2016/03/27 - 2016/03/31
38位(同エリア3733件中)
norisaさん
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北九州旅行二日目は長崎の街めぐりを楽しみました。
まずは、長崎は大浦天主堂、グラバー園を再訪します。
その後は市内西北部に移り、坂本龍馬の足跡を訪ねました。
長崎は近代日本の形勢を決定づけた街ですが、この平野の少ない坂だらけの道の街だったからこそ激動の明治維新を画策する根拠地足りえたのかもしれませんーーー。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
稲佐山観光ホテルの最上階からの長崎市街。
朝焼けの中、静かな風情です。 -
しかし、山腹の家々や港の照明は一晩中点灯されていたようです。
美しいもののCO2排出量が気になります(汗)稲佐山観光ホテル 宿・ホテル
-
ホテルの朝食はビュッフェ形式です。
かなり広いお部屋ですし、品数も多いので客で混雑することはありませんでした。 -
朝食を頂いた後で再度窓に近づくとーーー。
-
そう、あの世界遺産がけなげに立ち尽くしています。
100年以上も働き続け、今なお現役を続けるクレーン。
当時のイギリスの技術力、そして日本人のメンテナンスの丁寧さがわかりますーーー。 -
ホテルをチェックアウトします。
仰ぎ見ると稲佐山の山頂、そして五分咲きの桜が見送ってくれます。 -
到着したのは市営の駐車場、そこから大浦天主堂やグラバー邸を目指します。
途中の中華料理店ですが、巨大です。 -
そこそこの坂道を登っていきます。
昔訪れた時にはこんなに整備されていたのかーー? -
段々と風情のある空間に。
-
そしてーーー懐かしい大浦天主堂が見えてきます。
大浦天主堂 寺・神社・教会
-
途中の中庭にあるレリーフ。
長崎では大浦、山手地区を外国人居留地とし、外国人のために大浦天主堂が1865年2月に創設されました。
その約1ヵ月後に浦上の潜伏キリシタンがプティジャン神父に信仰を告白、世界宗教史上の奇跡である「信徒発見」が起ったそうです。
キリシタンの方々の300年近い雌伏の時が報われたわけです。 -
この空間はそうした背景を反映するような厳かさ、そして光と影に満ちています。
この大浦天主堂は1933年に国宝となりました。
しかし、あの原爆で被害を受けてしまいます。
そして、1953年日本最古の教会堂として国宝に再度指定されたそうです。 -
隠れキリシタンを祝福するような暖かなピンクの花。
名前はわかりません。 -
拝観料を支払って内部に入ります。
(これ、意外とお高いです!) -
あまりにも優しそうなお顔の聖母様。
ヨーロッパにある多くのマリア像よりもソフトです。 -
天主堂の内部は撮影禁止です。
裏手の神学校跡を見学します。
でも、こちらも撮影禁止−−−。
東大寺あたりを見習ってね(苦笑) -
さて、グラバー園に入ります。
こちらは入場料にJAF割引があります。グラバー園 名所・史跡
-
前庭には小さな滝が流れています。
やはり春の空気に包まれているようです。 -
昔はなかった長いエスカレーターが二基あります。
これはかなりのバリアフリー化ですね。 -
あっという間にかなり高台へと連れていかれます(笑)
大浦天主堂よりも高みへと一足飛びですのでお年寄りにはウレシイでしょう。
(我々は違いますぞ(笑)) -
エスカレーターを降りるとーー。
美しい桜、そして花々が迎えてくれます。 -
空中庭園には池も配されています。
無数の鯉がこの施設の黒字経営を誇示しています(笑) -
この高台の眺望からは三菱重工をはじめとする長崎が世界に誇る重工業の拠点が望めます。
(大戦中ならスパイ容疑で連行されそうです(苦笑))
しかし、無数のクレーンやらドックやら大変な規模です。
思わず三菱重工の株を買いたくなる壮観です(笑) -
そして、その中でも異彩を放つのはーー。
世界遺産であるジャイアント・カンチレバークレーンです。
どうみても建設後2,30年にしか見えません! -
さらに稲佐山の中腹には今朝までお世話になった稲佐山観光ホテルが望めます。
やや濃いめのベージュの建物、その最上階の8階に泊まっていたというわけです。 -
それにしても長崎、何という複雑な地形、多様な建築群でしょう。
もっともこれは近代的な側面。
いにしえの横顔は後で垣間見ることになります。 -
これからグラバー園の中を散策します。
これはウオーカー邸です。 -
説明書きによるとグラバーの部下でしたが、日本郵船の前身の会社で監督船長を任され、さらにはキリンビールの前身の会社の設立に加わって、筆頭株主だったそうですからリッチな人生を送られたようです。
-
園内の桜はほぼ五分咲きといったところでしょうか。
快晴の空に春を告げています。 -
園内は外国人の方も多いですし、美しく若い女性も多いようです(笑)
おお、わが妻のことではありません(爆) -
こちらはマダムバタフライで有名なお蝶夫人の像。
三浦環さんとお子さんのは何を見ているのでしょうーー。 -
こちらはリンガー邸。
テラスの広さが自慢です。 -
こちらは蝶々夫人で使用されたお着物や小道具。
-
リンガーもやはりグラバーの部下でしたが、ホテル、製薬、製粉に上水道、さらには発電事業も手掛けます。
しかし、開発途上国に巧みに入り込み、その国のインフラから重工業、そして生活必需品へと入り込むーーー。
これこそが勝利の方程式といえるでしょう。 -
ですからグラバーたちの貢献は明治政府や国民にとってありがたい一面もありますが、逆に言えばものすごく「甘い汁」を吸われまくった時代ともいえましょう。
その犠牲になったのは国民の大多数ですが、特に既得権益を持っていた各地の商工に携わる方々、あるいは武家だったことは想像にかたくありませんーー。 -
その甘い汁を狙って19世紀から20世紀の列強は世界各地を蚕食していきました。
もちろん、可能な場合はビジネスではなく植民地化です!
