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10月9日月曜日、旅行5日目になりました。<br /><br /> 5:00起床ですが、昨夜寝たのが早かったので10時間くらい寝ています。<br /> この日まず向かうのは悲しい歴史の記念碑です。<br /><br /> 1865年、帝政ロシアのアレクサンドル二世がユダヤ人の居住を認めて以来、エストニアではユダヤ人が平和に暮らしていました。1925年にはエストニア共和国政府から民族自治が許されるほどで、ヨーロッパの中でもユダヤ人が住みやすい国だったそうです。しかし1940年にソ連に併合されるとその運命は一変します。当時4,300人ほどいたというユダヤ人は、四分の三ほどが国外へ脱出し、300~500人ほどがシベリアへ送られました。<br /> ソ連による迫害はユダヤ人受難の序章にすぎず、1941年にドイツが侵攻してくると国内にわずかに残っていたユダヤ人は全て(921~963人と言われる)殺されました。その後、ほかのヨーロッパ諸国から集められたユダヤ人を収容する強制収容所がエストニアに建設されます。その数22。その中で最大のものがヴァイヴァラにあったのです。その記念碑を見に行きます。<br /><br /> ヴァイヴァラ強制収容所は一度に1,300人を収容することができましたが、女性や子供、老人は到着するとすぐ殺されました。壮健な男性だけが収容され、オイルシェールの鉱山で強制労働させられていたそうです。<br />(ウィキペディアより抜粋、私訳)<br /><br /> 考えてみると、おととい行った鉱山もかつては強制労働が行われていたかもしれません。室内展示をじっくりと見ればそれにに関する言及もあったのかも。

2017-10月 東部エストニア 27 Vaivara(ヴァイヴァラ)

13いいね!

2017/10/05 - 2017/10/11

746位(同エリア1782件中)

旅行記グループ 2017-10 東部エストニア 後半

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42

binchanさん

10月9日月曜日、旅行5日目になりました。

 5:00起床ですが、昨夜寝たのが早かったので10時間くらい寝ています。
 この日まず向かうのは悲しい歴史の記念碑です。

 1865年、帝政ロシアのアレクサンドル二世がユダヤ人の居住を認めて以来、エストニアではユダヤ人が平和に暮らしていました。1925年にはエストニア共和国政府から民族自治が許されるほどで、ヨーロッパの中でもユダヤ人が住みやすい国だったそうです。しかし1940年にソ連に併合されるとその運命は一変します。当時4,300人ほどいたというユダヤ人は、四分の三ほどが国外へ脱出し、300~500人ほどがシベリアへ送られました。
 ソ連による迫害はユダヤ人受難の序章にすぎず、1941年にドイツが侵攻してくると国内にわずかに残っていたユダヤ人は全て(921~963人と言われる)殺されました。その後、ほかのヨーロッパ諸国から集められたユダヤ人を収容する強制収容所がエストニアに建設されます。その数22。その中で最大のものがヴァイヴァラにあったのです。その記念碑を見に行きます。

 ヴァイヴァラ強制収容所は一度に1,300人を収容することができましたが、女性や子供、老人は到着するとすぐ殺されました。壮健な男性だけが収容され、オイルシェールの鉱山で強制労働させられていたそうです。
(ウィキペディアより抜粋、私訳)

 考えてみると、おととい行った鉱山もかつては強制労働が行われていたかもしれません。室内展示をじっくりと見ればそれにに関する言及もあったのかも。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
鉄道 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  •  6:33、ナルヴァ市バス20番に乗ります。<br /> ナルヴァの市バスもatko社が運行しているのでバスカードが使えました。1乗車0.5ユーロ(約67円)です。

     6:33、ナルヴァ市バス20番に乗ります。
     ナルヴァの市バスもatko社が運行しているのでバスカードが使えました。1乗車0.5ユーロ(約67円)です。

  •  6:36、jaam(ナルヴァ駅)バス停で下車し駅へ。<br /> まだ夜明け前のナルヴァ駅。

     6:36、jaam(ナルヴァ駅)バス停で下車し駅へ。
     まだ夜明け前のナルヴァ駅。

  •  アレクサンドリ教会の塔が見えます。

     アレクサンドリ教会の塔が見えます。

  •  あちらにはロシア教会もちょこっと頭を出しています。

     あちらにはロシア教会もちょこっと頭を出しています。

  •  Vaivara(ヴァイヴァラ)まで列車に乗ります。<br /> ナルヴァ駅は、国際列車が来るときだけイミグレと税関の係員さんがやってきますが、通常は無人駅。切符は車内で買います。

