2016/04/25 - 2016/04/25
537位(同エリア1478件中)
susuさん
去年のGW旅行で春のヨーロッパに魅了されて、個人的には過去最速の出発10ヶ月前に航空券を手配しました。初めはバルト三国+フィンランドくらいを予定していたんですが、今年のGWは少し多めに有給をとれば半月休める日程だったので、ここぞとばかりに欲張りまくりました。
スカンジナビア航空 コペンハーゲン経由ヘルシンキINワルシャワOUT…91,930円
元々はヘルシンキ深夜到着ワルシャワ早朝出発の予定だったんですが、11月に旅行会社からコペンハーゲン以遠の2便運休の連絡があり、都合良くマイルドな時間帯の便に変更になりました。
しかし喜んだのも束の間、1月にはさらにワルシャワ→コペンハーゲンの土曜便が運休となり日程が1日短くなってしまいました。日付指定のベラルーシビザを取得した後だったので、ワルシャワ滞在を1泊減らすはめに。
4/23(土) 成田→ヘルシンキ
4/24(日) ヘルシンキ→タリン
4/25(月) タリン
4/26(火) タリン→リガ
4/27(水) リガ
4/28(木) リガ→シャウレイ
4/29(金) シャウレイ→カウナス
4/30(土) カウナス→ヴィリニュス→トゥラカイ→ヴィリニュス
5/01(日) ヴィリニュス
5/02(月) ヴィリニュス→ミンスク→キエフへ
5/03(火) キエフ
5/04(水) キエフ→ワルシャワへ
5/05(木) ワルシャワ
5/06(金) ワルシャワ→コペンハーゲン→成田へ
5/07(土) 成田
フェリーと国際バスは事前に手配しましたが、国内バスと国際列車は出来なかったので現地で手配します。
ヘルシンキ→タリン(TALLINK SILJA LINE)…36EUR(4,698円)
タリン→リガ(ECOLINES)…7EUR(904円)
リガ→シャウレイ(ollex)…11.50EUR(1,489円)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ぐっすり眠って6:30に目が覚めました。相当汚れている部屋の窓越しには空が晴れているように見えましたが、7:30頃朝食に行ったら雨が降っていました。路上の水たまりを見るにそこそこ本降りのようだけど、こっちの人ってあんまり傘を差さないんだな。風もちょっと吹いてるっぽい。
がっかりしながら朝食。薄味のマカロニが妙に美味しかったです。ホクホクのジャガイモも。
バルトのソウルフードだという焦げ茶色のライ麦パンはほんのり酸味があり、しっとりしつつもボソボソボロボロしていて不思議な食感。個人的にはあんまり口に合いませんでした。
すぐに出掛けるつもりでしたが、タリンの見所は天気が良い時に行きたい所ばかりなので一旦部屋へ。空がちょっとずつ明るくなってきてる気もする。唯一内部を見たい聖ニコラス教会は10時オープンだし、食休み。 -
と思ったけど結局8:20には出掛けました。雨は降ったり止んだり、時折青空もチラリと見えます。
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迷った末に、タリンではウヒスカールト(チャージ式プリペイドカード、私は交通機関乗り放題券として使うつもりだった)を買わずに徒歩で過ごすことにしました。明日の長距離バスターミナルへの移動時にトラムを使いたかったんですが、今日と明日の2日間利用(1日券×2)は3日券よりも高いし、そもそもキオスク自体がどこにも見当たらないし、ホテルからバスターミナルはまあ歩けない距離ではないですしね。
旧市街までも歩ける距離。一本道で頻繁にトラムやバスが行き交うので、わざわざ歩くのが億劫にはなりますが。1回乗車券1.60EURもあるけどまあ節約。 -
ホテルから歩くこと10分程で旧市街が見えてきました。
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さらに5分程歩いて旧市街の端らしき部分に到達。鳩の形の車止め。
ここがどこだか分かりませんでしたが、今地図を確認するとヴィル門に行き当たる通りの一本北、Vana-Viru通りのようです。奥にヴィル門のとんがり屋根が見えている。 -
まっすぐ進むと旧市街らしい石畳の通りに出ました。ここはウース通り。とりあえずふとっちょマルガレータを目指して北へ向かいます。
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朝なので人通りがなくお店も開店していませんが、観光客向けの土産物店や怪しい骨董品屋(黒魔術的なアイテムばっかり)等のショーケースを眺めながら歩きました。
こちらの写真館では、中世の衣装を着て写真が撮れるようです。 -
あれ?リトアニア国旗…と思ったらリトアニア大使館だ。可愛い建物!
