1991/02/08 - 1991/02/10
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itaruさん
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子どもの頃に観たTV番組「野生の王国」などの影響もあって、アフリカというとベタですがサバンナを駆け巡る動物たちの群れが頭に浮かびます。アフリカまで足を伸ばしたら、やはりサファリツアーには参加したい。単純に動物だけを観るなら、タンザニアのセレンゲティやンゴロンゴロもいい。とはいえ、がっつりサファリが旅の目的でもない。代理店や客引きの話を聞いた上でマサイマラへ2泊3日のキャンプサファリに参加することにしました。メンバーは5人が欧米系の白人、それにルクセンブルクに住むモロッコ人のおじさんと日本人の私という構成です。多様な動物が観られるか、当たり外れが大きいというサファリツアー。結果はどうだったかというと
旅の日程
1月20日 SU582 成田→モスクワ(トランジット泊)
1月21日 SU333 モスクワ→シャノン バスでリムリックへ
1月22日 リムリック→ダブリン
1月23日 ダブリン→スライゴ
1月24日 スライゴ→ロンドンデリー→ベルファスト
1月25日 ベルファスト→グラスゴー
1月26日 グラスゴー→スターリング→エジンバラ
1月27日 エジンバラ(夜行バス)→
1月28~30日 ロンドン
1月31日 ロンドン→カーディフ
2月1~2日 カーディフ&スウォンジー
2月3日 MS778、759 ロンドン→カイロ→ナイロビ
2月4~7日 ナイロビ
2月8~10日 マサイマラ(サファリ)
2月11日 ナイロビ
2月12日 KQ490 ナイロビ→ザンジバル
2月13~14日 ザンジバル
2月15日 KQ491 ザンジバル→モンバサ
2月16日 モンバサ
2月17日 KQ625 モンバサ→ナイロビ
2月18日 MS760、779 ナイロビ→カイロ→ロンドン
2月19日 ロンドン→カーディフ
2月20日 カーディフ→ロンドン
2月21日 ロンドン(夜行バス)→
2月22日 アムステルダム
2月23日 アムルテルダム→デンハーグ→デルフト→ロッテルダム
2月24日 ロッテルダム→アントワープ→ブルージュ
2月25日 ブルージュ
2月26日 ブルージュ→ブリュッセル→ルクセンブルク
2月27日 ルクセンブルク→ストラスブール→バーゼル
2月28日 バーゼル→ローザンヌ→モントルー
3月1日 モントルー→ジュネーブ
3月2日 ジュネーブ(夜行列車)→
3月3日 バルセロナ
3月4日 バルセロナ(夜行列車)→
3月5~6日 マドリード&セゴビア
3月7日 マドリード→トレド
3月8日 トレド→マドリード
3月9日 SU300、581 マドリード→モスクワ→成田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エジプト航空 アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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申し込んだツアー会社はKENIA TOURS & SAFARIS。前金1000+当日2000の計3000シリング(約16500円)。ダウンタウンの安宿New Kenya Lodgeにもピックアップに来てくれます。予定時間は9時15分なので9時には荷物をまとめて車を待ちます
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車はほぼ予定時間に宿に到着。マサイマラに向かいます。途中2度の休憩を取り、アフリカの大地の景色を楽しみながらマサイマラ動物保護区へ
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マサイマラに到着後、テントを設営したら早速サファリスタート。バファローや
サファリ ドライブ サファリ・動物観察
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シマウマの群れなど野生の動物たちが目の前に
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しかし、野生の動物の撮影って難しい。車に乗って望遠で撮影となると、被写体がぶれてしまって。トムソン・ガゼルもボケボケ。おまけに朝は晴れていたけれど曇天で時折雨が降るコンディションでした
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サバンナに夕暮れが迫る中
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寛ぐライオンたちに遭遇
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プロローグ的なゲームドライブでライオンで出会い、順調な出足でした
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サファリ2日目、当初は6時30分に1回目のゲームドライブに出発して9時に朝食でしたが
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なし崩し的に先に朝食を食べてゲームドライブに出発ということに
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8時過ぎにスタートした朝のゲームドライブで
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バファローの群れや
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インパラたち
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ワシかな
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サバンナのオフロードを進みながら動物を求めて走るのは中々楽しい。巨大な蟻塚もアフリカならでは
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ツアーメンバーには、どこに動物がいるのか分からなくてもガイドは次々と動物を見つけてくます
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ブチハイエナ
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ヒヒ
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ブッシュに隠れていてぱっと見では分かりませんが
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よく見るとライオンが潜んでいます
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空を舞うのはハゲタカかな。水浴びしているのはイボイノシシ?
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バファローじゃなくてヌーですね
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毎年7月~9月頃に 草を追い求めて150万頭以上のヌーがタンザニアのセレンゲティ国立公園からケニアのマサイマラ国立保護区に大移動を行うことで有名です。とはいえ、動物には国境なんて関係ないわけで、2月のマサイマラにヌーの集団がいてもおかしくない
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ブッシュバックかな。角がないから雌の集団でしょうか
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中央にいるのはジャッカル?かな
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真っ黒な鳥はミナミジサイチョウ。肉食のサイチョウ類で草原の掃除屋だそうです
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どんどん動物と出会えるのであっという間に時間は過ぎる
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たくましいフォルムのセーブル・アンテロープ
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そしてアフリカ象
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1頭が倒れているのかな?
