2018/08/18 - 2018/08/19
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chibi-monさん
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2018年8月18日(土)ベルリンから早朝に出発して、北ドイツのリューベック、リューネブルクへ日帰りで行ってきました。
《スケジュール》
8月11日(土) 成田→ヘルシンキ→フランクフルト(フィンエアー)
フランクフルト空港駅→ヴュルツブルグ(泊)
8月12日(日) ヴュルツブルグ→ニュルンベルク(泊)
8月13日(月) ニュルンベルク→レーゲンスブルク→ニュルンベルク→バンベルク(泊)
8月14日(火) バンベルク→エアフルト→ワイマール→エアフルト(泊)
8月15日(水) エアフルト→アイゼナハ→エアフルト→ライプチヒ(泊)
8月16日(木) ライプチヒ→(ドレスデン)→ザクセンスイス→(ドレスデン)→マイセン→ライプチヒ(泊)
8月17日(金) ライプチヒ→ベルリン(泊)
★8月18日(土) ベルリン→リューベック→リューネブルク→ベルリン(泊)
★8月19日(日) ベルリンテーゲル空港→ヘルシンキ→成田
★8月20日(月) 帰国
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2018.8.18(土)明日朝早く帰国便に乗るので観光出来るのは最終日。
ずっと行きたかった北ドイツへ行きます。
今回の旅は、東ドイツと南ドイツを中心に選びましたが、次にいつドイツへ来られるかわからないので(これが最後かもしれない・・)、ベルリンOUTに決めたときから北も行きたいと検討していました。
最初のプランニングの段階でも北を中心に行くか、南にするか迷ったのですが。
調べて行くうちに、なるべく戦災の被害を免れた街(レーゲンスブルク、バンベルクなど)に行ってみたくて、そういう街が多い南ドイツが中心になってしまいました。でも、リューネブルクも戦災に遭わなかった街だったことに後で気付きました・・。ベルリン中央駅 駅
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午前6時過ぎにホテルを出たら真ん前で黒人の人に「べルリン中央駅はどこだ?」って聞かれた。もちろん!無視です。どう見ても観光客じゃない、自分で知ってるでしょーーーっ。こちらベルリンも怪しい人だらけですよ。
駅へ行く徒歩10分の間で通り雨。天気予報は晴れだったので迷ったけど、一応傘を持ってきて良かった。傘を差したのは、旅行中この時だけで済みました。
6:38 ハンブルク経由でリューベックへ向かいます。ICEは2等車ですが、シートマップを見たときに、座席が1席だけ(隣がいない)の席があったので、そこに予約を入れていました。 -
ICEの2等車です。早朝は乗っている人は少なかった。
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ハンブルクでREへの乗り換えが9分。
珍しく電車が遅れずに間に合った。ハンブルク中央駅 駅
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9:10 リューベックに着きました。
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リューベック駅構内です。
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リューベック駅です。
リューベックは、かつてはハンザ同盟の盟主として繁栄を誇った街です。
リューベック商人は、ノルウェーのベルゲンに商館を築き、ノルウェーの鱈を南に売却して大きな利益をあげた。また、リューネブルクの岩塩をおさえたことで、塩漬け鰊(ニシン)でも独占的な地位を誇った。リューベック中央駅 駅
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駅前の通りを歩いて行きます。
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駅前にあるヴィルヘルム1世の像
第7代プロイセン王、1861年の兄王の崩御でプロイセン王に即位した。軍制改革をめぐって衆議院との対立が深まる中の1862年にオットー・フォン・ビスマルクを首相(ドイツ語版)に任じ、軍制改革を無予算統治で断行。ドイツ統一戦争に乗り出し、1871年の普仏戦争の勝利でドイツ皇帝に即位してドイツ統一を達成した。ビスマルクとはしばしば意見対立しながらも、崩御まで彼を首相として重用し続けた。 -
ビスマルクの銅像
1815年4月1日 - 1898年7月30日)は、プロイセン及びドイツの政治家、貴族。プロイセン王国首相(在職1862年-1890年)、北ドイツ連邦首相(在職1867年-1871年)、ドイツ帝国首相(在職1871年-1890年)を歴任した。ドイツ統一の中心人物。 -
まだ開いてなかったけど、テイクアウトの店。
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看板がお魚バーガーですよ~。北の海沿いの街に来た感じがしました。
でも、この魚系のもの、酸っぱくないのかな。 -
プッペン橋を渡って。
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練習してますねー。
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ドイツの彫刻家のフリッツ・ベーン(Fritz Behn)作のアンテロープ(Antelope) のブロンズ像。