タリン旧市街には各国の大使館・領事館がやたら沢山ありました。首都だから当然なのかもしれませんが、私が歩き回った範囲だけで10軒くらい見た気がする。こんな密度で見たことない! -
ウース通りを15分程のんびり北上すると、芝生の公園に辿り着きました。
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階段で丘に上ると、芝生の先に新市街と市民ホール港らしき港が見えました。
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丘の上には何やら石碑のようなものがありました。
1994年9月28日にバルト海で沈没したクルーズフェリー エストニア号のモニュメントで、犠牲となった852人の名前が刻まれているそうです。 -
左手に見えたこれがふとっちょマルガレータか、思ったよりは縦に長い。なんか闘技場くらいの平べったさを想像していました。
旧市街の海の玄関口を守るために1529年に建てられた砲塔で、高さ20m、直径24m、壁の厚さは4.7m。かつてはこの目の前までが海だったそうです。
バルト海からの脅威が去り砲塔として使われなくなった18世紀以降は倉庫、兵舎、監獄として使われ、監獄で囚人の食事を切り盛りしていた人気者のおかみさんの名前を由来としてこんな変わった名前が付いているらしい。
1917年のロシア革命の際に火災が起き、以降60年間廃墟として放置された後に修復され、現在は海洋博物館となっているそうです。 -
マルガレータ…ついマルゲリータと言ってしまう。
その横にあるこれがスール・ランナ門。太っちょマルガレータと同時に造られた門で、タリンに現存する唯一の城門です。
ちなみに門の向こう右側に旗だけ見えているのが三人姉妹(スリーシスターズ)という観光スポットでもあるホテル。私としたことが完全にスルーしてしまって写真がありません。 -
と思ったら脇の入口だけ撮ってた!(笑)いやー可愛い色使いなんだもん。
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とにかくその時は何も気付かずにピック通りを南下していました。
間もなく右手に現れたのは、鉄柵に囲まれた聖オレフ(オレヴィステ)教会。旧市街で最も高い建物で、塔からの眺めが素晴らしいことで有名な教会です。
ピック通りに面しているのは裏手で入口は反対側にありますが、そういえばと思い鉄格子の向こうへ目を凝らすと、目当てのものがすぐに見つかりました。 -
石になったオレフ。この教会には胸糞の悪い伝説が残っています。
オレフというのはこの教会を建てた巨人です。オレフは教会の建設費用として莫大な報酬を市民に要求しましたが、もし教会を建て終わる前に彼の名前が分かったら報酬は1ペニーでいいと約束しました。市民達は手を尽くして彼の名を探り、ついに彼の家を突きとめて彼の妻が歌う子守唄から名前を聞き出します。
教会がほぼ完成し、あとは十字架を付けるのみという所で、市民達は塔の上で作業をするオレフに向かって名前を叫びました。ショックを受けたオレフは足を踏み外して塔から落ち、そのまま石になってしまいました。憐れんだ市民がこの教会にオレフの名前を付けました、おしまい。
敢えてそんなタイミングで名前を叫んだ市民は短慮で性格が悪い。自分達のしたことがそこまでの結果になるとは思わなかったんだろうな…。
しかし本当は、この教会に祀られているノルウェーの聖王オーラヴ2世が名前の由来らしいです。あーフィクションで良かった。 -
可愛い看板。
ピック通りは『長い通り』という意味だそうです。その名の通り、港から旧市街の中心まで800mも続いているそう。 -
地図によるとこの通り沿いに『ブラックヘッドの会館』という建物があるらしい。ブラックヘッドの会館といえばリガにある建物が有名だけどタリンにもあるのか、全然知らなかったと思いつつ何度も往復して探しましたが、結局見つかりませんでした。
後から歩き方を見直したら、最初の頃に「わー可愛いドア!」と思って知らずに撮ったこの建物がそれでした。あるある。タリン唯一のルネッサンス建築だそうですが、はっきり言ってドア以外はあまり目立たない外観です。というか隣のスウェーデン大使館が目立っていてですね…存在感が…。
この会館を利用していたのは1399年に組織された『ブラックヘッドの友愛会』という社交団体。外国人や未婚の若い商人が、ギルド(商工業者の間で結成される各種の職業別組合)に加入するための準備期間を過ごしていた組織だそうです。ブラックヘッドの名前の由来は、守護聖人マリティウス(エチオピア人)の肌の色から。 -
