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《2020.Feb》31st 3days driving of visit to P.O. in SADO,without sightseeing.<br /><br />せっかくため込んだJALmileが期限切れ無効となる通知を受け、急遽年がら年中暇なハルを誘い出し、飛行機を利用した〝郵便局巡り〟の旅に出た。行先は佐渡島。前回は奄美大島をコンプリートしたことが達成感に繋がった様子で佐渡に決まった。計画を立てるのに時間を費やすことができなかったために〝観光地〟の吟味をすることができなかった。いつものことではあるが〝without sightseeing〟の旅なので、臨機応変に現地で組み込んでいくこと考えていた。<br /><br />だが冬の佐渡はシーズンオフに加えて海上時化の影響を受けることが多く、航路が欠航する可能性もあるために観光で訪れる場所ではないと会う全ての地元の方々に言われ続けた。とは言っても〝離島〟を目的地にすれば、大筋では変わることもない。逆に観光客のいない時期の佐渡を満喫しようと気持ちを切り替えて島内をくまなく走り回ることにした。<br /><br />時の経つのは早いもので今回の旅も最終日を迎えた。気になる天気は回復するとの予報が出ていた。天候如何では行程そのものを変えなければならないが、なぜか1局当たりの所要時間がかかり過ぎたために、移動は予定よりもスムーズに行っているものの局滞在時間がかなり伸びている。効率良く回るプランニングのために宿泊地を一部変えている。しかし2日目の行程に於いて予想以上に時間を費やしたことから、最終日の行程は前日行けなかったところからの出発となる。もし回り切れなかった場合は次回に持ち越すしかないのだが、できれば今回踏破しておきたい。そこでひとつ博打に出る。新潟市内の散策をなくし、ぎりぎりの時間まで佐渡に滞在する。最終のジェットフォイルを利用し、佐渡汽船ターミナルから空港までタクシーで直行すれば、チェックイン時刻には間に合うだろう。そんな考えから再び行程変更を決め、予定通りにいけば佐渡島48局を踏破することができるとして昨晩は寝てしまった。そんな思いも持ちながら迎えた最終日の朝、どんな結果が待っていたのであろうか?<br /><br />令和2(2020)年2月19日水曜日<br />3日間とはあっという間。目一杯行動したいが身体がついてこない(泣)。7:30の朝食ということで7:20に目覚ましをかけるがその前に6:20にオヤジ殿の目覚ましが…。一度目を覚まして二度寝する。寒さが身体に応えたのか身体がだるい。大雑把に荷物を纏め食事へと向かう。オムレツ等洋風のものも少しはあったが基本魚が主体の料理。この旅で4回の魚料理を頂いた。暫く海のものは見たくはない(笑)。<br /><br />朝食をがっつり頂くのはいつものこと。今朝もお腹いっぱいになった。暫く部屋で寛ぐと出発時刻となる。昨日未訪問となった二見郵便局からのリカバリースタートとなる。名残惜しいが尖閣荘を後にして、相川方面へと車を走らせる。やはり開店前に到着したため近くの公園でモーニングコーヒーと一服をし、改めて局へと向かう。<br /><br />走り出しは順調だ。しかし今回に至っては取り敢えず一局あたりの滞在時間が長い。基本観光客に対しては来島の様子を尋ねるのは当たり前のリップサービス。それを毎回ご丁寧にお答えしている様子。あてにならないナビに振り回されている分イライラもするが仕方がない。<br /><br />二局目の稲鯨局は観光地として名高い七浦にあるが今回の旅路では関係ない。ハル待ちの際に局舎隣に墓石があることに気付く。沖縄でもそうだが離島には墓地とは関係なしに墓石が建立されている。先の大戦に於ける戦没者であろう。名前の他に階級が刻まれていた。確認しなかったが佐渡島に神社が多いこととの関連性があるのかも知れない。再訪する際までには調べておきたいと思いつつ先へと急ぐことにした。<br /><br />相川の市街地に入り相川下戸・相川を相次いで済ませると、佐渡金山入口の相川上町簡易局へと向かうが、ここもまた地図とは違う。観光道路から一本奥まった旧道沿いの局にたどり着くにはスマホナビの世話になった。昨日佐渡金山資料館までの行き方は確認した。しかし観光はしない。佐渡島にやって来て佐渡金山に行かないとは…と言われそうだがやはり行くなら行くで予定を組んでいかないと難しい場所のように感じた。<br /><br />昨日雪景色を収めたポイントを過ぎ、つい1時間前に逆方向に走った道を戻るように走る。尖閣荘を過ぎ海側の集落内の姫津局に立ち寄る。<br /><br />こちらは昨日予定通り走っていれば本日の第一局目なるはずであった場所だ。しかし、1局あたりの所要時間が長引いたことから遅れが生じている。もっとも遅れている時間は許容範囲であるため、ハルを急がすこともしない。ただ佐渡島48局をコンプリートするには残り100kmの距離を走らねばならない。奄美大島同様局員氏と会話を楽しんでいるハルの楽しみを否定する必要もない。時間内に回り切ることができるならばドライバー兼ツアープランナーとしての仕事はOKなのだから。<br /><br />再び一周路を走って行く。途中平根崎駐車場でトイレ休憩と一服タイムを取る。この辺りの海岸は外海に面しており、波に侵食された巨岩がなんとも言えない奇景を作り出していた。<br /><br />程なくして出発し高千郵便局を目指して走って行くが、ナビの指し示す場所に郵便局の看板はない。