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今回の旅で、もう2つだけ、どうしても見ておきたいものがあった。<br />旅の最終日を締めくくる意味でも、この行程だけは絶対にはずすことができない<br /><br /><br />ホテル観洋を後にして、国道45号線を南下する。<br />目指すは石巻。<br /><br /><br />復興直後の混乱と困難渦巻く時期に、「がんばろう!石巻」の大看板が掲げられ、それが地域の人たちを鼓舞する象徴のシンボルとなった!<br />という話は以前から知っていた。<br />その原点の場所を、自分の眼で見てみたい。<br />以前からずっと願っていた訪問。<br />その期が熟したのだと思った。<br /><br /><br /><br />*この文章は以前ブログに書いたものをフォートラベルに転載しました<br /><br />*追記<br />  文章の校正を行いました。<br />                    (2022.7.23記)

「がんばろう!石巻」の看板から感じたこと(2013秋・東北の旅【7】)

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2013/10/08 - 2013/10/10

102位(同エリア386件中)

旅行記グループ 2013秋・東北の旅

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群青

群青さん

この旅行記のスケジュール

2013/10/10

この旅行記スケジュールを元に

今回の旅で、もう2つだけ、どうしても見ておきたいものがあった。
旅の最終日を締めくくる意味でも、この行程だけは絶対にはずすことができない


ホテル観洋を後にして、国道45号線を南下する。
目指すは石巻。


復興直後の混乱と困難渦巻く時期に、「がんばろう!石巻」の大看板が掲げられ、それが地域の人たちを鼓舞する象徴のシンボルとなった!
という話は以前から知っていた。
その原点の場所を、自分の眼で見てみたい。
以前からずっと願っていた訪問。
その期が熟したのだと思った。



*この文章は以前ブログに書いたものをフォートラベルに転載しました

*追記
  文章の校正を行いました。
                    (2022.7.23記)

旅行の満足度
5.0
同行者
家族旅行
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  • 石巻の街並みを一望できる場所に、日和山公園がある。<br />震災当日、ここ日和山公園を目指して多くの人々が避難し、一命を得たという話は聞いたことがあったので・・・<br />その場所から石巻の現状を見てみたい!<br />そう思っていた。<br /><br />狭い道をナビの指示通りに向かい、駐車場には若干迷ったものの何とか辿り着く。<br />この丘の向こうには、仙台湾に向かって開けた石巻の街が一望できるのだ!

    石巻の街並みを一望できる場所に、日和山公園がある。
    震災当日、ここ日和山公園を目指して多くの人々が避難し、一命を得たという話は聞いたことがあったので・・・
    その場所から石巻の現状を見てみたい!
    そう思っていた。

    狭い道をナビの指示通りに向かい、駐車場には若干迷ったものの何とか辿り着く。
    この丘の向こうには、仙台湾に向かって開けた石巻の街が一望できるのだ!

    日和山公園 公園・植物園

  • やはりというか、案の定というか・・・<br />旅に出る前に数々の情報を調べまくって、それなりの予備知識は得ていたものの・・・<br />現実の姿はそれらよりも少しでもいいから進展していて欲しい!との願いも叶わず。<br />事前に知っていた情報と同様の現実を目の当たりにして愕然とさせられた。<br /><br />ここまで遠くを簡単に見晴らせるほど、この場所は時が止まったままなのか!!

    やはりというか、案の定というか・・・
    旅に出る前に数々の情報を調べまくって、それなりの予備知識は得ていたものの・・・
    現実の姿はそれらよりも少しでもいいから進展していて欲しい!との願いも叶わず。
    事前に知っていた情報と同様の現実を目の当たりにして愕然とさせられた。

    ここまで遠くを簡単に見晴らせるほど、この場所は時が止まったままなのか!!