そして、アジアの果ての日本はその最終標的でもありましたーー。 -
春めく季節から春本番へ、そう、花々が宣言しているようです。
-
そして、ご本尊?のグラバー邸です。
彼がグラバー商会を長崎に作ったのは何と24歳ということですから、商魂の才能は並外れていたようです。
ちなみに、江の島で有名なサムエルコッキんグは29歳で会社設立しましたが、明治維新前後の欧米の野心ある実業家は維新の志士並みに若手が多かったようです。 -
グラバーは明治維新のフィクサーともいわれています。
彼は武器商人でしたが、南北戦争で使われ、戦後に余った武器を二束三文で買い叩き、薩長に高値で売りつけて巨額の財をなし、ビジネスを急拡大します。 -
しかし、明治維新前後はまさしく日本の危機でした。
というも、アジア、アフリカ、南米など欧米以外の国々は欧米列強により、ほとんどが植民地化されるか属国かされつつあったからです。
ではなぜ日本は大丈夫だったのか?
多くの説がありますが、自分としての理解としては以下の要因が主ではないかと思われます。 -
①イギリス、フランス、アメリカ、ドイツその他の列強がこの東アジア互いに牽制し合っており、抜け駆け困難であった。
②日本国民の教養、文化レベルが高く、簡単に植民地化できないとの認識が列強各国にあった。
(当時の日本の識字率の高さは世界最高と評価されていますし、田舎の子供でも字が読めたことは欧米人の驚きだったそうです)
③日本全土に多くの武士がまんべんなく存在し、相当の兵力なくしては局地戦はともかくとして全土制圧は不可能であった。
(武器は旧式ながら大砲、鉄砲もあり、武士の数の国民比率は世界でも有数であったことは事実で、相当の流血なくして占領など不可能)
④各国から派遣された技術者の分析により日本に収奪可能な産品は余り多くないことが判明し、また国土も狭かったこと。
⑤日本がまがりなりにも中央集権国家として機能し、有事の際には全兵力はもちろん全国民を相手に戦わざるを得ないことが明白だったこと
⑥その他数多くの遠因、例えば蒸気船の運航に必要な石炭の貯炭場が東アジアに不足しており、どの国も大艦隊を展開できないなど多くの技術/非技術的要因が存在したこと) -
そうした要因で日本は植民地化を逃れましたが、とにかく世界の大半は彼らの植民地でした。
その欧米各国はイランや北朝鮮その他に人権を守るようにたびたび主張していますが、もちろん説得力はありません。
過去のギャングが今の泥棒を諭すようなものです(爆)
(といってもC国の海洋進出はコワイですね!)
さて、これは長崎くんちで使われる山車だそうです。 -
こちらも有名なじゃ踊りの道具。
これでグラバー公園とその付帯施設の見学を終えて外にでます。 -
しばらく市内を歩き、別の駐車場に移動します。
長崎の市電、健在です。
しかし、函館といい、長崎といい、どうして夜景の美しい街は市電が健在なのか?
