2016/10/11 - 2016/10/20
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ken-kenさん
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フィレンツェからシエナに日帰り旅行をしました。
ドゥオーモ、プブリコ宮殿、カンポ広場、どれも素晴らしいものでした。
そしてその後電車でシエナの対フィレンツェの前進基地だったモンテリッジョーニの村も訪れました。
ここはダンテが「王冠」と称した外観の村です。
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フィレンツェのバスターミナルを朝の6時45分に出発するバスに乗ってシエナに向かいます。
シエナには8時前に着きます。
朝のカンポ広場です。
右に見えるのがプブリコ宮殿とマンジャの塔。 -
人があまりいないのはいいのですが、もろ逆光です。
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更に朝には搬入の車がたくさん入って来て、それも邪魔です(笑)。
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カンポ広場は貝の形をしていて、傾斜があります。
ここに寝転ぶ人も多いみたいです。 -
イチオシ
お昼近くになると観光客はぐっと増えますが、写真の光線加減はずっと良くなります。
青空に映えて非常に美しいです。 -
路地から見たマンジャの塔です。
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マンジャの塔の鐘楼のアップです。
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トンネルから見たマンジャの塔です。
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マンジャの塔を縦の写真にして見ました。
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10時になるとマンジャの塔に昇れるようになります。
マンジャの塔はプブリコ宮殿の塔です。
プブリコ宮殿の中庭に面した階段から登ることになります。
写真はプブリコ宮殿の中庭です。 -
狭くて急な階段なので入り口で荷物をロッカーに預けて登ります。
登ってみた感想はー確かに狭くて急な階段ですが、下が見えない分高所恐怖症の自分としては楽でした。
後で登ったサンジミニャーノのグロッサの塔の階段のほうが怖かったです。
写真はマンジャの塔から見下ろしたカンポ広場です。 -
マンジャの塔から見たカンポ広場。
左に見える白い建物はドゥオーモです。 -
マンジャの塔から見たシエナの街。
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マンジャの塔から見たシエナの街です。
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マンジャの塔から見たシエナの街です。
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マンジャの塔から見たシエナの街と周りの田園風景。
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マンジャの塔の途中から見たカンポ広場です。
カンポ広場だけ見下ろすのなら頂上まで行かなくてもここで十分かもしれません。 -
実に美しい眺めです。
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この後、プブリコ宮殿にある市立美術館に入りましたが、入り口に禁止事項の中に写真撮影が入っている張り紙が貼ってあります。
なので写真を撮らずに眺めていたら、写真を平気で撮っている人もいます。(欧米人でした)
更には今年になって結構市立美術館の写真がHPに上がっているんですよね。
サンジミニャーノの参事会教会でも写真禁止の張り紙がありましたが、係員に聞いてみるとフラッシュなしならO.K.の返事でした。
もしかしたらここもそういう感じだったのかもしれません。
今になると係員に聞いてみればよかったと悔しい思いです。
このあたりいかにもイタリアらしいいい加減さですね(笑)。 -
プブリコ宮殿を堪能した後はドゥオーモに向かいます
シエナも中世の街がそのまま残っていて、あてもなく散策するだけで楽しいです。 -
トンネルの路地があったり・・・・
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ランタンのついた路地があったり・・・・
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階段があったりします。
実はこれらはすべて朝のうちに撮った写真です。
人のいない朝の散策は最高ですね。
きっと夜の散策も風情があってまたいいものだろうなと思います。 -
本当に幻想的です。
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イタリアらしく洗濯物が干してあったりします。
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これも完全に中世の世界です。
