2015/07/27 - 2015/08/03
130位(同エリア3817件中)
ken-kenさん
- ken-kenさんTOP
- 旅行記169冊
- クチコミ0件
- Q&A回答11件
- 375,397アクセス
- フォロワー134人
フィレンツェの教会の礼拝堂にルネッサンスの巨匠たちが素晴らしいフレスコ画を描きました。
特に素晴らしいのがサンタ・マリア・デル・カルミネ教会にあるブランカッチ礼拝堂のフレスコ画です。
このフレスコ画はマザッチョとマゾリーノと言う二人の画家が共同で描いています。
マゾリーノは1383年生まれ、その弟子とされているマザッチョは1401年生まれです。
ただ二人が描いた、「原罪」(マゾリーノ作)「楽園追放」(マザッチョ作)を見れば二人の才能の差は明らかかもしれません。
マゾリーノが途中でこの仕事を放棄してハンガリーに旅立ってしまったのは、もしかしたら弟子の才能に嫉妬したのかもしれません。
マザッチョの描いた「貢の銭」のフレスコ画はルネッサンスの曙と言われています。
その他、フィレンツェの教会にはフィリピーノ・リッピ、ギルランダイオ、ベノッツォ・ゴッツォリ等の巨匠の描いたフレスコ画が沢山残り、「天井のない美術館」の名に恥じない町であることがよくわかります。
追記
2016年秋に行った時の写真を追加、あるいは変更しています。
-
まずはアルノ川を渡って少し歩いた所にあるサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の外観です。
この教会18世紀に起きた火災でほとんど焼けてしまいましたが、マザッチョのフレスコ画があるブランカッチ礼拝堂は奇跡的に被害を受けませんでした。
ブランカッチ礼拝堂は10時開館です。
10人ほどの観光客が開館を今や遅しと待っています。 -
フィレンツェカードを持っていたおかげで、チケット購入の時間が省け、一番乗りが出来ました。
ブランカッチ礼拝堂の全体図です。
祭壇に描かれているのは13世紀後半に描かれた「カルミネの聖母」。
そして両壁面に描かれているのは「聖ペテロ伝」です。
「聖ペテロ伝」は1425年頃にマザッチョとマゾリーノによって描かれましたが、途中でマゾリーノがハンガリーに行ってしまったので中断されます。
1427年に再び描かれますが、マザッチョが1427年に夭逝してしまい、資金面のこともあって、しばらくそのままにされていました。
その後50年以上たってフィリピーノ・リッピの手によってやっと完成されました。
つまりこのフレスコ画には3人のルネッサンスの巨匠がかかわっているのです。 -
マザッチョが描いた「楽園追放」です。
1425年頃の作品です。
これまでの絵には感情表現というのがあまりなかったのですが、これはアダムとイブの嘆きが伝わってくる素晴らしい絵です。
また影をつけて立体感を出しています。 -
一方反対側に描かれているマゾリーノの「原罪」です。
同じく1425年頃の作品です。
この絵を称して「ヌーディストのピクニック」と言った批評家がいます。
これから大変な罪を犯そうとしているのに、アダムもイブもあっけらかんとしています。
そんな面でもマザッチョの「楽園追放」とは比較になりませんが、マザッチョがすごすぎるだけで、これはこれで素晴らしい絵だと思います。
あの「ヴィーナスの誕生」より60年近く前の絵なのですから・・・ -
そしてルネッサンス絵画の曙と言われる「貢の銭」。
マザッチョ作。1925年頃の作品です。
この絵には遠近法などもさることながら、教会の窓からの外光を計算に入れて描かれているそうです。 -
イチオシ
人物の表現も非常に写実的になっています。
そしてこの絵は一点透視法を始めて用いた絵画としても有名です。
レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロなどを知っている現在に見るとそれほどの凄さを感じないのですが、まだゴシック絵画が全盛の当時の人々にはとんでもなく革新的な絵だったと思います。 -
「貢ぎの銭」イエスとヨハネのアップです。
-
マザッチョの自画像も描かれています。
-
マザッチョが描いた「ペテロの洗礼」。1425年頃の作品。
男性の肉体表現がミケランジェロを思い出させます。
