2019/10/15 - 2019/10/17
113位(同エリア186件中)
SHU2さん
この旅行記のスケジュール
2019/10/15
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徒歩での移動
8:20、ホテルから宇和島城に向けて出発。
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徒歩での移動
8:30、城山北登城口に到着。登城には2つのコ-スがありますが、昔ながらの最短コ-スで登城です。
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8:50に本丸に到着、本丸を散策し天守閣へ。天守閣を約30分見学し、9:22に遠回りコ-スで下城。
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徒歩での移動
城山北登城口に9:40戻り、ホテルの駐車場から宇和に向けて9:50に出発。
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車での移動
車で移動中、10:10頃に吉田港でイルカの群れを発見。イルカをみて宇和の卯之町には10:48に到着
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卯之町の町並みや住宅、博物館、飾り瓦などを見て、11:58 宇和町を出発。
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車での移動
宇和町から臥龍山荘までは約19kmですが、途中まちの駅あさもやで約10分休憩し、12:40に到着
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お気に入りで素晴らしい臥龍山荘は、今回で4回目です。ただ残念ながら滞在は約30分で13:08 に出発
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13:13大洲城駐車場に到着。大洲城の天守と、江戸時代の台所櫓や高欄櫓を見て、13:40下城。
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車をまちの駅あさもやに停め、おはなはん通りを散策。14:15大洲を出発し内子へ
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内子座には駐車場が見つからず14:45に到着。内子の町の中心付近には駐車場はありませんでした。
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内子では、内子座と八日市護国の町並みを観光。どちらも間違いなくお薦めの観光地でした。
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車での移動
15:52内子を出発、松山自動車道を使い16:52に道後温泉駐車場に到着。雨の夕方はやはり大渋滞です
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道後温泉本館は、保存修理工事中(約7年)でした。別館の飛鳥乃湯泉や椿の湯を見学し、ハイカラ通りを散歩
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車での移動
道後温泉を17:28に出発し、ガソリンスタンドとレンタカ-店に寄って、18:17松山空港に到着。
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飛行機での移動
19:20発JAL440に乗り羽田へ。少し強行軍でしたが、楽しい旅行でした。
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この旅行記スケジュールを元に
3日目は宇和島からスタ-トです。宇和島では宇和島城を見学し、宇和に移動して卯之町の町並みと宇和米博物館を見学。大洲では臥龍山荘でくつろいでから大洲城とおはなはん通りを歩いて観光・買い物。そして内子に移動して内子座の見学と八日市護国の町並みを歩き、松山道後温泉へ。道後温泉では周辺をぶらついてから松山空港へ。道後温泉には入れませんでしたが、愛媛と高知を堪能してきました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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3日目スタ-トです。ホテルを8:20分に出発し、8:26に城山北 登城口手前で宇和島城を撮影。城下からは宇和島城を撮影できる場所は少ないです。
宇和島城をきれいに見たい・撮りたい人は、山の上にある小さな公園(愛宕公園)の展望台からなら、宇和島城を中心に市内を一望できます。ただ公園は少しわかりにくいです。桑折氏武家長屋門 名所・史跡
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8:30、宇和島城の城山北登城口に到着。この付近は昔は三之丸があった所です。
登城口は藩老桑折氏武家長屋門が入り口になっていますが、この建物はもともとこの場所にあったものではなく移築されたものです。
国道56号に面した城山南側に登城口(裏門)がもう1つあり、そこには藩政時代の2つの遺構の1つ、上り立ち門があります。なおあとの遺構は天守になります。桑折氏武家長屋門 名所・史跡
