呼子・玄海旅行記(ブログ) 一覧に戻る
佐賀と福岡の名城巡りです。次は名護屋城の見学ですが、既に見学していましたので、日本100名城巡りのスタンプ押しが一番の目的です。唐津城は、東松浦半島の東側の付け根にあり、電車も西唐津が終点駅です。東松浦半島の先端付近にある名護屋城までは、マイクロバスの定期便が運航していました。

2018暮、佐賀と福岡の名城(11/12):12月2日(4):名護屋城:呼子へ、名護屋城博物館

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2018/12/01 - 2018/12/02

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

佐賀と福岡の名城巡りです。次は名護屋城の見学ですが、既に見学していましたので、日本100名城巡りのスタンプ押しが一番の目的です。唐津城は、東松浦半島の東側の付け根にあり、電車も西唐津が終点駅です。東松浦半島の先端付近にある名護屋城までは、マイクロバスの定期便が運航していました。

交通手段
高速・路線バス 新幹線 JRローカル 私鉄

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  • 唐津駅からバスで出発し、バスの乗換駅の『呼子(よびこ・よぶこ)』に到着しました。東松浦半島の東側の先端付近に位置する町です。『呼子のイカ』で有名な海産物のグルメの町です。ここで、大型バスから、小型バスに乗り換えました。乗客は少なく、専用バスに乗ったイメージでした。(ウィキペディア)<br />*写真は、唐津駅付近のバスターミナルから乗ってきたバスです。

    唐津駅からバスで出発し、バスの乗換駅の『呼子(よびこ・よぶこ)』に到着しました。東松浦半島の東側の先端付近に位置する町です。『呼子のイカ』で有名な海産物のグルメの町です。ここで、大型バスから、小型バスに乗り換えました。乗客は少なく、専用バスに乗ったイメージでした。(ウィキペディア)
    *写真は、唐津駅付近のバスターミナルから乗ってきたバスです。

  • 乗り換え時間がかなりありましたから、その間で呼子のバスターミナルとその付近を散策してきました。次の目的地は、日本百名城の87番に登録されている『名護屋城』です。尾張名古屋の『名古屋城』と同じ発音ですが、文字は異なっています。豊臣秀吉時代の天正20年(1592年)に築かれた、朝鮮半島への出兵のための巨大な城と陣地群です。(同上)

    乗り換え時間がかなりありましたから、その間で呼子のバスターミナルとその付近を散策してきました。次の目的地は、日本百名城の87番に登録されている『名護屋城』です。尾張名古屋の『名古屋城』と同じ発音ですが、文字は異なっています。豊臣秀吉時代の天正20年(1592年)に築かれた、朝鮮半島への出兵のための巨大な城と陣地群です。(同上)

  • 個人的には、晩年の秀吉の狂気を思わせる巨大な名護屋城と朝鮮出兵です。九州の諸大名に築かせたとされる名護屋城は、ほぼ半年で完成したようです。陣城ですが、本丸、二の丸、三の丸を中心に、高石垣を配した多くの曲輪が置かれ、城域は、約17万平方メートルに及び、全国の諸大名も陣屋を置き、一時期賑ったようです。(同上)<br />*写真は、ほかに待ち合わせの人もいなかった呼子のバスターミナルです。

    個人的には、晩年の秀吉の狂気を思わせる巨大な名護屋城と朝鮮出兵です。九州の諸大名に築かせたとされる名護屋城は、ほぼ半年で完成したようです。陣城ですが、本丸、二の丸、三の丸を中心に、高石垣を配した多くの曲輪が置かれ、城域は、約17万平方メートルに及び、全国の諸大名も陣屋を置き、一時期賑ったようです。(同上)
    *写真は、ほかに待ち合わせの人もいなかった呼子のバスターミナルです。