ただ、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画を描いたのはこれより百年近く後のことです。 -
「司教座につく聖ペテロ」マザッチョ作。
1425年頃の作品。
これも素晴らしい作品です。 -
「施しをする聖ペテロ」マザッチョ作。
1425年頃の作品。 -
「自らの影で病人を癒す聖ペテロ」
マザッチョ作。
1425年頃の作品。 -
「タビタを蘇生させる聖ペテロ」
マザッチョ、マゾリーノの共作。
1425年頃の作品。 -
マゾリーノ作「エルサレムで説教をする聖ペテロ」
1426年頃の作品 -
そしてこの絵はマザッチョが1427年頃描いたのですが、途中で辞めてしまい、(その後すぐ亡くなってしまいます。)そのままにされていたのをフィリピーノ・リッピが手を入れて仕上げました。
50年の年月の差を感じさせません。
「アンティキオの王子を蘇生させる聖ペテロ」
1481年頃の作品。 -
「ネロ帝の前で詰問される聖ペテロ」
フィリピーノ・リッピ作。
1481年頃の作品。 -
「聖ペテロの磔」
フィリピーノ・リッピの作品。
1481年頃の作品。
この画にリッピの師匠であるボッティチェリが描かれています。
右端にいて、こちらを見ている人がボッティチェリです。 -
ボッティチェリのアップです。
真ん中でこちらを見つめている人物です。
自画像よりハンサムに描かれています。 -
「天使によって牢から解放される聖ペテロ」
フィリピーノ・リッピ作。
1481年頃の作品。
天使の左隣りにフィリピーノ・リッピの自画像が描かれています。 -
右側でこちらを見ている人物がフィリピーノ・リッピの自画像です。
-
「牢獄の聖ペテロを訪ねる聖パウロ」
フィリピーノ・リッピ作。
1481年頃の作品。 -
ブランカッチ礼拝堂。
向かって右側部分の絵です。
上段、左から、「洗礼する聖ペテロ」「足の悪い病人を癒す聖ペロ」「タビタの蘇生」です。
下段は左から、「施しをする聖ペテロ」「聖ペテロの磔」「ネロ帝の前で審問された聖ペテロ」です。 -
やはり向かって右側部分です。
上段、左から「タビタの蘇生」「原罪」
下段、左から「ネロ帝の審問を受ける聖ペテロと聖パウロ」「天使により牢獄から救われる聖ペテロ」
です。 -
ブランカッチ礼拝堂のフレスコ画。
今度は向かって左部分の絵です。
上段、左から「貢の銭」、「エルサレムで説教する聖ペテロ」
下段、左から「アンティキオの王子を蘇生させる聖ペテロ」「司教座につく聖ペテロ」「自らの影で病人を癒す聖ペテロ」 -
上段左が「洗礼を施す聖ペテロ」
上段右が「足の悪い病人を治す聖ペテロ」(マゾリーノ作)
下段左が「施しをする聖ペテロ」
下段右が「聖ペテロの磔」です。
いやー、本当に素晴らしかったです。
素晴らしい絵を心行くまで堪能しました。 -
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会を出て、橋を渡った所にあるサンタ・トリニタ教会です。
ここにギルランダイオが描いたサセッティ礼拝堂があります。
追記 2019年に行った時には内部の撮影が禁止されていました。 -
これがサセッティ礼拝堂です。
真ん中に「羊飼いの礼拝」が描かれ、その絵を拝むサセッティ夫婦が描かれています。
この礼拝堂を作らせたフランチェスコ・サセッティはメディチ銀行の支配人だった人です。
自らの名前にちなんで、聖フランチェスコ伝を描かせました。
1485年頃の作品です。
一番下の段、牧場の礼拝の絵を挟んでいるのがサセッティ夫妻です。 -
メディチ銀行の支配人だけあって、一番上に描かれている聖フランチェスコが教皇からフランチェスコ会の認可を受けるシーンは場所をローマからフィレンツェに変え、メディチ一族が総出演しています。
-
下の階段から顔を出しているのが家庭教師ポリツィアーノに率いられた、ロレンツォ豪華王の子供たちです。
-
ピンボケです。
この髭の生えた男性が詩人のポリツィアーノ。
メディチの子供たちの家庭教師でもありました。
その隣にいる子供がジュリオ・ディ・メディチです。
パッツィの乱で殺されたジュリアーノ・メディチの子供で、後のクレメンス7世です。 -
これもピンボケです。
右がロレンツォの長男ピエロ・メディチ
左が次男のジョヴァンニ・メディチ
ピエロは父に「狂人」とあだ名され、後に市民からフィレンツェを追い出されてしまいます。
