2018/03/05 - 2018/03/12
39位(同エリア230件中)
milkさん
この旅行記スケジュールを元に
前々から叔母と共に気になっていたバルト三国。
交通手段がバスになる事が多いので、「大きなスーツケースを持っての移動は大変そうだな~」と、個人旅行で行くのを躊躇していたのですが、バルト三国のツアーって安いのね(笑)
それならとりあえず行きたい所に連れて行ってくれるツアーに参加しておいて、そのうちのんびり個人旅行で行きましょう。
という事で、値段が高騰する前の3月前半のツアーに申し込みました。
ルートはヘルシンキから入ってタリン→リガ→ヴィリニュス→リガ→ヘルシンキと、ぐるっと一回り。
なんだか無駄な移動のような気もするけれど、JALだし、行きたい所は網羅していたからいいかな?
ポーランドoutもあったけど、値段が上がるので止めました。
ポーランドはまたいつか...。
3月のバルト三国なんてまだまだ極寒だろうと思ったけど、事前連絡をして下さった添乗員さんの情報によると、「皆さんが思っているほど寒くないですよ」との事。
とは言え、寒がりな私は準備万端にして向かいました(笑)
★クラブツーリズム★
中世の薫り漂うバルト三国とバルト海の乙女フィンランド8日間
・ツアー代金(燃料サーチャージ込) 190000円
・ルンダーレ宮殿観光(オプション) 10000円
【ツアー日程】
3/5(月)
11:30 成田空港発 JL413
18:30 ヘルシンキからフェリーに乗ってタリンへ
https://4travel.jp/travelogue/11425405
3/6(火)
タリンからリガへ移動。
午後、リガ市内観光
https://4travel.jp/travelogue/11427969
3/7(水)
リガからシャウレイへ。十字架の丘見学
https://4travel.jp/travelogue/11431427
シャウレイからカウナスへ。日本領事館見学 ←今ここ
https://4travel.jp/travelogue/11433037
カウナスからヴィリニュスへ移動 ヴィリニュス夕暮れ時のお散歩
https://4travel.jp/travelogue/11438432
3/8(木)
ヴィリニュス市内観光
https://4travel.jp/travelogue/11442031
カウナス城観光
カウナスからリガへ
https://4travel.jp/travelogue/11448528
3/9(金)
ルンダーレ宮殿観光
https://4travel.jp/travelogue/11458271
ヴィリニュスからタリンへ移動
https://4travel.jp/travelogue/11463082
3/10(土)
タリン市内観光
16:30 タリンからフェリーに乗ってヘルシンキへ
https://4travel.jp/travelogue/11465215 (前半)
https://4travel.jp/travelogue/11466757 (後半)
3/11(日)
ヘルシンキ市内観光
17:05 ヘルシンキ。ヴァンター空港発 JL414便
https://4travel.jp/travelogue/11469333
3/12(月)
9:35 成田空港着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
シャウレイを出た私たちはカウナスへと向かいました。
カウナスの街に入る前にランチタイムです。
新しそうなレストランですね。 -
今日のランチ。
前菜はボルシチ。
ビーツ(赤かぶ)を使った酸味のあるスープです。
美味しかった~♪
ボルシチってロシアやポーランドの料理だと思っていたら、ウクライナの伝統的な料理なんですって。 -
メインはリトアニアの郷土料理、ツェぺリナイ。
すりおろしたじゃがいもとマッシュポテトをお団子にして、中にひき肉を詰めたものです。
じゃがいものお餅のような感じ?
飛行船の形なんですって。
作るのにすごく手間がかかるらしいです。
このもちもち感は日本人ならみんな好きだと思う!
優しい味付けのクリームソースも美味しく、中身もひき肉だったので間食~♪
なかなかお腹に溜まりました(^_^;)
レストランの中の写真がなかった...。 -
食事が済んだら、いよいよカウナスに入ります。
カウナスでのメインは、旧日本領事館である杉原記念館。
バルト三国に行くならば、ここも絶対に訪れたかった場所です。
杉原記念館は予約制。
まだ予約の時間には早かったので、先にカウナスの市内観光をする事になりました。
カウナスの街に入ったのでしょうか。 -
さほど大きな街ではないようです。
-
カウナスの中心地はネリス川とネムナス川に挟まれています。
この2つの川があったので、カウナスは貿易の要塞の町として栄えたのだそうです。
15世紀にはハンザ同盟の代表部が設けられ、商業活動の中心地として繁栄しました。
川はやはり凍っているようですね。
寒々しい景色です。 -
バスを降りたら歩いて観光です。
雪が降っていますよ!
寒すぎる...(*_*)
まずはヴィダウタス大公教会。
残念ながらここは通り過ぎただけ...。 -
Aleksoto通りと入るとこれはまたレンガ造りの美しいゴシック様式の建物がありました。
ペルクーナスの家(Perkuno Namas)です。
15世紀に建てられたゴシック様式の傑作。
言い伝えによると、この場所には雷神ペルクーナスを祀る神殿があったそうです。
ファサードが素敵ですね。ペルクーナスの家 建造物
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市庁舎広場に出ました。
-
シュッと聳え立つ塔を持つ建物が市庁舎です。
旧市庁舎 (カウナス) 史跡・遺跡
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イチオシ
この美しい姿から「白鳥」と呼ばれています。
1542年に最初の礎石が置かれ、18世紀半ばにこの美しいバロック様式の姿となりました。
白鳥には雪が似合いますね。
現在はカウナスの歴史資料を集めた博物館になっているそうです。
2階にある白鳥の間が素敵なんですって!