このほうが日本非植民地化の考察より難題そうです(笑) -
やってきたのは有名な眼鏡橋。
この橋だけが有名ですが、この両川にも風情ある石橋が数多くあります。 -
とはいえ、このアーチは見事。
アーチ形状が重力方向の力を分散させることに気付いた古代文明の先人たちに畏敬の念をおぼえます。
ヨーロッパのローマ時代の水道橋はアーチなくして実現しませんでしたからーーー。 -
これから坂道を登って龍馬の道を目指します。
石畳の下町の商店街。 -
そこから寺町と呼ばれるお寺ばかりの細道を歩きます。
ずーっとお寺ばかりです(汗) -
そして、いよいよ坂道を登って行きます。
-
この細い、車はおろか自転車も無理な坂道が龍馬通り。
坂本龍馬をはじめとした亀山社中の同志達がこの通りを上り下りしていたことから、この細道は龍馬通りと呼ばれ親しまれています。 -
ところどころ手造り感満載の標識?が掲示されています。
はげたペンキが何とも味があります。 -
300段以上の階段と細道、まっすぐではない小道を歩いてきました。
ここは亀山社中跡。記念館があります。
我々は外からの見学で満足します。
(クチコミによると結構狭いそうですーー)
しかし、何だって龍馬はこんな坂の上に日本初の会社を造ったのでしょう? -
ここは小さな公園?
ここにあるブーツ像は亀山社中門前のポケットパークに建っており、長崎港など街並みが望めます。
実際、龍馬たちもここから下界を見ていたかもしれません。 -
亀山社中資料展示場ですが、ここは毎日は営業していないそうです。
そして、次にむかったのはーー。 -
若宮神社です。
この神社は楠木正成の守護神である稲荷大神を今から350年ほど前に移したのがはじまりだそうです。
さらに、ここは勤皇稲荷とも呼ばれ、明治維新前後には坂本龍馬など多くの志士達が参拝したそうです。 -
この上の風頭公園に屹立している龍馬像の原型となったと言われている小さな龍馬像。
一介の地方藩の素浪人だった龍馬がなぜかくも明治維新の立役者となったのか?
確かに身分は低かったものの、心身共に並外れた異才であったことは確かなようです。 -
その行動力といい説得力といい非凡な才能を持った傑物であることは間違いありません。
一方、太平洋を取り巻く欧米列強の緊迫するパワーバランスにうまく乗った、あるいは乗らされたという側面も否定できないかもしれません。 -
おりしも南北戦争が終結して武器が大量に余ります。
そしてひとつになったアメリカはいよいよ太平洋進出を加速させています。
一方太平洋の中心ではイギリスとフランスがそれぞれ勝手にハワイの領有権を主張しあい、ドイツもサモアの領有を窺っている状況です。
そうしたきな臭い空気を龍馬たちも自覚したに違いありません。 -
そうした志士たちとグラバーが結びつくのは自然の理。
ちょうど長崎に進出してきたグラバーは武器を売りたがっています。
(武器商人というと聞こえは悪いのですが、全ては需要と供給のバランス)
グラバーは武器売却以外に「おまけ」としていくつかの入れ知恵をしたかもしれません。
ーーーー。
真相は今となってはわかりませんが、とにかく薩長は新政府を樹立し国の独立と近代化に成功する一方、その後薩長を中心とした政治人材は日清、日露、太平洋戦争という軍国志向で数百万の国民を戦死させる時代に突き進んで行きました。
現在の平和と繁栄を当たり前と思う世代が大多数を占める今、明治維新の偉業と罪、光と影を再認識すべきと悟った長崎の街でしたーー。
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この旅行記へのコメント (24)
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- Decoさん 2021/10/05 14:57:29
- 長崎の光と影
- norisaさん、こんにちは。
ちょっと前の旅行記ですが、お邪魔しました。
長崎は私も大好きな街で、以前よく訪れました。
良く知っている風景、懐かしい街並み…楽しく拝見しました。
が、途中からシリアスになり、ラストのお言葉。私も考えさせられました。
日本が植民地化を免れた理由。多分いろんな要因が絡み合っていたのでしょうね。
また、ラストのお言葉はその通りなのですよね。
日清、日露、第二次大戦…特に第二次大戦は。
明治維新は良くも悪くもその分かれ道だった。
あのとき、維新が無ければ日本はどうなっていたか。
一方、第二次大戦に繋がる部分もこのときに生まれていたのですよね。
他の方々のコメントも拝見しました。私は以前中南米史を独学でかじったことがあります。元々スペインやポルトガルがインディオの人々を征服駆逐したという、歴史を負っていますが、その上でイギリスやアメリカがかの国々にどんなに酷いことをし、経済を牛耳ったか。
