2020/01/06 - 2020/01/09
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旅人のくまさんさん
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2020新春の台湾旅行記の紹介です。忠烈祠での衛兵交代儀式は、これまでに何度も見学し、写真も撮影しました。今回は、大殿での衛兵交代が済み、大門に戻ってきたところで撮影しました。寸部の乱れもない見事な交代儀式でした。
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内側から眺めた入口門の『大門牌楼』の光景です。『国民革命忠烈祠平面図』での『大門牌楼』の和訳は、『大門及び鳥居』とされていました。『牌楼』が『鳥居』と和訳されているのは、外観ではなく、役割を主にしたもののようです。『牌楼』は、世界大百科事典では、『中国の門型建築で,扉がなく開放的なもの』と解説されていました。『大門牌楼』は、『楼門』か、『楼大門』で通じそうです。
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南側にある入口門の、『大門牌楼』近くから眺めた『大殿』方面の光景です。忠烈祠は、台北以外にも、高雄、花蓮、淡水、台中などにありますが、いずれの忠烈祠も、風水の理論に基づいて場所が決められています。台北忠烈祠も背後に山が控え、手前側になる南側には基隆(キールン)川が流れます。
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南側から眺めた、『山門』と『大殿』のズームアップ光景です。眼前に垂れ下がっているのは、ガジュマルの気根のようです。『ガジュマル(細葉榕、正榕、榕樹)』は、亜熱帯から熱帯地方に分布するクワ科イチジク属の常緑高木です。 台湾各地で目にすることができます。
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更にズームアップした、南側から眺めた、『山門』と『大殿』の光景です。右端に見えている赤い柱の楼塔は『鐘楼』です。写真には写っていませんが、左側に『鼓楼』があります。
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イチオシ
軍服の色が青いのは空軍、白は海軍、そして緑は陸軍ですが、空軍と陸軍の服装は判断が付き難いですが、過去の衛兵交代儀式の写真を参考に色を比較しますと、今日の当番は緑色の制服の陸軍になります。
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『大門牌楼』近くでの交代儀式の様子です。これまで、イギリスのバッキンガム宮殿での衛兵交代儀式など、華やかで規模の大きな交代儀式いくつかの国での光景を目にしました。しかし、台北忠烈祠の衛兵交代儀式は、厳粛さや、規律の面では、各国の衛兵交代儀式に引けを取ることはないように見えます。
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『大門牌楼』で待機する人達の光景です。かつて衛兵を務めたことがある先輩たちとお聞きしたことがあります。現役の衛兵の介添えの役割があります。推測になりますが、手前の介添え役の人が手にしているのは、万が一のための銃剣の予備のようです。夏の暑い盛りには、衛兵の科ををぬぐって、汗が目に入らないようにする役割もあります。衛兵は自ら汗を拭うことができません。
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ユーチューブなどで多く目にすることができるのは、イギリスのバッキンガム宮殿での衛兵交代儀式、アメリカのアーリントン墓地での儀式、そしてこの台北の忠烈祠での儀式などです。その他にも、騎馬隊の交代儀式や、韓国の宮殿跡の歴史絵巻の交代儀式なども目を引きます。
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衛兵交代儀式も、最終場面に入って来ました。台湾での衛兵になるための条件は、1.身長は、175㎝~195㎝が必要。②.身長に見合った体重で、65㎏±1㎏が望ましい。3.兵役37日間の訓練の際に、陸・空・海軍から、それぞれ推薦される必要がある事。4.高卒以上で、犯罪歴がない事。などです。
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四つの難関をクリアすれば、すぐに衛兵になれる訳ではなく、更に2カ月ほどの厳しい訓練を成し遂げた者達が、衛兵になることができます。いわば、陸、海、空軍の若きエリートの人達です。台湾の徴兵制度の『中華民国徴兵規則』は、台湾、澎湖、金門、馬祖等の地区で徴兵制度を実施するために1956年に施行されました。
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1945年の終戦に伴い、1943年のカイロ宣言に基づき、連合国軍の委託を受けて、日本軍の武装解除を行うために、中国大陸から蒋介石率いる中国国民党政府の官僚や軍人が進駐し、行政を引き継ぎました。これにより、台湾の統治権が日本の出先機関の『台湾総督府』から『中華民国』に移管されました。
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中華民国政府は、中央政府が遷台する以前、1947年2月に起きた『二二八事件』の期間を除いて、台湾に大規模な軍隊動員を行なわず、徴兵制は施行されませんでした。しかし、中国大陸での国共内戦の結果、1949年に中央政府が遷台しますと、中国共産党の軍事力に対抗するため、同年12月28日に台湾全域で徴兵制施行を開始しました。
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1989年に公開された侯孝賢監督の映画『悲情城市』は、『二・二八事件』を直接的に描いた初めての劇映画でした。この映画がヴェネツィア国際映画祭で金賞を受賞し、『二・二八事件』は世界的に知られるようになりました。今日の台湾に近い形の『民主化』が実現したのは、李登輝総統(1923~)が1992年に刑法を改正し、言論の自由が認められてからのことです。
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最後は大門の台座に立つ、二人の衛兵の交代です。衛兵交代の儀式を滞りなく終えると、隊列を崩さないまま控室の方に行進します。この写真では、控室は大門の内側を奥に進んだ場所です。
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これで忠烈祠の見学はお終いです。繰り返しになりますが、1969年に建てられた『台北忠烈祠』は、青山を背にして基隆河に面しています。主な建築形式は北京の故宮・太和殿を模したものとされます。『太和殿』は、故宮博物院を構成する歴史的建造物で、明清代における王宮大殿』った紫禁城の中心を構成し、皇帝の即位、皇后冊立などの重要な儀礼が実施される場でした。
