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長い間、イタリアの美術館は写真撮影が禁止されていました。<br />ところが2014年秋、なんと!イタリアの美術館中で写真撮影が解禁されたのです!(いろいろ例外もあるようですが)<br />これは行くっきゃない!<br />そう思って急遽、マルタ旅行からイタリア旅行に変更することにしました。<br /><br />行ってビックリ!ほとんどの美術館、教会で写真撮影が解禁されていました。<br />もう涙ちょちょ切れる程の感動でした。<br /><br />まずはフィレンツェのウフィッツィ美術館から。<br />ウフィッツィでは写真、ビデオ共に大丈夫でした。<br /><br />追記<br />2016年秋に再びウフィッツィ美術館を訪れたので写真を追加、または変更しました。<br />鮮明な写真は2016年のもの、あまりよくないものは2015年に撮ったのものです。

2015年 祝 イタリア美術館写真撮影解禁 フィレンツェ・ウフィッツィ美術館 追記 2016年秋の写真も追加しました

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2015/07/27 - 2015/08/02

53位(同エリア2972件中)

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    長い間、イタリアの美術館は写真撮影が禁止されていました。
    ところが2014年秋、なんと!イタリアの美術館中で写真撮影が解禁されたのです!(いろいろ例外もあるようですが)
    これは行くっきゃない!
    そう思って急遽、マルタ旅行からイタリア旅行に変更することにしました。

    行ってビックリ!ほとんどの美術館、教会で写真撮影が解禁されていました。
    もう涙ちょちょ切れる程の感動でした。

    まずはフィレンツェのウフィッツィ美術館から。
    ウフィッツィでは写真、ビデオ共に大丈夫でした。

    追記
    2016年秋に再びウフィッツィ美術館を訪れたので写真を追加、または変更しました。
    鮮明な写真は2016年のもの、あまりよくないものは2015年に撮ったのものです。

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    • まずは朝早くのウフィッツィ美術館です。<br />コの字型の形の建物です。<br />ウフィッツィはオフィスの意味です。

      まずは朝早くのウフィッツィ美術館です。
      コの字型の形の建物です。
      ウフィッツィはオフィスの意味です。

    • ウフィッツィ美術館からのヴェッキオ宮です。<br />ウフィッツィ美術館は工事中です。

      ウフィッツィ美術館からのヴェッキオ宮です。
      ウフィッツィ美術館は工事中です。

    • 建物を支える柱の中にフィレンツェを代表する有名人物の彫刻が。<br /><br />この方はロレンツォ豪華王です。<br />名前をロレンツォ・メディチ。<br />フィレンツェが最高に繁栄していた時の僭主です。<br />当時フィレンツェは共和制でしたが、この人が裏で総てを取り仕切っていたました。<br />決して民衆の敵にならないよう、慎重に、贅沢を避け、支配していることを悟られないように、しかししっかりとフィレンツェの政治を治めいました。<br />それがこの当時のメディチ家の家訓と言っていいでしょう。<br /><br />そしてこの方がフィレンツェのルネサンスを後押ししたと言っても過言ではありません。<br />ヴェロッキオ、ボッティチェリ、ギルランダイオ、フィリピーノ・リッピ、ペルジーノ・・・<br />そしてレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロもこの人のおかげで芸術家になれたと言っても過言ではないでしょう。<br /><br />フィレンツェにとって不幸だったのは、この人があまりに偉大で短命だったことですね。<br />この人の死後、怪僧サヴォナローラが神聖政治を引き、フィレンツェはあっという間に二流国になり、芸術もすたれてしまいました。<br /><br />そして紆余曲折を経て、スペインの後押しで、再びメディチ家が今度は完全に専制君主として、フィレンツェに君臨することになります。<br />けれども完全にスペインの傀儡の王で、フィレンツェは二流国に堕ち、かつての輝きを取り戻すことはありませんでした。