  • 名古屋城の周りに陣屋を構えたのは、『松浦古事記』に「諸大名陣場之事」として102人の武将の陣所の所在地が描かれています。現在、名護屋城周辺には118箇所の陣跡が確認されています。その内の65箇所に遺構が残っています。(同上)<br />*写真は、今回利用した路線バスの運行経路図です。現在地の『呼子駅』が、紅く記されていました。目的地の名護屋城までは半島先端を西に向かいます。

    名古屋城の周りに陣屋を構えたのは、『松浦古事記』に「諸大名陣場之事」として102人の武将の陣所の所在地が描かれています。現在、名護屋城周辺には118箇所の陣跡が確認されています。その内の65箇所に遺構が残っています。(同上)
    *写真は、今回利用した路線バスの運行経路図です。現在地の『呼子駅』が、紅く記されていました。目的地の名護屋城までは半島先端を西に向かいます。

  • 現在、国の特別史跡に指定された陣跡は以下の23箇所です。<br />生駒親正陣跡、上杉景勝陣跡、片桐且元陣跡、加藤清正陣跡、加藤嘉明陣跡、木下利房陣跡、木下延俊陣跡、村重隆陣跡、九鬼嘉隆陣跡、黒田長政陣跡、小西行長陣跡、島津義弘陣跡、伊達政宗陣跡、徳川家康陣跡、徳川家康別陣、(続く)<br />*写真は、昭和バスダイヤです。唐津駅から博物館まで、約40分(乗換除)でした。

    現在、国の特別史跡に指定された陣跡は以下の23箇所です。
    生駒親正陣跡、上杉景勝陣跡、片桐且元陣跡、加藤清正陣跡、加藤嘉明陣跡、木下利房陣跡、木下延俊陣跡、村重隆陣跡、九鬼嘉隆陣跡、黒田長政陣跡、小西行長陣跡、島津義弘陣跡、伊達政宗陣跡、徳川家康陣跡、徳川家康別陣、(続く)
    *写真は、昭和バスダイヤです。唐津駅から博物館まで、約40分(乗換除)でした。

  • 豊臣秀保陣跡、福島正則陣跡、古田織部陣跡、鍋島直茂陣跡、長谷川秀一陣跡、堀秀治陣跡、前田利家陣跡、毛利秀頼陣跡、(以上、23箇所です)<br />*諸般の事情で、天守閣は再建されませんでしたが、1976年から数十年にかけて行われた発掘のデータと、狩野派の絵師の狩野光信による「肥前名護屋城図屏風」を基に、CG資料が作成されました。(同上)

    豊臣秀保陣跡、福島正則陣跡、古田織部陣跡、鍋島直茂陣跡、長谷川秀一陣跡、堀秀治陣跡、前田利家陣跡、毛利秀頼陣跡、(以上、23箇所です)
    *諸般の事情で、天守閣は再建されませんでしたが、1976年から数十年にかけて行われた発掘のデータと、狩野派の絵師の狩野光信による「肥前名護屋城図屏風」を基に、CG資料が作成されました。(同上)

  • そのCG資料は、前回の見学の時に利用させてもらいましたが、素晴らしい出来栄えでした。西和夫・神奈川大学名誉教授による監修の下、天守や本丸の設計図を書き起こしたCGです。2015年にタブレット端末等を用いて、再現CGを見ながら名護屋城跡を散策できる「バーチャル名護屋城」のサービスを開始しました。(同上)<br />*写真は、呼子のバスターミナル前の光景です。

    そのCG資料は、前回の見学の時に利用させてもらいましたが、素晴らしい出来栄えでした。西和夫・神奈川大学名誉教授による監修の下、天守や本丸の設計図を書き起こしたCGです。2015年にタブレット端末等を用いて、再現CGを見ながら名護屋城跡を散策できる「バーチャル名護屋城」のサービスを開始しました。(同上)
    *写真は、呼子のバスターミナル前の光景です。