歩いていると、ピンクのショーケースの中でおもちゃの機関車が走っているお店を発見!なんて可愛いんだろうと近付いてよく見てみると、ガラスに「タリン最古のカフェ、1864年」と英語で書いてある。ああここ他の方の旅行記で見た!もう一つのショーケースにはエストニア語の同じ文章と、ゴンドラの代わりにカップが乗った観覧車が回っています。
お店の名前はマイアスモック(Maiasmokk)。店内のショーケースには色とりどりのスイーツの他に軽食も摂れるらしくパン、サンドイッチ、サラダが陳列され、壁の棚にはお土産に良さそうな箱詰めのお菓子が並んでいます。ケーキはどれも3.50EURでした。
全くお腹は空いていませんが、コーヒー(2.50EUR)だけでは淋しいのでクリームパフ(1.20EUR)も注文、計3.70EUR(472円)。レジで注文会計して受け取り、セルフサービスのティースプーンや砂糖と一緒に席に運びます。
クリームパフ(シュークリーム)の中身のクリームは、軽い口溶けで酸味がありました。粉砂糖が舞って綺麗に食べるのは無理って感じ。どうしてこんな落ち着かないものを注文してしまったんだろう。
機関車の前のカウンター席に座りました。常に走っている訳ではなく、時折走り出してまた停まる機関車。よく見ると先頭に店名のロゴがあり、運転士も乗っています。貨物として積まれているのはメレンゲとマジパン人形。 -
マイアスモックを出ると晴れ間が見えていました。やった!
大きくて写真に入りきらない聖霊教会。14世紀の半ばにはほぼ現在の姿になっていたという古い教会です。画面中央下の大時計は1684年製、タリンで最初に取り付けられた公共の時計だそう。タリンの他の教会と違って聖霊教会は貧しい人々のための教会で、文字の読めない人にも分かるように聖書の内容を絵で教えていたそうです。 -
旧市街の中心、ラエコヤ広場へ。
上空の風が強くて雲の流れが速く、またすぐに曇ってしまいました。雨も降ったり止んだり。なのでラエコヤ広場の写真はまた後で、下の方で。 -
10時になったし聖オレフ教会の展望台に行きたかったんですが、天気が良くないと勿体ないので、入場料のいらないトームペア(旧市街の西にある丘)の展望台に行くことにしました。
その途中に大きな教会が。地図を見ると聖ニコラス教会。丁度良かった、『死のダンス』は見たかったんだ! -
入口まで行って大ショック、月・火は休業!!
あああ~マジですか…!私が入場料を払ってまで美術品を見たいと思うことなんて滅多にないのに。
『死のダンス』は、タリン生まれのドイツ人画家兼彫刻家のバーント(ベルント)・ノトケによる15世紀後半の作品。法王、皇帝、皇女、枢機卿、国王が嫌そうな顔で「死」とダンスを繰り広げる様子が描かれています。何人たりとも死からは逃れられないという皮肉で、戦乱と疫病の時代だった中世に普及したモチーフ(だけど本当にその只中の時代はそれどころじゃなくて、それから1世紀くらい経たないと絵に描かれる余裕も無かったらしい)ですが、現存しているものは殆ど無いそう。この絵も元々はもっと長い絵で、社会のあらゆる階層の人々が50以上も描かれていたそうですが、現存しているのは上記の職業の人物が描かれている7.5m分だけだそうです。 -
ピック・ヤルク通りを通って丘の上へ。通りの入口に塔がありますが、補修中らしく足場に囲まれていました。
ピック・ヤルクとは『長い足』という意味。その名の通り、石畳の長~い坂道です。
この坂を上っている時に、日本からのツアーらしき大所帯とすれ違いました。今旅で日本人ツアーを見たのはこことカウナスの杉原記念館の2回だけでした。
長く延びた集団の最後尾付近にいた女性達に「お一人で廻ってるの?凄い度胸ね?!」と褒められ(呆れられ?)てちょっと嬉しかったです。手を振って別れました。 -
坂の頂上にロシア風の教会が見えてきました。
左手前の茶色い建物は、歩き方にも載っているボガポットというカフェ。蜂蜜を入れた壺のような看板がとっても可愛い。その向かいにも可愛いレストランがありました。 -
ちょっと道に迷いましたが、中国人ツアー(珍しい。今回行ったエリアは圧倒的に西洋人ツアーが多かった)の団体がやってきた方向に行ってみたら東の展望台に辿り着きました。
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さっき通ってきたピック・ヤルク通り入口の塔が目の前だ!