中南米だけでなく、世界中でそうした時代を経て今があり、人権とか民主主義への価値付が生まれと思いますが、そこに至るまでは負の歴史もあることを忘れてはいけないと思っています。
Deco
- norisaさん からの返信 2021/10/05 16:37:15
- Re: 長崎の光と影
- Decoさん
こんにちは。
いつも大変お世話になっております。
長崎は全くもってムードのある街で、これに比肩すべきは小樽、函館、神戸など数都市しかないですね。
そんな雰囲気の街ですが、近代日本の行く末を決めた街かもしれません。
坂本龍馬自身は野心と目的意識のある素晴らしい若者だったのでしょう。
その人徳ゆえに西郷隆盛や木戸孝允らと対等に渡り合い、あの薩長連合を成立させた立役者だったに違いありません。
ただし、この時代はまさに列強のせめぎ合いのピーク。
今でこそEUとしてうわべは中の良い英仏独蘭などが世界各地で領土を取り合い、それに新興のロシアにアメリカ、旧勢力のスペインなども入り乱れた世界的乱世のまっただ中。
地政学的戦略に長けたグラバーはじめとした各国の商人や宣教師たちが跋扈していたわけで、純真で地政学のイロハもしらない志士たちが良いように操られた可能性は非常に高かったことでしょう。
その後日本はジェットコースターのような浮き沈みの激しい150年を経験するわけですが、今の「失われた20年」などはさしずめ静かな湖面で漕ぐボートのようなもので、平和と幸福をかみしめなくてはいけない20年だったと感じるべきでしょうねーーー。
以上とりとめもないお話で恐縮でした。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
norisa
-
- アルカロイド ダリルさん 2016/06/12 15:36:26
- 天主堂の花
- こんにちわ〜ダリルです!
訪問ありがとうございます!ダリルです!
天主堂の花は、たぶん蘇芳(すおう)の花かな〜?
濃い赤紫の花が、北国では桜の後に咲きます!
蘇芳桜と呼ぶ人もいたかな?
日本にはマスターカントリーがいない、推察はおもしろく拝見しました! 中学生くらいの時、日本が 資源ビンボーだったから〜としか、考えていませんでした!
金はすでに取れなくなっていたし、黄金のジパングは、マルコポーロの時代の幻想でしかない現状を欧米が、認識したせいかな〜? って
捕鯨をしていたから、水と食料は欲しかったでしょう! 鎖国を、解けばゲットデキるし、武力行使するための石炭の補給は、考えたことがありませんでした!
まさに、戦争=補給の公式ですね〜
クレバーな旅行記を堪能できました!
また、楽しい旅を書いてください!
- norisaさん からの返信 2016/06/12 17:51:14
- RE: 天主堂の花
- アルカロイドダリルさん、
こんにちは。
ご丁寧なカキコありがとうございます。
今や欧米はテロで危険、ということで海外旅行は自粛していますが、シンガポールかマレーシアなら大丈夫かも?
ということで今はマレーシアの旅行調査をしています(笑)
といっても来春くらいでしょうかーー。
さて、蘇芳の花というのですか。
名前は聞いたことがありましたが、全く分かりませんでした。
維新前夜のアジア情勢は相当不穏。
しかし、多くの列強が進出競争をしていたことが幸いしたかもしれません。
少なくとも英米仏露は競っていたようです。
横浜の山手に今も彼らの館跡がありますが、相当他国を意識していたとのこと。
物騒な情勢は今も変わりませんが、少なくとも独立を侵されるほどではないのが救いですね。
では、今後とも宜しくお願いいたします。
norisa
-
- hot chocolateさん 2016/06/04 21:09:48
- 懐かしの長崎♪
- norisaさま
こんばんは〜
ご無沙汰しており申し訳ありませんでした。
大変遅ればせながら、「長崎」の旅行記にお邪魔しています。
グラバー邸と言えば、細い長い道と石段を上って行った記憶がありますが、今ではエスカレーターもあるのですね。
かなりのバリアフリーとはいうものの、ちょっと趣が・・・
でも、何年か先、私もお世話になって、ありがたいと思うかも・・・(汗)
クレーンが世界遺産とは、何十年か先、何がどうなるか分かりませんね。
何と、24歳でグラバー商会を作ったというグラバーさん、素晴らしい商才ではありますが、南北戦争後余った武器を買い叩いて、薩長に高値で売るとは、かなり抜け目なく、商魂たくましい。
とにかく、日本がどこぞの国の植民地にならずに良かったです。
hot choco
- norisaさん からの返信 2016/06/05 05:02:32
- RE: 懐かしの長崎♪
- hot chocolateさん、
おはようございます。
お久しぶりです。
最近はご体調も万全になられたでしょうか?
モロッコはともかくとして、常に旅から旅と飛び回るイメージがありますのでご投稿を心待ちにしております!