  • 松尾芭蕉とその弟子、河合曾良の銅像。<br />ここ日和山公園は、1983年の遺構発掘によって、かつての「石巻城」と思われる大規模な城郭があった場所なのだとか。<br />芭蕉と曾良もこの地を訪れていたことにちなんで、銅像が設えられたのだそうだ。<br />

    松尾芭蕉とその弟子、河合曾良の銅像。
    ここ日和山公園は、1983年の遺構発掘によって、かつての「石巻城」と思われる大規模な城郭があった場所なのだとか。
    芭蕉と曾良もこの地を訪れていたことにちなんで、銅像が設えられたのだそうだ。

    石巻城跡 名所・史跡

  • 日和山公園を後にして、「がんばろう!石巻」の看板が敷設された地域へと向かう。<br />高台を下った、海に向かって拓けた、けれども今は荒れ地のままの場所へ車を走らせる。<br /><br /><br />ここもまた、真っ先に目につくのはセイタカアワダチソウの群生。<br />その草むらの向こうに、かの有名になった「がんばろう!石巻」の文字が見える。<br /><br />到着し、真っ先に看板の前に立ち、手を合わせる。<br />自然にそうしてしまうといういうか・・・<br />あの日ここで起きたことの100分の1も僕は理解してないけれど、すべての事に対し、手を合わせずにいられなかったといいうのが正直なところだ。<br /><br />気分を落ち着かせてから、看板の周囲に設置されている案内の数々に目を通す。<br />

    日和山公園を後にして、「がんばろう!石巻」の看板が敷設された地域へと向かう。
    高台を下った、海に向かって拓けた、けれども今は荒れ地のままの場所へ車を走らせる。


    ここもまた、真っ先に目につくのはセイタカアワダチソウの群生。
    その草むらの向こうに、かの有名になった「がんばろう!石巻」の文字が見える。

    到着し、真っ先に看板の前に立ち、手を合わせる。
    自然にそうしてしまうといういうか・・・
    あの日ここで起きたことの100分の1も僕は理解してないけれど、すべての事に対し、手を合わせずにいられなかったといいうのが正直なところだ。

    気分を落ち着かせてから、看板の周囲に設置されている案内の数々に目を通す。

  • 2011年3月12日のこの辺り(門脇地区)の状況を映し出した航空写真。<br />この地域は大震災の後、大津波に襲われたばかりか、その後、火災によってさらに被害が拡大した場所。<br />翌日の航空写真でも出火が未だに止められず!といった状況がわかる。

    2011年3月12日のこの辺り(門脇地区)の状況を映し出した航空写真。
    この地域は大震災の後、大津波に襲われたばかりか、その後、火災によってさらに被害が拡大した場所。
    翌日の航空写真でも出火が未だに止められず!といった状況がわかる。

  • 震災直後の様子を紹介する案内板

    震災直後の様子を紹介する案内板

  • 震災直後の様子を紹介する案内板

    震災直後の様子を紹介する案内板

  • 震災直後の様子を紹介する案内板

    震災直後の様子を紹介する案内板

  • 「がんばろう!石巻」の看板。<br />この看板を設置したのは、この場所で配管業を営んでいた黒沢健一さん。<br />震災後の大変な状況の中で<br />「自分にできることは何か」<br />を真剣に模索し、被災した人たちすべてに向けて鼓舞する意味で、仲間5人とともに制作されたものだ。

    「がんばろう!石巻」の看板。
    この看板を設置したのは、この場所で配管業を営んでいた黒沢健一さん。
    震災後の大変な状況の中で
    「自分にできることは何か」
    を真剣に模索し、被災した人たちすべてに向けて鼓舞する意味で、仲間5人とともに制作されたものだ。

  • 敷地の片隅に置かれたこの標識。<br />この地にも津波は押し寄せ、6.9メートルに達したのだそうだ。<br />牡鹿半島によって外海からの波の影響を直接被ることのない仙台湾に臨む石巻の街ですら、こんな大きな津波が押し寄せ、街の姿を一変させてしまった<br />そのことに改めて衝撃を受けた。<br />その事実に痛みを覚えた。<br /><br /><br />テレビ報道ではわからなかった実情を2年7か月経った今。<br />その場所に立って、見て、感じるのは、<br />「この場所は時が止まったまんまだ。」<br />ということ。<br />その哀しさを、どう捉えたらいいんだ!<br />一瞬、混乱した。

