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ChapⅡ,32nd 2days driving of visit to P.O. in KAGA,without sightseeing.<br /><br />コロナ禍の影響で例年にない外出自粛要請が出された。そんな令和2(2020)年に於いて〝罹患者が出た〟と言われたのは2月の半ばのことだったと記憶している。クルーズ船の乗客であれば、一般人には無関係だと思われていた時期に於いて私達も例に漏れず期限を迎えるマイル消化の意味を込めて第31回目の郵便局巡りの旅として〝佐渡島〟を目的地として選び行ってきた。その後の展開は言うまでもない。<br /><br />そんな中6月19日には県境を越える移動を解禁する旨のお達しが出る。しかし毎年恒例となっていた沖縄行きには準備も含めて不可能であることは明白であった。諦める勇気も必要と割り切って、今年の6月の訪沖は中止した。だが6月23日を挟む4連休はどうしても崩したくはない。もう意地になっている私がいた。とは言え4日間家に籠っていればいつもと変わらない。それでは全てがダメになってしまう。しかし目的なしの放浪旅にも準備が間に合わない。であれば目的を作っている者をよいしょするしかない。我が家でいえばハルである。<br /><br />という思惑からハルに声を掛ける。やはりビビりのハル故に〝どこへ?〟という問いかけがなされる。候補地は岡山・香川・愛知・石川の四つに限定されるのだが、〝どこでも良い〟と切り返すと先に進まない。岡山・香川はメインの目的地ではないが大阪・兵庫を通ることになる。愛知は名古屋市の一部が目的地となっている。消去法で言えば石川だが、ここでその理由をもっともらしく述べる。通過する福井と目的地の石川とも罹患率は低いやろと。単純にものを考える者には単純且つもっともらしい答えを述べるまでだ。予想通りの反応で、即座に目的地が石川県に決定し、加えて前回回りきれなかったあわら市の1局を含め石川県南部の局回りが今回のコースとなった。<br /><br />1日予備日があったので予定はしっかりと組むことができた。上手く行けば2日間で40局という記録が出るかも知れない。そんな思いを持って出発したが、現地でまさかの現実を突きつけられた。県下全ての郵便局に於いてコロナ対策のために時短営業中とのこと。つまり貯金窓口は10:00~16:00となっていた。<br /><br />そのことを最初に気付いたのは17:00迄営業している筈のイオンモール新小松内郵便局であった。来てから知った以上仕方がない。営業時間内に効率良く回れるように旅先で訪問局の順番を組み替える羽目になった。今回お世話になった小松グリーンホテルは共有パソコンがあり効率的に行程変更をすることができた。後は実行あるのみである。<br /><br />温泉大浴場に浸かって疲れを取り、二日目の朝を迎えた。予定は未定ではあるがどのようなものになったのか?6月23日の起床から全てが始まることとなる。<br /><br />【令和2(2020)年6月23日火曜日-前半】<br />程々の時間に起床する。開局時間が10:00なのでのんびりとした朝だ。先ずは朝食を頂くために陣笠へと向かう。昨晩ば業務宿泊が多いと感じたが私達と同じ時間に食事では現場仕事ではないだろう。<br /><br />がっつりバイキングの形式であったが、ちゃんとコロナ対策はされていた。おかずは大量を出しっぱなしにするのではなく、なくなれば補充するシステムが取られていた。スタッフさんの手間は倍増するだろうが、安いだけのホテルではないことをここで記録しておこう。<br /><br />感染防止のために長居はしないようにと書かれているため食事後一息ついて部屋へと戻る。一服してから陣笠の前を通ると既にクローズしていた。どうやら私達が最後のお客だったようだ。<br /><br />部屋に戻り使うもの・使わないものを区分けして荷造りをする。私はカメラと予備のフィルム、そして組み替えたコース一覧だけを手元に残して置く。<br /><br />荷物を積み込んで出発する。今日は良い天気だ。車に乗っているだけでも日焼けするレベルだと思う。9:18ホテルを出発。目指すは本日1局目に繰り上がった安宅郵便局である。2kmに満たない距離しかないので開局時間までまだ間がある。そのため先ずは観光地へと向かうことにした。<br /><br />安宅住吉神社、境内に安宅の関跡がある神社として知られている場所である。ただ元々神社境内にあった訳ではない。江戸時代に神社が遷座されたことによりそのようになったのが史実である。安宅の関といえば鎌倉時代初期の〝義経伝説〟のひとつ武蔵坊弁慶が偽の勧進帳を読み上げ、杖で主君義経を叩いた姿に感銘を受けた関守富樫泰家が敢えて〝目をつぶり〟、通過させたという〝勧進帳〟の舞台でもある。勿論今では判官贔屓の伝承のひとつと言われており、後世の創作説だろうと思うのであるが、それでも信じたいと私は思うのである。都落ちした義経一行は藤原秀衡を頼って平泉へと落ち延びたが、秀衡の死後頼朝の脅しに屈した泰衡に攻められ、衣川館にて自害した。泰衡の〝人間〟としての器だったとは言え、結局頼朝に攻め込まれ奥州藤原氏の滅亡に導いた輩でもある。衣川館跡を訪れた際に感じたことだが、猫の額程の広さしかない場所で、主君義経の窮地脱出を願い、時間稼ぎのために生きて盾となった武蔵坊弁慶。