ジョヴァンニのほうは父に「賢人」と言われ、後に教皇レオ十世になっています。 -
やはりピンボケですが、ロレンツォ豪華王もしっかりと描かれています。
右から三番目。
黒髪を長く垂らした男がロレンツォ豪華王です。
壁画を照らすライトがあまり強くないので、判りにくいと思います。 -
その下に描かれている、「少年の蘇生」
ギルランダイオ作。1485年頃の作品。
窓から落ちて死んだと思われた少年を復活させる聖フランチェスコです。 -
サセッティ礼拝堂
「聖フランチェスコの死」
ギルランダイオ作。
1485年頃の作品。
なんとなくサンジミニャーノのギルランダイオのフレスコ画「聖フィーナ伝」にも似た構図です。 -
そして真ん中に描かれた「羊飼いの礼拝」です。
この絵にはギルランダイオ自身も描かれています。
右から二番目にいてキリストを指さしています。 -
この人がギルランダイオです。
-
フィレンツェの駅そばにあるサンタ・マリア・ノヴェーラ教会です。
ここも美術館と言っていいほどの素晴らしい名画・彫刻で飾られています。 -
まずはギルランダイオの絵画で彩られたトルナブオーニ礼拝堂。
「聖マリア伝」と「洗礼者ヨハネ伝」の絵画が描かれています。
1486年頃の作品です。
トルナブオーニ家の娘ルクレツィアはロレンツォ豪華王の母親に当たります。
なので親メディチの家と言ってもいいでしょう。 -
非常に華麗な礼拝堂です。
教会の中央にあるので主祭壇と言っていいでしょう。 -
この絵の依頼者ジョヴァンニ・トルナブオーニ。
ジョヴァンニはロレンツォ豪華王の叔父にして、メディチ銀行のローマ支店長だった人です。 -
この絵の依頼者ジョヴァンニ・トルナブオーニの妻、フランチェスカ・ピッティです。
ステンドグラスを挟んで夫婦が対になっています。 -
ギルランダイオのフレスコ画「聖マリア伝」
向かって左側部分です。
1486年頃の作品。
気品にあふれた絵画です。 -
イチオシ
「聖マリア伝」
「聖母マリアの誕生」
右側で抱かれている赤ちゃんが聖母マリアですね。
そしてその左側に描かれている5人の女性はトルナブオーニ家の女性たちだそうです。
一番右、ピンと背筋を伸ばした女性が気品あふれる美しさがあり素晴らしいです。 -
ギルランダイオ作「聖マリア伝」
「聖母マリアの結婚」
聖母マリアはかなり年齢のいったのヨゼフと結婚しました。 -
ギルランダイオ作「洗礼者ヨハネ伝」
今度は向かって右側部分です。 -
ギルランダイオ作「洗礼者ヨハネ伝」
「祭司ザカリアにヨハネの誕生を告げる天使」
祭司ザカリアには長い間子供が出来ませんでした。
そこに天使が息子が生まれることをお告げに来ます。 -
ギルランダイオ作「洗礼者ヨハネ伝」
「洗礼者ヨハネの誕生」
天使の予言通りザカリアの妻エリザベッツは洗礼者ヨハネを生みます。
相当な高齢出産だったようです。
この絵にも右側にトルナブオーニ家の女性たちが描かれています。 -
イチオシ
ギルランダイオ作「洗礼者ヨハネ伝」
「聖母マリアのエリザベッツ訪問」
聖母マリアとエリザベッツは親戚だったようです。
そのため「聖マリア伝」とリンクしている部分です。
この絵もやはり右側にトルナブオーニ家の女性たちが描かれています。 -
ギルランダイオ作「洗礼者ヨハネ伝」
「バプティスマのヨハネによるキリストの洗礼」 -
その隣にあるストロッツィ礼拝堂のフィリピーノ・リッピの壁画は残念ながら修復中でした。
1500年頃の作品です。 -
2016年の秋の旅行の時には修復が終わっていました。
フィリピーノ・リッピ作ストロッツィ礼拝堂「聖ピリポと聖ヨハネ伝」
右の絵は「マルス神殿から竜を追い出す聖ピリポ」
1500年ころの作品です。
トルコのヒエラポリスの軍神マルスを祭る神殿に竜が住み着いていて、人々はこの竜を礼拝していました。
が、キリスト教の立場からするとこのことは偶像崇拝になります。
そこでピリポは竜を神殿から追い出したのです。 -
ちょっとピンボケですが「マルス神殿から竜を追い出す聖ピリポ」
竜と言っても結構小さいものなんですね(笑)。
その左にいて片手を上げているのが聖ピリポでしょうね。(光輪もありますし・・・・・) -
竜を追い出したはいいのですが、その悪臭で何人もの人が亡くなり、ヒエラポリスの神官たちはその責任をピリポに求めました。
そしてピリポは磔にされ殉教しました。
そんな場面を描いた「ピリポの殉教」を見てビックリ!
