2013/10/08 - 2013/10/10
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群青さん
この旅行記のスケジュール
2013/10/10
この旅行記スケジュールを元に
今回、2日目の宿泊先を「ホテル観洋」に決めた最大の理由は、「南三陸町を見て回る”語り部バス”」を毎日運航している事だった。
車さえあれば、そりゃ確かにいろんな場所を見て回ることは可能だ。
だけど、実際にその土地に長く生活し、あの日を生き延びて来られた方たちの体験談に勝る証言はない。
日本でも有数の大型観光ホテルでもあるホテル観洋さんが、率先して”語り部バス”を運航し、震災の光景を語り継いでいく姿勢を鮮明にしている事にとても共感を覚えた。
僕も是非とも参加させていただいて、少しでも多く本当の姿を見聞きし、それを周囲に語っていきたい!!
せっかく三陸に来たのだから、物見遊山の旅で終わらせたくはなかったし・・・
8時45分。
ホテル前のバスに乗り込んだのは30名以上。
「語り部バス」に乗車するために、事前に予約して宿泊を申し込んだ客ばかりだ。
まずは国道45号線を南下。
しばらく走ると架設の橋を渡って一面何もない場所へ。
戸倉地区。
*この文章は以前ブログに書いたものをフォートラベルに転載しました
*追記
文章の校正を行いました。
(2022.7.23記)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
目の前に現れた荒涼とした場所は、かつて戸倉小学校があった場所なのだとか。
今は、門扉の土台だけが道路側からちょこんと見えるだけ。
語り部バスで案内してくれた方の話によると・・・ -
震災直後の戸倉小学校の様子の写真。
壊滅的に破壊されつくしている建物は体育館で、何と震災による津波直撃の10日前の3月1日に「引き継ぎ式」が行われたばかりなのだそうだ。
3月11日 その日。
地震の後の津波が発生した場合、3階建ての校舎の屋上に逃れることが所定のマニュアルにされていたのだが・・・
ある教師がそのことに疑義を唱えたのだそうだ。
「本当に生徒たちを屋上に避難させて、命を救えるのでしょうか?
もっと別の、確実に安全な場所に避難誘導するべきではないのか?」
と。
震災後のとっさの判断によって、生徒全員を近くの高台に避難させることを選択。
生徒と教師全員が急いで走って高台に避難したという。 -
この写真の右側の杉木立の中に、赤い鳥居がちょこんと見えるのだが、そこまで全員が必死に走って走って・・・
近くの戸倉保育所の園児たちも、毛布にくるまれながら同じように高台に避難。
九死に一生を得ることができた。
当日、南三陸の街は小雪が舞い散る非常に寒い日だったそうだ。
見慣れた街並みが津波によって破壊され、黒い塊は何度も何度も押し寄せてくる。
日が暮れて、ますます寒さは厳しくなり、子供たちも徐々に心細さを覚えて泣き出しそうになる子も出てきたという。
そんな時、生徒の一人が自分を鼓舞するかのように歌を歌い始めた。
卒業式のために生徒みんなで練習してきた曲。
川嶋あいの「旅立ちの日に」。
徐々にそれにつられて歌いだす子も増え、皆で何度も何度も声を合わせて歌いながら一夜を明かした!
と、語り部の方は語られた。 -
高台の上に建つ校舎は、戸倉中学校。
教師と生徒たちは全員、2階に逃れて津波の第一波をかわしたそうだ。
しかし到達する津波の高さに恐れおののき、
「もっと高い場所へ避難しないと危険だ!」
との判断により、第二波が押し寄せるまでの間に先ほどの高台へ移動。
生徒一人が逃げ遅れ、それを目にして助けに向かった教師2名とともに津波から逃れることは出来なかったそうだ。
生徒と教師1名が亡くなられ、もう一人の教師も全身骨折の重傷を負ったと伺った。
中学校の前にある階段の上では、近所から避難してきた住民が、津波を見物していて、そのまま押し寄せる波に引きさらわれ9人全員亡くなったのだそうだ。
たとえ避難したとしても、その後の細心に細心を重ねた注意と行動を取らない限り、自分の命を守ることは出来ない。
厳しい事実だけれど、生死を分ける一瞬の判断、油断を排した姿勢こそ重要であるとの教訓を学ぶべきだ!