その奥の塔がラエコヤ広場の旧市庁舎、左の塔は聖霊教会。 -
旧市庁舎の塔のてっぺんにはトーマスおじいさん(2代目)。
これが私のカメラのズームの限界。持ってる旗に1996って書いてある…2代目になったのが20年前なのかな?
タリンにある教会等の塔のてっぺんには、このように年号が付けられていることが多かったです。 -
たまにスーッと日が差します。
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カラス?日本のより小ぶり。
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イチオシ
確かに私達には時間があるよ。この場合の「私達」は私とこのカモメね。
トームペアでは他にもこういう英語の格言を見かけました。 -
タリンは中世の街並みに誇りを持っている印象が強かったので、ビュースポットから新市街の近代的なビルが見えるのが意外でした。別に邪魔とは思わないけどなんだか不思議な光景。
右は聖ニコラス教会。 -
周辺には土産物屋や琥珀の専門店が並んでいます。バルト三国+ポーランド辺りではそこかしこで琥珀のお店を見ました。
スポンジボブマトリョーシカ! -
土産物屋のショーケースを眺めながら歩いていたら、北の展望台に辿り着きました。
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イチオシ
ああこの角度、写真でよく見る!
奥の高い塔が聖オレフ教会、その手前に被って見えるのがキリスト変容教会、いくつもある三角屋根は城壁の塔。 -
強くなった雨脚を避けて、アレクサンドル・ネフスキー教会の横にある観光郵便局へ。「観光」郵便局って何だろう?中は普通の郵便局でした。
ポストカード0.50EUR(約64円)と切手1.50EUR(約192円)を買って、郵便局内の作業台で日記を書き、そのまま窓口に出してきました。
書いているうちに窓からサーッと日差しが。あーっ、今外に出たい! -
また曇ってしまったアレクサンドル・ネフスキー聖堂正面。観光郵便局はこの写真でいう左手にあります。
教会は入場無料ですが、内部は撮影不可。ロシア正教会らしく、ヘルシンキのウスペンスキー寺院同様煌びやかな内装でした。
帝政ロシアによってエストニアが支配されていた1894年から1900年の間に、典型的なロシア復古主義のスタイルに設計され建設された教会。チュド湖(ペイプシ湖、エストニアとロシアの国境上にある)上の戦いでノヴゴロド公国(ロシア北部にあった都市国家)を率いてドイツ騎士団を破ったアレクサンドル・ネフスキーが名前の由来。
しかし多くのエストニア人からは、この教会はロシア支配を想起させるものとして嫌われているらしい。政府が破壊を検討したこともあったそうですが、実行に移されることはありませんでした。 -
教会の外装や周りの公園を見ているほんの十数分の間に、また青空が見えてきました。
気まぐれな青空、どうせまたすぐ曇るんでしょ。 -
案の定曇りつつ、近くに何やら城壁と入口を発見。
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イチオシ
中には絵になる光景が。
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心躍らせて門をくぐったら何かディメンターみたいなのがいるんですけどー!
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タリン名物アーモンド菓子(砂糖やシナモンその他のスパイスでアーモンドがコーティングされている)の屋台の横にも!
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さらには頭上にまで!(笑)
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(困惑…)
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すると空が、
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さっと晴れてきました!