しかしよく見ると局舎だったことは間違いない。後で調べると移設された旧局舎だと言うことを知る。2018年の移設であれば仕方がないだろう。そう考えて割り切ることにし、スマホナビで新局舎を調べる。集落内ではなく一周道路沿いに移設された新高千郵便局は、見た目も綺麗なものに変わっていた。ハルの待ち時間に佐渡旅の立役者となったMarchクンを激写する。神奈川日産の販売となっていたが程度の良さからレンタカーとして佐渡入りをしたのであろう。ただ旧型の車ではあるがグレードは高いもののようでキーレスエントリー仕様であった。安いレンタカーしか基本使わない私にとっては初めての体験であった。<br /><br />ハルが戻って来たので出発する。北田野浦・小田の両局は海側山側の違いはあれど一周道路沿いにあった。そして次局の関簡易局はナビの案内地には着けど局舎らしきものは見当たらない。また移設か?と思いきや良く見るとゆうパックの旗が翻っていた。道路より下に家屋が建っている。津波や高潮対策で高台に家を建てるのが当たり前だと思っていたがそうでもないらしい。もっとも局舎の場所自体が高台であり、海抜0mではないことから無知から生まれる誤解であることに気付いて納得した私であった。<br /><br />関簡易局を後にして一周道路を進み岩谷口駐車場で休憩を取る。外海府海岸の眺望が広がる場所は好天に映え、冬の荒れ狂う日本海というイメージを払拭するものであった。そしてしばらく進むと海府大橋を渡る。新潟県で最も高い位置に架かる海府大橋は、完成によって大ザレ川渓谷という交通の難所を克服した画期的なものだったそうだ。それまでは隣の集落へ行くにも標高差のある渓谷を渡らねばならなかったことが、僅か数分で通り過ぎるものとなって現在に至っている。便利には違いないが、観光向けに渓谷渡りルートを残しておいても良かったと思うのは私だけだろうか?<br /><br />そんな海府大橋からの景色をカメラに収め次の目的地へと向かう。一周道路から海側へと少し外れた場所にある真更川集落、その中央部に目指す局は建っていた。局前は駐車できないために手前で停車し歩いて行く。やはりこちらも道路より低い位置に建っていた。海抜が低くなる場所に建てられた局舎、海の影響はないのだろうかとひとり心配になった私だった。<br /><br />再び一周道路を走り、鷲崎の集落へと向かう。佐渡島北端の鷲崎は漁港が中心の集落であり、中央部にある漁港の周りに各種施設が集まっていた。その中のひとつである鷲崎郵便局に立ち寄る。直営店でありそれなりの利用者数はあるようだ。<br /><br />鷲崎局を済ませると残り4局となる。佐渡島北端から両津へと向かう一周道路を走って行く。天気も良く観光地に立ち寄りたい気持ちはあれど時間的な余裕もないのでひたすら走る。途中公園で休憩を取った後浦川局に到着する。近年郵便物の集配は統合が進み、旧集配局は過去の栄光の〝軌跡〟だけが残っている局も少なくはない。そんな中浦川局の隣には集配センターが設けられていた。街中の両津郵便局には敷地を見ても集配センターは見られなかった。実際の業務はわからないが興味深く感じた。<br /><br />そしてハルを待って出発する。両津湾に沿って走るドライブは冬の日本海という雰囲気は全くない。そんな内海に面するように和木郵便局は建てられていた。待ち時間を利用して海を眺めていた。この海が荒れていたことは想像もつかない。ただあと数時間もするとこの海を渡り、新潟空港を経由して帰ると思うとセンチになる。そのうちにハルが用事を済ませて戻って来た。行きますえ~と一声掛けて出発する。<br /><br />程なくして白瀬郵便局に到着する。両津の市街地にも近いせいか利用客も多いため少し待った。<br /><br />そしていよいよ佐渡島48局の最後の目的地である梅津簡易郵便局へとやって来た。簡易郵便局でありながら市街地にある。利用客も多いがなぜ簡易局はなのかはわからない。待ち時間は少しあったが無事訪問と貯金を済ませることができて、佐渡島郵便局巡りの旅はここで終了となる。<br /><br />結果オーライではあるが、当初13:00のフェリーに乗船し、残りの時間を新潟市内の局巡りと考えていた。ただ2日目の行程で時間切れになってしまった郵便局を最終日に回すことにしたため、組み直した予定でも回り切れない可能性がでていた。勿論再訪すればいいのだができれば郵便局は今回回り切りたいと考えていた。郵便局の統廃合が進む中廃局にならないとも限らない。そのような考えから佐渡島の滞在時間を敢えて増やした。新潟港から新潟空港迄をタクシー使えばなんとかなるという確信があったためであった。<br /><br />無事佐渡島のミッションを終え、後はレンタカーを返すだけとなる。その前にヤマト運輸の佐渡金井センターに立ち寄って荷物を送ることにした。クロネコヤマトの場合、当日発送締め切り時刻は13:00もしくは13:30だ。発送すると新潟主管センター迄はトラック輸送となり、トラックごとフェリーで運ばれる。故に締め切り時刻が早いのである。バックを発送し身軽になるが、ついでに撮影済みのフィルムもネコポス発送をした。宛先の富山には翌日到着するので、次の休みに見ることができるから敢えて発送をした。しかしこれがトラブルの火種となってしまった。なんと受取先が差出人の記載がないからと受け取らず運送屋に返したとほざいていた。結果荷物が一時行方不明になり仕上がるまで10日間を費やした。<br /><br />勿論そんなことになるとはいざ知らず、送るものは全て発送し身の回りの荷物だけとなって先ずはローソンで一息入れる。