入って観たかったな~。旧市庁舎 (カウナス) 史跡・遺跡
-
イチオシ
左側のピンク色のファサードが美しい建物はイエズス教会。
1722年に建立されたバロック様式。
フランシスコ・ザビエル教会とも呼ばれていますが、ザビエルとの関係性はないそうです...。
修道院・神学校も併設されているそうです。 -
壁にはフレスコ画が描かれています。
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比較的大きな広場でしたが、広場には何にもありません...。
-
広場の周りには建物が取り囲みます。
意外と地味な建物たち。
それが返って風情あっていい感じ。 -
聖ペテロ&パウロ大聖堂に向かいます。
真ん中に見えるレンガ色の建物です。
傘をさすと邪魔なので、みんなコートのフードを被って凌いでいます。
みんな寒そう~(*_*)
はい、また私遅れています(^_^;) -
どっしりと構えるように聖ペテロ&パウロ大聖堂が建っていました。
赤レンガが美しい15世紀の大聖堂です。
現在はリトアニアのカトリックの司教座聖堂になっています。聖ペテロ & パウロ (ペトロ イル ポヴィロ)大聖堂 寺院・教会
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収まりきらなかったので、縦でもう一枚。
聖ペテロ & パウロ (ペトロ イル ポヴィロ)大聖堂 寺院・教会
-
ドアには4人の聖人の姿が。
左から2番目、鍵を持っているのがこの教会の名前にもなっている聖ペテロ(St Peter)
英語読みでピーター。
「天の国の鍵」をイエスから受け取った事から、アトリビュートが鍵。
暴君ネロの時代にキリスト教の迫害に遭い、逆さ磔の刑で殉教します。
その右となりで本と剣を持っているのは聖パウロ(St. Paul)
英語読みでポール。
パウロはもともと伝統的なユダヤ教徒で、初めはキリスト教を迫害していたそうです。
ところが、「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」というイエスの声を聴いて回心。(サウロはパウロのユダヤ名)
聖ペテロと同じく、暴君ネロの迫害により剣で首を切られて殉教。
その為、アトリビュートが剣です。
また、新約聖書の著者の一人であり、文学の才能があったので、本もアトリビュートになっています。
その両端はこの大聖堂の 司教かしら?
ここには詩人であり神父であったマイロニスのお墓もあるそうなので「M]というイニシャルからどちらかはマイロニスかも?
※アトリビュートとは、その人物を表す持ち物の事。聖ペテロ & パウロ (ペトロ イル ポヴィロ)大聖堂 寺院・教会
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ここは内部見学が出来ました。
なんて素敵なのでしょう!
落ち着いた赤いレンガの外観からは想像出来ない、豪華な内装です。聖ペテロ & パウロ (ペトロ イル ポヴィロ)大聖堂 寺院・教会
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イチオシ
壁いっぱいに描かれたフレスコ画が有名だそうです。
美しい色合いですね。聖ペテロ & パウロ (ペトロ イル ポヴィロ)大聖堂 寺院・教会
-
柱から天井まで、抜かりなく美しく装飾されていますね。
思わずうっとり...。 -
説教壇は落ち着いた色合いでした。
-
漆喰の彫刻が美しい祭壇。
-
イチオシ
中央には磔されたイエス・キリスト。
その下で泣き崩れているマリア様が痛々しい...。
その脇には骸骨が。
恐らくこれはキリストが死んでいることを意味しているのでしょう。
そして上は昇天したイエス・キリストでしょうか。
使徒が周りを取り囲んでいますね。 -
中央部分をもう少しアップで。
このマリア様、美しすぎる...。 -
更にその上にある銀の装飾も素敵でした。
天井の模様が面白い。
ブルー(薄紫?)のフレスコ画が綺麗だったのに、慌てて撮っているからボケちゃった(*_*) -
パイプオルガン。
ゴシック様式の教会のようなデザインですね。 -
中央祭壇手前の柱(左側)にはマリア像。
彫刻なのに、衣装のドレープ感がとっても美しい。
布の柔らかさまで伝わってきますね。 -
その上のフレスコ画。
天使ちゃんや周りの装飾がまたゴージャスです。 -
右側にはキリスト像。
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素敵なミントグリーンの祭壇もありました。
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ゴールドをふんだんに使った装飾がより華やかに見せています。
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柱に施された葡萄のレリーフが素晴らしい!!
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この祭壇の方のマークでしょうか。
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沢山の天使ちゃんに見守られていました。
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マイロニスさん?
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これは何の記念でしょう?
