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善光寺七福神巡りの五番目は、布袋様を祀るお店の玄関横の紹介です。つい、行き過ぎてしまい、後戻りしました。続いて、六番目の恵比須様を祀る西宮神社も紹介します。

2016秋、紅葉の善光寺・信濃巡り(6/13):10月24日(6):善光寺七福神巡り(6/7):布袋様を祀るお店の玄関横、恵比須様を祀る西宮神社

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2016/10/24 - 2016/10/25

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善光寺七福神巡りの五番目は、布袋様を祀るお店の玄関横の紹介です。つい、行き過ぎてしまい、後戻りしました。続いて、六番目の恵比須様を祀る西宮神社も紹介します。

交通手段
JR特急

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  • 『西本願寺長野別院』の参道入口の光景です。浄土真宗の宗派の一つで、浄土真宗本願寺派に属するお寺です。宗祖親鸞の墓所の『大谷廟堂』を発祥とする、『本願寺(西本願寺)』を本山とします。国内の仏教界の最大宗派です。立寄らずに、通り過ぎただけでした。

    『西本願寺長野別院』の参道入口の光景です。浄土真宗の宗派の一つで、浄土真宗本願寺派に属するお寺です。宗祖親鸞の墓所の『大谷廟堂』を発祥とする、『本願寺(西本願寺)』を本山とします。国内の仏教界の最大宗派です。立寄らずに、通り過ぎただけでした。

  • 風流な割竹の敷物の上に置かれていた、『ダイモンジソウ(大文字草』の鉢植です。薄いピンクの花の色でした。ユキノシタ科ユキノシタ属の多年草で、葉の色形、花の色形で、さまざまな種類があります。文字通り、『大』の字の花です。

    風流な割竹の敷物の上に置かれていた、『ダイモンジソウ(大文字草』の鉢植です。薄いピンクの花の色でした。ユキノシタ科ユキノシタ属の多年草で、葉の色形、花の色形で、さまざまな種類があります。文字通り、『大』の字の花です。

  • 『善光寺七福神』とは異なりますが、通り道で見かけた神社の紹介です。『熊野神社由緒』の立看板がありました。和歌山県の熊野三山が、御本社と紹介されていました。熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社です。

    『善光寺七福神』とは異なりますが、通り道で見かけた神社の紹介です。『熊野神社由緒』の立看板がありました。和歌山県の熊野三山が、御本社と紹介されていました。熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社です。

  • 『熊野神社』の拝殿光景です。祀られているのは、スサノオノミコトの別名の『家都美御子神(けつみこのかみ)』、イザナギノミコトの御子の『熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)』、イザナギノミコトの『熊野夫須美神(くまのふすみのかみ)』が祀られています。

    『熊野神社』の拝殿光景です。祀られているのは、スサノオノミコトの別名の『家都美御子神(けつみこのかみ)』、イザナギノミコトの御子の『熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)』、イザナギノミコトの『熊野夫須美神(くまのふすみのかみ)』が祀られています。

  • 『熊野神社』の拝殿のズームアップ光景です。『熊野神社』の文字が刻まれた石標も置かれていました。先ほどの三神は、それぞれ、家都美御子神は阿弥陀如来、熊野速玉男神は薬師如来、熊野夫須美神は千手観音とみなされています。

    『熊野神社』の拝殿のズームアップ光景です。『熊野神社』の文字が刻まれた石標も置かれていました。先ほどの三神は、それぞれ、家都美御子神は阿弥陀如来、熊野速玉男神は薬師如来、熊野夫須美神は千手観音とみなされています。

  • 『熊野神社』の拝殿の軒下に飾られた彫刻の紹介です。正面を見据えた雲龍図の彫刻です。目や口の部分に彩色がありました。

    『熊野神社』の拝殿の軒下に飾られた彫刻の紹介です。正面を見据えた雲龍図の彫刻です。目や口の部分に彩色がありました。

  • お子さん向けの施設でしょうか、『忍者大門』の表札が懸かった建物の入口光景です。右手前の提灯には、『チビッコ忍者村・忍者大門』の文字がありました。HPでは、『忍者をテーマに遊ぶ・食べる・ショッピングができるお店』と粗油買いされていました。<br />

    お子さん向けの施設でしょうか、『忍者大門』の表札が懸かった建物の入口光景です。右手前の提灯には、『チビッコ忍者村・忍者大門』の文字がありました。HPでは、『忍者をテーマに遊ぶ・食べる・ショッピングができるお店』と粗油買いされていました。

  • 黒い本瓦の屋根と、白塗りのカベで統一された街並み光景です。二階建ての高さで揃えてありましたが、屋根に段差があるのは、善光寺に向かって、長い登坂になっているためでした。善光寺の門前町として、景観修復工事が行われいているようでした。

    イチオシ

    黒い本瓦の屋根と、白塗りのカベで統一された街並み光景です。二階建ての高さで揃えてありましたが、屋根に段差があるのは、善光寺に向かって、長い登坂になっているためでした。善光寺の門前町として、景観修復工事が行われいているようでした。

