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関ヶ原古戦場で行われた、合戦イベントの紹介です。旧暦の9月15日を、そのまま新暦の9月15日に置き換えた、417年目に当たる合戦イベントでした。天下分け目の大合戦は、僅か1日で決着がつきました。(ウィキペディア)

2017秋、関ヶ原古戦場(2/5):合戦イベント、法螺貝、石田隊の猫さん、三成布陣の笹尾山

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2017/09/15 - 2017/09/15

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

関ヶ原古戦場で行われた、合戦イベントの紹介です。旧暦の9月15日を、そのまま新暦の9月15日に置き換えた、417年目に当たる合戦イベントでした。天下分け目の大合戦は、僅か1日で決着がつきました。(ウィキペディア)

交通手段
JRローカル
  • 石田三成軍が布陣する笹尾山の光景です。前方に関ヶ原が見渡せる、西軍総大将にとっては、絶好の布陣位置でした。東軍の総大将が徳川家康であることは衆人一致していますが、西軍の総大将は、名目的な総大将の毛利輝元説や、実質的な大将格が宇喜多秀家で、参謀格が石田三成とする説もあるようです。内通や裏切りがあった、西軍らしい内部事情に思えます。(同上)

    石田三成軍が布陣する笹尾山の光景です。前方に関ヶ原が見渡せる、西軍総大将にとっては、絶好の布陣位置でした。東軍の総大将が徳川家康であることは衆人一致していますが、西軍の総大将は、名目的な総大将の毛利輝元説や、実質的な大将格が宇喜多秀家で、参謀格が石田三成とする説もあるようです。内通や裏切りがあった、西軍らしい内部事情に思えます。(同上)

  • 写真の上に北国街道(黄色の線)、中山道(橙色の線)と伊勢街道(赤色の線)が記され、徳川家康などの東軍の配置が表示されたパネルのズームアップ光景です。関ヶ原が交通の要所であることも分かる説明図でした。このパネルがあった石田軍が布陣する笹尾山は、北国街道を眼下にする場所でした。(同上)

    イチオシ

    写真の上に北国街道(黄色の線)、中山道(橙色の線)と伊勢街道(赤色の線)が記され、徳川家康などの東軍の配置が表示されたパネルのズームアップ光景です。関ヶ原が交通の要所であることも分かる説明図でした。このパネルがあった石田軍が布陣する笹尾山は、北国街道を眼下にする場所でした。(同上)

  • 徳川軍の旗差しを背負って来た人達です。石田陣に攻め入ったのではなく、イベントが始まる前の、息抜きの行動時間だったようです。(同上)

    徳川軍の旗差しを背負って来た人達です。石田陣に攻め入ったのではなく、イベントが始まる前の、息抜きの行動時間だったようです。(同上)

  • 石田三成布陣の笹尾山に登って来たのは、東西連合軍でした。白地に十字紋の東軍・加藤嘉明隊、黒地に九曜紋の東軍・細川忠興隊、赤地に違い鎌の西軍・小早川秀秋隊、赤地に五つ葉木瓜は織田家の紋でしょうか、一族は東軍と西軍に分かれて参戦したようです。真田家や九鬼家も一族は東西に分かれました。(同上)

    石田三成布陣の笹尾山に登って来たのは、東西連合軍でした。白地に十字紋の東軍・加藤嘉明隊、黒地に九曜紋の東軍・細川忠興隊、赤地に違い鎌の西軍・小早川秀秋隊、赤地に五つ葉木瓜は織田家の紋でしょうか、一族は東軍と西軍に分かれて参戦したようです。真田家や九鬼家も一族は東西に分かれました。(同上)

  • 紹介していなかった旗印は、酔色に『倪(人偏のない文字)』だけです。この旗印は、西軍の宇喜多秀家の家宰・明石掃部(かもん)のようです。宇喜多秀家の姉を妻とし、家臣中最大の領地を有したキリシタン武将です。(同上)

    紹介していなかった旗印は、酔色に『倪(人偏のない文字)』だけです。この旗印は、西軍の宇喜多秀家の家宰・明石掃部(かもん)のようです。宇喜多秀家の姉を妻とし、家臣中最大の領地を有したキリシタン武将です。(同上)

  • 同じ場所のズームアップ光景です。明石掃部は、関ヶ原の戦で西軍に属した宇喜多家滅亡後、黒田家にむかえられ,筑前秋月に住したようです。豊臣秀頼の招きに応じ、大坂の陣にはキリシタン部隊を率いて活躍しました。大坂落城後、戦死とも、逃亡潜伏後病死したともいわれ、生没年不明です。(同上)