その後指定のガソリンスタンド給油をするが、フルサービスにも関わらず地元と価格差は小さいものであったことには驚いた。そして本当のラストラン。48時間前にマーチくんと出会った気軽にレンタカーの営業所に到着する。350kmを軽快に走ってくれたマーチくん、名残惜しいが連れて帰るわけにもいかない。ハルとのツーショットでお別れだ。ありがとう!<br /><br />食事をどうするかを返車前に考えていたが、ゆっくりと味わえる時間もないことで両津港で食べることにした。両津港迄レンタカー営業所からは徒歩1分。行きは急いでいたので施設見学もしていない。先に16:25発のジェットフォイルぎんがのチケットを購入しておく。割引がきいても3,390円とは結構いい値段だ。全席指定の座席は1-A・B、どうやら予約を入れた最初の搭乗客のようだった。<br /><br />待ち時間を利用して食事を摂ることにした。両津待合室食堂へ行ったがハルはめかぶうどんを注文した。別に影響を受けたわけではないが私もめかぶそばとライスをチョイスする。なんてことはない立ち食い蕎麦屋だが、減ったお腹に染み渡る程美味しかった。<br /><br />お腹も膨れたので待ち時間を利用してお土産を見ることにする。シーズンオフに加え新型コロナウィルスで外出を控えられているのかガラガラだった。そんなこともあり土産物屋のおばちゃん達も積極的に売り込んでいる様子。歩合制で売れないことが即生活に影響するのはわかってはいるが、残念ながら私は職場への安くて数があるものをひとつしか購入したしない。対してご近所に配るお土産を買うハルはおばちゃんと話し込んでいる。こういう時は外面の良いハルは適している。<br /><br />そのうちジェットフォイル搭乗の搭乗がコールされる。フェリー桟橋とは違い歩く距離もない。Boeing929という機種名が書かれていた。どうやらジェットフォイルというのは水中翼船の旅客用のものを指すらしい。乗船して最前列の座席に座る。八重山の高速艇は最前列であってもパーテーションがあるため前方の眺望はきかないか、ジェットフォイルはよく見える。波しぶきを上げながら突っ走る様を見て見たかったが、既に眠気MAX状態。両津港を出航した際に〝また来るね~〟と挨拶をし、一時70km/hの速度表示を見た記憶があるが、移動区間のほとんどは寝ていたようだ。残念だが仕方がない。海が穏やかだったことを良しとし、今回の旅離島部分はあっという間に終わりを告げた。<br /><br />50時間前に出航した新潟港ターミナルに到着しタクシーで空港へと向かう。30分弱の所要時間と3,000円程度だということで決めたことだ。意外に新潟市内も混雑はしていたがさすがタクシーすんなりと走って行く。結局20分ほどで空港に到着し2,500円程度で済んだ。<br /><br />18:01に新潟空港に到着し、とりあえずはチェックインを済ませる。ClassJへのアップグレードの表示があったので試しにリクエストを入れようとしたが残念ながら1席しか空いていなかった。行きに富士山が見られたことに味をしめたのとハル用にトイレに近い30A・Cにシートチェンジをしておいた。まあやることもなし空港ターミナル内は探索済み。追加のお土産を先に買うとまたセキュリティで引っかかるかも知れない。そんな考えもあり先にセキュリティゲートを通過する。ただ今度は私が引っかかった。アナログフィルムのシールドケースで中身が見えなかったようだ。こういう時若い係員さフィルムそのものまで再検査しようとするがそこまで無知な係員ではなかったので助かった。<br /><br />奄美空港程ではないが新潟空港も搭乗待合所は広くはない。国内線用に当てられるボーディングブリッジは2本(国際線共用1本)でゲートA・Bの意味がわかるのに時間はかからなかった。<br /><br />一服した後にBゲート前で暫し搭乗案内を待つ。搭乗案内の時間は18:40、小さな機材には必要ないと思われる優先搭乗から始まった。しかし間もなく〝全てのお客様〟にアナウンスが変わり、後方席を指定した私達も機内に案内される。ハルのことを考えて30A・Cをアサインしているがハルは気づかなかったようだ。ClassJへのアップグレードリクエストが入らなかったので混雑しているかと思っていたが、搭乗率は50%を切っているレベル。平日の最終大阪行きがこのレベルでは機材の大型化や増便は叶わないだろうと改めて思う。僅かばかりの乗客の搭乗は時間前に終わりドアが閉められる。ボーディングブリッジを利用したのでプッシュバックが必要となるが、それでも定刻よりも早かった。そして待ち時間もなく滑走路へと進入し離陸。滞在時間55時間半の新潟を後にしてJ-AIRオペレートのE90〝JAL2250〟は夜空の中一路大阪を目指すこととなる。<br /><br />レンタカーを返車してからは車を運転することもないのでコンタクトを外して眼鏡をかける。こうなると私の場合緊張感が0になる。機内でコーラを頂いた記憶はあるがその他は・・・。ふと我に帰った時は伊丹アプローチの真っ最中であった。<br /><br />定刻通りに無事伊丹空港に到着した。程なくして降機となるが、相変わらず降機を急ぐ者は立ち上がって列を成す。後方席だと時間は変わらないため私は暫く席で座って待つことにする。しかしトイレに行きたいハルはその列に並んでいた。前列でシートアサインが出来なかった訳ではなく、トイレに立てるように後部座席をアサインした。しかしハルはアプローチに入ってからトイレに行きたいと宣った。下手するとゴーアラウンドになりかねないために我慢させたが、まるで子供である。