磔にされているのは老人ではないですか!
先ほどの絵で自分がピリポと思った人物がピリポじゃなかったのか(真ん中の老人がピリポだったのでしょうか?)、あれから年月が結構経っているのか・・・・・ -
左側の絵は「聖ヨハネ伝 ドルシアナの蘇生」
-
「聖ヨハネ伝 ドルシアナの蘇生」
聖ヨハネとはキリストの一番若い弟子でキリストに一番かわいがられていました。
よって普通は美青年あるいは美少年として描かれるのですが、この絵ではすでに老年になっています。 -
「聖ヨハネ伝 拷問を受ける聖ヨハネ」
釜茹でにされたみたいですね。
でも、たった一人ヨハネだけは殉教せずに天寿を全うします。
しかし、若き日の美貌は今いずこ・・・・腹の出たおじいさんになっています。
ヨハネファンにとって絶対見たくない絵ではないでしょうか(笑)。 -
この教会にはもう一つストロッツィ礼拝堂があります。
マントヴァのストロッツィ礼拝堂と呼ばれています。
リッピの描いたストロッツィ礼拝堂よりおよそ150年前に作られています。 -
ストロッツィ礼拝堂。
前にある祭壇画はオルカーニャの作品です。
1355年頃の作品。 -
ストロッツィ礼拝堂の側面。
ナルド・ディ・チオーネと言う人が描いた「天国」
1355年頃の作品。 -
完全に剥がれていたりして見えにくいですが、逆側には地獄の絵が描かれています。
-
ブルネッレスキの「十字架にかかるキリスト像」
1412年ころの作品です。
ブルネッレスキはフィレンツェのドゥオーモの設計者でもあり、後には彫刻家よりも建築家として有名になりました。 -
マザッチョの描いた「聖三位一体」。
1427年頃の作品。
マザッチョ最晩年の作品です。
「貢の銭」とこの「聖三位一体」をマザッチョの2大傑作と呼ぶ美術評論家が多いとか。
この絵でマザッチョは消失点を用いて、遠近法を完全に完成させました。 -
サンタ・マリア・ノッヴェラ寺院の回廊です。
-
回廊の脇に「スペイン人の礼拝堂」があります。
フレスコ画はアンドレア・ダ・フィレンツェの作品。
1366年頃の作品です。 -
「ドメニコ会の勝利」のアップです。
この絵ではまだ当時建立されていなかったフィレンツェのドゥオーモの完成予想図が描かれています。 -
やはり「スペイン人の礼拝堂」
アンドレア・ダ・フィレンツェ「キリストの磔刑」
1366年頃の作品です。 -
スペイン人の礼拝堂。
アンドレア・ダ・フィレンツェのフレスコ画「聖トマス・アクィナスの勝利」 -
スペイン人の大礼拝堂の天井画です。
-
これも天井画です。
-
色落ちが激しいですがウッチェロの絵もあります。
「アダムとイブの楽園追放」
1448年ころの作品 -
メディチ・リカルディ宮殿です。
もともとはメディチの宮殿でしたが、1649年にリカルディ家に売られたために両家の名を取ってこの名前がつけられました。
外観は非常に武骨な感じです。 -
が、中に入ると洗練された空間が待っています。
建物の中央を占める回廊。 -
回廊の向こうには中庭があります。
-
大広間です。
普通なら感激する所なのですが、実はその前にピッティ宮殿を見ていたため、あまり感激感はありません。
その他の部屋もそそくさと通り過ぎます。 -
大広間の天井画です。
ルカ・ジョルダーノの作品です。
1685年頃の作品。 -
メディチ・リカルディ宮殿の一番の見どころはこの礼拝堂でしょう。
ベノッツォ・ゴッツォリ作「東方三賢王の礼拝」
1459年頃の作品。
目がくらむような素晴らしい色彩です。 -
イチオシ
これが若き王。
ロレンツォ豪華王がモデルとされています。 -
ただしかなり(と言うかめちゃくちゃ)美化されて描かれています。
-
遠近法はほとんど無視されていて、平面的な感じがします。
「貢の銭」から30年もたっている作品とはとても思えません。