     Vaivara(ヴァイヴァラ)まで列車に乗ります。
     ナルヴァ駅は、国際列車が来るときだけイミグレと税関の係員さんがやってきますが、通常は無人駅。切符は車内で買います。

  •  線路沿いに並ぶ倉庫のような建物。

     線路沿いに並ぶ倉庫のような建物。

  •  7:05発、タリン行き列車。

     7:05発、タリン行き列車。

  •  私が降りるヴァイヴァラ駅はホームが短いので、Cエリアのドアしか開きません。矢印に従ってCエリアへ。<br /> ナルヴァ路線は1編成なので先頭から最後尾まで通り抜けができますが、多編成の場合は一番前の編成に乗らなくてはいけません。詳細はこちら。<br />http://elron.ee/en/stops/luhikese-ooteplatvormiga-peatused/

     私が降りるヴァイヴァラ駅はホームが短いので、Cエリアのドアしか開きません。矢印に従ってCエリアへ。
     ナルヴァ路線は1編成なので先頭から最後尾まで通り抜けができますが、多編成の場合は一番前の編成に乗らなくてはいけません。詳細はこちら。
    http://elron.ee/en/stops/luhikese-ooteplatvormiga-peatused/

  •  Cエリアはこう表示されています。

     Cエリアはこう表示されています。

  •  発車しました。<br /> ヴァイヴァラは隣の駅です。切符を買わないといけないのに車掌さんが来ない。ヴァイヴァラに到着したそのとき、車掌さんがこの車両に現れた。<br /> 遅いよ!だってそうでしょ、まずこの車両から検札しないと。ヴァイヴァラで降りる人は絶対この車両に乗ってるんだから。

     発車しました。
     ヴァイヴァラは隣の駅です。切符を買わないといけないのに車掌さんが来ない。ヴァイヴァラに到着したそのとき、車掌さんがこの車両に現れた。
     遅いよ!だってそうでしょ、まずこの車両から検札しないと。ヴァイヴァラで降りる人は絶対この車両に乗ってるんだから。

  •  7:24、ヴァイヴァラにて下車。<br /> ホームに出てドアが閉まるまで、1ユーロ60セントきっちり握りしめて待ってましたが、車掌さんは気付いているのにやってきません。結局無賃乗車になってしまいました。仕方がないってことで…。

     7:24、ヴァイヴァラにて下車。
     ホームに出てドアが閉まるまで、1ユーロ60セントきっちり握りしめて待ってましたが、車掌さんは気付いているのにやってきません。結局無賃乗車になってしまいました。仕方がないってことで…。

  •  ヴァイヴァラ駅の短いホーム。でもちゃんと列車と同じ高さだし屋根もある。当然無人駅です。<br /> こういう小さな駅で下車するのも私の妙な趣味の一つ。下車したのは私だけでしたが、乗車する人はいました。エストニアの小さな駅は秘境化はしていないようです。

     ヴァイヴァラ駅の短いホーム。でもちゃんと列車と同じ高さだし屋根もある。当然無人駅です。
     こういう小さな駅で下車するのも私の妙な趣味の一つ。下車したのは私だけでしたが、乗車する人はいました。エストニアの小さな駅は秘境化はしていないようです。

  •  この時は何気なく写真を撮ったのですが、左端に石碑が写っていました。この時は存在に気付かなかったのですが、翌日に列車で通った時に見つけました。

     この時は何気なく写真を撮ったのですが、左端に石碑が写っていました。この時は存在に気付かなかったのですが、翌日に列車で通った時に見つけました。

  •  拡大してみました。<br /> 1941年の空襲犠牲者の慰霊碑らしいです。1941年ならドイツによる空爆でしょうか。はっきりそう書かれた資料は見つかりませんでしたが、この年にドイツがエストニアを占領しているので。<br /> 犠牲者は300名にのぼったとのこと。こんな小さな村で…。

