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ChapⅡ,33rd 3days driving of visit to P.O. in SETO,without sightseeing.<br /><br />コロナ禍が一向に収まる気配を見せない。しかし一般人にとって、国がタクトを振るGoToトラベルの魅力は、非常事態宣言によって外出規制を余儀なくされた者達には、もう既にぶっちゃけ状態だと言っても過言ではない。唯一の例外だった東京発着の旅も対象となり、タガが外れた国民が期間限定先着順のGoToトラベルの恩恵を被ろうとすることに歯止めはかけられない状態にある。<br /><br />コロナ患者との最前線に立つ医療従事者方々には頭が下がる思いは常にあるが、自分自身が風邪なのか?インフルエンザなのか?コロナなのかを確定診断できる場所がない状態では、噂通りの〝対症療法〟をする以外に方法はない。<br /><br />私自身この1ヶ月間本当に体の調子が良いと思えない日々が続いている。微熱が出た→医者に行った→風邪という診断で風邪薬を処方して貰う。膝が痛くなった→まさかインフルエンザ?→膝に水が溜まっている→別の理由だったとまぁ病院通いが習慣になっている高齢者のようだが、結局理由は不明である。そうなれば開き直って〝罹患した時は自己責任〟と割り切った方が精神衛生的には良いと素人は考えてしまう。<br /><br />そんな中で得た5連休。あくまで自己責任だと言う考えを強く持ち旅先を考えた。患者数が増えている都市部はやはり怖い。となれば都市部を外して田舎に行こう、そう考えた。行先候補として組み上げていた〝2回分〟のコースである①小豆島と周辺離島②岡山県東部エリアを合わせた2泊4日のコースを組み上げ実行に移す。しかし大阪市を通るのはやはり怖いこともあり、日曜の仕事明けに出発後京滋バイパス・名神高速道路・阪神高速道路と無休憩で走行し、神戸三宮フェリーターミナルから小豆島坂手港へと向かうルートで移動する。初日は車を利用せず船で犬島・直島・豊島を回り土庄に宿泊する。なにかとトラブルはあったものの、取り敢えずは1日目の予定は無事にクリアし土庄町のホテル海盧に宿泊した。<br /><br />迎えた2日目は小豆島の二つの町土庄町と小豆島町の14局の郵便局を巡る予定だ。田舎ではあるため局間距離は離れているところもあるが、小豆島自体が一周するのに1時間で回れてしまう距離しかないため、かなり余裕がある行程となっている。慢心によって予定通り行かなくならなかったのか?そんな心配も少しは持ちながら2日目の朝を迎えたところから第二章が始まるのであった。<br /><br />令和2(2020)年10月27日火曜日<br />8:00.に食事を伝えていたため30分前に起きた。外は良い天気である。夜は眺望が利かないためにわからなかったが、窓の外は小豆島の海、そしてエンジェルロードが広がっていた。<br /><br />食事場所は昨晩と同じお食事処。定番のメニューはすこし少なめだが品の良いものであった。<br /><br />本日の予定は昨朝小豆島に上陸した坂手から始めることになっている。小豆島内の郵便局を巡り大部港から日生にフェリーで渡るには、場所的に一番走行距離が少ないためである。<br /><br />その移動時間を考えて出発する。荷物を持って下りてくる間にナビはハルがセットしていた。気持ち良くスタートを切れたと思ったのは束の間のことだった。ホテルから坂手に向かうには右折から始まる筈だが、ナビは左折をしろと言う。うる覚えのコースゆえにナビに従うが、行き着いた先はまさかの土庄港だった。更にフェリーに載せようとするのでナビの行き先を確認するとまさかの〝坂手郵便局〟ならぬ〝坂出郵便局〟だった。それだと高松港まで行かなければならない・・・。土庄港まで意味もなくやって来てナビを設定し直し再出発する、ふ~っ。<br /><br />のっけからコケたので近場から回ることにする。土庄郵便局から始めるが、ハル待ちの間に土渕海峡を見学する。