  • 『呼子(よぶこ・よびこ)イカ』の宣伝看板です。地元のグルメ宣伝文からの紹介です。『「佐賀牛」「いか活造り」「竹崎カニ」など海・山の幸であふれる佐賀県。中でも「イカの町」で有名な唐津市呼子は観光客も多く訪れる人気スポットです』、と紹介されていました。呼子では、『ケンサキイカ』が一番のお勧めのようです。『剣先烏賊』は、日本各地の海域に生息する、ヤリイカ科ヤリイカ属のイカの一種です。美味なイカとして定評があり、高級イカとして知られているアオリイカ・ヤリイカに並ぶ高級イカとされています。(同上)

    イチオシ

    『呼子(よぶこ・よびこ)イカ』の宣伝看板です。地元のグルメ宣伝文からの紹介です。『「佐賀牛」「いか活造り」「竹崎カニ」など海・山の幸であふれる佐賀県。中でも「イカの町」で有名な唐津市呼子は観光客も多く訪れる人気スポットです』、と紹介されていました。呼子では、『ケンサキイカ』が一番のお勧めのようです。『剣先烏賊』は、日本各地の海域に生息する、ヤリイカ科ヤリイカ属のイカの一種です。美味なイカとして定評があり、高級イカとして知られているアオリイカ・ヤリイカに並ぶ高級イカとされています。(同上)

  • ガラス窓に、『呼子観光案内所・呼子発着所』の表示がありました。その傍らには、昭和バス名義で、『大型バスが進入します。駐停車を固く禁止します。場内での通り抜けは、一切責任を負いかねます。』の文字が、句読点なしの硬い表現で記されていました。(同上)

    ガラス窓に、『呼子観光案内所・呼子発着所』の表示がありました。その傍らには、昭和バス名義で、『大型バスが進入します。駐停車を固く禁止します。場内での通り抜けは、一切責任を負いかねます。』の文字が、句読点なしの硬い表現で記されていました。(同上)

  • 時刻表に記された定刻通りに、呼子のバス停を出発し、昭和バスの『名護屋城・博物館入口』で下車しました。写真の建物は、そのバス停から5分ほど歩いてやってきた、『名護屋城博物館』の玄関光景です。昨年の平成29年(2017年)3月30日に見学したばかりの名護屋城ですから、まだ記憶に鮮明な建物です。(同上)

    時刻表に記された定刻通りに、呼子のバス停を出発し、昭和バスの『名護屋城・博物館入口』で下車しました。写真の建物は、そのバス停から5分ほど歩いてやってきた、『名護屋城博物館』の玄関光景です。昨年の平成29年(2017年)3月30日に見学したばかりの名護屋城ですから、まだ記憶に鮮明な建物です。(同上)

  • 佐賀県立の『名護屋城博物館』の周りの光景です。敷石が敷き詰められ、椅子席が設けられた小公園の光景です。公式サイトからの紹介です。『佐賀県立名護屋城博物館は、特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」の保存整備事業と、文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)及び日本列島と朝鮮半島との長い交流の歴史を調査・研究・展示紹介し、日韓の学術・文化の交流拠点となることを目的として』(続く)

    佐賀県立の『名護屋城博物館』の周りの光景です。敷石が敷き詰められ、椅子席が設けられた小公園の光景です。公式サイトからの紹介です。『佐賀県立名護屋城博物館は、特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」の保存整備事業と、文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)及び日本列島と朝鮮半島との長い交流の歴史を調査・研究・展示紹介し、日韓の学術・文化の交流拠点となることを目的として』(続く)

  • 『平成5年10月に開館しました』、と紹介されていました。その他の紹介です。<br />〇保存整備事業:特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」は、文禄・慶長の役の出兵基地であり、不幸な歴史の証人ではありますが、日本の歴史上、最大規模の城郭関係遺跡群という特徴ももっています。(同上)

    『平成5年10月に開館しました』、と紹介されていました。その他の紹介です。
    〇保存整備事業:特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」は、文禄・慶長の役の出兵基地であり、不幸な歴史の証人ではありますが、日本の歴史上、最大規模の城郭関係遺跡群という特徴ももっています。(同上)

