2016/10/24 - 2016/10/25
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旅人のくまさんさん
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毎年恒例の懇親会で訪れた長野の善光寺です。日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来を本尊とし、住職は『大勧進貫主』と『大本願上人』の両名が務める無宗派のお寺です。宿房に泊まっての善光寺参りです。(ウィキペディア、長野駅発・善光寺七福神めぐり)
毎年恒例の懇親会の旅行記一覧です。このところ、年二回の開催が定着しました。
〇2016秋、紅葉の善光寺・信濃巡り:10月24日~25日
宿坊に泊まっての善光寺参りです。早朝のおつとめに参加しました。(この旅行記です)
http://4travel.jp/travelogue/11183620
〇2016春、日台親善の日泰寺と名建築の揚輝荘巡り:4月27日~28日
名古屋市内のホテルに泊まっての懇親会です。翌日は有志で近くの名所見学をしました。
http://4travel.jp/travelogue/11126419
〇2015秋、紅葉の塩尻、松本巡り:11月4日~5日
紅葉の塩尻・松本巡りです。塩尻~松本間は友達の車でドライブ、夜は浅間温泉に泊まっての懇親会、翌日は松本城下巡りです。
http://4travel.jp/travelogue/11112795
〇2015春、蒲郡の名所巡り:4月22日~23日
公立学校共済組合の蒲郡荘に1泊しての懇親会です。翌日は有志での蒲郡の名所巡りです。
http://4travel.jp/travelogue/11010986
〇2014秋、昼神温泉と元善光寺参り:11月14日~15日
昼神温泉に1泊しての懇親会です。翌日は友達の車に便乗して、飯田の元善光寺にお参りしました。
http://4travel.jp/travelogue/10984444
〇2014春、湯の山温泉と御在所岳:3月12日~13日
湯の山温泉のホテルに泊まっての懇親会です。翌日は生憎の天候でしたから、御在所岳散策は諦めました。
http://4travel.jp/travelogue/10867655
〇2011秋、飯田での懇親会と紅葉の飯田散策:10月19日~20日
飯田の宿に泊まっての懇親会と、翌日の黄葉散策や博物館巡りです。
http://4travel.jp/travelogue/10617056
〇2008秋、飯田での懇親会と紅葉の天竜峡下り:11月7日~8日
飯田の宿に泊まっての懇親会と、翌日の天竜峡下りです。
http://4travel.jp/travelogue/10290687
(注)これ以外にも懇親会を開催していますが、旅行記は作成していません。
- 交通手段
- JR特急
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名古屋駅を9時発のJRの信濃5号に乗車して、昼近くに長野駅に到着しました。そのJR長野駅のターミナルビルの光景です。暫く振りに目にしました。
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JR長野駅に到着して、最初に向かったのは観光案内所です。長野市内の観光地図の入手と、駅から今晩宿泊する僧房までの距離と交通手段の確認です。名古屋を出る前には、路線バスで向かうことにしていました。その観光案内所の看板が、写真の右端に見えていました。
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『長野市観光情報センター』の看板が懸かっていた観光案内書の室内光景です。かなり広いスペースを占有した案内所でした。すぐに長野市内地図が入手でき、宿坊までの道順も分かりました。市内観光を兼ねて、歩いて手頃な距離でした。
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長野市の観光案内図には、長野駅から善光寺に向かう道筋に、『善光寺七福神』の場所が記してありました。歩いて善光寺に向かうことに決めたのは、その七福神巡りに決めたためです。長野駅の玄関光景です。
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外から眺めた長野駅の西北側の玄関光景です。東日本旅客鉄道(JR東日本)、しなの鉄道と長野電鉄が集合した、総合駅です。JR東日本の在来線のほか、北陸新幹線も乗り入れています。北陸新幹線は、2015年3月に長野駅から金沢駅間が延伸開業されました。これで高崎駅~金沢駅間が開通しましたが、将来的には東京~大阪間を結ぶ計画とされます。
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北西側になる長野駅の駅前光景です。国有鉄道の新潟県関山駅~長野駅間の開通に伴い、明治21年(1888年)に長野駅が開業しました。平成6年(1994年)に駅舎改築工事が開始され、平成8年(1996年)に、仏閣型駅舎から近代的なデザインの橋上駅舎に変身しました。
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長野駅前のスクランブル交差点の光景です。駅の北側には、善光寺表参道があることから、こちらの西北側は『善光寺口』、南東側が『東口』と呼ばれているようです。
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観光案内所で入手した観光案内パンフレットには、27カ所のそば処が記してありました。駅近くを外して、入店した老舗の蕎麦屋さんです。そばが出来上がるまでの間に軽く飲む、日本酒が堪えられません。名古屋駅から同行の三名とも、お酒と蕎麦には目がありません。
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昼食に立ち寄ったお蕎麦屋さんの店内光景です。混んでいませんでしたから、ユックリとお酒と新蕎麦を楽しむことができました。
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帰り際に撮影した、お蕎麦屋さんの玄関光景です。石灯篭が置かれた箱庭がありました。長野駅から歩いて10分足らずの距離でした。
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お店の名前も紹介しておきます。『太平庵』でした。夕方合流した長野の地元の友達に確認しましたら、支店もあるお店の本店の方でした。善光寺界隈の27店舗の蕎麦屋さんの内の一店舗でした。何しろ、戸隠そばで有名な地ですから、長野市内には50店舗以上の蕎麦屋さんがあるようです。