家に帰ってから地図を確認し、初めて海峡だとわかる場所であった。<br /><br />訪問順序が変わり双子浦簡易・池田・大鐸(おおぬで)郵便局を巡り、セブンイレブン小豆島池田店に立ち寄って一息つく。撮影済みのフィルムも発送し先を急ぐ。三都・草壁郵便局を回って、また待ち時間を利用してピカピカネームの星城小学校を不審者にならぬように見学する。近隣中核局である内海・苗羽郵便局を巡ってやっと出発予定だった坂手郵便局に到着する。坂手はあの壺井栄の出身地として知られているが、若かりし頃の壺井栄は貧しかったこともあり、坂手村役場の他にここ坂手郵便局でも働いていたことがあったそうだ。歴史ある坂手郵便局には2つのポストがある。現役のポストの他に使われていない丸型ポスト。メモリアルでして残されていることが記載されていた。<br /><br />坂手郵便局ではひとつ物申したい一件があった。駐車場を遮るように停めた車一台。それもどうやら内部の人物のようだった。集荷に来た日本郵便のドライバーが親しげに話している。田舎だから許されるとでも思っているのかも知れないが、街中の郵便局で同じことをやれば一発局長行きのクレームになりかねないことである。言っちゃ悪いが接客業としてはあるまじきことである。<br /><br />まぁ文句を言っても次回来ることは多分ないので、ハルの出待ちをして出発する。途中坂手加茂明神社付近に〝壺井栄生誕の地〟の表示があり向かってみた。とても車では入れない狭く入り組んだ道の先に整った広場がその場所であった。壺井栄という人物は坂手集落が誇る偉人であることには違いない。その生誕地は地元の方々が協力して維持されている。壺井栄は明治32(1899)年の生まれなので120年前のこととなるため、どこまでが当時のものなのかは不明である。しかし手入れされた〝庭〟となっている場所は、人々の彼女に対する〝想い〟を形にしているように見えるものであった。現実論は抜きにしてホッとする場所であることに違いはない。<br /><br />壺井栄生誕地を後にし、坂手明神社社叢を訪れる。神社を囲む樹齢200年と云われる槇柏(しんばく)が集落近くに聳える姿は集落との密接な関係を醸し出していた。<br /><br />坂手を後にして土庄方向へと向かう。途中道の駅小豆島オリーブ公園を訪れる。小豆島にあるひとつの道の駅ではあるが、ここには海を背景にしたオリーブ色の〝ポスト〟があることでも知られている。〝幸せのオリーブ色のポスト〟としてSNSにもよくアップされているが、風景とマッチしていることがその理由であろう。また大規模な道の駅のように〝こじつけ〟で施設を増やしていないところもあるように思える。魔女の宅急便の〝キキ〟になれるほうきの貸し出し等は、時間があればやってみたいとマジで思ったりもした。若向けの嗜好は間違いなくあるが、若かりし頃に戻りたい初老年代にも切り込んでいる施設でもある。時間があれば色々体験してみたいと思ったが、今日のところは目的達成に勤しむことにして出発する。<br /><br />次に向かった先はハルがうちから持って来た通販チラシの発売元である〝井上誠耕園〟。しかし記載されている住所には本社の建物の表示しかない。通販会社が直売店を別に構えていることはよくあることなので、先にそれを調べるべきであるが、それをしないで本社に向かう。井上誠耕園直営のレストラン〝忠左衛門本店〟の場所でもあるが、こちらは現在休業中とGoogleマップでも記載されていた。違うだろう~と思いながら向かったがやっぱり違った。通販取扱の電話番号に電話するがどうも埒があかない。閉店している店の駐車場で2人してスマホ検索をしていると、従業員さんが戻って来られた。ハルをけしかけ聞いて来させる。丁寧に説明して頂いているようだが尋ねているものが理解していない様子。最終的にハルが直接私に説明してくれと頼んだのだろう。話を伺うと国道沿いにある〝レストラン忠左衛門〟の1階にあるmother&#39;sがそうだと教えられた。<br />昨晩予定を組んでいる際に〝お土産物屋〟としてチェックしたお店の名前だった。