ベーンは、アフリカの動物の彫刻の重要性を表現した作家。 -
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ライオン像が両側にあって、一緒に写真を撮ってる人が多数。
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なんだか、トラファルガー広場を思い出しますねえ。1頭は起きてて、1頭は寝てます。
もともと、リューベックのライオンは1840年以来、商人と芸術家であったヨハン・ダニエル・ヤコブ(1798-1847)の住居の前にあったが、1873年以降、1942年の第2次世界大戦中に破壊されるまで、リューベック市内にあるHotel Stadt Hamburgの前に立っていました。後になって、二頭のライオンははホルステン門の前に置かれました。 -
実物を見てみたかったホルステン門(1478年)これは、古いものですね。
ドイツのリューベックにある歴史的建造物。1469年から1477年にかけて造られた。
北ドイツ特有の煉瓦造り。ホルステン門 (市歴史博物館) 現代・近代建築
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ホルステン門 (市歴史博物館) 現代・近代建築
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門の上部にはラテン語でCONCORDIA DOMI FORIS PAX(内に結束、外に平和を)という文字が掲げられている。
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リューネブルクから運んできた塩の倉庫
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裏側は趣きが変わりますね。
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10分ほど駅から歩き、市庁舎が建つ広場に出たのですが・・。
・・・あら、プライドパレードの準備中でした
(この時はプライドパレードがあると気づいていませんでしたが)。
2016年の第一土曜日のアムステルダムに続き遭遇したのは2回目です(東京でも開催されていますが)。市庁舎 (リューベック) 現代・近代建築
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旧市街中心部のマルクト広場と市庁舎
この地方独特の雄牛の血を混ぜて焼いたといわれる(え、本当??)・・・。
黒いれんがを使った、青銅色の13の尖塔を持つゴシック様式の建物である。この場所に最初に市庁舎がつくられたのは1158年から翌1159年にかけてだが、1266年に同市が神聖ローマ帝国の帝国自由市になると、現在の市庁舎の原型となる新市庁舎の建設が行われ、13世紀には南側の破風や風を通すための大きな丸穴がある壁がつくられ、14世紀にはファザードがつくられた。今日のゴシック様式の建物の原型ができあがったのは15世紀半ばで、16世紀末には外階段などのルネサンス様式の装飾が追加された。市庁舎 (リューベック) 現代・近代建築
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土曜日なのでガイドツアーは1回だけだった模様。
参加する気で来たのですが、時間が合わず断念しました。 -
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マリエン教会(聖マリア教会)
市庁舎のすぐそばに建っています。1250~1350年にかけて建てられ、ゴシック式でレンガ造りの建築物の中では世界でも最も高いものの一つ。聖マリア教会 (リューベック) 寺院・教会
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この教会で最も有名なのが、8512本のパイプを持つ世界最大級のパイプオルガン
バッハ(Johann Sebastian Bach)が青年時代に、遠路はるばるこのオルガンを聴きに訪れたというエピソードがあるそうです。 -
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1705年、20歳のヨハン・セバスチャン・バッハは、この教会のオルガニスト、デイートリッヒ・ブクステフーデが演奏するオルガンを聴くために、チューリンゲンのアルンシュタットからやってきた。
バッハはブクステフーデのオルガンに魅せられ、許可された4週間の休暇は16週間にもなってしまったという。
ブクステフーデの影響を受けて作曲されたのが、あの『トッカータとフーガ ニ短調』だ。 -
フォートラのトラベラーさんからの情報で、これがバッハとブクステフーデを表現しているものだと。ありがとうございます。
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第二次世界大戦下の1942年の英軍による空襲で大きな被害を受け、その際崩れ落ちた鐘が現在もそのまま残されている。
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ユーケルの十字
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この左端下にあるものが重要
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触ると幸福になるというねずみですよ~・・どれが、ねずみ??
