2017/06/03 - 2017/06/04
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PHOPHOCHANGさん
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高校のクラス会は諸々の事情からPHOが永久幹事を仰せつかっています。
卒業した同級生は22人しか居ないのに、そのメンバーが若くして立て続けに亡くなり、「毎回顔を合わせるのがお通夜の席って辛過ぎ」って事から始まった旅行はNational Academy of Chemistry (NAC)52と言う担任の命名を受け、1992年からの25年間で、今回が8回目。
此処までの旅行記はこちらをご覧ください。
http://4travel.jp/travelogue/11249334
昼食の後は松山道を一路新居浜へ向かいます。
今回のクラス会旅行のメインは何と言っても別子銅山です。その別子銅山にかかわる重要人物の旧邸などが同じ新居浜市に在るので、立ち寄っておかなくちゃ。
その広瀬歴史記念館は、明治維新の動乱から別子銅山を守り、更に近代化を促進した広瀬宰平の業績やその生活ぶりを後世に伝えるために愛媛県新居浜市が設置した博物館です。展示館と旧広瀬邸からなり、広瀬公園の中に在ります
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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此処で3時です。
当初の予定では、明日、別子銅山の後に来る事になっていました。
が、①大事なトコなので、時間が有るうちにゆっくり見ておきたい、②レンタカーを返却する時刻に遅れたくないので、なるべく早めに空港近くに移動しておきたい。そう思って砥部観光を明日に廻し、新居浜にやって来ました -
駐車場は丘の下に在り、旧広瀬邸へは階段等を上っていかねばなりません。けど、斜面に植えられた桜が綺麗な木陰を作ってくれています。
が、どうもカメラが不調です。
修理して戻って来たばかりなのに、修理前に時々出ていた白とびや黒つぶれの頻度が増して、って直ってないやん(--#) -
旧広瀬邸の母屋は、明治10(1877)年に現在の場所から北約4㎞離れた旧金子村の久保田で竣工され、同18年からの広瀬邸移転に伴い、乾蔵・米蔵などと共に現在地に移築されました。
明治22年には付属の新座敷と庭園が大阪の棟梁 八木甚兵衛と、植木屋 清兵衛の手によって竣工されました。その後、大正・昭和初期にかけて、南庭や中之町池(亀池)周辺の整備が行われ、今日みる姿となりました -
案内板が設置されては居るのですが、ただでさえ写真を撮っていて遅れがちなので、その場でゆっくり読んでいる暇は有りません(って普段も大抵そうですけどね)
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門からが既に長いw
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玄関です。
520円の観覧料がかかります -
ん、いきなり椅子?って思ったのですが、邸宅には和式建築ながら板ガラス・洋式トイレ・マントルピース・避雷針などの西洋建築技術がいたるところに採用され、明治初期の西洋化という新しい流れを巧みに利用する広瀬氏の先見性を伺う事が出来ます。
その辺りは見逃しませんでしたよ -
チラッと見えた階段の上り口。高い所へ上りたがるPHOとしては早速そちらを足を向け・・あれれ、階段が2方向から上れるようになってるよ
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2階はとっても新しい感じがします
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右の奥に洋便器在るの見えますか?