シャッターを切った瞬間に日が差して景色がガラリと変わったので、慌ててもう一回撮りました。 -
ここはネイツィトルンという所でした。建物の中には博物館とカフェがあるらしい。
中世には売春婦の牢として使われたので、『乙女の塔』という皮肉な名前が付けられたんだそう。
全く気が付きませんでしたが、奥の塔がキーク・イン・デ・キョクだった。『台所を覗け』という変わった名前の塔で、15世紀末に町の防御のために造られた高さ49mの塔。高いので下町の家々の台所がよく見えたらしい。 -
折角なので城壁の上に行ってみようか。
階段は急で狭く、途中からは螺旋階段で壁に打ち込まれた鎖を頼りに登りました。 -
眺めは木々で遮られています。
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奥にカフェ。
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イチオシ
聖ニコラス教会がすぐそこ。
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中庭の花壇を始め、色々な所にデンマーク国旗の十字があしらわれています。
ネイツィトルンの中庭は中世っぽいBGMが流れていてなんだか居心地が良く、つい長居してしまいました。 -
再びアレクサンドル・ネフスキー聖堂の前へ。
正面にあるこの建物がトームペア城だったんだ!結構近代的というか大統領府みたいなので気が付かなかった。実際政府の一部と国の議会が入っており、通常内部を見学することは出来ません。帝政ロシアの置き土産が目の前にあるので、エストニア人的にはますます嫌な感じらしい。
のっぽのヘルマン(塔)は左手奥の方に建っていますが、本当奥なのでいまいち上手く写真に収められませんでした。 -
アレクサンドル・ネフスキー聖堂の脇を通って北へ進んだ所にあるのがトームキリク(大聖堂)。1219年にデンマーク人がトームペアを占領してすぐ建てた、エストニア最古の教会です。
ちなみにタリンとは『デンマーク人の城』という意味ですが、1918年にエストニアが独立した時に付けられた新しい地名だそうで、支配当時にデンマーク人が名付けた訳ではないらしい。旧称はレバル、古い地方名が由来。
エストニアは13世紀以降デンマーク、ドイツ騎士団、スウェーデン、ロシア帝国と常にどこかに支配されている状況で、第一次世界大戦後のロシア革命によりロシア帝国が崩壊したことで自治への機運が高まり、なんとか1918年に独立したものの、第二次世界大戦中には再びソ連→ナチスドイツ→ソ連の順に取り合いをされ、そのまま1991年の再独立まではソ連の一部に…という苦難の歴史を辿っています。
ヨーロッパの歴史は複雑だ…。この歴史を経たエストニアが独立後の首都に「デンマーク人の城」と名付けたということは、デンマーク支配の時代が一番良かったと思っているということなのかな。 -
トームペアから下りたかったものの道に迷ってうろうろしていたら、また展望台を発見。トームキリクのすぐ西、ここから見えるのはトーム公園とシュネリ池。
人気がなく、これから帰還という雰囲気の軍人が一人で景色を眺めていました。 -
道が分からないので軍人が去った方向に行ってみましたが、すぐそこの路地を曲がったらもう姿が消えていました。もしや幽霊だったのかと思うくらいの消えっぷり。
地図をよく確認して、なんとか往きに通ったピック・ヤルク通りに出られました。
往きには無かったギャラリーが一つ。 -
イチオシ
天気が回復した旧市街を散策します。
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ラエコヤ広場に戻ってきました。
右の建物が旧市庁舎。北ヨーロッパに唯一残るゴシック様式の市庁舎だそうです。 -
ついに空がすっきり晴れました!嬉しくて、つい青空の面積が広い写真を撮ってしまいます。
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広場の周囲にはオープンテラスのレストランやカフェが並んでいます。
昼時ですが、気温が低すぎるので外の席に座っている客はいません。 -
ラエコヤ広場周辺の道を歩き回っていたら、石畳が全部剥がされて工事中の道に出ました。奥まで行かずに引き返そう。
しかし後から気が付きましたが、ここが新市街とラエコヤ広場を東西に結ぶヴィル通りでした。よく見ると道の先にヴィル門が。 -
またラエコヤ広場に戻って見つけた看板。蛇ということは薬局かと思って近付いたら、壁にはレストランと書いてあるな。
腑に落ちないまま立ち去りましたが、ここは歩き方にも載っている市議会薬局でした。やっぱり薬局だったか。
現役で営業している薬局としては欧州最古のものの一つで、1422年に記録に現れた時には既に3人目の主人が経営していたそうです。日・月定休なのでこの日は休みでした。 -
イチオシ
入り組んだ建物がとっても可愛い!