実際に見たときにはわかったのですが、写真ではわかりにくい(汗・・。
(下のほうにある2つ小さいものがねずみでした) -
もちろん、触ります(貪欲)w
今さら感はありますが。 -
タリンの聖ニコラス教会で見た「死の舞踏」の案内がココにありました。
なぜ??
15世紀の北ヨーロッパで最も重要なドイツの画家・彫刻家、バーント・ノトケ。
ノトケの描いた『死の舞踏』はリューベックに納められていましたが、ノトケはこの絵画の模写をタリンの聖ニコラス教会にも納めていました。リューベックのものは連合軍の爆撃によって破壊されてしまいましたが、現エストニア、タリンの聖ニコラス教会にあるものは無事だった。それで、タリンのほうのは(完全には残ってはいませんが、全体の4分の1)今日私たちも見ることが出来るのですね。 -
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この教会で個人的に一番興味深かったのはステンドグラス
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教会を復元する際に、消失した「死の舞踏」をモティーフにしたということらしいです。こういうのは見飽きませんw
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天文時計
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しばし見とれる・・・
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教会の表にあります。
この前で日本のツアーのかたに会いました。 -
続いて、ブッデンブローク・ハウスへ。
トーマス・マン(Paul Thomas Mann、1875~1955年)と、トーマスの兄で同じ小説家のハインリヒ・マン(Luiz Heinrich Mann、1871~1950年)の記念館。
マン兄弟は、裕福な穀物商の息子としてリューベックに生まれた。その兄弟が過ごした祖父母の家が、この記念館になっていて、2人の生涯や作品の紹介が展示されている。 -
「ブッデンブロークハウス」は、トーマスがノーベル文学賞を受賞することになった作品「ブッデンブローク家の人々」から名づけられたものである。
当初は、このノーベル文学賞受賞作品を読んでからココへ行く予定だったのですが・・・w -
この建物自体は1941年までマン家の所有でしたが、戦争で破壊され戦後は銀行として使われていましたが、1993年に現在の記念館としてオープン。
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トーマス・マン
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もしかして、オープン25周年??
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お部屋が再現されています。
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映画「ブッデンブローク家の人々」から。
1959年の作品らしいです。 -
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1850年当時のウォーキング・スティック
Johann Siegmund Mann JRの所有物
(このかたは、兄弟のお父さんですね) -
1820年頃のマン一家所有の洗礼ボウル、シルバーで出来ている。
ブッデンブロークハウス (マン兄弟記念館) 博物館・美術館・ギャラリー
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マン兄弟の写真
トーマス・マンのファンのかたにはたまらない場所なんでしょう・・。
ここに訪問をしたのを思い出しながら読んでみようと思います。
行く前に読む予定だったのですが、長編なので。。間に合いませんでした(汗 -
ココに、NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(旧称は、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)の2018-2019シーズンのコンサートの案内が置かれていました。
私が好きな日独ハーフのピアニスト、アリス=紗良・オットが表紙になってました。 -
表通りに戻ったら、大道芸をやってた。
お昼くらいになり、にぎやかになってきました。
この日は土曜日でにぎわってました。 -
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表で絵を描いていた・・
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市庁舎の前もにぎわってました。
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11:30に市庁舎地下のレストラン、ラーツケラーへ。
あと10分たったら来てって言われた。ここは予約無しで行きました。
Ratskellerラーツケラー 地元の料理
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Ratskeller
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ほぼ1人目でした。どこに座ってもいいですよー、と。
それぞれテーマのある個室になっていて、そのテーマの写真が貼られています。 -
どこにしようかいろいろ覗いたんですが。
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誰もいないので選び放題だったのですが。
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あちこち覗いてここに決めたら、トーマス・マンの部屋でした・・・。