    敷地の片隅に置かれたこの標識。
    この地にも津波は押し寄せ、6.9メートルに達したのだそうだ。
    牡鹿半島によって外海からの波の影響を直接被ることのない仙台湾に臨む石巻の街ですら、こんな大きな津波が押し寄せ、街の姿を一変させてしまった
    そのことに改めて衝撃を受けた。
    その事実に痛みを覚えた。


    テレビ報道ではわからなかった実情を2年7か月経った今。
    その場所に立って、見て、感じるのは、
    「この場所は時が止まったまんまだ。」
    ということ。
    その哀しさを、どう捉えたらいいんだ!
    一瞬、混乱した。

  • 希望を灯し続けるかのように一抹の炎が迎えてくれる。

    希望を灯し続けるかのように一抹の炎が迎えてくれる。

  • 10月10日、俗に「晴れの特異日」と呼ばれる日だけあって、青く澄み切った空にこの看板が胸を張っているかのように思えた。<br />シンプルな言葉なのに・・・<br />どうしてこんなにも、人の気持ちを奮い立たせるのだろうか<br /><br />いつまでも感傷に浸るのではなく、自分にできる最初の一歩を共々に歩もうよ!<br />そんな気持ちをこの看板は示している。<br /><br />きっと、この看板を制作した黒沢さんも共に制作に携わった方たちも、絶望の淵に追い込まれ、もがき苦しみ、悩み、涙を流し、運命を呪い・・・<br />その果てに、「ここから立ち上がるのだ!」と心底納得したに違いない。<br /><br />弱い生命を、一瞬のうちに使命へと変え、行動した。<br /><br /><br />だからこそ、この看板の前に立つと、見た人を皆、勇気づけ励まし、寄り添い、そして自分の足で立つように奮い立たせているのだと思った。

    10月10日、俗に「晴れの特異日」と呼ばれる日だけあって、青く澄み切った空にこの看板が胸を張っているかのように思えた。
    シンプルな言葉なのに・・・
    どうしてこんなにも、人の気持ちを奮い立たせるのだろうか

    いつまでも感傷に浸るのではなく、自分にできる最初の一歩を共々に歩もうよ!
    そんな気持ちをこの看板は示している。

    きっと、この看板を制作した黒沢さんも共に制作に携わった方たちも、絶望の淵に追い込まれ、もがき苦しみ、悩み、涙を流し、運命を呪い・・・
    その果てに、「ここから立ち上がるのだ!」と心底納得したに違いない。

    弱い生命を、一瞬のうちに使命へと変え、行動した。


    だからこそ、この看板の前に立つと、見た人を皆、勇気づけ励まし、寄り添い、そして自分の足で立つように奮い立たせているのだと思った。

  • セイタカアワダチソウばかりが繁茂する風景はここでも変わらない。<br />石巻の再興もなかなか難しい局面なのだろうと想像させられるけれど、けれども、この街に建つこの看板があり続ける限り・・・<br />あの日の事を思い返しながら、現実に負けそうになる時にこの看板の元に訪れて、原点を確認できる象徴を持つことができたこの街は、必ず勢いよく立ち上がるんじゃないか!<br />そんな確信を持った。<br />

    セイタカアワダチソウばかりが繁茂する風景はここでも変わらない。
    石巻の再興もなかなか難しい局面なのだろうと想像させられるけれど、けれども、この街に建つこの看板があり続ける限り・・・
    あの日の事を思い返しながら、現実に負けそうになる時にこの看板の元に訪れて、原点を確認できる象徴を持つことができたこの街は、必ず勢いよく立ち上がるんじゃないか!
    そんな確信を持った。