調べてみましたが情報が見つかりませんでした...。
この教会は自由見学で入ったので、現地ガイドさんの説明もなかったもので。 -
この絵、素敵...。
限られた時間で見なくてはいけないので、慌てて写真を撮っていたのがいけないのか、ピントの合っていない写真が多くてすみません...。 -
も少し時間があるので、教会の周りも散策。
古そうなフレスコ画が残されていました。
うっすらと見えるのは、ゴルゴダの丘のイエス・キリストの磔刑ですね。
これから修復するのかな? -
マリア様の像がありました。
何かの記念碑のようです。 -
こちらもまたお美しい...。
カウナスのマリア様は特に美しい気がします。
そして、マイロニスのお墓は撮り忘れたようです...。 -
大聖堂周辺の街並み。
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カウナスの旧市街は落ち着いた佇まいですね。
まだ時間があったのでもう少し街を歩いてみたかったけど、あまりの寒さに断念。
添乗員さんに教えて頂いたお土産屋さんに行ってみると、もうみんなそこにいました(笑)
寒さしのぎのひやかしでごめんなさいm(__)m
でも、また一人参加のおじ様がご家族にお土産を購入していらっしゃいました。 -
全員集合したら、バスが停まっている駐車場まで移動。
駐車場からはカウナス城が見えました。 -
面白い壁画を発見!
この方、良く4トラに登場していますね(笑) -
バスに乗って、高台にある旧日本領事館へと向かいます。
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杉原記念館(旧日本領事館)に着きました。
実は、叔母がバルト三国に行ってみたいと言い始めたのはもうずいぶんと前の事。
当時、私はバルト三国の魅力が分からず、「バルト海に面した街並みが見たいのかな~?」程度に思っておりました。
それからヨーロッパを旅していくうちにホロスコープについても色々と学び、この4トラと通してカウナスには「日本のシンドラー」と呼ばれる方がいたことを知りました。
そうしているうちに、唐沢寿明さんと小雪さん出演の映画「杉原千畝スギハラチウネ」が上映。
「バルト三国に行きたい!」という気持ちが一気に押し寄せて来たのです。
杉原記念館につきましては私の個人的な記録として書き残したいので、この先は文章が長くなりますのでご了承下さいm(__)m
★杉原記念館(日本語)
http://www.sugiharahouse.com/jp杉原記念館 博物館・美術館・ギャラリー
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撮るべきはここではなかった...。
帰って来てから門のところに「希望の門 命のヴィザ」と書かれたプレートがあった事に気付く...。
この時は雪が降っていたので下向いて門を下向いて歩いてたよ(*_*)
この国旗の方が目についたのでここだけ撮っていました。
何故、ルクセンブルグ?杉原記念館 博物館・美術館・ギャラリー
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杉原記念館に入ると、まずはビデオを見せて頂きました。
杉原千畝さんの生まれ故郷、岐阜県の八百津町で撮影されていました。
岐阜といえば、ここ3年ほど連続で栗きんとんを買いに訪れている場所。
ここに来る前に、栗きんとんの名産地、中津川からもほど近いところに「杉原千畝記念館」がある事を知ってはいたのですが、車でないと行かれないので断念していました。
★杉原千畝記念館(八百津町)
http://www.sugihara-museum.jp/
ビデオを見たら館内は自由見学。
居住スペースだった部屋の壁いっぱいに展示物が飾られています。杉原記念館 博物館・美術館・ギャラリー
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窓の間に飾られた1枚の写真。
窓からのぞく雪景色がこの写真を更に美しく見せていました。杉原記念館 博物館・美術館・ギャラリー
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ホロコースト。
1933年、アドルフ・ヒトラーの首相就任後に始まった、ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺。
これにより、ヨーロッパのユダヤ人600万人が犠牲になったそうです。
ユダヤ人たちにとって、なんと恐ろしい時代だったことでしょう。
何の罪もないのに、ただ「ユダヤ人」というだけで捕えられ、強制労働させられたり、殺されたりしました。
もともと商売上手なユダヤ人は、当時のドイツでも金融業で財を成し、地位を上げていました。
それに嫉妬したヒトラーを初めとするドイツ人が「乗っ取られる前に追放してしまおう!」と始まったのがホロコースト。
ヒトラーのユダヤ人に対する個人的憎悪という話もあります。
個人的憎悪だけで600万人ものユダヤ人を殺さなくても...。
恐るべしナチス政権...。
実はユダヤ人迫害はこの時に始まったものではないのだそうです。
時をさかのぼる事、2000年。
イエスをローマ帝国に告訴し、磔刑とさせたのはユダヤ教徒でした。
イエスの死後、キリスト教はヨーロッパで急速に広まり、キリスト教が公認となるとユダヤ教徒は裏切り者として迫害され始めています。
これはリガからカウナスに向かうバスの中で、添乗員さんが話してくださいました。
イエス・キリストとユダヤ教徒の関係は映画「パッション」を見ると良く分かるそうです。
添乗員さんもお勧めしてくださいましたが、痛々しくて見ていられないのよね...。
でも、以前訪れたイタリアの洞窟の街、マテーラで撮影されているので、いつかは勇気を出してみてみよう。杉原記念館 博物館・美術館・ギャラリー
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展示は生存者家族の個人的アーカイブとして長期館保存された資料、写真、パスポートなどの原本またはコピー。
これらが「命のビザ」と呼ばれる日本通過ビザ。
カウナスに集まって来たユダヤ人達にとって、唯一の頼みの綱です。
杉原千畝さんはこのビザで6000人にのぼるユダヤ人の命を救ったそうです。
でも、このビザを手にしてからどうやって逃げ延びたのだろう??
杉原千畝さんの事を知ってからずっと疑問に思っていました。
バルト三国に行く少し前、タイミングよくその事について詳しく知る機会がありました。
まほうのべるさんがこの杉原記念館に行かれていて、この背景についてもとても詳しく書いて下さっていたのです。
更に、そこにコメントされていたポポポさんからも沢山の情報を教えて頂き、私がこの杉原記念館に来る前に勉強する事が出来たのです!