鬼のような顔をしたまま息絶えた所謂〝弁慶の立往生〟に対し、泰衡軍は近付きもできなかったと言われている。命がけで主君を守ろうとした弁慶であるが願いは叶わなかった。安宅の関通過を認めた富樫泰家は頼朝の怒りを買い隠居を余儀なくされる。出家した泰家はその後一族を率いて平泉へと向かい義経との再会を果たしている。しかし義経の死後は平泉に留まる理由もなくなり、本拠地である野々市に戻り生涯を終えている。創作が入っていても、人間味のぶつかり合う話は信じたいのが本音である。それが私の安宅の関再訪にあたる気持ちであった。<br /><br />話を安宅住吉神社に戻そう。南参道駐車場に置かれているさざれ石。元々は〝小さな石〟という意味であるが、現在ではその小さな石の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることにより、大きな岩の塊に変化した石灰質角礫岩のことを指すようになっている。これを君が代の歌詞である〝巌〟だとしてイコールさざれ石としていることもあるようだ。ただこれは戦前生まれの者が言うことだとする定説があり、私にはなんのことかすらわからない。<br /><br />そして駐車場を後にして境内へと向かう。歴史ある神社故に俳人達の句碑もあるようだ。手水舎隣には勧進帳わ読む武蔵坊弁慶の像がある。圧迫感すら受ける銅像はさすが弁慶だと思う。社務所前には巫女さんがおり、凸凹二人連れをわざわざ迎えてくれる。先に進んでいたハルに話しかけていることを聞いていたのでわかってはいたが、ここ安宅住吉神社名物の巫女さんによる神社と安宅の関物語の説明は有名なものであるらしい。<br /><br />若いが品のあるお嬢様という雰囲気の巫女さんのお話は引き込まれるものがあった。伊達に歳を取っているだけでは到底不可能な話術と内容に喋りで有名な私も舌を巻く。今回は時間の都合で話だけをお聞きした。次回はじっくり時間を取って、社殿に上がって話を伺いたいと思う。その頃にはご結婚されていて代替わりをしているとは思うが・・・。<br /><br />社殿の裏側に安宅の関跡がある。安宅の関・安宅駅等呼称は複数あるようだが、嘘か真かはともかく安宅の関跡で良いと私は思う。その奥には関之宮という義経と富樫泰家を祀る社がある。摂社末社と言ったところだが、最近の建立ながら違和感がないのが2人の不思議な人間関係を表しているように思えた。そのまま海側へと進むと有名な〝智仁勇〟の像がある。義経・弁慶・富樫の3人が勧進帳を読み上げているシーンの再現をしている。数十年前に訪れた時には義経像はなかったと記されていたが記憶にはない。確かに勧進帳の遣り取りは富樫と弁慶のことではあるが意外であった。<br /><br />安宅の関と刻まれた石碑を通り過ぎると、関所跡らしい建物が構築されていた。ただ住吉神社側から行くと関所跡から出て行く形になるため〝関所破り〟をしたように見えてしまう。人の捉え方は様々で令和の時代の関所破りに笑ってしまった私であった。<br /><br />白砂の浜が広がる安宅海岸に勧進帳物語館という資料館が設けられていた。安宅の関人気に便乗した感がある建物だが、まだ開館していない様子であった。観光のためにガチで訪れた者ならばいざ知らず、空き時間を利用して訪れた私達にはあまり興味を持たせないものに見えた。そのため神社を回り込むようにして駐車場へと一旦戻り、ひとりで境内社である稲荷社や神亀石をカメラに収めて車へと戻って来た。30分程の短い時間ではあるが、郵便局巡りの旅では珍しい〝観光〟から始まった今日一日であった。<br /><br />車に戻り現実に戻る。わずかな距離だから面する道路の狭い安宅郵便局で開店待ちをする。標準ズームを使っていたため、局舎の写真を撮るのに手間取っていると、先に車に戻ったハルにクラクションを鳴らされる。だだっ広い場所ならばともかく車道に車を停めた者もいる場所でやることではない。恥ずかしいといったらありゃしない。<br /><br />かと言ってペースを変える私ではない。目的を遂行してから運転席に戻る。この辺りは市街地の局同士を繋いでいるに過ぎないために所要時間も大したことはない。小松浮柳・小松今江・小松八幡町の各局を回った後因縁のイオンモール新小松内郵便局へと向かう。モール内の場所はわかってはいるが、その他のこともするために少々時間はかかってしまう。とにかく一番時間を要する場所をクリアし、小松打越局を経て小松局に到着する。普通局であるために利用客も多く予定所要時間をオーバーする。そして小松市の陸の玄関口である小松駅近くの小松駅前局を訪問する。何やら歴史ある右から左に書かれた局名標があり、規模だけ大きい小松局よりも重みを感じる場所であった。そして小松大文字・小松京町・小松大川局と順調に実績を積み上げた後、ローソン小松天神町店に11:55に到着する。場所はともかくこの時期に車を停めていることは、予定を組む段階で決めていたことだった。<br /><br />平成27(2015)年以降4年連続で今日6月23日を沖縄で迎えていた。所謂沖縄慰霊の日である。諸事情で今年は沖縄行きが叶わなかった。しかし正午の黙祷は忘れる訳にはいかない。そんな理由から1分間の黙祷を捧げるべく車を停めたのである。敢えてNHKラジオを流したのは、追悼式の模様はリアルタイムで全国放送されていると思ったからである。