2018/12/01 - 2018/12/02
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九州北部の福岡と佐賀の名城巡りです。福岡城は、昨年に現地ガイドさんの説明付きで見学しましたので、今回は出来るだけ重複しない紹介に留めました。昨年の見学の時の旅行ブログを紹介しておきます。
*2017春、九州西北部の城巡り(1/35):3月29日(1):福岡城(1/6)
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11229439/
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『鴻臚館』の標識です。『鴻臚館(こうろかん)』は、平安時代の外交・交易施設です。前身として筑紫館や難波館が奈良時代以前から存在しました。この筑紫の鴻臚館は、福岡城跡に位置する遺構が見つかった唯一の鴻臚館です。「鴻」は大きな鳥から転じて「大きい」の意、「臚」は腹から転じて「伝え告げるの意です。「鴻臚」は、外交使節の来訪を告げる声を意味します。(ウィキペディア)
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少し小高い場所にあった、『鴻臚館』の建物光景です。かつての平和台球場の外野席があった場所になるようです。古代の大きな戦いの『磐井の乱(527~528年)』の後、宣化元年(536年)に那津のほとりに通称『那津官家(なのつのみやけ)』が設置され、九州支配と外交の役目を持ちました。推古17年(609年)、『筑紫大宰(つくしのおほみこともちのつかさ)』の名で『日本書紀』に登場します。(同上)
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『史跡・鴻臚館跡』の説明パネルです。
○左端の『鴻臚館の役割』には、中国、韓半島との航路が記されていました。
○中央の説明は『鴻臚館の発見』です。1987年、この場所で遺跡が発見されました。
○右端の『福岡市による調査』では、調査区域を5区域に分け、順次調査と公開が行われたことが紹介されていました。(同上) -
観光案内標識の紹介です。
○上段の左向きの表示:中央市民センター・体育館
○下段の右向きの表示:平和台陸上競技場・福岡城跡
○上段の奥向きの表示:球技場・野球場・赤坂けやき通り・福岡市美術館
*鴻臚館の横にあった標識です。(同上) -
二の丸で眺める高石垣の光景です。石垣の下が二の丸、上が本丸や天守台になるようです。野面積の石垣ですから、福岡城創建当時からの石垣に間違いないようです。角の部分は、立派な石材が使われた算木積でした。右手にも石垣が見えていますから、横矢通しの造りになるようです。(同上)
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福岡城の二の丸は、大きく「二の丸」、「東二の丸」、「南二の丸」に分かれていました。現在は運動場(ラグビー場)になっている北側まで石垣が続き、「二の丸御殿」が建っていたとされます。その御殿の南側は、貯水池がある「水の手」と呼ばれる場所でした。「東二の丸」から扇坂(おおぎさか)を抜けると、現在は梅の名所として知られる「二の丸」へと続きます。(同上)
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この扇坂の近辺に『お綱門(おつなもん)』と呼ばれる門がありました。ただし、扇坂御門か東御門か異なる門であるかは諸説あります。その門の柱に触れただけで熱病に冒されたり、夜中にうなされたりするといわれました。その『お綱門』には、恐ろしくも哀れな話が語り伝えられています。昨年の旅行記で触れましたので、今回は端折ります。(同上)
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福岡城は、初代福岡藩主の黒田長政が、慶長6年(1601年)から7年がかりで築城しました。築城の名手と言われた父の『黒田孝高(よしたか:官兵衛:如水:1546~1604年)』は、その完成を生存中には見ることが出来ませんでした。官兵衛は、信長、秀吉、家康も認めた、天才軍師でもありました。(同上)
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『東御門跡』付近の石垣と石段の光景です。『東御門』は、大手門から三の丸を抜けて二の丸に入る際に使われた主要な門でした。現在は石垣のみですが、当時はこの門の東側石垣上には2重の隅櫓(高矢倉)が、西側には革櫓と呼ばれる櫓が設けられていました。同時代の天才軍師には、竹中半兵衛もいましたが、人質だった官兵衛の嫡男の長政は、半兵衛の際どい決断で命が救われました。(同上)