      建物を支える柱の中にフィレンツェを代表する有名人物の彫刻が。

      この方はロレンツォ豪華王です。
      名前をロレンツォ・メディチ。
      フィレンツェが最高に繁栄していた時の僭主です。
      当時フィレンツェは共和制でしたが、この人が裏で総てを取り仕切っていたました。
      決して民衆の敵にならないよう、慎重に、贅沢を避け、支配していることを悟られないように、しかししっかりとフィレンツェの政治を治めいました。
      それがこの当時のメディチ家の家訓と言っていいでしょう。

      そしてこの方がフィレンツェのルネサンスを後押ししたと言っても過言ではありません。
      ヴェロッキオ、ボッティチェリ、ギルランダイオ、フィリピーノ・リッピ、ペルジーノ・・・
      そしてレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロもこの人のおかげで芸術家になれたと言っても過言ではないでしょう。

      フィレンツェにとって不幸だったのは、この人があまりに偉大で短命だったことですね。
      この人の死後、怪僧サヴォナローラが神聖政治を引き、フィレンツェはあっという間に二流国になり、芸術もすたれてしまいました。

      そして紆余曲折を経て、スペインの後押しで、再びメディチ家が今度は完全に専制君主として、フィレンツェに君臨することになります。
      けれども完全にスペインの傀儡の王で、フィレンツェは二流国に堕ち、かつての輝きを取り戻すことはありませんでした。

    • やはり柱の中の彫刻、マキアヴェリ。<br /><br />ロレンツォ豪華王、サヴォナローラの後、フィレンツェが完全共和制になった時、フィレンツェの政庁に書記として務め、一種の大使としての役目も担ってきました。<br />その時にチェーザレ・ボルジアを知り、イタリア統一に必要な人間だと思い、「君主論」を書きあげました。

      やはり柱の中の彫刻、マキアヴェリ。

      ロレンツォ豪華王、サヴォナローラの後、フィレンツェが完全共和制になった時、フィレンツェの政庁に書記として務め、一種の大使としての役目も担ってきました。
      その時にチェーザレ・ボルジアを知り、イタリア統一に必要な人間だと思い、「君主論」を書きあげました。

    • 「デカメロン」の著者ボッカチオもフィレンツェの人。<br />ロレンツォ豪華王よりおよそ100年前の人です。<br />

      「デカメロン」の著者ボッカチオもフィレンツェの人。
      ロレンツォ豪華王よりおよそ100年前の人です。

    • そのボッカチオよりさらに50年ほど前の人、ダンテ。<br />「神曲」で有名です。<br />この「神曲」というタイトル、もとはただの「戯曲」だったそうですが、それに「神聖なる」という冠辞をつけた「神曲」の名前を定着させたのがボッカチオだったそうです。<br /><br />ダンテはフィレンツェ生まれでしたが、後にフィレンツェを追放されラヴェンナで亡くなったそうです。<br />そのため、ダンテのお墓はラヴェンナにあります。

      そのボッカチオよりさらに50年ほど前の人、ダンテ。
      「神曲」で有名です。
      この「神曲」というタイトル、もとはただの「戯曲」だったそうですが、それに「神聖なる」という冠辞をつけた「神曲」の名前を定着させたのがボッカチオだったそうです。

      ダンテはフィレンツェ生まれでしたが、後にフィレンツェを追放されラヴェンナで亡くなったそうです。
      そのため、ダンテのお墓はラヴェンナにあります。

    • フィレンツェ市はラヴェンナに遺骨の返還を要求したそうですが、ラヴェンナはそれに応じていないそうです。<br /><br />そのためか、フィレンツェにはダンテの肖像画がいっぱいあります。<br />これはウフィッツィ美術館にあったダンテの肖像。

