1991/01/28 - 1991/02/02
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itaruさん
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エディンバラから夜行バスでロンドンへ。バスにはスペインやイタリアのラテン系の乗客が多かったせいか、やたら騒がしい。しかもロンドンには予定より早く5時30分着。眠い目をこすりつつ、ヴィクトリア駅で街が動き出すのを待ちます。さて、ここでの主目的は東アフリカ行きのチケットを見つけること。そして無事チケットを見つけたら、連合王国の最後の「国」ウエールズに向かいます。ちょうど、大学のサークル関係の友人が留学?していたのでご挨拶。雪の中、カーディフ近郊の古城などを訪ねたら、東アフリカの大地を目指してヒースロー空港から飛び立ちます
旅の日程
1月20日 SU582 成田→モスクワ(トランジット泊)
1月21日 SU333 モスクワ→シャノン バスでリムリックへ
1月22日 リムリック→ダブリン
1月23日 ダブリン→スライゴ
1月24日 スライゴ→ロンドンデリー→ベルファスト
1月25日 ベルファスト→グラスゴー
1月26日 グラスゴー→スターリング→エジンバラ
1月27日 エジンバラ(夜行バス)→
1月28~30日 ロンドン
1月31日 ロンドン→カーディフ
2月1~2日 カーディフ&スウォンジー
2月3日 MS778、759 ロンドン→カイロ→ナイロビ
2月4~7日 ナイロビ
2月8~10日 マサイマラ(サファリ)
2月11日 ナイロビ
2月12日 KQ490 ナイロビ→ザンジバル
2月13~14日 ザンジバル
2月15日 KQ491 ザンジバル→モンバサ
2月16日 モンバサ
2月17日 KQ625 モンバサ→ナイロビ
2月18日 MS760、779 ナイロビ→カイロ→ロンドン
2月19日 ロンドン→カーディフ
2月20日 カーディフ→ロンドン
2月21日 ロンドン(夜行バス)→
2月22日 アムステルダム
2月23日 アムルテルダム→デンハーグ→デルフト→ロッテルダム
2月24日 ロッテルダム→アントワープ→ブルージュ
2月25日 ブルージュ
2月26日 ブルージュ→ブリュッセル→ルクセンブルク
2月27日 ルクセンブルク→ストラスブール→バーゼル
2月28日 バーゼル→ローザンヌ→モントルー
3月1日 モントルー→ジュネーブ
3月2日 ジュネーブ(夜行列車)→
3月3日 バルセロナ
3月4日 バルセロナ(夜行列車)→
3月5~6日 マドリード&セゴビア
3月7日 マドリード→トレド
3月8日 トレド→マドリード
3月9日 SU300、581 マドリード→モスクワ→成田
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ヴィクトリア駅で私営のホステル?の客引きに誘われ宿を確保(7ポンド)です。荷物を置いたらチケット探しです。途中で手に入れた情報誌を見ながら代理店巡り。広告では320ポンドからとあるけれど、数日後の出発ではそれほど安いチケットは見つからない。学生向けの代理店、Student OfficeではKLMやOlympic Airなど欧州系のキャリアが主で、いいお値段。で、何社か回った中でいろいろチケットを探してくれたのがAirplane Travel。で、一番安かったのがSomali Airlinesで300ポンド台だったんですが……。この航空会社、ソマリアの航空会社なんですよね。日本を出国する前、新聞に「反政府軍が首都を包囲」といったニュースを見たばかり。「安全なの?」、「大丈夫、問題ないよ」とのやりとりはしたものの、さすがに内戦に巻き込まれるのは勘弁ということで却下。で、次に安いのはアエロフロート。安いのはいいけど、もう一度モスクワ経由するのも芸がない。モンバサ行きのチャーター便が安いけれど、日程が合わない。で、次に安いのがエジプト航空の410ポンド(約10万6000円)。湾岸戦争時に中東のカイロ経由? 躊躇したものの、さすがに距離が離れているので戦争の直接的な影響はないだろう、20代故の楽観もあってエジプト航空でケニアのナイロビに向かうことにしたのでした
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ロンドンの街中を歩いている中で偶然見つけたのが「Iraq Cultural Center」。まさに戦争中なわけです。当然ですが、締め切られていて人のいる気配は全くありません
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ほぼ1日かけて東アフリカ行きのチケットの手配を完了。いざとなればスマホでサクッと手配できる今とは違って手間がかかりますが、学生の長期旅行だとこうした手間もある意味、旅の面白さでもあるなあ、と思ったりもします。ともあれ、チケットを手配したところで夜にはウォーキングツアーでロンドンを巡ります
セントポール大聖堂 寺院・教会
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参加したのはジャパン・ウォーキング・ツアーの「ロンドンの幽霊の出るパブ巡り」をテーマにしたもの
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ツアー代金は4ポンドと格安で日本語の説明付きでしたが、内容はあまり覚えていません
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夜のロンドンを歩きました。参加したのは私のほか、3人の女性グループの計4人
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ツアーにはシャーロック・ホームズが毎日通ったというパブも含まれていました
シャーロック ホームズ バー
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29日はチケット代金の払い込み。ところが支払う場面でトラブル。当初、2月1日出発で頼んだはずが、3日発しかないとのこと。今さら何! とは思ったものの、他の代理店を探すのも面倒だし、より早い出発のチケットが手配できるとも限らない。仕方ないと思い、渋々代金を支払う。発券は翌日ということなので、とりあえずロンドン観光といきますか。一昨年(1989年)の初海外の時は外観しか見なかったロンドン塔へ。ただ、オフシーズンだからか、城内は一部がクローズで消化不良気味
ロンドン塔 建造物
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ついでにタワーブリッジを眺めていたら、現地に留学中の日本人と意気投合し、記念の1枚を撮ってもらい夕食を一緒にいただくことに。で、その帰り、ジャパンセンターに立ち寄りインスタントの袋麺を購入。割高でしたが、当時は海外で日本のインスタントを食べるのも面白いかと思ってました
タワーブリッジ 建造物
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30日、日帰りでロンドン郊外に行くことも考えたものの、夕方に代理店でチケットをもらうのでおとなしく博物館巡り。郵便博物館、ロンドン博物館と回ったけれど湾岸戦争の影響でセキュリティチェックが厳しくなっていた
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2つの博物館を巡ったら昼のセントポール大聖堂へ
