2025/10/16 - 2025/10/17
4位(同エリア261件中)
Brightonさん
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関ヶ原の戦い、天下分け目の戦、そして戦国時代の終焉と日本の歴史上、極めて大きなエポックメイキング。
その地を是非我が目と足で訪ねてみたいと考えていた本計画を決行。
秋晴れの空が広がる10月の週末、名古屋から大垣、関ヶ原へ向かい、現地関ヶ原では電動アシスト自転車をレンタルし半日かけての戦跡巡り。
気温29度と夏の名残が残る中、いにしえの大戦の場を歩んできた!!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自転車 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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まずは名古屋で知人を訪問
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その後、大垣市へ
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本日の宿は大垣のホテル
くれたけインプレミアム大垣駅前 宿・ホテル
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大垣B級グルメ、クリーミーカツ丼で有名なお店へ
閉店は5時、3時半に到着もすでにクローズ・・・
せっかく昼飯抜いてきたのに、やられた -
大垣の目抜き通り
人がいない、そして見事なシャッター商店街
日本の地方なんとかしないと・・・ -
昭和なビリヤード屋さん
きっと四つ玉がメインなんだろうな・・・ -
大垣城へ
天下分け目の戦、関ヶ原の戦いでは、西軍を率いる石田三成が入場 -
東門東門
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城西広場から大垣城大垣城
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イチオシ
身の大垣藩初代藩主 戸田氏鉄と大垣城
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大垣大神宮
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湧水の町大垣
市内のあちこ自噴自噴水あり -
大垣ディナー
飛騨牛売りの焼肉やへ
特上ロースをオーダー、身がかたい・・・残念 -
大垣駅前広場にある自噴水『水都の泉』
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養老道道車両
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翌日の朝食はホテルのビュフェ
関ヶ原の戦跡巡りの備えがっつりいただく -
大垣駅から眺める伊吹山
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関ヶ原へ
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到着
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関ヶ駅駅舎
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駅前の関ヶ原駅前観光交流館
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ここで電動アシストレンタルレンタル
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線路沿いに掲げられた武将画
徳川家康・・・言わずと知れた東軍総大将 -
そして、石田三成
実質的に西軍を率いた -
東首塚
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東西両軍合わせて約15万人の兵が集結
おびただしい戦死者を祀った墓所 -
松平忠吉・井伊直政陣跡
家康四男の忠吉とその後見役徳川四天王の一人井伊直政の陣
二人は東軍先鋒の福島隊に抜け駆けし先陣を切る
そして関ヶ原の戦いの火蓋は切られた -
関ヶ原の町に立ち並ぶ電柱には、その地にちなむ各武将を豆知識が紹介されている
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田中吉政陣跡
徳川側の吉政は石田三成を捕縛するという大功を遂げた -
徳川家康最後陣跡
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笹尾山に陣取る石田三成の軍勢を押さえ、そして松尾山に陣取る小早川秀秋に発砲し寝返りを仕向けるため、家康はあえて本陣を戦場の中央に移した
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家康の床几場
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家康はここで討ち取った敵武将の首実検を行った
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岐阜関ケ原古戦場記念館
この日は休館日・・・残念 -
細川忠興陣跡
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忠興は三成に人質として捕らわれることを拒み自死した妻ガラシャを弔うため、黒田・竹中隊とともに三成本陣を果敢に攻め敗走させた
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岡山烽火場・黒田?竹中陣跡
開戦の日、朝8時にここで烽火を炊き、黒田・竹中軍は細川軍らとともに三成が陣を構える笹尾山に攻め入った -
黒田と竹中といえば、軍師の血筋を引く名将
そして竹中はここ関ヶ原を治めていた武将
いかに三成といえどもこの二将に攻められたら堪らない -
地の利を生かし、松尾山、笹尾山と敵陣を見渡せるここ岡山に陣を構えた
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笹尾山に向かう途中
アーバンベアが日本中で問題となっている今日この頃・・・気を付けないと -
石田軍先鋒の島左近と東軍の猛将が最も激しい戦いを繰り広げた場所
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ここから左奥の山上に見えるのが笹尾山に構えた石田三成の陣
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馬防柵に囲まれた石田軍の知将、島左近の陣
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「治部少(石田三成)に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」と謳われた知将
三成を守るため、ここで細川、黒田、竹中らの東軍の猛将を相手に獅子奮迅の活躍を見せた -
石田三成陣地
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笹尾山に構えた石田三成の陣
