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オルセー美術館の旅行記、モネ編です。<br />クロード・モネは、印象派を代表するフランスの画家。ジヴェルニーでモネの庭、アトリエを見てきましたが、その作品はここオルセー美術館及び彼の『睡蓮』の連作を収めるために整備されたオランジュリー美術館で見ることができました。<br />モネの作品は世界中にあり、日本でもポーラ美術館、モネから直接購入した作品も含む松方コレクションに由来する国立西洋美術館など見ることができますが、長生きし晩年まで制作を続けたモネの作品を時系列で見ることができ有意義でした。

オルセー美術館【3】Claude Monet

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2017/08/10 - 2017/08/10

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旅行記グループ オルセー美術館

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オルセー美術館の旅行記、モネ編です。
クロード・モネは、印象派を代表するフランスの画家。ジヴェルニーでモネの庭、アトリエを見てきましたが、その作品はここオルセー美術館及び彼の『睡蓮』の連作を収めるために整備されたオランジュリー美術館で見ることができました。
モネの作品は世界中にあり、日本でもポーラ美術館、モネから直接購入した作品も含む松方コレクションに由来する国立西洋美術館など見ることができますが、長生きし晩年まで制作を続けたモネの作品を時系列で見ることができ有意義でした。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
鉄道
  • 「ノルマンディーの農場」1863年頃 <br />

    「ノルマンディーの農場」1863年頃

  • 「肉の塊のある静物」1864年<br />モネの初期の静物画

    「肉の塊のある静物」1864年
    モネの初期の静物画

  • 「シャイイの道(フォンテーヌブローの森)」1865年頃<br />1860年代にはモネはフォンテーヌブローの森を足繁く訪れて、多くの作品を制作しています。

    「シャイイの道(フォンテーヌブローの森)」1865年頃
    1860年代にはモネはフォンテーヌブローの森を足繁く訪れて、多くの作品を制作しています。

  • 「草上の昼食」1865-66年<br />エドゥアール・マネが1863年のサロンへ出品し、大きな論争と批判を巻き起こした問題作『草上の昼食』に強い刺激を受け描いたもの。大きな作品ですが、こちらも2014年の「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由―」に出展されていたのを印象深く覚えています。<br />

    「草上の昼食」1865-66年
    エドゥアール・マネが1863年のサロンへ出品し、大きな論争と批判を巻き起こした問題作『草上の昼食』に強い刺激を受け描いたもの。大きな作品ですが、こちらも2014年の「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由―」に出展されていたのを印象深く覚えています。

  • 「ゴーディベール夫人の肖像」1868年<br />ル・アーヴルの裕福な美術愛好家であるルイ=ジョアシャン・ゴーディベールの妻マルグリットの肖像画。こちらは2014年に国立新美術館で開催された「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由―」に出展されていました。

    「ゴーディベール夫人の肖像」1868年
    ル・アーヴルの裕福な美術愛好家であるルイ=ジョアシャン・ゴーディベールの妻マルグリットの肖像画。こちらは2014年に国立新美術館で開催された「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由―」に出展されていました。

  • 「エトルタの荒海」1868-69年頃<br />奇岩で知られるエトルタは、クールベをはじめ多くの画家たちが画題に選んでいますが、モネもここを幾度か描いています。

    「エトルタの荒海」1868-69年頃
    奇岩で知られるエトルタは、クールベをはじめ多くの画家たちが画題に選んでいますが、モネもここを幾度か描いています。

  • 「郊外の列車」1870年頃

    「郊外の列車」1870年頃

  • 「トルーヴィル、ロシュ・ノワールのホテル」1870年

    「トルーヴィル、ロシュ・ノワールのホテル」1870年

  • 「錨をおろした小帆船、ルーアンの近く」1871-72年頃<br />この作品に描かれているのは、ブルターニュ地方に特有のシャス・マレーと呼ばれる3本マストの小帆船。

    「錨をおろした小帆船、ルーアンの近く」1871-72年頃
    この作品に描かれているのは、ブルターニュ地方に特有のシャス・マレーと呼ばれる3本マストの小帆船。

  • 「カリエール=サン=ドニ」1872年<br />

    「カリエール=サン=ドニ」1872年

  • 「曇天のリラの花(リラの木陰の憩い)」1872-73年頃<br />アルジャントゥイユのモネの家の庭を描いた作品

    「曇天のリラの花(リラの木陰の憩い)」1872-73年頃
    アルジャントゥイユのモネの家の庭を描いた作品

  • 「アルジャントゥイユのひなげし」1873年<br />モネの1870年代を代表する作品のひとつ。印象派の名称の由来となった「印象 -日の出-」と共に、1874年に開催された第一回印象派展に出品されています。