さあ天気が良くなったから聖オラフ教会に行こう!日光を浴びてますます綺麗になった街並みを眺めながら、今朝歩いたピック通りを戻りました。 -
ピック通りとライ通りを結ぶこの道はヴァイム通り。幽霊通りという意味で、この通りにある家でオランダ商人が妻を殺害する事件があり、それ以降夜になると不審な足音やノック、ひっかく音などがするようになったことから、17世紀に名前が正式に『幽霊通り』になったそうです。
というのは帰国してから知りましたが、こんなに天気が良いのにこの通りはなんとなく静かで不気味な雰囲気でした。この時は治安が悪い通りなのかなと思っていましたが…。 -
その雰囲気を何とかしようとしたのか、やたら明るいこんな店があったりします。
夜のお店かと思いきや、理髪店。 -
聖オラフ教会の塔の高さは123.7m、展望台は60mの所にあります。教会の入口に写真付きで書いてありました。
しかし中世の頃は159mもあり、1549年から1625年までの間は世界一高い建造物だったそうです。しかし高いだけによく雷が落ちて倒壊し、再建と修復を繰り返して今の高さになったそう。
その前にトイレ行っとこう。聖オラフ教会を通り過ぎ、ふとっちょマルガレータを回り込んで、エストニア号のモニュメントがある公園の丘の下にある公衆トイレに行ってきました。往きで見つけてた。ヨーロッパでたまに見る、お金を入れると自動で扉が開くトイレです。使用料は0.20EUR(約26円)。
なんというか、出入りする所を人に見られたくない妙な恥ずかしさがありました。扉がゆっくり開くのがなんか恥ずかしい。人通りが少ない所で良かった。しかしここも含めて、今旅で廻ったエリアの公衆トイレや仮設トイレは基本的に便座が汚く中腰必至でした。紙も水もあると思ったらいかん。水道らしきものがあっても水の出し方が分からないことも。手を洗えないのでウェットティッシュ必須です。 -
聖オレフ教会の内装は非常にシンプル。壁は白一色の漆喰で塗り固められていて、装飾はほぼありません。あちこちにモニターとスピーカーがあったので、凄くハイテクで実用的な教会なのかも。
塔の入場料は2EUR(約256円)。
狭い螺旋階段を5分程ぐるぐる上って展望台へ。あー目が回る、気持ち悪い…。とても狭くて下りてくる人とすれ違うのも一苦労です。螺旋中央の柱(すべすべした丸太)付近は足を置く部分が極端に狭いので、踏み外さないよう注意。 -
しかし上りきるとこの絶景!
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イチオシ
地平線より上に見えているのは左から聖ニコラス教会、アレクサンドル・ネフスキー聖堂、のっぽのヘルマン、トームキリク。
高い所から見たら、トームペアが丘になっているというのがよく分かりました。土台が高い。 -
展望台はこんな感じ。こういう所って大体そうですが、屋根の上に足場とフェンスを付けただけですね。高い所なので風が強い!
通路は一方通行。無人ではないけど空いていて、常に4辺のうちの1辺を独占できました。 -
今日はバルト海も青いよ!
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タリン港Dターミナルも見えました。大きなフェリー!
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あっ、あれバルーン・タリン?120mの高さから景色を眺められるアトラクション。
バルーン全体がネットで覆われて地面に固定されてる。今日は稼働していないようです。 -
トームペアとはまた一味違った景色の素晴らしさでした。より高いし、360度余すところなく見渡せますし。上って良かった!
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もう14時です。どこかで昼食を食べようと旧市街をうろうろ。
エストニアらしいものが食べたいけど、エストニア料理っていまいち歩き方を見てもよく分からないんだよな。紹介されてるのがクリスマス限定のソーセージとか前菜とかで。
結局、旧市庁舎1Fに入っている3ドラーコンに入ることにしました。看板メニューのエルクスープがどうしても気になって。 -
中世をとことん意識した店内は薄暗いを通り越して暗い。入口の近くにあり、外光でかろうじて明るいレジで料理を注文清算し、受け取って席へというシステム。中世感を出すためか、通貨単位を1ユーロ2ユーロじゃなくて1マネー2マネーと言っていました。歩き方によるとカードが使えるらしいけど、とてもそうは思えなかったなあ。
席はこのレジがある部屋に数テーブルと、その奥の小部屋にせいぜい6テーブルくらいだったのでそんなに広くないです。
中央下の大鍋がエルクスープ。その他ソーセージ、スペアリブと、ビールなどのドリンクがあり、奥の籠に入っているのは野菜や肉のパイ。中身が何かは絵で分かります。 -
エルクスープ(2EUR≒256円)、キャロットパイ(1EUR≒128円)、ホットティー(2EUR≒256円)を購入。謎の形状で持ち辛い素焼きの器は重く、お盆とか無いので運ぶのに苦労しながら奥の小部屋へ。
奥の小部屋はさらに暗い。写真では明るく見えるかもしれませんが、実際は真っ暗闇に蝋燭がいくつか灯っているだけです。かなり闇鍋状態で、自分が食べている物の色も分からない。
エルクスープはわりとあっさり。トロトロに煮込まれた何か…肉か玉ねぎ?の食感があったけど定かではない。このどこを持ったらいいのかよく分からない器に直接口を付けて飲みます。スプーンを使わないのが中世風らしい。キャロットパイはほんのり温かく、中身は滑らかな食感で美味しい。