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戦場が見渡せるこの場所で、実質的に西軍を率いた三成
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豊臣恩顧の武将に離反され、西軍に迎え入れた毛利、小早川、吉川、島津らにも早々に見切られた三成
兵を纏めるための人望が無かった故か -
島津義弘は三成の側面の守りを固めるためここに陣取る
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島津軍は三成の再三の参戦要請を拒み続けた
そして、小早川秀明の寝返りで西軍が崩れると、東軍に囲まれる中、敵陣中央突破を果たす -
小西行長陣跡
西軍に与し戦うが、三成に付き従うというよりも、九州で対立する加藤清正憎しの思いからの参戦か -
宇喜多秀家陣跡
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豊臣五大老の一人、宇喜多秀家
1万7千の軍勢を引き連れ、西軍の副大将として参戦
福島、井伊隊と激戦を繰り広げるが、小早川隊の裏切りで側面を切り崩され崩壊
戦後は家康の温情で首を取られず八丈島に流刑とされた -
中山道へ
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不破関跡
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壬申の乱後、天武天皇により設けられた関所
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交通の要所にあるため、壬申の乱、承久の乱、南北朝の争乱、関ヶ原の戦いと覇権を争った強者どもが激しく戦う場となった
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大谷吉勝陣跡へ
宇喜多、島左近らとともに西軍で獅子奮迅の戦いを貫いた大谷善継 -
若宮八幡宮の裏山に陣を構えた
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鳥居をくぐると・・・
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東海道線の踏切
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神社の境内脇を登っていくと・・・
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大谷吉継の陣跡
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イチオシ
三成の盟友であった吉継は、この戦には負けを覚悟の上参戦
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病で伏せていた吉継はこの山上から軍を指揮し西軍の中枢として宇喜多軍とともに戦うが・・・
小早川隊の裏切りにも耐え踏ん張るが、脇坂安治らの寝返りで壊滅 -
松尾山眺望地
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ここから小早川の陣する松尾山を正面に望む吉継の陣
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イチオシ
東海道線踏切
ちょうど貨物列通過 -
平塚為広碑
大谷善継の盟友平塚為広
病に伏す吉継に代わり前線の指揮を執るが、小早川、脇坂らの相次ぐ寝返りで討ち死に -
小早川秀秋陣跡へ
1万5千の大軍を引き連れた小早川の寝返りが、関ヶ原の戦いの命運を分けた・・・ -
小早川秀秋の陣はここ松尾山の山中
歩くと約40分
今回は麓のここまで -
あの特徴的な山塊は伊吹山
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井上神社
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壬申の乱で勝利した天武天皇(大海人皇子)を祀る神社
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福島正則陣跡
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豊臣恩顧の武将だが石田三成とは犬猿の仲
この戦ではいち早く徳川方につき、宇喜多の大軍を相手に大活躍 -
可児才蔵
福島軍の先陣を務めた武将
この戦では井伊直政と東軍の先陣を競った -
京極高知・藤堂高虎陣跡
藤堂高虎は、この戦で寝返った脇坂安治を調略
東軍勝利の立役者の一人 -
この民家の間に見えるのは・・・
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本多忠勝陣跡
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言わずと知れた徳川四天王の一人
この戦ではもっぱら東軍についた豊臣恩顧の武将に睨みを利かせていた
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徳川家康 最初陣跡
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イチオシ
ここ桃配山に最初に陣を構えた
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家康は当初ここから戦況を見守っていたが、西軍優勢の形勢を立て直すべく陣を戦場のど真ん中に移した・・・
それにより東軍は一気に盛り返し小早川の寝返りにつながった -
山内一豊陣跡
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山内軍は西軍の総大将毛利輝元の名代秀元を押さえるためここに陣を張る
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旧中山道松並木
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イチオシ
このあたりはいにしえの中山道の面影が残る
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そしてここには中山道58番目の宿場が置かれた
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関ケ原八幡神社
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関ケ原本陣跡スダジイ
神社の境内はかつて関ヶ原本陣が置かれていた
その一角にあるスダジイの古木 -
東軍の猛攻と西軍への調略による寝返り続出で、西軍に残された石田三成軍は北国街道に退却、島津義弘軍は敵陣突破し伊勢街道へ退却
かくして天下分け目の戦に決着がついた・・・ -
関ヶ原の戦い戦跡巡りを終え関ヶ原駅へ
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名古屋で新幹線で乗り換え帰途へ着く
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帰りの新幹線で味噌カツ・ひつまぶし弁当、そしてハイボール
お疲れ様でした!!
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