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トルクメニスタンの最終日はメルヴ遺跡の観光です。早朝にアシガバートからマリまで飛び、近郊の遺跡まで車で向かいます。メルヴ遺跡は中央アジア最大の遺跡で、紀元前6世紀からアケメネス朝ペルシア、パルティア、ササン朝を経て、セルジュークトルコの時代に東方の首都して最盛期を迎えて、シルクロードのオアシス都市として栄えましたが、13世紀のモンゴル軍襲来により壊滅し、遺跡となって現在に至っています。<br />メルヴからカラクム砂漠を縦断しトルクメナバートを経由して、4時頃トルクメニスタンを出国し、ウズベキスタンに再入国しました。<br />以下、日程です。<br />4/27(土) 関空→ソウル<br />4/28(日) ソウル(AM観光 景福宮)→タシケント<br />4/29(月) タシケント(AIR)→ウルゲンチ→ヒヴァ(観光)<br />4/30(火) ヒヴァ→国境→ダショグズ→クフナ・ウルゲンチ→ダルヴァザ(地獄の門)<br />5/1(水) ダルヴァザ→アシガバート(国立博物館、ニサ、市内観光)<br />5/2(木) アシガバート(AIR)→マリ→メルヴ→トルクメナバート→国境→ブハラ<br />5/3(金) ブハラ(終日観光)<br />5/4(土) ブハラ(高速鉄道)→サマルカンド(観光)<br />5/5(日) サマルカンド(AM観光)→タクシー移動→タシケント空港→機中<br />5/6(月) ソウル→関空着

ウズベキスタン・トルクメニスタンの旅(12)~メルヴ遺跡、トルクメナバート、国境越え~

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2019/05/02 - 2019/05/02

79位(同エリア122件中)

トンガリキ

トンガリキさん

トルクメニスタンの最終日はメルヴ遺跡の観光です。早朝にアシガバートからマリまで飛び、近郊の遺跡まで車で向かいます。メルヴ遺跡は中央アジア最大の遺跡で、紀元前6世紀からアケメネス朝ペルシア、パルティア、ササン朝を経て、セルジュークトルコの時代に東方の首都して最盛期を迎えて、シルクロードのオアシス都市として栄えましたが、13世紀のモンゴル軍襲来により壊滅し、遺跡となって現在に至っています。
メルヴからカラクム砂漠を縦断しトルクメナバートを経由して、4時頃トルクメニスタンを出国し、ウズベキスタンに再入国しました。
以下、日程です。
4/27(土) 関空→ソウル
4/28(日) ソウル(AM観光 景福宮)→タシケント
4/29(月) タシケント(AIR)→ウルゲンチ→ヒヴァ(観光)
4/30(火) ヒヴァ→国境→ダショグズ→クフナ・ウルゲンチ→ダルヴァザ(地獄の門)
5/1(水) ダルヴァザ→アシガバート(国立博物館、ニサ、市内観光)
5/2(木) アシガバート(AIR)→マリ→メルヴ→トルクメナバート→国境→ブハラ
5/3(金) ブハラ(終日観光)
5/4(土) ブハラ(高速鉄道)→サマルカンド(観光)
5/5(日) サマルカンド(AM観光)→タクシー移動→タシケント空港→機中
5/6(月) ソウル→関空着

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  • 早朝の5時にホテルを出発し空港に向かい、6時20分のフライトでマリに向かいます。ガイドのバトゥールさんはマリにも同行してくれます。

    早朝の5時にホテルを出発し空港に向かい、6時20分のフライトでマリに向かいます。ガイドのバトゥールさんはマリにも同行してくれます。

  • アシガバートからマリにっ向けて飛び立ちました。

    アシガバートからマリにっ向けて飛び立ちました。

  • 早朝のアシガバートの街並み。遠くに結婚式場の建物が小さく見えます。

    早朝のアシガバートの街並み。遠くに結婚式場の建物が小さく見えます。

  • カラクム砂漠の上空を北上してゆきます。

    カラクム砂漠の上空を北上してゆきます。

  • 7時10分頃にマリ空港に到着しました。迎えの車に乗り込み、近郊のメルヴ遺跡に向かいます。

    7時10分頃にマリ空港に到着しました。迎えの車に乗り込み、近郊のメルヴ遺跡に向かいます。

  • メルヴ遺跡はマリ市街から30km東に位置しており、車で30分ほどで到着しました。入口にあたる場所にはアブドゥラー・ハン・カラの遺跡が残されています。

    メルヴ遺跡はマリ市街から30km東に位置しており、車で30分ほどで到着しました。入口にあたる場所にはアブドゥラー・ハン・カラの遺跡が残されています。

  • メルヴ遺跡の入口のモニュメント。

    メルヴ遺跡の入口のモニュメント。

  • メルヴ遺跡の立体図。

    メルヴ遺跡の立体図。

  • まずは6~7世紀のササン朝ペルシア時代に豪族の居城として建てられたキズ・カラ遺跡からスタートします。キズ・カラ遺跡は大小2つの建物が残されており、こちらは大キズ・カラです。