べるちゃん、ポポポさん、ありがとうございました。
この「命のビザ」プロジェクトには沢山の方の協力と、壮大なドラマが繰り広げられていました。杉原記念館 博物館・美術館・ギャラリー
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杉原千畝さんは1900年(明治33年)1月1日 岐阜県八百津町に生まれ、1918年早稲田大学高等師範部英語科に入学しました。
英語教師となる夢を目指し勉強に励みますが、生活が苦しくなり、公費で通える外交官留学生試験に挑み、猛勉強をして見事合格。
ロシア語研修生としてハルビンに向かいます。
そこでロシア語の語学力を高く評価され、1932年に満洲国外交部事務官に就任。
その後、フィンランドの在ヘルシンキ日本公使館を経て、1939年にリトアニアの在カウナス日本領事館領事代理に就任します。
「忘れもしない1940年7月18日の早朝の事であった」と回想する千畝さん。
この日、在カウナス日本領事館の前にヨレヨレの服装をした老若男女のユダヤ人が集まって来たのでした。
彼らの目的は日本通過ビザ。
写真は日本通過ビザ、通称「命のビザ」を求めて並ぶユダヤ人たち。
ポーランドから逃げてきた方が多かったそうです。
比較的、身なりの良い方が多いように感じます。
お金がないと生き延びる望みは手に入らなかったのでしょうか? -
その頃、既にヨーロッパ各地がドイツの手に落ちていたので、シベリア大陸を横断し、ロシア・シベリアを経てウラジオストクへ。そこから日本海を渡り、日本から受入れ先となる第三国へ向かうしかありませんでした。
ユダヤ人たちがナチス・ドイツによる迫害から逃れるルートはもうこれしか残されていなかったのです。
杉原千畝さんは外務省に日本通過ビザの発行許可を仰ぐ電報を打ちますが、当時の松岡洋右外相から「最終国の入国ビザを持たない者にはビザを発行してはならない」との理由で発給拒否されます。
その問題を解決してくれたのがオランダ領事のヤン・ズヴァルテンディク。
当時オランダの植民地だったカリブ海の島であるキュラソーなら税関もないので入国できるという事に目を付け、「キュラソー・ビザ」が発行されました。
このキュラソー・ビザは「ヤン・ズヴァルテンディクが杉原氏に提案した」と書かれているものもありますが、ユダヤ人が日本領事館に押しかけた時は既にそのビザを持ってたようです。
杉原千畝とヤン・ズヴァルテンディクは直接面識がなかったとの説も。
でも、彼がいなかったら、6000人以上にのぼるユダヤ人たちは助ける事が出来なかったかもしれません。 -
1940年7月25日
杉原千畝さんは苦悩の末、奥さまの同意を得て独断でビザを発給する決断をします。
それから毎日、一人でも多くのユダヤ人を助けようと、寝る暇も惜しんでビザを書き続けました。
しかし、リトアニアはソ連に併合され、8月26日に日本領事館は閉鎖。
それでも異動先のメトロポールホテルでビザの代わりの渡航証明書を発行し続けたそうです。
そして出国する9月5日、カウナス駅にまで押しかけて来たユダヤ人にもホームや乗り込んだ汽車の中から発車ギリギリまで渡航証明書を書き続けました。
汽車が走り出すと「許して下さい、私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています」と頭を下げたそうです。
外務省保管の「杉原リスト」によると、発給したビザの数は2,132枚。
ビザは、1家族につき1枚あれば良かったそうで、杉原千畝さんが「命のビザ」によって救ったユダヤ人の数は、少なくとも6,000人に上ると言われています。
この「命のビザ」発行までの詳しい流れは、杉原千畝生誕100年記念事業「6000人のビザ」というサイトに記載されています。
http://www.chiunesugihara100.com/j-top.htm -
このビザを手にしたユダヤ人は、どのようにして生き延びたのでしょう??
ここからはポポポさんが教えて下さいました。
このビザを持った難民たちはまずシベリア鉄道でウラジオストックへと向かいました。
でも、シベリア鉄道に乗るには高額な運賃が必要だった為、渡航費用のない方はたどり着けなかったそうです。
ウラジオストックにたどり着いたユダヤ人はここから船で敦賀へと渡ることになっていました。
しかし、外務省はウラジオストの日本領事館に対し難民の渡航を許可しない通達をすでに出していましたが、当時ウラジオスト総領事代理だった根井三郎氏(杉原千畝さんと同じハルビン学校の出身)は、ユダヤ難民が手にしていたビザが訓令違反で発給されたものであることを承知の上で「日本の領事が出した通行許可書を持っているのに、入国の許可を与えないのは、日本の外交機関が発給した公文書の威信をそこなうことになる」と抗議。渡航証明書を発給して次々にユダヤ人を船に乗せて日本に送り出したそうです。
この時、アメリカのユダヤ人協会から依頼されてウラジオストから福井県の敦賀まで海上輸送したのがジャパン・ツーリスト・ビューロー(現在のJTB)でした。
ドイツとの軍事同盟締結前だったので、友好国ドイツの意向に逆らうことでしたが、人道的見地から引き受けたそうです。
当時毎週一回、計二十数回にわたって日本海を往復し、ユダヤ人のお世話をしたのがJTB職員の大迫辰雄さんでした。
敦賀―ウラジオストックの間は、片道二泊三日の航海。
冬の日本海は時化ていることが多く、それは大変な船旅だったそうです。
この事につきましては、JTBの交流文化クロニアルに詳しく掲載されています。
https://www.jtbcorp.jp/jp/colors/special/movie/activity/index.html
また、バスの中で添乗員さんもお話しして下さいました。
私は予め予習出来ていたので、同じ話が聞けて嬉しくなりました。
添乗員のGさんはとても良く勉強されていて、素晴らしい添乗員さんでした。 -
リトアニアから杉原さんによって託された命のバトンは、ウラジオストクで根井さんへ。根井さんから大迫さんへと渡され、無事に敦賀へ届けられました。
「命のビザ」は、このリレーなしには成立しなかったのですね。
ビザ発行の禁止を命じた松岡洋右外相ですが、終戦60周年記念ドラマの「日本のシンドラー 杉原千畝物語 6000人の命のビザ」を見ると、「こういう男、嫌いではない…」と、不思議な笑みを残して「ヨーロッパ全土にビザ発給禁止を通達せよ!」と命令していました。
実は、杉原千畝なら禁止しても独断で発給するとお見通しだったのでは?