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門から約1分上って行くと左側に殿様も歩いた少し急な登城口(天守まで約300m)と、正面になだらかそうに見えるが少しアップダウンがあって遠回りする(天守まで約700m)登城口があります。今回も殿様と同じル-トで登城です。
宇和島城は約350年も昔のままの姿を残しているためか、登城道も昔のままなので多彩な草木に覆われ、珍しい植物も多く見られます。宇和島城 名所・史跡
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150m程(約4分)上ったところに井戸丸跡があり、そこには井戸丸御門跡や井戸丸櫓跡がなどがあります。宇和島城に3ヶ所ある井戸のうちもっとも重要な井戸を守っていた曲輪です。
井戸の直径は2.4m、深さ11mで、周囲の岩盤から伝わってくる水を集めて井戸に水を蓄えていたようです。井戸には歴史を物語る苔が広がっていました。宇和島城 名所・史跡
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井戸から約3分上がると突き当り、登山口からの2つの道が一緒になります。北登城口からは、近道コ-スは約8分で、遠回りコースは約15分かかります。
合流地点からまた石段を上り、Uターンして写真の坂を上がるとそこは二之丸になります。
なお、Uターンして坂を上りきって振り返ると、そこは宇和島城撮影ポイントの1つです。宇和島城 名所・史跡
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石段を上り切った二之丸のすぐ先を左に曲がり、10m程進むと左側に、本丸に上がる約13段と4段の石段があります(写真)。
石段を上り切ると、目の前には現存12天守の1つである宇和島城が迎えてくれます。また後ろを振り返ると、二之丸の先には宇和島湾を見ることができます。宇和島城 名所・史跡
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本丸は狭くなないですが広くないです。
天守は、最初は1601年に複合式望楼型3重3階で建てられましたが、1671年に現在の独立式層塔型3重3階に建て替えられました。なお天守は独立式のためか小さく見えますが、石垣を除いた高さは15.7mで、現存天守12の中では8番目の高さになり、彦根城や備中松山城などより高いです。天守の石垣が低いのも小さく見える原因かもしれませんね。宇和島城 名所・史跡
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屋根の装飾が豊かで、正面最上層には屋根唐破風があり、二層に大型の千鳥破風、その下に二つの千鳥破風、最下層玄関に大型の唐破風があります。
初めて来た時は、本丸に小さく天守が建っていただけなので少しがっかりしましたが、来るたびに素晴らしさがわかってきます。
また春には桜が咲き、インスタ映えするスポットになります。宇和島城 名所・史跡
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天守閣の入り口は、お寺の入り口のような感じです。
天守1階には内室があり、障子の内側には3体の鎧兜(左から豊臣秀吉、城主であった伊達秀宗、そして三日月は伊達政宗)や城の模型が展示してありました。そして内室の周りを武者走りが巻いていて、天井には棟上げ式の巨大な弓矢もありました。
なおこのお城には、鉄砲狭間や石落しといったものが全くありません。宇和島城 名所・史跡
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2階にも内室があり障子もありましたが、天守閣に障子があるのは珍しいです。
また2階も周りは武者走りで、窓の下には鉄砲掛けだけで、やはり狭間や石落などの防御設備はありません。内室の大きさは、1階と2階もほとんど変わらなく、武者走りのみ幅が狭くなってりました。
さらに2階には松山城でも見かけた、イラストレーターの茂本ヒデキチ(愛媛県出身)氏の作品が展示されていました。宇和島城 名所・史跡
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最上階の3階です。ここは障子がなく一つの部屋となっています。また3階にも2階と同じように休憩用の席あり、最上階に休憩用の席がある城は珍しいです。
なお階段は現存する12天守の1つであるためか、かなり急になっていますので注意が必要です。宇和島城 名所・史跡
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3階からは、本丸越しに宇和島湾を見ることができます。
宇和島城は、標高約80mの小高い丘に立てられた平山城ですが、当時は城の一部に海水を引き込んだ海城でもありました。
また宇和島城は丘の上にあることから、城山には自然が多く残っていることがよくわかります。宇和島城 名所・史跡
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こちらは宇和島駅方面です。 宇和島の街なみ(城下)が一望でき、最高です。
ただ気になったのが屋根の瓦で、何かに乗っている大阪のビリケンさんの頭のような瓦です(←)。後で調べたら、亀の甲羅の形をした瓦の上の乗った桃の瓦でした。これは飾り瓦と呼ばれ、桃と亀には魔除けや長寿を願う意味があるそうです。現在桃瓦のある城は、宇和島城を除き5つの城(犬山城 、大阪城、和歌山城、岡山城、大多喜城)で、天守には桃瓦が乗っているそうです。気になる方は探してみてください。宇和島城 名所・史跡