〝あ~わかりました〟と返事した後にいくつか目的地をナビに入れていたところ〝迷っているのか?〟と思われたようで、先導しましょうか?と言葉を頂いた。いやいやわかりましたので大丈夫ですと丁寧にお断りしてお礼を伝える。心配りに感謝であった。<br /><br />一応ナビにも設定し無事井上誠耕園mother&#39;sに到着する。道路沿いからはわからないが、建物下にある駐車場からはエレベーターが設置されており、スロープを含めて車椅子や足の悪い方でも利用できるようになっている。この手の店では珍しい。ここでは井上誠耕園オリジナルの商品が販売されており、小豆島煎餅等普通のお土産物屋で売られている物は殆どない。ただ目新しいものばかりなので〝ばら撒き〟には向かないが、ちょっとした方への土産にはうってつけである。ハルがお世話になっているご近所さんへのお土産をこちらで購入した。ただ大きな声では言えないが、軍資金は地域振興券であって私の懐は痛んでいない(笑)。<br /><br />という流れで最低限のお土産の購入を済ませ郵便局巡りの旅を再開する。再び土庄の街中に戻りオリーブの島郵便局郵便局へと到着する。ここで市街地は全て回り切ったことになる。後は南回り路線で四海・北浦郵便局を巡り、道の駅大阪城残石記念公園へと到着した。<br /><br />話は少し逸れるが大阪城を建立・改築した際に用いられた石垣の石は瀬戸内の島々で切り出されたものを海路で運び使用した。小豆島もその石を調達した場所のひとつであり、いくつかの採石場跡が残っている。<br /><br />ここ小豆島を担当したのは初代小倉藩主であった細川忠興であった。石垣に用いる巨石は余りにも大きいために必要数ぴったりを切り出せば済むというものではなかったことは周知の通りである。切り出しはされたものの諸々の理由によって大阪迄運搬されることなく港付近に放置されたものを〝残念石〟と呼ぶことは、大阪城にて残念石の由来を読んだ時に知った。そんなに多くの数はなかっただろうとたかを括っていたが、この界隈だけで約40個もの残念石があることを知りビックリした。後世になってその残念石を行くはずだった大阪城に持ち込むプロジェクトがあったようだがこれだけの数があれば全部運ぶことは到底不可能だということがわかる。それらを集めて残石公園として展示することは歴史上の史実を見せるという観点からも重要だと感じる。しかしものがもので数があるとすれば個人や小規模団体で行うことは不可能である。そういう背景から小豆島の石材会社の協賛を得て作り上げたと由来文には書かれていた。しかし協力した石材会社の〝協賛記念碑〟なるものが少なからず建立されていることにはちょっと幻滅した。会社名を名乗らなくとも協力を得て出来上がったこと位わかりそうなものだ。そういった〝宣伝〟が目についたことは残念以外なにものでもなかった。<br /><br />残り時間を計算すると食事位は取れそうなことがわかる。小豆島といえば〝素麺〟であるが、小さな規模の道の駅でも提供されていることを知る。ハルは温麺、私はぶっかけを注文。先客が1組いたので立て続けに3人前のオーダーが入ることとなるが、厨房を一人で切り盛りしているおばさんも、そのようなことはないと見え、手際の悪さが見えてしまう。若干シンが残っているのは残念だったが、地元料理も堪能できたことに満足する。<br /><br />適度にお腹も膨れたので出発するとする。大部郵便局は後ほど日生へのフェリーを利用する港がある場所でもあるが、残り一局あるために先を急ぐ。小豆島北端の福田郵便局を済ませて今日のミッション14局を終了させた。<br /><br />フェリーの時間まで1時間20分あるため、最後に小豆島一周をしようと考える。ナビの示す所要時間ならば余裕だったため、飛ばすことなく走って行く。朝に立ち寄った道の駅小豆島オリーブ公園を再訪し、ばら撒き用のお土産を購入した後オリーブ茶なるものを購入。おまけにハルがオリーブソフトクリームを食べたいと駄々をこねるので買い与える。昼間とは違う夕陽に照らされた小豆島海は、また違う印象を与えてくれた。