2016/10/25 - 2016/10/25
15位(同エリア30件中)
motogenさん
- motogenさんTOP
- 旅行記391冊
- クチコミ1件
- Q&A回答3件
- 381,378アクセス
- フォロワー45人
大戦後、日本軍が退去した後を再び植民地化しようとしたフランスは、独立をめざすベトナム人民軍の反撃に苦労した。
その最終決戦地が、ディエンビエンフーだ。
しだいに追いつめられていったフランスは、ベトナム北部の山岳地に、ラオスのルアンパバーンと連結する補給基地を作る作戦にでた。
ディエンビエンフーには日本軍が作った飛行場もあった。
重火器を空輸し、戦車までをも分解して持ち込み、体制を整えた。
盆地は険しい山々に囲まれている。
道はないも同然だ。
こんな山岳地帯まで人民軍は、重火器を持ち込めないだろう・・・
とフランス軍は考えたのだった。
ところが人民軍は人力で、大砲・ロケット砲・対空火器を周囲の峰まで運び込み、要塞を見下ろす位置に設置して、密かにフランス軍を包囲したのだった。
かくして激しい戦いが開始された。
そのディエンビエンフーの地に、移動する日がやってきた。
PR
-
「7時半までに来てね・・」 と言われた言葉を守り、6時半にはチェックアウトした。
余裕を見てバスターミナルへと歩き出す。
昨夜の雨はあがり、早くも人々が働きだしている。
この町がすっかり気に入ってしまい、去りがたい気持ちでいっぱいだ。 -
7時前にターミナルに到着してしまった。
バスの姿はなし。
「この中で、待っていて・・」
と言われて、朝霧の残る山を見ながら待ち続ける。
だが、7時半になってもバスは現れない。
8時になっても現れない。 -
その間に、ハノイ行きの寝台バスが2台も出発して行った。
バスにはバイクも積めるようで、横倒しにして積み込んでいる欧米人の姿があった。
8時20分、まだバスは来ない。
私のほかに客の姿もなし。
「バスは、何時?」
心配になってくる。
「バスは、ラオカイから、やって来る・・・大丈夫・・・」
うろうろしたら、バスがやって来た。 -
切り詰めたボンネットがちょこんと前に出ている、5列シートのミニバンだった。
フォードだ。
乗ったのは私1人だけだった。
先客が2人いて、ドライバーの隣に乗っている。
2人とも若い女性だ。 -
一昨日バイクで走った国道を、ぐんぐん登っていく。
峠に差し掛かった。
高度計を見ると、1980m。
あっ!
信じられないものを見た。
土産物屋が並んでいて、感顧客がいる。
滝への入り口ゲートもある。
何たることだ。
途中で引き返してしまったことに、ショックを受ける。
衝撃のあまり、シャッターも押せなかった。
(この画像は、多分、峠を越えてしばらくたった場所だ。) -
急カーブの続く長い下り坂が続いた。
周囲の山には朝霧がかかり、真っ白い景色ばかりが続く。
スマホのアンテナマークは1本も立たない。 -
霧が途切れた瞬間に、どんな場所を下っているのかが垣間見える。
周囲の山肌は、転がり落ちたら止まらないような急斜面だ。
その急坂を車はスピードをあげて下っていく。
カーブではブレーキを踏むが、カーブを出るとすぐにアクセルを踏んでいる。
馬鹿!
次のカーブが目の前にあるんだから、惰性で良いのに。
暴走は止まらない。 -
緊張を強いられた下り坂が終了したのは40分後だった。
田畑のある平野部に降りてきた。 -
平野部に出たといっても、起伏は絶えず、勾配が緩やかになっただげで、常に登っているか下っている。
田畑が広がっているかと思えば、林があったり、丘陵があったりして、山地には変わりない。 -
9時40分。
出発から1時間10分。
突然、ロータリーが現れて、都会のような広い道路を走ることとなった。 -
官庁らしき立派な建物がある。
おしゃれな家も建っている。
高級外車の販売会社もある。
人の姿はない。 -
町の名前を調べようとGマップを拡げるが、なさけないGマップ。
地名も施設名も出てこない。
拡大縮小を繰り返すと、やっと文字が現れた。
ベトナム語だ。
『Lai Chau』
何と読むんだろう。 -
大きな町だったけど、あっという間に後方に消えてしまった。
乗ってくる人も、降りる人もいなかった。
建物は立派だったが、人が住んでいる気配の感じられない町だった。 -
曲がりくねった山道を走ること40分、次の町に入ってきた。
マップには町の名は出ない。
道路は立派だが、そんなに大きな町ではない。
欧米人の老夫婦が乗り込んできた。
こんな所で何してたんだろう?