と感じた。 -
再び南三陸の中心部まで戻る。
未だにバスの車窓からはこうした風景があちこちに点在している。
2年7か月、この地では時が止まってしまったかのようだ。
がれきだけは除去したが、復興への次の道筋から取り残されたまま・・・ -
この場所も、かつては橋が架かっていた場所。
何度も押し寄せた津波によって橋脚そのものが破壊され、根こそぎ洗い流された。
こんな静かな海なのに・・・
暴威を震った津波が本当にあったことすら想像しがたい。 -
高野(こうの)会館。
今回宿泊したホテル観洋の関連会社の結婚式場で、志津川地区の中心部にあった建物。
国道を挟んで向かい側には公立志津川病院が位置する好立地。
震災当日は地域の高齢者の方たちが大勢集う催しをやっていて、300人を超えるお年寄りが建物内にいたのだとか。
大きな揺れの後、津波を恐れて我先に避難しようと外に出ようとした人たちを、職員の方が入口に立ちふさがり手を広げて阻止した。
「このまま外に出ても津波で流されてしまう。屋上に避難してください」
声をからしながら必死に屋上に誘導し、結果、327人全員が無事救助されたのだとか。
ホテル観洋や高野会館の経営母体の阿部長商店は、当面この会館を維持することをこの夏(2013)、正式に表明した。
町内には数々の被災した建物があったが、徐々に取り壊しの現状となっていることに対し
「このまま震災の被害を風化させてはならない」
との思いで決断を下したと聞く。震災遺構 ブライダルパレス高野会館 名所・史跡
-
高野会館の向かいにあった公立志津川病院。
寝たきりの入院患者を中心に70名を超える方々の命が奪われ、全国的にも大きな報道をされたことは記憶にしっかり残っている。
被災した当日の寒さゆえ、津波から逃れることは出来たものの、その後、低体温症によって亡くなられた方も多くいたようだ。
防寒対策も必要であることを、語り部の方が力説されていたのが印象に残った。 -
今、公立志津川病院の跡地は、土地のかさ上げ工事が続いている。
病院自体は既に取り壊され、場所を移して「公立南三陸診療所」として、地域の医療の拠点となっている。 -
かつて、志津川の街の中心部であった地域。
地盤沈下によって津波をかぶったあとの海水が抜けずに、今に至っている場所も数多い。
南三陸町は、津波被災した土地に家を再建することを制限しているため、町民の多くが暮らしていた場所に再び住むことは出来ず。
一方で、新たな街の未来図を描くのに難題を多く抱えていて、思うように復興の道筋を描けていないようだ。 -
南三陸町役場や診療所が転居した場所は、津波の被災を免れることのできる高台に立地し、山林を造成して着々と復興計画を進めているそうだ。
この場所には今もボランティアセンターも置かれ、多くの方たちが訪れていると伺った。
仮設住宅や仮設商店街も見られ、必死に新たな生活の拠点を築こうと取り組まれている様子をバスの移動車中からも感じることができ、少しほっとした気分になった。 -
志津川湾に浮かぶ多くの島は、普段は海から20メートルくらいの高さ。
また海の深度も20~30メートルあるそうなのだが、震災直後、海水は一気に沖に向かって退いていき、湾内の海底が肉眼で見えるほどだったそうだ。
そして、数十分後、退いた波の倍以上の高さを伴って津波が街に襲い掛かった。
島々も津波によって海水の下に沈んでしまい、見ることができなかったそうである。 -
海の向こうに見えるのがホテル観洋。
-
志津川の街の中には、本来そこにあるのがおかしいものが、未だにこうしてあの日のまま取り残されていて・・・
その光景に胸が苦しくなる。 -
防潮堤も破壊されたまま、2年7か月の間こうしてその姿を留めていることに、言葉が出てこない・・・
-
空が青く澄み渡り、陽射しが優しく降り注ぐ10月の南三陸。
こんなに穏やかで自然豊かな街が、あの日を境に変わってしまった。 -
高台にある家々は津波からの被災を免れることは出来たが、家が残ったことによって地域の中で苦しい立場に立たされた!