      フィレンツェ市はラヴェンナに遺骨の返還を要求したそうですが、ラヴェンナはそれに応じていないそうです。

      そのためか、フィレンツェにはダンテの肖像画がいっぱいあります。
      これはウフィッツィ美術館にあったダンテの肖像。

    • これはドゥオーモにあった、ダンテの肖像画。<br /><br />教皇派と自治派の対立で(ダンテは自治派)永久追放された(しかも戻ってくれば焚刑)ダンテですから、何を今さらと思っているかもしれません。

      これはドゥオーモにあった、ダンテの肖像画。

      教皇派と自治派の対立で(ダンテは自治派)永久追放された(しかも戻ってくれば焚刑)ダンテですから、何を今さらと思っているかもしれません。

    • そして柱に飾られた黒隊のジョヴァンニの彫刻。<br /><br />この人はフィレンツェの歴史史上でも非常に大事な人物かもしれません。<br /><br />母親はフォルリの女主人カトリーナ・スフォルッツァです。<br />イタリアの歴史上最大の女丈夫です。<br />子供を人質にして、部下を説得するからと言って自分の城に帰りそのまま出てこなかったというとんでもない女性。<br />怒った敵が「裏切ったな!カトリーナ!出てこないと子供を殺すぞ!」と言った所、スカートをめくって<br />「ばあか!これがあればこの先子供なんていくらでも作れるわ!」<br />と啖呵を切ったという、あっぱれと言うか、母親の風上にも置けないと言うか・・・・(結局、子供は全員助かったそうですが・・・)<br />好きな男が殺されると、殺した人間の一族郎党を皆殺しするし、チェーザレ・ボルジアと互角に戦うと言う、とにかくすごい女性です。<br /><br />そのカトリーナがメディチ家一の美男と言われた、ジョヴァンニ・メディチ(傍系の人です。レオ10世とは別人)と結婚して生まれたのがこの人です。

      そして柱に飾られた黒隊のジョヴァンニの彫刻。

      この人はフィレンツェの歴史史上でも非常に大事な人物かもしれません。

      母親はフォルリの女主人カトリーナ・スフォルッツァです。
      イタリアの歴史上最大の女丈夫です。
      子供を人質にして、部下を説得するからと言って自分の城に帰りそのまま出てこなかったというとんでもない女性。
      怒った敵が「裏切ったな!カトリーナ!出てこないと子供を殺すぞ!」と言った所、スカートをめくって
      「ばあか!これがあればこの先子供なんていくらでも作れるわ!」
      と啖呵を切ったという、あっぱれと言うか、母親の風上にも置けないと言うか・・・・(結局、子供は全員助かったそうですが・・・)
      好きな男が殺されると、殺した人間の一族郎党を皆殺しするし、チェーザレ・ボルジアと互角に戦うと言う、とにかくすごい女性です。

      そのカトリーナがメディチ家一の美男と言われた、ジョヴァンニ・メディチ(傍系の人です。レオ10世とは別人)と結婚して生まれたのがこの人です。

    • 黒隊のジョヴァンニとその妻マリア・サルヴィアーティ。<br />ウフィッツィ美術館の廊下に展示していました。<br /><br />そんなカトリーナの息子ですから、この人もエピソードに事欠きません。<br />妻のマリア・サルヴィアーティが独り息子を二階であやしているのを見たジョヴァンニは下から、「おーい!その子を俺のところに投げろよ!」と言ったそうです。<br />あまりにも何度も言われて仕方なくマリアが赤ん坊を窓から投げると、ちゃんと受け取って、「男の子はこれくらいじゃなくてはいかん」と言ったとか。<br /><br />そんな人間でしたから、メディチ家の厄介者でいつも不良仲間とつるんでいたそうです。<br />そんな彼を何故か気に入ったのが、教皇レオ10世。(ロレンツォ豪華王の次男)<br />ずっと自分の親衛隊として雇い、可愛がったそうです。<br />それをジョヴァンニも恩義として、レオ10世の亡くなった後、ずっと哀悼の意を表して黒帯をつけていたそうです。

