2016/10/27 - 2016/10/27
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motogenさん
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ベトナム人民軍の果敢なる戦いの跡を、この目で確かめたくてやって来たディエンビエンフー。
人民軍墓地、博物館、A1の丘・・・
と回ったが、ロンプラに紹介されている見どころはあと3つある。
フランス軍地下壕、地下司令部、フランス兵慰霊碑だ。
そこに出かけてみることにする。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
-
メイン通りの一つ西側にある、裏通りにも似た道を歩いてみる。
緑の日陰が続くベトナムらしい通りだ。 -
裏通りなのに人の往来はメイン通りよりもある。
綺麗な商店が並び、それもなかなか繁盛している。
洋品店が多いが、食べ物屋もたくさんある。 -
この食堂の人気はたいしたものだ。
次々に客が来て、席の空くのを待っている。
きっと美味くて安い店なんだろう。 -
小奇麗なレストランもあれば、歩道に椅子を並べた大衆食堂もあって、さまざまなニーズに応えている。
-
フランスパンの屋台も出ている。
-
史跡を尋ねてやってくる観光の町と思っていたが、観光客らしき姿はめったに見ることができない。
やっとここで、一人でビールを飲んでいる欧米人にお目にかかった。 -
この通りには、ホテルやゲストハウスもたくさんある。
間口は狭く、高さで勝負しようとするベトナムらしいホテルが多い。 -
外から見た感じでは、綺麗で清潔そうなゲストハウスだけど、場所からいって部屋代はそんなにしないだろう。
-
はっきり数えたわけではないが、ホテルは10軒以上ある。
食堂あり、ホテルあり、屋台あり、そして南のはずれには市場もある。
この通りは観光客にとって絶好の場所で、再び来るチャンスがあったら、ここに泊まろうと思った。 -
ニワトリを磨いている人がいた。
薬草汁を沁みこませた布で、全身をマッサージするように磨き上げている。
趣味の世界に入り込んでいる住民もいるようだ。 -
混雑している店は避けて、暇そうな食堂に入ってみた。
-
フォーを注文する。
大きなどんぶりにたっぷりの麺。
香りの良い紫蘇の葉も付いている。
30000ドン(150円)。
この町のフォーはどこでも30000ドンみたいだ。 -
通りの南はずれには学校がある。
この向かい側に、フランスのピロ砲兵指揮官が自殺したという地下壕があるはずだが、いくら探しても見つからない。
草木の茂るクレーター状態になっていると、ロンプラ・ガイドブックにはある。
しかしそこにあるのは電力会社と国営銀行だ。
ロンプラの地図に間違いがなければ、地下壕は公的施設に変わってしまったようだ。 -
市場を通り、ムオンタイン橋に向かう。
市場は今日も賑わっていて・・・・ -
あひる市場に目がとまる。
-
アヒルははかりに乗せられて、重さで売られていく。
アヒルは肉として食べられるのだろうか。
それとも羽毛をむしられて、ダウンとなるのだろうか。 -
橋を渡り、昔の道を南に歩く。
この道の先に、フランス軍司令官のカストリ大佐の地下司令室があり、戦車と大砲が放置されているはずだ。 -
町外れの寂れた場所に、ゲストハウスがあった。
誰がこんな不便な場所に泊まるのかと、不思議になる。 -
舗装もない土ぼこりの舞う砂利道を歩いていく。
-
右に折れる道が現れた。
この角に地下司令室の跡や、戦車があるはずなのに、それらしきものは見られない。
ロンプラには入場料が5000ドンとあるのだから、看板くらい出ていてもいいはずなのに。
曲がり角には、小銃を構えた門番が立っている軍関係の敷地があった。
ここが怪しい。。
門番に話しかけてみたが、言葉は全く通じず、軽くあしらわれてしまった。
しかたない。
先に進む。 -
3000人のフランス軍兵士の遺体は水田の下に埋められたという。
30年後に、そこに慰霊碑が建てられたそうだ。
その場所はもう少し先だ。
周辺を見回しながら歩いていくと、幼稚園があった。 -
園児がお遊戯をしている。
眺めていると先生らしき女性が近づいてきて、園内に招いてくれた。
見ていけ・・と言っているようだ。
日本からと言うと、大喜びし、園児を集めて私を紹介してくれる。
園児達が一斉に私を見て、可愛い声で挨拶してくれた。 -
この待遇の良さにびっくりするが、こうなれば仕方ない。
誘われるままに一緒にお遊戯の真似事をし、通じない言葉で話しかけ、園児の仲間になるのだった。 -
スマホの翻訳ソフトに気が付いた。
簡単なベトナム語なら、翻訳できる。
『墓・・・フランス人・・・戦争・・・』
スマホにそれらの言葉を打ちこんでベトナム語に変換し、その場所を尋ねる。
教えられたのは、先ほどの軍施設の西側だった。 -
教えられた場所に行ってみるが、それらしいものは見つからない。