狭い店内はかなり混んでいて落ち着かず、ホットティーまで頼んでしまったことを後悔しましたが、スープとパイを平らげた後に暗闇で一人紅茶を飲んでいると、中世の酒場で一人酒を飲む荒くれ者のような気分になって最終的には良かったです。ホットティーはコップの中が見えないのでどういう状態で淹れてあるのか分かりませんが、一度茶葉が口に入りました。底に沈んでるのかな?砂糖とかは無く中国茶みたいで美味しい。 -
回転が早く一旦空いた店内、奥にちょっと見えているのがレジ。英語で色々説明が書いてあります。当たり前だけど外国人観光客向けなんだな。
食べ終わった食器は部屋の出口付近の籠の中へ。トイレもあってこちらも中世風な感じでした。便座が濡れていて座れなかったけど。 -
どこかでゆっくりコーヒーでも飲みたいなあ。
真ん中の黄色い建物は大ギルドの会館。中はエストニア歴史博物館になっています。
左に座っている男性は、何やらスチールパンのような響きの楽器を素手で奏でていました。 -
ピック通りからラエコヤ広場に延びるMundi通り沿いにあるこのパニーニのお店、コーヒー0.99EURという看板が目立っていたので入店。
あー朝からずーっと歩いて疲れた。あとどこに行こう…一旦宿に戻ったらもう出掛けるの面倒になりそうだな…とつらつら考え日記を書きながらコーヒーを飲んでのんびり。
その後会計しようとレジで1EURを出したら、「外に書いてある0.99EURは持ち帰りの値段だ、店内で飲む場合は2EUR」と言われました。はあー?どこに書いてあんのそれ?詐欺じゃね。そもそも私は看板を指差しながら注文したのに、その時に言わない辺り明らかに悪意を感じる。
このEHE Maitseという店、外にデカデカと書いてある値段はどれも持ち帰り限定の値段かもしれないので要注意。
エストニア語の挨拶はテレ、ありがとうはアイタ。アイタと言うとびっくりして嬉しそうにバロン(「どういたしまして」かな)と返してくれる人が多かったんですが、ここの店員は見るからに移民のようで無反応でした。 -
聖霊教会の脇からラエコヤ広場に延びている通りには、可愛らしい外観のお店が並んでいました。
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昼間はかなり逆光でなかなか直視できなかった旧市庁舎。ちょっとマシになってきました。
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雨樋?がドラゴン!
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これまで行っていなかった旧市街の南へ。ハルユ通りを歩き、聖ニコラス教会を通り過ぎてワバドゥセ広場に出ました。
エストニア独立戦争戦勝記念碑。ガラス?で出来ていて不思議な感じ。夜はどんなふうにライトアップされるんだろう。
後ろの壁に1918-1920という年号が書かれていました。
記念碑前の階段の下には広い地下通路が延びています。地下通路は17世紀のスウェーデン統治時代に造られたもので、非常時の避難所や敵地への秘密の通路として利用されていたそう。後ろに見えているキーク・イン・デ・キョクから地下通路ツアーに参加できるようです。 -
広いワバドゥセ広場で戦勝記念碑と向かい合っている、聖ヨハネ教会。
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キーク・イン・デ・キョクの方に歩いて行くと、途中に国旗が建っているのが見えました。無風なので旗が見えないけど、白と赤。もしやと思って風が吹くのを待つと、やっぱり日本大使館だ!大使館が山ほどあるタリン旧市街、日本もあって嬉しい。
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その前の石にはこのプレートが埋め込まれていました。斜面の木は桜だったのか。うわー咲いてるところが見てみたかったなあ?!ヤマザクラなら開花は早めかもしれませんが、それでも1カ月は先だと思います。
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キーク・イン・デ・キョクを通り過ぎてさらに歩くとアレクサンドル・ネフスキー聖堂が、そしてのっぽのヘルマンが見えてきました。トームペアはこっちから来ると殆ど高低差が無いんだなあ。新市街から公共交通機関を使ってアクセスするなら、ワバドゥセ広場で降りると便利ですね。ラエコヤ広場も近いし。
トームペア城の正面からは殆ど見えないけど、裏から見ると確かにのっぽ!高さは50.2m。 -
私が見たかったのはこれです。泣き続けるリンダの像。トームペア城と道路を挟んで向かいの小高い丘の上にありました。
トームペアは高さ24mの石灰岩の丘。エストニアの神話では、トームペアはリンダが造ったものとされています。夫である古代の王カレフを埋葬した後に、彼女が巨大な石を集めて積み上げた墓標なのです。墓標が完成する最後の石をエプロンに包み丘を登っていたその時、エプロンの紐が切れて石が転げ落ちてしまいました。疲れ果てたリンダはその石に腰を下ろし、悲しみの涙に暮れました。その涙がウレミステ湖(タリン南の大きな湖、タリン空港の近く)になったと言われているそうです。
聖オレフ教会のものと違ってこちらのエピソードは好き。この像が見られて良かったです。 -
リンダとトームペア城。
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再びラエコヤ広場に戻ってうろうろ。なぜこんなに何度もラエコヤ広場を徘徊しているのかというと、これを探していたからです!この上に立って周囲を見渡した時のみ、タリン旧市街の主要な5つの塔(旧市庁舎、聖霊教会、トームキリク、聖ニコラス教会、聖オレフ教会)が全て見えるという敷石!遂に見つけた!