      黒隊のジョヴァンニとその妻マリア・サルヴィアーティ。
      ウフィッツィ美術館の廊下に展示していました。

      そんなカトリーナの息子ですから、この人もエピソードに事欠きません。
      妻のマリア・サルヴィアーティが独り息子を二階であやしているのを見たジョヴァンニは下から、「おーい!その子を俺のところに投げろよ!」と言ったそうです。
      あまりにも何度も言われて仕方なくマリアが赤ん坊を窓から投げると、ちゃんと受け取って、「男の子はこれくらいじゃなくてはいかん」と言ったとか。

      そんな人間でしたから、メディチ家の厄介者でいつも不良仲間とつるんでいたそうです。
      そんな彼を何故か気に入ったのが、教皇レオ10世。(ロレンツォ豪華王の次男)
      ずっと自分の親衛隊として雇い、可愛がったそうです。
      それをジョヴァンニも恩義として、レオ10世の亡くなった後、ずっと哀悼の意を表して黒帯をつけていたそうです。

    • これはピッティ宮殿のパラティーナ美術館にあった、黒隊のジョヴァンニの肖像です。<br /><br />この人のエピソードで一番すごいのが、スペインとの戦争でマントヴァ近郊で負傷し、片足を切ると言う手術の時、手術の間中自ら燭台を掲げていたと言う話です。<br />まさしく三国志の関羽もびっくり(腕の手術中、酒を飲みながら囲碁を指していた)のエピソードです。<br />しかしさしもの気丈なジョヴァンニも、怪我には勝てず、この傷がもとで敗血症で亡くなってしまいます。<br />この人が生きていれば、後のスペイン軍(と言うかスペインに雇われたドイツのプロテスタント傭兵)によるローマ略奪もなかったかもしれないと言われています。<br /><br />と、あまり恵まれた人生ではありませんでしたが、運命のいたずらでこの人の一人息子のコジモがスペインの後押しで後のフィレンツェ王(トスカーナ大公という呼び名ですが)コジモ一世となります。

      これはピッティ宮殿のパラティーナ美術館にあった、黒隊のジョヴァンニの肖像です。

      この人のエピソードで一番すごいのが、スペインとの戦争でマントヴァ近郊で負傷し、片足を切ると言う手術の時、手術の間中自ら燭台を掲げていたと言う話です。
      まさしく三国志の関羽もびっくり(腕の手術中、酒を飲みながら囲碁を指していた)のエピソードです。
      しかしさしもの気丈なジョヴァンニも、怪我には勝てず、この傷がもとで敗血症で亡くなってしまいます。
      この人が生きていれば、後のスペイン軍(と言うかスペインに雇われたドイツのプロテスタント傭兵)によるローマ略奪もなかったかもしれないと言われています。

      と、あまり恵まれた人生ではありませんでしたが、運命のいたずらでこの人の一人息子のコジモがスペインの後押しで後のフィレンツェ王(トスカーナ大公という呼び名ですが)コジモ一世となります。

    • 前置きが長くなりましたが、さあ、美術館に入りましょう。<br /><br />美術館には8時前から並びましたのでほぼ一番乗りが出来ました。<br />ウフィッツィ美術館とアカデミア美術館だけはフィレンツェカードか予約入場が必須と言えるでしょう。(特にアカデミア美術館は小さいだけになかなか列が進みませんし、8時にはかなりの行列が出来ていました)<br />今回は2日半の時間がありましたので、フィレンツェカードを購入しました。(結果、しっかり元が取れました)<br /><br />まずはルネッサンスの曙、チマブーエの聖母子像です。<br />(実は先にボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの部屋行っているのですが・・・・)