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三人とも満足できた、信州そばのお店の『太平庵』でした。振り返って撮影したお店の光景です。アンティークな看板が懸かっていました。あとで友達から聞いたとおり、『生蕎麦処・太平庵本店』でした。
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善光寺七福神巡りの1箇所目、『寿老人』を祀る西光寺に到着しました。中々見所の多いお寺でしたから、ゆっくりと参拝し、写真も撮影しました。こちらの入口には、『絵解きの寺・かるかや山・西光寺』の看板がありました。
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『刈萱山・西光寺』の本堂光景です。鎌倉時代の正治元年(1199年)、善光寺如来に導かれて、高野山から信濃の地に下った苅萱道心が、この地に草庵を建立したのが創建とされます。
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『刈萱山・西光寺』は、『絵解きのお寺』とも呼ばれています。絵解きとは、説教・唱導(仏の道に導くため、教えを説くこと)を目的とする、宗教者による絵画を用いた文芸・芸能のことです。そのルーツはインドにあるとされ、中国、朝鮮半島から、日本に伝わって来ました。この像は、『苅萱道心石童丸御親子御絵伝』の絵解きの題材となっている、苅萱道心の親子像です。後ほどもう一度紹介します。
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寿老人のブロンズ立像の光景です。寿老人は、中国の伝説上の人物で、儒教の神様です。南極老人星(カノープス)の化身とされ、七福神の一柱に数えられています。
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イチオシ
笑顔の寿老人のズームアップ光景です。酒を好み、頭の長い長寿の神とされます。寿老人の標準スタイルは、不死の霊薬を含んでいる瓢箪を運び、長寿と自然との調和のシンボルである牡鹿を従えています。手には、これも長寿のシンボルである不老長寿の桃を持っています。
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寿老人の立像があった付近の、『刈萱山・西光寺』の境内光景です。『善光寺七福神・寿老人』の赤い幟は、寿老人の場所を案内するように、複数建てられていました。
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イチオシ
『刈萱山・西光寺』の本堂のズームアップ光景です。法然の専修念仏停止事件に連座して越後に流されていた親鸞聖人が、建暦元年(1211年)、放免されて関東に向かう途路、善光寺を訪れ、兄弟弟子であった苅萱道心の寺(西光寺)に50日間逗留したとの伝承が残ってる古刹です。
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右から読んで、『刈萱山』の扁額の光景です。入口の立看板には、平仮名で『かるかや山』と山号が記してありました。
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本堂の前から眺めた、寿老人をお祀りした方面の光景です。その右奥には、地蔵尊が並んだ一角が見えました。
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『新四国・七十七番霊所』の文字が刻まれた石碑の光景です。新四国八十八箇所巡りは、日本各地にありますが、信濃や坂東で探してみたが見つかりませんでした。今は無くなった八十八箇所巡りかも知れません。
(追記)西光寺の境内案内には、『信濃新四国八十八箇所』と記してありました。サイドネット検索しましたが、有力な情報はヒットしませんでした。 -
一茶の句碑です。『小林一茶(1763~1828年)』は長野生まれ、江戸時代を代表する俳人で、本名は小林林弥太郎です。生前は単なる田舎俳諧としかみなされなかったようです。しかし明治時代になり、その強烈な自意識と鋭い洞察力を高く評価し、松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ俳人として広く世に紹介したのが正岡子規でした。一茶の自筆が刻まれた、貴重な句碑です。
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一茶の句碑の説明立札です。区碑に刻んであるのは、『花の世は仏の身さえ親子哉』の句でした。『刈萱堂一茶』の俳号も記してありました。別号は、圯橋、菊明、亜堂、雲外、一茶坊、二六庵、俳諧寺など様々残されています。
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『針塚』の石碑です。『伯爵・東郷平八郎書』の落款がありました。東郷平八郎は、幕末から明治時代の薩摩藩士で軍人です。最高階級は元帥海軍大将、位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵でした。『陸の乃木 海の東郷』、『アドミラル・トーゴー』、『東洋のネルソン』と英雄視され、各地の東郷神社に名を残しました。
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もう一度、本堂の前に戻っての撮影です。真後ろにビル光景がありましたので、中々いいアングルが探せませんでした。
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イチオシ
背後のビルが写らないような場所から撮影した、本堂の甍の光景です。苅萱道心が結んだ草庵は、歴代住職の手で整備されてきましたが、現在の本堂は、昭和13年(1938年)に建替えられた建物です。
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『園通殿』の扁額があった、小振りなお堂の光景です。『大師堂』とも呼ばれています。弘法大師をお祀りしているお堂で、苅萱親子とのご縁も深いお堂と紹介されていました。
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地元の植木屋さんが二脇の手入れをされていましたので、雑談しながら、いろいろと貴重な昔話をお聞きすることができました。
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柱がベンガラ色に塗られ、銅葺屋根の山門の光景です。もう暫く境内を散策しましたので、この門を潜るのは後にしました。
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2016秋、紅葉の善光寺・信濃巡り
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