しかし見事に期待は裏切られた。関連のニュースは読み上げられただけ。全国的だと思っていたのは私だけだったようだ。とにかく正午の時報から1分間の黙祷を捧げ、ひと息ついて出発した。<br /><br />ここから暫く局間距離が開いてしまう。一筆書き順路に加えて立ち寄る局数を増やすためだ。小松白江町・国府・小松長田局で小松市はコンプリートできた。次局へ向かう途中明峰駅という名の無人駅を通過するが、丁度金沢行き普通列車の521系車両が出発する時に遭遇した。駅付近の線路柵は、道路からの高さがあるためカメラには収め辛い。なんとか写真を撮ることができたので、記録として保存しておいた。この521系は〝顔〟は225系の交直両用車両である。一昔前には電車寝台車であった583系改造の食パン列車419系等〝中古改造車〟が普通に走っていたことを考えると〝味気ない…〟と思うのは私だけであろうか。<br /><br />鉄道談話はこれ位にして次局を目指すことにする。能美市に入り根上道林局に到着する。能美(のみ)市は旧根上・寺井・辰口町が合併してできた市であるが、ここ根上(ねあがり)はあの〝ゴジラ松井〟の出身地でもある。その他九谷焼の絵付けでも知られているがハッキリ言って田舎であった(笑)。ただ松井秀喜に関しては〝知らない者がいない〟程有名である。松井秀喜ベースボールミュージアムがあるのもわかる。だがハルは阪神ファンであるから行こうとも言わない(爆)。そんな空想をしながらハルを待って出発、根上大浜局に向かう。そして能美根上駅へと向かう真っ直ぐな通りの駅前付近石川県道119号寺井停車場線を通り、真新しい駅舎に到着する。この石川県道119号線は市内大成町の区間130mの短い路線であるが、別称として〝ホームラン通り〟と名付けられている。商店街を通る道に名付けられているのがローカルな感じがして面白い。<br /><br />能美根上駅は旧寺井駅が改称したものである。JR西日本に嘆願があったことが改称に繋がった結果であるが、駅の所在は旧根上町であって旧寺井町の中心部とは離れている。それに新制能美市を掛け合わせた駅名となっている。橋上駅舎の能美根上駅はみどりの窓口もある駅ではあるが、小松駅管轄の業務委託駅である。交通系電子マネーの入札記録は利用できるが、自動改札機は導入されていないため入場印字機の利用のみとなっている。近隣駅との利用客数比較は多いものの、ほとんどが学生利用とみられ昼間の駅前は閑散としていた。そんな駅前で一息入れて出発しようとしているときに再び電車入線のアナウンスが聞こえてきた。写真を見ればわかることだが、列車を真っ直ぐにしようとすると周りの景色は傾いている。つまり列車が傾いているのである。カーブの途中に設けられた駅故の景色であるが、スピードを要求しない区間では珍しいもののようにも思える。<br /><br />列車の出発を見送って出発する。根上局は駅を挟んで東側にある。比較的大きな普通局ではあるが集配担当は小松局になっている。それ内の時間を要するのは大きな局では仕方がないところ。ハルの出待ちをしてそそくさと出発する。次局の寺井局も旧集配局。見た目は特定局化しているが、ATMホリデーサービス実施店が過去の栄光を物語っているようだ。そして旧寺井町の佐野局、旧辰口町に入り和気簡易・辰口緑が丘・辰口局と立ち寄って行く。辰口局は今でも旧町内の集配を受け持っている集配普通局となっているようだ。宮竹郵便局で旧辰口町の局は終了となり、旧寺井町に位置する粟生局で能美市局をコンプリートした。<br /><br />手取川を渡る前に立ち寄ったのは美川湊町局。ここは旧美川町であり現白山市である。石川県最大の広さを持つ白山市。広過ぎて郵便局巡りのコースを組むには難敵である。次いで美川局に至るが、局前の郵便局には集配局が松任郵便局と書かれていた。思えば遠くへと来たものだと改めて思う。次に訪れる水島局は局敷地内に一里山跡の石碑が建立されている。どうやら付近に北陸街道の水島宿があったようだ。そして山島簡易局に到達するが、ここに来て通帳の切り替えタイミングだとハルが宣う。確か簡易局だと通帳から一旦お金を下すのにキャッシュカードが必要だったと思うのであるが、通帳しかなければどうなるのであろう…。と考えても仕方がないので用事が済むのを待つしかない。やはりそれなりの時間がかかってしまいタイムロスをした。舘畑郵便局は旧鶴来町の局。郵政大臣の臨局記念樹と刻まれた碑が残っているのは土地柄であろう。日御子郵便局で時間切れタイムアップとなる。今回の郵便局巡りの〝局リスト〟作成に於いて、ハルは白山市まで予定していなかったため、リストアップしていなかった。そのため白山市内の局は私がリストアップしたgooglemapのデーターだけであった。もう一つ加えれば能美郡は全て能美市になったと勘違いをしていたために、未だ能美郡であった川北町にある川北郵便局の存在に気付かなかったこと。アナログデータ収取の限界を感じた一瞬であった…。<br /><br />とにもかくにも2日間で61局の実績はなかなかのものだ。勝手に自分を褒めておこう。<br /><br />時間の柵から解かれたので先ずはひと息つくことにする。シメノドラッグ鶴来店はマツキヨグループのドラッグストアのようだ。そこで飲み物を購入して一服。ケータイ灰皿が離せなくなってきた今日この頃を恨めしく思う私であった…。<br /><br />  《第三章へと続く》

