1991/02/26 - 1991/03/02
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itaruさん
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2ヶ月弱の卒業旅行も5分の4が経過して終盤戦。ベルギーからルクセンブルク、フランスのストラスブールを経てスイスに向かいます。とりあえず、ベネルクス3国を制覇しようと思って訪れたルクセンブルクは静かで居心地のいい街。また、フランスをスルーするのも何だなと思って立ち寄ったストラスブールは木組みの家々の美しさに目を奪われました。そして国連の欧州本部のあるスイス・ジュネーブで湾岸戦争が終わったのを知ったのでした
旅の日程
1月20日 SU582 成田→モスクワ(トランジット泊)
1月21日 SU333 モスクワ→シャノン バスでリムリックへ
1月22日 リムリック→ダブリン
1月23日 ダブリン→スライゴ
1月24日 スライゴ→ロンドンデリー→ベルファスト
1月25日 ベルファスト→グラスゴー
1月26日 グラスゴー→スターリング→エジンバラ
1月27日 エジンバラ(夜行バス)→
1月28~30日 ロンドン
1月31日 ロンドン→カーディフ
2月1~2日 カーディフ&スウォンジー
2月3日 MS778、759 ロンドン→カイロ→ナイロビ
2月4~7日 ナイロビ
2月8~10日 マサイマラ(サファリ)
2月11日 ナイロビ
2月12日 KQ490 ナイロビ→ザンジバル
2月13~14日 ザンジバル
2月15日 KQ491 ザンジバル→モンバサ
2月16日 モンバサ
2月17日 KQ625 モンバサ→ナイロビ
2月18日 MS760、779 ナイロビ→カイロ→ロンドン
2月19日 ロンドン→カーディフ
2月20日 カーディフ→ロンドン
2月21日 ロンドン(夜行バス)→
2月22日 アムステルダム
2月23日 アムルテルダム→デンハーグ→デルフト→ロッテルダム
2月24日 ロッテルダム→アントワープ→ブルージュ
2月25日 ブルージュ
2月26日 ブルージュ→ブリュッセル→ルクセンブルク
2月27日 ルクセンブルク→ストラスブール→バーゼル
2月28日 バーゼル→ローザンヌ→モントルー
3月1日 モントルー→ジュネーブ
3月2日 ジュネーブ(夜行列車)→
3月3日 バルセロナ
3月4日 バルセロナ(夜行列車)→
3月5~6日 マドリード&セゴビア
3月7日 マドリード→トレド
3月8日 トレド→マドリード
3月9日 SU300、581 マドリード→モスクワ→成田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ケニア航空 エジプト航空 アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ブリュッセルでもたもたしていたこともあって、ルクセンブルに到着したのは夕暮れ近く。目の前に広がる渓谷とヨーロッパらしい建築が広がる光景を眺めつつ
ペトリュス渓谷 自然・景勝地
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まずは陽が落ちる前の旧市街を散策します
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市内を流れるペトリュウス川。渓谷美と城跡が織りなすコントラスト
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静かな小国の首都の街歩き。思っていたより遙かに居心地がいい街。購入した絵はがきのように新緑の頃、訪れてみたいと思ったものです
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城壁はライトアップされ、夜の街歩きも楽しめます。そういえば、当時のルクセンブルクの通貨はベルギーフランと等価のルクセンブルクフラン。ベルギーフランもそのまま使えました。ただ、当時の感覚として物価はベルギーより若干安い感じ。両替も手数料が高めだったベルギーに対し、ルクセンブルクはほぼ同じレートで手数料なし。バブル崩壊前で円が強かった時代というのもありますが、1992年から1人あたりのGNPは世界一の国ルクセンブルクは意外と旅がしやすかったですね
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朝靄の旧市街。もう少し滞在したいと思いつつ、訪れたい場所が他にもたくさんある。後ろ髪を引かれつつ、ルクセンブルクを離れて向かったのが
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フランスのストラスブール。大学2年から3度目の欧州旅行なのにフランスに入ったのは実はこれが初めて。当時はフランスは「お高くとまっている」というイメージがあって、少しばかり避けていたところがありました。帰国はマドリードからなのだからパリ経由でスペインに向かえばいいのにフランスをかすめるようにスイスを抜けるというコースを取ってしまったのです
ストラスブール ノートルダム大聖堂/尖塔/カラクリ時計 寺院・教会
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しかもストラスブール行きの列車は40分ほど遅れて滞在時間は4時間ほど。短い滞在時間となったうえ、ここもテロ警戒からコインロッカーは使用不可。重いバックパックを背負いながらの大聖堂やプチ・フランスなど駆け足での街歩きとなりました
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ストラスブールはアルザス地方の主要都市。そしてアルザスといえば、思い出すのが教科書に載っていた「最後の授業」という短編小説。アルフォンス・ドーテが普仏戦争後に書いた小説は、プロイセン軍に占領されたアルザス地方の村の学校で今後はフランス語ではなく、ドイツ語で授業を行うことを知らされて衝撃を受ける話。当時は歴史的な背景を知らず、戦争の理不尽さを表していると思ったのですが
