1991/03/03 - 1991/03/09
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itaruさん
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50日に及ぶ卒業旅行も残りわずか。最後はジュネーブからスペインに向かいます。翌年にバルセロナ五輪、セビリア万博を控えていたスペインはある意味、バブルの真っ最中で活気に溢れていました。スイスはもちろん、英国やベネルクスよりも物価は安いし、ご飯も美味しい(まあ、一部味と値段が……、なところもありましたが)。ただ、旅の終わりということもあって、せっかくだからと食事等にお金をかけてしまうのでトータルの出費はスペインは高くなってしまったような……。そんなこんなで、ドタバタだった卒業旅行もクライマックスです
旅の日程
1月20日 SU582 成田→モスクワ(トランジット泊)
1月21日 SU333 モスクワ→シャノン バスでリムリックへ
1月22日 リムリック→ダブリン
1月23日 ダブリン→スライゴ
1月24日 スライゴ→ロンドンデリー→ベルファスト
1月25日 ベルファスト→グラスゴー
1月26日 グラスゴー→スターリング→エジンバラ
1月27日 エジンバラ(夜行バス)→
1月28~30日 ロンドン
1月31日 ロンドン→カーディフ
2月1~2日 カーディフ&スウォンジー
2月3日 MS778、759 ロンドン→カイロ→ナイロビ
2月4~7日 ナイロビ
2月8~10日 マサイマラ(サファリ)
2月11日 ナイロビ
2月12日 KQ490 ナイロビ→ザンジバル
2月13~14日 ザンジバル
2月15日 KQ491 ザンジバル→モンバサ
2月16日 モンバサ
2月17日 KQ625 モンバサ→ナイロビ
2月18日 MS760、779 ナイロビ→カイロ→ロンドン
2月19日 ロンドン→カーディフ
2月20日 カーディフ→ロンドン
2月21日 ロンドン(夜行バス)→
2月22日 アムステルダム
2月23日 アムルテルダム→デンハーグ→デルフト→ロッテルダム
2月24日 ロッテルダム→アントワープ→ブルージュ
2月25日 ブルージュ
2月26日 ブルージュ→ブリュッセル→ルクセンブルク
2月27日 ルクセンブルク→ストラスブール→バーゼル
2月28日 バーゼル→ローザンヌ→モントルー
3月1日 モントルー→ジュネーブ
3月2日 ジュネーブ(夜行列車)→
3月3日 バルセロナ
3月4日 バルセロナ(夜行列車)→
3月5~6日 マドリード&セゴビア
3月7日 マドリード→トレド
3月8日 トレド→マドリード
3月9日 SU300、581 マドリード→モスクワ→成田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ケニア航空 エジプト航空 アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ジュネーブからスペインもユーロトレインの26歳以下向けの割引チケットを利用します。バルセロナ経由のマドリードが116スイスフラン(約11600円)。これに簡易寝台のクシェット21スイスフラン(約2100円)を駅で購入してバルセロナを目指します。ただ、スペインは他国と軌道の幅が違う。当時の歩き方によるとパリーマドリード間の夜行列車の場合は寝台車、クシェットともに車両を持ち上げて車軸を交換するとなっていたのですが、ジュネーブーバルセロナ間の列車でそのサービスを適用するのは寝台車のみ。クシェットは国境駅で乗り換えなければいけませんでした
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早朝の国境駅での乗り換え、なんてこともありながらバルセロナに到着。やっぱりバルセロナといえば、ここでしょうということで真っ先にやってきたのがサクラダファミリア
サグラダ ファミリア 現代・近代建築
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ガウディのライフワークで1882年に建設が始められたこの教会は
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一応、今では2026年完成予定となっていますが
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当時は「計画通りに完成させるには200年はかかる」などと言われており、生きている間に完成した姿を見ることなんてできないだろうなあ。と思っていたもんです。でも、2026年に完成するとも思っていませんが
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何やら人が集まっていると思って覗いてみると、鉄球のようなものを投げ合っている。とりあえず写真を撮ったけど何のゲーム? フランス発祥のペタンクって、後に知りましたが、日本ではまずやる機会はないですね
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1991年ということは、バルセロナ五輪の1年前。せっかくだからオリンピックが開催されるスタジアムを観ておこう、とモンジュイックの丘を登ルとスタジアムが見えてきます
モンジュイック地区 山・渓谷
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警備は厳戒態勢なんてことはなく、気軽にスタジアムの中に入ることができました
オリンピック スタジアム 建造物
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1年後の本番では14歳の岩崎恭子さんが女子平泳ぎで金メダルを獲得したんでしたっけ。彼女もう40代半ばかあ、2021年に延期となった東京五輪ではどんなドラマが生まれるのでしょうか
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バルセロナ港に浮かぶ帆船はサンタマリア号。コロンブスがアメリカ大陸を”発見”した際に乗っていた船のレプリカです。現在はバルセロナ港にはいないようですが、その後はどうなったのでしょう
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そういえば、トラベラーズチェック(TC)全盛のこの頃、赤坂にあったスペイン・アメリカ銀行でわざわざスペイン・ペセタのTCを購入し、持って行ったものです。でも、ペセタのTCなんて現金代わりに使えるところもなく(ドイツマルクのそうでしたが)、場所によっては手数料を取られて損をしてしまう。バルセロナ到着時、サンツ駅の両替所は5000ペセタのTCで手数料350ペセタ。奇をてらう、ってほどではないですが、マイナー通貨を予め用意してもあまりメリットはない。というのを感じたものです
ランブラス通り 散歩・街歩き
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さて3月4日は夜行でバルセロナからマドリードに移動します。それまではガウディの傑作巡りをしよう。ただ、いくつか巡ったはずですが、強く印象に残ったものしか写真には撮ってなかったようです。ということで、独特な曲線が面白いカサ・ミラです
カサ ミラ 現代・近代建築
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そして丘の上にあってバルセロナの街を見渡せる
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グエル公園へ。色彩豊かなこの公園、面白いとは思ったけれど写真を撮ったのはこの1枚だけ。当時は確か、無料で公園に入ることができたと思います
グエル公園 広場・公園