<br /><br />15分程の滞在後大部港に向かうことにする。ここでナビの示す大部港到着がフェリー出発時刻に間に合わないと出ていることに気がついた。フェリーはもう一便あるので最悪振り替えることはできるのであるが、今宵の宿は2食付きの場合18:00チェックインが原則となっていた。当初の予定でも間に合わなかったのであったのだが、それは電話連絡で承認を得ていた。一応21:00.に食べ終われば良いとのことであったが、慌しくなることは間違いない。そんなことから飛ばし気味に走って行った。結果大部港到着は出航9分前。ハルに乗船券を購入に走らせ私は車で待機する。車付きでの乗船は僅かに5台。私達が乗船を終えると扉が閉められ出航スタンバイとなる。<br /><br />ギリギリの乗船であったがフェリーは無事定刻に出航する。日没前の大部港をゆっくりとひなせは進んで行く。次に小豆島を訪れるのはいつのことかと思いながら・・・。<br /><br />小さいフェリーではあるが船内を歩く。一応一等・二等船室とは書かれていたが、この区間に等級区分はない。たいした時間も掛からず船内一周をした後、二等船室と書かれていた椅子で爆睡していたのは何を隠そう私である。<br /><br />日生港着岸のアナウンスで目が覚めた。甲板に出ると日生の街明かりが目に入ってきた。18:05日生港着岸、僅か55分の船旅で本州へと戻って来た。フェリーひなせの勇姿をカメラに収めたいと思ったが、この暗さではシャッターが下りないどころかオートフォーカスすら作動しない。そのため諦めて車を走らせる。小豆島内でナビを設定すると高松経由のルートしか表示されないため、日生に到着してからセットした。今宵の宿でありは料理旅館つり幸までは1km強。ナビのセット後6分で到着する。ハンドルを握らず移動距離を稼げたのはここで終了する。最終日となる明日は、いつもの郵便局巡りの旅と同じ〝時間との戦い〟となる行程を走ることになる。<br /><br />元は〝活魚料理旅館つり幸〟という呼称であったが、現在はOYO傘下の旅館として〝OYO旅館つり幸〟と表記されている。大きめの旅館と書かれていることがあるが、周辺には民宿が多いため12部屋の旅館でもそう見えるのであろう。チェックイン後食事を19:00にして貰ったのは、他ならぬチェックイン時間の遅れによるものだ。2階の角部屋である205号室が今宵の寝床に決まり、部屋に荷物を運ぶ。すぐ食事になるのだが小腹が空いた時用に買ったお菓子をハルが食べている。この姿をまーさんに報告する。小言を言われたことは言うまでもない。<br /><br />一階の広間で食事を頂く。テーブルと椅子のスタイルは足の悪い方でも楽に利用できるものだ。風情はともかく現実論としては良いことだ。漁港でもある日生なので新鮮な魚介類がテープルに並ぶ。私自身煮魚は苦手なのだがメバルの煮魚が出てきた。ただ食べ易いようにされていたことと濃くなく薄くなくの味付けだったので、味わって食べることができた。<br /><br />美味しくお食事を頂いた後、宿の夜の景色をカメラに収める。夕食時に頂いた自家製のバナナは、岡山で取れるのかと疑問だったが、どうやらできるらしい。ただ夜はバナナの木は確認できなかった。しばらくすると日生港にフェリーが入港して来た。私達を大部港から運んで来たフェリーひなせであるが、大部港まで往復して来たようだ。働き者の船である。<br /><br />適当に切り上げて大浴場へと向かう。昼間だと日生の港が一望できる筈だが、夜は街灯りが見えるだけであった。しかし街灯かりも乙なもの。それはそれで趣きがあった。<br /><br />布団も敷かれていたので後は寝るだけ。机上の予定を見直しても良いのだが、なるようにしかならなかった2日間を思い出し、予定表を信じることにする。<br /><br />走行距離は大したことはなかったが、気疲れ度はMaxであった。と言う流れで時間は更けて行き日が変わる前に寝てしまったzzz。そして2泊4日の旅最終日を迎える。<br /><br />《次章に続く》

