2018/12/01 - 2018/12/02
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旅人のくまさんさん
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佐賀と福岡の名城巡りです。締め括りの佐賀城の紹介です。日本百名城の89番の佐賀城も、前に見学したことがあるお城でしたから、百名城スタンプ押しが目的です。戦国大名の竜造寺氏の居城野村中条を、重臣の鍋島親子が拡張・整備したお城です。
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 新幹線 JRローカル 私鉄
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名護屋城で百名城スタンプを押した後、城跡の見学はせずに、とんぼ返りで唐津に戻って来ました。呼子で乗合いタクシーから路線バスに乗り換え、到着したのは唐津のバスセンターでした。ここから唐津駅までは、歩いての移動です。その間、唐津城の城下町の散策になりました。この案内看板は、かつての名前を留める『呉服町』の紹介でした。(ウィキペディア)
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次の案内看板には『平野町(ひらのまち)』のタイトルがありました。唐津駅直近の場所です。唐津城下の17町の一つで、はじめは下級武士が住む地域でしたが、後に町民街になったと紹介されていました。先ほどの呉服町と同じように、地図に赤色で町域が記されていました。唐津駅の北側に隣接した区域です。(同上)
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唐津駅の光景です。当初の予定は、佐賀城の百名城スタンプを押した後、佐賀から新幹線で博多まで行き、特急電車で大分まで移動の予定でした。しかし、雨が降り始め、明日は本降りの天気予報でしたから、急遽予定を変更し、佐賀駅から博多駅経由で、新幹線で名古屋まで戻ることにしました。宿も決めていない城巡りでしたから、簡単に予約変更ができました。(同上)
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JRの時刻表です。唐津から、佐賀城がある佐賀市までの移動のために確認しま一番右の列右の列の佐賀方面のダイヤは、1時間に1本ほどの本数でした。唐津線で南下し、『久保田』で長崎本線に合流し、東に向かうコースでした。後で確認してみましたら、駅数は12駅、久保田からは2駅目が佐賀でした。1時間10分~1時間20分ほどの所要時間でした。日本百名城ガイドブックには、佐賀駅からバスで約10分、歩いてすぐの佐賀城と紹介されていました。(同上)
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『鶴の像』の台座にあった銅板の説明プレートの光景です。末尾に『昭和38年3月22日・唐津市長・瀬戸 崇』の落款がありました。さき程とは別のブログからの紹介です。『唐津駅北口広場の鶴の像。ぱっと見、単なるモニュメントのように見えるが、駅周辺の高架化・唐津~東唐津間開業・筑肥線の電化・地下鉄相互乗り入れ開始…という一連の唐津市内鉄道近代化の完成を記念した記念碑である。台座左側に肖像が2つ掲げられているが、これは明治・大正期に唐津での鉄道開通に寄与した4名のうち2名のもの。台座の反対側に別の2名の肖像が掲げられている。』、とも紹介されていました。(同上)
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唐津駅前にあったツル(鶴)かコウノトリのモニュメントです。どうやら『鶴の像』のようでした。旅行ブログを引用させて頂くと、『唐津駅は駅前にたくさんのモニュメントが設置されています。この鶴の像は筑肥線と福岡市営地下鉄が直通運転された際に記念として作られたもののようです。おそらく唐津城の別称「舞鶴城」から発想されたデザインかと思われます』、と紹介されていました。(同上)
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佐賀城に到着しました。佐賀城の歴史などについて先に紹介します。佐賀城の前身は肥前の戦国大名の龍造寺隆信をはじめ龍造寺宗家代々の居城佐賀龍造寺城でした。慶長期に鍋島氏による改修により、現在の佐賀城の姿になりました。古名は佐嘉城、別名は、沈み城、亀甲城でした。江戸時代初頭に完成し以降、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城として明治維新を迎えました。(同上)
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佐賀城は佐賀市の中心に位置し、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城です。幅50m以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれています。平坦な土地にあるため、城内が見えないように土塁にはマツやクスノキが植えられています。城が樹木の中に沈み込んで見えることや、かつては幾重にも外堀を巡らしたことから、『沈み城』とも呼ばれました。(同上)