     拡大してみました。
     1941年の空襲犠牲者の慰霊碑らしいです。1941年ならドイツによる空爆でしょうか。はっきりそう書かれた資料は見つかりませんでしたが、この年にドイツがエストニアを占領しているので。
     犠牲者は300名にのぼったとのこと。こんな小さな村で…。

  •  駅舎。もちろん使われていません。

     駅舎。もちろん使われていません。

  •  駅名は掲げられていました。

     駅名は掲げられていました。

  •  駅舎の隣の建物は明かりがついていました。事務所みたいです。暗いとはいえ7時半ですから、仕事をしている人がいても不思議ではありません。

     駅舎の隣の建物は明かりがついていました。事務所みたいです。暗いとはいえ7時半ですから、仕事をしている人がいても不思議ではありません。

  •  ここにも猫さん。ゴハン待ちか?

     ここにも猫さん。ゴハン待ちか?

  •  駅舎、表側。

     駅舎、表側。

  •  駅前にはなにもありません。ここから20分ほど歩きます。<br /> 朝から雨に降られています。毎日、早朝はだいたい雨でした。今日も陽が昇りきるころにはやむでしょう。

     駅前にはなにもありません。ここから20分ほど歩きます。
     朝から雨に降られています。毎日、早朝はだいたい雨でした。今日も陽が昇りきるころにはやむでしょう。

  •  給水塔かな。

     給水塔かな。

  •  小川が流れる、のどかな田舎町。

     小川が流れる、のどかな田舎町。

  •  大きな道路に出ました。ここを南へ。

     大きな道路に出ました。ここを南へ。

  •  ヴァイヴァラのバス停。コホトラヤルヴェの市バスが1路線だけ停車します(この先にコホトラヤルヴェ市の飛び地がある)。今回は時間が合わず利用できません。

     ヴァイヴァラのバス停。コホトラヤルヴェの市バスが1路線だけ停車します(この先にコホトラヤルヴェ市の飛び地がある)。今回は時間が合わず利用できません。

  •  7:39、ヴァイヴァラ強制収容所跡に到着です。

     7:39、ヴァイヴァラ強制収容所跡に到着です。

  •  花が手向けられています。

     花が手向けられています。

  •  石碑は2つありました。こちらはヘブライ語表記があるのでユダヤ団体によるものでしょうか。<br /><br /> エストニアのホロコースト記念碑は収容所があった各所に建てられていますが、もっとも有名なのはKlooga(クローガ)にあります。(Kalevi-Liiva収容所跡)

     石碑は2つありました。こちらはヘブライ語表記があるのでユダヤ団体によるものでしょうか。

     エストニアのホロコースト記念碑は収容所があった各所に建てられていますが、もっとも有名なのはKlooga(クローガ)にあります。(Kalevi-Liiva収容所跡)

  •  エストニア人の中にもユダヤ人迫害に協力した人たちがいました。<br /> 1961年、ソ連時代の戦争犯罪裁判で4名のエストニア人が訴追され、2名が処刑、2名は国外に逃亡していたためロシアの追及を逃れました(うち1名は自殺、1名はイギリスでその後も暮らしていた)。現在のエストニア政府もホロコーストについてエストニア人の積極的関与があったことを認めています。この点、1944年にドイツ軍の一部として再侵攻してきたソ連軍と戦った部隊が戦争責任を問われていないのとは違います(こちらはやむを得ない選択、あるいはエストニアのための戦いとされナチ協力者とはされていない)。<br /><br /> ソ連による統計ではドイツ占領下の民間人犠牲者は、エストニアのユダヤ人約1,000人、外国のユダヤ人約10,000人、エストニアのロマ約1,000人、エストニア人約7,000人、ソ連の戦争捕虜約15,000人となっています(ウィキペディアより)。強制収容所にはソ連軍の戦争捕虜も収容されていました。<br /> 1961年のソ連による訴追はこの報復なのではないかとも感じてしまいます。もちろんエストニア政府も認めている通り、その人道に対する罪は重いです。でも、その何倍にも及ぶ無実の人々をシベリアへと送り続けたソ連。その罪は問われないのですか。