さて、グラバー園ですが、我々も二十年以上ぶりくらいでしょうか、あまりの変貌にビックリです。
やはり高齢化の進む日本を象徴してか、あるいは海外観光客を意識してか、あのような大エスカレーターが完成していました。
確かに楽は楽ですが、風情は?です。
明治維新前後はあらゆるパラダイムシフトが起こりました。
そこでは既存の仁義道徳は踏みにじられ、革新的な発想と行動が幅を利かせましたが、チンピラ&金の亡者であろうとも目先の効く若者が十分に活躍できた日本初めての過渡期でもあったようですね。
その中でバランス外交を保つのは至難の業、当時の知識人の見識が発揮されたようですね!
norisa
-
- frau.himmelさん 2016/06/01 14:37:17
- 九州の旅
- norisaさん、こんにちは。
さきほど、なつかしいnorisaさんの足跡を見つけましたのでお邪魔しました。
昨日3週間の旅から帰国して、その前より何やかやと多忙で訪れて居ませんでしたので、1か月以上のご無沙汰でした。
今回は九州にいらっしたのですね。懐かしいところがいろいろ。
もう少し時差ボケが治りましたら、ゆっくりお邪魔させていただきますね。
himmel
- norisaさん からの返信 2016/06/01 15:35:10
- RE: 九州の旅
- frau himmelさん
こんにちは。
ご帰国後のお忙しいところ恐縮です!
こんどもドイツやオーストリア、スイスあたりでしょうか?
我々はテロが怖くて来年春ごろまでは欧州は自粛しています。
(もっともアジアや豪州が安全ともいえませんが)
しばらく国内に専念します(苦笑)
九州は三度目ですが、今回は初見の所が多く興味深いものでした。
では御旅行記のご投稿お待ちしていますね!
norisa
-
- ecchanさん 2016/04/16 20:07:07
- はじめまして
- norisaさん、こんばんわ。
このたびは拙い旅行記、熊本城にご訪問・ご投票いただき
ありがとうございます。
昨夜にオーストラリア海外旅行から帰国し、Wi-Fiを上手く利用
出来ずにいたのでお礼が遅くなりました。
そして、ご覧いただいた熊本で地震が起きたことも帰国して知り、
大変なことになっていると驚いた次第です。
2か月前に訪れた熊本城や阿蘇神社が崩壊している部分を
ニュースで見てとてもショックです。
大阪で阪神淡路大震災の揺れを体験した当時を思い出しました。
数あるnorisaさんの旅行記から、最新で同じ九州の旅行記を
まず拝見させていただきました。
佐賀や長崎も何度か訪問してますが、陶山神社や新三大夜景は
知らなかったので、素敵な写真で楽しませていただきました。
norisaさんのプロフィールに大学の講師をなさっているとあり、
コメントを読みながら、まさしく講義を受けている学生気分にも
ならせていただきました(笑)ありがとうございました。
海外の旅行記も、またゆっくり拝見させていただきます。
ecchanより
- norisaさん からの返信 2016/04/16 21:30:02
- RE: はじめまして
- ecchanさん
こんばんわ。
ご丁寧なコメントやご投票ありがとうございます。
オーストラリアに行かれたのですね。
我々は2年ほど前にシドニー中心に回りましたが素晴らしいし、安全でいいところですね。
そして!