      前置きが長くなりましたが、さあ、美術館に入りましょう。

      美術館には8時前から並びましたのでほぼ一番乗りが出来ました。
      ウフィッツィ美術館とアカデミア美術館だけはフィレンツェカードか予約入場が必須と言えるでしょう。(特にアカデミア美術館は小さいだけになかなか列が進みませんし、8時にはかなりの行列が出来ていました)
      今回は2日半の時間がありましたので、フィレンツェカードを購入しました。(結果、しっかり元が取れました)

      まずはルネッサンスの曙、チマブーエの聖母子像です。
      (実は先にボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの部屋行っているのですが・・・・)

    • まだビザンティン絵画の名残がありますが、背景に人物を入れることによって遠近感と厚みを出しています。<br />1280年ころの作品。

      まだビザンティン絵画の名残がありますが、背景に人物を入れることによって遠近感と厚みを出しています。
      1280年ころの作品。

    • そして、それからやや過ぎた頃、1285年頃のドゥッチョの聖母子像です。

      そして、それからやや過ぎた頃、1285年頃のドゥッチョの聖母子像です。

    • さらに遠近感と厚みが増した様な感じです。

      さらに遠近感と厚みが増した様な感じです。

    • そして天才ジョットの聖母子像。<br />1340年頃の作品です。

      そして天才ジョットの聖母子像。
      1340年頃の作品です。

    • もう平面的な感じが一切しません。<br />この人の登場によって一気に絵画界は前進したような気がします。

      イチオシ

      もう平面的な感じが一切しません。
      この人の登場によって一気に絵画界は前進したような気がします。

    • こちらはシエナ派のシモーネ・マルティニの受胎告知。<br />1333年の作品。<br />ジョットの前述の作品と同じ頃の作品なのに、ジョットに比べて平面的です。<br />ジョットの天才ぶりが判ります。

      こちらはシエナ派のシモーネ・マルティニの受胎告知。
      1333年の作品。
      ジョットの前述の作品と同じ頃の作品なのに、ジョットに比べて平面的です。
      ジョットの天才ぶりが判ります。

    • 天使の口から光線が出ているようですが、これは文字のようです。<br />言わば漫画の吹き出しみたいなものらしいです。<br />聖母マリアが思いっきり顔をしかめているのが面白いです。

      天使の口から光線が出ているようですが、これは文字のようです。
      言わば漫画の吹き出しみたいなものらしいです。
      聖母マリアが思いっきり顔をしかめているのが面白いです。

    • そして1400年代に出てきた天才がマザッチョです。<br />遠近法を完璧に完成させました。<br />サンタ・マリア・デル・カルミネ教会のブランカッチ礼拝堂のフレスコ画は1430年ころに描かれたとは思えない素晴らしさでした。<br /><br />これはマゾリーノと共作の板絵です。<br />聖母子と聖アンナ。<br />1424年頃の作品。

      そして1400年代に出てきた天才がマザッチョです。
      遠近法を完璧に完成させました。
      サンタ・マリア・デル・カルミネ教会のブランカッチ礼拝堂のフレスコ画は1430年ころに描かれたとは思えない素晴らしさでした。

      これはマゾリーノと共作の板絵です。
      聖母子と聖アンナ。
      1424年頃の作品。

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      この旅行記へのコメント (11)

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      • by kazu0204 さん 2015/10/20 19:37:47
        えっ?!
        ken-kenさん初めまして。
        ウフィツィ美術館の旅行記を読ませてもらいました!
        まさかの写真撮影OK!
        私も先日オランダの美術館に行った時、写真撮影OKで、
        寛容な国だと思っていたのですが、
        まさかウフィツィ美術館も写真撮影OKとは!
        10年以上前に写真撮ろうとして怒られたの思い出しましたσ(^_^;)

        たくさんの写真をありがとうございます。

        kazu0204
      • by kazu0204 さん 2015/10/20 19:36:21
        えっ?!
        ken-kenさん初めまして。
        ウフィツィ美術館の旅行記を読ませてもらいました!
        まさかの写真撮影OK!
        私も先日オランダの美術館に行った時、写真撮影OKで、
        寛容な国だと思っていたのですが、
        まさかウフィツィ美術館も写真撮影OKとは!
        10年以上前に写真撮ろうとして怒られたの思い出しましたσ(^_^;)

        ken-ken

        by ken-ken さん 2015/10/21 19:41:15
        RE: えっ?!
        kazu0204サン、こんばんは。
        このたびは投票とコメントをありがとうございました。

        > ウフィツィ美術館の旅行記を読ませてもらいました!
        > まさかの写真撮影OK!

