2018/09/03 - 2018/09/19
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この旅行記のスケジュール
2018/09/17
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車での移動
オーバーヴェーゼル(7:00発)→ ザンクト・ゴアール(7:30着)
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船での移動
ザンクト・ゴアール(7:45発)→ ザンクト・ゴアールスハウゼン(7:55着)
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電車での移動
ザンクト・ゴアールスハウゼン(8:26発)→ リューデスハイム(8:51着)
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車での移動
ザンクト・ゴアール(11:30発)→ ケルン(13:00着)
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車での移動
ケルン(15:00発)→ フランクフルト国際空港(17:10着)
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この旅行記スケジュールを元に
9月17日(月)快晴。
レンタカーを借りてちょうど2週間。この日がドライブ最終日。しかも3番目に長い距離を走ります。
旅の締めくくりにライン川クルーズを楽しみ、せっかくなのでケルンまで足を伸ばしました。
当初はフランクフルト市内にホテルを予約し、もう1日車を借りる予定でしたが、フランクフルト空港でのレンタカー返却が難関との情報もあったので、その心配を抱えたままではゆっくりフランクフルト観光ができないと思い、帰国日前日に返却することにしました。
ホテルはフランクフルト空港内に変更。翌日、フランクフルト市内へはSバーンで往復します。結果的に、いろいろな意味で正解でした。
〈旅程〉
9月 3日 成田→バンコク→フランクフルト(機内泊)
9月 4日 フランクフルト→ヴュルツブルク→ローテンブルク→ニュルンベルク(泊)
9月 5日 ニュルンベルク→プラハ(泊)
9月 6日 プラハ→チェスキークルムロフ→ブラチスラバ(泊)
9月 7日 ブラチスラバ→ブダペスト(泊)
9月 8日 ブダペスト→ウィーン(泊)
9月 9日 ウィーン市内散策(泊)
9月10日 ウィーン→ハルシュタット→ザルツブルク(泊)
9月11日 ザルツブルク→キームゼー→ミュンヘン(泊)
9月12日 ミュンヘン→アイブゼー→ガルミッシュ・パルテンキルヘン(泊)
9月13日 ガルミッシュ・パルテンキルヘン→オーバーアマガウ→アウクスブルク→シュヴァンガウ(泊)
9月14日 シュヴァンガウ→ウルム→メッツィンゲン(泊)
9月15日 メッツィンゲン→ビジンゲン→マウルブロン→ハイデルベルク(泊)
9月16日 ハイデルベルク→ボッパルト→オーバーヴェーゼル(泊)
9月17日 オーバーヴェーゼル→リューデスハイム→ザンクトゴアール→ケルン→フランクフルト(泊)
9月18日 フランクフルト→バンコク(機内泊)
9月19日 バンコク→成田
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 船 レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
本日のルートです。
ホテルからザンクト・ゴアール、フェリー乗り場の駐車場に車を停めて対岸に渡り、ゴアールス・ハウゼンからリューデスハイムまで電車(DB)で移動します。
KDラインのライン川クルーズを楽しんでザンクト・ゴアールで下船、再び車でケルンに向かいます。
ケルン大聖堂周辺を観光した後、一気にフランクフルト空港に。レンタカー返却所に辿り着くのが大変ということでしたが、MAPS.MEの指示通り走ったらレンタカー・リターンの標識を見つけることができ一安心です。
計画距離は325km、実走距離は318km。
4日目(プラハ→チェスキークルムロフ→ブラチスラバ)、8日目(ウィーン→ハルシュタット→ザルツブルク)に次ぐ、この旅3番目の長距離走行でした。 -
ホテルの朝食は通常8時からとやや遅め。しかし前日、チェックイン時に早朝出立を伝えたら、特別に朝食を準備してくれるとのこと。5:30から対応可能とのことでしたが、6時半にお願いしました。
フロントに降りて行くと、管理人が一人。ちゃんと引き継ぎがされていて、ホテルのリビングルームに案内されます。
フルメニューではありませんが、中身の濃い十分な内容。
中世の雰囲気残る素敵なリビング、騎士の気分でしっかりといただきます。ホテル シェーンブルク城 ホテル
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部屋からの眺め。
あてにしていたリューデスハイム10:15発のクルーズがないので、11:15発に乗船するつもりで身支度をしている最中に、妻が「急げは9:15発に間に合うかも」と提案します。
同感です。
チェックアウトは朝7時から。フロントにスタッフが来るのを待ってホテルを出発。 -
イチオシ
もっと滞在したかったのですが、後のスケジュールを勘案、後ろ髪を引かれる思いでホテルを後にします。
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トランス・レジオの列車が通り過ぎます。
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反対側からリージョナル・エクスプレス(RE)の列車。開かずの踏切です。
