2016/10/24 - 2016/10/25
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旅人のくまさんさん
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色々と見所があった、寿老人を祀る西光寺の紹介の続きです。『絵解き』で語り継がれている、苅萱上人と石堂丸所縁のお寺です。親鸞聖人や俳人の小林一茶にも縁が深いお寺です。(ウィキペディア、長野駅発・善光寺七福神めぐり)
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三番目の文字が読み取れませんでしたが、『建立●然』の文字が刻まれた石碑の光景です。本堂の再建の時の記念碑当たりでしょうか、西光寺の境内案内にも記載されていませんでした。
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本堂の鬼瓦のズームアップ光景です。経の巻の屋根飾りが載っていました。この本堂は明治時代に再建されたものですが、その前の本堂は、徳川幕府の天下普請により宝永4年(1707年)に完成した善光寺の本堂落成後、善光寺仮堂が寄贈され、西光寺の本堂となりました。
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イチオシ
出家した父の『苅萱道心』と、父を訪ねてやってきた子の『石堂丸』のブロンズ像です。絵解きの物語、『苅萱道心石童丸御親子御絵伝』では、石童丸がわが子であると知りますが、今は仏に捧げた身のため、名乗ることは出来ません。『尋ねし父は、既にこの世にない』と石童丸に告げ、山を下りるよう論します。山を下りてみると、母は、長旅の疲れからもはや帰らぬ人となっていました。悲嘆にくれ、国に帰れば、姉千代鶴姫も亡くなっていました。
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『苅萱道心』と『石童丸』の親子の物語をもう少し紹介します。石童丸は、再び高野山に登り、苅萱上人を父と確信しつつも、師僧と仰いで弟子となり、『信照坊道念』と名乗り、34年間ともに修行されました。ある日、苅萱道心は、善光寺如来に導かれて信濃の地に下り、草庵(今日の苅萱山西光寺)を営み、日々善光寺に参龍なさること14年、一刀三礼の地蔵尊を刻まれ、83歳で大往生を遂げられました。道念は、父苅萱が亡くなったことを悟り、西光寺へ二代目として移り住みました。自身も一刀三礼の地蔵尊を刻み、苅萱道心入寂2年後に63歳で往生されました。
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『信徒総代』で始まる、昭和15年(1940年)の石碑です。西光寺の主な年表には記載されていませんが、当時の信徒達による堂宇などの修復工事の完成を記した石碑のようでした。『苅萱道心』とその子の『信照坊道念』が刻んだ二体の地蔵尊は、今もっ西光寺の寺宝として大切に守り継がれています。
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『刈萱上人』、その子の『石堂丸』や、母の『千里御前』の墓が並ぶ一角の光景です。雨除けの真新しい屋根覆いができていました。
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『刈萱上人之墓』のタイトルの立看板の光景です。子の石堂丸が父の菩提を弔うために建てた九重塔が、江戸時代の弘化4年(1847年)の善光寺大地震の被害を受け、五重塔になったことが紹介されていました。
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イチオシ
『苅萱上人』の墓の五重塔の光景です。先ほど紹介したように、元々は九重塔でした。地震被害だけでなく、随分と風化した痕が残る石塔でした。苅萱道心は、高野山を下りて信州の善光寺に向かい、その傍に草庵を結んで地蔵菩薩の像を彫り、建保2年(1214年)に亡くなったとされます。その草庵が西光寺のようです。
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『苅萱上人』の墓の五重塔のズームアップ光景です。苅萱道心が亡くなった時に建てられた九重石塔とすれば、800年を経過したことになります。この風化の状態は、その年月を物語っているようでした。
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イチオシ
『石堂丸之墓』の九重石塔です。こちらは地震被害を受けていませんでした。『信照坊道念(幼名石童丸』)が亡くなったのは、建保4年(1216年)、63歳の時とされますから、父の『苅萱上人』とほぼ同じ頃です。それにしては、二つの石塔の風化の具合が明らかに異なります。こちらだけ、屋根の下にあったと考えるのも、少し不自然な感じがしました。
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『石堂丸の墓』のズームアップ光景です。石の角に鋭角な部分が残され、800年を経過した石塔とは信じられない感じがしました。後年、父の墓に合わせた九重石塔が建てられたと、想定してみたくなります。
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境内の片隅に置かれていた、記念撮影用のパネルです。右がかるかや承認、左が石堂丸です。親子揃って、顔を覗かせての記念撮影です。