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帰りは遠回りコ-スで下城です。途中には城山郷土館があり、そこには現存例は非常に少ない貴重な武器庫(山里倉庫)が、移築され展示されていました。それ以外にも宇和島城や伊達家ゆかりの資料などが展示されています。
遠回りコ-スは思ったより楽でなく距離が長いので、最短コースをゆっくり周りを観察しながら上ったほうが、楽で面白いのでお勧めです。
9:40 城山北 登城口の到着、宇和島城には1時間10分の滞在でした。城山郷土館 美術館・博物館
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ホテルに戻り、9:50にホテルをチェックアウトし宇和に向けて出発。20分程走行して伊予吉田駅手前の吉田港沿い来ると、道路に車がいっぱい止まっています。何か騒いでいるようなので、私も車を止めて仲間入り。皆さん海を見ながら騒いでいるので海を見たら、港の真ん中で約10頭のイルカが悠々と泳いでいました。さすがに水族館のイルカと違い飛び跳ねたりはしませんでした。
夜、松山空港でテレビのニュ-スを見ていたらイルカの事を放送していました。 -
約45分で到着するはずの宇和(卯之町)までは、イルカに出会えたため約1時間かかりました(10:48)。
卯之町は、かつては宿場町として賑わった古い町並を残しており、国の重要伝統的建造物群保存地区になっています。白壁、うだつ、出格子など伝統的な建築様式を見ることができます。
この通りが、伝統的な建築様式の建物が並んでいるメイン通りです。卯之町の町並み 名所・史跡
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メイン通りのはずれには、宇和先哲記念館があります。
私は、「宇和先哲」を名前と勘違いし、知らない名前であったのでここはパスをしました。あとで知ったのですが、「先哲」とは歴史にかかわる偉人・賢人をあらわす言葉で、名前ではなく宇和の偉人ということでした。私の教養のないことがバレてしまいました。
記念館は、宇和町にゆかりのある偉人の業績を紹介していて、当時の医療器具や偉人の使った道具などを見られたようです。大失敗でした。宇和先哲記念館 美術館・博物館
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宇和先哲記念館から約1分、左側に誰でも気軽に立ち寄れる無料休憩所(文化の里休憩所)があります。なお休憩所は、古い建物を復元しており、無料のお茶に有料の温州みかんジュ-ス(アイス・ホット税込み330円)が飲め、観光のパンフレットも置いてあり、観光の案内もしてもらえます。また斜め向かいには無料駐車場があります。
この建物周辺には、自家と隣家との間の屋根を少し持ち上げた「うだつ:←」がある家が多いです。なお徳島県美馬市脇町南町などがうだつの町並みとして有名です。文化の里休憩所 名所・史跡
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2~3軒隣には、1804年に創建された純和風建築の老舗旅館「松屋旅館」があります。江戸時代に建てられた文化財は古民家再生でリニューアルされ、一般客もかなり手頃な金額で泊まる事ができるし、予約で食事のみの利用もできるようなので興味のある方はどうぞ。
松屋旅館 宿・ホテル
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さらに約1分進むと左側に「末光家住宅」があります。明和7年(1770)に建てられた元商家で、回転式の格子戸や蛇腹式のすり戸など卯之町らしい造りが見られ、町並みの代表的な町家です。大正時代初期まで酒造業を営み、その後昭和12年(1937)まで醤油製造・販売を営んでいました。普段は公開はしていませんが、毎月第1日曜日に定期の一般公開を行っています。
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次に1分先を右折し約1分進むと左側に、明治15年(1882)年に町民などの寄付により建築された小学校校舎(開明学校)があります。その校舎は四国で最も古い校舎で、木造2階建、桟瓦葺きで、窓枠をアーチ状につくるなど、わずかに洋風の意匠を取り入れた擬洋風建築です。宇和の人の教育に対する情熱が強く感じられました。また長野県松本市の「旧開智学校」と姉妹館として交流をしているそうです。
見学をしたくて中をのぞきましたが誰もいないのであきらめましたが、入館の受付は道路を挟んで反対側の「宇和民具館」でお願いするようです。開明学校 名所・史跡
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注目するのは、文化の里休憩所周辺の「うだつ」に、末光家住宅周辺の「飾り瓦」です。特に飾り瓦は、商家や寺、民具館などあちらこちらの屋根にのっています。鯱や鬼、鍾馗などのほか大根と茄子、家紋など探していたら首が痛くなりました。
はじめはあまり期待はしていませんでしたが、江戸末期~昭和初期の歴史が再現されていて最高でした。卯之町の町並み 名所・史跡
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卯之町の町並みから車で約5分(徒歩1km:12分)の「宇和米博物館」です。
建物は、昭和3年建築の木造校舎(旧宇和町小学校)を移築して、米つくりの資料などを展示していているので、お米のことを詳しく知ることができます。宇和米博物館 美術館・博物館
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驚くことにこちらは、日本一長い木造建築の109mの廊下があります。見学は無料ですが、有料(500円)で長い廊下でぞうきんがけをすることができます。体操服のレンタルもできるので、スカートできても大丈夫です。元若者も、近くに消防署と病院があるので、安心して昔懐かしい廊下のぞうきんがけを楽しんでみて下さい(責任はとれません)。