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B9を急ぎます。
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昨日確認した駐車場に車を停めると、すでにフェリー乗船待ちの車が並んでいます。
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対岸からフェリーが到着。
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7:45、私たちは車は載せず、徒歩で乗船。
チケットは@1.80ユーロ(240円)。係員に支払います。他の乗客2~3人は顔見知りばかりのようです。 -
係員が車を回って乗船料を徴収。なんとものどかです。
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イチオシ
朝日に照らされたラインフェルス城。
ラインフェルス城 城・宮殿
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ザンクト・ゴアールスハウゼン 駅です。
無人駅で駅舎ももう利用されていない様子。トイレは道路の反対側のパン屋で借りました(有料)。無人駅なのでチケットは事前にネット購入しておくのが賢明です。 by beanbagさんザンクト ゴアルスハウゼン駅 駅
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8:26発の電車が定刻に到着。
ネットで9:26発を予約してありますが、普通列車なので時間変更は問題ありません。
検札時はスマホにダウンロードしたDBアプリを示せばOK。
リューデスハイムまで@7.20ユーロ(940円)。 -
8:51、リューデスハイムに到着。
9:15発のKDラインに間に合いそうです。 -
しかし、油断は禁物。こちらにも開かずの踏切があると聞いていたので、駅の地下道を通り、川岸側に渡りました。
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ライン川クルーズのチケットはこの乗船券売り場で。駅から600m、徒歩7分。
リューデスハイム→ザンクト・ゴアール間、シニア14.20ユーロ、大人20.20ユーロ、合計34.40ユーロ(4,500円)。 -
朝9時の段階で乗客はこの程度。日本人客も何人かいます。
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なので自由に席を取ることができます。
天気が良いのでオープンデッキ。見所が多い左舷が狙い目。
ドリンク類は有料。 -
9:15、リューデスハイムを出航。
ヨーロッパの歴史をあまり知らない私は、ライン川沿いの狭い地域になぜ数多くの古城が存在するのか不思議でした。
ネットで調べると、ライン川はローマ帝国の古代から主要な交易路として利用され、中世に入ると数多くの諸侯や聖界諸侯(大司教・司教)が割拠し、いずれも各地に城郭を建て、関所を設けてライン川を通航する商船から通行税を取り立てて財源とした(Wikipedia)とあります。そうだったのか‥。
以下の個別の城の解説はネットからの引用です。リューデスハイム(KDライン)船着き場 船系
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アウフ・デム・ローフスベルクにあるローフス礼拝堂。
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ビンゲンのクロップ城
起源はローマ時代、マインツ大司教に従属する城主の居館だったそう。1689年と1713年に破壊され、1819年に再建されています。
ビンゲンやその先の乗船場からもどんどん乗客が増えて来ます。 -
ニーダーヴァルト記念碑(右岸)
ニーダーヴァルト記念碑 モニュメント・記念碑
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ねずみの塔(中洲)
13世紀にマインツ大司教によって通行税関窓口として建てられました。「ネズミ(Maus)の塔」の名前の由来はドイツ語の税関、マウト(Maut)から来ているそうです。ねずみの塔 モニュメント・記念碑
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エーレンフェルス城(右岸)
13世紀に北方から下流に侵略してくる敵を防御するための、重要な城塞として建てられました。しかし、17世紀末、フランス軍によって完全に破壊され廃城となっています。エーレンフェルス城 城・宮殿
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右岸の葡萄畑は収穫期。
朝日のあたる左岸は街、夕日があたる右岸は葡萄畑が多いように見受けれらます。 -
イチオシ
天気は快晴、絶好のクルーズ日和。
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イチオシ
ラインシュタイン城
起源は10世紀とされていますが、明確な資料はありません。14世紀初頭になると、プロイセンのフリードリッヒ王子の夏の居城として改築されたそうです。ラインシュタイン城 城・宮殿
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ライヒェンシュタイン城
11世紀にアーヘン近くのコルネリ修道院大聖堂の所有物守護を目的に建設されたとされます。13世紀に入ると幾度に渡り盗賊達の巣となって、1254年と1282年にライン都市同盟によって破壊されます。その後マインツ大司教が入手し、復興に当たりましたが、200年後にまたもや崩壊の道をたどります。
