2017/09/15 - 2017/09/15
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旅人のくまさんさん
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関ヶ原合戦のイベントの紹介です。イベント終了の後に、いくつかの陣跡等を回りました。最初は島津義弘の布陣址です。周りの西軍が壊走し、最後は敵中突破で、義弘初めの少数が逃げ延びました。(ウィキペディア)
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関ヶ原合戦イベント会場での締め括りの場面です。合戦の勝敗はジャンケンで決することがアナウンスされました。その前の東西両軍の総大将による決意表明です。まずは東軍の徳川家康公です。(同上)
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イチオシ
気合が入って来た徳川家康公のズームアップ光景です。実際の戦いは、夜明けとともに開始され、6時間余り後の昼頃には決着がつきました。1日というより、半日で勝敗が決しました。(同上)
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采配をふるって、東軍の徳川家康公の決意表明が終了しました。家康公は天文11年(1542年)生まれ、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの時は、58~9歳でした。西軍の石田三成公は永禄3年(1560年)の生まれですから、1周り半の18歳年下の41歳でした。(同上)
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家康公の決意表明を聞いていた三成公の表情です。実際の戦いでは、敗戦後に伊吹山山中に逃れましたが、追撃の田中吉政に捕縛され、小西行長、安国寺恵瓊らとともに六条河原で斬首されました。辞世は、『筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり』でした。(同上)
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三成公の元に伝令がやってきて、決意表明の連絡です。それを見守る城頭巾姿の大谷吉継公(1559~1600年)です。永禄2年の生まれですから、三成公より1つ年上です。辞世は『契りあらば 六つのちまたに 待てしばし おくれ先立つ たがひありとも』でした。(同上)
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石田三成公の決意表明です。関ヶ原合戦の時の居城は、長浜の佐和山城でした。『三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城』と称された名城です。三成公は奉行の任を全うするために伏見城に滞在することが多く、実際に城を任されていたのは父の正継でした。関ヶ原の戦い後すぐに、家康公は小早川秀秋軍を先鋒として佐和山城を猛攻撃させました。(同上)
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三成公の決意表明です。関ヶ原の戦いの後、江戸時代後期の肥前国平戸藩第9代藩主の松浦清(号は静山)公により書かれた随筆集の『甲子夜話(かっしやわ)』によれば、『(佐和山)城内の作りは極めて質素で、城の居間なども大抵は板張りで、壁はあら壁のままであった。庭園の樹木もありきたりで、手水鉢も粗末な石で、城内の様子を見た当時の人々もすこぶる案外に感じた』と記されています。(同上)
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司会者からのジャンケンでの決着の合図がありました。松浦清公による『甲子夜話』を紹介したのは、敗者が置かれる立場の常で、事実とは異なる喧伝が渦巻くことです。徳川軍に従軍したとする人の記述にも、『陥落した佐和山城に金銀が少しもなく、三成は殆んど蓄えを持っていなかった』と記されているようです。三成の全盛時には、佐和山城には金銀が有り余っていると喧伝されていたようです。(同上)
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最初はグーのポーズのようです。打合せがしてあったらしく、両雄とも観客席に向かってコブシを突き上げました。(同上)
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双方、相手の腹を探り合いながら、裏の裏を読み合っているようでした。ジャンケンは1本勝負でした。(同上)
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ジャンケンの結果は、三成公のチョキ、家康公のパーで、西軍の勝となりました。今年が初めての旅行社が主体の関ヶ原合戦イベント、無事に終了しました。(同上)
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これで、石田軍が布陣した笹尾山の麓での関ヶ原合戦イベントは終了しました。来年も9月15日に合戦イベントを開催予定との旅行社の司会からのアナウンスでした。(同上)
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関ヶ原合戦イベントの後は、三々五々に関ヶ原古戦場の散策です。関ヶ原駅を出発する貸切り電車の時間までは、自由行動です。目の前に広がる、白い花を咲かせた蕎麦畑のようでした。(同上)
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蕎麦畑の周りに表示してあった、電気柵の危険表示です。所々に、電源となるバッテリーが置かれていました。直流を交流に変換した上で、高電圧を発生させるようでした。(同上)
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振り返って眺めた、笹尾山と、その麓のイベント会場の光景です。石田軍は、鉄砲のほかに大砲も装備していたようです。イベントの中でも空砲の大砲が一斉に鳴らされました。(同上)
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島津義弘陣跡に向かう途中、道の両脇に蕎麦畑が広がっていました。蕎麦は大好きで、今から新蕎麦が楽しみです。新蕎麦には秋以降に収穫する秋新と、夏場に収穫する夏新があるようです。夏新は秋新に比べ、香りや味がやや劣るようです。(同上)
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車の通行が多い街道道の先に見えてきた道案内標識の光景です。目的地の島津義弘陣地も記してあるようでした。(同上)
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街道を渡って、ズームアップした道案内標識の光景です。開戦地をはじめ、島津陣地、小西陣地と宇喜多陣地までの距離も記してありました。目的地の島津陣地までは400メートルの場所です。(同上)
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脇道に入って、次に見えてきた道案内標識です。カーブミラーと共用のポールに、右向きの矢印で、島津義弘陣跡まで240メートルの表示がありました。(同上)
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『下水道マンホール蓋』のズームアップ光景です。六分割された中に兜、梅の花と松か杉らしい樹木が、印刻と陽刻のセットで表示されていました。後ほど、同じ文様のカラーマンホール蓋も紹介します。(同上)
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脇道ではなく、民家の庭に続く道のようでした。その両脇をシェパードらしいワンチャンの置物が護っていました。(同上)
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イチオシ
爽やかなピンク色のムクゲ(木槿、槿)の花の光景です。一重咲でした。アオイ科フヨウ属の落葉樹です。(同上)
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こちらは濃いピンク色をした、八重咲の槿の花の光景です。ムクゲと近縁種のフヨウとは、葉の形や樹形で簡単に見分けが付きます。(同上)
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関ヶ原合戦場跡の道案内標識です。島津義弘陣跡まで100メートル、開戦地まで440メートルの表示でした。(同上)
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島津義弘陣跡に近い場所にあった神社の光景です。『神明神社』の真新しい石標がありました。(同上)
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幅広い葉の上に、花火が開いたような形で咲いていた赤い花の光景です。花木の名前はまだ調べていません。(同上)
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『島津義弘陣跡』の表示があった説明パネルの光景です。義弘公の肖像画と、丸に十の字の紋所が表示されていました。島津氏は、鎌倉時代から江戸時代まで続いた名門氏族です。十字紋は最も古い紋の一つで、歴史的にも名高く、鎌倉時代は清和源氏の小笠原、逸見、田沢、志村の諸氏も用いました。後には、島津氏に遠慮して使用をやめたようです。(同上)
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立派な石積の上に設けられた石碑の光景です。刻まれている文字は、『小池・島津義弘陣所跡』でした。推測ですが、明治維新後の建立のようです。(同上)
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『島津義弘(惟新)じんあと」のタイトルがあった立看板の光景です。少し拾い読みしますと、北国街道の抑えのため、千人の軍団を率いて、小池村に陣を構えた島津義弘軍の紹介でした。敗戦過程での敵中突破の事にも触れてありました。(同上)
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古い石標の位置をそのままにして、周りを新しい石柱列で囲ってありました。石標の文字は、『小池・島津義弘陣舊趾』の文字のようでした。『小池』は、先ほど紹介した、この場所の地名です。(同上)
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