宇和米博物館 美術館・博物館
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教室は昔懐かしい教室のままで、黒板に自由にチョークで書きこめる教室の他、農機具やトラクタ-などの展示室、貸事務所や貸会議室、ICT関連企業などのサテライトオフィス、各種講座等で使用できる室として活用されていました。
一瞬、ちいさい頃に戻れて楽しかったです。
11:58 宇和町を出発、宇和町は1時間10分の滞在でした。宇和米博物館 美術館・博物館
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途中「大洲まちの駅 あさもや」で、名物の大洲コロッケ(200円)と人気のじゃこカツ(300円)を食べたため移動時間は約10分多くかかりましたが、宇和米博物館から約42分(約19km)、12:40に大好きな「臥龍山荘」に到着。
臥龍山荘は4度目で、車は臥龍山荘のすぐ近くの河川敷に駐車できました。入り口は、写真の坂を上って行って目の前ですが、その先に少し雰囲気のいい「臥龍茶屋」と間違わないように。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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臥龍山荘は、明治30年頃大洲出身の貿易商河内寅次郎氏が十余年かけて築いたものです。肱川流域随一の景勝地臥龍淵に、臥龍院、不老庵、知止庵の建造物と借景庭園が広がり、冨士山・肱川の光景を眺めることができます。
まず門をくぐり、階段を上がって行くと左側に、自然の景観を生かした借景庭園を見ることができます。受付は右側の入り口を入った所にあります。最初の建物の臥龍院は、木造茅葺寄棟造り平屋建付属建物一部瓦葺です。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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まず入り口に入り、臥龍院の玄関となる2畳ほどの「迎礼の間」で受付をします。観覧料は大人550円で、大洲城と共通券は880円です。
迎礼の間の横が「霞月の間:写真」になります。違い棚を霞に見たて、掛け軸には富士山が描かれており、丸窓の奥には仏間があります。また壁の一部を塗り残し、荒れた農家の風情を表して、わびさびの表現がされ、各所に創意工夫がなされています。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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庭園とは反対側の「清吹の間」は、夏向きに造られており、北向きで風通しがよく、天井は他よりも高く、涼しさを感じさせる細工が随所に見られます。また神棚の下の広い書院の欄間の透かし彫りにより、春夏秋冬にちなんだ彫刻がなされています。
また庭園側の「壱是の間」は、格調高い書院座敷で、丸窓、濡縁、障子戸、天井板など桂離宮様式が色濃く現れています。また畳をあげれば能舞台となり、床下には備前焼の壺が置かれ音響効果を高めてあります。ただ本当か私は知りません。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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庭の横には、一文字瓦葺平屋建3坪の「知止庵」があります。臥龍院と同時期に浴室として建てられた建物ですが、昭和24年に内部を改造して茶室とされました。中には入れませんが、音声で説明書が聞け、中を見ることはできます。中は2畳ほどの部屋で結構薄暗く、昼寝にはいいと思います。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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最後は、木造茅葺平屋建5坪の大好きな「不老庵」です。風光明媚な肱川の臥龍淵の崖の上に立つ庵です。船に見立てて造られ、生きた槙の木が捨て柱として使用されています。
なおここでは、肱川を借景に楽しみながら、お茶の先生にお茶を点てていただけます。料金は一服400円(創作和菓子付)、開催日時は毎週日曜日 9:30~15:30、開催期間:4月~10月(8月休)です。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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肱川と冨士山がきれいに見渡せるこの場所でいつもやることは、寝転んで竹を編んで造られた天井を見ながらボ-とすることで、最高の時間です。
本当にここからの眺めは、日々の喧騒を忘れさせてくれる癒しの時間になります。
皆さんもここに来て、日本ならでわの建築美や美しい日本庭園と風景を眺め、癒されてください。
残念ながら13:08 臥龍山荘を出発です。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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写真右側が、臥龍山荘から約300mの所にある、元禄元年(1688)創業の割烹料理店「いづみや」です。前回食事をしたお店で、ここのじゃこ天付き「大洲芋炊き御膳:税込み1200円」がお薦めです(芋炊き・じゃこ天・小鉢・香の物・おにぎり又は白飯・ゼリー)。他は、「いづみや御膳・松:税込み1500円」(刺身・天ぷら・焼物・煮物・小鉢・茶碗蒸し・香の物・御飯・汁物・ゼリー)です。安くて、美味しくて、親切なお店でした。