現在は、ホテルになっているようです。ホテル ブルク ライヒェンシュタイン ホテル
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ゾーネック城
11世紀にコルネリ修道院の護衛と遠隔支配のために築かれました。しかし13世紀に、ライヒェンシュタイン城と同様、盗賊が住み着き、ライン都市同盟とハプスブルク家に相次いで破壊されてしまいます。1689年に再構築されましたが、直後にフランス軍に破壊されてしまいます。19世紀になるとプロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世の狩猟城となり、20世紀に国有化されて現在に至ります。ゾーンエック城 城・宮殿
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イチオシ
ニーダーハイムバッハにあるハイムブルク城。
ライン宮中伯に対する要塞として1294年にマインツ大司教によって建設されました。1689年にフランス軍によって破壊されましたが、19世紀に実業家ヒューゴ・シュティンネスによって再建されました。ハイムブルク城 城・宮殿
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フュルステンベルク城跡
1219年にケルンの司教によって彼の財産保護とバッハラッハ周辺の領地の護衛、そして関税徴収のために築城されました。三十年戦争でスペイン軍、スウェーデン軍に相次いで占領され、後の1689年のプファルツ継承戦争で完全に破壊されたそうです。
陸続きのヨーロッパって大変です。フュルステンベルク城(跡) 城・宮殿
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ノリッヒ城(右岸)
ライン川右岸の岩山にロルヒの町の護衛のために見張り塔として建てられたとされています。推定14世紀初めごろの築城とされていますが、謎の多いお城です。 -
みんな写真撮影に夢中。
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各国の貨物船が通り過ぎます。
河口のオランダ船が目立ちます。 -
聖ボニファティウス教会(右岸)
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シュターレック城
昨日通ったバッハラッハのお城。現在は、ユースホステルになっています。
文書として最初に登場するのは1135年。元々ケルン教区がこの城を所持していましたが、1190年に皇帝バルバロッサがこの城を買収し彼の弟コンラートに与えます。 1214年になると、この城はヴィッテルスバッハの二つの主要な拠点の一つとして、強大なバイエルン王朝に買い取られます。 1689年にフランス軍によって破壊されますが、 その後2回(1925年~27年と1965年~67年)に渡る再建で現在の姿になりました。シュターレック城 城・宮殿
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イチオシ
バッハラッハの船着場。
聖ペーター教会、ヴェルナー礼拝堂、バッハラッハ門などが見えます。バッハラッハ駅 (KDライン) 駅
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プファルツ城(中洲)
昨日は左岸の道路から撮影しましたが、今日は船上から違った角度で。
ルートヴィヒ4世によって1327年に建てられ、1866年までライン川の重要な税関所として機能していました。また、1813年から1814年にかけてナポレオン戦争へと続く解放戦争で、プロイセン陸軍元帥ブリュッヘルは6万の兵と共に、この城の前で勝利を手を収めた、という歴史的事件が起こった事でも知られているそうです。プファルツ城 城・宮殿
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グーテンフェルス城(右岸)
1257年よりファルケンシュタイナー家が所有していた当時はカウプ城と呼ばれ、税関でした。1277年以降はプファルツ選帝侯ルードヴィッヒの城となります。1504年ヘッセン方伯ヴィルヘルム2世は、城とカウプの町を包囲攻撃に失敗します。以降この城はグーテンフェルス(硬い岩)城と改名されました。グーテンフェルス城 城・宮殿
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イチオシ
そして昨夜泊まったシェーンブルク城。
城の建築は12世紀前半。歴史に登場するのは、当時プファルツ地方を巡り対立していたラインエック城主オットー2世をこの城で暗殺した1149年です。その後、この城は関税徴収所として大いに繁栄し、居住用の建物と塔をそれぞれ3つ増築、更に城壁も築かれました。1689年のプファルツ継承戦争で破壊されましたが、1885年以降、少しずつ現在の姿に再建されます。重厚な城壁は貴重な歴史的建造物です。ホテル シェーンブルク城 ホテル
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オーバーヴェーゼルのリープフラウエン教会
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同じく聖マーティン教会。白い教会と呼ばれています。
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上空を轟音を立てて戦闘機が飛びます。
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何機も飛んでいるのはドッグファイトの演習でしょうか?