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ガウディの建築を楽しんだら13世紀から15世紀にかけて造られたバルセロナのカテドラルへ
サンタ エウラリア大聖堂 寺院・教会
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うまくカメラを固定できた(三脚なんて持ってません)ので、フラッシュなしのフィルムカメラにしてはまずまず、といった感じで撮れた大聖堂の内部。しかし、この頃は学生だったこともあって、美術館とか博物館とか、お金がかかるところはあまり寄ってません。もちろん、カテドラルも無料です。今思えば、ピカソ美術館など観ておけば良かったというところが多いのですが
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マドリード行きの夜行までは時間があるので、夜の街を歩いていると南米風の衣装を着た人たちが「コンドルは飛んでいく」を演奏中
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マドリード行きのクシェットは別途購入で1590ペセタ。ゆっくり眠ってスペインと首都へ
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夜行でたどり着いたマドリード。夜行で一緒になった東工大の人と宿をシェアして荷物を置いたら、アエロフロートのオフィスに赴きリコンファーム、と思ったら13時30分でクローズ。えっ、シエスタと思ったけれど、ホントに昼で営業終了です。仕方ないので翌朝、73時間前にオフィスに行ってリコンファームをしておきました。一瞬、電話でやろうかと思ったんですが、スタッフがスペイン語とロシア語しか話せず、英語不可だったので直接行って正解でした。ちなみにマドリードの写真は、この1枚だけ。この日はプラド美術館(学生は国際学生証で無料)で終わり、翌日以降はセゴヴィア、トレドと近郊の街に出かけたためです
プエルタ デル ソル 広場・公園
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さて3月6日、アエロフロートのオフィスで帰国便のリコンファームを済ませたら、鉄道に2時間ほど乗ってセゴヴィアへ。駅から街の中心までは2kmほどの道のりですが、のんびり歩いて向かいます
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幸い天気も良く春の日射しを感じながら
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緩やかな坂道を歩いて行く先には
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ディズニーの白雪姫のお城のモデルになったというアルカサル。しかし、このアングルでは城の形がよく分からない。全体像を撮るには城から遠く離れないと難しい
アルカサル デ セゴビア 城・宮殿
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古代ローマの砦があった場所に建てられたこのお城。レコンキスタでイスラム勢から土地を奪還した歴代のカスティーリャ・スペイン王たちによって拡張、改修がお紺割れてきたそうで、スペインで最も美しい城とも言われています。城からセゴヴィアの街並みや広がるカスティーリャの大地を眺めます
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どこか乾いた感じのカスティーリャ郊外の風景を楽しんだら
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セゴヴィアといえばローマ水道橋。全長728mでアーチは119の巨大な水道橋は紀元前1世紀後半から2世紀にかけて建設されたローマ帝国の遺産です
セゴビア旧市街とローマ水道橋 旧市街・古い町並み
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正直、こんなに巨大なものが残っているとは思っていなかったので、圧倒されました。2000年前にこれで水道網を張り巡らしたローマの技術力に脱帽という感じです
ローマ水道橋 建造物
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セゴヴィアからマドリードまでのチケット。料金は505ペセタ(約700円)でした
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この卒業旅行で最後の訪問地になったのが古都トレド
古都トレド 旧市街・古い町並み
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マドリードから列車で1時間半(380ペセタ=約530円)。トレド駅からアルカンタラ橋を渡って旧市街へ向かいます
アルカンタラ橋 建造物
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大聖堂やエルグレコの家など教会や美術館も巡ったのですが
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もっぱらタホ川に囲まれた古都トレドの自然との調和の美しさに惹かれ
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もっぱら風景写真を撮っていました
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ここは古くは西ゴート王国の首都であり、キリスト教のほかイスラム、ユダヤ教の文化が交錯した街
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街歩きも楽しかったのですが、タホ川に囲まれた渓谷美もなかなかのものです
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トレドでは古城を改装したYH(1000ペセタ=約1400円)に宿泊。どうやらプール付きだったらしいんだけど、あまり記憶に残っていません。ただ、湾岸戦争にも負けず?旅に出た日本人の学生が多く泊まっていて、何人かでつるんで行動していたのを覚えています
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トレドの景色が気に入ったこともあって、マドリードに早めに戻って王宮を観るのをやめて8日もタホ川沿いにトレドの街を眺めたりしたものです
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中世の香り高い城塞都市トレドの景観を満喫し
トレドの展望台 観光名所
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最後はこんなお遊びショットを撮ってマドリードへ。で、ヨーロッパの写真プリントは日本よりサイズが大きいからと、最後に2本同時プリントに出したところ、無茶値段が高かった。5180ペセタ(約7000円)は英国でプリントした時の2倍近い値段。物価の安いはずのスペインで物価の高い英国より高いの? ぼられた! なんて一瞬思ったりもしたんです
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ということで、翌9日にはマドリードからモスクワ経由で成田へ。出張を除けば、50日なんて長期の旅は今のところ、これが最後となっています。最近は短い弾丸の旅ばかり、というか、昨今の状況では海外に旅に行くのは難しい。早く世界が落ち着いてほしいものです
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