ChapⅡ,33rd 5days driving of visit to P.O. in SETO,without sightseeing.

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2020/10/27 - 2020/10/27

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2020/10/27

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ChapⅡ,33rd 3days driving of visit to P.O. in SETO,without sightseeing.

コロナ禍が一向に収まる気配を見せない。しかし一般人にとって、国がタクトを振るGoToトラベルの魅力は、非常事態宣言によって外出規制を余儀なくされた者達には、もう既にぶっちゃけ状態だと言っても過言ではない。唯一の例外だった東京発着の旅も対象となり、タガが外れた国民が期間限定先着順のGoToトラベルの恩恵を被ろうとすることに歯止めはかけられない状態にある。

コロナ患者との最前線に立つ医療従事者方々には頭が下がる思いは常にあるが、自分自身が風邪なのか?インフルエンザなのか?コロナなのかを確定診断できる場所がない状態では、噂通りの〝対症療法〟をする以外に方法はない。

私自身この1ヶ月間本当に体の調子が良いと思えない日々が続いている。微熱が出た→医者に行った→風邪という診断で風邪薬を処方して貰う。膝が痛くなった→まさかインフルエンザ?→膝に水が溜まっている→別の理由だったとまぁ病院通いが習慣になっている高齢者のようだが、結局理由は不明である。そうなれば開き直って〝罹患した時は自己責任〟と割り切った方が精神衛生的には良いと素人は考えてしまう。

そんな中で得た5連休。あくまで自己責任だと言う考えを強く持ち旅先を考えた。患者数が増えている都市部はやはり怖い。となれば都市部を外して田舎に行こう、そう考えた。行先候補として組み上げていた〝2回分〟のコースである①小豆島と周辺離島②岡山県東部エリアを合わせた2泊4日のコースを組み上げ実行に移す。しかし大阪市を通るのはやはり怖いこともあり、日曜の仕事明けに出発後京滋バイパス・名神高速道路・阪神高速道路と無休憩で走行し、神戸三宮フェリーターミナルから小豆島坂手港へと向かうルートで移動する。初日は車を利用せず船で犬島・直島・豊島を回り土庄に宿泊する。なにかとトラブルはあったものの、取り敢えずは1日目の予定は無事にクリアし土庄町のホテル海盧に宿泊した。

迎えた2日目は小豆島の二つの町土庄町と小豆島町の14局の郵便局を巡る予定だ。田舎ではあるため局間距離は離れているところもあるが、小豆島自体が一周するのに1時間で回れてしまう距離しかないため、かなり余裕がある行程となっている。慢心によって予定通り行かなくならなかったのか?そんな心配も少しは持ちながら2日目の朝を迎えたところから第二章が始まるのであった。

令和2(2020)年10月27日火曜日
8:00.に食事を伝えていたため30分前に起きた。外は良い天気である。夜は眺望が利かないためにわからなかったが、窓の外は小豆島の海、そしてエンジェルロードが広がっていた。

食事場所は昨晩と同じお食事処。定番のメニューはすこし少なめだが品の良いものであった。

本日の予定は昨朝小豆島に上陸した坂手から始めることになっている。小豆島内の郵便局を巡り大部港から日生にフェリーで渡るには、場所的に一番走行距離が少ないためである。

その移動時間を考えて出発する。荷物を持って下りてくる間にナビはハルがセットしていた。気持ち良くスタートを切れたと思ったのは束の間のことだった。ホテルから坂手に向かうには右折から始まる筈だが、ナビは左折をしろと言う。うる覚えのコースゆえにナビに従うが、行き着いた先はまさかの土庄港だった。更にフェリーに載せようとするのでナビの行き先を確認するとまさかの〝坂手郵便局〟ならぬ〝坂出郵便局〟だった。それだと高松港まで行かなければならない・・・。土庄港まで意味もなくやって来てナビを設定し直し再出発する、ふ~っ。