そうなんです。
今回の九州旅行で行けなかった熊本城のご旅行記に投票した15時間余後に熊本地震が発生してしまいました。
あの熊本城や阿蘇神社が見るも無残な状態ですーーー。
まさしく一寸先は闇ということを再認識しました。
阪神淡路大震災に東日本大震災で終わりかと思っていましたが、やはりそう甘くはなかったようです。
今後の一刻も早い復興を祈りばかりです。
先月末の佐賀、長崎、熊本、大分、福岡と回った旅行ですが、はるか昔の平和な時代だったようですーー。
またお邪魔させていただきますので宜しくお願いいたします。
norisa
-
- 白い華さん 2016/04/14 01:32:50
- あぁ〜っ、「長崎は、 雨・・・だった」 私。。。
- 今晩は。
「長崎は、4年前位に、夫婦で、旅した」のですが、 3時頃、到着して、「グラバー園 & 天主堂」を、 歩きました。
そして、 雨が、激しくなってきた。のですが、「夜 & 傘をさして・・・の 長崎散歩」を 実行。(笑)
貧乏性・・・なので、「せっかく。来られた! 中華街など」の 寺院。を、 暗い!夜・・・に、 歩いてみました。 また、近く・・・の 有名料亭を 見てみたり。と、 ほんと、 長崎は、歩けなくて。。。
翌日は、「平戸。 有田方面!へ・・・」と、 行ってしまい、「いつか、 また・・・長崎は、じっくり、歩いてみたい」と、 憧れています。
世界遺産 対岸・・・の 「三菱重工」の クレーン。昨年の 「世界遺産に 選定前は、 何も・・・思わなかった!一コマの 風景」が、 「世界遺産に なる」と、 気になりますね。
また、「西欧列強国が、 日本を、占領しきれなかった! norisaさんの、 考察」も、 とても、興味深々!で とても、納得すること。多かったデス。
来週は、 いよいよ・・・「初めて!の 北海道に、上陸する・・・私」で、 「小樽 & 函館」と、 ちょっと、ロマンチックな 町歩き。も、 楽しみ!に しているんです。
異国情緒 ある・・・長崎。と、 似ている! 「函館」で、 西欧風・建築を 眺めてみたい。と 思っています。
何だか、 「桜も、 見られそう!な 北海道」に なりそう。 「8日間・・・の ドライブ旅行」と、 夫婦で、 いろいろ、見聞を 広めてきたい!と 思います。
norisaさんとは、 「九州 と 北海道」と 反対・・・の 方向。を 旅した。って なるのですね。 (笑)
これからもよろしくお願いします。
- norisaさん からの返信 2016/04/14 08:38:50
- RE: あぁ〜っ、「長崎は、 雨・・・だった」 私。。。
- 白い華さん、
おはようございます。
いつもありがとうございます。
長崎にご夫婦で行かれたのですね。
やはりグラバー園と大浦天主堂が王道ですものね!
雨だったは残念ですが「長崎〜は、今日も雨〜だった〜」という歌もありますので、ある意味似つかわしいシチュエーションだったかもしれませんね。(笑)
中華街は横浜に比べて良心的なお値段設定だった記憶があります。
そうなんです!
言われなければ素通りするクレーンも築100年超で世界遺産となると急に見る目もかわりますね。
火花で芥川賞をとったコメディアンが急にインテリに見えるようなものですね(笑)
是非次回は坂の上に登って龍馬の心境、亀山社中の同志の心意気を感じてみてください。
あまりにも坂が多いのでお若いうちでないと無理ですよ(苦笑)
え、これから8日間の北海道旅行ですか!
それはゴージャスですね。
その後の欧州旅行もおありですからご予算たっぷりですね(笑)
函館と小樽。
これはどちらも旅情豊かでロマンチック、かつエキゾチックな面もありますから北海道でも極め付けスポットですね。
我々も今年北海道に行きたいな〜と思っています。
是非我々の参考になる情報をお願いいたしますね!←これ、プレッシャーをかけています(爆)
では、良いご旅行を!!
norisa
-
- rinnmamaさん 2016/04/13 17:47:11
- 大浦天主堂
- norisaさんへ
静岡も北九州でした〜
50年も前の事を思い出すなんって無理ですが、瀬戸内海を航行して雲仙・熊本・長崎・帰りに広島で原爆資料館に立ち寄りました。
大浦天主堂前などの写真はありますが・・写真を見てもウ〜ンという感じ(^^)
隠れキリシタンのピンクの花は多分、はなずおう(葉っぱが)
我が家の庭にもあります・・
グラバー園にはエスカレーターができたんですね!
やはり、観光地ですから施設を整えなくてはいけませんので、高額になっていくのでしょうか?
現在の長崎は開発が進んでいるようですね・・
どこまで町並みは広がっているのでしょうか?
norisaさんの恒例の勉強コーナーもフムフムと・・・
植民地にはなりませんでしたが、その後の舵取りで戦争に突入して、長崎も広島も大被害。。。
長崎の平和公園も行きましたが、切なかった・・・
rinnmama
- norisaさん からの返信 2016/04/13 20:23:48
- RE: 大浦天主堂
- rinnmamaさん
こんばんわ。
いつもながらご訪問やご投票ありがとうございます!
さて、長崎への御旅行は50年も昔ですか!?
それは記憶をたどるのが難しそうですね(笑)
でも瀬戸内海から九州横断、さらに広島までーー。
ん、もしかして修学旅行でしょうか。
長崎の印象はいかがだったのでしょう?
この花はななずおうというのですね。
まさしく広大な庭園をお持ちの方のみ分かる博学ですね(笑)
グラバー園は頂上に登るのが楽ちんになりました。
我々は20年くらい前に真夏に汗をかきつつ登った覚えがあります。
長崎から維新が始まりましたが、太平洋戦争の最後の大爆撃=原爆も長崎でした。
日本の近現代を象徴する美しくも悲しい街でしたーーー。
norisa
-
- aoitomoさん 2016/04/13 11:28:37
- 『明治維新の偉業と罪、光と影』勉強になりました!