    「アルジャントゥイユのひなげし」1873年
    モネの1870年代を代表する作品のひとつ。印象派の名称の由来となった「印象 -日の出-」と共に、1874年に開催された第一回印象派展に出品されています。

  • 「アルジャントゥイユの船着場」1872年頃<br />モネは、1871年12月、パリ近郊のセーヌ川に面した町アルジャントゥイユにアトリエを構えましたが、家を世話してくれたのは、セーヌ川の対岸ジュヌヴィリエに広大な土地を所有していたマネでした。こちらは2007年東京都美術館で開催された「オルセー美術館展―19世紀芸術家たちの楽園―」や2014年の「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由―」に出展されていました。

    「アルジャントゥイユの船着場」1872年頃
    モネは、1871年12月、パリ近郊のセーヌ川に面した町アルジャントゥイユにアトリエを構えましたが、家を世話してくれたのは、セーヌ川の対岸ジュヌヴィリエに広大な土地を所有していたマネでした。こちらは2007年東京都美術館で開催された「オルセー美術館展―19世紀芸術家たちの楽園―」や2014年の「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由―」に出展されていました。

  • 「アルジャントゥイユ」1872年

    「アルジャントゥイユ」1872年

  • 「アルジャントゥイユのレガッタ」1872年頃<br />アルジャントゥイユでは、1878年初めまで、6年余りを過ごし、この間に約170点の作品を残しています。こちらも「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由―」に出展されていました。

    「アルジャントゥイユのレガッタ」1872年頃
    アルジャントゥイユでは、1878年初めまで、6年余りを過ごし、この間に約170点の作品を残しています。こちらも「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由―」に出展されていました。

  • 「昼食」1873年頃<br />この時期(中期)には珍しい横幅2mの大作、第2回印象派展出品。モネ33歳の時の作品。この作品の魅力は何よりも主題の日常性と親密な雰囲気にあります。数々の苦労に見舞われたのち、妻カミーユ、息子ジャンと共に過ごしたアルジャントゥイユの平穏なひとときが、画面一杯にとらえられています。平明な構図が鑑賞者の視線を家の入り口まで導き、前景の植物や静物を豊かに描き上げた筆触と明るい色彩が調和した作品です。

    「昼食」1873年頃
    この時期(中期)には珍しい横幅2mの大作、第2回印象派展出品。モネ33歳の時の作品。この作品の魅力は何よりも主題の日常性と親密な雰囲気にあります。数々の苦労に見舞われたのち、妻カミーユ、息子ジャンと共に過ごしたアルジャントゥイユの平穏なひとときが、画面一杯にとらえられています。平明な構図が鑑賞者の視線を家の入り口まで導き、前景の植物や静物を豊かに描き上げた筆触と明るい色彩が調和した作品です。

  • 「アルジャントゥイユの鉄道橋」1873-74年<br />走る機関車の姿をあえて写さないでその煙だけを描く構図が素晴らしい。<br />

    「アルジャントゥイユの鉄道橋」1873-74年
    走る機関車の姿をあえて写さないでその煙だけを描く構図が素晴らしい。

  • 「アルジャントゥイユの橋」1873年<br />美しい水面が描かれています。<br />

    「アルジャントゥイユの橋」1873年
    美しい水面が描かれています。

  • 「ボート、アルジャントゥイユのレガッタ」1874年頃

    「ボート、アルジャントゥイユのレガッタ」1874年頃

  • 「石炭の積み下ろし」1875年頃 <br />モネはセーヌ川沿いの行楽地の情景を描くとともに、工業化が進展しつつある側面にも着目しています。<br /><br />

    「石炭の積み下ろし」1875年頃
    モネはセーヌ川沿いの行楽地の情景を描くとともに、工業化が進展しつつある側面にも着目しています。

  • 「チェイルリー公園」1876年頃

    「チェイルリー公園」1876年頃

  • 「七面鳥」1877<br />エルネスト・オシュデが、彼の別荘のモンジュロンのロッタンブール城の装飾のためにモネに描かせた4点のうちの1つ。

    「七面鳥」1877
    エルネスト・オシュデが、彼の別荘のモンジュロンのロッタンブール城の装飾のためにモネに描かせた4点のうちの1つ。

  • 「七面鳥(部分)」

    「七面鳥(部分)」

  • 「サン=ラザール駅 」 1877年<br />モネの代表作のひとつ。本作は1877年の第3回印象派展に出品された30点あまりの画家の作品群で最も批評家たちの注目を集めたとされています。こちらも1996年東京都美術館で開催された 「モデルニテーーパリ・近代の誕生 オルセー美術館展」や2014年の「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由―」で見た作品です。