あれ?さっき、マン博物館で見てきた展示と被ってるw -
どんだけ、トーマス好きなんだ、自分。
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まだ彼の本は1冊も読んだことがないのに(爆弾発言)。
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サクランボジュースがあると言うので、珍しいなーって、それにしました。
でも、飲んだらなんで日本では出回らないのかわかりました(爆)
美味しいんだけど、オレンジやリンゴのジュースのほうがいけますなあ。 -
海沿いの街にようやく来たのでシーフードが食べたくて。
もう肉料理も飽きました(爆
そうそう、地球の歩き方に出ていた「サーモングラタン」を注文したのですが、もう無くなったメニューだと言われまして・・(あの本の情報は古いところがありますね)「サーモングラタン」が食べたくて来たのにがっかり。
しかたなく、スモーク・サーモンなどの盛り合わせを頼んだらコールド・ミールだよ、と。それで、トマト・スープも頼みました。時間が無いので一緒にサーブしてと頼みました。スープには、たっぷりのジャーマン・ポテトが(ベーコン入り)付いてきました。
でも、やっぱり北の地方の味付けはしょっぱい(泣)
それとサーモンは美味しかったけど、ニシンの酢漬けなどは酢っぱくてちょっと苦手かも(若干、北欧辺りだったら朝食で出てくるようなメニューを選んでしまった) -
レストランから表に出たら、レインボーの煙がw
イベントが始まった模様 -
ニーダーエッガー、マジパンのお店。
混んでいるようでしたけど、私にはマジパンは苦手なので入らず。 -
でも、ショーウィンドーはかわいいです。
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しばらく街並みを散歩したのですが。
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そろそろ時間なので駅方向へ。
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そしたら、ホルステン門からパレードが始まってました。
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自動車から、なかなかの爆音が流れてます。
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かなりの騒音なので、静かなほうへ逃げました。
もう少しだけ出発の時間があったので聖ペトリ教会へ。 -
聖ペトリ教会
ここは、エレベーターで塔に登れます。聖ペトリ教会 (リューベック) 寺院・教会
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ここでチケットを買ってエレベーターへ
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エレベーターだから楽ちんです。
ブロックのおもちゃみたいな世界が広がってましたw -
たまたま撮ったこの写真ですが・・・。
2018年10月に六本木の新国立美術館で大好きな東山魁夷の展覧会が、美術好きになるきっかけとなったボナール展と一緒に開催されていました。東山魁夷展の中に展示されていた一枚の絵の前で釘付けになりました。「この絵の構図、どっかで見たわ・・・」。
家に帰ってリューベックの写真を観て、あの絵がこの写真の構図のものに近いとわかりました。
「やっぱり、ココだ。魁夷先生はリューベックであの教会に登ったんだ・・・」
その絵には「霧の街」というタイトルが付いていました。
旅先で予定外に偶然に訪れた場所が、思わぬ巡りあわせであったようで、ひとしおに嬉しかった。レインボーパレードの喧騒から逃れようと思わなければ、脇道のほうへ行くこともないし、この教会を訪れることもなかった('_')
ただ・・・魁夷先生が凡人ではないということも改めて思い知りました。先生の絵の構図はもっと斬新なんです。ホルステン門の上部が切り取られているんです。凡人とはココが違うんだなーとしみじみ思いました。 -
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さっき行ってきたマリエン教会
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市庁舎
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また、門を抜けて駅へ戻ります。
土曜じゃない平日で1泊したい街でしたーー。
(でも、他に行きたいところが一杯あるのでもう来ることはないかなあ)ホルステン門 (市歴史博物館) 現代・近代建築
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リューベック駅
リューベック中央駅 駅
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14:05 リューネブルクへ向かいます。リューネブルクまで1時間20分ほど。
ホームのデザインが素敵。 -
15:30 リューネブルクへ到着
この時間ですと、そう回れませんが。 -
リューネブルク駅
当初シュべリーンに行こうかとFlixbusの6ユーロのチケット(安い!)を買っていましたが、リューネブルクへ気分で変更しました。南ドイツで見たので、お城ももういいかなーと。一人旅だから出来る突然変更です(笑) -
リューネブルク駅
あっさりした建物です。リューネブルクはニーダーザクセン州の中心都市です。
956年にその名が現れ,1247年に都市権を獲得。 14世紀にはハンザ同盟の一員として繁栄した。そして、岩塩鉱床があり,10世紀以来製塩業の中心地として知られたが,1980年製塩は中止。 -
旧市街へはどっちへ行ったらいいのかこのあたりにいたかたに聞いてしまいました。
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橋を渡ります。