セントポール大聖堂 寺院・教会
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心霊写真? ではありません。教会内はフラッシュ不可ということもあり、夜景撮影モードで記念の1枚を撮ったわけですが……。他の観光客がカメラの前を横切った結果、動きのあまりなかった下半身はぶれ、動きの大きかった上半身は消えるというホラーな一枚になってしまったわけです
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泊まっていたのはSWISS COTAGE LODGEという地下鉄のNORTHERN LINEで郊外に出たところのホステル。宿代の高いロンドン、YHでの場所によっては10ポンドはしていたので7ポンドは格安でした。同室だったのは陽気なオージー、真面目っぽいデンマーク人と仕事を探しにロンドンに来ているイタリア人。ちょっと騒がしかったけど、楽しい連中でした
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31日、バスで連合王国のもう一つの構成国「ウエールズ」へ。ちなみスコットランドは国際学生証のみで学割チケットが購入できましたが、ロンドンではバス用のカードを作る必要がありました。さて首都カーディフにはちょうど大学のサークル関係の友人が留学していたので、久々に再会し夕食をいただきバーで軽く一杯。パブと思っていたら、ビールがなかったのは笑い話。で、この時に厚かましくも「アフリカに行くんで冬物の服預かってくれない」と頼んでしまう。今、考えると相当に失礼だったよなあ、と反省しきりなんですが、快く預かってくれて感謝しきりです
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当初の予定ではウエールズは1泊2日でしたが、アフリカへの出発日が2月3日になったので2月1、2日とカーディフ周辺を巡ります。前夜は思わぬ大雪。友人と別れた後、半分吹雪いているような天候の中、YHが見つからずに2時間ほど彷徨いました
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しかし、この日は空が晴れ渡り、気持ちの良い青空が広がっています。この旅で初めての晴天に足取りも自然と軽くなります。国立博物館に寄ってマックでお昼を食べてから
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バスに揺られてキャッスルコッホへ。ここ城はすぐ目の前に見えるのに道がよく分からない。「いいや、いっちゃえ」と崖のようなところを登ってショートカットしてしまう。いやあ、道を確認するくらいすれば良かったのですが
カステル コッホ城 城・宮殿
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「コッホ」はウエールズ語で「赤」の意味。ガイドブックに「外壁が紅い美しい城」とあったので、外壁が真っ赤に染まった派手な城なのかと思っていたら
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赤みを帯びた砂岩で建てられているからなんだとか
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11世紀に建てられたという城は14世紀序盤に破壊され、荒れるに任せていたそうですが、19世紀に再建され、今ではウエールズで最も美しい城とも呼ばれます
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帰りは崖を降りず、ちゃんと道を下ります
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バス停までは10~15分ほどの道のりですが
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バスは1時間に1本ほど。時刻は15時30分近く。運良くバスには乗れたのですが
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カーフェリー城前に着いたのは15時50分
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カーフェリー城は16時まで。10分前では城には入れません
ケーフェリー城 城・宮殿
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城の前ではくつろぐ地元の人たち
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とりあえず記念の1枚を撮ってもらい
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13世紀にその歴史を遡る古城の外観を
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ゆっくり見学します
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壕に囲まれた様はどこか海に浮かぶ軍艦を想起させます
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市街に戻ってきたらすっかり陽も落ちて、カーディフ城はライトに照らされます
カーディフ城 城・宮殿
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2日、カーディフからスウォンジーへ。今ではプレミアリーグに参加しているスウォンジー・シティAFCのホームということで、訪れる観光客もそれなりにいるようですが、それほど有名な場所はないので観光客の姿はほぼなし。ひとまず街中にある14世紀の司教の館というスウォンジー城へ
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さらにスウォンジー博物館を軽く観たら、岬を目指して5km強の道のりを歩きます
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向かった先にあるのがOystermouth Castle
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12世紀に建てられた城は次第に重要性を失い
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17世紀半ばにはその役目を終えています
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シーズンではなかったからか、城はクローズで中には入れませんでしたが、長閑な景色の中の廃城というのもなかなか趣がありました(2011年に改修されたそうです)
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帰路は海岸沿いを歩き、バスに乗って再びカーディフへ
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英国の旅はここまで。さて次はアフリカの大地へ飛び立ちます
カーディフ城 城・宮殿
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