ChapⅡ,32nd 2days driving of visit to P.O. in KAGA,without sightseeing.

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2020/06/23 - 2020/06/23

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2020/06/23

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ChapⅡ,32nd 2days driving of visit to P.O. in KAGA,without sightseeing.

コロナ禍の影響で例年にない外出自粛要請が出された。そんな令和2(2020)年に於いて〝罹患者が出た〟と言われたのは2月の半ばのことだったと記憶している。クルーズ船の乗客であれば、一般人には無関係だと思われていた時期に於いて私達も例に漏れず期限を迎えるマイル消化の意味を込めて第31回目の郵便局巡りの旅として〝佐渡島〟を目的地として選び行ってきた。その後の展開は言うまでもない。

そんな中6月19日には県境を越える移動を解禁する旨のお達しが出る。しかし毎年恒例となっていた沖縄行きには準備も含めて不可能であることは明白であった。諦める勇気も必要と割り切って、今年の6月の訪沖は中止した。だが6月23日を挟む4連休はどうしても崩したくはない。もう意地になっている私がいた。とは言え4日間家に籠っていればいつもと変わらない。それでは全てがダメになってしまう。しかし目的なしの放浪旅にも準備が間に合わない。であれば目的を作っている者をよいしょするしかない。我が家でいえばハルである。