だって、松岡洋右外相は満鉄総裁でもあったので、ユダヤ人がシベリアを横断する為の鉄道の手配をしたそうですよ。
これは私の勝手な想像ですが…。 -
リトアニアから敦賀までやっとの思いでたどり着いても、手持ちの資金がないために日本への入国が許可されず、避難旅行に支障をきたす事態を避ける為に、アメリカのユダヤ人協会からの援助金が送られて来ていました。
援助金と難民のリストは、ウォルター・プラウンド社(現トーマス・クック社)からジャパン・ツーリスト・ビューローニューヨーク事務所へ、さらに敦賀事務所の駐在員と乗船勤務にあたる添乗員へと送られました。
行先国の入国手続きを完了し、旅費・滞在費等に相当する携帯金を持っている者でなければ日本へは渡れなかったそうです。 -
福井県敦賀の人々は難民たちを温かく迎え真心を尽くしてお世話しました。
その温かいおもてなしにユダヤ人たちは「ツルガは天国だ」と言ったそうです。
それにしても、本当に沢山のビザ。
ここにあるという事は、無事逃げ延びたという事ですね。
のちに、この時助けられたユダヤ人たちは杉原さんを探し出そうと日本に来たそうですが、当時、自分の名前を「せんぽ」と名乗っていたのでなかなか見つけ出せなかったのだそうです。 -
杉原千畝さんの執務室。
当時のお部屋を再現しています。
奥には千羽鶴も見えますね。 -
イチオシ
この机の上で寝る間も惜しんでビザを書き続けたのですね。
当時の日本はドイツと協定を結び、交友関係を保たなければならなかったので、ユダヤ人にビザを発行するという事はナチスを刺激する事にもなりかねません。
家族に危険が及ぶ可能性を考え、家族には一切手伝わせなかったそうです。 -
イチオシ
「杉原リスト」
ビザ発給者の名前が記されています。
左から番号・国籍・名前・査証の種類・発行日・査証料が書かれているそうです。
岐阜県八百津町がこの杉原リストを「世界の記憶」(世界記憶遺産)への登録を申請しましたが、残念ながら登録されませんでした。 -
手書きのビザは本物でしょうか。
ユダヤ人にとって、この「命のビザ」がどれだけ大切なものになった事でしょう。
まさしく、命そのものですよね。 -
万年筆とインク壺。
毎日、沢山のビザを書き続けた為にペンの先は折れ、腕は動かなくなるほどだったそうです。
ペンを握りしめて痛んだ右手は、幸子夫人にマッサージしてもらっていました。 -
机の上には可愛い子供たちの写真が。
-
杉原千畝さんのお写真も。
優しそうな方ですね。 -
幸子夫人のお部屋。
家族の写真が沢山飾られていました。
映画を見ても思ったけど、外交官だけあって素敵な暮らしをしていたのですね。
華美な生活ではなく、慎ましくその地位に合った暮らしをしていたのではないかなと想像します。 -
奥に幸子夫人のお写真もありました。
(近くでも撮ればよかった...)
