2016/10/24 - 2016/10/25
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旅人のくまさんさん
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紅葉の頃の善光寺参りと信濃散策です。僧房の宿に泊まって、早朝の勤行に参加させて戴きました。その後に戒壇巡りをしましたが、久し振りでした。宿坊での朝の精進料理も堪能できました。善光寺の内陣での撮影は禁止でした。(ウィキペディア、善光寺公式サイト)
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宿坊での精進料理の朝食です。泊まった宿坊は、南西エリアにある『淵之坊(ふちのぼう)』でした。品数は豊富、味付けもさすがでした。見た目や食感にも工夫が凝らされていました。
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広間に懸けてあった『淵之坊』の書の額縁です。落款がありましたが、達筆過ぎて読み取れませんでした。淵之坊か、あるいは善光寺の歴代の住職の揮毫かも知れません。
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朝食の時に若いお坊さんから絵解きをしていただいた、善光寺の縁起などに関する絵解きです。長野市の指定文化財の絵がそのまま披露されていました。善光寺信仰を広めるのに、大きな役割を果たしたのが『善光寺如来絵伝』です。絵伝は善光寺聖(ひじり)によって全国各地で絵解きが行われました。その結果、善光寺信仰は全国に広まったとされます。平成27年(2015年)2月に文化財に登録されました。
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イチオシ
『善光寺如来絵伝第一幅』の紹介です。長野市のHPから紹介する解説です。三幅の絵伝は、『天竺、百済、日本と三国伝来の善光寺如来の縁起説話を絵画化した掛幅絵で、善光寺信仰の布教や絵解きに用いられたものです』と紹介され、『各幅の絹継ぎの面ごとに傷みの情況が異なることから、三つ折にして丸めて携行したことが窺われ、単に絵画資料ということだけでなく、善光寺信仰に関わる側面をも実証的に伝えていることは本絵伝の価値を重層的に高めている』とも紹介されていました。また、第一幅は、上部に須弥山(しゅみせん)が描かれています。古代インドの世界観の中で中心に聳える山のことです。
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『善光寺如来絵伝第二幅』の紹介です。同じく長野市のHPでは三幅の絵伝について、『本絵伝に描かれる人物や建物は、親しみやすさを感じさせる表現となっています。伝統的な説話画にみられる大和絵様式とは異なり、筆致、彩色等の点から奈良絵風と評される新しい様式の作品で、絵画史の上でも変革期における作品と位置づけられています。庶民の信仰心を促す縁起絵などにふさわしいものとして受容されたものと考えられています』と解説されていました。『第二幅』では、中央右手に網で引き上げられる一光三尊仏が描かれています。
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『善光寺如来絵伝第三幅』の紹介です。下段に善光寺、五重の塔や門前の施しの様子などが詳細に描かれています。中世における善光寺如来に関わる絵伝は、現在、全国で9点が知られています。そのうちの1点がこの絵伝です。長野市のデータベースには、室町時代(1336~1573年)の作と表示されていました。
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床の間に飾られた活け花の光景です。赤、緑、黄色の三色の配色でした。赤色は木の実、緑は笹のような葉、黄色は蘭のデンファーレらしい花でした。
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活け花以外には、掛軸と色紙額、それにブロンズのミミズクの像置物の光景です。掛軸は般若心経、色紙額には、『百聞不如一見(百聞は一見に如かず)』の文字が記されていました。『般若心経(はんにゃしんぎょう)』の正式名称は、『般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)』、大乗仏教の空・般若思想を説いた経典です。日本の仏教各派の内、法相宗・天台宗・真言宗・禅宗が般若心経を使用し、その宗派独特の解釈を行っています。
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写実的な姿のような、木造の人物立像です。左手に巻物がありました。『淵之坊』の方にお尋ねしてみましたが、作者名も、人物名も分かりませんでした。
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名脇役の笹野高史さんによく似た感じの人形です。木彫ではなく、塑像でしょうか、手に売れた柿を持った姿です。この像も。『淵之坊』の方にお尋ねしてみましたが、作者名も、人物名も分かりませんでした。江戸時代の笹野さんと言ったところでしょうか。
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『淵之坊』の売店で販売されていた、『縁起堂淵之坊本善光寺如来絵伝』のタイトルがあった解説書です。見本が置いてありましたが、豊富な写真を交えた、三幅の縁起絵の本格的な解説書でした。
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『淵之坊』の玄関近くにあった売店の光景です。ここでは信州蕎麦用の一味唐辛子を購入しました。背後の能衣装の日本画には、『正賢』の落款がありました。ネット検索で探した作家は、能画家の飯塚正賢(いいずか・まさかた:1898~1989年)氏のようでした。東京美術学校に学び、宮内省御用掛、文展審査員、芸術院会員だった人です。
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『淵之坊』の玄関先に置かれていた白牛の衝立です。作品名は分かりませんでしたが、『牛に引かれて善光寺参り』を連想させてくれました。ことわざ辞典の一つには、『牛に引かれて善光寺参りとは、思いがけず他人に連れられて、ある場所へ出掛けること。また、他人の誘いや思いがけない偶然で、よい方面に導かれることのたとえ』と解説してありました。