という思惑からハルに声を掛ける。やはりビビりのハル故に〝どこへ?〟という問いかけがなされる。候補地は岡山・香川・愛知・石川の四つに限定されるのだが、〝どこでも良い〟と切り返すと先に進まない。岡山・香川はメインの目的地ではないが大阪・兵庫を通ることになる。愛知は名古屋市の一部が目的地となっている。消去法で言えば石川だが、ここでその理由をもっともらしく述べる。通過する福井と目的地の石川とも罹患率は低いやろと。単純にものを考える者には単純且つもっともらしい答えを述べるまでだ。予想通りの反応で、即座に目的地が石川県に決定し、加えて前回回りきれなかったあわら市の1局を含め石川県南部の局回りが今回のコースとなった。

1日予備日があったので予定はしっかりと組むことができた。上手く行けば2日間で40局という記録が出るかも知れない。そんな思いを持って出発したが、現地でまさかの現実を突きつけられた。県下全ての郵便局に於いてコロナ対策のために時短営業中とのこと。つまり貯金窓口は10:00~16:00となっていた。

そのことを最初に気付いたのは17:00迄営業している筈のイオンモール新小松内郵便局であった。来てから知った以上仕方がない。営業時間内に効率良く回れるように旅先で訪問局の順番を組み替える羽目になった。今回お世話になった小松グリーンホテルは共有パソコンがあり効率的に行程変更をすることができた。後は実行あるのみである。

温泉大浴場に浸かって疲れを取り、二日目の朝を迎えた。予定は未定ではあるがどのようなものになったのか?6月23日の起床から全てが始まることとなる。

【令和2(2020)年6月23日火曜日-前半】
程々の時間に起床する。開局時間が10:00なのでのんびりとした朝だ。先ずは朝食を頂くために陣笠へと向かう。昨晩ば業務宿泊が多いと感じたが私達と同じ時間に食事では現場仕事ではないだろう。

がっつりバイキングの形式であったが、ちゃんとコロナ対策はされていた。おかずは大量を出しっぱなしにするのではなく、なくなれば補充するシステムが取られていた。スタッフさんの手間は倍増するだろうが、安いだけのホテルではないことをここで記録しておこう。

感染防止のために長居はしないようにと書かれているため食事後一息ついて部屋へと戻る。一服してから陣笠の前を通ると既にクローズしていた。どうやら私達が最後のお客だったようだ。

部屋に戻り使うもの・使わないものを区分けして荷造りをする。私はカメラと予備のフィルム、そして組み替えたコース一覧だけを手元に残して置く。

荷物を積み込んで出発する。今日は良い天気だ。車に乗っているだけでも日焼けするレベルだと思う。9:18ホテルを出発。目指すは本日1局目に繰り上がった安宅郵便局である。2kmに満たない距離しかないので開局時間までまだ間がある。そのため先ずは観光地へと向かうことにした。

安宅住吉神社、境内に安宅の関跡がある神社として知られている場所である。ただ元々神社境内にあった訳ではない。江戸時代に神社が遷座されたことによりそのようになったのが史実である。安宅の関といえば鎌倉時代初期の〝義経伝説〟のひとつ武蔵坊弁慶が偽の勧進帳を読み上げ、杖で主君義経を叩いた姿に感銘を受けた関守富樫泰家が敢えて〝目をつぶり〟、通過させたという〝勧進帳〟の舞台でもある。勿論今では判官贔屓の伝承のひとつと言われており、後世の創作説だろうと思うのであるが、それでも信じたいと私は思うのである。都落ちした義経一行は藤原秀衡を頼って平泉へと落ち延びたが、秀衡の死後頼朝の脅しに屈した泰衡に攻められ、衣川館にて自害した。泰衡の〝人間〟としての器だったとは言え、結局頼朝に攻め込まれ奥州藤原氏の滅亡に導いた輩でもある。衣川館跡を訪れた際に感じたことだが、猫の額程の広さしかない場所で、主君義経の窮地脱出を願い、時間稼ぎのために生きて盾となった武蔵坊弁慶。鬼のような顔をしたまま息絶えた所謂〝弁慶の立往生〟に対し、泰衡軍は近付きもできなかったと言われている。命がけで主君を守ろうとした弁慶であるが願いは叶わなかった。安宅の関通過を認めた富樫泰家は頼朝の怒りを買い隠居を余儀なくされる。出家した泰家はその後一族を率いて平泉へと向かい義経との再会を果たしている。しかし義経の死後は平泉に留まる理由もなくなり、本拠地である野々市に戻り生涯を終えている。創作が入っていても、人間味のぶつかり合う話は信じたいのが本音である。それが私の安宅の関再訪にあたる気持ちであった。