藤本ひとみさんの「逆光のメディチ」(今がタイトルが「ダ・ヴィンチの愛人」に代わりました)では、主人公のアンジェラに「この絵は活気がなく、まるで死者の行列のように壁の中で静止している」とめちゃくちゃディスられています -
確かにおっしゃる通りのような気もしますが、ゴッツォリはわざと遠近法を無視して、中世の絵巻物のような雰囲気を出したかったんじゃないかとも思えます。
こちらは中年の王 -
しかも細部はすごく精密に描かれています。
ウサギを掴む鷹。 -
足元には鴨もいます。
-
そして老人の王。
パリのクリューニ美術館にあるタペストリー「貴婦人と一角獣」を思い起こさせるような雰囲気の絵だと思います。 -
この絵の中にも老コジモとピエロ・ディ・メディチがいます。
白い馬に乗っている赤い帽子の人がピエロ・ディ・メディチ。
その左隣でやはり馬に乗っている赤い帽子が老コジモです。
ゴッツォリもいるはずなのですが、これは判りませんでした。 -
息を飲むような美しさです。
-
そして正面にはフィリッポ・リッピの絵が飾られています。
-
そしてリッピのキリストの絵を礼拝する人々の姿も描かれています。
-
右側にもこの通り。
同じように礼拝しています。 -
フィレンツェの街の東のはずれにあるのが、サンタクローチェ寺院です。
ここにも素晴らしいフレスコ画が沢山あります。
ただしここにあるフレスコ画はルネッサンス以前のものです。 -
サンタクローチェ教会の内部です。
-
なんと言っても有名なのがジョットの「聖フランチェスコ伝」でしょう。
「聖フランチェスコの死」1325年頃の作品。
一部がはがれてしまっているのが残念です。 -
アップです。
-
バルディ礼拝堂
ジョット作「聖フランチェスコ伝」 -
窓から光が差し込み幽玄な雰囲気です。
-
「聖フランチェスコ伝 アルルの幻影」です。
アルルの修道院に聖フランチェスコの幻影が現れたシーンだそうです -
バルディ礼拝堂のフレスコ画です。
こちら側は大きく剥がれています。 -
剥がれてない部分です。
一番上が教皇ホノリウス三世に面会する聖フランチェスコ。
中段が「火の証」です。
聖フランチェスコはイスラム世界でも布教しようとし、第五次十字軍が駐留していたエジプトにわたりました。
なんとイスラムのスルタンのもとに行き改宗を迫ったらしいです。
そしてイスラム方学者と対決し火の中に入り自分が焼け死ななかったら改宗せよと迫ったとか。(現在ではこれはフィクションと考えられています)
スルタンは改宗はしなかったもののフランチェスコを丁重にもてなしたそうです。
そして十字軍に送り届けたとか。
大人です(笑)。 -
その隣ペルッツィ礼拝堂。
ジョット作「洗礼者ヨハネ伝」
1315年頃の作品。
やはり色落ちしているのが残念です。
下段一番右にヨハネの首の乗った皿を持つサロメが描かれています。 -
下段に描かれているのは「ヘロデの宴」
残念ながらサロメの部分は切れてしまいました。 -
上段は洗礼者ヨハネの父だった司祭ザカリアの幻影。
ヨハネの母エリザベトとイエスの母マリアは親類だったそうです。
エリザベトもザカリアはかなりの高齢。
もう子供はできないだろうと諦めていました。
ある日ザカリアがエルサレムの神殿で香を焚いていると天使ガブリエルが現れて子供が出来ることを予言します。
その場面。
そして中段はめでたくヨハネが生まれた場面です。 -
こちらも窓から光が射しています。
-
ペルッツィ礼拝堂の逆側のフレスコ画。
やはりジョット作です。
こちらは同じヨハネでも「預言者ヨハネ伝」 -
中段は「ドルシアナの蘇生」
亡くなったドルシアナの葬式に立ち会った預言者ヨハネがドルシアナを生き返らすという話です。
このエピソードはサンタ・マリア・ノッヴェラ教会のフィリピーノ・リッピが描いたフレスコ画にも描かれています。 -
そして下段は「天国に召される預言者ヨハネ」です。
なんか二階から落ちた人を救うって感じもありますね(笑)。 -
やはり窓から光が射して綺麗です。