降機後バス移動を挟んでターミナルに着いた後てっきり近場のトイレに行ったと思っていたら、探しても見つからない。下手に電話して制限エリアに戻られたら大問題になりかねない。仕方なしに制限エリアを出てから電話をかけ、やっと会えたのはショップゾーンのことであった。<br /><br />この時間帯に伊丹にいることもなかったためにざっと出発ロビーへ行ってみた。騒音公害の影響で21:00迄しか離発着ができないためほぼ発着便はない様子。本日の便は終了しましたとの表示に都会のポケットを感じた私であった。<br /><br />伊丹からは行き同様空港リムジンで京都へと戻る。乗換の手間が省けるので人気のある路線でもある。今回利用した便は出町柳駅迄行くバスであった。余裕のない乗り継ぎもしたくないので20:45のバスを利用した。<br /><br />池田インターチェンジから中国自動車道を利用するルートを辿るが、眠さが限界にきておりうとうとしっぱなし。途中大山崎ジャンクションあたりで事故渋滞に巻き込まれたが、リムジンバスの運行には影響はなかったようだ。京都南インターチェンジから一般道を走って行く。市内の渋滞は既に解消されており、程なくして京都駅八条口に到着する。京都駅八条口止まりであれば当然下車するが、この便は出町柳駅まで行くために京都駅烏丸口で下車した。ここまで乗ったのは撮り終えたフィルムを発送するために京都中央郵便局に立ち寄るためであったが、帰るのが遅くなるとハルがうるさいのでそのままポルタを経由して京都駅へとそのまま向かうことにした。JR琵琶湖線新快速に乗車し、3つ目の田舎駅で下車する。後は迎えに来てもらうかバスで帰るかどちらかであるが、夕食を済ませていないので駅前の宮本むなしに立ち寄った。いつもと同じチキン南蛮定食をオーダーするが、ずっと海の幸を食べ続けたせいか普段より美味しく感じた。<br /><br />かっ食らうまで急いだ訳ではないが程々の時間で完食し迎えを待つ。いつものことだがまーさんの迎えは遅いので家に辿り着いたのは23:00を回っていた。<br /><br />無事家には辿り着き今回の旅目も何もなく終わったように見えた。しかし後日談ではあるが、佐渡からネガフィルムを発送した際に急いでいたので差出人記載を忘れてしまった。その旨連絡をしていたにもかかわらず運送会社に返却したという。確かに差出人を記載しなかったのは私の落ち度だが、受取拒否ではなくただ返したと言われても運送会社の記録上は配達完了となっており、受取拒否という記録は残っていない。配達した運送会社には非はない。一旦配達完了とされた記録は消えないのである。実際にweb上では配達済みとなってしまうと追跡が出来なくなる。故にいっとき荷物が行方不明になった。発見されるまで1日を要し、一旦配達になったものを再配達もできないという。このいい加減な写真屋の態度は今に始まったことではなく以前も未着となったことがあり、その調査をすべて私に丸投げしたことがあった。最終的には出てきたが、今回のことを踏まえると発送通知が本当だったのかすら疑問に思う。<br /><br />写真というものは撮影者にとってかけがえのないものである。確かに現像中に不測の事態が起こり、フィルムがダメになってしまうことはないとは言えない。私が常日頃お世話になっている写真屋さんは、東日本大震災に於ける津波の影響で処理前・処理後のネガフィルムが流出したことに対し、オーダーを受けた落札者に対し申し訳ない気持ちでいっぱいだったことを取材で述べられている。自身や家族の命が危険に晒されたにもかかわらずだ。勿論オーダーした方々全てが自分が撮影したフィルムより、写真屋さん御一家の無事だったことを喜んでいた。予想だに出来なかったことでもあるが、業務に対し真摯に取り組んでおられるお気持ちが伝わってきた。その話がきっかけとなり、お願いするようになった。ただ腕は確かなのであるが、岩手県のお店に発注してから仕上がりに1週間かかってしまうのが現実であり、仕上げを急ぐ場合は一旦他の業者に頼んでデータ化まで頼んだ後、本数をためて再度データ化して貰っていた。しかし急ぐはずが理解できない取扱をされ、結果として時間がかかったことは想定外のことだった。信用できない業者に頼んで後悔した。金だけせしめようとする態度もともかく予測できたトラブルに対し責任をどう取れるのか聞きたいところでもある。確かにアナログフィルムの現像を取り扱っている写真屋さんは確実に減っており、ユーザーが店を選べない背景は現実に存在する。しかしながら今回依頼したSカメラ店は責任はないの一点張りだろう。オークションで集客を募っている業者には少なからず〝してやってる〟意識で運営しているところがある。写真屋家業をしてながら写真の〝重み〟を理解しようとしない店主にそれ以上はない。例え失敗しても撮影者の責任にされるのが関の山、そんな店にせっかく遠出までして撮影した貴重な画像を扱って欲しくはない。どんな理由があれど浮気をしたのは私自身である。今回のことを教訓に信頼できるお店に出すことを心掛けたいと改めて思った次第である。<br /><br />一部後日談で脱線したが、改めてデータ化を依頼した〝カメラのT堂〟さんからモノが近日中に届くはずである。受け取ったら即座に写真を差し替えて臨場感を伝えたいと考えている。<br /><br />長々となったがこれで〝ChapⅢ,30th 3days driving of visit to P.O. in SADO,without sightseeing.〟を終わることにする。さあまたハルに誘われて郵便局巡りにつきあうのだろうか?