話を安宅住吉神社に戻そう。南参道駐車場に置かれているさざれ石。元々は〝小さな石〟という意味であるが、現在ではその小さな石の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることにより、大きな岩の塊に変化した石灰質角礫岩のことを指すようになっている。これを君が代の歌詞である〝巌〟だとしてイコールさざれ石としていることもあるようだ。ただこれは戦前生まれの者が言うことだとする定説があり、私にはなんのことかすらわからない。

そして駐車場を後にして境内へと向かう。歴史ある神社故に俳人達の句碑もあるようだ。手水舎隣には勧進帳わ読む武蔵坊弁慶の像がある。圧迫感すら受ける銅像はさすが弁慶だと思う。社務所前には巫女さんがおり、凸凹二人連れをわざわざ迎えてくれる。先に進んでいたハルに話しかけていることを聞いていたのでわかってはいたが、ここ安宅住吉神社名物の巫女さんによる神社と安宅の関物語の説明は有名なものであるらしい。

若いが品のあるお嬢様という雰囲気の巫女さんのお話は引き込まれるものがあった。伊達に歳を取っているだけでは到底不可能な話術と内容に喋りで有名な私も舌を巻く。今回は時間の都合で話だけをお聞きした。次回はじっくり時間を取って、社殿に上がって話を伺いたいと思う。その頃にはご結婚されていて代替わりをしているとは思うが・・・。

社殿の裏側に安宅の関跡がある。安宅の関・安宅駅等呼称は複数あるようだが、嘘か真かはともかく安宅の関跡で良いと私は思う。その奥には関之宮という義経と富樫泰家を祀る社がある。摂社末社と言ったところだが、最近の建立ながら違和感がないのが2人の不思議な人間関係を表しているように思えた。そのまま海側へと進むと有名な〝智仁勇〟の像がある。義経・弁慶・富樫の3人が勧進帳を読み上げているシーンの再現をしている。数十年前に訪れた時には義経像はなかったと記されていたが記憶にはない。確かに勧進帳の遣り取りは富樫と弁慶のことではあるが意外であった。

安宅の関と刻まれた石碑を通り過ぎると、関所跡らしい建物が構築されていた。ただ住吉神社側から行くと関所跡から出て行く形になるため〝関所破り〟をしたように見えてしまう。人の捉え方は様々で令和の時代の関所破りに笑ってしまった私であった。

白砂の浜が広がる安宅海岸に勧進帳物語館という資料館が設けられていた。安宅の関人気に便乗した感がある建物だが、まだ開館していない様子であった。観光のためにガチで訪れた者ならばいざ知らず、空き時間を利用して訪れた私達にはあまり興味を持たせないものに見えた。そのため神社を回り込むようにして駐車場へと一旦戻り、ひとりで境内社である稲荷社や神亀石をカメラに収めて車へと戻って来た。30分程の短い時間ではあるが、郵便局巡りの旅では珍しい〝観光〟から始まった今日一日であった。

車に戻り現実に戻る。わずかな距離だから面する道路の狭い安宅郵便局で開店待ちをする。標準ズームを使っていたため、局舎の写真を撮るのに手間取っていると、先に車に戻ったハルにクラクションを鳴らされる。だだっ広い場所ならばともかく車道に車を停めた者もいる場所でやることではない。恥ずかしいといったらありゃしない。

かと言ってペースを変える私ではない。目的を遂行してから運転席に戻る。この辺りは市街地の局同士を繋いでいるに過ぎないために所要時間も大したことはない。小松浮柳・小松今江・小松八幡町の各局を回った後因縁のイオンモール新小松内郵便局へと向かう。モール内の場所はわかってはいるが、その他のこともするために少々時間はかかってしまう。とにかく一番時間を要する場所をクリアし、小松打越局を経て小松局に到着する。普通局であるために利用客も多く予定所要時間をオーバーする。そして小松市の陸の玄関口である小松駅近くの小松駅前局を訪問する。何やら歴史ある右から左に書かれた局名標があり、規模だけ大きい小松局よりも重みを感じる場所であった。そして小松大文字・小松京町・小松大川局と順調に実績を積み上げた後、ローソン小松天神町店に11:55に到着する。場所はともかくこの時期に車を停めていることは、予定を組む段階で決めていたことだった。