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ローレライはただの岩(右岸)。そうと言われないと分かりません。
船内に例の曲が流れます。ローレライの岩 自然・景勝地
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猫城(右岸)
ローレライの岩の近く、ザンクト・ゴアールの岩山の上に立っています。
カッツェネルンボーゲン伯ヴィルヘルム2世によって14世紀後期に建てられました。対岸に立つラインフェルス城とその町の守護が目的でした。しかし1692年、フランス国王ルイ14世軍によって包囲され破壊、続いて1806年にはナポレオンの襲撃により完全破壊されてしまいます。1896年にほぼオリジナルの状態に再建され、1946年から1951年は、地元の高校の校舎として使用されました。
現在は、日本人投資家の所有物で、一般公開はされておらず、高級プライベートとして機能しています。ひょっとしてあの人?ねこ城 城・宮殿
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ほどなくザンクト・ゴアールに到着。下船します。最高の天気に恵まれ、約2時間の気持ち良いクルーズでした。
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ここからまた車でケルンを目指します。
目の前はラインフェルス城です。
ラインフェルス城は1245年築城。カッツェネルンボーゲン伯ディーター5世の居城、兼ライン川の徴税所でした。1479年に当時の城主フィリップ1世が死んだ事により、カッツェネルンボーゲン家は断絶し、フィリップの娘婿のヘッセン方伯ハインリヒ3世が城を継承する事になります。城はルネッサンス様式に改築され要塞として拡大されます。しかし、継承問題や、1756年に勃発した七年戦争によるフランス軍の侵略、18世紀末のフランス革命時の完全破壊など、次から次に起こる困難で廃城と化してしまいます。最終的には1925年よりザンクト・ゴアール市の所有物となり、一部はホテルとして使用されています。ラインフェルス城 城・宮殿
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河岸段丘の丘を登り、
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A61を進みます。
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ケルンに入ると、遠くに大聖堂が姿を見せます。
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地下駐車場に車を停めて地上に出ると、聖マルティン教会でした。
今日は閉館中。聖マルティン教会 寺院・教会
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ホーエンツォレルン橋袂のヴィルヘルム2世騎馬像です。
反対側にはフリードリヒ3世騎馬像があります。皇帝ヴィルヘルム2世騎馬像 モニュメント・記念碑
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ライン川にかかるホーエンツォレルン橋。1911年完成、第2次大戦末期に破壊されましたが、再建されました。
3複線あり、3本の鉄橋が重なっています。ホーエンツォレルン橋 建造物
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愛の南京錠が痛々しい。
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橋のたもとから見たケルン大聖堂。
これくらい離れないと全容が写せません。 -
美しい曲線が見事なケルン中央駅です。
通過式構造で11本の線路が敷かれています。ケルン中央駅 駅
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ケルン大聖堂にやってきました。後陣部分。
わざわざケルンまで足を伸ばしたのは、もちろんこの大聖堂を見るためです。ケルン大聖堂 寺院・教会
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1248年着工、1880年完成のゴシック建築のカトリック教会。
身廊の高さは43.5mあります。 -
教会に入ってまず目を引くのは右側(南面)の色鮮やかな5枚のステンドグラスです。
バイエルン王ルートヴィヒ1世が寄贈したもので「バイエルン窓」と呼ばれています。
これは中央の3枚。右から「東方三博士」、「イエス・キリストの十字架降架」、「聖霊降臨」。 -
こちらは両端の2枚です。
右が「洗礼者ヨハネ」、左が「聖ステファノの殉教」。 -
祭壇の右には「大聖堂の絵」(1440年頃、シュテファン・ロホナー)。
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中央祭壇の奥には世界最大の黄金で飾られた聖櫃。東方三博士の頭蓋骨が入っていると言われています。
「ミラノのマドンナ」はピンボケだったので割愛。 -
聖クリストフォロスの彫像
人を肩に乗せて渡る仕事(雲助?)をしていた聖クリストフォロスが男の子(キリスト)を運ぶことになり、途中でその子をとても重たく感じ、杖でやっと渡りきったという逸話が残る彫像です。 -
大聖堂の2つの尖塔の高さは157メートル。ウルム大聖堂についで教会建築としては世界2位の高さです。
一部修復中。大きすぎて全部が収まりません。 -
有名な世界遺産を見ようと大勢の観光客が詰めかけています。
若い日本人カップルに出会ったので、記念写真を撮ってもらいました。 -
イチオシ
南側からようやく全容が撮れました。
ケルンでもう一つ訪れたかったヴァルラーフ・リヒャルツ美術館はあいにく月曜休館。