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ドイツはどこも川があまり綺麗ではないですね・・・
下流の地域だから仕方が無いのかな。 -
アムサンデ
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聖ヨハネ教会
バッハが作曲を学んだ場所
17時までだったらしく入れませんでした。 -
商工会議所
アムサンデの通りで目立つ建物ですが、元は醸造所だったものです。 -
アム・サンデ
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薬局
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古い市庁舎(Rathaus)は、北ドイツでは最古の木造建築。
市庁舎 (リューネブルク) 建造物
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旧市庁舎の左端にくっついている観光案内所。
観光案内所 (リューネブルク) 散歩・街歩き
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旧市庁舎の右端のあるもの
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市庁舎 (リューネブルク) 建造物
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ハインリヒ・ハイネ・ハウス
ハインリヒ・ハイネが滞在したことのある家が市庁舎の近くにある。
彼の両親は1822年から1826年までここMarktplatzにある建物に住み、Heineは頻繁に訪れました。 -
ルナの泉とマルクト広場(旧市庁舎前)
奥に見えるのがハイネハウス
月の女神ルナは、リューネブルクの市場の噴水に立っている。弓と矢で武装し、リューネブルクの中心部を守っている。マルクト広場 (リューネブルク) 広場・公園
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ニコライ教会
聖ニコライ教会は、リューネブルクの3つのゴシック様式の教会の中で最も遅くに立てられ、小さいものです。かつて船乗りの教会で水域に建っていました。このあたりには主に川船や商船で暮らす職人が暮らしていたからです。 -
ニコライ教会に入りました。
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日本語の説明シートが置いてあります。
祭壇:
中心にキリストのはりつけ刑の図
上部の列は、キリストの青年期、下部の列は、キリストの受難 -
祭壇の裏側にあったと思う。
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パイプオルガン(1899年)
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地下のクリプタ
中心に太い柱があり、そこから12本の助材が伸びている。それは、12使徒を表していると言われている。 -
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この日は5時半までだったようです。
私が最後に出ました。
教会の係の人に来てくれてありがとう・・らしいことを言われました。
ニコライ教会 -
レッドルースター病院 (Hospital zum Rote Hahn)
日本のガイドブックには出ていない建物ですが、16世紀に寄付で建築されたローテハーン救貧院の建物で、中庭には自由に入れるという情報があります。
(補足・1400年代終わりころの建築という情報もありました) -
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地方の街は5時半くらいになると急に寂しい感じになります。
大勢人がいたのに、いつのまにかいなくなってきている・・。 -
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Kalandhaus
1400年代に建てられたもの -
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給水塔の上に登れるとガイドブックに書いてあったので行ってみました。
受付に聞いたら18時までとのこと。
あと30分あるので急いで登りました、と言ってもエレベーターで登れますw
(給水塔:上水道として町に水を行き渡らせるための水圧を得るために、
高いところにあるタンクから水を落下させる。そのため高さのある塔必要)給水塔 (リューネブルク) 建造物
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給水塔の入り口です。18時まで開いていました。
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給水塔からの眺めです。
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手前が聖ヨハニス教会(行ってません・泣)で、奥に見えるのが聖ニコライ教会(さっき行った教会)
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給水塔からすぐそばにあったこの建物も古そう。
Ratsmühle (1407年)
水駆動型穀物工場だったもの(らしいです)
下に説明がありましたが、ドイツ語です。
https://www.quadratlueneburg.de/ratsmuehle-getreide.html -
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木組みの家も少しありますが、思っていたほどココは無いですね。