- norisaさん こんにちは〜
私は東京の高校でしたが、修学旅行は北九州でした。
その時に長崎の大浦天主堂、グラバー園など行きました。
と言っても、旅行している楽しさは十分にあったもの、回った観光地がいったいどんな歴史があるのかも、全く知らずでした。
ですからグラバーさんの話しなども勉強になりました。
norisaさんのように解説してくれるガイドさんや先生がいれば、どれだけ勉強になったことか。
それとも、高校時代だったら話を聞く耳を持ってなかったかもです。(汗)
今になってnorisaさんの解説で楽しく理解出来るとは・・
如何に勉強していないかです。(大汗)
とにかく理系で地理・歴史も駄目でした〜
撮影禁止場所は相変わらずですね〜
撮影禁止場所はさすがに記憶にないです。
それでも、その頃の思い出がリアルに覚えているのは、カメラ好きでキャノンの一眼(FTB)を持って撮影しまくっていたからです。
いまでも写真があります。きっとネガも。
当時は現像代プリント代がバカになりませんでした。
そんな当時を思い出させてくれた旅行記でした〜
aoitomo
- norisaさん からの返信 2016/04/13 11:38:58
- RE: 『明治維新の偉業と罪、光と影』勉強になりました!
- aoitomoさん
こんにちは。
いつもご訪問やご投票ありがとうございます。
おお!江戸っ子でしたか!
では修学旅行は九州かもしれませんね。
その当時の記憶が鮮明だったら化け物です(笑)
自分たちは京都、奈良、広島などですが、これも記憶はないに等しい状況です。
その時の記憶があるのはカメラで撮った場所だけです。
やはりカメラの働きは偉大です。
にもかかわらず撮影禁止が多いのは??
それほど大したものではないところが禁止がおおいですね。
おっしゃるように昔は現像とプリントが高かったですね。
デジカメは偉大です。
でも無料?でバカバカとれるから、「この一枚!」という渾身作が減っているかもしれませんね。
ところでベガスの冒険談はいつアップですか?(爆)
norisa
-
- pedaruさん 2016/04/13 06:42:10
- 長崎とはそんな街だったのですね。
- norisaさん お早うございます。
長崎旅行で語る日本が植民地化を免れた歴史的考察、まさにnorisaさんの真骨頂とでも言うべき優れた旅行記でした。
美しい景色や若く美しい女性の姿よりも感銘を受けました。
妄想のみでのり切ろうとするpedaruの旅行記と比べて、なんと格調高い旅行記でしょう。norisaなくして4トラベルの存在はありえない、と、かの佐藤A作は言うでしょう。
それにしても欧米列強のやったこと、(日本もやってますが)性悪説が真実なのかと思ってしまいます。暴力で奪い取る・・・これが国家レベルで行われる、何をかいわんや、ですね。
pedaru
- norisaさん からの返信 2016/04/13 11:15:35
- RE: 長崎とはそんな街だったのですね。
- pedaruさん
おはようございます。
歴史的考察?は専門家から言わせると浅はかな駄文ということになりそうですが、まあ自分なりの解釈も楽しいかなとーー。
それをちゃんと読んでいただけるpedaru師匠。
まさに師匠の名にふさわしい律義さです。
(本当は知りませんが(笑))
景色も良いし、美しい女性もいますが、それは他の観光地もそうです。
しかし、歴史的重要性では長崎はベスト10ですね!
欧米列強の悪事。
もう少し皆で糾弾してもいいのではーーと思います。
(まあ、CIAとかに狙われるのでやめましょうーー(笑))
norisa
-
- liberty-libertyさん 2016/04/13 01:02:55
- ようこそ(*^o^*)
- norisaさん、こんばんは!
北部九州旅行記
前回から楽しく拝見させて頂いています(^^)
福岡在住ですが
長崎での仕事が多く
今現在では福岡と長崎のハーフだと思っている私です(笑)
なので出てくる風景写真やコメントが
まるで我が子をよそ様がどう見ているかを知るようで
何だか嬉し恥ずかしなカンジで( ̄▽ ̄)
でも、norisaさんの旅行記を読んで
日本の歴史を語る上で
長崎って重要な場所だよね〜と思いました(*^^*)
イヤ、これまでもそう思ってはいましたが
身内びいきなのかもとあまり大きな声では言えなくて(^^;)
鎖国時代の貴重な貿易港
そして近代日本の成長の証である港町
それが長崎です。
風景も素晴らしいですが
人も食べ物もおもてなし心満載です!!