いづみや グルメ・レストラン
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大洲城に1番近い駐車場は、市民会館駐車場(1時間160円)で、天守閣入り口まで約300mです。なお臥龍山荘からいづみやを通り大洲市民会館の駐車場まで1.3km(5分)でした。
大洲城は1331年に築城され、1595年~1609年に近世の城郭として整備されましたが、明治21年に天守が取り壊されてしまいました。ただ4棟の櫓(台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓)は、解体をまぬがれ、いずれも国の重要文化財に指定されています。
現在の4層4階の天守は、明治期の写真や江戸期の木組模型などの史料をもとに平成16年(2004)に木造で復元されたものです。石垣もなかなか立派です。大洲城 名所・史跡
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13:20 天守閣に到着。右側が台所櫓で、大洲城の櫓の中では最大級のもので、内部に土間を配し煙出し用の格子窓が開けられています。現在の台所櫓は安政4年(1857)の地震で大破し、安政6年(1859)に再建されたもので、昭和45年(1970)に解体修理されました。
左側が高欄櫓で、大洲城の中で唯一2階に縁と高欄のある櫓です。現在の高欄櫓は、台所櫓同様、安政4年で大破し、3年後に再建され、昭和45年に台所櫓とともに解体修理されました。なお2つの櫓は共に国指定重要文化財です。大洲城 名所・史跡
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天守閣へは、右側の台所櫓が入り口になっています。中に入ると、武具や天守復元の際に参考とした、江戸時代の天守雛形を再現した木組模型などが展示されていました。さらに天守に行く渡り廊下には、大洲城築城の様子を再現したジオラマがあります。
大洲城 名所・史跡
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天守閣1階です。平成16年(2004)に伝統工法によって復元された天守閣は、まだ新しい木の香りが漂っているように感じます。なお大洲城の天守は、古い史料などが比較的多く残っていたので、構造はほぼ昔の状態を忠実に再現した「復元天守」となっています。
こちらにも鎧や兜、大洲藩の歴史に関する資料が豊富に展示されています。大洲城 名所・史跡
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2階の天守の内部です。大洲城は、心柱がよく見える吹き抜け構造があるのが特徴です。その吹き抜けがあるせいで、2階から1階を見ることはできますが、2階の床面積は少ないです。
大洲城 名所・史跡
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3階は展示物はほとんどなく殺風景でした。なお階段は、昔の状態を忠実に再現した復元天守なため、階段は角度があり(急で)、注意が必要です。
大洲城 名所・史跡
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天守最上階です。なぜか心柱は天守の中央ではなく、北に寄っていました。またここには大洲城の鯱がおいてあり(後ろ姿)、その鯱の目は最後の藩主(加藤氏)の家紋「蛇の目紋」になっていました。
大洲城 名所・史跡
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最上階からの眺めです。こちらは眼下に肱川が見え、その先が伊予大洲駅方面になります。駅からは約2kmで歩くと約25分かかり、少し遠いです。
大洲城 名所・史跡
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こちらの右側が、臥龍山荘や次に行くおはなはん通り方向です。正面左には「富士山:とみすやま」が見えます。その冨士山は、その姿が富士山に似ていることから名付けられた標高320mの山で、日本有数のツツジの名所として有名です。
また写真真ん中の橋の付近では、花火を見ながら1300年の歴史がある「うかい」を楽しむことができます。大洲城 名所・史跡
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こちら側は、大洲市民会館方向です。左下の建物が市民会館で昔は「下台所」になり、右側が「二の丸」になります。また正面奥のグランドがある付近に「三の丸南隅櫓」があり、けっこう大きな城であったことがわかります。
大洲城 名所・史跡
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天守閣を下り、さらに渡り廊下を歩くと城の模型や屋根の断面模型、そしてここにも大洲城下を再現したジオラマが展示されていました。
なお天守にいた時に、ジオラマの関係者や城の関係者が数人いて、ジオラマを調整していました。修理か新しいジオラマを持ってきたのかな。大洲城 名所・史跡
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最後は、もう一つの江戸時代の建造物、高欄櫓です。前回は、1階も2階も展示物がありましたが、今回はどちらの階も展示物はありませんでした。