  • 石巻市立門脇小学校跡地。<br />2011年の紅白歌合戦で、長渕剛がこの場所から歌ったことで一躍全国的に光が当たった場所。

    石巻市立門脇小学校跡地。
    2011年の紅白歌合戦で、長渕剛がこの場所から歌ったことで一躍全国的に光が当たった場所。

    震災遺構 門脇小学校 名所・史跡

  • (画像は借り物)<br /><br />津波とその後の火災によってこの周辺は一面、焼け野原となった。<br />校舎も焦げ跡がハッキリわかる状態のまま今年のゴールデンウイークの頃まで置かれていたが・・・<br /><br />今は近くの女子高の生徒が体育の授業でこの小学校の校庭で使用する機会が多く、あの日のことを思い出すのでとの理由により、校舎全面にシートを貼り巡らせたのだそうだ。<br /><br /><br /><br />三陸沿岸をドライブし、時に被災したその場所に立ち、空気を感じた。<br />目の前に見える風景の向こうに、あの日のことを想像し、心が引きちぎられるような気持ちを感じ取った。<br /><br />どこの場所も、そのこ地に暮らす人々の生活があり、平凡ながらも普通の、そしてかけがえのない日常に溢れていた。<br />一瞬にしてその日常は引き裂かれ苦悩の底に陥れられたこの地。<br /><br />あの日起こった事は、この場所に甚大なる被害と影響と悲惨なる現実を及ぼしたけれど、それはどう考えても他人事ではない話なのだ。<br />地震大国ニッポンで暮らす僕らにとって、「明日は我が身」の出来事なのであって・・・<br />他人事ではない自分の日常に置き換えて、同苦すべき事象なのだと、心から納得させられた旅だった。<br /><br /><br />自分がその境遇になった時、どうするだろう?<br />何を考え、どう行動に移せるだろうか??<br /><br />帰路、ハンドルを握りながらずっとそんなことを考えていた。<br /><br /><br /><br />日常に復帰して、会社の同僚にもささやかながらお土産を持っていき、その話題の延長線上で、撮ってきた写真を見てもらっている。<br /><br /><br />「まだ、復興はこんなに進んでないなんて・・・」<br />一様に驚いて吐く言葉。<br />一体、何人の人からそう言われただろうか・・・<br /><br />マスコミ報道では、徐々に被災地の今を伝える報道が減っている。<br />だから特に関東に住んでいる僕らにしてみても、<br />『少しは現実の被災地の復興は進展し始めたんだろう!』<br />みたいなぼんやりとしたイメージしか持ってない人が多いのは事実だ。<br /><br />だから、こうした時計を止めてしまったかのような荒涼な風景の写真には、たじろぐ。<br />面喰う。<br />そして、大きく息を吐く。<br />「こんなだったなんて・・・」<br /><br /><br />3日間で1330kmにも及ぶ旅を終えて、日々、あの道中のことを毎日思う。<br />訪れた場所の風景の美しさ、東北の人たちの心の温かさ、美味しかった食べ物の数々。<br />ほんの一瞬接しただけの人なのに・・・<br />一期一会というのはこういうことなんだ!と、初めてわかったような気がするのだ。<br /><br /><br />自分で触れてみて体感した多くの経験を、僕は大切にしたい。<br />見てきたこと、感じた空気の匂い、そして未だ理解できてないことも含めて、これから先も我が事として大切にかかわっていきたい!と、心から思う。<br /><br />少しでも多くの場面を通じて、東北の、被災地の、断片かもしれないけれども、自分の言葉で伝える行動を・・・<br /><br /><br /><br />そして、声に出して言いたいこと。<br /><br /><br />機会を見つけて是非、東北の地を訪れてください。<br />観光でも全然構わないんです。<br /><br />旅行を楽しんで、その地の美味しい食べ物を堪能して、その地の人と会話して、お土産を買って自分の住む街へと帰ってくださるだけで十分なんです。<br /><br />「被災地に物見遊山ででかけていいものか?」<br />そりゃ、そういう感情を持ちますよね。<br />僕だってそうでした。<br />被災地の今を見に行く!だなんて、傲慢な態度だと後ろめたい気持ちもありました。<br /><br /><br /><br />だけど・・・<br />南三陸の地で、ホテル観洋の「語り部バス」ツアーに参加して考えを変えました。<br /><br />語り部の方は、こう仰いました。<br /><br />「どういう形であれ、観光でドンドン三陸に来てください。<br /> 今の姿を見てもらいたい、三陸の海の幸山の幸を堪能して欲しい。<br /> 皆さんが来てくださることによって、仕事が生まれ、雇用が生じ、この<br /> 地で生活していくことができるのです。<br /> 被災者にとってイチバン苦しいのは、あの震災が風化すること・人々の<br /> 記憶から忘れ去られることなのです」<br />と。<br /><br /><br /><br />いろんな経験をさせていただきました。<br />キャパの狭い思考の中で、それでもいろんな現実に心も体も揺さぶられる旅でした。<br /><br /><br />現実世界に戻って10日余り。<br />未だに、あの3日間の経験が凝縮されていて、いろんなことを思います。<br /><br /><br />そして、そういう日常を大切にしたいと改めて感じます。<br /><br />自分の日常は、どこかで被災地の人たちと繋がりを持っていることを、命の底から納得できたのでネ。<br /><br />最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。<br /><br /><br />(2020.3追記)<br />数日後にはあの大震災から丸9年が経ちます。<br />震災後10度目の春が北国にやって来るのももうじき。<br /><br />今年は新型コロナウイルス流行の影響で、いろんな追悼行事すら取りやめとなりました。<br /><br />石巻のこの場所には2年前のGWに再訪しました。<br /><br />https://4travel.jp/travelogue/11360782<br />「石巻・女川~震災の爪痕を見つめて(2018GW宮城三陸旅行④)<br /><br />現在この石巻市南浜地区には大規模な公園施設の整備が続いています。<br />石巻南浜津波復興祈念公園という名のその場所は、来年の開園を目指して工事が続けられているようです。<br /><br /><br />この春も、僕はこの場所に旅して来ようと計画しています。<br />自分なりの震災復興の応援でもあり、現地の今の姿を見たいという個人的関心でもあり・・・<br />関心を持ち続け、見たものや聞いたことをこうしたフォートラベルのような場所で発信していくことで、少しでもお役に立てれば!という思いがあります。<br /><br />最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

