2017/09/15 - 2017/09/15
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関ヶ原古戦場紹介の締め括りです。『関ヶ原町・歴史民俗資料館』の見学の後、東首塚がある、釘浦山・大澤寺に立寄りました。この場所は、松平忠吉・井伊直次陣址にもなっていました。(ウィキペディア)
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- JRローカル
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『関ヶ原町・歴史民俗資料館』の建物光景です。有料施設ですが、この日はイベントを催した旅行社との調整で、無料で入場ができました。ただし、内部の写真撮影は禁止でした。(同上)
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東軍の徳川家の三つ葉葵、西軍の石田家の大一大万大吉の紋所が記された、『関ヶ原合戦400年祭メインイベント開催記念碑』のタイトルがあった石碑です。右下の写真は、全国から800名の武者姿の人が参加した合戦の再現場面です。(同上)
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『関ヶ原市・歴史民俗資料館』の前庭に展示してあった鬼瓦です。屋根を葺き替えた時に不要となった鬼瓦のようでした。右側の鬼瓦には真念寺、中央には宗徳寺の表示がありました。(同上)
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『関ヶ原市・歴史民俗資料館』の正面玄関付近の光景です。見学を終わった後での撮影です。次は『東首塚』に向かいました。家康による首実検が終わった後、東と西の首塚に葬られたとされます。(同上)
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エノコロクサ(狗尾草)です。イネ科エノコログサ属の一年生草本です。穀物のアワ(粟)の原種とされ、餌が少ない時期に、スズメさんが実を食べている姿をよく見かけます。犬の尾に似ていることから、犬っころ草(いぬっころくさ)が転じ田呼び名とされますが、ネコジャラシ(猫じゃらし)の俗称もあります。(同上)
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イチオシ
シロツメクサ(白詰草)の仲間でしょうか、ピンク色の可愛らしい花のズームアップ光景です。アカツメクサ(赤詰草)やムラサキツメクサ(紫詰草)が正式名のようです。デンマークの国花とされます。虫を拡大しますと、恐ろしい姿になることがありますが、小さな野草では、肉眼での光景とは一味違った姿を、度々目にします。(同上)
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野草の花の紹介が続きます。薄いピンク色の可愛らしい花を咲かせたコヒルガオ(小昼顔)です。ヒルガオ科ヒルガオ属の蔓性多年草です。近縁種のヒルガオとの違いは、少し花が小さいことと、花柄に縮れた鰭があることです。花の上側の蕾の部分の花柄に、その特徴が見えました。(同上)
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他の場所でも紹介した、マリーゴールドの一重咲のオレンジ色の花です。キク科コウオウソウ属(マンジュギク属)の内、草花として栽培される植物の総称とされます。(同上)
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八重咲の黄色のマリーゴールドの花の光景です。マリーゴールドの主な品種には、アフリカン・マリーゴールド、フレンチ・マリーゴールド、メキシカン・マリーゴールド、ミント・マリーゴールドや、レモン・マリーゴールドがあります。(同上)
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民家の庭先で見かけた雪が積もったような葉を持った蔓草です。白い花も咲いていました。ハツユキカズラ(初雪鬘)です。テイカカズラの斑入り品種で、フイリテイカカズラ(斑入り定家鬘)の呼び名もあります。キョウチクトウ科キョプチクトウ亜科テイカカズラ属の常緑多年草です。(同上)
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同じく、民家の庭先で咲いていた、ピンク色の花です。アサフランモドキの咲き残りのようでした。通常は5枚の花弁です。西インド諸島やメキシコに自生しているヒガンバナ科の植物で、江戸時代に渡来しました。(同上)
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東首塚がある、朱塗りの釘浦山・大澤寺の堂宇光景です。大きくはないお寺ですが、品格を冠じさせる建物です。真宗大谷派に属するようです。(同上)
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入口を探しながら、少し西北方面に移動して撮影した釘浦山・大澤寺の堂宇光景です。背後に古木の光景が見えました。(同上)
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同じ場所から、少しだけズームアップした釘浦山・大澤寺の堂宇光景です。横断するのに適当な場所がありませんでしたから、東南に戻って、横断歩道で街道を渡ることにしました。(同上)
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内側から眺めた朱塗りの釘浦山・大澤寺の山門の光景です。真宗大谷派のお寺です。境内を移動して、あとで撮影した写真ですが、纏めて紹介しました。(同上)
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同じく、纏めて紹介する釘浦山・大澤寺の建物側面光景です。道を挟んで撮影した最初とは、反対側の光景になります。(同上)
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イチオシ
釘浦山・大澤寺の建物の紹介が終わったところで、次は境内の紹介です。『首洗いの井戸』の光景です。首実検の前に、血や土を洗い流した井戸のようです。左後方に『東首塚』が見えています。(同上)
