2017/09/15 - 2017/09/15
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関ヶ原の戦いの戦後417年目に当たる、現地で行われた関ヶ原合戦イベントの紹介です。現地見学の前に、最新の関ヶ原合戦に関する研究成果等を紹介する講演がありました。(ウィキペディア)
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- JRローカル
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名古屋駅を出発するJRの貸切り列車で関ヶ原駅に到着しました。途中、いくつかの駅で途中乗車で参加の方もいました。関ヶ原駅から歩いて講演会場に向かいました。(同上)
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この季節の花の紹介です。咲き終わった花がたくさん見えていますが、まだまだ元気なアベリアの白い花です。スイカズラ科ツクバネウツギ属の植物の総称で、ハナツクバネウツギの呼び名もあります。(同上)
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こちらは秋のお彼岸の花、ヒガンバナ(彼岸花)です。赤色の花と、赤色に白い筋が入った花です。曼珠沙華(マンジュシャゲ)をはじめ、いくつもの別名を持ちます。(同上)
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関ヶ原合戦のイベントの宣伝看板でしょうか、大きな円筒形の看板に合戦に関するカラフルな絵図が描かれているようです。こちらから見える旗印は、東軍の総大将の徳川家康の三つ葉葵です。(同上)
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イベント会場の関ヶ原のふれあいセンターに到着しました。午前中は、この会場で関ヶ原合戦に関する講演会を1時間半ほど聴く予定です。講師は、河合敦氏です。(同上)
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イチオシ
講演会が始まる前の撮影です。公演中は、撮影や録音などは禁止のアナウンスがありました。『世界一受けたい関ヶ原』の題目と、河合講師のイラスト画面です。河合敦(1965年~)は、日本の歴史作家、歴史研究家で多摩大学客員教授です。日本テレビの『世界一受けたい授業』のスペシャル講師の一人です。(同上)
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関ヶ原の講演会が終わった後の会場光景です。昼食は、中央のテントで用意された、戦時のおにぎりと汁物でした。(同上)
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昼食の後に向かったのは、現地のイベント会場が設置された笹尾山の麓、西軍の総大将の石田三成が布陣した場所です。その途中で目にした道案内標識です。決戦地・石田三成陣跡まで210メートルの表示でした。(同上)
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通路の脇の田圃の光景です。黄金色に実った稲の光景です。採り入れが近付いているようでした。(同上)
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前方に見えてきた背が高い白旗には、『国史跡・関ヶ原古戦場』の文字が記されていました。その右にあった石碑と同じ表示の白旗でした。その周りの家紋を染め抜いた旗は、右が東軍の徳川家康の『三つ葉葵』、左が西軍の石田三成の『大一大万大吉』でした。(同上)
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道案内標識の紹介です。左向きの矢印が、関ヶ原合戦決戦地まで150メートルの表示と関ヶ原歴史民俗資料館、それと90度違う手前向きの矢印が、笹尾山・石田三成陣跡250メートルの表示でした。(同上)
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別の角度から眺めた同じ道案内標識です。左向きの矢印が、笹尾山・石田三成陣跡250メートル、右向きの矢印が、島津義弘陣跡500メートルの表示でした。島津義弘陣跡には、帰りに立寄りました。(同上)
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『国史跡・関ヶ原古戦場』の石碑の場所までやって来ました。三成の家紋の『大一大万大吉』の意味は、『万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる』の意味とされる説があります。しかし、その意を示した古い文献はなく、本来は『一』を『かつ』と読み、縁起の良い文字を重ねたとする説もあります。(同上)
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笹尾山の麓の関ヶ原合戦イベントの会場に到着しました。まだイベントは開始されていませんでしたが、既にイベントの準備は完了していました。(同上)
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頭巾に白っぽい服装で采配を手にした人が、東軍の総大将、徳川家康公です。その右の武将は、『鹿角脇立兜』が目印の本多忠勝公だったようです。徳川譜代の古参大名で、徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられています。(同上)
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イチオシ
撮影場所を少し移動し、正面から撮影した、東軍の総大将の徳川家康公と、腹心の本多忠勝公です。背後には、陣太鼓の演奏メンバーも準備ができていました。(同上)