    まずは6~7世紀のササン朝ペルシア時代に豪族の居城として建てられたキズ・カラ遺跡からスタートします。キズ・カラ遺跡は大小2つの建物が残されており、こちらは大キズ・カラです。

  • 大キズ・カラ遺跡。かつては2階建てで屋根で覆われていましたが、現在は崩壊し一階部分は砂に埋もれています。

    大キズ・カラ遺跡。かつては2階建てで屋根で覆われていましたが、現在は崩壊し一階部分は砂に埋もれています。

  • 大キズ・カラ遺跡。別名「乙女の城」とも呼ばれており、メルヴが最も栄えたセルジューク朝期で、この場所はスルタンのハーレムだったそうです。13世紀のモンゴル軍の来襲時にこの中に女性がたてこもり、モンゴル軍の手に落ちる前に自決したそうです。

    大キズ・カラ遺跡。別名「乙女の城」とも呼ばれており、メルヴが最も栄えたセルジューク朝期で、この場所はスルタンのハーレムだったそうです。13世紀のモンゴル軍の来襲時にこの中に女性がたてこもり、モンゴル軍の手に落ちる前に自決したそうです。

  • 壁は半円柱が連なる独特な形状をしています。

    壁は半円柱が連なる独特な形状をしています。

  • 大キズ・カラ遺跡。

    大キズ・カラ遺跡。

  • 大キズ・カラ遺跡。

    大キズ・カラ遺跡。

  • 所々に壁に穴が開いており、モンゴル軍に攻撃されたものだそうですが、その中は鳥の巣となっていました。

    所々に壁に穴が開いており、モンゴル軍に攻撃されたものだそうですが、その中は鳥の巣となっていました。

  • 大キズ・カラ遺跡。

    大キズ・カラ遺跡。

  • 100mほど南に小キズ・カラ遺跡があります。

    100mほど南に小キズ・カラ遺跡があります。

  • 小キズ・カラ遺跡の内側。

    小キズ・カラ遺跡の内側。

  • 別名「男の城」とも呼ばれており、この城から向こうに見える乙女の城(大キズ・カラ)までリンゴを投げて届いたものだけが結婚できたという伝説があります。

    別名「男の城」とも呼ばれており、この城から向こうに見える乙女の城(大キズ・カラ)までリンゴを投げて届いたものだけが結婚できたという伝説があります。

  • アスハブ廟(Askhabs Complex)。15世紀のティムール朝の時代に建てられた、ジファリとブライダの霊廟です。7世紀にトルクメニスタン一帯にイスラム教を布教した聖人です。

    アスハブ廟(Askhabs Complex)。15世紀のティムール朝の時代に建てられた、ジファリとブライダの霊廟です。7世紀にトルクメニスタン一帯にイスラム教を布教した聖人です。