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まだ新しい石垣の基礎の上に建てられた、『史蹟・関ヶ原古戦場・東首塚』の文字が刻まれた石標の光景です。関ヶ原の勝者である徳川家康は、現地で首実検をおこなった後、多くの遺体の処理を、この地を治める竹中重門に供養料千石を与えて命じたとされます。そこで造られたのが東首塚と西首塚と伝わります。(同上)
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大澤寺の境内にあった宝篋印塔の光景です。墓塔や供養塔などに使われる仏塔の一種です。推測ですが、追善供養に建てられたもののようです。竹中重門(しげと:1573~1631年)は、戦国期の軍師として知られる竹中重治(竹中半兵衛)の嫡子です。関ヶ原の戦いでは、当初西軍に属して犬山城主・石川貞清を援助しましたが、井伊直政の仲介によって東軍に鞍替えしました。黒田長政とは幼馴染とされます。(同上)
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場所は変わって、東首塚の周りの光景です。茶色になった、紫陽花の花が生垣になっていました。竹中重門は、関ヶ原の戦いでは小西行長を捕縛するなどの大功を挙げましたが、林羅山(1583~1653年)に師事し、文筆にも優れていました。死の間際に豊臣秀吉の伝記『豊鑑』を著したほか、『しぐれ記』と『木曽記』の二冊の旅行記も著わしています。(同上)
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イチオシ
タブノキの古木の周りを囲って設けられた、『東首塚』の光景です。関ヶ原は竹中氏の所領であったことから、戦没者に対する供養料1000石が下賜されたとされます。また、幕府旗本(交替寄合席)として美濃岩出山6000石を安堵され、代々継承しました。(同上)
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タブノキの古木のズームアップ光景です。タブノキ(椨)はクスノキ科タブノキ属の常緑高木です。イヌグス、タマグス、ヤマグスやツママの呼び名もあります。(同上)
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『茨原・松平忠吉・井伊直次陣所古趾』の文字が刻まれた年代を経た石標の光景です。その周りは新しい石柱で囲ってありました。(同上)
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『松平忠吉・井伊直政陣跡』のタイトルがあった説明パネルの光景です。少し拾い読みしますと、松平忠吉は家康の四男で関ヶ原が初陣、その後見役が、徳川四天王の一人・井伊直政です。徳川軍が先陣を切るのが重要と考えた直政は、忠吉と数十騎を従え、午前8時頃に福島隊の脇を抜け駆けし、宇喜多隊に発砲したのが合戦の口火となったと説明されていました。戦いの終盤で、島津義弘隊の追撃戦で二人とも負傷し、その傷が元で後に亡くなったとされます。(同上)
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『東首塚』のタイトルがあった説明パネルの光景です。少し拾い読みしますと、両軍合わせて15万人以上が戦い、『墳墓は国の史跡に指定された昭和6年(1931年)当時、『周囲五間(約9メートル)、高さ五尺(約1.5メートル)の円塚』とされていました。今は、スダジイの古木が生えている場所で、円墳の姿はありません。戦いの後に、敵味方の区別なく供養を行うのが当時の習わしとも紹介されていました。(同上)
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『首級墳碑文』のタイトルがあった、漢文の石碑の光景です。『当天造草昧之世非有英傑之君』の記述で始まる嘉慶22年の日付があった碑文です。中間付近に『石田三成師諸将向東山』などの記述がありました。『嘉慶22年』は日本ではなく、清朝の年代表記で、西暦1817年を示していました。江戸時代の文化14年に当たります。和文を漢訳する時に、このような表記がなったのかも知れません。長柄氏に来ていた中国人船長らしい楊少谿が漢訳したようです。(同上)
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『首級墳墓』のタイトルがあった説明パネルです。先ほど紹介した、石碑に記された漢文の和文への要約が記されていました。訳文の要旨は、『徳川家康が東国で勢力を拡大したため、石田三成は、豊臣政権が不利とみて兵をあげた。慶長5(1600)年9月、関が原において両勢力が激突したが、三成側が大敗。家康は、東西2箇所に首塚をつくり、全ての首や遺骸を葬らせた。豊臣のために犠牲になった者を納め葬ることは仁義に厚く、家康の教えが泰平の世をもたらしたといえる。将来この首塚が丘や谷に変わり果てることのないよう願うものである。』(同上)
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この季節の花、ヒガンバナ(彼岸花)です。関ヶ原で散った将兵への手向けの花は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草です。(同上)
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同じく、手向けの花のヒガンバナ(彼岸花)の光景です。マンジュシャゲ(曼珠沙華)の別名は、サンスクリット語のマンジュシャカの音訳とされます。(同上)
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跨線橋の上から眺めたJRの関ヶ原駅の光景です。これで417年目の9月15日に見学した、天下分け目の大合戦があった、関ヶ原古戦場の紹介はおしまいです。江戸時代の始まりは、主流の学説では、慶長8年2月12日(1603年3月24日)に徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸(現在の東京)に幕府を樹立した日とされます。関ヶ原の戦いから3年ほど後のことです。(同上)
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