のっけからコケたので近場から回ることにする。土庄郵便局から始めるが、ハル待ちの間に土渕海峡を見学する。家に帰ってから地図を確認し、初めて海峡だとわかる場所であった。

訪問順序が変わり双子浦簡易・池田・大鐸(おおぬで)郵便局を巡り、セブンイレブン小豆島池田店に立ち寄って一息つく。撮影済みのフィルムも発送し先を急ぐ。三都・草壁郵便局を回って、また待ち時間を利用してピカピカネームの星城小学校を不審者にならぬように見学する。近隣中核局である内海・苗羽郵便局を巡ってやっと出発予定だった坂手郵便局に到着する。坂手はあの壺井栄の出身地として知られているが、若かりし頃の壺井栄は貧しかったこともあり、坂手村役場の他にここ坂手郵便局でも働いていたことがあったそうだ。歴史ある坂手郵便局には2つのポストがある。現役のポストの他に使われていない丸型ポスト。メモリアルでして残されていることが記載されていた。

坂手郵便局ではひとつ物申したい一件があった。駐車場を遮るように停めた車一台。それもどうやら内部の人物のようだった。集荷に来た日本郵便のドライバーが親しげに話している。田舎だから許されるとでも思っているのかも知れないが、街中の郵便局で同じことをやれば一発局長行きのクレームになりかねないことである。言っちゃ悪いが接客業としてはあるまじきことである。

まぁ文句を言っても次回来ることは多分ないので、ハルの出待ちをして出発する。途中坂手加茂明神社付近に〝壺井栄生誕の地〟の表示があり向かってみた。とても車では入れない狭く入り組んだ道の先に整った広場がその場所であった。壺井栄という人物は坂手集落が誇る偉人であることには違いない。その生誕地は地元の方々が協力して維持されている。壺井栄は明治32(1899)年の生まれなので120年前のこととなるため、どこまでが当時のものなのかは不明である。しかし手入れされた〝庭〟となっている場所は、人々の彼女に対する〝想い〟を形にしているように見えるものであった。現実論は抜きにしてホッとする場所であることに違いはない。

壺井栄生誕地を後にし、坂手明神社社叢を訪れる。神社を囲む樹齢200年と云われる槇柏(しんばく)が集落近くに聳える姿は集落との密接な関係を醸し出していた。

坂手を後にして土庄方向へと向かう。途中道の駅小豆島オリーブ公園を訪れる。小豆島にあるひとつの道の駅ではあるが、ここには海を背景にしたオリーブ色の〝ポスト〟があることでも知られている。〝幸せのオリーブ色のポスト〟としてSNSにもよくアップされているが、風景とマッチしていることがその理由であろう。また大規模な道の駅のように〝こじつけ〟で施設を増やしていないところもあるように思える。魔女の宅急便の〝キキ〟になれるほうきの貸し出し等は、時間があればやってみたいとマジで思ったりもした。若向けの嗜好は間違いなくあるが、若かりし頃に戻りたい初老年代にも切り込んでいる施設でもある。時間があれば色々体験してみたいと思ったが、今日のところは目的達成に勤しむことにして出発する。

次に向かった先はハルがうちから持って来た通販チラシの発売元である〝井上誠耕園〟。しかし記載されている住所には本社の建物の表示しかない。通販会社が直売店を別に構えていることはよくあることなので、先にそれを調べるべきであるが、それをしないで本社に向かう。井上誠耕園直営のレストラン〝忠左衛門本店〟の場所でもあるが、こちらは現在休業中とGoogleマップでも記載されていた。違うだろう~と思いながら向かったがやっぱり違った。通販取扱の電話番号に電話するがどうも埒があかない。閉店している店の駐車場で2人してスマホ検索をしていると、従業員さんが戻って来られた。ハルをけしかけ聞いて来させる。丁寧に説明して頂いているようだが尋ねているものが理解していない様子。最終的にハルが直接私に説明してくれと頼んだのだろう。話を伺うと国道沿いにある〝レストラン忠左衛門〟の1階にあるmother'sがそうだと教えられた。
昨晩予定を組んでいる際に〝お土産物屋〟としてチェックしたお店の名前だった。〝あ~わかりました〟と返事した後にいくつか目的地をナビに入れていたところ〝迷っているのか?〟と思われたようで、先導しましょうか?と言葉を頂いた。いやいやわかりましたので大丈夫ですと丁寧にお断りしてお礼を伝える。心配りに感謝であった。