昨夜はここに宿泊していたんだろうか? -
左右に分かれる分岐点にでた。
右に18kmで、『金水河・・・』のようだ。
そんな標識が出ている。
中国との国境に続く道だ。
欧米人夫婦は、中国からやってきたと思える。
ミニバンは左に折れて、進路を南に変えた。 -
アジア系の家族4人も乗り込んで来た。
しかしこの人たちは、1分も走らないうちに降りてしまった。
運賃が折り合わなかったようだ。 -
川に沿って走ることになった。
道路の両側は切り立った山だ。 -
川は水量があって、ダムまであった。
右へ左へと移動しながらカメラを構えていると、欧米人夫婦と目が会った。
同じようにカメラを構えている。
ほとんど通じない会話が始った。
フランスを出発したのが2ヶ月前で、インド、パキスタン、中国を経てこの地に入ったらしい。
まだ1ヶ月は旅が続くと言う。 -
谷間の川に沿って、延々と走る。
マップで確かめると、まだ半分ほども来ていない。
この調子で行くならば、到着は夕方になってしまう。
ファンシーパンの裏側に回れば、すぐにディエンビエンフーだと考えていたことが、浅はかだったと思い知る。 -
小さな町があった。
こんな何もない山奥に人が住んでいることを、不思議な気持ちで眺めていた。
自分は世の中のしくみや人の暮らしが分かっていないと思う。
地元の人が3人乗り込んできた。 -
川幅が湖のように広がり、立派な橋が架かっている場所に来た。
この橋を渡って西進すれば、荒々しい山道となり、いくつもの山を越えて中国に入る。
ミニバンが停車した。
食事休憩だと言われる。 -
乗り続けて3時間。
初めての休憩だ。
ミニバンの外側をじっくり見る。
まだ新しいフォードだ。
悪路に耐える、頑丈な車に見える。 -
どこで注文するんだろう。
何が食べられるんだろう。
要領が分からない食堂だ。
トイレを済ませて中に入ると、フランス人夫婦は注文を終えて食べ始めていた。 -
硬そうな肉の塊、スープ、菜っ葉、ご飯・・・
見栄えのしない粗末な料理を、平気で食べている。
ヤワな旅行者ではない。
女性の方は、肉や野菜をお茶漬け(スープ漬け?)にして、ザブザブと口に運んでいる。 -
どうしよう・・・?
迷っていると、「ここに、座わんなよ・・」と、ドライバーが手招きしてくれた。
すでに料理が並べられ、若い女性も共にテーブルを囲んでいる。
1人の服は軍服に似ている。
軍人なのか、ポリスなのか・・・ -
その女性が、ご飯を盛ってくれ、スープをよそってくれる。
並んでいたのは肉料理が2種類、野菜が2種類、それに煮魚とスープだった。
突っつきあって食べるのだ。
肉は固く、いつまでも口の中に残り、なかなか飲み込めなかった。
野菜はしょっぱいだけだった。
スープはお茶みたいで、味がなかった。
ただ、煮魚は柔らかくて味が染み込み、淡水魚の臭さもなくて美味かった。 -
美味い料理ではなかったが、みんなでつつき合って食べることは楽しくて、おかわりまでしてたらふく食べてしまった。
食べ終わると、運ちゃんから50000ドン(250円)の請求があった。
運ちゃん自身も50000ドンを出して会計していた。
女性は金を出したように思えなかった。
こういう場合、男性は女性をおごるのが常識のようだ。
安いから、それもまあ良いことだ・・・ -
湖水のような川を見ながら南進が続く。
-
対岸に町が見えた。
マップには『KHU DOI CAO』と出るが、町の名前なのか、よく分からない。
交易の中継地点となる町なのだろうか。 -
その町に入っていく橋があって
-
地元の3人が降りて行った。
-
川に沿って、こちら側にも町が伸びている。
-
『Thu XA Murong Lay』とマップに出るが、何の意味なのか・・・
想像もしていなかった景色が続く。
フランス人はパシャパシャと高級一眼のシャッターを押す。
行程の半分は過ぎたようだ。
時刻は12時40分。 -
走り安い道が続いていたので、後は楽勝かと思っていたら、荒れた山道に突入してしまった。
崩れかけている崖もある。 -
ぬかるんだ場所もある。
-
道幅を拡張している工事現場もある。
-
山道を自転車でツーリングしているグループがいた。
あっという間のすれ違いで、カメラに納められなかったが、グループから離れてしまった1人を撮れた。
たくましい観光客(冒険家)がいるものだと、嬉しくなった。 -
つづら折りの山道、デコボコだらけ砂利道、絶え間ない登り下りが、エンドレスのように繰り返される。
出発当初、下り坂でもエンジンをふかす運転手を馬鹿だと思ってしまったが、今では「もっと走れ!」「もっとスピードを上げろ!」と応援するようになっている。
タラタラ走っていたら夜になってしまう。 -