なお2階には窓の外へ出るための廻縁があり、高欄と呼ばれる手摺が付けられています。ふつう高欄は天守につけられますが、櫓に設置された例はめずらしく、他に高欄を付した櫓があるのは熊本城の宇土櫓のみです。すなわち天守に次ぐ高い格式を備えた櫓となります。
大洲城はまだあまり知られていないみたいですが、昔ながらの櫓に、昔のままに再現した天守と、それなりに本物の城をたのしめました。ただ四国には、現存の天守閣が12あるうち4つ存在するので、観光客の誘致は大変ですね。 13:40 下城。大洲城 名所・史跡
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城から約1kmの所にある、「大洲まちの駅あさもや」です。ここは臥龍山荘に行く時にも寄りましたが、市内観光の起点・中心になります。ここは駐車場は無料、一応きれいなトイレ、お土産店、食堂、観光案内所などがそろっています。
大洲まちの駅あさもや 道の駅
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なおここは城に行くには少し遠いですが、臥龍山荘やおはなはん通りに近く、お土産も空港よりも安く買えます。また周辺には料理店も多く、老舗割烹料理店のいずみやにも徒歩約3分で行けます。
ただ近くのJR駅まで約1.5kmあるため、バス停は目の前にありますが車でないと少し大変です。大洲まちの駅あさもや 道の駅
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まちの駅からは約1分で「おはなはん通り」です。20年以上前、初めて来た時は観光客は結構いましたが、今回は観光客は少なかったです。
なお「おはなはん」は、NHK連続テレビ小説で1966年4月から約1年間放送された、明治中期の大洲市出身の女性(はな)が主人公の物語です。おはなはん通り 名所・史跡
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通りの中央に休憩所があり、当時の番組や撮影現場の写真などが展示されていました。平均視聴率は約46%で、当時生まれていた人はみなさん知っている番組です。
ただ約54年前の番組なので、私も小さかったのでかすかに覚えているくらいで、知っている人は少なくなってきました。
親孝行を兼ねて、ご両親やおじいちゃんおばあちゃんと来て下さい。おはなはん通り 名所・史跡
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通りの突き当り周辺には、大洲銘菓の志ぐれの老舗(二葉や富永松栄堂など)があります。なお志ぐれ餅は、かなりういろうに近いお餅で、北海道産の小豆と大洲産の米粉、餅粉、砂糖を合わせて作った、もちもちとした食感で甘さ控えめの美味しいお菓子です。1個100~180円です。
今回は二葉屋さんに行きましたが、昔ながらの良き和菓子屋さんの店構で、店内で食べれる小休憩所もあります。なお二葉屋さんは、1個包装はなく竹皮包み(8切入:800円)しかありません。ただメニューにはありませんが(ショ-ケ-スにはサンプルあり)、ここで志ぐれ餅を味わえる「お散歩セット:450円」があるので、ぜひ名店の味を味わって下さい。二葉屋 志保町店 グルメ・レストラン
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まちの駅に戻り14:15出発、約30分(約14km)で内子座に14:45到着。内子の町には約24分で到着したのですが、近くに駐車場が見つからず町の中を走り回りました。内子は、観光するエリアには駐車場が少ないので注意して下さい。
内子座は大正5年に創建された、和風木造2階建ての芝居小屋です。なお現在も芸術・芸能活動の拠点として活用されているため、運が悪いと見学はできません。そのため見学はホームペ-ジで確認を。入館料金は400円です。内子座 名所・史跡
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なお今回は、運悪く吉田美里さんのデュオコンサートのため内子座は見学はできないとのことでした。ただ爺は、日頃の行いが良かったため?少しだけ見学をさせてもらいました。
内子座 名所・史跡
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内部はイベントの準備中でしたが、大正時代の芝居小屋の雰囲気は体感できました。
なお今も現役のこの芝居小屋は、かつては映画館に改装され、昭和50年代には老朽化により取り壊しの危機ありましたが、町民の熱意と協力により昭和60年に大正時代の姿に復元されたという歴史を持っています。内子座 名所・史跡
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6年前の内子座大向(2階正面)からの写真です。舞台下手側(左側)から観客席の中を貫くように張り出して作られた通路(花道)が見えます。また舞台は後ろに幕がないため、かなり広いことがわかると思います。そして舞台の中央は、床を丸く切り抜き、その部分を回転させることができます。
内子座 名所・史跡
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客席の後ろ左には、舞台の下に行く石積みの細い通路があります。舞台下からこの地下通路を通り花道にでる演出時に使います。
内子座 名所・史跡
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今回は舞台下は見ることができませんでしたので、6年前の写真です。