    (画像は借り物)

    津波とその後の火災によってこの周辺は一面、焼け野原となった。
    校舎も焦げ跡がハッキリわかる状態のまま今年のゴールデンウイークの頃まで置かれていたが・・・

    今は近くの女子高の生徒が体育の授業でこの小学校の校庭で使用する機会が多く、あの日のことを思い出すのでとの理由により、校舎全面にシートを貼り巡らせたのだそうだ。



    三陸沿岸をドライブし、時に被災したその場所に立ち、空気を感じた。
    目の前に見える風景の向こうに、あの日のことを想像し、心が引きちぎられるような気持ちを感じ取った。

    どこの場所も、そのこ地に暮らす人々の生活があり、平凡ながらも普通の、そしてかけがえのない日常に溢れていた。
    一瞬にしてその日常は引き裂かれ苦悩の底に陥れられたこの地。

    あの日起こった事は、この場所に甚大なる被害と影響と悲惨なる現実を及ぼしたけれど、それはどう考えても他人事ではない話なのだ。
    地震大国ニッポンで暮らす僕らにとって、「明日は我が身」の出来事なのであって・・・
    他人事ではない自分の日常に置き換えて、同苦すべき事象なのだと、心から納得させられた旅だった。


    自分がその境遇になった時、どうするだろう?
    何を考え、どう行動に移せるだろうか??