  • アスハブ廟。

    アスハブ廟。

  • アスハブ廟のイーワーン。

    アスハブ廟のイーワーン。

  • アラビア文字の幾何学文様。

    アラビア文字の幾何学文様。

  • 色付きレンガの向きを変えながら幾何学文様を作り出しています。

    色付きレンガの向きを変えながら幾何学文様を作り出しています。

  • アスハブ廟。

    アスハブ廟。

  • アスハブ廟の前に設置された貯水用の建物。

    アスハブ廟の前に設置された貯水用の建物。

  • 内部をのぞくと建物の中に水が蓄えられていました。

    内部をのぞくと建物の中に水が蓄えられていました。

  • この一帯にはムスリムの墓が建ち並んでいます。

    この一帯にはムスリムの墓が建ち並んでいます。

  • ムスリムの墓。民族によってお墓のタイプも異なります。

    ムスリムの墓。民族によってお墓のタイプも異なります。

  • 次にエルク・カラに向かいます。メルヴ遺跡の中でも最も古く、紀元前6~4世紀のアケメネス朝時代に栄えた都城跡です。

    次にエルク・カラに向かいます。メルヴ遺跡の中でも最も古く、紀元前6~4世紀のアケメネス朝時代に栄えた都城跡です。

  • エルク・カラの小高い丘に登ると城メルヴ遺跡の全体を見渡すことができます。

    エルク・カラの小高い丘に登ると城メルヴ遺跡の全体を見渡すことができます。

  • エルク・カラの城壁。

    エルク・カラの城壁。

  • エルク・カラの城壁。

    エルク・カラの城壁。

  • 遠くにスルタン・サンジャール廟が見えます。

    遠くにスルタン・サンジャール廟が見えます。

  • エルク・カラ。

    エルク・カラ。

  • 次にグヤウル・カラに向かいます。紀元前2世紀から紀元3世紀までのパルティア帝国時代にエルク・カラの横に一辺2km四方の広大な都城が築かれたそうです。その広大な都城の南東部にストゥーパなどの仏教遺跡がありましたが、今は残されていません。世界最西端の仏教遺跡と言われています。

    次にグヤウル・カラに向かいます。紀元前2世紀から紀元3世紀までのパルティア帝国時代にエルク・カラの横に一辺2km四方の広大な都城が築かれたそうです。その広大な都城の南東部にストゥーパなどの仏教遺跡がありましたが、今は残されていません。世界最西端の仏教遺跡と言われています。

  • グヤウル・カラからのスルタン・サンジャール廟。

    グヤウル・カラからのスルタン・サンジャール廟。

  • グヤウル・カラ。放牧されている動物がいたのでよく見てみるとラクダでした。

    グヤウル・カラ。放牧されている動物がいたのでよく見てみるとラクダでした。

  • ラクダの放牧中。

    ラクダの放牧中。

  • 放牧されているラクダに近づいてみました。この群れの中に親子ラクダがいるので、近づきすぎると危険だそうです。

    放牧されているラクダに近づいてみました。この群れの中に親子ラクダがいるので、近づきすぎると危険だそうです。

  • 遠目からラクダの群れをウォッチング。

    遠目からラクダの群れをウォッチング。

  • 親子ラクダが群れの中にいました。子供のラクダを見たのは初めてです。

    親子ラクダが群れの中にいました。子供のラクダを見たのは初めてです。

  • 次はユスフ・ハマダニ・モスク。ユスフ・ハマダニは12世紀の中央アジアにおけるスーフィー教団の第一人者であったそうです。

    次はユスフ・ハマダニ・モスク。ユスフ・ハマダニは12世紀の中央アジアにおけるスーフィー教団の第一人者であったそうです。

  • トルクメン人の巡礼者が多く来場していました。

    トルクメン人の巡礼者が多く来場していました。

  • モスクの奥にユスフ・ハマダニの墓所があります。

    モスクの奥にユスフ・ハマダニの墓所があります。

  • ユスフ・ハマダニ廟。

    ユスフ・ハマダニ廟。

  • ユスフ・ハマダニ廟。

    ユスフ・ハマダニ廟。

  • ユスフ・ハマダニ・モスクのミナレット。

    ユスフ・ハマダニ・モスクのミナレット。

  • 次はスルタン・サンジャール廟。12世紀のセルジューク・トルコ時代の建造物で、モンゴル軍の破壊から奇跡的に免れたそうです。

    次はスルタン・サンジャール廟。12世紀のセルジューク・トルコ時代の建造物で、モンゴル軍の破壊から奇跡的に免れたそうです。

  • スルタン・サンジャール廟。セルジューク・トルコ時代にグヤウル・カラの西に接してスルタン・カラの都城が築かれましたが、その中央にこの廟は位置しています。

    スルタン・サンジャール廟。セルジューク・トルコ時代にグヤウル・カラの西に接してスルタン・カラの都城が築かれましたが、その中央にこの廟は位置しています。

  • スルタン・サンジャール廟。廟の前には珍しく売店があり、この廟の置物を10マナト(300円)で購入しました。ここで4人の日本人観光客と遭遇し、その中の2人が何とアシガバート在住の方でした。<br />

    スルタン・サンジャール廟。廟の前には珍しく売店があり、この廟の置物を10マナト(300円)で購入しました。ここで4人の日本人観光客と遭遇し、その中の2人が何とアシガバート在住の方でした。