     エストニア人の中にもユダヤ人迫害に協力した人たちがいました。
     1961年、ソ連時代の戦争犯罪裁判で4名のエストニア人が訴追され、2名が処刑、2名は国外に逃亡していたためロシアの追及を逃れました(うち1名は自殺、1名はイギリスでその後も暮らしていた)。現在のエストニア政府もホロコーストについてエストニア人の積極的関与があったことを認めています。この点、1944年にドイツ軍の一部として再侵攻してきたソ連軍と戦った部隊が戦争責任を問われていないのとは違います(こちらはやむを得ない選択、あるいはエストニアのための戦いとされナチ協力者とはされていない)。

     ソ連による統計ではドイツ占領下の民間人犠牲者は、エストニアのユダヤ人約1,000人、外国のユダヤ人約10,000人、エストニアのロマ約1,000人、エストニア人約7,000人、ソ連の戦争捕虜約15,000人となっています(ウィキペディアより)。強制収容所にはソ連軍の戦争捕虜も収容されていました。
     1961年のソ連による訴追はこの報復なのではないかとも感じてしまいます。もちろんエストニア政府も認めている通り、その人道に対する罪は重いです。でも、その何倍にも及ぶ無実の人々をシベリアへと送り続けたソ連。その罪は問われないのですか。

  •  7:49、次の目的地へと向かいます。<br /> 大々的な看板を掲げて工事をしていたので何かと思ったら水道工事でした。

     7:49、次の目的地へと向かいます。
     大々的な看板を掲げて工事をしていたので何かと思ったら水道工事でした。

  •  かつては線路を高架で越える道が部分的に残っています。高架部分が撤去され、前後の道もこの通り通行はできないのですが。<br /> 石碑があった方へと伸びているので、もしかすると収容所に通じていた?

     かつては線路を高架で越える道が部分的に残っています。高架部分が撤去され、前後の道もこの通り通行はできないのですが。
     石碑があった方へと伸びているので、もしかすると収容所に通じていた?

  •  平行する現在の道路。

     平行する現在の道路。

  •  こちらは踏切で線路を越えます。警報機はありますが遮断機はありません。

     こちらは踏切で線路を越えます。警報機はありますが遮断機はありません。

  •  高架部分がなくなっている旧道。

     高架部分がなくなっている旧道。

  •  すぐ先がヴァイヴァラ駅です。

     すぐ先がヴァイヴァラ駅です。

  •  ここで南に分岐する線があります。どこかの鉱山につながっているのでしょう。ナルヴァ方面の線路には至る所にこういった分岐があります。

     ここで南に分岐する線があります。どこかの鉱山につながっているのでしょう。ナルヴァ方面の線路には至る所にこういった分岐があります。

  •  もう少し先では北への分岐もあります。

     もう少し先では北への分岐もあります。

  •  小川。ボケボケだけど好きな風景なので。

     小川。ボケボケだけど好きな風景なので。

  •  旧道の北端側。<br /> 現地で見るまでは現在の線路と交差する鉄道跡ではないかと思っていたのですが、アスファルトも残っているので道路ですね。

     旧道の北端側。
     現地で見るまでは現在の線路と交差する鉄道跡ではないかと思っていたのですが、アスファルトも残っているので道路ですね。

  •  牛。周辺の農地は牧草地だったのか。

     牛。周辺の農地は牧草地だったのか。

  •  今度は羊!全員が私を見つめています。

     今度は羊!全員が私を見つめています。

  •  そして石碑。<br /> ここにも何か悲しい歴史があるのかと思ったら、農場の名前が書いてあるだけだった。

     そして石碑。
     ここにも何か悲しい歴史があるのかと思ったら、農場の名前が書いてあるだけだった。

  •  8:24、Sillamäe(シラマエ)の町が見えてきました。<br /><br /> 次はこの町を散策します。

     8:24、Sillamäe(シラマエ)の町が見えてきました。

     次はこの町を散策します。

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