  • 善光寺・表参道の途中にあった信号機です。今晩宿泊する宿坊や、最後の七福神の『毘沙門天』はこの信号の北側ですが、どうやら五番目の『布袋様』の場所を見過ごしてしまったようです。六番目の『恵比寿様』もこの信号機の南側になるようでした。<br />

    善光寺・表参道の途中にあった信号機です。今晩宿泊する宿坊や、最後の七福神の『毘沙門天』はこの信号の北側ですが、どうやら五番目の『布袋様』の場所を見過ごしてしまったようです。六番目の『恵比寿様』もこの信号機の南側になるようでした。

  • 歩道の脇に置かれていた、『善光寺・表参道・大門町』の石碑の光景です。『都市景観大賞』、『第10回長野市景観賞受賞作品』、『1997年度・北陸建築文化賞』や『手づくり郷土賞』などの受賞プレートが並んでいました。

    歩道の脇に置かれていた、『善光寺・表参道・大門町』の石碑の光景です。『都市景観大賞』、『第10回長野市景観賞受賞作品』、『1997年度・北陸建築文化賞』や『手づくり郷土賞』などの受賞プレートが並んでいました。

  • 南に向かって、引き返す途中の街並み紹介です。参道の東側の街並みになります。赤レンガ造りのクラシックな建物を利用した喫茶兼レストランの建物光景です。『楽茶・れんが館』の看板がありました。

    南に向かって、引き返す途中の街並み紹介です。参道の東側の街並みになります。赤レンガ造りのクラシックな建物を利用した喫茶兼レストランの建物光景です。『楽茶・れんが館』の看板がありました。

  • 見落として、善光寺の参道入口付近まで行き、引き返して見学した、善光寺七福神巡りの五番目、『布袋様』の案内看板です。布袋様について、『お腹が大きい福々しいお姿で、肩に大きな袋を背負っている』と紹介されていました。唐末の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧です。

    見落として、善光寺の参道入口付近まで行き、引き返して見学した、善光寺七福神巡りの五番目、『布袋様』の案内看板です。布袋様について、『お腹が大きい福々しいお姿で、肩に大きな袋を背負っている』と紹介されていました。唐末の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧です。

  • 布袋像は、戦艦大和の最後の艦長だった、有賀中将(戦死持は大佐)の長野県の実家に置かれていたものとされます。有賀中将は、豪放大胆な性格で、戦上手な指揮官として部下からの信頼も厚い人物として回顧されています。

    イチオシ

    布袋像は、戦艦大和の最後の艦長だった、有賀中将(戦死持は大佐)の長野県の実家に置かれていたものとされます。有賀中将は、豪放大胆な性格で、戦上手な指揮官として部下からの信頼も厚い人物として回顧されています。

  • 有賀中将の政界に置かれていた布袋様は、ガラス戸の中でしたが、外にも小さな布袋様場祀ってありました。その壁際の光景です。

    有賀中将の政界に置かれていた布袋様は、ガラス戸の中でしたが、外にも小さな布袋様場祀ってありました。その壁際の光景です。

  • 善光寺七福神巡りの第五番目の『布袋様』の参拝の後、次に向かったのは六番目の『恵比須様を祀る西宮神社です。善光寺参道からは、東に外れた位置にありました。その途中の赤レンガ造りのクラシックな建物光景です。

    善光寺七福神巡りの第五番目の『布袋様』の参拝の後、次に向かったのは六番目の『恵比須様を祀る西宮神社です。善光寺参道からは、東に外れた位置にありました。その途中の赤レンガ造りのクラシックな建物光景です。

  • クラシックな赤レンガ造りの建物の正面光景です。年代を経た建物のようでしたが、年入りなメンテナンスが施されていました。

    クラシックな赤レンガ造りの建物の正面光景です。年代を経た建物のようでしたが、年入りなメンテナンスが施されていました。

  • 六番目の『恵比須様を祀る西宮神社に向かう途中の光景が続きます。多くの宿坊が立ち並ぶ、北側方面の街並み光景です。塀の角に、『善光寺山門揺らし蝉時雨』らしい句碑がありましたが、『山門』のあとの三文字が読み取れませんでした。

    六番目の『恵比須様を祀る西宮神社に向かう途中の光景が続きます。多くの宿坊が立ち並ぶ、北側方面の街並み光景です。塀の角に、『善光寺山門揺らし蝉時雨』らしい句碑がありましたが、『山門』のあとの三文字が読み取れませんでした。

  • 同じく、六番目の『恵比須様』を祀る西宮神社に向かう途中の光景です。東西の通りの北側の光景になります。駐車場を確保するのが難しい区域のようでした。

    同じく、六番目の『恵比須様』を祀る西宮神社に向かう途中の光景です。東西の通りの北側の光景になります。駐車場を確保するのが難しい区域のようでした。

  • 東西の通りの突き当りに、鳥居が見えて来ました。左手には、六番目の『恵比須様』を祀る『長野のえびすさん・西宮神社』の看板もみえて来ました。目的地に到着です。

    東西の通りの突き当りに、鳥居が見えて来ました。左手には、六番目の『恵比須様』を祀る『長野のえびすさん・西宮神社』の看板もみえて来ました。目的地に到着です。

  • 善光寺七福神巡りの六番目、『恵比須様』の説明立て看板です。様式はこれまでの5箇所と同様でした。説明文を拾い読みしますと、『右手に釣竿、左手に鯛を抱えた、七福神では日本で唯一の神』と紹介されていました。