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便座が木製。日本最古クラスだそうですが今でも使えますよね
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門から玄関への道を見下ろして。
右手が庭園です -
母屋二階の望煙楼と名付けられた部屋からは新居浜市を一望する事が出来ますが、遠い・・
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母屋、離れ、新屋敷
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瓦屋根の向こうに見える不思議な形の塔のようなモノは展示館です
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別子銅山開抗200年祭の接待館として明治23(1890)年に建築された新座敷。
部屋がいっぱい連なっているのが判ります -
庭園、後で歩いてみますので
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これって茶室でしょ
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新座敷湯殿。
楠造りの来賓専用の浴室で、天井に湯気抜きの隙間を設けたり、湯船にボイラーを設置(屋外)するなど工夫を凝らした造りとなっています。
ボイラーの設置時期や製造国などは不明ながら、類例を見ない古式のモノです。
湯船は宰平の好きな楠が用いられています -
本座敷は数寄屋風の意匠を凝らした造りで、迎賓用としての役割も兼ね備えていたのです
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茶の間には「掘りごたつ」「火鉢」「暖炉」。和と洋の不思議なバランスなんだけど、ちょっと狭いよね
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その暖炉
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台所。
家人と使用人の食事の場でも有りました。
部屋を明るくする為、天窓が設けられています。
明治33(1900)年、満正は娘艶香と河原次郎の結婚に合わせて、台所の改造を指示しています -
料理場。
明治30年代半ばに大工八木甚兵衛によって建てられたもので、天井を張らず、壮大な梁組と小屋組を見せています。
それ以前にも小規模な料理場は在りましたが、次郎を婿養子として迎えたのを機会に整備したようです -
コンロ
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あ、これは昔PHOの家にも在りました。上段に氷を入れておく冷蔵庫です
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明治7(1874)年、住友家からこの土地を譲り受けた宰平は茶畑として開墾しました。同10年には製茶工場を建設し、15年には滋賀県滋賀郡と京都府宇治郡の茶師5名を雇い入れ、本格的な技術導入を図りました。
宰平は製茶を広瀬家の事業とし、殖産興業に尽力しようとしていたのです -
茶の製造工程に沿って写真を並べ替えますので、少々お待ちください
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蒸し機。
摘み取った茶の葉を蒸気で蒸します。茶の葉に含まれる酸化酵素の活動を止め、青臭さを取り除き、柔軟性を持たせます。この蒸し加減で茶の味、香り、色など茶の風味が決まります -
②粗揉機。
粗揉みの工程。
蒸した茶の葉は表面の水分を取り除き、この粗揉機に入れます。此処で揉んだり混ぜたりしながら、熱風で乾かします -
③揉捻機。
粗揉みでの揉み不足を補い、茶の葉に力を加えて、水分が均一となるように揉んで、茶の葉の形を整えます。
製茶工程の中で、唯一熱を加えない工程です -
④中揉機。
中揉みの工程。茶葉を再び揉みながら熱風で乾燥します -
⑤精揉機。
仕上げ揉みの工程。
茶の葉に熱と力を加え、針のように丸く細く延ばして乾かします。茶の葉の形を作る大切な工程です -
⑥乾燥機。
仕上げ揉みが終わった茶の葉を乾燥させます。乾燥が足りないと変色したり、香りが悪くなってしまいます。乾燥し過ぎると、これまた変色したり、香りが無くなってしまいます -
台所から玄関まで真っ直ぐなのが判りますか?
正面奥に衝立見えるでしょ。
こういう建て方を望んだって何処かで読んだ気がするんですが、何処だったのか思い出せず・・
つか、PHOの昔の家もそうでした。って玄関から台所まで直ぐだったから選択の余地も無かったのですが( ノД`) -
明治時代の近代庭園です
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あれ~っ、もう皆居なくなってる・・
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こちらは新座敷
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皆が先へ進んでしまっていた為に、茶室指月庵などは見ず仕舞いとなりました
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南側から見た庭
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心字池