平成27(2015)年以降4年連続で今日6月23日を沖縄で迎えていた。所謂沖縄慰霊の日である。諸事情で今年は沖縄行きが叶わなかった。しかし正午の黙祷は忘れる訳にはいかない。そんな理由から1分間の黙祷を捧げるべく車を停めたのである。敢えてNHKラジオを流したのは、追悼式の模様はリアルタイムで全国放送されていると思ったからである。しかし見事に期待は裏切られた。関連のニュースは読み上げられただけ。全国的だと思っていたのは私だけだったようだ。とにかく正午の時報から1分間の黙祷を捧げ、ひと息ついて出発した。

ここから暫く局間距離が開いてしまう。一筆書き順路に加えて立ち寄る局数を増やすためだ。小松白江町・国府・小松長田局で小松市はコンプリートできた。次局へ向かう途中明峰駅という名の無人駅を通過するが、丁度金沢行き普通列車の521系車両が出発する時に遭遇した。駅付近の線路柵は、道路からの高さがあるためカメラには収め辛い。なんとか写真を撮ることができたので、記録として保存しておいた。この521系は〝顔〟は225系の交直両用車両である。一昔前には電車寝台車であった583系改造の食パン列車419系等〝中古改造車〟が普通に走っていたことを考えると〝味気ない…〟と思うのは私だけであろうか。

鉄道談話はこれ位にして次局を目指すことにする。能美市に入り根上道林局に到着する。能美(のみ)市は旧根上・寺井・辰口町が合併してできた市であるが、ここ根上(ねあがり)はあの〝ゴジラ松井〟の出身地でもある。その他九谷焼の絵付けでも知られているがハッキリ言って田舎であった(笑)。ただ松井秀喜に関しては〝知らない者がいない〟程有名である。松井秀喜ベースボールミュージアムがあるのもわかる。だがハルは阪神ファンであるから行こうとも言わない(爆)。そんな空想をしながらハルを待って出発、根上大浜局に向かう。そして能美根上駅へと向かう真っ直ぐな通りの駅前付近石川県道119号寺井停車場線を通り、真新しい駅舎に到着する。この石川県道119号線は市内大成町の区間130mの短い路線であるが、別称として〝ホームラン通り〟と名付けられている。商店街を通る道に名付けられているのがローカルな感じがして面白い。

能美根上駅は旧寺井駅が改称したものである。JR西日本に嘆願があったことが改称に繋がった結果であるが、駅の所在は旧根上町であって旧寺井町の中心部とは離れている。それに新制能美市を掛け合わせた駅名となっている。橋上駅舎の能美根上駅はみどりの窓口もある駅ではあるが、小松駅管轄の業務委託駅である。交通系電子マネーの入札記録は利用できるが、自動改札機は導入されていないため入場印字機の利用のみとなっている。近隣駅との利用客数比較は多いものの、ほとんどが学生利用とみられ昼間の駅前は閑散としていた。そんな駅前で一息入れて出発しようとしているときに再び電車入線のアナウンスが聞こえてきた。写真を見ればわかることだが、列車を真っ直ぐにしようとすると周りの景色は傾いている。つまり列車が傾いているのである。カーブの途中に設けられた駅故の景色であるが、スピードを要求しない区間では珍しいもののようにも思える。

列車の出発を見送って出発する。根上局は駅を挟んで東側にある。比較的大きな普通局ではあるが集配担当は小松局になっている。それ内の時間を要するのは大きな局では仕方がないところ。ハルの出待ちをしてそそくさと出発する。次局の寺井局も旧集配局。見た目は特定局化しているが、ATMホリデーサービス実施店が過去の栄光を物語っているようだ。そして旧寺井町の佐野局、旧辰口町に入り和気簡易・辰口緑が丘・辰口局と立ち寄って行く。辰口局は今でも旧町内の集配を受け持っている集配普通局となっているようだ。宮竹郵便局で旧辰口町の局は終了となり、旧寺井町に位置する粟生局で能美市局をコンプリートした。