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こちらは西軍の主だったメンバーです。右が総大将の石田三成港、左の白い覆面の人がキリシタン大名だった大谷吉継公です。吉継公は、重い病気による覆面です。(同上)
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笹尾山の麓に建つモニュメントと、その背後に並んだ石田陣営を守る木柵の光景です。木柵の先は、鋭く尖らせてありました。後ほど、もう一度紹介します。(同上)
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笹尾山の麓に建つモニュメントのズームアップ光景です。題名は『無限時空』、緒方良信氏の作品です。関ヶ原合戦400年祭記念の作品でした。(同上)
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『石田三成陣跡』のタイトルがあった説明パネルです。笹尾山は北国街道を抑える好位置であり、関ヶ原の戦場を見渡せるであることなどが説明されていました。前日の夜半に大垣城を出て、戦い当日の深夜1時頃にこの場所に到着したようです。布陣が完了したのは5時頃とされます。(同上)
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東軍と西軍の大将達の挨拶は済みましたが、イベント開始まで、もう少し時間がありましたから、その前に石田三成の陣営跡まで登ることにしました。急坂を登るのに、5分ほどかかりました。(同上)
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『史跡・関ヶ原古戦場(石田三成陣地)』の石標があった場所まで登って来ました。広場になった先には、祠ではなく、東屋風の休憩所がありました。(同上)
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石標のズームアップ光景です。正面になる左側に『史跡・関ヶ原古戦場(石田三成陣地)』、側面になる右側に、史跡名勝等に関する旧法で昭和6年3月に文部大臣指定がされたことが記されていました。(同上)
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『笹尾山・石田三成陣所古趾』の文字が刻まれた石標の光景です。石田三成は豊臣側の西軍の総大将です。秀吉の死後、豊臣氏の家督は嫡男の豊臣秀頼が継ぎました。しかし、朝鮮半島からの撤兵が進められる中、政権内部には三成らを中心とする文治派と加藤清正・福島正則らを中心とする武断派が形成され、対立を深めていきました。五大老の一人・前田利家は二派の調停に努めましたが、1599年(慶長4年)閏3月3日に死去し、以後両派の関係を仲裁するものがいなくなり、さらに両派の確執が高まりました。武断派が石田三成を襲ったのは、前田利家が亡くなった日の夜とされます。(同上)
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『笹尾山・石田三成陣所古趾』の光景です。かなりの広さがあった見晴らしの良い場所でした。中央やや左に見える石標は、先ほど紹介した、『史跡・関ヶ原古戦場(石田三成陣地)』です。武断派が石田三成を襲った襲撃事件は、一旦は家康の仲裁により収まりました。三成が采配を振った朝鮮出兵の恩賞の見直しと、三成の引退がその条件でした。(同上)
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『関ヶ原古戦場・史蹟配置図』と題された説明パネルです。写真上に北国街道、中山道と伊勢街道が記され、東軍と西軍の陣地も記されていました。このパネルがあった場所は、西軍の石田三成が布陣した笹尾山の南面です。(同上)
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イチオシ
関ヶ原の決戦場所が一目瞭然のように見渡すことが出来た、笹尾山の石田三成陣地からの眺めです。東軍に先んじて関ヶ原に到着した西軍方は、三成の拠る笹尾山、宇喜多秀家の拠る天満山、小早川秀秋の拠る松尾山、そして毛利秀元が布陣する南宮山のラインで東軍を囲む鶴翼の陣を布くと同時に、実質的に関ヶ原における高所の大半を抑えました。圧倒的に西軍有利の軍事配置でした。(同上)
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同じく、笹尾山の石田三成陣地からの眺めた関ヶ原の決戦場の光景です。軍事配置では、圧倒的に有利な西軍でしたが、東軍は、西軍の鶴翼の『翼』の部分に諸将の多くを内応させていました。有利に布陣した西軍の優勢で始まった戦いでしたが、小早川隊の裏切りにより形勢は逆転しました。小早川隊は松尾山を駆け降りると、東軍の藤堂・京極隊と戦闘を繰り広げていた大谷隊の右翼を攻撃しました。大谷吉継は、秀秋の裏切りを予測していたともされます。温存していた600の直属兵で、一旦は小早川隊を松尾山の麓まで押し返しました。(同上)
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それまで傍観していた脇坂安治、小川祐忠、赤座直保、朽木元綱ら計4,200の西軍諸隊も、小早川隊に呼応して東軍に寝返り、大谷隊の側面を突きました。戦局は一変し、西軍の戸田勝成、平塚為広は戦死し、吉継も自刃しました。(同上)
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大谷隊を壊滅させた小早川、脇坂ら寝返り部隊や、藤堂、京極などの東軍部隊は、宇喜多隊に狙いをつけ、関ヶ原中央へ向け進軍を始めました。ここに関ヶ原の戦いの勝敗は、大きく東軍の勝利に傾きました。(同上)
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