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昨日の午後には、光線の具合で、うまく撮影できなかった仁王像の撮影の再チャレンジです。昨日に比べれば、多少、表情なども撮影できましたが、イマイチでした。山門に向かって、左側に置かれた阿形の仁王像です。左手に金剛杵を持った姿です。
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同じく、イマイチか、イマニの撮影になってしまった、山門に向かって右側に置かれた、吽形の仁王像です。左手を振り上げ、右手をまっすぐのばした姿です。この二体は、巨匠である高村光雲と米原雲海の合作による彫刻です。高村光雲(1852~1934年)は、仏師で彫刻家です。明治26年(1893年)のシカゴ万博に出品された『老猿』は、国の重要文化財に指定されています。米原雲海(1869~1925年)は、光雲に学んだ彫刻家です。1907年平櫛田中(1872~1979年)らと日本彫刻会を興し、日本伝統の木彫の発展に尽力しました。
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振り返って眺めた、仁王門の光景です。今日は長野の友達の車に便乗させて貰い、長野市近郊の名所巡りです。川中島古戦場址、松代城址と川中島が見渡せる妻女山の3箇所をお願いしました、まずは善光寺の再度の見学です。
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参道の正面に見えてきた善光寺の山門(三門)の光景です。寛延3年(1750年)に完成し、平成19年(2007年)に修復工事がなされた建物です。平成の修復工事の時に確認されたことですが、江戸時代から昭和に至るまでの参拝者による落書きが多数残されていました。
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参道の西側になる、左手にあった赤い橋と堂宇の光景です。善光寺境内に位置する、『大勧進』の堂宇です。善光寺自体は無宗派ですが、大勧進の宗派は天台宗、大本願の宗派は浄土宗です。
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イチオシ
昨日も紹介した、善光寺の山門(三門)光景です。国の重要文化財の建物です。扁額に記された5羽の鳩を巡って、同行のみんなで鳩探しをしました。内部には、四国八十八箇所の各寺院の本尊の代像が安置されています。
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参道脇にあった、手水舎の光景です。善光寺は宗派を問わないお寺ですから、かつては、一遍、親鸞、重源、良寛といった、様々な宗派の名僧が参拝しています。
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山門(三門)を潜る時に、右手にあった衝立の様な光景です。『鳩字額絵馬専用・絵馬掛』の表示がありました。中央の善光寺の文字をまじかに見ても、やはり五羽目の鳩を探すのは大変です。『寺』の文字の最後の『点』が鳩になっているようです。ネット情報では、近くの信号機の『善光寺』の表示の方が分かりやすいと、紹介していました。いずれも漢字の点に当たる所です。また、善の文字全体が、牛の顔をしているようです。
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山門(三門)から眺めた、善光寺の本堂光景です。高さ約27メートル、間口約24メートル、奥行約53メートルの大きさです。国宝に指定されている木造建築の中では、3番目に大きいとされますが、その基準が難しいところです。一番大きい国宝の建物は奈良の東大寺です。
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イチオシ
善光寺本堂の正面光景です。建物は『撞木造り』と呼ばれる屋根を持っています。これは入母屋造りの屋根をTの字に組み合わせた構造で、江戸時代に甲良宗賀が設計・再建築したものとされます。国宝の建物です。
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『仏足石』の大きな文字が刻まれた石碑の光景です。『仏所遊厦国邑丘聚』で始まり、『災励不起国豊民安』で締め括られていました。冒頭以外は、一年の始めに修める法会で説かれる、『無量寿経』の一節のようです。
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『仏足石』のレリーフです。『仏足石(ぶっそくせき)』は、釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたもので、古くは紀元前4世紀頃から始まったようです。仏足石は釈迦のものとは限らず、ヒンドゥー教のシバ神の足跡も信仰の対象とされています。
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軒下からしたが、すべて真っ赤に塗られた門の光景です。扁額は見当たりませんでした。その背後の敷地内に、ナマコ壁が見えていました。
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お墓の上に建てられた『延命地蔵尊』の社の光景です。台座になったお墓には、『安藤祐三郎』らしい名前がありました。台座には、登り藤の紋がありました。
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少し離れた場所から眺めた本堂の光景です。朝のお勤めの時には、この建物の戒壇巡りをしました。その距離は45メートル程とされますが、真っ暗な中ですから、実際よりも長い距離に感じます。ご本尊の下に掛かる極楽の錠前に触れて、ご本尊と結縁を果たすための道場とされます。
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善光寺境内の松に庭木の光景です。見事な枝振りの黒松林でした。その宿受胎の縁には石灯篭が置かれていました。
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左端に見える赤い橋は、昨日も紹介した、『大勧進』の東側に架かる橋です。
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