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イチオシ
ここからは、忠烈祠の衛兵交代儀式を見学した後に見学した、龍山寺の紹介です。私の場合、台北では必ず訪れるお寺です。台湾各地に存在するお寺ですが、台北のこのお寺は、正式には『孟甲(いずれも舟偏)龍山寺(ばんかりゅうざんじ:マンカーロンシャンスー)』と呼ばれています。ただし、地元では単に『龍山寺(ロンシャンスー)』と呼ばれることが多いようです。
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イチオシ
龍山寺は、1738年、福建省泉州から渡来した人々により、福建晋江安海龍山寺の分霊として創建されました。日本統治時代の1919年に大規模な修繕が行われていますが、この時、福建泉州からの大工棟梁の王益順が設計施工を担当しました。(ウィキペディア)写真は、入口右手にある人工の瀧の光景です。
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龍山寺の入口門付近の光景です。台北市内で最古の寺院であり、『国家古蹟』であるとともに、台北101、国立故宮博物院、中正紀念堂と並ぶ、台北市の『四大外国人観光地』とも呼ばれます。この中で、『台北101』だけはあとで入ったようです。『台北101』は、台北市信義区にある地上101階建のビルです。高さは509.2メートルで、2004年に当時の世界一の超高層ビルとして竣工しました。
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龍山寺の入口門付近の建物のズームアップ初めて龍山寺を見学したその昔、現地ガイドさんから、『剃刀の刃も入らないような石組』とお聞きしたような記憶が残っています。この後紹介する、龍の石像彫刻と合わせて、その技術の素晴らしさをお聞きしました。
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正面から眺めた、『孟甲(いずれも舟偏)龍山寺』の正殿光景です。昔見学した頃には、まだ建物の姿がない建築中でしたから、この場所には、原寸大と思われる写真が、長い間置かれていました。清水巌、保安宮と並ぶ『台北の三大廟門』とも呼ばれています。清水巌は台北市万華区に位置する寺院、保安宮は台北市大同区に位置する寺院です。いずれも以前に見学しました。
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龍山寺の正殿上部のズームアップ光景です。ご本尊は観世音菩薩ですが、現在では道教や儒教など様々な宗教と習合していて、孔子や関帝(関羽)、媽祖なども祀られています。祀られている神々は、大小合わせて100以上に及びます。地元の方達などは、様々な神が祀られた七つの香炉を順に廻りながら、それぞれの神に参拝しています。
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正殿の奥に位置する、道教の神様などが祀られた一角の光景です。台湾には、台北の孟甲龍山寺のほか、新北市には淡水龍山寺、桃園市には大渓龍山寺、彰化県には鹿港龍山寺、台南市には台南龍山寺、高雄市には鳳山龍山寺があります。
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お供え物が置かれる台の上の光景です。これも、ずいぶん昔に現地ガイドさんからお聞きしたことですが、お供え物は、お供えをした人が、願い事などのお祈りをした後、責任をもって持ち帰るルールになっているようです。
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同じく、お供え物が置かれている台の上の光景です。花瓶の飾られた花は、推測ですが、お供え物ではなく龍山寺が用意された飾り物のように見えました。お供え物が持ち帰られた後、何も残らないのでは、少し寂しい光景になります。
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卓上に飾られた花のズームアップ光景です。左側の薄いピンク色の五弁の花と中央の濃い赤色の花は、百合の仲間のカサブランカ、右奥のピンクの花は、ラン(蘭)の仲間のファレノプシス(胡蝶蘭)のようです。
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お祀りされているのは、保生大帝:医学の神様。健康長寿の神様。関聖帝君:商売の神様。三国志で有名な関羽です。註生娘娘:子宝、安産の神様。福徳正神 : 土地公と呼ばれる地域を守る神様。 商売の神様。文昌帝君:学問の神様。お供え物にはネギやチマキを、受験生は受験票を持参します。天上聖母:航海漁業の女神。台湾全民の守護神『媽祖』として、多くの人に信仰されています。
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台湾式おまじないの小道具のズームアップ光景です。赤い半月型の木片は、『ポエ』と呼ばれている、拜拜(バイバイ)の時のおみくじを引く許可証のようなものです。平らな面が表、膨らんでいる面が裏です。地面に落とした『ポエ』が、表と裏の組合せの時が『聖杯』と呼ばれ、おみくじを引いてもよいサインになります。
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専制に引率された、お子さん達のお参り光景です。お寺での拜拜(バイバイ)の手順には、事前にお供え物、香炉にお線香、表×裏が出た時のくじ札番号引き、再びポエを使って神様に確認、その跡でのくじ札引きとなります。中々手間が負かるおみくじ引きです。
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甍の先の飾り物のズームアップ光景です。『孟甲(いずれも舟偏)龍山寺(マンカー・ロンシャンスー)』の孟甲(いずれも舟偏』は、現在の萬華地区の意味で台北発祥の地と言われています。中国大陸の福建省から人々が『孟甲』に移住してきた当時、生活環境が悪く疫病が流行したため、神のご加護と平安を祈るために1738年に建てられたのが龍山寺の始まりでした。
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元に戻って、正面から眺めた龍山寺の正殿光景です。龍山寺は伝統的な中国の 四合院宮殿式を採用し、北を背に前殿、本殿、後殿、左右の鐘樓、鼓樓と回廊で、『回』の字の形に構成されています。基本的には仏教寺院で、ご本尊には『観音菩薩』を祀っています。
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