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イチオシ
本丸エリアに建つ『祈念(きねん)櫓』の光景です。福岡県指定の有形文化財です。この祈念櫓は、本丸の東北隅に鬼門封じの祈念をするために建立されたもので、棟札によると万延元年(1860年)3月に起工し、同年10月に竣工しました。その後、大正7年(1918)市内にある黒田家の菩提寺の崇福寺が陸軍省から払下げを受け、末寺である大正寺住職・渡辺玄外老師によって同同寺運ばれました。(同上)
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大正寺は、北九州市八幡東区東台良に位置し、同寺境内に移築され、観音堂として使用されていました。昭和58年(1983年)、同寺より福岡城の旧位置に移築され、翌年9月竣工しました。棟を北西から東北に通し、鯱が上げられ、丸瓦に黒田家の藤巴が刻まれています。壁は1、2階とも押縁縦板張りで、のちの改築です。(同上)
*写真は、紅葉が見頃の二之丸と、櫓台の上の『祈念櫓』の光景です。 -
現在の『祈念櫓』は、1、2階の窓格子は白漆喰塗り仕上げで当時の様子を留めています。1階には5畳半の茶室が付加されています。大正初期の撮影と推定される写真によれば、下見板張り、白漆喰の壁、軒先を方杖と軒桁で支える二層の櫓でした。現在復元された祈念櫓とは著しく外観が異なっています。福岡城から大正寺に移築された際に大幅な改変を受けたようです。(同上)
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二の丸跡の光景が続きます。保存状態の良い石垣が続いていました。この方角の光景には、城外の建物光景が見えていました。前方に向けて、緩やかな下り坂になっているらしく、間隔が広く開いた石段になっていました。(同上)
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僅かに紅葉が残った冬木立の光景です。『冬木立(ふゆこだち)』は、俳句の服の季語です。似たような冬の季語には、『冬木(ふゆき)』、『冬桜(ふゆざくら)』、『冬木桜(ふくきざくら)』、『冬椿(ふゆつばき)』、『冬柏(ふゆがしわ)』等、沢山あります。(同上)
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観光案内標識の紹介です。右側の標識は、手前向きに平和台球場、奥向きの矢印で二の丸跡(梅園)、本丸跡(桜園)、祈念櫓と天守櫓が表示してありました。左上の左向きの矢印が、赤坂けやき通りと福岡市美術館でした。周りに落ち葉が散り敷いていました。桜の落ち葉が多いようでしたが、『欅(けやき)』の落葉も混じっているかも知れません。(同上)
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『黒田官兵衛所縁の・扇坂御門跡』のタイトルがあった立看板の光景です。『扇坂御門』は、東二の丸から二の丸への入口に当たり、二の丸の北東側に位置していました。東西方向と南北方向の二つの方向に階段が伸びています。この案内看板には、左向きの矢印で本丸・表御門後、祈念櫓、鉄御門跡が、右向きの矢印で東御門跡、福岡城むかし探訪館が表示されていました。(同上)
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『福岡城物語・二の丸(二の丸御殿・水の手・お綱門』のタイトルがあった説明パネルの紹介です。『お綱門』にまつわる話は、昨年の旅行記で紹介しましたが、現在は『お綱門』は存在しません。明治維新後、福岡城が解体された時に、門は長宮院に納められたといい、その後の空襲によって焼け落ちたようです。(同上)
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『扇坂御門跡』の文字が刻まれた横長の石標の光景です。台座の石の上に置かれていました。扇坂御門は、東二の丸から二の丸への入口になります。二の丸の北東に位置する門で、東西方向と南北方向の二つの方向に石段が伸びています。名前の由来は、両方の石段部分にかけて扇形の坂道になっていたことによります。(同上)
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しばらく、『扇坂御門跡』付近の光景が続きます。角の部分は、完成段階に近付いた『算木積(さんぎつみ)』になっていました。確認はしていませんが、石積の専門集団の『穴太衆(あのうしゅう)』の技術が窺がわれる『打ち込み接ぎ(うちこみはぎ)』の石垣でした。(同上)