    同じ場所のズームアップ光景です。明石掃部は、関ヶ原の戦で西軍に属した宇喜多家滅亡後、黒田家にむかえられ,筑前秋月に住したようです。豊臣秀頼の招きに応じ、大坂の陣にはキリシタン部隊を率いて活躍しました。大坂落城後、戦死とも、逃亡潜伏後病死したともいわれ、生没年不明です。(同上)

  • 上から見下ろした、石田三成布陣の笹尾山への登山道の光景です。これから、イベント見学に下山開始です。登りが5分ほどでしたから、下りは、その半分ほどの時間で済みそうです。(同上)

    上から見下ろした、石田三成布陣の笹尾山への登山道の光景です。これから、イベント見学に下山開始です。登りが5分ほどでしたから、下りは、その半分ほどの時間で済みそうです。(同上)

  • 麓に下りる途中にあった逆茂木(さかもぎ)の光景です。下から攻め上げる敵への備えでした。鹿砦(ろくさい)や鹿角砦(ろっかくさい)とも呼ばれたようです。(同上)

    麓に下りる途中にあった逆茂木(さかもぎ)の光景です。下から攻め上げる敵への備えでした。鹿砦(ろくさい)や鹿角砦(ろっかくさい)とも呼ばれたようです。(同上)

  • 多重に設置してあった逆茂木の光景です。ネット検索によれば、石田陣営は竹矢来が防御に使われたとの情報もありました。雨の中、大垣城から20キロ以上の距離を移動してきた直後の事ですから、布陣にかける時間は少なかったはずです。布陣が完了したのは、明け方頃だったようです。(同上)

    多重に設置してあった逆茂木の光景です。ネット検索によれば、石田陣営は竹矢来が防御に使われたとの情報もありました。雨の中、大垣城から20キロ以上の距離を移動してきた直後の事ですから、布陣にかける時間は少なかったはずです。布陣が完了したのは、明け方頃だったようです。(同上)

  • 西軍の総大将の石田三成は、もともと豊臣秀吉の一番の側近でした。秀吉に様々な報告を行ったり、命令を各地に伝達する役目を持っていました。そのため彼によって望まぬ報告をされ、処罰を受けた人が多くいました。三成の立場上、仕方がない面も多いようですが、官僚派の三成を嫌った武将は、日常、戦場で戦っている『武断派』に多くいました。(同上)

    西軍の総大将の石田三成は、もともと豊臣秀吉の一番の側近でした。秀吉に様々な報告を行ったり、命令を各地に伝達する役目を持っていました。そのため彼によって望まぬ報告をされ、処罰を受けた人が多くいました。三成の立場上、仕方がない面も多いようですが、官僚派の三成を嫌った武将は、日常、戦場で戦っている『武断派』に多くいました。(同上)

  • 内側から眺めた逆茂木の光景です。関ヶ原合戦の戦場に集った人数は諸説あり、史書によって相違があります。現在広く言われているのは、戦前に軍部が編纂した『日本戦史』によるものです。それによれが東軍は8万9千人弱、西軍は8万3千人強です。東軍の8万9千人の内、約1万4千人が南宮山の抑え、西軍は2万8千人ほどが南宮山に釘付けになり、2万人近くが東軍に寝返りました。(同上)<br />

    内側から眺めた逆茂木の光景です。関ヶ原合戦の戦場に集った人数は諸説あり、史書によって相違があります。現在広く言われているのは、戦前に軍部が編纂した『日本戦史』によるものです。それによれが東軍は8万9千人弱、西軍は8万3千人強です。東軍の8万9千人の内、約1万4千人が南宮山の抑え、西軍は2万8千人ほどが南宮山に釘付けになり、2万人近くが東軍に寝返りました。(同上)

  • 狭い間隔で二列に並んだ逆茂木の光景です。関ヶ原の戦いの兵士数は、一般には、西軍は8万数千に対し、東軍は7万5千と、東軍が若干劣勢だったように伝わっています。この理由は、江戸時代に作られた、『家康神格化のため』とする説があります。家康は野戦上手で有名ですが、この天下分け目の戦でも、勝者の常で、そのことが協調されたようです。(同上)