    「サン=ラザール駅 」 1877年
    モネの代表作のひとつ。本作は1877年の第3回印象派展に出品された30点あまりの画家の作品群で最も批評家たちの注目を集めたとされています。こちらも1996年東京都美術館で開催された 「モデルニテーーパリ・近代の誕生 オルセー美術館展」や2014年の「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由―」で見た作品です。

  • 「モントルグイユ街、1878年6月30日の祝日」1878年<br />モントルグイユ街は、パリにある通りで、1878年6月30日のフランスの祝日の様子を表現したものです。<br />となおモネがこの祝日の熱狂的な情景を描いた作品として、本作とルーアン美術館所蔵の「サン=ドニ街」版の2作品が知られております。1996年の「モデルニテーーパリ・近代の誕生 オルセー美術館展」に出展されていました。

    「モントルグイユ街、1878年6月30日の祝日」1878年
    モントルグイユ街は、パリにある通りで、1878年6月30日のフランスの祝日の様子を表現したものです。
    となおモネがこの祝日の熱狂的な情景を描いた作品として、本作とルーアン美術館所蔵の「サン=ドニ街」版の2作品が知られております。1996年の「モデルニテーーパリ・近代の誕生 オルセー美術館展」に出展されていました。

  • 1879年の作品

    1879年の作品

  • 「ヴェトゥイユの雪景色」1878-79年 <br />アルジャントゥイユと違い、ヴェトゥイユは工業化を免れてはいますが、いたって平凡な村であるがゆえに気象現象が重要な要素として浮き上がってきます。同じ視点の繰り返しは、1880年代の連作風景画の初期の試みを先取りするもので、後年の睡蓮を予告しています。<br /><br />

    「ヴェトゥイユの雪景色」1878-79年
    アルジャントゥイユと違い、ヴェトゥイユは工業化を免れてはいますが、いたって平凡な村であるがゆえに気象現象が重要な要素として浮き上がってきます。同じ視点の繰り返しは、1880年代の連作風景画の初期の試みを先取りするもので、後年の睡蓮を予告しています。

  • 「ヴェトゥイユの教会」1879年

    「ヴェトゥイユの教会」1879年

  • 「死の床のカミーユ」1879年 <br />本作に描かれるのは1867年に未婚のままモネとの間に長男を出産し、1870年にようやく結婚した画家の妻カミーユ・モネ(旧姓カミーユ・ドンシュー)ですが、その姿は死を迎えた状態にあります。本作が制作された1879年に、ヴェトゥイユでカミーユ・モネは(おそらく子宮癌のために)32歳という若さで夭折してしまうのです。

    「死の床のカミーユ」1879年
    本作に描かれるのは1867年に未婚のままモネとの間に長男を出産し、1870年にようやく結婚した画家の妻カミーユ・モネ(旧姓カミーユ・ドンシュー)ですが、その姿は死を迎えた状態にあります。本作が制作された1879年に、ヴェトゥイユでカミーユ・モネは(おそらく子宮癌のために)32歳という若さで夭折してしまうのです。

  • ヴェトゥイユのセーヌ川」1879-80年 <br />モネは1878年から1881年までパリの北西、セーヌ川沿いにあるヴェトゥイユに居を移しました。この土地でモネは庭の外れのセーヌ川の土手に画架を据え、移り変わる季節によって姿を変える自然を観察しました。

    ヴェトゥイユのセーヌ川」1879-80年
    モネは1878年から1881年までパリの北西、セーヌ川沿いにあるヴェトゥイユに居を移しました。この土地でモネは庭の外れのセーヌ川の土手に画架を据え、移り変わる季節によって姿を変える自然を観察しました。

  • 「ポール=ヴィレのセーヌ川」1890年頃

    「ポール=ヴィレのセーヌ川」1890年頃

  • 「セーヌ河の解氷」1880年<br />1880年1月異例の寒波により結氷していたセーヌ河の氷が突然割れて一気に流れ始めたがその時描いた10数点のうちの1つ

    「セーヌ河の解氷」1880年
    1880年1月異例の寒波により結氷していたセーヌ河の氷が突然割れて一気に流れ始めたがその時描いた10数点のうちの1つ

  • 「ボルディゲーラのヴィラ」1884年

    「ボルディゲーラのヴィラ」1884年

  • 「ノルウェー型の舟で」1887年頃<br />緑に濁った水面に映る3人の影の描写が見事な作品。<br />こちらは、2010年に国立新美術館で開催された「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」に出展されていました。