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『沈み城』と呼ばれた一番の理由は、攻撃にあった際には多布施川より送り込んだ大量の水によって、本丸以外を水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたこです。また、城郭と城下町の完成予想図と思われる「慶長御積絵図」とそれ以降描かれる現状を反映した城下絵図と比較しますと、櫓数の削減や本丸及び二の丸の石垣の簡素化など異なる部分が多く、厳密には未完成の城とも言われます。(同上)
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江戸時代には、城下と城内に掘割が縦横に張り巡らされ、生活用水に使用されていました。また、城下には豊前小倉から長崎まで続く長崎街道が通り、宿場町としても栄えました。明治時代初期に起こった佐賀の乱により大半の建造物は焼失し、鯱の門と続櫓のみが残っており国の重要文化財に指定されています。(同上)
*写真は、江戸末期か明治初期の大筒の展示のようです。 -
イチオシ
佐賀城は、享保11年に焼失した天守は小倉城並みか、それよりわずかに大きい規模ではないかと最近の調査で推測されています。現在、城跡は佐賀城公園として整備され、本丸御殿が木造で復元され佐賀県立佐賀城本丸歴史館として公開されています。周辺は東堀や土塁が復元され、往時の姿を取り戻しつつあります。(同上)
*写真は、本丸御殿の玄関光景です。 -
二の丸には佐賀県庁、合同庁舎、放送局、美術館、博物館、小中高の各学校など公共施設が建ち並んで佐賀県政治経済の中心地となっています。
戦国時代の紹介です。1569年(永禄12年)、大友宗麟は、筑後国高良山の吉見岳城に本陣を置き、佐賀平野の北路から大軍を投じた進攻により、佐賀・龍造寺城の周辺は悉く焼かれ、城は窮地に追い込まれました。(同上) -
龍造寺城隆信は、一度は大友と和平しましたが、1570年(元亀元年)、再び宗麟は大軍で佐賀に攻めて来ました。再度、追い込まれた龍造寺軍は佐賀龍造寺城に籠城しました。窮地に追い込まれた龍造寺軍の鍋島信正(後の鍋島直茂)は、夜襲により今山の陣で大友軍の総大将の大友親貞を討ち取りました(今山の戦い)。その後、龍造寺隆信の子政家、その子高房の居城となりました。(同上)
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その中世の佐賀龍造寺城の所在地と実態については、不明な点が多いようです。平成21・22年度に、佐賀市教育委員会によって発掘された西御門付近で、中世の佐賀龍造寺城に関連する大型建物2棟や堀などの遺構や遺物が初めて確認されました。また、佐賀龍造寺城域の龍造寺氏館跡は、若楠会館と佐賀西高校グランドがその推定地と考えられています。写真は、江戸初期の頃の佐賀城の状況です。(同上)
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イチオシ
九州北部に覇を唱えていた龍造寺隆信は、1584年(天正12年)に島津・有馬連合軍に敗れて戦死しました。これを機に龍造寺家臣の鍋島直茂が実権を握りました。直茂は早くも、1585年(天正13年)には村中城改修を計画しています。しかし、未だ当主であった龍造寺政家の居城であり、直茂は蓮池城が居城であったため、主家に憚って計画には手を付けませんでした。(同上)
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直茂の計画が実現したのは、江戸幕府下で正当に佐賀藩主として認められた後、1602年(慶長7年)本丸の改修を始めてからです。直茂の計画に則り、次の藩主鍋島勝茂が1611年(慶長16年)に完成させました。内堀の幅は80m、小倉城天守の図面を参考に高さ38m、外観4重内部5階建ての天守が建造されました。(同上)
*写真は、名古屋までの新幹線切符が手配でき、博多駅に向かう途中の光景です。 -
佐賀城は、幾度も火災に見舞われました。特に1726年(享保11年)には大火に見舞われ、天守以下本丸建造物の大半を焼失しました。これにより御殿などが1728年(享保13年)に二の丸に完成し、藩政は二の丸を中心に行われました。更に1835年(天保6年)の火災では二の丸を焼失しました。これにより再び本丸再建が行われました。
*写真は、駅構内から眺めた佐賀市内の光景です。 -
佐賀城の現存する鯱の門・続櫓はこの再建時の1838年(天保9年)に完成したものです。同時に立てられた本丸御殿は、明治維新以後、裁判所や学校として利用されました。なお、天守は享保の火災以後は、再建されていません。
*写真は、駅構内から眺めた佐賀市内の光景です。街路樹の公孫樹の黄葉が、見事な色合いでした。 -
1874年(明治7年)、江藤新平を中心とした佐賀の乱が起こり佐賀城はこの反乱軍に一時占拠されました。この戦闘の際に建造物の大半を失いました。鯱の門には当時の弾痕が現在も残っています。以後、佐賀城址には学校、測候所、県庁など公共施設が次々と建設されました。 鯱の門と続櫓は1953年(昭和28年)、佐賀県重要文化財に指定され、1957年(昭和32年)には国の重要文化財に指定されました。(同上)
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本丸御殿の一番奥にあり天保期の建物と見られる「御座間」は鍋島直正の居室でしたが、1958年(昭和33年)に水ヶ江大木公園に南水会館として移築されました。2001年(平成13年)、市の重要文化財に指定されました。2004年(平成16年)本丸御殿の復元に伴い元の位置に戻されました。2012年より大規模な天守台の発掘調査及び、文献調査が行われているようです。滞りなく、名古屋に帰着できました。(同上)
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