        ヨーロッパは今、美術館が写真撮影解禁の動きになっているみたいですね。
        ロンドンのナショナルギャラリーもO.K.になったみたいですし、フランスもほぼ全部の美術館で写真撮影が解禁されたみたいです。
        イタリアもその動きに乗ろうとしている感があります。

        > 私も先日オランダの美術館に行った時、写真撮影OKで、
        > 寛容な国だと思っていたのですが、

        オランダもつい先日まで写真撮影は禁止されていましたね。
        それが急に写真撮影可になりました。
        ヨーロッパ中に大きな波が襲っているという感じですね。

        後はスペインのプラドとドレスデンのアルテマイスター、それからバチカンのシスティーナ礼拝堂がO.K.になるといいんですが・・・・・

        > まさかウフィツィ美術館も写真撮影OKとは!
        > 10年以上前に写真撮ろうとして怒られたの思い出しましたσ(^_^;)

        あの頃は今とは逆に、どんどん写真撮影が禁止になっていた頃でしたね。
        時代って変わっていくもんですね。

        またこれからもよろしくお願いします。

                                ken-ken
      • by oneonekukiko さん 2015/08/25 23:36:16
        この旅行記と一緒にフィレンツェに
        ken-kenさん
        膨大な作品ですね。
        これだけの作品の背景をご存知なのに敬服しています。

        私は、感覚で鑑賞してしまいますので
        あまり興味のない作品はサラーっと通り過ぎてしまいます。
        そして、もっとゆっくりすればよかったといつも後悔しています。
        ken-kenさんはきっと1日いても足りないでしょうね。
        絵画でも、音楽でも、建築でも
        その臨場感、空気が感動となるような気がします。
        ◯◯展と銘打って、
        いわゆる名画が、多くの作品とともに1点だけ展示してある展覧会は
        どうも苦手です。
        だから、性懲りもなく出かけていくことになります。
        風景と出会うのも同じですね。

        これからもよろしく

        ken-ken

        by ken-ken さん 2015/08/26 19:56:47
        RE: この旅行記と一緒にフィレンツェに
        oneonekukikoさん、今晩は。
        コメントと投票をどうもありがとうございました。

        > 膨大な作品ですね。
        > これだけの作品の背景をご存知なのに敬服しています。

        いえ、単にオタクなだけでございます。
        10年前はルネッサンスの画家と言えばラファエロ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチくらいしか知っておりませんでした。
        その後、塩野七生さんの本を読むようになって、ルネッサンス絵画に興味を持つようになりました。

        > 私は、感覚で鑑賞してしまいますので
        > あまり興味のない作品はサラーっと通り過ぎてしまいます。
        > そして、もっとゆっくりすればよかったといつも後悔しています。
        > ken-kenさんはきっと1日いても足りないでしょうね。
        > 絵画でも、音楽でも、建築でも
        > その臨場感、空気が感動となるような気がします。
        > ◯◯展と銘打って、
        > いわゆる名画が、多くの作品とともに1点だけ展示してある展覧会は
        > どうも苦手です。
        > だから、性懲りもなく出かけていくことになります。
        > 風景と出会うのも同じですね。