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明治23年頃に建てられたせんせん亭と言う名の東屋ですが、「せん」の字が出せず
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南東方向から見た庭
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靖献堂。
大正11(1922)年に外郭竣工、同13年に開堂式が行われた広瀬家持仏堂です。ナンチャッテ金閣寺(金じゃないけど) -
詳しい説明はこちらで
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馨原文庫(煉瓦書庫)。
大正12年に外郭竣工。読書を奨励した広瀬満正(宰平長男)が地方人士の知識開発の為に建てたものと言われています -
中へ入る事が出来ないのが残念
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詳しい説明はこちらで
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馨原文庫の外観。
右手には新座敷からの通路が設けられています -
南庭西門から見た展示館。
広瀬宰平の足跡を通して日本近代産業と新居浜の歩みをたどりましょう。
別子銅山を守り、日本の近代産業を育成した広瀬宰平を伝え、山だけでなく海でも活躍したイメージを再現する為に、船の形をモチーフに建てられていますが、此処からだと全然判りません。
館内には、広瀬宰平の人生をテーマごとに映像や資料、パネルで紹介しており、彼の足跡を通して新居浜の生い立ちが学べます。更に日本の近代化の為に奔走した姿を学べ、彼の新時代への意気込みを感じる事が出来ます -
広瀬宰平銅像。
戦時供出されるも、平成9(1997)年に芸大に木型原型が所蔵されてる事が判って、同14年1月、広瀬家のご子孫から、この木型原型を用いて宰平像を再建し、新居浜市に寄贈したいとの申し出が有り、今此処に立ってるのでした -
説明はこちらで
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展示館に入りました。
こっちに皆が居る模様 -
別子銅山上部鉄道ジオラマ。
鉱石や旅客の輸送を行っていた住友別子鉱山鉄道の切通を再現したジオラマです。別子銅山鉄道の線路の脇にあった岩肌に実際に薬品をかけて型取るという方法で、忠実に再現されています。
で、上部鉄道って言うのは、明治26(1893)年に石ヶ山丈から角石原までの全長5.5㎞を途中岩盤を切り裂いた切通しを通過し、幾つもの渓谷を渡って開通しました。
岩盤にはダイナマイトを挿入する削岩機の跡が在ります -
一遍に運べる量の比較。
左:鉄道
中:牛車
右:人力 -
広瀬宰平は、文政11(1828)年、近江国野洲郡八夫村(現・滋賀県野洲市)の旧家・北脇家の次男として生まれました。幼名・駒之助、維新後は宰平と改名しています。9歳の時に、別子銅山の支配人をしていた叔父の北脇治右衛門に連れられて別子に移り、11歳の時に別子銅山に奉公にあがりました。1855年、家長・住友吉左衛門の推薦で、元住友江戸店の支配方の伊予国新居郡金子村久保田(現・新居浜市)の広瀬義右衛門の養子となりました。
1865年、宰平は別子銅山の近代化を訴え、家長に別子銅山の総支配人に抜擢されました。住友としては異例の抜擢でした。
その後、初代住友総理人となり、明治期の大阪財界の大立者として、東の渋沢・西の広瀬と並び称されました。
PHOにとっては初めて聞く名前でしたけど -
別子銅山の危機と克服。
明治維新の際には、別子銅山を接収しようとした新政府代表の川田小一郎に対し「銅山経営を経験の無い者に任せると、利益無く国家の大損失となる」と、経営を引き続き住友に任せるよう説得し、これを認めさせました。更にフランスの技師ラロックを招いて指導を仰ぎ、部下をフランスに留学させて西洋技術を学ばせ、近代化を達成。たった4年で鉄道も開通させました。
住友の基盤を守り発展させたのです -
KS銅。
明治22(1889)年から海外に輸出した型銅です。実物大で15㎏も有ります -
民間人初の勲4等瑞宝章☆
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住友家からの賞状(って、らしくないけど)。
明治27(1894)年11月15日、宰平が引退するにあたって、住友家15代当主友純から賜りました。
在勤中の功労により「終身分家の上席に列し、前職の資格を以」って礼遇されました -
新土蔵・西座敷脇屋
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詳しい説明はこちらで
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裏門。
こんな立派なのにね -
表門まで蔵が並びます
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振り返っちゃう、裏門と醤油蔵(漬け物倉庫)
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荒海に乗り出す船をイメージに作られた特徴的な尖塔がシンボルの展示館を後にして、宿泊先のホテルルートイン新居浜へ向かいます♪
まず、その前にイオンモール新居浜で部屋飲み(二次会)用の品々を揃えなくっちゃね。
先に掲載させていただいてたその旅行記〈食と泊〉はこちらです。
http://4travel.jp/travelogue/11253341
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