が今ひとつ。今だったら、試飲できないかとか、限定のスコッチないかとか、別の楽しみもあったろうに
エディンバラ城 城・宮殿
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頃合いを見計らい、スコットランド王冠なども展示している城内を見学。しかし、ウィスキー博物館もそうだったけれど、エジンバラ城には多数の日本人で大賑わい。アイルランドからスターリングまで、ほとんど日本人とは会わなかったのでギャップの大きさにちょっと圧倒されたりもして
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喧噪の城内から緩やかな坂のロイヤルマイルを下って
ロイヤル マイル 旧市街・古い町並み
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聖ジャイルズ大聖堂へ。屋根が王冠のように見えるというこの教会は宗教改革の際、カトリックからプロテスタントへと変わったもの
聖ジャイルズ大聖堂 寺院・教会
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ロイヤルマイルの先にあるホリルード宮。歴代のスコットランド王の居城で今でもエリザベス女王が滞在することもあるという現役の宮殿は観光客も見学可ということで、楽しみにしていたのですがあいにくのクローズ。女王が滞在していたのか、それとの治安上の理由なのか、仕方がないので外観だけ
ホリルードハウス宮殿 城・宮殿
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残念な気持ちを抱えつつ、ふと観ると宮殿裏の小高い丘を登っている人がいる
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宮殿の背後に広がるホリルード・パーク
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ロイヤルマイルの先にはエジンバラ城
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かつては王室の狩猟地だったんだとか
ホリルード公園 広場・公園
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エジンバラの街並みを見下ろしながら
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しばし時間を忘れます
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これで晴れていたら最高の景色が見えるのに
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気がつけば、もう日暮れ時。慌てて丘を降りて国立美術館に直行。何とか閉館10分前に滑り込んだものの、あまりの短時間の絵画観賞だったのでほとんど印象に残ってない
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さてロンドン行きの夜行バスは22時30分発。マックで腹ごしらえしたら、軽くパブで1杯飲んで備えましょう。で、乗り遅れないよう、1時間前にターミナルへ。ところが荷物をトランクに預け、席に座ったら予定時刻より30分早い22時にはバスが出発。いやいや、人が揃ったから出発したんだろうけど、もしギリギリに行っていたら置き去りにされていたかも
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