        感覚で鑑賞するのが一番の鑑賞法なんじゃないかと思います。
        絵なんて結局は好きな絵か興味のない絵のどちらかなのですから。
        ぱっと見て、ああこれはいいなと思ったらそれが自分にとっての名画なんだと思います。
        自分みたいに背景まで調べると言うのは、もしかしたら本当はあまり絵に興味がないからかもしれません。
        実は感覚だけで言うと、やっぱり印象派(特にモネ)が好きです。
        ただ、ルネッサンスの時期のイタリア絵画って歴史と切り離せない部分があって、それが自分をひきつけるのだと思います。


        > これからもよろしく

        こちらこそよろしくお願いいたすます。

                                ken-ken

        oneonekukiko

        by oneonekukiko さん 2015/08/26 20:15:54
        RE: RE: この旅行記と一緒にフィレンツェに
        ken-kenさん

        私のルネッサンスの手引きは恥ずかしながら
        「イラストで読む ルネッサンスの巨匠たち」と
        「イラストで読む レオナルド・ダ・ヴィンチ」です。
        もちろん塩野七生さんも好きです。
        でも、年々新しい情報が頭に定着しなくなりました。
        もっと若い時に真面目にやっておけばよかった。
        ken-kennさんのようなお若い方の刺激を受けて
        脳みそを活性化させますね。

        oneonekukiko

        ken-ken

        by ken-ken さん 2015/08/27 19:24:36
        RE: RE: RE: この旅行記と一緒にフィレンツェに
        oneonekukikoさん、今晩は
        またのコメントありがとうございました。

        > 私のルネッサンスの手引きは恥ずかしながら
        > 「イラストで読む ルネッサンスの巨匠たち」と
        > 「イラストで読む レオナルド・ダ・ヴィンチ」です。
        > もちろん塩野七生さんも好きです。
        > でも、年々新しい情報が頭に定着しなくなりました。
        > もっと若い時に真面目にやっておけばよかった。
        > ken-kennさんのようなお若い方の刺激を受けて
        > 脳みそを活性化させますね。

        残念ながら自分もたいして若くありません(笑)。
        昭和34年生まれでもうすぐ定年です。
        脳みその活性化は海外旅行に勝るものはないと思って、それを理由にして出かけております(笑)。
        ただ、歳を取るにつれて旅行中にいろいろなミスは多くなるし、段々とゆったりとしたスケジュールになって行きますね。

        また、よろしくお願いいたします。

                                ken-ken

        oneonekukiko

        by oneonekukiko さん 2015/08/27 20:41:06
        RE: RE: RE: RE: この旅行記と一緒にフィレンツェに
        ken-kenさん

        ええええーーつ
        びっくりです。
        てっきり、娘たちの世代と思っていました。
        活動的ですし、脳みそもイキイキしてますし。
        見習わなくてはです。

        ただ、前回のコメントで10年前は・・・・とか、
        塩野七生さんが好きとか・・・
        とありましたので、もしかしたらもう少し
        とも思いましたけどね。
        でも、もうすぐ定年なんてサバを読まないでください。
        まだまだこれからです。
        これからも、刺激を与えて下さいませ。

        oneonekukiko

        ken-ken

        by ken-ken さん 2015/08/28 19:32:38
        RE: RE: RE: RE: RE: この旅行記と一緒にフィレンツェに
        oneonekukikoさん、今晩は。

        > ええええーーつ
        > びっくりです。
        > てっきり、娘たちの世代と思っていました。
        > 活動的ですし、脳みそもイキイキしてますし。
        > 見習わなくてはです。

        すみません。
        気ばっかり若くて、内容が全然伴ってないんです。

        > ただ、前回のコメントで10年前は・・・・とか、
        > 塩野七生さんが好きとか・・・
        > とありましたので、もしかしたらもう少し
        > とも思いましたけどね。
        > でも、もうすぐ定年なんてサバを読まないでください。
        > まだまだこれからです。
        > これからも、刺激を与えて下さいませ。