とても上品で優しそうな方です。
映画では小雪さんが演じていましたね。
控えめで優しくて、それでいてしっかりと旦那さんを支えている姿は、きっと幸子夫人そのままの姿なのでしょう。 -
実際に送られた電報の展示もありました。
-
こちらは「キュラソー・ビザ」
日本通過ビザを発行してもらうには、このビザを持っていないといけなかったのですね。
これも命のように大事なビザ。
「original」と書かれているので本物でしょう。 -
「命のビザ」
国の許可を待たずに日本通過ビザを発行した杉原千畝さんは、6000人にも上るユダヤ人を助けたにもかかわらず、日本では「ユダヤ人からお金をもらっていたのではないか」とか、「独断でビザを発給した責任により外務省を辞めさせられた」などの噂がたち、功績を評価されていませんでした。
ご本人もそれが理由で、外務省をクビになったという認識だったそう。
しかし、当時日本は戦争に負け、外務省も職員の3分の1をリストラした為、その一環で杉原さんは外務省を辞める事になったという背景がありました。
時は流れ、「センポ」を探し続けていたユダヤ人は、ついに彼を見つけ出します。
1968年にイスラエル大使館のニシュリ参事官と再会。彼は当時のボロボロになったビザを持っていたそうです。
翌年、イスラエル宗教大臣となったゾラフ・バルハフティクとエルサレムにて再会。
二人ともカウナスの日本領事館で日本通過ビザ発給を交渉する話し合いに参加していたユダヤ人代表者でした。
1985年(昭和60年)1月18日、イスラエル政府より、多くのユダヤ人の命を救出した功績で日本人では初で唯一の「ヤド・バシェム賞」(諸国民の中の正義の人)を受賞します。
そして2000年の10月10日
ようやく日本でも「勇気ある人道的行為をした外交官」として、日本国政府による公式な名誉回復が行われました。
杉原千畝さんの名誉回復は当時の外務政務次官、鈴木宗男さんが行ったものでした。
鈴木宗男さんが幸子夫人に謝罪して名誉回復を行ったのは、1991年10月3日の事だそうです。
シンドラーも有名ですが、彼はお金儲けの為にしていた事。
杉原千畝さんは人道的行いにより、ユダヤ人を助けました。
それなのに、この功績が認められるまでに長い時間かかってしまったのは悲しい事ですね。 -
このポストカードは買ったんだったかな?
限られた時間での見学は、やっぱり私には足りなかった...。
出来ればもっとじっくりと展示物を読みたかったです。
杉原千畝さんがビザを書き続けたメトロポールホテルやカウナス駅にも行ってみたかった。
これはまた来なくちゃかしら?
来年、中津川に行く時には今度こそ八百津町の杉原千畝記念館にも行ってみよう。 -
今では高級住宅街となったこの辺りは、昔は何もなかったそうです。
そこに沢山のユダヤ人が命のビザを求めて集まって来たのでした。
今では平和な高級住宅街。
でも、この歴史は忘れられないものでしょう。
杉原千畝さんの功績はリトアニアでも非常に評価されているそうです。
結局、杉原記念館を出たのは一番最後になってしまいました。
急いでバスに乗、次はヴィリニュスへと向かいます。
恐らく、この旅行記が2018年最後の旅行記になると思います。
今年の分、全然終わらなかった(^_^;)
また来年もよろしくお願い致します♪
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この旅行記へのコメント (12)
-
- zunzunさん 2019/01/22 18:28:31
- 命のビザ
- milkちゃん、こんばんは~☆
ツェぺリナイ♪
もちもちで中にはひき肉とくれば、食べてみたーいよ。
そしてボルシチはウクライナ料理だったとはです。
大聖堂の内部は、豪華で美しいな~♪
この中にいれば少しは寒さも避けられるのかな。
でも中も案外寒いのよね。
私もカナウスへ行きたいの。杉原千畝の足跡を辿ってみたいのよね。
添乗員さんの説明があるとよくわかるよね。でもmilkちゃんよく覚えているよ。
命のビザを発給し続けた場所をこの目で見てみたいよ。
命のリレーも素晴らしいよね。色んな方が手助けをされたんだね。
日本に帰国してからのその置かれた立場が悲しいものがありますよね。
回復したのは後年だものね。
いつの日かチャンスが巡ってきたら行きますよ^^
zun
- milkさん からの返信 2019/01/22 23:41:29
- RE: 命のビザ
- zunちゃん、こんばんは〜☆
いつもご覧頂き、ありがとうございます!
バンコクのインタコ滞在、満喫してきましたよ〜♪
あのラウンジは素晴らしいですね(^_-)
zunちゃんはもちもちがお好きなんですね。
是非、バルト三国へ〜☆
ボルシチがウクライナ料理だったことは、先日尚美さんの旅行記で知ったような...(^_^;)
カウナスの大聖堂、とても素敵でした。
教会って、石造りだし天井高いし、意外と寒いんですよね...。
杉原千畝さんの足跡を辿ってみたいようでしたら、カウナスには行かなくてはですね。
始めはただ「ビザを発給してユダヤ人を助けた人」くらいしか知らなかったので、その背景にこんな壮大なドラマがあったと知った時は更に感動しました。
名誉回復までに時間がかかってしまったのが残念ですね。
亡くなるほんの少し前なのですから。
私は今年は岐阜の杉原千畝記念館にも行こうと思います!
milk
-
- 尚美さん 2018/12/29 18:13:44
- 命のビザのリレー、感動的です!
- milk様
表紙写真、渋いですね。
杉浦千畝さんの誠実・実直なお人柄や仕事ぶりが感じられるようです。
ボルシチ大好きです。ウクライナのリヴィウでも食べましたが、家から徒歩3分くらいの所にテイクアウトのロシア料理店があるので一時期毎日買っていました。
モッチモチのツェペリナイも美味しそうです。
杉浦千畝さんのような素晴らしい人物には尊敬!ですが、困難も沢山あったでしょうね。様々な方の善意と思いでつながった命のビザのリレー、milkさんの旅行記にも感動しました。
カウナスの雪景色、寒かったでしょうが美しいですね。神戸でも昨日雪が降りました。寒さ厳しい年末年始になりそうですがmilkさんもお身体を大切にしてくださいね。来年も旅行記をお待ちしています。
尚美
- milkさん からの返信 2018/12/29 23:17:40
- RE: 命のビザのリレー、感動的です!