手取川を渡る前に立ち寄ったのは美川湊町局。ここは旧美川町であり現白山市である。石川県最大の広さを持つ白山市。広過ぎて郵便局巡りのコースを組むには難敵である。次いで美川局に至るが、局前の郵便局には集配局が松任郵便局と書かれていた。思えば遠くへと来たものだと改めて思う。次に訪れる水島局は局敷地内に一里山跡の石碑が建立されている。どうやら付近に北陸街道の水島宿があったようだ。そして山島簡易局に到達するが、ここに来て通帳の切り替えタイミングだとハルが宣う。確か簡易局だと通帳から一旦お金を下すのにキャッシュカードが必要だったと思うのであるが、通帳しかなければどうなるのであろう…。と考えても仕方がないので用事が済むのを待つしかない。やはりそれなりの時間がかかってしまいタイムロスをした。舘畑郵便局は旧鶴来町の局。郵政大臣の臨局記念樹と刻まれた碑が残っているのは土地柄であろう。日御子郵便局で時間切れタイムアップとなる。今回の郵便局巡りの〝局リスト〟作成に於いて、ハルは白山市まで予定していなかったため、リストアップしていなかった。そのため白山市内の局は私がリストアップしたgooglemapのデーターだけであった。もう一つ加えれば能美郡は全て能美市になったと勘違いをしていたために、未だ能美郡であった川北町にある川北郵便局の存在に気付かなかったこと。アナログデータ収取の限界を感じた一瞬であった…。

とにもかくにも2日間で61局の実績はなかなかのものだ。勝手に自分を褒めておこう。

時間の柵から解かれたので先ずはひと息つくことにする。シメノドラッグ鶴来店はマツキヨグループのドラッグストアのようだ。そこで飲み物を購入して一服。ケータイ灰皿が離せなくなってきた今日この頃を恨めしく思う私であった…。

  《第三章へと続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
家族旅行
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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この旅行記へのコメント (2)

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  • taka45145225さん 2020/07/23 06:08:12
    超お久しぶりになります(´∀`)
    たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみさん。2年ぶりにこの4travel に見に来ました。taka45145225というアカウントの者です。なんか急にそういえば、たかティムさんって今頃どうしてるんだろうと恋しくなりまして、旅行記を見たくて今日の朝、2020年7月23日、早朝にここにいるわけなんですがね。郵便局巡りの旅お疲れさまでしたね。私はあちこち自動販売機が設置してある場所をくまなく散策するのが日常生活における個人的な趣味だったり楽しみの一つだったりします。さすがに郵便局61局も廻る強者は他を探してもそうはいないでしょうな。テーマとしても斬新ですし、今回も興味深く読ませてもらい感想としてはめちゃくちゃ面白かった。沖縄の話も冒頭に紹介されてましたね。今年2020年8月15日をもって、終戦から75年の月日が経つことになりますが、世界情勢をニュースで見てると未来にたいして期待していいものなのか、不安でうなだれてしまう日も最近は多くなってしまった。なんか悲しいです。ずーっとこんな平和な時間が一日でも長く続いたらよかったのに。好きな時にお友達と外食して笑顔でおしゃべりしたり、気が向いた時にちょっくら旅行に出かけたり、それが生活の一部であって、どれもなくてはならないものだと思います。私の思いとしては、無駄な争い事やケンカが少しでも収まるようにと天に向かって夜になると祈りを捧げています。新型コロナウイルスも全国に波及してしまい、新幹線などで移動するのもためらいがちになっちゃったりと悩みは尽きません。自分なりに楽しみを見つけて遊びたいなと思ってます。8月に山登りを予定に建てました。もしかしたらですけど、旅行記ブログとしてアップするかもしれないです。長文になりまして失礼しました。元気そうで何よりです。またここに戻ってきます。たかティムさんへ。taka45145225より。

    たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

    たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん からの返信 2020/07/24 00:21:49
    元気でしたか~?
    ホンにご無沙汰してました。お元気でなによりです。コロナ騒動に加えて4traのシステムをめぐるいざこざなんかあったりして・・・。そんなことからご無沙汰していても連絡の取れない方も最近は増えています。こんなご時世故にコメントも残せない等本題以上に触れない方が良いのかなと自粛しているところもあったりで。だからコメント残してもらえるのがこちらとしてもありがたいんですね~。

    PC版ならば足跡ですぐにわかるのですが、スマホだとイイね履歴から手繰らないとわからないのですが、HNは忘れてませんよ~♪

    山登りとは良いですね。コロナ騒動で外出自粛を余儀なくされて数ヶ月休みの日もごろごろしていたら身体が鈍り過ぎてしまい、ご老体は仕事に行くのも杖が必要(嘘)になっています。郵便局巡りに駆り出され、走り切って実績を確認したら61局回れたので、2日で100局回れば身体が元に戻るかな~なんて気軽に考えている今日この頃です。

    2年ぶりのブログアップ期待してますよー。

    たかティム。

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