        ありがとうございます。
        これからもお互い楽しい旅行をいたしましょう。
        またよろしくお願いいたします。

                              ken-ken
      • by belledune さん 2015/08/16 08:39:40
        ボティチェッリの誹謗について
        ken-kenさん、朝一番で行くと、こんなに空いているんですね。写真撮影解禁になったんですか。
        ところで、最近、Pen Booksの「ルネッサンスとは何か。」を見ていると、この「誹謗」についてこんな説明がありました。引用すると
        『ボティチェッリの人生が一転するのは、1490年代にメディチ家がフィレンツェを追放され、修道士サヴォナローラが神権祭事を行うようになってからのことだそうです。サヴォナローラは、過激なキリスト教原理主義者で、多神教である古代ギリシャ・ローマの宗教は異端であるとして一切、認めませんでした。彼に深く心酔したボティチェッリは、それまでの優美で明るい様式を捨て、その思想に帰依した硬質で神秘的な様式へと画風を一変させました。晩年には「神秘の隆誕」など謎めいた作品を残し、全盛期の名声とはかけ離れた生活を送った』とあります。
        「ヴィーナスの誕生」や「プリマヴェーラ」を描いた1482〜1485年からこの「アペレスの誹謗」を描いた1494〜1495年頃の約10年間に彼の画風が変化して行ったのは、フィレンツェで起こったサヴォナローラの市政浄化が原因だったのですね。簡単に纏められたこの本は、詳しくない私向きかもしれません。
        他の絵もゆっくり読ませて頂きます。

        ken-ken

        by ken-ken さん 2015/08/16 19:44:42
        RE: ボティチェッリの誹謗について
        belleduneさん、今晩は。
        投票とコメントありがとうございました。

        >朝一番で行くと、こんなに空いているんですね。写真撮影解禁になったんですか。

        はい、ただ予約入場かフィレンツェカードがないと相当前から並ばないと一番で入ることは難しいと思います。

        > ところで、最近、Pen Booksの「ルネッサンスとは何か。」を見ていると、この「誹謗」についてこんな説明がありました。引用すると
        > 『ボティチェッリの人生が一転するのは、1490年代にメディチ家がフィレンツェを追放され、修道士サヴォナローラが神権祭事を行うようになってからのことだそうです。サヴォナローラは、過激なキリスト教原理主義者で、多神教である古代ギリシャ・ローマの宗教は異端であるとして一切、認めませんでした。彼に深く心酔したボティチェッリは、それまでの優美で明るい様式を捨て、その思想に帰依した硬質で神秘的な様式へと画風を一変させました。晩年には「神秘の隆誕」など謎めいた作品を残し、全盛期の名声とはかけ離れた生活を送った』とあります。
        > 「ヴィーナスの誕生」や「プリマヴェーラ」を描いた1482〜1485年からこの「アペレスの誹謗」を描いた1494〜1495年頃の約10年間に彼の画風が変化して行ったのは、フィレンツェで起こったサヴォナローラの市政浄化が原因だったのですね。簡単に纏められたこの本は、詳しくない私向きかもしれません。

        修道士のサヴォナローラってキリスト教徒として正義を貫いていたわけですが、正義を貫けば人が幸福になるとは限らないと思います。
        サヴォナローラの主張はあまりに教条主義過ぎて、結局フィレンツェの人々は幸福になるどころか、不幸になってしまったと思ってしまうのです。
        ただ彼の主張が正義であるがために、多数の人間がサヴォナローラに心酔してしまったのですね。
        塩野七生氏の著作「神の代理人」は市井の人間の日記を用いて、その危うさを浮き彫りにさせてくれます。

        特にボッティチェリはサヴォナローラに心酔するあまりに、その一番の個性である神話世界のロマンティシズムやエロティシズム、またユーモアを否定することとなり、まるっきり平凡な絵しか描けなくなってしまったような気がします。


        > 他の絵もゆっくり読ませて頂きます。

        ありがとうございます。
        またよろしくお願いいたします。

                                  ken-ken

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