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実はカンポ広場とドゥオーモ広場まではそんなに距離がありません。
今までの写真はシエナをぐるぐる回って撮りました。
ただ、ドゥオーモに行く途中にこんな風情のある建物がありました。
後で調べると、キージ・サラチーニ宮という建物らしいです。 -
キージ・サラチーニ宮の中庭です。
今は音楽院になっているようですね。 -
キージ・サラチーニ宮の回廊に描かれた天井画です。
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まるで映画のセットのようで、ここで写真を撮る観光客が沢山いました。
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そしてシエナの誇り、ドゥオーモ(大聖堂)です。
オルヴィエートのドゥオーモに似ていますが、こちらは側面も大理石で覆われていて、より豪華な感じがします。 -
こちらは本当はお昼になると正面が光に照らされて最高なんでしょうね。
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でも朝早くなら人がいないということが最大の利点です。
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ドゥオーモのアップです。
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朝だと左横から日が当たる感じになります。
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ただお昼になるとかなり人で混雑します。
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ドゥオーモの開館も10時です。
内部はフィレンツェ、オルヴィエートのドゥオーモよりずっと絢爛豪華です。 -
シエナの街の総力を挙げて作ったという感じです。
ドゥオーモは1220年頃に起工し、1311年頃にはほぼ完成したそうです。
さらには1339年にシエナのライバル・フィレンツェで世界最大級の大きさのドゥオーモが建築されようとしているのに対抗し、それ以上に大きい聖堂を建築しようとしました。
が、黒死病の流行によるシエナの経済的困窮のためこの計画は頓挫してしまったようです。
今でもこれほどまでにすごいのですから、もし計画が達成されていたらどれほどのものになったのかと思いますね。 -
天井画も素晴らしいです。
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上を見上げると感嘆で口が開いてしまいます。
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そして下に目をやってもやはり口が開いてしまいます。
床には象嵌細工がはめ込まれています。 -
これは普段は布がかけられて、8月の中旬から2か月間だけ公開されているみたいです。
非常に運が良かったみたいです。
この絵は「ヘロデ王の嬰児虐殺」でしょうか・・・・ -
踏まれないように囲いで覆われています。
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非常にきれいな絵ですね。
15世紀初頭から200年かけて作られたとか・・・・ -
主祭壇です。
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こちらも主祭壇です。
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内部に描かれているフレスコ画は時代が新しいものでしょうね。
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イチオシ
そしてドゥオーモで一番の楽しみにしていたのがピッコロミーニ図書館。
16世紀初頭に枢機卿フランチェスコ・ピッコロミーニ(後のピウス三世)が作ったものです。 -
図書館というくらいですから下には本が展示されています。
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真ん中に置かれたローマ時代に作られた三美神の彫像もさることがながら、やはり周りに描かれたピントゥリッキオのフレスコ画が素晴らしいです。
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フレスコ画はピントゥリッキオが1502年から1508年にかけて描いたピウス二世の生涯です。
同じころにオルヴィエートのドゥオーモにルカ・シニョレッリが「最後の審判」のフレスコ画を描いています。
1502年頃と言えば、ボッティチェリはサヴォナローラの影響で絵が描けなくなり、ラファエロはまだ新人、ダ・ヴィンチはチェーザレ・ボルジアの軍事顧問に専念し、ミケランジェロは彫刻三昧の上、気難しい人でした。
ギルランダイオは死んでますし、フィリピーノ・リッピもすでに晩年期。
ベネチア派はベッリーニはすでに70近くでベネチアを出たがらなかったろうし、ジョルジョーネはまだ若年。
なのである意味ルネサンス絵画の空白時期でこの時一番波に乗っていたペルジーノ、シニョレッリ、ピントゥリッキオの三人がもてはやされたのかもしれません。 -
ピウス二世はこの図書館を作ったフランチェスコ・ピッコロミーニ枢機卿の伯父に当たります。