バイクにまたがった青年がいた。
同じようにスマホ翻訳を見せながら、銃を撃つ真似、銃に撃たれて倒れる真似、遺体を埋める真似、お墓を作る真似、それらを身振り手振りで説明する。 -
すると親切に、「こっちだよ・・」と案内してくれた。
-
案内されたのは児童擁護院だった。
『SOS KINDERGARTEN』と書いてある。
お助け子どもの庭と言う意味か。 -
翻訳機能が悪いのか、私の説明が悪いのか、幼稚園の先生にもこのバイクの青年にも、私の意図が伝わらないようだ。
しかし親切に応えないわけにはいかない。
「ここは違う」と言う代わりに、「ありがとう」と言ってしまった。 -
施設の回りを歩いてみる。
何棟もの宿泊施設や集会場、教室、厨房などか建っていて、立派な施設だ。
グランドも広く、スポーツ器具も作られている。 -
体操をしている子どもたちと、指導する先生の姿があった。
訪ねてみると先生には英語が通じた。
フランス人のお墓は知らないと言う。
戦車や大砲も知らないようだ。
若い先生には、戦いの遺跡は遠い昔の教科書の中の出来事のようだ。 -
1991年発行のロンリープラネットの情報は古く、ディエンビエンフーの戦争の傷跡は、ほとんどその姿を消してしまっている。
特にフランス軍関係のものは、廃棄されてしまったようだ。
記念碑も地下壕も探すのはあきらめて帰ることにした。 -
途中立ち寄った理髪店の青年に墓のことを聞いてみる。
するとバイクを引き出してきて、連れて行ってやると言う。
金をとるのか・・と一瞬心配するが、どうもそうではないらしい。
この親切さにはびっくりする。
バイクは疾走する。
感激していると、着いた先は昨日の『ディエンビエンフー墓地』だった。 -
「ここは違う・・・」とは言えないものだ。
丁寧にお礼を言ってお別れする。
この青年も、フランス兵士が埋められた墓は知らないのだと思った。 -
ゲストハウスの多い裏通りを歩いて帰ると、商店主が慌てふためいていた。
様子がおかしい。
別の場所ではポリスが集まって打ち合わせをしている。 -
ポリスによる巡回が始まった。
大急ぎで歩道に出してあった物を、店の中にしまい込む庶民。
歩道に出っ張っている椅子やテーブル、看板類や商品を取り締まっているのだ。
間に合わなくて叱られている人がいる。
違反切符を切られている人もいる。
ポリスの一団が通り過ぎた通りは、歩きやすいすっきりした歩道となっていた。 -
あらためてディエンビエンフーの戦いを考えてみた。
ここは四方を山に囲まれた盆地だ。
縦長の平野であるが、北東の山すそが平野の中にポコポコとした丘となって出っ張り、複雑な地形を作っている。
戦勝記念の像が立っている丘も、A1の丘も、その丘の一つだ。
人民軍の主力は、この地形を利用して、平野の中に突撃したのだ。 -
この丘にフランス軍の指令所は置かれたが、1万3千の兵は平野全体に配置されていたはずだ。
人民軍は周囲の山から砲撃を開始したが、決戦は歩兵の突撃となる。
砲弾や銃弾が飛び交い、空爆も続く中で、塹壕を掘りながら一進一退を繰り返し、多大な犠牲を重ねたのだろう。
戦いはA1の丘だけではなく、丘に到達するまでの広い場所で行われ、この盆地全体が、両軍合わせて12万人を越える兵士たちの戦場となったのだ。
山岳地帯の砲撃場所や、突撃戦で掘り進められた塹壕が残っていれば、戦いのイメージがはっきりするのだが、残念ながら消えてしまった。 -
ディエンビエンフーを、さらに高い位置から眺めると、周囲の山々の広さに驚かされる。
全て山だ。
この山岳地帯の中に、ポツンと置かれている小さな盆地が、ディエンビエンフーだ。
フランス軍はこの陸地の孤島の中で、戦意を失い、植民地支配を断念したのだ。
(青線はラオスとの国境) -
降伏が目の前に迫ったフランス軍に、アメリカは原爆投下の助け舟を提案する。
フランスは世界の世論を恐れ、ナチスの二の舞になることを避けるために、アメリカの提案を断ったのだそうだ。
この後アメリカはサイゴンに傀儡政権を打ち立てた。 -
今回の遺跡探しの場所です。
緑の星・・・旧ムオンタイン橋
黄の星・・・上から、SOS擁護施設、カストリ大佐の地下司令部があったと思われる場所、フランス軍兵士の石碑があったと思われる場所。
赤の星・・・ディエンビエン墓地(人民軍の墓地)
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この旅行記へのコメント (1)
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- trat baldさん 2016/12/08 15:17:19
- 暮らしてみたくなるほど素敵!
- ディエンビエンフー最高!僕の住むトラートも10年前はカンボジア国境近くの東側がこんな感じでだったのに、、、、、近代化を反対できないよね、、、、、
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