2017/02/27 - 2017/02/27
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旅人のくまさんさん
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梅の花咲く慈眼寺と針名神社の紹介です。桶狭間の戦いの時、清州城を発った信長公が、途中立ち寄って戦勝祈願をした場所は、信長塀が残る熱田神宮が有名ですが、その他にも、日置神社、秋葉山・慈眼寺にも立ち寄ったとされます。その延長線上に善性寺砦や桶狭間があります。(ウィキペディア)
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右斜め前から眺めた、『秋葉山・慈眼寺』の本堂光景です。桶狭間の戦いで戦勝祈願をした信長公は、そのお礼に熱田神宮には信長塀、日置神社には千本松、この慈眼寺には三尺坊尊像を寄進したと伝わります。幕末から明治にかけては修験霊場としても信仰を集めたようです。秋葉山の標高は58メートルとされます。(同上)
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本堂に向かって、右側にある堂宇の光景です。こちらには、『聖観世音菩薩』と『十一面観世音菩薩』が祀られているようです。『聖観世音菩薩』が、『秋葉山・慈眼寺』のご本尊のようです。(同上)
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『奥之院』の最初にあるお堂で、『天狗同』らしい建物光景です。格子戸の入口は閉まっていました。中の提灯には、『小天狗』と『大天狗』の文字が記されています。以前に撮影することが出来ました。(同上)
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『秋葉山・慈眼寺』の境内の一角にある、珍しい造りの灯籠です。緑の釉薬が施され、絵や文字もある焼物の灯籠の光景です。『秋葉山・慈眼寺』では、毎年、12月16日に無病息災を願う、『火渡り神事』が行われます。熱田の両参りは、『熱田さま』と『秋葉さま』とされます。その秋葉大権現を祀る、秋葉山・圓通寺でも同じ日に『火渡り神事』が行われます。そのHPでは、『今より千八百年程前、草薙剣を奉齊した熱田神宮の境内に日本武尊を火難から救い、わが国の平和を守られた秋葉大権現を祀られたのが「秋葉社」の始め』と解説してありました。(同上)
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『秋葉山・慈眼寺』の本堂の参詣を終えて、秋葉山を下る途中、振り返って眺めた本堂方面の光景です。旧暦の1月16日には、恒例行事の大般若祭と湯祭りが執り行われます。大般若祭は、般若心経600巻を通読する儀式です。その儀式の後、湯祭りが行われます。大釜に湯を沸かし、熱湯に手を差し入れ、その手で患部を清めて無病息災を願う儀式です。儀式の様子はネット写真で見ることが出来ます。(同上)
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御嶽山信仰の話です。現在の木曽御嶽信仰においては、御嶽大神、八海山大神、三笠山大神の三神が一組で祀られることが多いとされます。御三方などとも言われます。中央に見える石碑には、『八海山大神』と『三笠山大神』の文字がありました。秋葉山・慈眼寺の境内の一角にある、御嶽山信仰に関わるエリアのようです。(同上)
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イチオシ
羽織袴姿の写実的な石造の坐像の光景です。信仰の対象とされる御嶽山(おんたけさん)は、長野県木曽郡木曽町・王滝村と岐阜県下呂市・高山市にまたがり、東日本火山帯の西端に位置する標高3067 メートルの複合成層火山です。大きな裾野を広げる独立峰です。2014年9月27日に7年ぶりに噴火し、山頂付近にいた登山客が巻き込まれ、被害に遭いました。(同上)
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デフォルメされた姿の『白河大権現』の立像です。御嶽信仰の白川大神のようです。白河大神や白川権現などの呼び名もあります。(同上)
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霊神碑の数々です。その建立は、御嶽山を死後の魂の安住の場とする信仰とされ、死後の霊魂の憩いの場を御嶽に求める独自の霊魂観があるようです。王滝登山口、黒沢登山口付近に建てられた霊神碑は、2万基を超えるとされます。(同上)
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『白河大権現』の立像のほか、座像もありました。その御幣を手にした座像の台座には、『覚●霊神碑』らしい文字がありました。その周りにも大きな霊神碑が立ち並んでいました。(同上)
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横から眺めた、御幣を手にした座像の光景です。御幣(ごへい)は、2本の紙垂を竹または木の幣串に挟んだもので、幣束(へいそく)や、幣(ぬさ)とも呼ばれます。菅原道真公が詠んだとされる、『このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに』の小倉百人一首の和歌では、『幣(ぬさ)』と詠まれています。 (同上)
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イチオシ
普段は閉じられている扉のようですが、今日は開かれていました。『秋葉山・慈眼寺』の境内の一角にあ、る御嶽神社の様なイメージのエリアの光景です。正式な呼び名が分かりませんでしたから、この後は、『秋葉山・御嶽神社』、あるいは『御嶽神社』と呼ぶことにします。(同上)
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『秋葉山・御嶽神社』の囲いの金属柵と、梅の木の光景です。囲いの中には、小さな社もありました。梅の花は、ちらほら程度です。(同上)
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『秋葉山・御嶽神社』の囲いの周りの梅の木の光景です。こちらの樹には、三分咲程度の白梅の花が咲いていました。(同上)
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三分咲程度の白梅の花のズームアップ光景です。青軸の一重咲でした。花の数は少ないですが、満開といったところです。(同上)
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『秋葉山・慈眼寺』の境内光景です。『御嶽神社』は右端、赤い幟が立った坂道を登った先が慈眼寺です。左端が石段の参道です。(同上)