    「ノルウェー型の舟で」1887年頃
    緑に濁った水面に映る3人の影の描写が見事な作品。
    こちらは、2010年に国立新美術館で開催された「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」に出展されていました。

  • モネの「日傘をさす女性」は1875年に妻カミーユをモデルに描かれた作品(ワシントン、ナショナル・ギャラリー所蔵)が有名ですが、こちらはその10年後、1886年に描かれた2作品。

    モネの「日傘をさす女性」は1875年に妻カミーユをモデルに描かれた作品(ワシントン、ナショナル・ギャラリー所蔵)が有名ですが、こちらはその10年後、1886年に描かれた2作品。

  • 「日傘をさす女性(左向き)」1886年<br />モデルは2番目の奥さん、アリスの三女シュザンヌです。

    「日傘をさす女性(左向き)」1886年
    モデルは2番目の奥さん、アリスの三女シュザンヌです。

  • 「日傘をさす女性(右向き)」1886年<br />こちらの作品は、2010年に国立新美術館で開催された「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」に出展されていました。

    「日傘をさす女性(右向き)」1886年
    こちらの作品は、2010年に国立新美術館で開催された「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」に出展されていました。

  • 「オランダのチューリップ畑」1886年<br />1880年代、モネはしばしば家族を残してフランス各地へ出かけて風景画を描きましたが、国内はもとより、外国にも滞在しています。こうして各地へ出向くことで、モネはさまざまな地形や季節、光のもとで自らの芸術を試したのです。

    「オランダのチューリップ畑」1886年
    1880年代、モネはしばしば家族を残してフランス各地へ出かけて風景画を描きましたが、国内はもとより、外国にも滞在しています。こうして各地へ出向くことで、モネはさまざまな地形や季節、光のもとで自らの芸術を試したのです。

  • 「ベリールの岩、コート・ソヴァージュ」1886年 <br />フランスのブルターニュ地方は多くの画家に愛された土地でした。モネが一時期滞在したのは、ブルターニュ半島の南にある「美しい島」という意味の小さな島ベリール。モネは1886年9月から11月末までこの島にとどまり、滞在中に46歳の誕生日を迎えました。

    「ベリールの岩、コート・ソヴァージュ」1886年
    フランスのブルターニュ地方は多くの画家に愛された土地でした。モネが一時期滞在したのは、ブルターニュ半島の南にある「美しい島」という意味の小さな島ベリール。モネは1886年9月から11月末までこの島にとどまり、滞在中に46歳の誕生日を迎えました。

  • 「嵐、ベリールの海岸」1886年<br />モネがベリールを描いた油彩画は現在40点ほど知られています。

    「嵐、ベリールの海岸」1886年
    モネがベリールを描いた油彩画は現在40点ほど知られています。

  • 「ディエップ近くの断崖」1897年

    「ディエップ近くの断崖」1897年

  • 「積みわら、夏の終わり」1891年<br />1880年代終わりから晩年にかけてのモネの作品は、一つのテーマをさまざまな天候や、季節、光線のもとで描く「連作」が中心になりますが、これはモネが愛好していた葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の『名所江戸百景』といった浮世絵から発想を得た可能性があると考えられています。「積みわら」も連作25点が知れれておりそのうちの1枚。

    「積みわら、夏の終わり」1891年
    1880年代終わりから晩年にかけてのモネの作品は、一つのテーマをさまざまな天候や、季節、光線のもとで描く「連作」が中心になりますが、これはモネが愛好していた葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の『名所江戸百景』といった浮世絵から発想を得た可能性があると考えられています。「積みわら」も連作25点が知れれておりそのうちの1枚。

  • 「ルーアン大聖堂」1892年<br />ジヴェルニーに住んでいたモネは、1892年と1893年、ノルマンディー地方のルーアンに取材旅行に出かけ、大聖堂の連作30点を描いています。

    「ルーアン大聖堂」1892年
    ジヴェルニーに住んでいたモネは、1892年と1893年、ノルマンディー地方のルーアンに取材旅行に出かけ、大聖堂の連作30点を描いています。

  • 「ルーアン大聖堂 扉口 朝の太陽」1893年 <br />ローマの時代からセーヌ河による水運の拠点として発展し、かつてノルマンディー公国の首都として栄えたルーアンは、現在もフランス有数の大都市です。また、1431年にジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた地としても知られています。  

    「ルーアン大聖堂 扉口 朝の太陽」1893年
    ローマの時代からセーヌ河による水運の拠点として発展し、かつてノルマンディー公国の首都として栄えたルーアンは、現在もフランス有数の大都市です。また、1431年にジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた地としても知られています。  