ChapⅢ,31st 3days driving of visit to P.O. in SADO,without sightseeing.

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2020/02/19 - 2020/02/19

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

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2020/02/19

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《2020.Feb》31st 3days driving of visit to P.O. in SADO,without sightseeing.

せっかくため込んだJALmileが期限切れ無効となる通知を受け、急遽年がら年中暇なハルを誘い出し、飛行機を利用した〝郵便局巡り〟の旅に出た。行先は佐渡島。前回は奄美大島をコンプリートしたことが達成感に繋がった様子で佐渡に決まった。計画を立てるのに時間を費やすことができなかったために〝観光地〟の吟味をすることができなかった。いつものことではあるが〝without sightseeing〟の旅なので、臨機応変に現地で組み込んでいくこと考えていた。

だが冬の佐渡はシーズンオフに加えて海上時化の影響を受けることが多く、航路が欠航する可能性もあるために観光で訪れる場所ではないと会う全ての地元の方々に言われ続けた。とは言っても〝離島〟を目的地にすれば、大筋では変わることもない。逆に観光客のいない時期の佐渡を満喫しようと気持ちを切り替えて島内をくまなく走り回ることにした。

時の経つのは早いもので今回の旅も最終日を迎えた。気になる天気は回復するとの予報が出ていた。天候如何では行程そのものを変えなければならないが、なぜか1局当たりの所要時間がかかり過ぎたために、移動は予定よりもスムーズに行っているものの局滞在時間がかなり伸びている。効率良く回るプランニングのために宿泊地を一部変えている。しかし2日目の行程に於いて予想以上に時間を費やしたことから、最終日の行程は前日行けなかったところからの出発となる。もし回り切れなかった場合は次回に持ち越すしかないのだが、できれば今回踏破しておきたい。そこでひとつ博打に出る。新潟市内の散策をなくし、ぎりぎりの時間まで佐渡に滞在する。最終のジェットフォイルを利用し、佐渡汽船ターミナルから空港までタクシーで直行すれば、チェックイン時刻には間に合うだろう。そんな考えから再び行程変更を決め、予定通りにいけば佐渡島48局を踏破することができるとして昨晩は寝てしまった。そんな思いも持ちながら迎えた最終日の朝、どんな結果が待っていたのであろうか?

令和2(2020)年2月19日水曜日
3日間とはあっという間。目一杯行動したいが身体がついてこない(泣)。7:30の朝食ということで7:20に目覚ましをかけるがその前に6:20にオヤジ殿の目覚ましが…。一度目を覚まして二度寝する。寒さが身体に応えたのか身体がだるい。大雑把に荷物を纏め食事へと向かう。オムレツ等洋風のものも少しはあったが基本魚が主体の料理。この旅で4回の魚料理を頂いた。暫く海のものは見たくはない(笑)。

朝食をがっつり頂くのはいつものこと。今朝もお腹いっぱいになった。暫く部屋で寛ぐと出発時刻となる。昨日未訪問となった二見郵便局からのリカバリースタートとなる。名残惜しいが尖閣荘を後にして、相川方面へと車を走らせる。やはり開店前に到着したため近くの公園でモーニングコーヒーと一服をし、改めて局へと向かう。

走り出しは順調だ。しかし今回に至っては取り敢えず一局あたりの滞在時間が長い。基本観光客に対しては来島の様子を尋ねるのは当たり前のリップサービス。それを毎回ご丁寧にお答えしている様子。あてにならないナビに振り回されている分イライラもするが仕方がない。

二局目の稲鯨局は観光地として名高い七浦にあるが今回の旅路では関係ない。ハル待ちの際に局舎隣に墓石があることに気付く。沖縄でもそうだが離島には墓地とは関係なしに墓石が建立されている。先の大戦に於ける戦没者であろう。名前の他に階級が刻まれていた。確認しなかったが佐渡島に神社が多いこととの関連性があるのかも知れない。再訪する際までには調べておきたいと思いつつ先へと急ぐことにした。

相川の市街地に入り相川下戸・相川を相次いで済ませると、佐渡金山入口の相川上町簡易局へと向かうが、ここもまた地図とは違う。観光道路から一本奥まった旧道沿いの局にたどり着くにはスマホナビの世話になった。昨日佐渡金山資料館までの行き方は確認した。しかし観光はしない。佐渡島にやって来て佐渡金山に行かないとは…と言われそうだがやはり行くなら行くで予定を組んでいかないと難しい場所のように感じた。

昨日雪景色を収めたポイントを過ぎ、つい1時間前に逆方向に走った道を戻るように走る。尖閣荘を過ぎ海側の集落内の姫津局に立ち寄る。

こちらは昨日予定通り走っていれば本日の第一局目なるはずであった場所だ。しかし、1局あたりの所要時間が長引いたことから遅れが生じている。もっとも遅れている時間は許容範囲であるため、ハルを急がすこともしない。ただ佐渡島48局をコンプリートするには残り100kmの距離を走らねばならない。奄美大島同様局員氏と会話を楽しんでいるハルの楽しみを否定する必要もない。時間内に回り切ることができるならばドライバー兼ツアープランナーとしての仕事はOKなのだから。

再び一周路を走って行く。途中平根崎駐車場でトイレ休憩と一服タイムを取る。この辺りの海岸は外海に面しており、波に侵食された巨岩がなんとも言えない奇景を作り出していた。