フランチェスコ・ピッコロミーニ枢機卿は伯父のピウス二世のおかげで枢機卿になれた人物です。
後にピウス三世として教皇に即位しますが、在位わずか二十六日で死去してしまいます。
そしてその後に教皇になるのがユリウス二世です。 -
ピウス二世のアップです。
塩野七海氏の「神の代理人」で取り上げた四人の教皇のうちの一人です。
カバー写真もこの写真が使われています。
第一部「最後の十字軍」の主人公です。 -
ピントゥリッキオの「ピウス二世の生涯」のフレスコ画。
「アンコナで十字軍を待つピウス二世」
ピウス二世は本名をエネア・シルヴィオ・ピッコロミーニと言い、貧しい家の出身でした。
が学問に優れ、シエナ大学を卒業の後、人文主義の学者として有名になり、神聖ローマ帝国の宰相も務めた人物です。 -
後に聖職者になり、1458年のコンクラーベで教皇に選出されます。
「教皇に選出されたピウス二世」の絵です。
人文主義者で政治経験が豊富。
そういう経歴を買われて法王庁とヨーロッパの王国との間をうまく取り持ってくれるだろうとういう期待を背にして教皇になりました。
けれども教皇に選出されたとたん、彼は人文主義を完全に捨て、熱心なキリスト教徒としてとても信じられないような提案をするのです。 -
それにしても美しい。
まるで描かれた当時のままのようです。
左が「スコットランドのジェームス一世に大使として拝謁するエネア・シルヴィオ」
右が「神聖ローマ帝国皇帝フレデリック三世の戴冠式」
ピウス二世は公会議を催し、その場でオスマン帝国に対して十字軍を遠征することを主張します。
ピウス二世が教皇になった1458年と言えば、オスマン帝国によってコンスタンティノープルが陥落し、東ローマ帝国が滅んで5年しかたっていません。
ピウス二世はオスマン帝国のヨーロッパに対する侵入に脅威を感じていたのでしょう。 -
左が「聖カタリナを聖人にするピウス二世」
右が「アンコナで十字軍を待つピウス二世」
しかし最後の十字軍の遠征から200年近くもたっているのです。
ヨーロッパ諸国はそれを時代錯誤の誇大妄想ととらえました。
さらには各国の思惑も入り乱れ、どの国も軍隊を出すことには消極的でした。
ピウス二世は今や狂信的なキリスト教徒となっており、まさか各国が軍隊を出さないとは思っても見なかったようです。 -
右が「エウゲニウス四世にフレデリック三世の宰相として拝謁するエネア・シルヴィオ」
左が「神聖ローマ帝国皇帝フレデリック三世の戴冠式」
ナポリ、ミラノ、フィレンツェはトルコが地中海に進出することによってベネチアの交易が没落すればいいと思い、ベネチアはトルコと和平協定を結ぶことを考え、フランスはナポリをフランス領にしてくれるなら軍隊を出そうと条件を付けてきます。
自身が宰相を務めていた神聖ローマ帝国に至ってはトルコと戦っているハンガリーの領土を狙って背後からハンガリーを攻める始末です。
結局、十字軍計画は頓挫したままピウス二世はアンコナで1464年に寂しくなくなります。 -
そんな見果てぬ夢を見た伯父を哀れと思ったか、あるいは自分を枢機卿にしてくれた恩に応えかったのか、ピッコロミーニの家の名前を高めようとしたか・・・・
なんにしてもフレスコ画を描いたピントゥリッキオにとってはこの図書館こそが彼の名声を高めるものとなりました。 -
その後ドゥオーモを後にして、ドゥオーモ付属美術館へ行きました。
かつてドゥオーモに飾られていた美術品がここで展示されています。
ピエトロ・ロレンツェッティ作「聖母マリアの誕生」
1342年頃の作品です。 -
この美術館の目玉はドゥッチョの部屋です。
シエナ派の祖ドゥッチョの作品がたくさん飾られています。
ドゥッチョは本名をドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャと言います。
フィレンツェのチマブーエより15歳ほど年下。
チマブーエの弟子のジョットより10歳ほど年上です。
チマブーエ、ジョット、ドゥッチョの三人がゴシックからルネサンスへの橋渡しをしたと考えられています。
ドゥッチョ作「聖母子像」
1280年頃の作品です。 -
そしてこの部屋の一番の目玉は
ドゥッチョ作「荘厳の聖母」です。
1310年頃の作品。
聖母子の回りに沢山の聖人と天使が取り囲んでいます。 -
聖母子部分のアップです。
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ドゥッチョ作「荘厳の聖母」の裏側部分です。
表部分とは切り離して別に飾られています。
裏側にはキリストのエルサレムへの入城からキリストの復活までが描かれています。 -
これは下は「オリーブ山での祈り」で上は「キリストの捕縛」でしょう。
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「キリストの磔刑」の図です。
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ステンドグラスが飾られています。
このステンドグラスもドゥッチョがデザインしたもののようです。 -
元はドゥオーモに飾られていたステンドグラス。
ドゥッチョ作 1288年頃の作品です。 -
出口のところにブックショップがありますが、この場所はもともと教会だったようで、その煌びやかさに圧倒されました。
こちら側から撮った写真だとあまり感じないのですが・・・・ -
逆側から写真を撮るとこんなにも煌びやかです。
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天井画も素晴らしいです。