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イチオシ
高さは、尺貫法で表現すれば『1間(けん:1.8メートル)』か、それより』か、それより少し高い程度の石垣光景です。直角に立ち上がったこの石垣は、『見せる』ことに重きを置いているようです。転用石らしいものを含め、見飽きない石材が多く使われていました。(同上)
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こちらの石垣は、乱積と布積が組み合わさったような『打ち込み接ぎ(うちこみはぎ)』の石垣でした。石材の表面は綺麗に平面加工され、同じ石質のものが揃えてあるようでした。この部分の石垣は、中央付近で直交していました。『虎口(ここう・こぐち)』の造りになっているのかも知れません。(同上)
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『扇坂』の名前の由来が、『東西方向と南北方向の二つの方向に伸びた石段に向けて、扇形の坂道になっている」ことを紹介しましたが、その石段が、写真中央奥に見えています。左手に向けて、緩やかな上り坂になっていることも分かる光景です。(同上)
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『扇坂御門』の付近では、東西方向と南北方向の二つの方向に石段が伸びていることを先に紹介しましたが、その石段の内の片方の光景です。ざっと数えて、10段ほどの石段でした。日常的に使われる場所の石段のようですから、昇降し易い造りの、幅広い石段でした。(同上)
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二つの方向に伸びた石段の、もう一方の石段の光景です。こちらも目算で10段少しの幅広い石段でした。中央奥に見えているのが、本丸石垣の上に建つ『祈念(きねん)櫓』になるようです。石段の石材は、上部を平らに加工された自然石が、8~10個横並びになっていました。おそらく、築城当時からの石段です。(同上)
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イチオシ
石段の上付近に見えた大木の光景です。黄葉を終えて、次第に冬木立に姿をける途中の光景でした。歴史年表による福岡城の紹介です。
○609年(飛鳥時代):日本書紀に「筑紫太宰」と記録される。
○7世紀後半(飛鳥時代):「筑紫館」が迎賓館と宿泊施設として作られる。
○794年~(平安時代):「鴻臚館」が唐や新羅との外交の窓口として機能する。
○1532~1555年(戦国時代):立花鑑載が立花山城の出城として名島城を築城。
○1588年(織豊時代):小早川隆景が筑前を与えられ、名島城を居城とする。 -
○1599年:小早川秀秋が名島城城主になる。
○1600年:関ヶ原の戦いで家康勝利、官兵衛・長政親子に筑前52万石。
○1601年:福岡城の築城開始。
○1607年:福岡城が完成。
○1620年:小倉藩主細川忠興の手紙の中に福岡城天守について記述。 -
○1632年:黒田家家老の栗山大膳が2代目黒田忠之の謀反の疑いを幕府に訴える黒田事件が勃発。
○1646年:「福博惣絵図」に福岡城が描かれる。この時には天守がなかった。
○1853年:11代目長溥が福岡城を大改修。
○1871年:廃藩置県により、城内に福岡県庁が置かれる。 -
○1873年:廃城令で存城処分になり、陸軍の部隊が駐屯する。
○1902年:保管してあった火薬が爆発し、鉄物櫓が焼失。
○1918年:祈念櫓が大正寺に観音堂として移築される。
○1952年:伝潮見櫓が福岡県文化財に指定。
○1956年:下之橋御門、旧母里太兵衛屋敷長屋門が福岡県文化財に指定。 -
○1957年:祈念櫓が福岡県文化財に指定。
○1957年:福岡城跡が国の史跡に指定。
○1971年:南二の丸の西隅櫓と西平櫓が南二の丸多門櫓として重要文化財に指定。
○1983年:祈念櫓が元の位置に移築される。
○1987年:三の丸から平安時代の外交施設「鴻臚館」の遺構が発見される。 -
○2000年:不審火によって下之橋御門が一部を焼失。
○2008年:下之橋御門の修復が完了。
○2016~2018年:南二の丸多門櫓の修復工事が行われる。
*福岡城の辺りは古代から外国との窓口として重要な場所でした。その場所に、黒田官兵衛親子が築いたお城です。黒田藩は、明治維新まで継続しました。(以上)
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