と、語り部の方は悲しそうに話す。
南三陸町の場合、海沿いの地域に家々が密集して街を形成していたがために、約6割の方たちが津波によって家を失った。
跡形もなく流されて、土地だけが残されたその人たちにとって、高台にある家々を複雑な面持ちで眺めているしかなかったようだ。
町全体が破壊されつくし、ライフラインもズタズタになった。
生活の全てを救援に仰ぐ以外に当座の生活が成り立たない状況に置かれたとき、同じ被災した町民どうしなのに、家の有無によって「見えない壁」が形成されてしまったと聞いた。
食料や水などの救援物資の行列に並んでも
「あなたのところは家があるのだから後回しにして頂戴」
などといった言動も、あちこちで起こってしまったようで・・・
人が極限の状態に置かれたときのことを、後になってどうこう言う行為自体、決して好ましいこととは思わないし、あの状況下ではむき出しになった感情の発露がされても仕方あるまいとも思う。
だが、そうした些細なことの積み重ねによって、街に住む人たちの中に未だに見えない垣根がそこにあると伺い・・・
「あぁ!」
と心が苦しくなった。 -
報道などで有名になった防災対策庁舎が見えてきた。
多少離れた場所からも、防災庁舎の遺構がハッキリと見えるほど、周囲にはそれ以外の何もないのだ!南三陸旧防災対策庁舎 名所・史跡
-
語り部の方から当時の話の詳細を伺う。
最後まで「直ちに避難してください」と防災無線で呼びかけ続けた遠藤未希さんの話や、遠藤さんに代わって上司の方が防災無線で避難を呼びかけ続けた話なども・・・ -
防災対策庁舎前に降り立った。
手を合わせ、犠牲になられた方たちの冥福を心から祈った。
こんな風に鉄骨がむき出しになってしまった建物を見ながら、津波の破壊力の凄まじさ、猛威を激しく恐ろしいと感じた。 -
屋上まで駆け上がって必死に津波をやり過ごそうとした人たちも数多くが犠牲になられたと聞く。
途切れた階段の生々しさが胸を衝く。 -
来月には取り壊しが決定したそうだ。(註:2013.10時点の表記)
こうしてまた一つ、南三陸の街からあの日の記憶が失われていく・・・
それが良いことなのかそうでないことなのかを、軽々には言えない。
けれども、人間という生き物は、忘れることによって生き延びていく悲しい性を持ちあわせているのも事実でして・・・
”かたちあるもの”が目の前から消えた時、心の痛みや疼きは歳月によって少しずつ和らげることは可能だろうけれど、それと引き換えに鮮明なる記憶を消し去っていく。
町民にとっては、目にしたくない忌々しい遺構が失われること。
それ以外の地域に住む人たちに「あの日の記憶を喚起させる象徴が消える」ことの代償。
この2つの側面を考えた時、僕は明快な回答を持ち合わせていない。
もどかしいけど、それが事実。
【補足】
南三陸町の防災対策庁舎を巡る、遺構として残すor壊すの判断は揺れに揺れ続け、結果として2015年に村井知事の判断により、宮城県がこの遺構を県有化するとともに、2031年まで判断の先送り(宮城県が管理することで当面の存続)を決めた。 -
JR気仙沼線志津川駅の跡地。
かつては駅を中心とした街が形成されていたこの場所は、セイタカアワダチソウの黄色い花と雑草によって埋め尽くされている。志津川駅 駅
-
BRTの仮駅舎も違う場所に移され、この駅の跡もまたひっそりと時を止めたままだ。
-
壊れたままの鉄道橋。
もうこの場所に再び電車が走ることはないのだろうか・・・ -
国道45号線を走っていると、繰り返し現れるこの標識。
三陸沿岸の生命線とも呼べるこの道路は、リアス式海岸の間に作られた数々の集落を結びつける重要な国道。
一方で、あの日、たくさんの箇所で津波によって寸断され、ライフラインを失ってしまった場所が数多く発生してしまったことを、忘れてはならないと思う。
こういうふうに道路上にこのような標識を残すことによって、人々に後世にわたって明確なメッセージを伝えていくことの大切さを改めて感じる。
こうして、1時間の「語り部バス」から降りた僕は、この経験をせめても自分の周囲の人たちに伝え、写真を見てもらおうと固く心に決めた。
最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。
(2020.3 追記)
もうすぐ、あの震災から9年が経つ。
その後、僕は2018年のGWに再び、南三陸を旅した。
https://4travel.jp/travelogue/11357049
「南三陸から陸前高田まで(2018GW宮城三陸旅行①)
現在の南三陸町志津川地区に、この旅行記のような風景を見るのは難しくなっている。
ところどころに震災の痕跡を留めている場所こそあれど、南三陸町は震災後の様々な協議の中で、極力そうした「負の遺産」を消し去る方向で街の再建を続けてきたように感じるのだ。
その事への意見をするつもりは僕にはない。
ただ、正直なところ、三陸沿岸の他の被災地と較べてみても、志津川や南三陸の復興の形って、何か”ややこしさ”や”もやっとした感情”が残るのは何故なんだろうか・・・
あの場所へ行く旅、通過する旅、この日の「語り部バス」のことを鮮明に思い出すのだ。
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