その応援が通じたのか、うとうとして目覚めると、民家が現れ・・・
-
そのうち集落となってきて・・・
-
商店の並ぶ町に変わり・・・
-
平原部を走っていた。
-
これがディエンビエンフーの盆地なのか・・・・
-
転倒している車があったけど・・・
-
道路は分離帯のある大通りとなり・・・
-
3時ジャスト、ついにディエンビエンフーのバスターミナルに到着したのだった。
ターミナルは小さく、人もあまりいない。
バイタクの兄さん方もおとなしい。 -
フランス人夫婦は「ロンリープラネット」を開いて、ホテルの場所を聞いている。
聞かれた運転手は知らないようで、
「タクシー、タクシー!」 とタクシーを呼んでいる。
ベトナム娘たちは手を振って、スタスタと歩いて行った。
苦労を共にした旅の仲間とお別れする気分になった。 -
ターミナルに居た人に 『HUYEN ANH GH』の場所を聞くと、すぐ近くにあるらしい。
『HUYEN ANH GH』は、通りすがりの旅人さんが泊まったゲストハウスで、今夜はここにしようと決めている。
まずは教えられた方向に歩くことにした。
通りは広い。チャンダンニン通り 市場
-
この日の行程を赤点で表してみました。
この地図では真っ直ぐな道に見えますが、実際の道路はほとんどが曲がりくねり、アップダウンの連続で、距離も大幅に増大します。
要した時間は6時間半でした。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
山岳地方サパに挑戦
-
前の旅行記
山岳地方サパに挑戦 その13 サパ・最後の一日
2016/10/24~
サパ
-
次の旅行記
山岳地方サパに挑戦 その15 ディエンビエンフー・2つのゲストハウス
2016/10/25~
ディエンビエンフー
-
山岳地方サパに挑戦 その1 ハノイ到着は吉・吉・凶・凶・・締めくくりは小吉?
2016/10/17~
ハノイ
-
山岳地方サパに挑戦 その2 サパ行きのバスを待つ一日
2016/10/18~
ハノイ
-
山岳地方サパに挑戦 その3 サパへの道はハイウェイだった
2016/10/19~
サパ
-
山岳地方サパに挑戦 その4 サパに到着、しかし何か違うなぁ
2016/10/19~
サパ
-
山岳地方サパに挑戦 その5 最初のトレッキング・タフィン村に向けて出発
2016/10/20~
サパ
-
山岳地方サパに挑戦 その6 タフィン村への道は心躍る道
2016/10/20~
サパ
-
山岳地方サパに挑戦 その7 シンチャイ村・・行きはトコトコ軽快に
2016/10/21~
サパ
-
山岳地方サパに挑戦 その8 シンチャイ村・・帰りはヨタヨタ、疲れもまた良し
2016/10/21~
サパ
-
山岳地方サパに挑戦 その9 カットカット村・・裏道を探そう
2016/10/22~
サパ
-
山岳地方サパに挑戦 その10 サパ・フィーバーする土曜の夜
2016/10/22~
サパ
-
山岳地方サパに挑戦 その11 サパ・バイクを借りて
2016/10/23~
サパ
-
山岳地方サパに挑戦 その12 ラオチャイ村手前でSOS
2016/10/23~
サパ
-
山岳地方サパに挑戦 その13 サパ・最後の一日
2016/10/24~
サパ
-
山岳地方サパに挑戦 その14 ディエンビエンフーへの山岳道路
2016/10/25~
ディエンビエンフー
-
山岳地方サパに挑戦 その15 ディエンビエンフー・2つのゲストハウス
2016/10/25~
ディエンビエンフー
-
山岳地方サパに挑戦 その16 ディエンビエンフー・戦いの史跡
2016/10/26~
ディエンビエンフー
-
山岳地方サパに挑戦 その17 ディエンビエンフー・午後の散歩
2016/10/26~
ディエンビエンフー
-
山岳地方サパに挑戦 その18 ディエンビエンフー・再び史跡探し
2016/10/27~
ディエンビエンフー
-
山岳地方サパに挑戦 その19 ディエンビエンフーからハノイへの陸路
2016/10/28~
ディエンビエンフー
-
山岳地方サパに挑戦 その20 戻ってきたハノイ
2016/10/29~
ハノイ
-
山岳地方サパに挑戦 その21 ハノイ・路線バスで空港へ
2016/10/30~
ハノイ
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (6)
-
- 謝陽さん 2020/06/21 16:12:01
- 山岳道路のルート、マイナーな国境について
- 私は、辺境マニアとして、金水河が気になります。