    イチオシ

    狭い間隔で二列に並んだ逆茂木の光景です。関ヶ原の戦いの兵士数は、一般には、西軍は8万数千に対し、東軍は7万5千と、東軍が若干劣勢だったように伝わっています。この理由は、江戸時代に作られた、『家康神格化のため』とする説があります。家康は野戦上手で有名ですが、この天下分け目の戦でも、勝者の常で、そのことが協調されたようです。(同上)

  • まだ小高い場所から見下ろした、イベント会場の光景です。丁度いいタイミングで引き返してきたようです。(同上)

    まだ小高い場所から見下ろした、イベント会場の光景です。丁度いいタイミングで引き返してきたようです。(同上)

  • 一度紹介した、笹尾山の麓に建つモニュメント、題名は『無限時空』、緒方良信氏の作品です。関ヶ原合戦400年祭記念の作品です。緒方良信氏はイタリアで学ばれ、国際的に活動されているイタリア在住の彫刻家です。ブルネレスキ国際視覚芸術賞、ペリクレ・ファッツィーニ賞,ベネチアトレビーゾ空港彫刻美化コンペ大賞 などを受賞されています。(同上)

    一度紹介した、笹尾山の麓に建つモニュメント、題名は『無限時空』、緒方良信氏の作品です。関ヶ原合戦400年祭記念の作品です。緒方良信氏はイタリアで学ばれ、国際的に活動されているイタリア在住の彫刻家です。ブルネレスキ国際視覚芸術賞、ペリクレ・ファッツィーニ賞,ベネチアトレビーゾ空港彫刻美化コンペ大賞 などを受賞されています。(同上)

  • 振り返って眺めた、石田三成軍が布陣していた笹尾山の光景です。石田隊の前衛には、島左近が布陣していました。家康に過ぎたる者として本多平八が例えられますが、三成に過ぎたる者として例えられる島左近です。三成の説得により仕官を受け入れ、破格の2万石の俸禄で召し抱えられました。関ヶ原の戦いでも、左近の奮戦ぶりは東軍諸将の間でも語り草となったとされます。(同上)

    イチオシ

    振り返って眺めた、石田三成軍が布陣していた笹尾山の光景です。石田隊の前衛には、島左近が布陣していました。家康に過ぎたる者として本多平八が例えられますが、三成に過ぎたる者として例えられる島左近です。三成の説得により仕官を受け入れ、破格の2万石の俸禄で召し抱えられました。関ヶ原の戦いでも、左近の奮戦ぶりは東軍諸将の間でも語り草となったとされます。(同上)

  • イベント開始直前の会場光景です。太鼓を担当する人達も椅子に腰かけて、緊張が高まってくる時間帯のようでした。(同上)

    イベント開始直前の会場光景です。太鼓を担当する人達も椅子に腰かけて、緊張が高まってくる時間帯のようでした。(同上)

  • 大中の太鼓と演奏者のズームアップ光景です。太鼓には、『関ヶ原・陣中太鼓』の文字がありますから、地元で常備されている太鼓のようでした。しばし瞑想して、開始の時を待つ人の姿もありました。(同上)

    大中の太鼓と演奏者のズームアップ光景です。太鼓には、『関ヶ原・陣中太鼓』の文字がありますから、地元で常備されている太鼓のようでした。しばし瞑想して、開始の時を待つ人の姿もありました。(同上)

  • にこやかに談笑されるスタッフの若い方達です。このイベントを主催した、旅行会社の方達がいろんな役割を果たし、関ヶ原の地元の方達も一緒に頑張っていたようです。(同上)

    にこやかに談笑されるスタッフの若い方達です。このイベントを主催した、旅行会社の方達がいろんな役割を果たし、関ヶ原の地元の方達も一緒に頑張っていたようです。(同上)

  • 右が西軍の総大将の石田三成、その左が死を覚悟で参戦した盟友の大谷吉継です。吉継は家康とも懇意にし、慶長3年(1598年)8月に秀吉が死去した後、慶長4年(1599年)、家康と前田利家の仲が険悪となり徳川邸襲撃の風聞が立った際には、福島正則ら豊臣氏の武断派諸将らと共に徳川邸に参じ家康を警護しています。(同上)

    右が西軍の総大将の石田三成、その左が死を覚悟で参戦した盟友の大谷吉継です。吉継は家康とも懇意にし、慶長3年(1598年)8月に秀吉が死去した後、慶長4年(1599年)、家康と前田利家の仲が険悪となり徳川邸襲撃の風聞が立った際には、福島正則ら豊臣氏の武断派諸将らと共に徳川邸に参じ家康を警護しています。(同上)