  • 名護屋城博物館では、地元自治体とも協力しながら、名護屋城跡のほか、諸大名の陣跡、関連遺跡の発掘調査・保存整備に取り組んでいます。<br />〇展示活動:「日本列島と朝鮮半島との交流史」をテーマとした常設展示を中心に、文禄・慶長の役や名護屋城、朝鮮半島の文化、佐賀県・唐津・東松浦地域の歴史・文化などを題材としたテーマ展も随時開催しています。(同上)

    名護屋城博物館では、地元自治体とも協力しながら、名護屋城跡のほか、諸大名の陣跡、関連遺跡の発掘調査・保存整備に取り組んでいます。
    〇展示活動:「日本列島と朝鮮半島との交流史」をテーマとした常設展示を中心に、文禄・慶長の役や名護屋城、朝鮮半島の文化、佐賀県・唐津・東松浦地域の歴史・文化などを題材としたテーマ展も随時開催しています。(同上)

  • 〇教育普及活動:学芸員がそれぞれの研究活動の成果を発表する「なごや歴史講座」を毎月一回開催しているほか、発掘調査成果を一般に公開する「史跡探訪会」、公民館・学校等への「出前講座」を実施しています。<br /> また、国際交流員が地元小中学校の異文化交流を支援したり、館内で韓国語講座を開催しているほか、(続く)

    〇教育普及活動:学芸員がそれぞれの研究活動の成果を発表する「なごや歴史講座」を毎月一回開催しているほか、発掘調査成果を一般に公開する「史跡探訪会」、公民館・学校等への「出前講座」を実施しています。
     また、国際交流員が地元小中学校の異文化交流を支援したり、館内で韓国語講座を開催しているほか、(続く)

  • 平成18年度からは県立唐津青翔高校との博学協働授業「日韓交流史」を通年で行っています。<br />〇学術交流活動:平成15年度に韓国国立晋州博物館との学術交流協定を結びました。相互の資料貸借や職員の派遣による資料調査等を行い、成果を展覧会や講座でご紹介しています。(同上)

    平成18年度からは県立唐津青翔高校との博学協働授業「日韓交流史」を通年で行っています。
    〇学術交流活動:平成15年度に韓国国立晋州博物館との学術交流協定を結びました。相互の資料貸借や職員の派遣による資料調査等を行い、成果を展覧会や講座でご紹介しています。(同上)

  • 〇博物館の沿革(抜粋)<br />*昭和53(1978)年1月:第1回名護屋城跡並びに陣跡保存整備委員会開催。<br />*昭和60(1985)年11月:名護屋城跡調査研究所」の設立を審議。<br />*昭和62(1987)年6月:「名護屋城跡センター」(仮称)建設検討委員会を開催。<br />*昭和63(1988)年9月:佐賀県立名護屋城跡資料館(仮称)建設が県議会に諮られる。

    〇博物館の沿革(抜粋)
    *昭和53(1978)年1月:第1回名護屋城跡並びに陣跡保存整備委員会開催。
    *昭和60(1985)年11月:名護屋城跡調査研究所」の設立を審議。
    *昭和62(1987)年6月:「名護屋城跡センター」(仮称)建設検討委員会を開催。
    *昭和63(1988)年9月:佐賀県立名護屋城跡資料館(仮称)建設が県議会に諮られる。

  • *昭和63(1988)年11月:資料館建設の理解と協力要請のため知事訪韓。<br />*平成3(1991)年	11月:建設工事着工。<br />*平成5(1993)年	3月:建設本体工事竣工。<br />*平成5(1993)年	9月:展示工事竣工・外構工事竣工。<br />*平成5(1993)年	9月:佐賀県立名護屋城博物館開館。

    *昭和63(1988)年11月:資料館建設の理解と協力要請のため知事訪韓。
    *平成3(1991)年 11月:建設工事着工。
    *平成5(1993)年 3月:建設本体工事竣工。
    *平成5(1993)年 9月:展示工事竣工・外構工事竣工。
    *平成5(1993)年 9月:佐賀県立名護屋城博物館開館。