    帰路、ハンドルを握りながらずっとそんなことを考えていた。



    日常に復帰して、会社の同僚にもささやかながらお土産を持っていき、その話題の延長線上で、撮ってきた写真を見てもらっている。


    「まだ、復興はこんなに進んでないなんて・・・」
    一様に驚いて吐く言葉。
    一体、何人の人からそう言われただろうか・・・

    マスコミ報道では、徐々に被災地の今を伝える報道が減っている。
    だから特に関東に住んでいる僕らにしてみても、
    『少しは現実の被災地の復興は進展し始めたんだろう!』
    みたいなぼんやりとしたイメージしか持ってない人が多いのは事実だ。

    だから、こうした時計を止めてしまったかのような荒涼な風景の写真には、たじろぐ。
    面喰う。
    そして、大きく息を吐く。
    「こんなだったなんて・・・」


    3日間で1330kmにも及ぶ旅を終えて、日々、あの道中のことを毎日思う。
    訪れた場所の風景の美しさ、東北の人たちの心の温かさ、美味しかった食べ物の数々。
    ほんの一瞬接しただけの人なのに・・・
    一期一会というのはこういうことなんだ!と、初めてわかったような気がするのだ。


    自分で触れてみて体感した多くの経験を、僕は大切にしたい。
    見てきたこと、感じた空気の匂い、そして未だ理解できてないことも含めて、これから先も我が事として大切にかかわっていきたい!と、心から思う。

    少しでも多くの場面を通じて、東北の、被災地の、断片かもしれないけれども、自分の言葉で伝える行動を・・・



    そして、声に出して言いたいこと。


    機会を見つけて是非、東北の地を訪れてください。
    観光でも全然構わないんです。

    旅行を楽しんで、その地の美味しい食べ物を堪能して、その地の人と会話して、お土産を買って自分の住む街へと帰ってくださるだけで十分なんです。

    「被災地に物見遊山ででかけていいものか?」
    そりゃ、そういう感情を持ちますよね。
    僕だってそうでした。
    被災地の今を見に行く!だなんて、傲慢な態度だと後ろめたい気持ちもありました。



    だけど・・・
    南三陸の地で、ホテル観洋の「語り部バス」ツアーに参加して考えを変えました。

    語り部の方は、こう仰いました。

    「どういう形であれ、観光でドンドン三陸に来てください。
     今の姿を見てもらいたい、三陸の海の幸山の幸を堪能して欲しい。
     皆さんが来てくださることによって、仕事が生まれ、雇用が生じ、この
     地で生活していくことができるのです。
     被災者にとってイチバン苦しいのは、あの震災が風化すること・人々の
     記憶から忘れ去られることなのです」
    と。



    いろんな経験をさせていただきました。
    キャパの狭い思考の中で、それでもいろんな現実に心も体も揺さぶられる旅でした。


    現実世界に戻って10日余り。
    未だに、あの3日間の経験が凝縮されていて、いろんなことを思います。


    そして、そういう日常を大切にしたいと改めて感じます。

    自分の日常は、どこかで被災地の人たちと繋がりを持っていることを、命の底から納得できたのでネ。

    最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。


    (2020.3追記)
    数日後にはあの大震災から丸9年が経ちます。
    震災後10度目の春が北国にやって来るのももうじき。

    今年は新型コロナウイルス流行の影響で、いろんな追悼行事すら取りやめとなりました。

    石巻のこの場所には2年前のGWに再訪しました。

    https://4travel.jp/travelogue/11360782
    「石巻・女川~震災の爪痕を見つめて(2018GW宮城三陸旅行④)

    現在この石巻市南浜地区には大規模な公園施設の整備が続いています。
    石巻南浜津波復興祈念公園という名のその場所は、来年の開園を目指して工事が続けられているようです。


    この春も、僕はこの場所に旅して来ようと計画しています。
    自分なりの震災復興の応援でもあり、現地の今の姿を見たいという個人的関心でもあり・・・
    関心を持ち続け、見たものや聞いたことをこうしたフォートラベルのような場所で発信していくことで、少しでもお役に立てれば!という思いがあります。

    最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

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