  • スルタン・サンジャール廟。

    スルタン・サンジャール廟。

  • スルタン・サンジャール廟のドーム。

    スルタン・サンジャール廟のドーム。

  • スルタン・サンジャール廟。

    スルタン・サンジャール廟。

  • スルタン・サンジャール廟の棺。

    スルタン・サンジャール廟の棺。

  • スルタン・サンジャール廟。

    スルタン・サンジャール廟。

  • 最後は入口の近くにあるムハンマド・イブン・サイイド廟です。こちらも同じく12世紀のセルジューク・トルコ時代の建造物です。

    最後は入口の近くにあるムハンマド・イブン・サイイド廟です。こちらも同じく12世紀のセルジューク・トルコ時代の建造物です。

  • ムハンマド・イブン・サイイド廟。

    ムハンマド・イブン・サイイド廟。

  • この廟の前にもクフナ・ウルゲンチで見かけた願掛けの布が巻かれた木がありました。せっかくなので、この木の間を3回くぐりました。

    この廟の前にもクフナ・ウルゲンチで見かけた願掛けの布が巻かれた木がありました。せっかくなので、この木の間を3回くぐりました。

  • ムハンマド・イブン・サイイドの棺。

    ムハンマド・イブン・サイイドの棺。

  • レンガ積みのドーム屋根。

    レンガ積みのドーム屋根。

  • 10時半頃にメルヴ遺跡を出発しました。

    10時半頃にメルヴ遺跡を出発しました。

  • マリの住居。

    マリの住居。

  • カラクム砂漠をひたすら北上します。

    カラクム砂漠をひたすら北上します。

  • 砂丘が所々ひろがっています。

    砂丘が所々ひろがっています。

  • マリから3時間ほどかけて、13時半頃に国境の街、トルクメナバートに到着しました。

    マリから3時間ほどかけて、13時半頃に国境の街、トルクメナバートに到着しました。

  • 建造中の巨大モスク。

    建造中の巨大モスク。

  • アブ・ユスプ・モスク。

    アブ・ユスプ・モスク。

  • Wedding Palace(結婚式場)。

    Wedding Palace(結婚式場)。

  • 宮殿(Ruhyet Köşki)。

    宮殿(Ruhyet Köşki)。

  • この宮殿にはベルディムハメドフ大統領の肖像が掲げられています。

    この宮殿にはベルディムハメドフ大統領の肖像が掲げられています。

  • 警察署にも肖像画。

    警察署にも肖像画。

  • 警察の制服を着たベルディムハメドフ大統領。

    警察の制服を着たベルディムハメドフ大統領。

  • コンサートホール。

    コンサートホール。

  • 大統領宮殿の表玄関。これを撮った後にガイドさんから注意を受けました。

    大統領宮殿の表玄関。これを撮った後にガイドさんから注意を受けました。

  • 14時頃に市内のレストランで昼食です。絵ハガキを書いていたので、昼食の間にドライバーさんに郵便局に行ってもらって投函してもらいました。2週間後に無事我が家に到着しましたが、1ヶ月経ってもヒヴァで出した絵ハガキはまだ届いていません。

    14時頃に市内のレストランで昼食です。絵ハガキを書いていたので、昼食の間にドライバーさんに郵便局に行ってもらって投函してもらいました。2週間後に無事我が家に到着しましたが、1ヶ月経ってもヒヴァで出した絵ハガキはまだ届いていません。

  • 水ギョウザ。

    水ギョウザ。

  • チキンソテー。

    チキンソテー。

  • 15時にレストランを出発し、アム・ダリア川を渡って30分ほどで国境に到着しました。ここでガイドのバトゥールさんともお別れです。特に出国審査で調べられることはありませんでした。

    15時にレストランを出発し、アム・ダリア川を渡って30分ほどで国境に到着しました。ここでガイドのバトゥールさんともお別れです。特に出国審査で調べられることはありませんでした。

  • トルクメニスタンを出国し、無事ウスベキスタンに入国です。この国に入るとホッとします。ウズベキスタンの入国管理官からトルクメニスタンは好きかと聞かれましたが、まあまあとの返答でお茶を濁しました。

    トルクメニスタンを出国し、無事ウスベキスタンに入国です。この国に入るとホッとします。ウズベキスタンの入国管理官からトルクメニスタンは好きかと聞かれましたが、まあまあとの返答でお茶を濁しました。

  • 入国管理から出たところに乗合タクシ乗り場があり、タクシーの運転手と交渉してブハラまで35US$でお願いしました。

    入国管理から出たところに乗合タクシ乗り場があり、タクシーの運転手と交渉してブハラまで35US$でお願いしました。

  • 4時頃に国境を出発し、ブハラを目指します。到着まで1時間45分くらいかかりました。

    4時頃に国境を出発し、ブハラを目指します。到着まで1時間45分くらいかかりました。

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