  • *平成5(1993)年	9月:開館記念特別展「李朝の美-生活空間の美と心-」開催。<br />*平成6(1994)年	10月:特別企画展「縄文のシンフォニー」開催。<br />*平成7(1995)年	9月:特別企画展「唐入り」開催。<br />*平成8(1996)年	8月:「朝鮮伝統舞踊-アジアの舞姫 白香珠-」舞踊公演開催。<br />*平成8(1996)年9月:世界の炎博開催記念「唐津焼の源流」展開催。

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    *平成5(1993)年 9月:開館記念特別展「李朝の美-生活空間の美と心-」開催。
    *平成6(1994)年 10月:特別企画展「縄文のシンフォニー」開催。
    *平成7(1995)年 9月:特別企画展「唐入り」開催。
    *平成8(1996)年 8月:「朝鮮伝統舞踊-アジアの舞姫 白香珠-」舞踊公演開催。
    *平成8(1996)年9月:世界の炎博開催記念「唐津焼の源流」展開催。

  • *平成9(1997)年	4月:来館者50万人達成。<br />*平成9(1997)年	10月:特別企画展「誠信の交わり-文化8年の朝鮮通信使-」開催<br />*平成10(1998)年4月:入館料の無料化(特別企画展開催中を除く)<br />*平成10(1998)年10月:特別企画展「肥前と高麗-元寇・倭寇と高麗の美-」開催<br />*平成11(1999)年4月:国際交流員配属。

    *平成9(1997)年 4月:来館者50万人達成。
    *平成9(1997)年 10月:特別企画展「誠信の交わり-文化8年の朝鮮通信使-」開催
    *平成10(1998)年4月:入館料の無料化(特別企画展開催中を除く)
    *平成10(1998)年10月:特別企画展「肥前と高麗-元寇・倭寇と高麗の美-」開催
    *平成11(1999)年4月:国際交流員配属。

  • *平成11(1999)年9月:特別企画展「倭国と加耶-古代の海を越えて-」開催。<br />*平成12(2000)年6月:韓国からの来館者1万人達成。<br />*平成12(2000)年10月:特別企画展「日韓交流の窓-釜山・蔚山・慶尚南道 <br /> 歴史と風土の旅-」開催。<br />*平成13(2001)年5月:佐賀県日韓交流センター設置。(続きます)

    *平成11(1999)年9月:特別企画展「倭国と加耶-古代の海を越えて-」開催。
    *平成12(2000)年6月:韓国からの来館者1万人達成。
    *平成12(2000)年10月:特別企画展「日韓交流の窓-釜山・蔚山・慶尚南道 
     歴史と風土の旅-」開催。
    *平成13(2001)年5月:佐賀県日韓交流センター設置。(続きます)

  • 帰りのバスを待ったバス停の光景です。『昭和バス・のりば・名護屋城・博物館入口』の表示がありました。いったん唐津駅に戻り、次の見学地の佐賀城に向かうことにしました。佐賀城は日本百名城の89番です。こちらもすでに見学したお城ですから、スタンプ帳に押印するだけが目的です。(同上)

    帰りのバスを待ったバス停の光景です。『昭和バス・のりば・名護屋城・博物館入口』の表示がありました。いったん唐津駅に戻り、次の見学地の佐賀城に向かうことにしました。佐賀城は日本百名城の89番です。こちらもすでに見学したお城ですから、スタンプ帳に押印するだけが目的です。(同上)