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『秋葉山・慈眼寺』の境内光景です。左手に見えるのは、以前に使用された稽古土俵です。ネット情報では、把瑠都関や阿覧関が、近くの青屋根の宿舎に泊まり、坂道の上り下りで足腰を鍛えていたことなどが紹介されていました。(同上)
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同じく、『秋葉山・慈眼寺』の境内光景です。この広場で、毎年、『火渡り神事』や、『湯祭り神事』が行われるようです。(同上)
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秋葉山・慈眼寺の見学を終えて、次の針名神社に向かう途中の交易です。南にある慈眼寺の表参道を入口の向かう光景です。左側に、風情のある竹垣が続いていました。(同上)
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竹額のズームアップ光景です。この竹垣の途中を左に折れて、平針(第一)古城の城主だったと伝わる、小野田勘六のお墓に向かいました。(同上)
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平針古城巡りの時に、一度紹介したお墓です。平針(第一)古城の城主だったと伝わる、小野田勘六のお墓です。平針(第一)古城の推定地は、現在の神田(じんでん)公園と郷の島公園です。小野田勘六は、越後の上杉家の家臣でしたが、上杉家を離れて浪人となり、この地で城を持つ身にまでなったと想定されています。(同上)
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同じく、裏面から眺めた、平針(第一)古城の城主だったと伝わる、小野田勘六のお墓です。念のために確認しましたが、文字らしいものは見当たりませんでした。(同上)
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小野田勘六のお墓の表面のズームアップ光景です。桶狭間の戦いの時、平針(第一)古城に入城したとされるのは佐々成正、その子孫の方が記されたネット情報の紹介です。『桶狭間の戦いでの佐々成政の行動は不明、佐々成政の兄が謎の戦死をし、その戦死によって成政は佐々家の主となり比良城城主になった』と紹介されていました。比良城は、現在の名古屋市西区に位置します。『信長公記』首巻のエピソードです。『小城では比良城ほど良い城はないと聞いていた織田信長が、ある時その近くの蛇池に大蛇が棲むという噂の真偽を確かめに赴いたついでに、比良城も見物しようとした。その際、佐々氏家老の井口太郎左衛門が信長を暗殺しようと計画したが、結局信長は比良城に寄らず清洲城に直帰したため、窮地を免れた』と、記されています。(同上)
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小瀬甫庵の『甫庵信長記』によれば、佐々成政は信長が清須を出たときにつきそった9人の武将の一人とされます。佐々家の子孫の方の『武功夜話』の紹介では、『当初、成政は竜泉寺城にいて尾張の北からの今川の侵入に備えていたらしい。それからまた信長の命で南下して平針古城に入城した』と記されていました。佐々成政(1536?~1588年)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で大名です。織田信長に仕え、馬廻から戦功を重ねて頭角を現し、大名に上り詰めました。(同上)
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お墓の入口付近から眺めた、観音像の光景です。成政は、その後秀吉に仕へ、天正15年(1587年)の九州征伐で功をあげたことで、肥後一国を与えられました。しかし、性急な検地が原因で肥後国人一揆が起き、その失政の責めを受け、摂津国尼崎の法園寺で切腹させられました。肥後国人一揆は天正15年(1587年)、隈部親永(不明~1588年)父子が、秀吉の朱印状を根拠に検地を拒否して挙兵し、成政との戦いになりました。佐々・立花軍に降伏した隈部親永は、柳河藩の立花宗茂預かりとなり、柳川城で切腹させられました。(同上)
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小野田勘六のお墓を再度訪ねた理由の一つが、墓地の所有者の確認でした。真新しい、『慈眼寺墓苑』の石標がありましたから、信長が桶狭間の戦いの時に立ち寄ったとされる、慈眼寺の所有に間違いがないようでした。佐々成正が桶狭間の戦いの時、平針(第一)古城に入城していたことは、地理的にも合理性があるようです。(同上)
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『慈眼寺墓苑』の一部か、あるいは別の所有者か分からなかったのが、この一角です。通常は、神社の境内に見られる日清・日露戦争や太平洋戦争に関連する慰霊碑などがあった区画です。慰霊碑だけでなく、個人の墓標も並んでいました。右奥には、注連縄を張った無人の建物もありました。(同上)
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日清・日露戦争や太平洋戦争に関連する慰霊碑などがあった区画のズームアップ光景です。『征清紀年碑』の石碑の周りに、明治から大正の年号が記された石碑が立ち並んでいました。右端の横長の新しい石碑が、『太平洋戦争戦没者・慰霊碑』でした。(同上)
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秋葉山・慈眼寺の南側の参道入口の光景です。入場したのは、北側の参道からでした。平針(第一)古城の話から佐々成正の話題になり、更に、肥後国人一揆に話が及んだのには、実は訳があります。私の母方の祖父の先祖が、隈本城主に繋がる隈部氏、祖母の先祖が城氏です。祖母からは、中興の祖は城越前守親冬と何度も聞かされていたのを覚えています。熊本県山鹿市菊鹿町に残る隈部氏館跡(永野城跡)が国指定の史跡となり、秀吉により切腹させられた隈部親永の銅像が、平成23年(2011年)に完成しました。(同上)
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イチオシ
『秋葉山・慈眼寺』と、針名神社の境界境辺りで咲いていた紅梅の光景です。三分から五分咲当たりでしょうか、八重咲の花でした。小さい頃に、先祖の敵は『秀吉と清正』と聞かされていましたが、今でも『せいしょこさん』の呼び名で人気が高い、加藤清正公については、その武人、政治家としての素晴らしさを強く感じています。最近読んだ本の中では、池波正太郎さんの『火の国の城』で、ますますその感を強くしました。加藤清正と、彼が作った熊本城を恐れて、徳川家は忍びを使って清正公を毒殺したといった物語でした。(同上)
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