  • 石田三成隊の大一大万大吉印の陣羽織を着て、烏帽子も被って鉢巻きを締め、参加していた老猫さんです。死を覚悟して石田三成の西軍に参加した大谷吉継を連想させる姿でした。記念撮影が済んだところで、直ぐに飼い主の方に抱き抱えられました。(同上)

    石田三成隊の大一大万大吉印の陣羽織を着て、烏帽子も被って鉢巻きを締め、参加していた老猫さんです。死を覚悟して石田三成の西軍に参加した大谷吉継を連想させる姿でした。記念撮影が済んだところで、直ぐに飼い主の方に抱き抱えられました。(同上)

  • 東軍と西軍の四将が床几に座った姿です。両軍の間には、少しだけ間が広くとってありました。(同上)

    東軍と西軍の四将が床几に座った姿です。両軍の間には、少しだけ間が広くとってありました。(同上)

  • 合戦開始の法螺貝の一声です。音を出すのが中々難しいらしい法螺貝ですが、立派に役割を終えられました。甲冑を着た武将姿の方でした。(同上)

    合戦開始の法螺貝の一声です。音を出すのが中々難しいらしい法螺貝ですが、立派に役割を終えられました。甲冑を着た武将姿の方でした。(同上)

  • 先程までは腰掛けて開始の時間を待っていた太鼓を担当する方達も立ち上がっていました。合戦開始の序奏の演奏が始まるようです。(同上)

    先程までは腰掛けて開始の時間を待っていた太鼓を担当する方達も立ち上がっていました。合戦開始の序奏の演奏が始まるようです。(同上)

  • 合図に応じて、いつでも次の演奏が開始できるように、撥を高く掲げて構えた姿です。演奏の中でも、一番緊張する待ち時間かも知れません。(同上)

    合図に応じて、いつでも次の演奏が開始できるように、撥を高く掲げて構えた姿です。演奏の中でも、一番緊張する待ち時間かも知れません。(同上)

  • 同じく、少し間を置いて撮影した二枚目の写真です。罰を高く構えた姿勢は不動でした。肩の力を抜く訓練もされているのかも知れません。(同上)

    同じく、少し間を置いて撮影した二枚目の写真です。罰を高く構えた姿勢は不動でした。肩の力を抜く訓練もされているのかも知れません。(同上)

  • イベント会場を取り巻いていた、ツアー旅行に参加の皆さん方です。東京や大阪、名古屋などを中心に参加があったようです。名古屋方面からは、最初にご紹介したように、貸切り電車が用意されました。(同上)

    イベント会場を取り巻いていた、ツアー旅行に参加の皆さん方です。東京や大阪、名古屋などを中心に参加があったようです。名古屋方面からは、最初にご紹介したように、貸切り電車が用意されました。(同上)

  • イベントが始まり、一斉に写真撮影が始まりました。普段からこの種のイベントやツアーに参加されている方達がほとんどのようでしたから、一人一台の光景でした。(同上)

    イベントが始まり、一斉に写真撮影が始まりました。普段からこの種のイベントやツアーに参加されている方達がほとんどのようでしたから、一人一台の光景でした。(同上)

  • 法螺貝を吹いた人の右後ろには、刀に代えて、デジタルシンセサイザーを演奏する人の姿がありました。JUNOシリーズのJUNO-Diの銘板が見えました。(同上)

    法螺貝を吹いた人の右後ろには、刀に代えて、デジタルシンセサイザーを演奏する人の姿がありました。JUNOシリーズのJUNO-Diの銘板が見えました。(同上)

  • 太鼓を敲く人たちも気合が入っていました。かなり練習を積まれているようでした。関ヶ原の地元商工会などの若手メンバーの方達かもしれません。(同上)

    太鼓を敲く人たちも気合が入っていました。かなり練習を積まれているようでした。関ヶ原の地元商工会などの若手メンバーの方達かもしれません。(同上)

  • 黒い服に身を固めた司会の女性の方は、自己紹介によれば旅行会社の方でした。皆さん方、それぞれの役割分担をこなしながらも、イベントを楽しまれているように見えました。(同上)

    黒い服に身を固めた司会の女性の方は、自己紹介によれば旅行会社の方でした。皆さん方、それぞれの役割分担をこなしながらも、イベントを楽しまれているように見えました。(同上)

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