  • 名前:『サザンカ(山茶花)』:推定<br />分類:ツバキ科ツバキ属<br />分布:日本の固有種。<br />その他:オキナワサザンカとも呼ばれる広葉樹です。ツバキとサザンカは、見分けが付きにくいことがありますので、『推定』の文字を添えておきました。また、『寒椿(カンツバキ)』は、普段見かける街路樹で、椿と山茶花の交配種の常緑中低木です。交配種だけあって、椿や山茶花とはとても良く似ており、見分けにくいのが特徴です。ツバキもサザンカも、同じ『ツバキ科ツバキ属』ですから、拘ることがないのかも知れません。(同上)

    名前:『サザンカ(山茶花)』:推定
    分類:ツバキ科ツバキ属
    分布:日本の固有種。
    その他:オキナワサザンカとも呼ばれる広葉樹です。ツバキとサザンカは、見分けが付きにくいことがありますので、『推定』の文字を添えておきました。また、『寒椿(カンツバキ)』は、普段見かける街路樹で、椿と山茶花の交配種の常緑中低木です。交配種だけあって、椿や山茶花とはとても良く似ており、見分けにくいのが特徴です。ツバキもサザンカも、同じ『ツバキ科ツバキ属』ですから、拘ることがないのかも知れません。(同上)

  • バスの待ち時間がありましたので、立ち寄ってお土産を買ったお店です。売り場が広く、各種の地元の品がそろっていました、お店の看板の文字は、道の駅の『桃山天下市』でした。新鮮な野菜や魚介類の物販のほか、お食事処もありました。食事の時間帯でしたら、『ヨビコイカ』刺身は外せません。(同上)

    バスの待ち時間がありましたので、立ち寄ってお土産を買ったお店です。売り場が広く、各種の地元の品がそろっていました、お店の看板の文字は、道の駅の『桃山天下市』でした。新鮮な野菜や魚介類の物販のほか、お食事処もありました。食事の時間帯でしたら、『ヨビコイカ』刺身は外せません。(同上)

  • 〇博物館の沿革(抜粋):続きです。<br />*平成13(2001)年5月:来館者100万人達成。<br />*平成13(2001)年10月:特別企画展「光州・全羅南道の歴史と風土」開催。<br />*平成14(2002)年10月:特別企画展「海洋文化・済州道の歴史と風土」開催。<br />*平成14(2002)年2月:韓国国立晋州博物館と学術交流協定締結。

    〇博物館の沿革(抜粋):続きです。
    *平成13(2001)年5月:来館者100万人達成。
    *平成13(2001)年10月:特別企画展「光州・全羅南道の歴史と風土」開催。
    *平成14(2002)年10月:特別企画展「海洋文化・済州道の歴史と風土」開催。
    *平成14(2002)年2月:韓国国立晋州博物館と学術交流協定締結。

  • *平成15(2003)年10月:開館10周年記念特別企画展「4つの窓と<br /> 釜山-東アジアの中の日韓交流-」開催。<br />*平成16(2004)年9月:常設特別展「対馬-日韓交流の架け橋-」開催。<br />*平成17(2005)年9月:来館者150万人達成。<br />*平成17(2005)年10月:特別企画展「秀吉と城」開催。

    *平成15(2003)年10月:開館10周年記念特別企画展「4つの窓と
     釜山-東アジアの中の日韓交流-」開催。
    *平成16(2004)年9月:常設特別展「対馬-日韓交流の架け橋-」開催。
    *平成17(2005)年9月:来館者150万人達成。
    *平成17(2005)年10月:特別企画展「秀吉と城」開催。

  • *平成18(2006)年4月:県立唐津青翔高校との博学協働授業「日韓交流史」開講。<br />*平成18(2006)年10月:常設特別展「くじらといきる」開催。<br />*平成19(2007)年10月:特別企画展「秀吉と文禄・慶長の役」開催。<br />*平成20(2008)年10月:常設特別展「寄贈記念『洪浩然忍ぶ・忘れず』」開催。<br />*平成21(2009)年7月:「追悼 日本藝術院会員 中里逢庵」展開催。