-
バロンチェリ礼拝堂。
タッデオ・ガッディの作品です。
1330年頃の作品。 -
やはりバロンチェリ礼拝堂。
タッデオ・ガッディの作品。
ジョットの弟子になります。
ポンテ・ヴェッキオを設計したのも彼だと言われています。 -
フレスコ画は「聖母マリア伝」です。
-
バロンチェリ礼拝堂の前にある祭壇画。
これはジョットの作品です。
1334年ころの作品です。 -
カステラーニ礼拝堂。
アーニョロ・ガッディの作品です。
1385年頃の作品。
アーニョロはタッデオの息子です。 -
カステラーニ礼拝堂の側面です。
絵の洪水にめまいがしそうです。 -
下段は空飛ぶ船かと思いました(笑)。
遠近法滅茶滅茶ですね(笑)。 -
天井画です。
-
-
そして主祭壇の壁画もアーニョロ・ガッディです。
「聖十字架の物語」だそうです。 -
聖具室のフレスコ画
キリストの処刑から昇天までを描いています。 -
一番右側はスピネッロ・アレティーノの「十字架を担ぐキリスト」
-
そして中央はタッデオ・ガッディの「磔刑図」
-
サンタクローチェ寺院はフィレンツェでも最も古く、最も由緒ある教会のひとつなので、いろいろな人のお墓もあります。
ミケランジェロの墓です。
ヴァザーリが設計しました。
1570年頃の作品。 -
マキアヴェリの墓もあります。
生前は官職を剥奪され失意のうちに亡くなっていますので、お墓も質素です。 -
ガリレオの墓もあります。
-
ロッシーニの墓です。
-
ドナッテロ作のキリスト像もあります。
立ち入り禁止区域にあるので上手く撮れません。
1412年頃の作品。 -
ドナッテロの「受胎告知」のレリーフもあります。
1435年ころの作品です。 -
チマブーエ作のキリスト像もあります。
1287年頃の作品。
1966年にフィレンツェを襲った洪水でこんな姿になってしまいました。 -
パッツィ家の礼拝堂に行くには一度教会を出て、回廊を回って行かねばなりません。
-
パッツィ家の礼拝堂。
パッツィ家はパッツィの乱の時、こともあろうにロレンツォ豪華王をドゥオーモのミサの時に殺そうとした一族。
ロレンツォは辛くも凶刃から逃れましたが、弟のジュリアーノは殺されてしまいました。
しかもその裏には教皇のシクトゥス4世、その甥のジローラモ・リアーリオも絡んでいました。
ロレンツォの怒りは凄まじく、首謀者は全て死刑、パッツィの一族は全員フィレンツェ追放の刑に合っています。
そのためかパッツィ家の礼拝堂はルッカ・デッラ・ロッビアのメダイヨンしかありません。
これは1440年頃の作品。
いくらなんでもこんな簡素なわけはないので、多分、パッツィの乱の後、全ての壁画を剥ぎ取られるてしまったのでしょう。 -
そしてかつての食堂にはキリストの磔刑図と最後の晩餐のフレスコ画が。
タッデオ・ガッディの作品です。
1360年頃の作品です。
2016年には食堂自体が修復中で入れませんでしたが、2019年には入ることが出来ました。 -
「最後の晩餐」のアップです。
-
さらにアップにしてみました。
-
そして上部には「十字架の樹」が描かれています。
これもタデオ・ガッディが描きました。 -
「十字架の樹」のアップ。
-
そして1966年の洪水で大きなダメージを受けたヴァザーリの「最後の晩餐」が修復されてここに飾られていました。
-
ヴァザーリ「最後の晩餐」。
-
サン・ロレンツォ聖堂の外観です。
-
サン・ロレンツォ聖堂の中にある
フィリッポ・リッピ作「受胎告知」
1445年ころの作品です。 -
ブロンツィーノのフレスコ画
「サン・ロレンツォの殉教」
1569年の作品です。
教会の名前にもなっているサン・ロレンツォの殉教のシーンを描いています。
彼は熱した鉄格子の上で火あぶりにされましたが、火の上に乗って数分ののちに「こちら側は焼けたからひっくり返していい」と言ったとか・・・・