    善光寺七福神巡りの六番目、『恵比須様』の説明立て看板です。様式はこれまでの5箇所と同様でした。説明文を拾い読みしますと、『右手に釣竿、左手に鯛を抱えた、七福神では日本で唯一の神』と紹介されていました。

  • 西宮神社の手水舎の光景です。水盤には蓋がされ、水の注ぎ口も見当たりませんでした。その左に石段が見えましたから、そちらの入口がかつての表参道のようでした。

    西宮神社の手水舎の光景です。水盤には蓋がされ、水の注ぎ口も見当たりませんでした。その左に石段が見えましたから、そちらの入口がかつての表参道のようでした。

  • 正面から眺めた、西宮神社の拝殿光景です。『およべっさん』の名で親しまれる、寛文3年(1663年)の勧請と伝えられる神社です。恵比須の宮として、長野県下で最も古い神社と紹介されていました。

    イチオシ

    正面から眺めた、西宮神社の拝殿光景です。『およべっさん』の名で親しまれる、寛文3年(1663年)の勧請と伝えられる神社です。恵比須の宮として、長野県下で最も古い神社と紹介されていました。

  • 左斜め前から眺めた、西宮神社の拝殿光景です。商売繁盛、家内安全、除災開運、五穀豊穣の神様と紹介されていました。総本社は、兵庫県の西宮市にある西宮神社です。

    左斜め前から眺めた、西宮神社の拝殿光景です。商売繁盛、家内安全、除災開運、五穀豊穣の神様と紹介されていました。総本社は、兵庫県の西宮市にある西宮神社です。

  • 複雑な形と窪みが設けられた石碑の光景です。注連縄も張ってありました。上の文字は注連縄に隠れてしまいましたが、下の三文字は『大権現』でした。

    複雑な形と窪みが設けられた石碑の光景です。注連縄も張ってありました。上の文字は注連縄に隠れてしまいましたが、下の三文字は『大権現』でした。

  • 西宮神社の掲示板の光景です。右側には、初えびすで賑わう境内の写真や、えびす講と、その時に披露された江戸里神楽の写真が左の方に紹介されていました。

    西宮神社の掲示板の光景です。右側には、初えびすで賑わう境内の写真や、えびす講と、その時に披露された江戸里神楽の写真が左の方に紹介されていました。

  • 左手前方に見えるのは、伏見稲荷大社の末社の『豊田稲荷神社』の赤い社の光景です。『起業稲荷社』と呼ばれて、商工業関係者の方の信仰が篤いようです。

    左手前方に見えるのは、伏見稲荷大社の末社の『豊田稲荷神社』の赤い社の光景です。『起業稲荷社』と呼ばれて、商工業関係者の方の信仰が篤いようです。

  • 境内末社の『豊田稲荷社』と、その周りの光景です。その名前の由来を調べてみましたが、判然としませんでした。伏見稲荷代謝は、旧社格が官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社です。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域としています。

    境内末社の『豊田稲荷社』と、その周りの光景です。その名前の由来を調べてみましたが、判然としませんでした。伏見稲荷代謝は、旧社格が官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社です。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域としています。

  • 更にズームアップした、『豊田稲荷社』の朱塗りの建物光景です。格子戸のの先に、白い狐像など卯が見えました。稲荷社のお使いとされる動物です。

    更にズームアップした、『豊田稲荷社』の朱塗りの建物光景です。格子戸のの先に、白い狐像など卯が見えました。稲荷社のお使いとされる動物です。

  • 六番目の『布袋様』の見学を終え、残すところは、あがりの『毘沙門天』だけになりました。その途中の光景です。この大きな建物は、すでに善行寺です。

    六番目の『布袋様』の見学を終え、残すところは、あがりの『毘沙門天』だけになりました。その途中の光景です。この大きな建物は、すでに善行寺です。

  • 同じく、土塀越しに眺めた、善光寺の堂宇の甍光景です。土塀脇には、クラシックなデザインの柵が立ち並び、松並木と石碑が囲われていました。石碑の上の四文字は、『長井雲坪』のようでした。『長井雲坪(ながい・うんへい:1833~1899年)は、越後に生まれ、清朝の中国に渡り、帰国後は戸隠に棲み、信州南画の第一人者と呼ばれました。

    同じく、土塀越しに眺めた、善光寺の堂宇の甍光景です。土塀脇には、クラシックなデザインの柵が立ち並び、松並木と石碑が囲われていました。石碑の上の四文字は、『長井雲坪』のようでした。『長井雲坪(ながい・うんへい:1833~1899年)は、越後に生まれ、清朝の中国に渡り、帰国後は戸隠に棲み、信州南画の第一人者と呼ばれました。

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