ツェレみたいな街かと思っていまいたが、リューネブルクは煉瓦の街でした。 -
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18:05 リューネブルク駅に戻ってきました。
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ドイツも30度超えの場所が多いです。
北部は涼しくて快適でした。 -
リューネブルク・・>Buchenで乗り換え・・・>ベルリン中央駅へ
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18:55 Buchen駅で大勢降りました。
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向こうにロストック行きの電車が止まってて、スーツケースを引いた大勢が走って乗り換えてた。時間が過ぎていたのか、かなり慌ててた様子。
ロストック行きは満員に乗ってました。夏のこの時期は、北の街はドイツ人も憧れのリゾート地なんでしょうね。
次回、夏に来ることがあったら、そっちの方面へ行ってみたい。 -
-
Buchen駅外観です。駅員がいない駅でした。
乗り換え中心の駅の様子だけど、周りは何もない。
ここで長時間待つのは厳しそう。私は20分ほどの乗り換え時間がありました。 -
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19:15 ようやくベルリン行きの電車が来ました。
満席に近かったです(2等ですが)。
私が予約していた席は、また他の人が座っていたけどチケットを見せて代わってもらいました。 -
20:58 ベルリン中央駅到着
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間違って、ベルリン中央駅の反対側の出口を出てしまいました。
露店が出ていました。 -
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最後のカリーブルスト。
ここは、移民のかたのコミュニティーっぽかった。
怖い感じはありません。 -
中央駅で夕ご飯を調達してホテルに戻りました。
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その晩は、TVでラプンツェルをやっていました。
これはもともとはドイツのお話(グリム童話)です・・・よね? -
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2018.8.19(日)
翌朝、9時台の飛行機でヘルシンキに行き、トランジット4時間で成田へ行きます。
朝、TVでハイジをやってました。 -
ホテルから数分にある、空港行きバスが止まるバス停です。
ここから徒歩10分ほどのベルリン中央駅前もバス停がありますが(空港へ行く場合は、ココの次のバス停になります)。
このバス亭から数分なのも、今回のホテル選定の決め手でした。 -
空港行きのバス。
運転手さんから切符を買えます。
ベルリンの交通機関はトラムも地下鉄もバスもチケットが共通ですので、前々日に地下鉄の券売機で購入していました。 -
ベルリン・テーゲル空港のフィンエアーの窓口にもなるところ(他の航空会社と共有で使用されています)。
3時間前に来たのに・・、なかなか開かないので、近くを通りかかった空港の職員らしいかたに聞いたら、2時間前しか開かないよーって言われました。しかたなく、この前のベンチで待ちました。
この空港は、大都市の空港なのに小さい空港なので、ゆったりしててイイです。
現在、新しい空港のベルリン・ブランデンブルク空港を建設中ですが(2020年10月開港っていう情報がネットで出てますが、本当かな?)・・・。
フランクフルトは広くて大変でしたので、ココは小さくて乗り換えに楽で良かったのになあ・・。 -
フィンエアーでヘルシンキへ
-
機内はコーヒー(飲み物)のサービスのみ。
ほかは有料です。 -
ヘルシンキ空港に到着。こちらもイイ天気でした。
ここで降りたいなあ。 -
3ユーロのマシーンのラテがあったので。
充電しながらトランジットを過ごしました。 -
成田行き、ゲートは50G
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沖止めなので、バスで移動。
ビジネスのかたはサンタの絵が入ったバス。
エコノミーは何も絵が無いバス(爆 -
1回目の機内食
往路の便では量が少ない印象だったけど、帰りはまだマシでした(爆
以前は必ず洋食のほうを選んでたけど、最近なんとなーく、機内食は日本食のほうが美味しいような気がする・・・と、思い始めて。
ホントは洋食のほうが食べたいのですが。 -
離陸2時間前の2回目の機内食
往復とも殆ど揺れることもなく快適なフライトでした。
定刻通り成田着。 -
帰りは成田からリムジンバスで帰りました。
ドイツは街ごとに特徴があって、行きたいところが次々と出てきて、計画の段階で行く場所を絞るのが大変でした。
実際、世界遺産とそれに等しいくらいのものが次々目の前に現れ、満足度が高かったです(外れは無し・・みたいなw)。
が、結局、ガイドブックに一番に出ているようなところにまずは行かなきゃーーってなってしまって、街歩きが中心になってしまいました。
本当は、もっと田舎の街、自然があるところ(それに温泉♪があれば最高ーー)が好きなので、次回この地に行けることがあったら、本来の自分の好きなところを入れ込めるようなプランニングをしたいと思いました(ドイツでは少ないのかなー)。個人的な好みではありますが、気に行ったところは、ザクセンスイス、マイセン、ヴォルツブルグ、バンベルク、レーゲンスブルク、リューベック、リューネブルクです。やっぱり、小さめの街、地方の街、自然があるところになりますーw。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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