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その後に世界史を学ぶ中で、そんな単純なものではないのを知るわけです。もともとアルザスはゲルマン系の人々が住んでいた土地。中央集権が進んだフランスが領土拡張を図る中で標的となった場所な訳で、住民たちが話していたのはドイツ系の言葉アルザス語。実際、フランス化政策には反発もあったんだとか。今では地方の独自の文化を尊重する方向に政策も変わり、地域の言語であるアルザス語での教育も行われているそうです
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そんな背景が知られるようになったからか、wikiによると1985年以降は日本の教科書で「最後の授業」が扱われることはなくなったとのこと
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絵はがきにはドイツ的な木組みの家
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やはりフランスというよりドイツの街がしっくりくる
プティット フランス 散歩・街歩き
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ということで、フランスにタッチしたらスイスのバーゼルへ。ただ、ここは夜に入ってYHに宿泊しただけ。朝にはさっさとチェックアウトしてレマン湖畔の街へ向かいます。写真は朝のバーゼル。巨大なオブジェのハンマリングマンを眺めつつ
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ローザンヌへ。珍しくコインロッカーが利用可だったので身軽になって街を歩きます。残念ながら大聖堂は改修中のようでしたが
ノートルダム大聖堂 寺院・教会
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レマン湖畔の歴史のある街を
レマン湖 滝・河川・湖
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ゆっくり散策することができました
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ローザンヌ観光を終えたらジュネーブには直行せず、ちょっと寄り道します。同じくレマン湖畔の街であるモントルーへ。鉄道料金は6.4スイスフラン(約640円)
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モントルーに立ち寄ったのはバイロンの叙事詩「シヨン城の囚人」で有名なシヨン城を観るためだったんですが……
シヨン城 城・宮殿
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残念ながら靄がかかっていて
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記念の1枚も何とも残念な感じになってしまいました
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できれば、絵はがきのようなアルプスを背景としたシヨン城を観たかった。まあ冬の駆け足の旅では仕方ないです。城そのものは雰囲気があって良かったのですが
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なのでケーブルカーに乗って高台からレマン湖を眺めてもご覧の通り。さてモントルーの観光を終え、ジュネーブに移動しよう。と、ローザンヌまで戻ってきたところでカメラを入れていたバッグをモントルー駅に忘れていたことに気がついた。いや~、焦りしました。急いでモントルーに引き返したところ、幸運なことにも駅員の方が保管していてくれました。海外でまさか忘れ物が戻ってくるとは!治安の良かったスイスに感謝しかありません
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そんなこともあったので、3月1日のうちにジュネーブからスペインに移動することは諦め、2日の夜行でバルセロナまで移動することにしました。時間ができたので1日、国際機関が集まるジュネーブ観光です。といっても、非常時なので国連欧州本部は見学不可となっていました
国際連合ヨーロッパ本部 (パレ デ ナシオン) 現代・近代建築
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パレウィルソンは第一次世界大戦後に設立された国際連盟の本部だった建物。現在では国際連合人権高等弁務官事務所となっていますが、1991年当時は利用していたほかの国際機関もこの建物を使わなくなり、荒れるに任せているといった印象でした
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写真はないけれど、国際都市ジュネーブを歩く中で立ち寄ったのが赤十字赤新月博物館。展示を見ていると、何やら最新の映像が流されている。よく見ると湾岸戦争のことで、地上戦が行われて戦争は終わったとのこと。アメリカのブッシュ大統領(父)が「クウェートは解放された」と勝利宣言をしたのが2月28日。今ならスマホで常時情報を仕入れていたところですが、2日遅れで戦争終結をしったのでした
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その後は旧市街を歩き、地元のテレビ局?がロケをしている現場に遭遇したり
ジュネーブ旧市街 旧市街・古い町並み
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宗教改革記念碑などを巡った後、最後の訪問国スペインに向かいました
宗教改革記念碑 モニュメント・記念碑
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