さっそく乗って見渡してみましたが、3つしか見えませんでした。えええ?…身長の問題? -
時刻は17時前。見所はあらかた見たし、物凄く疲れたから宿に帰ろうか。夜景が見られる時間帯まで歩き回ってはいられない。朝から夜9時10時までぶっ続けで観光し続ける体力が私には無いことを、今回の旅で初めて実感しました。
一般に旅行中は連泊を組み込むと楽だと言われていますが、連泊だとこういう風に一つの街を丸一日歩き回ることになるので逆に大変かも。朝から晩まで歩き回るよりは、午前か午後の数時間を長距離移動に費やせる移動型の旅の方が楽なんだなあ。まあ程々に休めば済む話なんだけど、観光地で部屋に籠るのも勿体ないし。
地図を見てヴィル門を目指します。全面工事中のあの道がヴィル通りだったことはこの時に知りました。
門の手前でふと左を見ると、あっここセーターの壁じゃん!具体的な場所は知らないけど見当たらないなあと思ってたんですよ! -
地元の人が手編みらしきセーターやマフラー、帽子、手袋や靴下を売っています。厚手で裏地もあって、私が日本で使うとたぶん冬でも暑いと思うので買うつもりはありませんでしたが、見たかった。雪の結晶みたいな一定のパターンが可愛いなあ〜。
来た時間が遅かったので、片付けを始めているお店が殆どでした。 -
北に向かって城壁が続いています。この城壁の向こうが朝歩いたウース通りか。
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あまり先まで行かず、引き返してヴィル門へ。戻る時にはセーターの壁はほぼ撤収されていました。
工事中のため中央は通れず、両サイドの小さいゲートから新市街へ。 -
ゲートを潜ると、右側の通路には延々と花屋さんが並んでいました。
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あっキオスクだ!ここまで歩き回って初めて見ましたよ。もう今更用はないけど。
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ホテルまでのナルヴァ街道沿いにはショッピングモールがいくつも並んでいますが、夕食を調達するべく中に入ってスーパーを探しても全然見つからない。そういえば旧市街でもスーパーを全く見てないな…。小売店すら見てない。
結局見つからずにホテルの前まで戻ると、さらにその先にスーパーらしき建物が見えました。体力の限界でこれ以上の無駄足は御免だったのですぐ行かず、ホテルのレセプションで本当にスーパーかを確認。合ってた。 -
バルト三国はどこもそうでしたが、パンが驚愕の安さ!食パン1斤が0.30EURとか!小麦がよっぽど豊富に採れるんだなあ?!どのパンも安いのは嬉しいけど凄い大容量…0.40~0.50EURで1袋に4~5個以上が普通で、1個売りがない。これは食べ切れないぞ…今回の旅は殆ど朝食付きのホテルにしたからな。
迷った末に、できるだけ軽く食べられそうな柔らかいパンを選びました。全部で1.78EUR(約228円)。
上はスィエリンシュというお菓子。カッテージチーズをチョコレートでコーティングした物で、バルト三国を含めこの辺りではポピュラーな食べ物らしい。食べてみると…うん、カッテージチーズをチョコレートでコーティングした味だ。当たり前だ。カッテージチーズの酸味がそんなに好きじゃないので一口目は微妙でしたが、だんだん美味しくなり食べ終わる頃にはハマる予感がしていました。
明日は移動日で朝が早いので、今夜は部屋でのんびりします。ネットをしていたらうっかり夜更かししてしまい、その後なかなか寝付けなくなりました。ヨーロッパに来ると時差の関係か旅の前半はよく眠れるのに、2泊目で不眠は早すぎるぞ。
日付が変わる頃には寝付けたと思います。
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