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子連れの象たち。これだけ象がいるとなかなかの迫力です
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木陰で休んでいるのはチーターか
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動物園で観るキリンは小さな檻に入れられて窮屈そう
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やはりキリンはのような野生動物は
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広大なサバンナがよく似合う
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動物たちを十分満喫した午前のゲームドライブ。最後にやってきたのは水辺
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ここはカバの生息地。車を降りたのでツアーメンバーに頼んで記念の1枚
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実は気性が荒く、獰猛なカバ。気安く近づくと事故につながるのでご用心
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午前のゲームドライブを終えたら、キャンプサイトに戻る前にロッジで一休み。ただ、ロッジの飲み物は高いので何も注文せず。で、13時頃にキャンプに戻ってランチを食べて、後は夕方のゲームドライブまでは自由時間。ただ、マサイ族の村を訪ねたい人はどうぞ、ってことだったので「せっかくだから行ってみよう」と訪れることに
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入村料200シリング(約1100円)とかなりいいお値段。現金収入がほとんどないマサイ族の人たちとっては重要な収入源なのは分かりますが、微妙な気持ちになります
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マサイ族といえば、ドリフターズのリーダー、いかりや長介がアフリカ紀行を思い出します。牛糞と泥をこねて造った家とか、牛乳に牛の血を混ぜて飲む習慣とか、幼心に衝撃を受けたものです。そんなマサイも時代の流れには逆らえず
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それは分かっているのですが、どんどん欧米の観光客が押し寄せてくるので、何だかがっかりした気分になってしまう(自分自身も観光客であることを忘れて、勝手なことを言ってますが)。マサイの青年と一緒の写真を一枚撮ったら、村から少し離れて周辺を散策して時間を潰しました
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マサイの村を訪問後、再びキャンプサイトに戻って一休み
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16時から再び、夕方のゲームドライブに出発です
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草を食むシマウマ
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当時、携帯は一般的ではなかったけれど、無線で連絡取り合ったりするので人気者のライオンともなれば数台の車に囲まれることも
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ハンティング場面は観ることができなかったけれど、なかなか充実した一日が終わり
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キャンプサイトに戻って、ツアーメンバーと記念の1枚
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マサイマラの1日の終わり。この後夕食をいただき、たき火を囲んでの旅の話で盛り上がりました
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キャンプサイトにはシャワー、トイレあり。ただ、水シャワーなので昼間はともかく朝夕に浴びるのはきつい。まあ、2泊なので浴びなくても問題はありませんが。また、2月は乾季ということもあって、マラリアの心配もそれほどはない。とはいえ、蚊が皆無というわけではないし、ナイロビの薬局で購入したマラリア予防薬はしっかり服用しました。服用したのは1週間に1度でよく、副作用が少ないらしいというクロロキン。ただ、アフリカにはクロロキン耐性のマラリアが多いそうで、選択が良かったのかどうかは分かりません。ただ、旅行者の中にはマラリアを恐れるあまり、治療薬のファンシダールを飲み続けた人がいたそうです(Iqbalで聞いた話)。確かに予防薬も3倍なら治療薬にもなる?らしいのですが、治療薬の場合は副作用が強いことが多い。その人は「マラリアは治せるけど、ファンシダールで痛めた肝臓は治せない」と医師に言われたそうで、安易な薬の選択は危ないようです
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3日目の朝、マサイマラに朝日が昇る
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6時40分から最後のゲームドライブ
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朝食までの2時間ほど。本日もライオンさんにご挨拶、まあ正直3日目ともなるとサファリもお腹いっぱいって感じにもなりますが
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サイに会えなかったとか、ハンティングの場面を観ることができなかったなど、欲を言えばきりがないけれども、ガイド、ドライバーともに頑張ってくれたので充実したサファリとなりました。実際、ガイド&ドライバーによっては同じツアー会社でも天と地の差のようで、同じツアー会社を1日違いで利用した日本人旅行者がいたのですが、「朝の出発も遅く、2時間くらいで終わり。昼間はやることがなくて走ってた」と嘆いていました
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ということもあり、チップを1人100シリング払おうということに。当時は「えっ」と思ったものですが、しっかり仕事をしてくれたのでこういうチップは正当かなと今では思います。てなことで、10時にキャンプサイトを出発、ナイロビへと戻りました
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この旅行記へのコメント (2)
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- ねもさん 2020/06/08 08:51:20
- 旅人魂
- itaruさん ご投票ありがとうございます。
今なら私のような海外旅行初級者でも、アフリカでサファリと気軽に考えますが、もう30年近く前。ネットもなかったし、日本人の海外旅行といえば、ほぼハワイかグアムかという時代だったと思います。
きっと今とは違う人々とのふれあいなどがあったのでは?と推測します。カバをはじめ動物たちの画像も楽しいですが、そんなことを感じました。
- itaruさん からの返信 2020/06/08 22:40:25
- Re: 旅人魂
- ねもさん、コメントありがとうございます。
地球の歩き方も今のように万人受けするガイドブックではなかった時代。個人旅行をする人も今とはだいぶ趣が違っていました。特にアフリカまで旅する人はかなり個性的な人々が多く、圧倒されました。日本で旅の資金を貯めて年単位の旅をする人、お金が稼げそうな国でアルバイトをしながら長い旅を続ける人、様々でした。そうそう、ケニアでもアルバイトを探そうとしていた旅人もいました。「肉体労働でいいから、何かないですか」と現地でスワヒリ語を学んでいる人に尋ねていましたが、さすがに十分に稼げるような仕事はなかったようですが
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