一応ナビにも設定し無事井上誠耕園mother'sに到着する。道路沿いからはわからないが、建物下にある駐車場からはエレベーターが設置されており、スロープを含めて車椅子や足の悪い方でも利用できるようになっている。この手の店では珍しい。ここでは井上誠耕園オリジナルの商品が販売されており、小豆島煎餅等普通のお土産物屋で売られている物は殆どない。ただ目新しいものばかりなので〝ばら撒き〟には向かないが、ちょっとした方への土産にはうってつけである。ハルがお世話になっているご近所さんへのお土産をこちらで購入した。ただ大きな声では言えないが、軍資金は地域振興券であって私の懐は痛んでいない(笑)。

という流れで最低限のお土産の購入を済ませ郵便局巡りの旅を再開する。再び土庄の街中に戻りオリーブの島郵便局郵便局へと到着する。ここで市街地は全て回り切ったことになる。後は南回り路線で四海・北浦郵便局を巡り、道の駅大阪城残石記念公園へと到着した。

話は少し逸れるが大阪城を建立・改築した際に用いられた石垣の石は瀬戸内の島々で切り出されたものを海路で運び使用した。小豆島もその石を調達した場所のひとつであり、いくつかの採石場跡が残っている。

ここ小豆島を担当したのは初代小倉藩主であった細川忠興であった。石垣に用いる巨石は余りにも大きいために必要数ぴったりを切り出せば済むというものではなかったことは周知の通りである。切り出しはされたものの諸々の理由によって大阪迄運搬されることなく港付近に放置されたものを〝残念石〟と呼ぶことは、大阪城にて残念石の由来を読んだ時に知った。そんなに多くの数はなかっただろうとたかを括っていたが、この界隈だけで約40個もの残念石があることを知りビックリした。後世になってその残念石を行くはずだった大阪城に持ち込むプロジェクトがあったようだがこれだけの数があれば全部運ぶことは到底不可能だということがわかる。それらを集めて残石公園として展示することは歴史上の史実を見せるという観点からも重要だと感じる。しかしものがもので数があるとすれば個人や小規模団体で行うことは不可能である。そういう背景から小豆島の石材会社の協賛を得て作り上げたと由来文には書かれていた。しかし協力した石材会社の〝協賛記念碑〟なるものが少なからず建立されていることにはちょっと幻滅した。会社名を名乗らなくとも協力を得て出来上がったこと位わかりそうなものだ。そういった〝宣伝〟が目についたことは残念以外なにものでもなかった。

残り時間を計算すると食事位は取れそうなことがわかる。小豆島といえば〝素麺〟であるが、小さな規模の道の駅でも提供されていることを知る。ハルは温麺、私はぶっかけを注文。先客が1組いたので立て続けに3人前のオーダーが入ることとなるが、厨房を一人で切り盛りしているおばさんも、そのようなことはないと見え、手際の悪さが見えてしまう。若干シンが残っているのは残念だったが、地元料理も堪能できたことに満足する。

適度にお腹も膨れたので出発するとする。大部郵便局は後ほど日生へのフェリーを利用する港がある場所でもあるが、残り一局あるために先を急ぐ。小豆島北端の福田郵便局を済ませて今日のミッション14局を終了させた。

フェリーの時間まで1時間20分あるため、最後に小豆島一周をしようと考える。ナビの示す所要時間ならば余裕だったため、飛ばすことなく走って行く。朝に立ち寄った道の駅小豆島オリーブ公園を再訪し、ばら撒き用のお土産を購入した後オリーブ茶なるものを購入。おまけにハルがオリーブソフトクリームを食べたいと駄々をこねるので買い与える。昼間とは違う夕陽に照らされた小豆島海は、また違う印象を与えてくれた。

