2017/09/21 - 2017/09/21
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旅人のくまさんさん
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姉川の古戦場の紹介の後半は、浅井氏が滅んだ小谷城の紹介です。標高約495メートルの小谷山から南の尾根筋に築かれた山城は、浅井長政とお市の方の悲劇の舞台となりました。(ウィキペディア)
- 交通手段
- 観光バス
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小谷山の麓に到着しました。その麓にあった巨大な兜のモニュメントです。立派な造りの石垣の上に置かれていました。(同上)
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小谷城・山麓駐車場です。ここで大型バスから小型バスに乗り換えて、途中までの登山になります。バスで片道10分ほどの登りでした。(同上)
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小型バスでは1階では運びきれませんので、2階に分けてのピストン輸送となりました。後発組が到着するまでの時間での小谷城の俄か勉強です。尾根に造られた梯郭式山城です。二筋の尾根に挟まれた谷筋に武家屋敷や寺院がありました。(同上)
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後発組を待った、待機の場所は『金吾丸跡』でした。大永5年(1525年)に朝倉氏の家臣の朝倉宗滴(1477~1555年)が入城し、5ヶ月間在城して室町幕府管領代の六角定頼(1495~1552年)との調停の際に使用した場所とされます。朝倉宗滴は、実質的な朝倉家の当主だった人です。(同上)
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『金吾丸跡』のタイトルがあった、説明立看板の光景です。『金吾丸』の呼び名は、大永5年(1525年)、六角高頼が小谷城を攻めた時、越前の朝倉金吾教景がここに陣を敷いたことに因むと紹介されていました。宗滴の諱は教景です。六角高頼(生年不詳~1520年)は、年代が合いませんので、その後を継いだ六角定頼(1495~1652年)の間違いかも知れません。大永5年(1525年)には30歳でした。(同上)
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左に見えるのが、現在の金吾丸の登り口です。右側に脇道がありました。当初、浅井家は近江を支配していた名家、の京極家』の配下でしたが、浅井長政 の祖父・浅井亮政は、京極家で跡継ぎ争いが起こった時、それに乗じて独立しました。このため、京極家と友好関係にあった、近江の南部の『六角家』と長年に亘る勢力争いを続けながら勢力範囲を広げました。(同上)
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同じく、『金吾丸跡』付近の光景です。この通りには、『追手道』の表示がありました。最初に紹介した『尾谷城跡絵図』には、谷筋の武家屋敷の入口付近に繋がる近道として記されていました。大手道とは、出丸の北側で分岐していました。(同上)
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『追手道』の脇から眺めた麓の光景です。田園光景と街並み光景が混在した景色でした。その先に琵琶湖が見えていました。(同上)
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『金吾丸跡』付近の光景が続きます。この道を下れば、200メートル足らずでマイクロバスの終点に達します。独立した当初の浅井家は、小勢力に過ぎなかったため、六角家の攻撃を防ぐために近畿地方北方の大名家、『朝倉家』と同盟 し、その支援を受けながら戦いました。これにより、以後 浅井家と朝倉家 は互いに深い信頼関係を持つこととなりました。(同上)
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イチオシ
現地ガイドさんからも注意がありましたが、この辺りでは熊が出没することがあるようです。真新しい、その注意看板がありました。(同上)
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『金吾丸跡』付近には、『番所』の石標も建っていました。その先に、説明プレートらしい光景がありました。(同上)
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絵図と説明文が記された、『番所』の説明プレートのズームアップ光景です。小谷城の主要部への入口に位置し、『登城道に面して南北に細長く石垣を積み、周辺には腰曲輪が点在する』と紹介されていました。(同上)
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『番所』のタイトルがあった説明立看板の光景です。『遠方からは見えず、間道もここに集まる要所に位置する』と説明され、『登城者の検問所』と、その目的が紹介されていました。(同上)
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『番所』から少し登った場所にあった、絵図と説明文が記された、『御茶屋』の説明プレートのズームアップ光景です。絵図には、上から黒金門、桜馬場、御馬屋・井戸が記され、その下に『御茶屋』がありました。発掘調査で確認されたのでしょうか、桜馬場と、御茶屋のエリアには、望楼が記されていました。(同上)
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『御茶屋跡』のタイトルがあった説明立看板の光景です。主郭の最先端に位置し、風雅な名前には似つかない『軍事施設』と紹介されていました。(同上)
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『御茶屋』の標識があった付近の光景です。大きな石を根に巻き込んだ樹木には、『コナラ(小楢)』の名札がありました。ブナ科コナラ属の落葉広葉です。もうひとつの日本の主要なナラのミズナラの別名である『オオナラ(大楢)』と比較して付けられた名前です。平たく言えば、『ドングリの木』です。(同上)
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道案内標識の光景です。左側の本丸まで240メートル、右側の番所まで160メートルの表示がありました。下側の新しい標識には、ここがお茶屋跡で、大獄城まで1550メートルであることが記されていました。(同上)
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イチオシ
木々の間から眺めた、麓の田園光景と、遠くの山並み光景です。一番遠くの山の頂上付近には、樹木が伐採されたような跡が目印のように見えました。この方角には、琵琶湖は見えませんでした。(同上)
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周りに石が配された、池の跡の光景です。右奥は、雨水を集めるの適した沢筋のような地形になっていました。(同上)
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絵図と説明文が記された、『御馬屋(おうまや)』の説明プレートのズームアップ光景です。絵図は、『番所』のものと同一でした。実際に馬がいたかどうかは意見が分かれているようです。中央に井戸跡が残っています。(同上)
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『御馬屋址』の石標と、『御馬屋跡』の説明立看板の光景です。『三方を高い土塁で囲まれ、本丸を守るための曲輪』と紹介されていました。清水谷側に帯曲輪が設けられているようですが、見学は出来ませんでした。(同上)
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絵図と説明文が記された『御馬屋(おうまや)』の説明プレート、『御馬屋址』の石標と、『御馬屋跡』の説明立看板が揃った光景です。(同上)
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同じく、かなりの広さを持った『御馬屋跡』の光景です。樹木が伐採された跡がありましたが、発掘調査は行われていない雰囲気でした。(同上)
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現地ガイドさんの先導で、次の見学場所に向かうツアーに参加の皆さん方です。下調べも十分にされて、分かり易い説明をされていたガイドさんでした。(同上)
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水は枯れていましたが、井戸跡か、池跡のようでした。周りの状況と大きさから言えば、池だった場所かもしれません。周りが石で縁取りされ、底には石が敷き詰められていました。山城にとって水は、日常だけでなく、籠城の際の死活問題です。(同上)
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登城路から眺めた、脇道の光景です。脇道があった小路のようにも見えますが、うず高く落葉が重なり、倒木で道が塞がれていました。先に紹介した、コナラ等の落葉広葉樹の林のようです。(同上)
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木々の間から眺めた遠くの景色の眺望です。麓付近は、木々で視界が遮られていました。東南方面になるのでしょうか、琵琶湖の姿はありませんでした。(同上)
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イチオシ
上が平になった『首据石』の光景です。人為的に平らにされたように見受けました。かなり大きな石です。(同上)
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『首据石』のタイトルがあった説明立看板の光景です。天文2年(1533年)、六角氏との戦いで敵に内通したとされる、浅井家の家臣の今井秀信が殺され、その首が晒された場所です。(同上)
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少し読み難いですが、『右・赤尾美作守屋敷跡』の文字が刻まれた石標の光景です。落城を覚悟した浅井長政が自決をした屋敷です。赤尾家は、浅井家の重臣でした。見学に立寄る時間はありませんでした。(同上)
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