    *平成18(2006)年4月:県立唐津青翔高校との博学協働授業「日韓交流史」開講。
    *平成18(2006)年10月:常設特別展「くじらといきる」開催。
    *平成19(2007)年10月:特別企画展「秀吉と文禄・慶長の役」開催。
    *平成20(2008)年10月:常設特別展「寄贈記念『洪浩然忍ぶ・忘れず』」開催。
    *平成21(2009)年7月:「追悼 日本藝術院会員 中里逢庵」展開催。

  • *平成21(2009)年10月:特別企画展「肥前名護屋城と秀吉の城」開催。<br />*平成21(2009)年12月:韓国伝統芸能来日公演「唱・奏・舞 ワッソ!」開催。<br />*平成22(2010)年8月:来館者200万人達成。<br />*平成23(2011)年5月:第100回なごや歴史講座 開催。<br />*平成27(2015)年9月:特別企画展「はるかなる海上の道ー日韓交流ー」開催。

    *平成21(2009)年10月:特別企画展「肥前名護屋城と秀吉の城」開催。
    *平成21(2009)年12月:韓国伝統芸能来日公演「唱・奏・舞 ワッソ!」開催。
    *平成22(2010)年8月:来館者200万人達成。
    *平成23(2011)年5月:第100回なごや歴史講座 開催。
    *平成27(2015)年9月:特別企画展「はるかなる海上の道ー日韓交流ー」開催。

  • *平成30(2018)年9月:開館25周年特別企画展「幻の巨大都市」開催。<br />*令和元(2019)年7月:企画展「トイレの謎を追え!!ー名護屋の厠と雪隠」開催。<br />*令和2(2020)年	9月:企画展「『鬼島津』が遺したものー島津義弘」開催。<br />*令和4(2022)年	3月:黄金の茶室 復元常設展示。<br />*令和4(2022)年9月:特別企画展「黄金の茶室」復元記念」開催。<br />

    *平成30(2018)年9月:開館25周年特別企画展「幻の巨大都市」開催。
    *令和元(2019)年7月:企画展「トイレの謎を追え!!ー名護屋の厠と雪隠」開催。
    *令和2(2020)年 9月:企画展「『鬼島津』が遺したものー島津義弘」開催。
    *令和4(2022)年 3月:黄金の茶室 復元常設展示。
    *令和4(2022)年9月:特別企画展「黄金の茶室」復元記念」開催。

  • 『唐津くんち』に因む、『曳子の像』のブロンズ像の光景です。椅子に腰かけて、横笛をふく少年の姿でした。『唐津くんち』は、唐津神社の秋季例大祭のことです。『くんち』とは、『供日(くにち)』が九州の方言で訛ったものとも言われいますが、諸説あるようです。九州北部地方では、秋祭りの事を「くんち」と呼ぶ地域が多くあるようです。(同上)

    イチオシ

    『唐津くんち』に因む、『曳子の像』のブロンズ像の光景です。椅子に腰かけて、横笛をふく少年の姿でした。『唐津くんち』は、唐津神社の秋季例大祭のことです。『くんち』とは、『供日(くにち)』が九州の方言で訛ったものとも言われいますが、諸説あるようです。九州北部地方では、秋祭りの事を「くんち」と呼ぶ地域が多くあるようです。(同上)

  • 『曳子』のタイトルがあった説明パネルの紹介です。くんちは、『お供えの日』と書くことから、秋の実りを神様にお供えして五穀豊穣に感謝するお祭りであることがわかります。唐津くんちの御神輿の渡御は、江戸時代の寛文年間(1661~1673年)頃に始まったと伝えられているようです。曳山は御神輿にお供して神様を警護する目的で造られました。(同上)

    『曳子』のタイトルがあった説明パネルの紹介です。くんちは、『お供えの日』と書くことから、秋の実りを神様にお供えして五穀豊穣に感謝するお祭りであることがわかります。唐津くんちの御神輿の渡御は、江戸時代の寛文年間(1661~1673年)頃に始まったと伝えられているようです。曳山は御神輿にお供して神様を警護する目的で造られました。(同上)

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