15分程の滞在後大部港に向かうことにする。ここでナビの示す大部港到着がフェリー出発時刻に間に合わないと出ていることに気がついた。フェリーはもう一便あるので最悪振り替えることはできるのであるが、今宵の宿は2食付きの場合18:00チェックインが原則となっていた。当初の予定でも間に合わなかったのであったのだが、それは電話連絡で承認を得ていた。一応21:00.に食べ終われば良いとのことであったが、慌しくなることは間違いない。そんなことから飛ばし気味に走って行った。結果大部港到着は出航9分前。ハルに乗船券を購入に走らせ私は車で待機する。車付きでの乗船は僅かに5台。私達が乗船を終えると扉が閉められ出航スタンバイとなる。

ギリギリの乗船であったがフェリーは無事定刻に出航する。日没前の大部港をゆっくりとひなせは進んで行く。次に小豆島を訪れるのはいつのことかと思いながら・・・。

小さいフェリーではあるが船内を歩く。一応一等・二等船室とは書かれていたが、この区間に等級区分はない。たいした時間も掛からず船内一周をした後、二等船室と書かれていた椅子で爆睡していたのは何を隠そう私である。

日生港着岸のアナウンスで目が覚めた。甲板に出ると日生の街明かりが目に入ってきた。18:05日生港着岸、僅か55分の船旅で本州へと戻って来た。フェリーひなせの勇姿をカメラに収めたいと思ったが、この暗さではシャッターが下りないどころかオートフォーカスすら作動しない。そのため諦めて車を走らせる。小豆島内でナビを設定すると高松経由のルートしか表示されないため、日生に到着してからセットした。今宵の宿でありは料理旅館つり幸までは1km強。ナビのセット後6分で到着する。ハンドルを握らず移動距離を稼げたのはここで終了する。最終日となる明日は、いつもの郵便局巡りの旅と同じ〝時間との戦い〟となる行程を走ることになる。

元は〝活魚料理旅館つり幸〟という呼称であったが、現在はOYO傘下の旅館として〝OYO旅館つり幸〟と表記されている。大きめの旅館と書かれていることがあるが、周辺には民宿が多いため12部屋の旅館でもそう見えるのであろう。チェックイン後食事を19:00にして貰ったのは、他ならぬチェックイン時間の遅れによるものだ。2階の角部屋である205号室が今宵の寝床に決まり、部屋に荷物を運ぶ。すぐ食事になるのだが小腹が空いた時用に買ったお菓子をハルが食べている。この姿をまーさんに報告する。小言を言われたことは言うまでもない。

一階の広間で食事を頂く。テーブルと椅子のスタイルは足の悪い方でも楽に利用できるものだ。風情はともかく現実論としては良いことだ。漁港でもある日生なので新鮮な魚介類がテープルに並ぶ。私自身煮魚は苦手なのだがメバルの煮魚が出てきた。ただ食べ易いようにされていたことと濃くなく薄くなくの味付けだったので、味わって食べることができた。

美味しくお食事を頂いた後、宿の夜の景色をカメラに収める。夕食時に頂いた自家製のバナナは、岡山で取れるのかと疑問だったが、どうやらできるらしい。ただ夜はバナナの木は確認できなかった。しばらくすると日生港にフェリーが入港して来た。私達を大部港から運んで来たフェリーひなせであるが、大部港まで往復して来たようだ。働き者の船である。

適当に切り上げて大浴場へと向かう。昼間だと日生の港が一望できる筈だが、夜は街灯りが見えるだけであった。しかし街灯かりも乙なもの。それはそれで趣きがあった。

布団も敷かれていたので後は寝るだけ。机上の予定を見直しても良いのだが、なるようにしかならなかった2日間を思い出し、予定表を信じることにする。

走行距離は大したことはなかったが、気疲れ度はMaxであった。と言う流れで時間は更けて行き日が変わる前に寝てしまったzzz。そして2泊4日の旅最終日を迎える。

《次章に続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
家族旅行
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
27いいね!

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