- 尚美様
こんばんは☆
この旅行記にふさわしい写真はこれかな〜?と思いまして、表紙写真は杉原千畝さんがビザを書いた机にしました。
杉原千畝さんばかりがクローズアップされますが、ユダヤ人を救うためには本当に沢山の方の協力があったから実現出来た事なんですよね。
始めに杉原千畝さんを知った時は、「ビザを発給しただけで、どうやって助けられたのだろう?」と疑問に思いましたが、まさかここまで壮大なドラマがあったとは驚きでした。
ボルシチは初めて食べましたが、美味しかったです♪
特に寒い日には体が温まりますね。
ご自宅の近くにロシア料理店があるのですか?
食べたくなったらいつでも買いに行かれるのですね。
ツェペリナイはソースの味付けも良くて、美味しく頂きました。
神戸はもう初雪ですか?
それは寒いですね(>_<)
年末年始は全国的に寒いようですので、風邪など引かないようにお互い気を付けましょうね。
では、来年もよろしくお願い致します。
milk
-
- るなさん 2018/12/29 14:30:21
- 命のビザ、そして命のリレー
- milkちゃん、こんにちは~寒いねぇ。
ようやっと年内の仕事が終わって、今日はもう昼まで寝てました(笑)ぐったり
ツェぺリナイって飛行船の形なんだよねぇ?私、実はこの手の食感が苦手でして(;'∀')何というか小麦粉の塊みたいなモチモチ感。ニョッキや麺類の太いのとかも苦手なのだ。パスタも普通のスパゲッティが一番好きだわ(笑)
ペルクーナスの家ってナポレオンが持ち帰りたいと言ったヴィリニュスのアンナ教会みたいなファサードね。
でもって同じネーミングの聖ペテロとパウロもあるんだ?(笑)真っ白なヴィリニュスのも素敵だけれど、カウナスのもまた優しい色合いでいいですねぇ♪ミントグリーンの祭壇が特に素敵!!
杉原千畝さん、きっとその名を知らないリトアニア人はいないだろうと思われる日本人の誇りですね。唐沢くんの映画もまだ観てないのですが。
ポーランドへ行った時もそうでしたが、直視出来ない時間が流れる残虐の歴史に私は訪れる勇気がなかったアウシュヴィッツ....
以前アムスで訪れたアンネの家、悲惨な状況下で「ただユダヤ人というだけで...」と言ったアンネの言葉が耳から離れません。涙が止まりませんでした。
今ここでmilkちゃんのキャプションを読んでいるだけでも鳥肌が立ちます。杉原千畝さんはもちろんですが、その手助けをしていた多くの方がいらしたことも奇跡かもしれませんね。このリレーなくして命は救われなかったということですね。
カリブ海に浮かぶ美しきキュラソー島、ここも私は絶対に行きたい場所なんです。いつ行けるかな?
今年もたくさんお世話になりました。よいお年をお迎えくださいね。
また来年楽しいお茶会しましょうね♪
一足お先にバンコクへ飛んできますね!!
るな
- milkさん からの返信 2018/12/29 23:08:30
- RE: 命のビザ、そして命のリレー
- るなさん、こんばんは☆
もう仕事納めでしたか。
私はお正月休みは1月2日だけ(^_^;)
その後に待っているバンコクの為に、もう少し頑張ります!
それにしても、本当に寒いです〜(>_<)
> ツェぺリナイって飛行船の形なんだよねぇ?私、実はこの手の食感が苦手でして(;'∀')何というか小麦粉の塊みたいなモチモチ感。ニョッキや麺類の太いのとかも苦手なのだ。パスタも普通のスパゲッティが一番好きだわ(笑)
そういえば、飛行船の形だと聞いたような...。
あ、実は私もこの手の触感はちょっと苦手です(笑)
でも、ツェぺリナイはじゃがいも感のほうが強くてまだ良かったかな?
>
> ペルクーナスの家ってナポレオンが持ち帰りたいと言ったヴィリニュスのアンナ教会みたいなファサードね。
> でもって同じネーミングの聖ペテロとパウロもあるんだ?(笑)真っ白なヴィリニュスのも素敵だけれど、カウナスのもまた優しい色合いでいいですねぇ♪ミントグリーンの祭壇が特に素敵!!
聖アンナ教会はこの後行きましたが、レンガの感じなど似ていますね。
っていうか、教会を持って帰りたいとか、ほんとナポレオンって何でも欲しがり過ぎですよね(笑)
でも、さすがに教会は無理でしょう...。
ヴィリニュスの聖ペテロ&パウロ教会は素敵でしたよね〜☆
ここは絶対に入りたかったので、ツアーでも組み込まれていたので嬉しかったです。
カウナスの聖ペテロ&パウロ大聖堂も素敵でしたよ♪
ミントグリーンの祭壇、カメラの調子が悪かった事もあり、あまりきれいに撮れなかったのが残念で...。
教会の名前は聖人の名前を付けている所が多いので、同じ名前の教会は多いですよね。
国によって呼び名がピーターとポールになったり...。
> 杉原千畝さん、きっとその名を知らないリトアニア人はいないだろうと思われる日本人の誇りですね。唐沢くんの映画もまだ観てないのですが。
唐沢さんと小雪さんの映画、良かったですよ!