  • 「ルーアン大聖堂 扉口とサン=ロマン塔 陽光」1893年 <br />セーヌ河右岸の旧市街の中心の建つノートル=ダム大聖堂は、フランス・ゴシック建築の精華のひとつに数えられています。この大聖堂のファサード(西正面)を、モネは夜明け直後から日没直後のさまざまな時間まで、異なる天候のもとで描き出して、その数は33点にまで及びました。1895年5月には、デュラン=リュエル画廊の個展で、そのうちの20点を発表しています。

    「ルーアン大聖堂 扉口とサン=ロマン塔 陽光」1893年
    セーヌ河右岸の旧市街の中心の建つノートル=ダム大聖堂は、フランス・ゴシック建築の精華のひとつに数えられています。この大聖堂のファサード(西正面)を、モネは夜明け直後から日没直後のさまざまな時間まで、異なる天候のもとで描き出して、その数は33点にまで及びました。1895年5月には、デュラン=リュエル画廊の個展で、そのうちの20点を発表しています。

  • 「ルーアン大聖堂:正面から見た扉口(茶色のハーモニー)」1892年

    「ルーアン大聖堂:正面から見た扉口(茶色のハーモニー)」1892年

  • 「ルーアン大聖堂:扉口、曇天」1892年

    「ルーアン大聖堂:扉口、曇天」1892年

  • 「ジヴェルニー近郊のセーヌ川支流」1897年<br />1896年の8月から翌1897年の同月頃にかけて制作された21点から構成される連作「ジヴェルニー近郊のセーヌ川支流」の中の1点

    「ジヴェルニー近郊のセーヌ川支流」1897年
    1896年の8月から翌1897年の同月頃にかけて制作された21点から構成される連作「ジヴェルニー近郊のセーヌ川支流」の中の1点

  • 「ヴェトゥイユ、日暮れ」1900年頃

    「ヴェトゥイユ、日暮れ」1900年頃

  • 「ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光」 1904年<br />こちらも2010年の「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」に出展されていました。

    「ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光」 1904年
    こちらも2010年の「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」に出展されていました。

  • 「ジヴェルニーのモネの庭」1900年

    「ジヴェルニーのモネの庭」1900年

  • 「睡蓮の池、緑の調和」1899年<br />モネの約300点にも及ぶ「睡蓮」の作品群の中でも初期の作品。<br />

    「睡蓮の池、緑の調和」1899年
    モネの約300点にも及ぶ「睡蓮」の作品群の中でも初期の作品。

  • 「睡蓮の池、バラ色の調和」1900年<br />クロード・モネが、睡蓮の制作に本格的に取り組み始めた1899年~1900年頃の作品群のひとつ『睡蓮の池』より『睡蓮の池、バラ色の調和(太鼓橋)』<br />こちらも2010年の「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」に出展されてたモネの作品5点のうちの1つ。

    「睡蓮の池、バラ色の調和」1900年
    クロード・モネが、睡蓮の制作に本格的に取り組み始めた1899年~1900年頃の作品群のひとつ『睡蓮の池』より『睡蓮の池、バラ色の調和(太鼓橋)』
    こちらも2010年の「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」に出展されてたモネの作品5点のうちの1つ。

  • 「青い睡蓮(部分)」1916年-19年<br />一見すると平面に見える絵ですが、複雑な空間が表現されているのがわかります。

    「青い睡蓮(部分)」1916年-19年
    一見すると平面に見える絵ですが、複雑な空間が表現されているのがわかります。

  • 「しだれ柳」1920-22年

    「しだれ柳」1920-22年

  • ルーヴル美術館にも少しですがモネの作品(以下3点)がありました。ガラスの反射が酷い為部分の写真になっています。「プージヴァルのセーヌ河の氷(部分)」1864年頃

    ルーヴル美術館にも少しですがモネの作品(以下3点)がありました。ガラスの反射が酷い為部分の写真になっています。「プージヴァルのセーヌ河の氷(部分)」1864年頃

  • 「オンフール周辺の景色、雪」1867年頃<br />オンフルールは、初期のモネが滞在して制作を行った港町。この作品はそのオンフルールのサン=シメオン農園前の道を描いたもの。

    「オンフール周辺の景色、雪」1867年頃
    オンフルールは、初期のモネが滞在して制作を行った港町。この作品はそのオンフルールのサン=シメオン農園前の道を描いたもの。

  • 「ヴェトゥイユ近くの解氷(部分)」1880年頃

    「ヴェトゥイユ近くの解氷(部分)」1880年頃

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