舞台下(奈落)の空間には、回転ごまを回して舞台を回転させる回り舞台や、舞台下から舞台上へ役者が登場するときに使われる小型のセリ(すっぽん)などの装置があります。これらは全て人力で行います。内子座 名所・史跡
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正面入り口の裏側で舞台の奥になります。大正5年(1916)に創建された芝居小屋ですが修理復元され、104年経った今でも現役で我々庶民をたのしませてくれています。ぜひ一度見に来て下さい。
内子座 名所・史跡
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内子座から徒歩約4分で「内子歴史民俗資料館、商いと暮らし博物館」に到着。江戸末期に建てられた商家を利用して、大正10年頃の薬屋の暮らしを人形や道具を使って再現しています。
店先では当時の座売りの様子を再現していて、「おいでなはい」と丁稚の人形のあいさつに驚きます。 また店内の色々な部屋には、人を感知するとしゃべりだす人形や昔の立派な調度品があり、昔の暮らしを知るができます。有料で200円です。商いと暮らし博物館(内子町歴史民俗資料館) 美術館・博物館
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内子歴史民俗資料館から約6分(内子座から10分) で、八日市・護国の町並みの中心部に到着。ここには、明治30年前後に最盛期を迎えた木蝋産業に係る建造物や町家などがあります。
江戸や明治の面影を残す通りは、落ち着いた雰囲気の町並みで、ほとんどの家の玄関前に綺麗に花や植物が飾られ、きちんとした生活が送られている感じがします。
なお木蝋は、石油系のパラフィン蝋には価格的にはかないませんが、今でも看護師の戴帽式で行われるキャンドルサービスなど、人の生命に関わる厳粛な行事には世界各国で蝋燭が使われます。さらに力士の髷を結う鬢付け油には木蝋が欠かせません。八日市・護国地区の町並み 名所・史跡
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南北約600mにわたって町家や豪商の屋敷などの伝統的な建築物が並んでいるなか、3住宅が重要文化財になっています。その中の2つは、写真左側の白壁の大村家と浅黄色の土壁家をはさんで、漆喰装飾が鮮やかな本芳我家です。
その本芳我家の主屋には、亀甲の海鼠壁や鶴・亀・波などの漆喰彫刻や鬼瓦などが施されています。なお大村家と本芳我家は、内部は非公開ですが外観は見学可能です。本芳我家住宅 名所・史跡
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そして大村家より約200m先(北)には、明治中期の、屋敷の主屋や炊事場などを公開している、もう1つの重要文化財の上芳我家があります。なお上芳我家は、芳我家の分家の1つですが、主屋など全部で10棟の建物が現存し、いずれも重要文化財に指定されています。そして一部は、木蝋資料館として整備され、木蝋生産の過程を見ることができます。
主屋の外観写真はボケていたのでこの写真で説明になります。
写真の左に少しだけ主屋が見えますが、1階は黒い木製の出格子窓で、2階正面は白漆喰による塗籠格子となまこ壁で構成されていて、シンプルながらも重厚感がある建物です。その右側が垣根戸で、奥は広い庭になっています。さらに先の浅黄色の土壁建物が木蝋資料館で、敷地はかなり広いです。木蝋資料館上芳我邸 名所・史跡
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有料エリアの主屋に入ると広い土間があり、その真ん中に大きな大黒柱が立っていて、三階の物置まで貫いています。また1階は店舗部と座敷部とに分かれ、店舗部は奥の炊事場へそのまま繋がる広い土間と、その土間に面して「みせの間」「中の間」「茶の間」の3間が並び、その奥に「奥の間」「座敷」の座敷部が続く平面構成です。家具も素晴らしく、豪商の暮らしぶりが直に分かる屋敷内部でした。 また木蝋資料館では、他では見られない当時の釜場などがありました。無料ゾーンでは、雰囲気が良い「カフェ くら」で一休みしたかったのですが、ここはノ-マ-クであったため見学時間は少ししかとっていなかったため入れませんでした。
最終日でなければ時間は調整できたのですが、最終日は飛行機の時間があるので本当に残念でした。木蝋資料館上芳我邸 名所・史跡
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ゆっくりと散策したかったのですが、速足で駐車場に戻ります。
なおここの町並みは、地元の土で塗られた浅黄色の土壁が目につき、白漆喰と黄土が織りなすコントラストは、独特の風景をつくり出していました。
参考までに、セット券(木蝋資料館上芳我邸、内子座、商いと暮らし博物館共通券)は大人900円でした。八日市・護国地区の町並み 名所・史跡
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内子座から約4分のところには、登録有形文化財に指定されている築140年の商家(芳我家の分家)を改築した「蕎麦つみ草料理 下芳我邸」があります。時間があれば、歴史的な趣のあるこのお店で、そばを味わいたかったのですが、今回はパスです。必ずリベンジします。
大洲と内子は、それぞれ観光客誘致に頑張っているようですが、大洲と内子は約14kmしか離れていないので、共同で連絡バスや半日ツア-などを計画したらいいのではと思いました。
内子を15:52に出発。下芳我邸 グルメ・レストラン