この後、リモワ本店を少し覗いて、午後3時頃、ケルンを後にします。 -
フランクフルト国際空港まで178km。ひたすらA3をぶっ飛ばします。
ドイツに来た当初は140~150km/hくらいの安全運転でしたが、今は160~170km/hくらいで走るようになりました。 -
レンタカー・リターンがわかりにくく、空港を4周したという4トラ旅行記を拝見していたので心配していましたが、MAPS.MEに従って進んだら苦もなく返却所に到着。杞憂でした。
16:35、14日間旅を共にしたセアト・アテカを無傷で返却することができました。総走行距離3,303.5kmでした。フランクフルト国際空港 (FRA) 空港
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まずホテルにチェックイン。空港至近のヒルトン・フランクフルト・エアポートです。
クラブ・ラウンジが使える、とフロントで嬉しいお達し。フランクフルト国際空港隣接の便利なホテル。設備も新しく快適な滞在でした。 by beanbagさんヒルトン フランクフルト エアポート ホテル
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フランクフルト空港第1ターミナルに隣接する斬新な建物 The Squaire 内にあります。
まだ新しいホテル。客室内はモダンで清潔。 -
午後6時、空港内の探索に。明日のデパーチャーの手順を確認しておきます。
なにしろ到着時は車椅子で空港職員にAVISまで、あっという間に連れて行ってもらったので、空港内は全く理解できていません。 -
すると、なにやら空港職員の集会が‥。ストライキだけは避けてください。
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ターミナル1レベル0(エアポートシティモール)のスーパー・テグートでバラマキ土産を調達。
他にもショップをあれこれ物色。バラマキ土産の調達ならここが便利です。 by beanbagさんテグート スーパーマーケット スーパー・コンビニ
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夕食はクラブラウンジで。
料理、お酒ともふんだんにあります。 -
ハイデルベルクに次いで2度目のタダ飯です。空港内はたいしたレストランがないので、ラッキー!!
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今日の歩数は16,797歩。
私が寝た後、妻はふたたびショッピングに空港へ。ケルンに行ったことでリモワ愛に火がついたようです。
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この旅行記へのコメント (2)
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- アルデバランさん 2019/02/09 20:34:09
- 関銭を徴収するためだったんですね…
- beanbagさん
こんにちわ、アルデバランです
3,300Kmドライブの旅、少しずつ拝見させていただいてます
機動力のある車で回れるなんて本当に羨ましいかぎりです。
しょうもない私の写真と違って、ライン川からの美しい教会や城の数々…
ラインクルーズが人気あるのが納得です。
ドイツの地理に暗いので、1枚目のルートマップが今一つ分からず
別途Googleマップを拡大しながら、位置関係を確認してしまいました
さらにケルンまで足をのばされて、大聖堂を堪能
A3を160~170km/h 凄い
まさか大聖堂全容の次の画がその時の写真でしょうか…
車間距離があんな感じで、皆さん飛ばしてるんでしょうか
昔、私もヒースローでレンタカー返却時に、何周かしました。
偶然にもレンタカー会社の車を見つけ後ろを着いていって事なきをえました(笑
- beanbagさん からの返信 2019/02/10 09:31:22
- RE: 関銭を徴収するためだったんですね…
- アルデバランさん
いつもコメントをありがとうございます。
ドイツの運転マナーは最高です。
フランクフルトに向かうA3はほとんどが片側3車線ですが、トラックなど大型車両は登り道などで遅い車を追い越す時以外は右車線から出てきません。スピードは100km/hくらいです。
真ん中の車線は普通車の走行車線で130~140km/hで走っています。一番左の追越車線は150~200km/hくらいでしょうか。追越車線に出た車は目的を果たすとすぐ走行車線に戻るので、大都市近郊を除き自然渋滞などありません。
150キロくらいのスピードで走行車線と追越車線を行ったり来たりするのを妻が怖いというので、私は仕方なく160~180キロくらいで追越車線を走り続けました。マナー違反といえばマナー違反ですが、このくらい交通量があればそれも許されるだろうと思いました。
前東京都知事の舛添さんがツイッターでよく呟いていますが、日本の高速マナーは最悪です。トラックが追越車線を走り続けるなんて、よその国では見たことがありません。スピード違反を取り締まるよりそちらを取り締まるのが先決だと思います。最高速度が100km/hに抑えられているのも、こうした事態を招いている一因だと思います。少なくとも120km/hに引き上げれば少しは改善するのでは‥。
スピードと事故の発生確率に相関関係はないと、ドイツを走って思いました。あれだけのスピードを出していても事故は一度も見かけません。
またドイツでは、渋滞が起きると右側車線の車は右に、左側車線の車は左に車を寄せて緊急車両用の路線を確保します。バイクも渋滞の列に並んで決して先に進もうとしません。こういう姿を見ると日本はまだまだ発展途上だと思います。
色々余計なことを書き連ねましたが、ドイツをドライブして一番強烈な印象でしたのでお許しください。
beanbag
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