2018/04/28 - 2018/04/30
120位(同エリア401件中)
群青さん
この旅行記スケジュールを元に
2013年10月以来4年半ぶりに宮城三陸沿岸を旅してきました。
前回は時間的余裕が無くて回れなかったものの、ずっと気になっていた場所にも訪れることができ、また前回見た場所に関してはこの間の復興の様子の濃淡が如実に感じられて、ハンドルを握りつつ様々な感情が浮かんでは消えの旅でありました。
2018年の現在の姿を自分なりに書き記してみたいと思います。
気仙沼を後にし、ひたすら国道45号線を南下。
前日訪れた南三陸さんさん商店街も通りすぎ、4年半前に宿泊した観洋の前を通過ししばらくしたら国道45号線とお別れ。
石巻まで海沿いを走る国道398号線で向かうことに。
点在する浜はあの日の津波によって何もかも失い去ったのでしょう!
7年の歳月の間に道路は新しく作られ、時にカーナビの経路から外れるほどの変貌を遂げている箇所も多い一方で、防潮堤によって海が視線から遮られた浜には人の生活臭があまり感じられない場所もチラホラ見受けられ・・・
ハンドルを握って通り過ぎているだけの僕の眼にも、いろんな状況が映り込んで来ます。
やがて車は北上川の河口に沿って西進。
最初の橋を渡ったたもとに、そこは存在していました。
- 同行者
- 家族旅行
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大川小学校。
あの震災による大津波から逃れることができず、児童78名中74名、教職員11名中10人が亡くなるという不幸もさることながら、津波発生後の避難指示の在り方に対して私たちに与えた衝撃もかなりのものでした。
遺族によって提起された民事訴訟の上告審が4/26に示された事もあるのでしょうか。
予想以上に多くの人たちが訪れていることにも驚かされましたし、車から見える範囲内でも津波の破壊力の凄まじさをまじまじと感じさせられ、言葉を失いました。 -
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在りし日の大川小学校周辺の写真パネルを見ると、あまりにも現状との乖離に息すらできなくなりそうです。
小学校を中心に集落が形成されていたことが信じられない程、周囲は何もなくなってしまってるのですから・・・ -
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大川小学校の報道を見聞きする際、いつも争点になっていること。
そして、土地勘のない人間にとって非常にわかりにくい存在だったのが、学校裏手の山の存在と、数メートルの高さの擁壁をよじ登れるはずがない!とする話。
確かにパット見、大勢の小学生を避難させることは無理では!
と思う一方で・・・ -
小学校の敷地がずっと擁壁で覆われているわけではなく、こうして裏山へと行ける場所もあり・・・
実際に授業の一環としてシイタケ栽培で何度も行っていた場所が存在する事実。
やはり現場でしかわからない事です。 -
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これから最高裁で裁判が続くことが確定した今、あまり軽く言葉を紡ぐことは控えるべきかもしれませんが・・・
最も安全であるべき学校という場所で、適切な避難誘導すらなされるまま徒に時間を費やしてしまった事実を、客観的に見つめ、2度とこうしたことが起きないようにするために特に自治体や教育委員会の方々は肝に銘じてほしい!と感じました。
絶対に風化させてはならぬ事実。 -
再び国道398号線を南下。
リアス式海岸を縫うようにアップダウンのきつい道路は未だに工事のために片側交互通行が行われていたり、急カーブが連続する道路まであまり手が入っていないような感があり・・・
今回の道中でイチバン道路事情の悪いエリアだったかもしれません。
そして、道路をすれ違う車以外、人の気配が殆どしない事もあって、この街の置かれた現状の厳しさを改めて感じました。
女川町。
まずはJR石巻線の終着駅、女川駅へ行ってみました。女川駅 駅
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駅周辺は嵩上げ工事によって震災前より海との標高差が作られました。
駅前から海の方向に向けて、なだらかに新たな街が形成されています。
シーパルピア女川と言います。 -
女川駅の展望台から海の方向を眺めるとこんな感じ。
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石巻線。この先トンネルを抜けて海沿いを石巻の中心街へ向かって運行されていきます。
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シーパルピア女川の商店街を海に向かって歩いてみました。
国道まで辿り着いてしまうとその先に進入禁止の規制ネットが敷かれた場所があり・・・
信号を渡り行けるところまで足を向けると! -
震災の津波によってなぎ倒された女川交番があの日のまま横たわっていました。
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女川交番と道路を挟んでシーパルピア側に建つ”きぼうの鐘”。
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7年でここまでしっかりとオシャレな街区を作り上げた女川の人たちや関係者の労苦を想像すると、至難の連続だっただろうという思いが尽きません。
一方で、この街に人々の活気や魂を入れていくのはこれからの作業だな!
とも感じました。
比較すること自体不適切かもしれませんが、前日に立ち寄った南三陸さんさん商店街の印象が強くてね。
活気や元気のなさ、観光客へのホスピタリティーの弱さのようなものをつくづく感じたのです。
それと、このシーパルピア女川が何を目指しているのかちょっとわかりにくいことも・・・
地元の住人の生活の基盤となる商店街って感じとは違うし、かといって観光客に特化しているのかというと???
そういう意味では、何か奇妙といったら語弊ありすぎかもしれないけれど、思い入れしにくい場所のように思えるのは何故でしょうね。 -
女川から石巻へ海沿いを車で走ります。
万石浦の辺りでは静かな海面に養殖いかだが立ち並び、少しずつ暮れゆく時間の和やかさを湛えていました。
2日目最後の目的地はこちら。
南浜つなぐ館 -
というよりは、この看板のある場所!と言った方が伝わるかもしれませんね!
「がんばろう!石巻」の看板の前を訪れるのは4年半ぶり。
ただ、あの時と若干、状況は変わりつつあります。
http://blog.livedoor.jp/horizonblue21-trip/archives/3235401.html
『「がんばろう!石巻」の看板から感じたこと』 (2013.10.20)
以前の看板の場所から少し海寄りに移動したのですが、このエリア一帯が震災復興祈念公園の建設予定地になったことに関係しています。 -
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周辺の地域は土地の嵩上げ工事が施され、また海沿いには防潮堤の建設が進行しつつあり、そういった点では4年半前に来た時と様相一変していました。
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震災津波の高さを示す標識も場所を変えて設置され、鯉のぼりが垂れ下がっておりました(笑)
風一つない好天に恵まれた連休中日の日曜日。 -
画面右下の、シートに覆われた建物は門脇小学校。
震災津波の後、この地域一帯を襲った火災によって消失したこの小学校は、2011年の紅白歌合戦で、長渕剛が「ひとつ」を歌唱した場所として記憶されている方も多い事でしょう。
その左側には復興公営住宅が。
この地域に再び人々の暮らしが再建されるまでもう少し時間がかかりそうですが、また何年かしたら3たびこの地を訪れよう!と思いました。 -
石巻、女川と巡った2日目の午後。
震災復興の現実を我が眼で見つめ、空気を感じ、心に焼き付けた時間。
どういう形であれ、躊躇することなく、機会を見つけて実際に現地に訪れることの大切さを今まで以上に感じました。
あの日の光景を風化させないためにも・・・
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