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内子からは高速道路を使いましたが、途中から雨のため渋滞して約44kmを1時間かかり16:52に、道後温泉本館すぐ横の高台にある市営駐車場に到着。 道後温泉本館周辺に用がある場合は、ここは圧倒的に利便です。また同じ敷地内で隣接する「空の散歩道」は、絶好の撮影スポット(そこからの写真です)で、無料の足湯もありますし、車を駐車しなくても利用はできます。 駐車料金は30分100円ですが、道後温泉本館か椿の湯を利用すれば最初の1時間は無料です。
なお、19:20発の飛行機に乗るためには、空港近くのレンタ-に車を返す時間や空港までの移動時間などを考慮すると、ここを17:30には出発しなければなりません。すなわち道後温泉には38分しか時間がありません。そのため道後温泉に入るのは残念ながらパスになりました。道後温泉本館 温泉
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道後温泉本館は、2019年1月から保存修理工事が始まり、2月1日から本館入口が北面に変更することにあわせて、1つ前の写真でわかるように「二の湯」の入口上に「火の鳥」のオブジェが設置されています。なお工事は、令和6年12月までなので、あと約4年半はこの状態ですが、本館西側の唐破風や「道後温泉」の看板は、これまでどおり見ることはできます。
道後温泉本館 温泉
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北面の温泉入り口です。
温泉は、工事中も一部期間を除き、1階の神の湯は入浴できまが、残念ながら2階と3階の休憩室の利用は休止のようです。
道後温泉気にはまた来れますが、このような経験はもうないと思うので、いい記念になりました。でも爺だからまた来れるかな?道後温泉本館 温泉
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道後温泉本館の姉妹湯である「道後温泉 椿の湯」は、昭和28年に建設され、昭和59年に改築し、平成29年にリニューアルした公衆浴場で、本館と同じ源泉を使用しています。場所は、本館からまっすぐハイカラ通りを約2分行くと右側にあります。
蔵屋敷風の建物で、浴室には花崗岩が使われ、道後温泉特有の湯釜も置かれています。もちろん温泉は、無加温・無加水の「源泉かけ流し」です。料金は、大人400円で、脱衣室ロッカー代として10円がかかります。
平成29年のリニュ-アル後はまだ入っていないので残念でした。道後温泉椿の湯 温泉
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その横には、2017年12月にオープンした、「道後温泉別館 飛鳥乃湯泉」があります。飛鳥時代の建築様式を取り入れた、ここの露天風呂に入りたかったのですが残念でした。ただ爺は本館の方が似合っているかな。料金は、1階浴室の入浴のみは大人610円です。
飛鳥乃湯泉 温泉
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道後ハイカラ通りは、雨の平日17:10では観光客は少なく、残念ながら浴衣を着た女性には会えませんでした。
20年以上前は、この通りにスマ-トボールの店もあったのですが、今スマ-トボールができるのは大阪の新世界や地方の温泉街、そして台湾の夜市ぐらいですね。道後ハイカラ通り (道後商店街) 市場・商店街
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道後温泉の最後に、駐車場の横にある「空の散歩道」の足湯で少しだけ温泉気分を味わって、17:28に駐車場を出発。
駐車場を出て1~2分の道後温泉駅前では、2017年に登場した超低床型LRVモハ5000形電車を発見。 見なければよかった、乗りたかったです。
道後温泉駅 駅
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雨の夕方であったので市内中心は渋滞していて予定より遅れましたが、途中からは渋滞もなく快適で、最終的にはほぼ予定通りでした。ただガソリンを入れる時間を忘れていて予定より少し遅れて18:10 にレンタカ-店に到着。レンタカ-店の手続きは予定より早く約2分で終了し、5分後には空港に到着(18:17)。出発まで1時間3分ありました。
松山空港 空港
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空港2階にはレストランがありますが、鯛、鯛、魚です。美味しいと思いますが、魚類より今治の焼き豚か地鶏の焼き鳥が食べたくて1階へ。食べ物屋さんを探したら残念ながらうどん店のみ。うどんは香川にまかせます。あとは「みかんジュース蛇口」の「Orange BAR」があります。爺さんは、一人で蛇口からジュ-スは恥ずかしいので心残りですがパス。 時間もないので、入り口が狭いファミリーマートでおにぎりとお茶に決定。東京に帰って美味しいものを食べます。
松山空港 空港
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空港3階から2階を見れば、出発35分前(18:45)ですが手荷物検査場は混んでいました。場所にもよりますが、18~19時の最終便はけっこう混みますね。
17:20、無事東京に向けて出発。少し強行軍のぶらり旅でした。
愛媛・高知は、横綱級の観光地は少ないですが、大関・関脇級の観光地は多く、人によっては横綱級の観光地もあるので、旅行好きな人には最高の観光地と思います。
コロナに負けず頑張り、愛媛・高知を旅してください。
また、最後まで見ていただきありがとうございました。松山空港 空港
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