程なくして出発し高千郵便局を目指して走って行くが、ナビの指し示す場所に郵便局の看板はない。しかしよく見ると局舎だったことは間違いない。後で調べると移設された旧局舎だと言うことを知る。2018年の移設であれば仕方がないだろう。そう考えて割り切ることにし、スマホナビで新局舎を調べる。集落内ではなく一周道路沿いに移設された新高千郵便局は、見た目も綺麗なものに変わっていた。ハルの待ち時間に佐渡旅の立役者となったMarchクンを激写する。神奈川日産の販売となっていたが程度の良さからレンタカーとして佐渡入りをしたのであろう。ただ旧型の車ではあるがグレードは高いもののようでキーレスエントリー仕様であった。安いレンタカーしか基本使わない私にとっては初めての体験であった。

ハルが戻って来たので出発する。北田野浦・小田の両局は海側山側の違いはあれど一周道路沿いにあった。そして次局の関簡易局はナビの案内地には着けど局舎らしきものは見当たらない。また移設か?と思いきや良く見るとゆうパックの旗が翻っていた。道路より下に家屋が建っている。津波や高潮対策で高台に家を建てるのが当たり前だと思っていたがそうでもないらしい。もっとも局舎の場所自体が高台であり、海抜0mではないことから無知から生まれる誤解であることに気付いて納得した私であった。

関簡易局を後にして一周道路を進み岩谷口駐車場で休憩を取る。外海府海岸の眺望が広がる場所は好天に映え、冬の荒れ狂う日本海というイメージを払拭するものであった。そしてしばらく進むと海府大橋を渡る。新潟県で最も高い位置に架かる海府大橋は、完成によって大ザレ川渓谷という交通の難所を克服した画期的なものだったそうだ。それまでは隣の集落へ行くにも標高差のある渓谷を渡らねばならなかったことが、僅か数分で通り過ぎるものとなって現在に至っている。便利には違いないが、観光向けに渓谷渡りルートを残しておいても良かったと思うのは私だけだろうか?

そんな海府大橋からの景色をカメラに収め次の目的地へと向かう。一周道路から海側へと少し外れた場所にある真更川集落、その中央部に目指す局は建っていた。局前は駐車できないために手前で停車し歩いて行く。やはりこちらも道路より低い位置に建っていた。海抜が低くなる場所に建てられた局舎、海の影響はないのだろうかとひとり心配になった私だった。

再び一周道路を走り、鷲崎の集落へと向かう。佐渡島北端の鷲崎は漁港が中心の集落であり、中央部にある漁港の周りに各種施設が集まっていた。その中のひとつである鷲崎郵便局に立ち寄る。直営店でありそれなりの利用者数はあるようだ。

鷲崎局を済ませると残り4局となる。佐渡島北端から両津へと向かう一周道路を走って行く。天気も良く観光地に立ち寄りたい気持ちはあれど時間的な余裕もないのでひたすら走る。途中公園で休憩を取った後浦川局に到着する。近年郵便物の集配は統合が進み、旧集配局は過去の栄光の〝軌跡〟だけが残っている局も少なくはない。そんな中浦川局の隣には集配センターが設けられていた。街中の両津郵便局には敷地を見ても集配センターは見られなかった。実際の業務はわからないが興味深く感じた。

そしてハルを待って出発する。両津湾に沿って走るドライブは冬の日本海という雰囲気は全くない。そんな内海に面するように和木郵便局は建てられていた。待ち時間を利用して海を眺めていた。この海が荒れていたことは想像もつかない。ただあと数時間もするとこの海を渡り、新潟空港を経由して帰ると思うとセンチになる。そのうちにハルが用事を済ませて戻って来た。行きますえ~と一声掛けて出発する。

程なくして白瀬郵便局に到着する。両津の市街地にも近いせいか利用客も多いため少し待った。

そしていよいよ佐渡島48局の最後の目的地である梅津簡易郵便局へとやって来た。簡易郵便局でありながら市街地にある。利用客も多いがなぜ簡易局はなのかはわからない。待ち時間は少しあったが無事訪問と貯金を済ませることができて、佐渡島郵便局巡りの旅はここで終了となる。

結果オーライではあるが、当初13:00のフェリーに乗船し、残りの時間を新潟市内の局巡りと考えていた。ただ2日目の行程で時間切れになってしまった郵便局を最終日に回すことにしたため、組み直した予定でも回り切れない可能性がでていた。勿論再訪すればいいのだができれば郵便局は今回回り切りたいと考えていた。郵便局の統廃合が進む中廃局にならないとも限らない。そのような考えから佐渡島の滞在時間を敢えて増やした。新潟港から新潟空港迄をタクシー使えばなんとかなるという確信があったためであった。

無事佐渡島のミッションを終え、後はレンタカーを返すだけとなる。その前にヤマト運輸の佐渡金井センターに立ち寄って荷物を送ることにした。クロネコヤマトの場合、当日発送締め切り時刻は13:00もしくは13:30だ。発送すると新潟主管センター迄はトラック輸送となり、トラックごとフェリーで運ばれる。故に締め切り時刻が早いのである。バックを発送し身軽になるが、ついでに撮影済みのフィルムもネコポス発送をした。宛先の富山には翌日到着するので、次の休みに見ることができるから敢えて発送をした。しかしこれがトラブルの火種となってしまった。なんと受取先が差出人の記載がないからと受け取らず運送屋に返したとほざいていた。結果荷物が一時行方不明になり仕上がるまで10日間を費やした。

勿論そんなことになるとはいざ知らず、送るものは全て発送し身の回りの荷物だけとなって先ずはローソンで一息入れる。その後指定のガソリンスタンド給油をするが、フルサービスにも関わらず地元と価格差は小さいものであったことには驚いた。そして本当のラストラン。48時間前にマーチくんと出会った気軽にレンタカーの営業所に到着する。350kmを軽快に走ってくれたマーチくん、名残惜しいが連れて帰るわけにもいかない。ハルとのツーショットでお別れだ。ありがとう!