「分岐点、右に18kmで、金水河」などの情報を見ると、分岐点にある町はPhong Thổ「風土」だと分かります。
motogenさんの山岳道路のルートをGoogle Mapで、ご説明させていただきます。
Sa Paターミナルから出発してから、QL4D(QLは国道の意味)に沿って走ります。Lay Châu「莱州」という都市を経ます。走り続けると、QL4Dの終点、QL4DとQL12のY字交差点の町Phong Thổ「風土」に着きます。QL12を右方向に行けば、18kmでベトナムと中国の国境Ma Lù Thàng「マールタン」(中国側は雲南省金平県の金水河鎮)です。motogenさんのこの旅では、QL12を左方向に行きます。Mường Lay「孟莱」を経て、QL12の終点Điện Biên Phủ「奠辺府」に到着します。
残念ながら、国境のイミグレMa Lù Thàng⇔金水河は、いずれも国境の両国住民しか通過できません。だが、YouTubeからMa Lù Thàngで捜索したら、山岳住民の国境定期市場、ベトナム人の日帰り中国側遊び、などのV-Blog記事が面白い。
ちなみに、中国側の雲南省金平県も見所があります。民族衣装の着用率が案外に高い。ヤオ族のサンタクロスみたいな女性帽子が面白い。Halonさんの「華南ベトナム陸路旅13」をご参考してください。 https://4travel.jp/travelogue/10831357
-
- てくてくさん 2016/12/11 18:15:07
- 山岳路かなり整備されましたね
- motogenさま
初めまして。
久し振りに旅行記を覗きましたら、ベトナムに行かれていたのですね。
サパからディエンビエンフーの行路は大変だったでしょう。今は6時間半ですか。
私は2013年8月に逆のコースを辿りサパに向かいました。その時は9時間を要しましたので、以前よりかなり舗装が進んだようです。
サパに行かれる日本人は少ないのですが、さらにディエンビエンフーは僅少ですよね。
日本人が行ったとしても目的地でなくラオスへの通過点として行かれるようでして、白人支配を脱した分岐点ともいえる世界史に残るようなこの街になぜ興味がないのか・・・
可愛いい女の子にも出会いましたね。時間潰しに近いおしゃべりにはちょうどいいですね。
てくてく
- motogenさん からの返信 2016/12/12 12:25:57
- RE: 山岳路かなり整備されましたね
- ありがとうございす。
てくてくさんのディエンビエンフーを再読させていただきました。
ド・カストリーの司令部跡やフランス軍墓地、街中に転がっている戦車があることに驚き。
どこにあったんだろう・・?
ロンリープラネットの地図が間違っていて、見当違いな場所を探していたんだろうか・・
後悔がちらりと残ります。
この2〜3年の間に、博物館は建て替えされているようですね。
- てくてくさん からの返信 2016/12/12 13:52:35
- RE: RE: 山岳路かなり整備されましたね
- Motogenさま
空港沿いに南に行った地点、市場のさらに南に戦車、指令部跡、フランス人墓地の順にありました。地球の歩き方の地図も不完全ですが、ろんりーぷらねっとも同じようですね。
こちらはA1隣の墓地に行きそびれました。まだ探せば見所がありそうですね。
てくてく
-
- trat baldさん 2016/12/01 11:06:40
- やっぱフランス人は今でもアジアの盟主と勘違いしてるな(^o^)
- 余りに危険な移動を誉める訳にはいかないけどチャーターを使うとこのタフでハードな冒険の味が半減してしまうかしら、、、、
総ては時間が旅の濃さや深さを決めるのかしら、通り抜けてしまう小さな町にもきっとカルチャーショックが待ち構えているんでしょうね!
人間が生きて行く上での価値観や理由を変えてくれる様な旅に羨ましさがいっぱい。
- motogenさん からの返信 2016/12/04 13:26:37
- RE: やっぱフランス人は今でもアジアの盟主と勘違いしてるな(^o^)
- ありがとうございます。
これまでも感じていたことで、行って来た度にその思いを深めるのは、想いで深く心に刻まれるのは、目的地そのものよりも、途中の道程のことです。
いらいらしたり、心配したり、気をもめたり、不快になったり、驚いたり、発見した、そんなことが旅行の楽しさかなと・・・
金はないけど時間と暇はあり、それほど先のある人生ではないので、なるべくハプニングのありそうな移動手段をとろうとしています。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 山岳地方サパに挑戦
6
49