nosisaご夫妻に
それが伝わっていたら嬉しく思います(^^)
それでは続編も楽しみにしています♪
リバ2
- norisaさん からの返信 2016/04/13 11:10:40
- RE: ようこそ(*^o^*)
- リバ2さん
おはようございます。
お忙しいのにコメントもありがとうございます。
なるほど、福岡と長崎を半々ですか。
まさにキャリアウーマンの面目躍如。
平日に旅している我々、後ろめたいです(笑)
(大学も休みのこの時期がチャンスでした)
長崎は以前もそれなりに回りましたが、いつも新鮮。
そして、歴史上も非常に重要な港町ですね。
これで夜景もキレイですからもっとガイジン旅行者で溢れてもよさそうですね!
まあ、あまり溢れても狭い港町ですから海に転落してしまうかも(爆)
そしてーーー、おもてなしの心は確かに感じました。
そういう土地柄なのでしょうね。
この旅、これから少々?寄り道して最後は福岡でゆっくりします。
冗長な旅行記ですがあきれないでくださいね!
norisa
-
- はなかみno王子さん 2016/04/12 22:47:57
- 明治維新の偉業
- norisaさま
はるばる長崎からのコメント。
さながら歴史探訪と回顧の旅ですね。
何時もながら敬服いたします。
それにしても明治維新は、近代日本にとって欧米列強の侵略を国民一丸となって阻止するばかりでは無く、欧米に並ぶ国力を創る原動力になったのですねーー。
先人たちの勇気と努力に感謝ですーー。
おうじ
- norisaさん からの返信 2016/04/13 11:04:29
- RE: 明治維新の偉業
- おうじ様
おはようございます。
いつもご訪問やご投票ありがとうございます。
勝手なコメントを並べていましたが読んでいただける方がいてウレシイです(笑)
この時期の世界情勢、世界地図を考えると、明治維新は起こるべくして起きた政変だったようですね。
ここで何もしなかったら今どうなっていたかコワイです。
龍馬や先人の勇気と英断はありがたいことでしたーーー。
norisa
-
- 前日光さん 2016/04/12 22:39:56
- もしかして、コメント一番乗り?
- え?遅いのが取り得の私が?(^^;)
こんばんは、norisaさん。
日本の夜明けの歴史を如実に語る長崎の町。
坂道は、この場合何か意味があったのでしょうか?
坂道に萌えるタモリさんにご高説を賜りたいものです。
長崎は修学旅行の引率で、二度ほど訪れております。
稲佐山のホテルに泊まったのですが、到着が暗くなってからで、同僚の先生がバスに酔ってしまい、そのお世話でホテル名など覚えていません。
グラバー園や大浦天主堂は行きましたが、眼鏡橋には行くことができませんでした。
その時にバスガイドさんが、長崎には自転車屋さんはほとんど無いと説明してくれましたが、あの坂道では確かに自転車ではキツイですよね。
稲佐山への途中に高校があったように思いますが、あそこに自転車通学なんてとんでもないと思います。
亀山社中には、社会科の先生が生徒の自由行動の日に訪れたようです。
するとそこで、何と龍馬について取材中の、作家浅田次郎氏に出会ったのだそうです。
私も行けばよかったと、後悔したことを思い出します。
長崎と坂道、そして日本の近代化。。。
長崎に漂う独特の異国情緒等々、勉強になりました<(_ _)>
前日光
- norisaさん からの返信 2016/04/13 11:01:10
- RE: もしかして、コメント一番乗り?
- 前日光さん
おはようございます。
いつも素早いご訪問やご投票ありがとうございます(笑)
(ええ、一番乗です!)
長崎の坂道。
まさに明治維新の嚆矢となった地ですが、あえて坂道を強調させていただいたのは、明治維新であふれ出た血気、情熱によって「坂の上の雲」を目指すような状況を表現したかったこと。
そして、その勢いを過信して日清、日露、太平洋戦争へと突き進み数百万の死者を出した愚行を、あたかも「坂から転げ落ちる」悲劇として表現したかったからです。
まあ、そんな拙い暗喩はさておき修学旅行で二度も訪問されましたか!
先生という役得、羨ましいかぎりです(笑)
実際は引率で大変でしょうねーー。
眼鏡橋からちょっと東に歩くと、もうそこは坂だけの街。
聞いた話では坂の途中に家を建てるのは特別料金だそうです。
なにしろ坂よりも道の狭さがハンパありません。
浅田次郎さんもいたという亀山社中もメチャ坂の途中。
こんな坂で構想を練ったから維新の偉業を成し遂げられたかもしれませんねーー。
norisa
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