食事をどうするかを返車前に考えていたが、ゆっくりと味わえる時間もないことで両津港で食べることにした。両津港迄レンタカー営業所からは徒歩1分。行きは急いでいたので施設見学もしていない。先に16:25発のジェットフォイルぎんがのチケットを購入しておく。割引がきいても3,390円とは結構いい値段だ。全席指定の座席は1-A・B、どうやら予約を入れた最初の搭乗客のようだった。

待ち時間を利用して食事を摂ることにした。両津待合室食堂へ行ったがハルはめかぶうどんを注文した。別に影響を受けたわけではないが私もめかぶそばとライスをチョイスする。なんてことはない立ち食い蕎麦屋だが、減ったお腹に染み渡る程美味しかった。

お腹も膨れたので待ち時間を利用してお土産を見ることにする。シーズンオフに加え新型コロナウィルスで外出を控えられているのかガラガラだった。そんなこともあり土産物屋のおばちゃん達も積極的に売り込んでいる様子。歩合制で売れないことが即生活に影響するのはわかってはいるが、残念ながら私は職場への安くて数があるものをひとつしか購入したしない。対してご近所に配るお土産を買うハルはおばちゃんと話し込んでいる。こういう時は外面の良いハルは適している。

そのうちジェットフォイル搭乗の搭乗がコールされる。フェリー桟橋とは違い歩く距離もない。Boeing929という機種名が書かれていた。どうやらジェットフォイルというのは水中翼船の旅客用のものを指すらしい。乗船して最前列の座席に座る。八重山の高速艇は最前列であってもパーテーションがあるため前方の眺望はきかないか、ジェットフォイルはよく見える。波しぶきを上げながら突っ走る様を見て見たかったが、既に眠気MAX状態。両津港を出航した際に〝また来るね~〟と挨拶をし、一時70km/hの速度表示を見た記憶があるが、移動区間のほとんどは寝ていたようだ。残念だが仕方がない。海が穏やかだったことを良しとし、今回の旅離島部分はあっという間に終わりを告げた。

50時間前に出航した新潟港ターミナルに到着しタクシーで空港へと向かう。30分弱の所要時間と3,000円程度だということで決めたことだ。意外に新潟市内も混雑はしていたがさすがタクシーすんなりと走って行く。結局20分ほどで空港に到着し2,500円程度で済んだ。

18:01に新潟空港に到着し、とりあえずはチェックインを済ませる。ClassJへのアップグレードの表示があったので試しにリクエストを入れようとしたが残念ながら1席しか空いていなかった。行きに富士山が見られたことに味をしめたのとハル用にトイレに近い30A・Cにシートチェンジをしておいた。まあやることもなし空港ターミナル内は探索済み。追加のお土産を先に買うとまたセキュリティで引っかかるかも知れない。そんな考えもあり先にセキュリティゲートを通過する。ただ今度は私が引っかかった。アナログフィルムのシールドケースで中身が見えなかったようだ。こういう時若い係員さフィルムそのものまで再検査しようとするがそこまで無知な係員ではなかったので助かった。

奄美空港程ではないが新潟空港も搭乗待合所は広くはない。国内線用に当てられるボーディングブリッジは2本(国際線共用1本)でゲートA・Bの意味がわかるのに時間はかからなかった。

一服した後にBゲート前で暫し搭乗案内を待つ。搭乗案内の時間は18:40、小さな機材には必要ないと思われる優先搭乗から始まった。しかし間もなく〝全てのお客様〟にアナウンスが変わり、後方席を指定した私達も機内に案内される。ハルのことを考えて30A・Cをアサインしているがハルは気づかなかったようだ。ClassJへのアップグレードリクエストが入らなかったので混雑しているかと思っていたが、搭乗率は50%を切っているレベル。平日の最終大阪行きがこのレベルでは機材の大型化や増便は叶わないだろうと改めて思う。僅かばかりの乗客の搭乗は時間前に終わりドアが閉められる。ボーディングブリッジを利用したのでプッシュバックが必要となるが、それでも定刻よりも早かった。そして待ち時間もなく滑走路へと進入し離陸。滞在時間55時間半の新潟を後にしてJ-AIRオペレートのE90〝JAL2250〟は夜空の中一路大阪を目指すこととなる。

レンタカーを返車してからは車を運転することもないのでコンタクトを外して眼鏡をかける。こうなると私の場合緊張感が0になる。機内でコーラを頂いた記憶はあるがその他は・・・。ふと我に帰った時は伊丹アプローチの真っ最中であった。

定刻通りに無事伊丹空港に到着した。程なくして降機となるが、相変わらず降機を急ぐ者は立ち上がって列を成す。後方席だと時間は変わらないため私は暫く席で座って待つことにする。しかしトイレに行きたいハルはその列に並んでいた。前列でシートアサインが出来なかった訳ではなく、トイレに立てるように後部座席をアサインした。しかしハルはアプローチに入ってからトイレに行きたいと宣った。下手するとゴーアラウンドになりかねないために我慢させたが、まるで子供である。降機後バス移動を挟んでターミナルに着いた後てっきり近場のトイレに行ったと思っていたら、探しても見つからない。下手に電話して制限エリアに戻られたら大問題になりかねない。仕方なしに制限エリアを出てから電話をかけ、やっと会えたのはショップゾーンのことであった。