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地元の植木屋さんが手入れをされていた庭木の1本です。『エンジュ(槐)』の古木のようでした。長い梯子でも間に合わないような大木でした。
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『善光寺七福神・寿老人』のタイトルがあった説明看板です。説明文の左手には、観光案内所で入した『善光寺表参道マップ』と全く同じ頭がが表示してありました。民ポを護る神のため、七福神の中でも一番南に位置すると紹介されていました。そのブロンズ像は先に紹介済みです。
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地面に木の枝が散らばっているのは、地元の庭資産が入って手入れをされていたためです。色々と西光寺を巡っての雑談をさせて戴きました。
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『観光案内記」のタイトルで、『刈萱山(浄土宗)』の説明がされていた説明看板です。刈萱山・西光寺の縁起と、境内の『大蛇と小蛇』の話に絞って説明されていました。
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西光寺本堂の屋根飾りのズームアップ光景です。既に紹介しましたが、バックの建物がどうしても視野に入ってしまいます。
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外から眺めた、西光寺の祭壇光景です。御本尊は、開祖の苅萱道心と、その子の信照坊道念上人(幼名石童丸)が刻んだ、二体の親子地蔵尊です。
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西光寺本堂の軒下のズームアップ光景です。木組みの様子を見ることができました。本堂の中央付近から、南側方面を眺めた光景です。
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同じく、西光寺本堂の軒下のズームアップ光景です。中央付近から北側方面を眺めた光景です。防腐処置はしてあるかも知れませんが、彩色は全く見当たりませんでした。
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『苅萱山』の金文字が記され扁額と、その前の鰐口の光景です。神社では鈴と呼ばれますが、折れたでは平べったい鈴はその形から、鰐口と呼ばれています。
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地蔵尊が置かれたエリアの光景です。こちらの方面には、小山田平太夫の墓があると、西光寺の境内案内に記されていました。真田藩の幸道公の時代に、火事で焼失した善光寺本堂を、幕府の命で真田藩が再建することになり、その時の惣奉行だったのが家老の小山田平太夫です。
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天保2年(1831年)から始まった善光寺本堂建立の話題を続けます。造営奉行で松代藩の家老だった小山田平太夫は、西光寺に滞在して大事業に取り組みました。完成したのは、宝永4年(1707年)のことです。
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本堂に隣接した、北側の建物光景です。外壁を漆喰で塗り固めたような造りでした。庫裏は本堂の南側にありましたから、こちらには客室が設けられているかも知れません。
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半分日陰になって読みずらくなりましたが、『南無阿弥陀仏』の文字が刻まれた、女性の方(信女)の50回忌の慰霊碑でした。
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風変わりな外観の石碑に刻まれた、線刻の不動明王像のズームアップ光景です。その像の左脇に、除災照福や、平和将来の文字が刻まれていました。
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本堂の北側から眺めた、境内の光景です。苅萱親子の九重塔の後ろ姿や、その手前には、地蔵尊の横顔が見えていました。
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この光景も、一度紹介済みですが、再紹介です。少し前のネット写真では、苅萱上人の石塔の上にだけ、小さな雨覆いの屋根がありました。
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雑談をしていた地元の植木屋さんから教えて戴いた、地元で名が通っているらしい石彫師が刻んだ石碑の光景です。名を挙げ、財を成した人たちからの寄進の石標のようです。この石標には、『当国更級郡稲里村大字中水地・清水茂十郎』の名前が刻まれていました。
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地元の植木屋さんに教えられた、もう一つ石標を紹介します。こちらは名を挙げた人になります。こちらには、『上内水郡柳原村・小坂善之助』の名前が刻まれていました。外務大臣などを務めた、『小坂善太郎(1912~2000年)』氏の祖父に当たる人です。善太郎氏の子の文科大臣を務めた小坂憲次(1946~2016年)は、今月亡くなりました。
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