私はもう一度見たくなりました。
> ポーランドへ行った時もそうでしたが、直視出来ない時間が流れる残虐の歴史に私は訪れる勇気がなかったアウシュヴィッツ....
> 以前アムスで訪れたアンネの家、悲惨な状況下で「ただユダヤ人というだけで...」と言ったアンネの言葉が耳から離れません。涙が止まりませんでした。
> 今ここでmilkちゃんのキャプションを読んでいるだけでも鳥肌が立ちます。杉原千畝さんはもちろんですが、その手助けをしていた多くの方がいらしたことも奇跡かもしれませんね。このリレーなくして命は救われなかったということですね。
最後はアウシュビッツに行かなくてはと思っているのですが、やはりまだ勇気が出なくて...。
アンネの家も、1回目は入る勇気がなっかたのです。
この旅行記を作成しながらホロコーストについて調べていても、読んでいるだけで「ず〜ん」と重たい気持ちになって、押し潰されそうになりました。
文章を綴るのが苦しくなる事もあり、いつもより時間がかかってしまいました。
これじゃまだアウシュビッツに行って現実を直視できないな...。
この命のリレーは本当に奇跡から生まれたものとしか言いようがありません。
リトアニアからシベリアを抜けて日本ですよ??
その合にはいくつもの難題があったのに、すべて突破できたのは沢山の人の手助けがあってこそですよね。
> カリブ海に浮かぶ美しきキュラソー島、ここも私は絶対に行きたい場所なんです。いつ行けるかな?
そうだったのですね!
私も「どんな場所なんだろう?」と興味を持ちましたが...。
るなさんなら近いうちに行きそうですね(笑)
> 今年もたくさんお世話になりました。よいお年をお迎えくださいね。
> また来年楽しいお茶会しましょうね♪
> 一足お先にバンコクへ飛んできますね!!
こちらこそ、大変お世話になりました。
是非また、来年お茶会しましょう!
ちなみに、来年の旅行は1月14〜17日がバンコク、1月29日〜2月6日がバーレーン&ドバイです。
では、バンコク楽しんできて下さ〜い♪
私も追いかけます(笑)
milk
-
- まほうのべるさん 2018/12/29 12:37:28
- ポストカードは
- こんにちは、milkさん。
ミサの最中で見学出来なかった聖ペテロ&パウロ大聖堂は噂通りの美しい教会ですね。
十字架に架けられたキリストの足元で悲しむマリア様が痛々しいですね。十字架に架けられたキリストを見るだけでも心痛むのに。
フレスコ画も漆喰の祭壇、ミントグリーンの祭壇もとても美しいですね。
杉原記念館のポストカードはお土産のチョコを買ったときにいただきました。
おそらく売店で購入した人や募金箱に募金なさった人にくださるのではないかな?
今年も素敵な旅行記をたくさん見せていただき有難うございました。
来年もよろしくお願いいたします。
まほうのべる
- milkさん からの返信 2018/12/29 22:38:32
- RE: ポストカードは
- べるちゃん、こんばんは☆
いつもご覧頂き、ありがとうございます。
杉原千畝さんについては、べるちゃんの旅行記を通して沢山の事を知る事が出来ました。
旅行前に知る事が出来たのはとても良かったです。
ありがとうございました。
聖ペテロ・パウロ大聖堂は中に入る事が出来なかったのですね。
ここの祭壇は悲しみに包まれていながらも美しくて...。
是非、べるちゃんにも見て欲しかったな。
杉原記念館のポストカードはお土産を買っても頂けるのですね。
私は確か最後に寄付をして頂いてきた記憶が。
もう前過ぎて記憶が曖昧です(^_^;)
今年もべるちゃんの旅行記を沢山参考にさせて頂きました。
来年はまずどこに行くのかな?
私は1月14日からバンコクに行って来ます。
では、来年もよろしくお願い致します。
良いお年を♪
milk
-
- まほうのべるさん 2018/12/29 12:20:33
- ポストカードは
- こんにちは、milkさん。
-
- ローラン・ペリエさん 2018/12/29 08:57:27
- 素晴らしい体験をなさいましたね
- バルト三国に行ってみたくて興味ある旅先で勉強になりました。
杉原さんが外務省を追われ、その後イスラエルから最高勲章を貰い、外交官としての身分を回復させたのは鈴木宗男さんです。
杉原さんのレリーフは外務省の入口にもありますよ。
お料理も美味しそうでますます行きたくなりました。
- milkさん からの返信 2018/12/29 09:21:34
- Re: 素晴らしい体験をなさいましたね
- ローラン・ペリエさん、おはようございます。
私のカウナスの旅行記をご覧頂き、ありがとうございます。
杉原千畝さんの事について、お調べになっているのですね!
そうです、鈴木宗男さんが名誉回復して下さったのですよね。
この旅行記を作製するにあたり、調べている時に知りました。
追記しておこうかしら?
バルト三国は素敵な所なので、是非行ってみて下さい。
お料理もみんな美味しかったです。
そうそう、後1ヶ月後に念願のエミレーツ航空ファーストクラスです!
今から楽しみです☆
milk
- ローラン・ペリエさん からの返信 2018/12/29 10:42:14
- Re: 素晴らしい体験をなさいましたね
- 北海道民でして、彼の功績はご自分で(笑笑)選挙演説やら講演会(会社の関係で行かされるのです)で熱く語っていましたよ。
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