この時間帯に伊丹にいることもなかったためにざっと出発ロビーへ行ってみた。騒音公害の影響で21:00迄しか離発着ができないためほぼ発着便はない様子。本日の便は終了しましたとの表示に都会のポケットを感じた私であった。

伊丹からは行き同様空港リムジンで京都へと戻る。乗換の手間が省けるので人気のある路線でもある。今回利用した便は出町柳駅迄行くバスであった。余裕のない乗り継ぎもしたくないので20:45のバスを利用した。

池田インターチェンジから中国自動車道を利用するルートを辿るが、眠さが限界にきておりうとうとしっぱなし。途中大山崎ジャンクションあたりで事故渋滞に巻き込まれたが、リムジンバスの運行には影響はなかったようだ。京都南インターチェンジから一般道を走って行く。市内の渋滞は既に解消されており、程なくして京都駅八条口に到着する。京都駅八条口止まりであれば当然下車するが、この便は出町柳駅まで行くために京都駅烏丸口で下車した。ここまで乗ったのは撮り終えたフィルムを発送するために京都中央郵便局に立ち寄るためであったが、帰るのが遅くなるとハルがうるさいのでそのままポルタを経由して京都駅へとそのまま向かうことにした。JR琵琶湖線新快速に乗車し、3つ目の田舎駅で下車する。後は迎えに来てもらうかバスで帰るかどちらかであるが、夕食を済ませていないので駅前の宮本むなしに立ち寄った。いつもと同じチキン南蛮定食をオーダーするが、ずっと海の幸を食べ続けたせいか普段より美味しく感じた。

かっ食らうまで急いだ訳ではないが程々の時間で完食し迎えを待つ。いつものことだがまーさんの迎えは遅いので家に辿り着いたのは23:00を回っていた。

無事家には辿り着き今回の旅目も何もなく終わったように見えた。しかし後日談ではあるが、佐渡からネガフィルムを発送した際に急いでいたので差出人記載を忘れてしまった。その旨連絡をしていたにもかかわらず運送会社に返却したという。確かに差出人を記載しなかったのは私の落ち度だが、受取拒否ではなくただ返したと言われても運送会社の記録上は配達完了となっており、受取拒否という記録は残っていない。配達した運送会社には非はない。一旦配達完了とされた記録は消えないのである。実際にweb上では配達済みとなってしまうと追跡が出来なくなる。故にいっとき荷物が行方不明になった。発見されるまで1日を要し、一旦配達になったものを再配達もできないという。このいい加減な写真屋の態度は今に始まったことではなく以前も未着となったことがあり、その調査をすべて私に丸投げしたことがあった。最終的には出てきたが、今回のことを踏まえると発送通知が本当だったのかすら疑問に思う。

写真というものは撮影者にとってかけがえのないものである。確かに現像中に不測の事態が起こり、フィルムがダメになってしまうことはないとは言えない。私が常日頃お世話になっている写真屋さんは、東日本大震災に於ける津波の影響で処理前・処理後のネガフィルムが流出したことに対し、オーダーを受けた落札者に対し申し訳ない気持ちでいっぱいだったことを取材で述べられている。自身や家族の命が危険に晒されたにもかかわらずだ。勿論オーダーした方々全てが自分が撮影したフィルムより、写真屋さん御一家の無事だったことを喜んでいた。予想だに出来なかったことでもあるが、業務に対し真摯に取り組んでおられるお気持ちが伝わってきた。その話がきっかけとなり、お願いするようになった。ただ腕は確かなのであるが、岩手県のお店に発注してから仕上がりに1週間かかってしまうのが現実であり、仕上げを急ぐ場合は一旦他の業者に頼んでデータ化まで頼んだ後、本数をためて再度データ化して貰っていた。しかし急ぐはずが理解できない取扱をされ、結果として時間がかかったことは想定外のことだった。信用できない業者に頼んで後悔した。金だけせしめようとする態度もともかく予測できたトラブルに対し責任をどう取れるのか聞きたいところでもある。確かにアナログフィルムの現像を取り扱っている写真屋さんは確実に減っており、ユーザーが店を選べない背景は現実に存在する。しかしながら今回依頼したSカメラ店は責任はないの一点張りだろう。オークションで集客を募っている業者には少なからず〝してやってる〟意識で運営しているところがある。写真屋家業をしてながら写真の〝重み〟を理解しようとしない店主にそれ以上はない。例え失敗しても撮影者の責任にされるのが関の山、そんな店にせっかく遠出までして撮影した貴重な画像を扱って欲しくはない。どんな理由があれど浮気をしたのは私自身である。今回のことを教訓に信頼できるお店に出すことを心掛けたいと改めて思った次第である。

一部後日談で脱線したが、改めてデータ化を依頼した〝カメラのT堂〟さんからモノが近日中に届くはずである。受け取ったら即座に写真を差し替えて臨場感を伝えたいと考えている。

長々となったがこれで〝ChapⅢ,30th 3days driving of visit to P.O. in SADO,without sightseeing.〟を終わることにする。さあまたハルに誘われて郵便局巡りにつきあうのだろうか?

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
家族旅行
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
レンタカー タクシー JALグループ JRローカル 自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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