そういう絵なのですが、ブロンツィーノが描くと変にエロチックですね。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
中部イタリア旅行
-
前の旅行記
2015年 祝 イタリア美術館写真撮影解禁 フィレンツェ・サンマルコ修道院と最後の晩餐めぐり
2015/07/27~
フィレンツェ
-
次の旅行記
2015年 祝 イタリア美術館写真撮影解禁 フィレンツェ ピッティ宮・パラティーナ美術館と幸せの教会
2015/07/27~
フィレンツェ
-
2015年 祝 イタリア美術館写真撮影解禁 フィレンツェ・ウフィッツィ美術館 追記 2016年秋の写真も追加...
2015/07/27~
フィレンツェ
-
2015年 祝 イタリア美術館写真撮影解禁 フィレンツェ・サンマルコ修道院と最後の晩餐めぐり
2015/07/27~
フィレンツェ
-
2015年 祝 イタリア美術館写真撮影解禁 フィレンツェの礼拝堂 (ルネッサンスの曙 ブランカッチ礼拝堂のフ...
2015/07/27~
フィレンツェ
-
2015年 祝 イタリア美術館写真撮影解禁 フィレンツェ ピッティ宮・パラティーナ美術館と幸せの教会
2015/07/27~
フィレンツェ
-
2015年 祝 イタリア美術館写真撮影解禁 フィレンツェ ドゥオーモ・洗礼堂・ヴェッキオ宮殿 追記 2016...
2015/07/27~
フィレンツェ
-
2015年 祝 イタリア美術館写真撮影解禁 フィレンツェ 彫刻編 アカデミア美術館etc.
2015/07/27~
フィレンツェ
-
2015年 イタリア旅行 フィレンツェの街かどで
2015/07/27~
フィレンツェ
-
2015年 イタリア旅行 ピサの斜塔
2015/07/27~
ピサ
-
2016年秋 イタリア旅行 サンジミニャーノは完璧な中世が残る街 そして最高のレストランがある街
2016/10/11~
サンジミニャーノ
-
2016年秋 イタリア旅行 天空の城チビタ
2016/10/11~
オルヴィエート
-
2016年秋 イタリア旅行 オルヴィエート 素晴らしいフレスコ画とトリュフの香り
2016/10/11~
オルヴィエート
-
2016年秋 イタリア旅行 シエナと中世の王冠モンテリッジョーニ
2016/10/11~
シエナ
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (2)
-
- makiさん 2018/01/20 10:12:11
- 綺麗
- イタリア、フィレンチェは2回行きましたが
此処は見ていません!
ken-kenさんの写真の上手さと関心し
又、スレスコ画に見とれいかなかった事を
後悔しています!
何時も感動有難う御座います!
- ken-kenさん からの返信 2018/01/20 13:12:24
- RE: 綺麗
- makiさん、こんにちは。
投票とコメントをありがとうございます。
フィレンツェは「天井のない美術館」と言われております。
はじめはシニョーリア広場などにある彫刻を指すのかと思いましたが、
今回行ってみて市内に点在する数多くの教会のことを指すのだと思い当たりました。
ウフィツィ美術館も確かに素晴らしいのですが、壁に直接描かれたフレスコ画は他所には絶対に持っていけない分、現地でしか見ることのできない素晴らしい美術品だと思いました。
本当に美術館以上の感銘を受けました。
そういった素晴らしいフレスコ画がフィレンツェ以外にも国内に星の数ほどあるのですからイタリアという国はすごいなと思います。
おかげでイタリアには何度も行っても飽きないだろうと思っております。
またこれからもよろしくお願いいたします。
ken-ken
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 中部イタリア旅行
2
137