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フィレンツェのサンマルコ美術館の「最後の晩餐」が描かれた部屋がブックショップになっていたのを見た時も感じたのですが、なぜこんな素晴らしい場所をブックショップにしてしまったか・・・・・
イタリアは謎に満ちています(笑)。 -
そしてドゥオーモ付属美術館を出てそのそばにある階段を降りると、洗礼堂の前に出ます。
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こちらが洗礼堂の正面です。
洗礼堂は1325年頃に建てられたものだそうです。 -
洗礼堂は内部も素晴らしいです。
フレスコ画を描いたのはロレンツォ・ディ・ピエトロというシエナの画家だそうです。
15世紀中ごろの作品らしいです。 -
洗礼堂の内部のフレスコ画です。
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洗礼堂の内部です。
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洗礼堂の天井画です。
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洗礼堂にあった聖母子像と聖人たちの板絵。
作者は不明でした。 -
洗礼堂を見た後、電車に乗るためにシエナ駅まで歩きます。
地図ではそれほどの距離があるように見えなかったのですが、道に迷ったこともあり、結構な距離を歩きました。
シエナの街の北西に位置するサン・フランチェスコ教会。
ロレンツェッティのフレスコ画があるのですが、教会はお昼休みで閉まっていました。 -
ただ僧院が大学校舎として使われているので、中庭には入ることが出来ます。
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そしてシエナの駅から各駅電車に乗り、カスッテリーナインキャンティ駅で降ります。
無人駅でひっそりとしているカスッテリーナインキャンティ駅。
ここから徒歩でモンテリッジョーニの村に向かいます。 -
駅の前に広場があります。
駅を背にして左側に駐車場と、自転車置き場があります。
自転車置き場の横からモンテリッジョーニへの道が始まっています。 -
道は自動車道路と並行しています。
自動車道はすごいスピードで車が通り抜けますが、こちらはのどかで気持ちのいい散歩道です。 -
ただし一度自動車道に出てしまうとこの道に戻るのは難しいのでご注意を。
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2km近く歩くとブドウ畑の向こうにモンテリッジョーニの城塞が見えてきます。
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いきなり見えてきますので結構感動的な出会いです。
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さあ、町に入って見ましょう。
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門から見た田園風景です。
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いよいよ城門が見えてきました。
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町の中に入ります。
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城壁に登ることが出来るようです。
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城壁の上から見たモンテリッジョーニの街並みです。
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これも城壁の上から見たモンテリッジョーニの町並みです。
本当に小さな村です。
オルヴィエート近郊のチビタといい勝負でしょう。 -
城壁から見た近郊の田園風景。
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城壁の上はほんの一部しか歩くことは出来ません。
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城壁から降りて村の中を歩きます。
これが村のメインストリートです。
西門(入ってきたほう)から東門まで200mあるかないかというくらいの小さな村です。 -
ここがモンテリッジョーニの中心広場です。
建物のほとんどがレストランというような村です。
ただそれだけにレストランのレベルは高く、わざわざフィレンツェからここまで食べにくる人達もいるそうです。
ポルチーニを乗せたステーキなんかもあって、今になってみるとここで昼食を取ればよかったと後悔しています。 -
広場から見た城壁。
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こちらは入ってきた門とは反対側にある東門。
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実はモンテリッジョーニの城塞は東側から見たほうがきれいだと思います。
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東側から見たモンテリッジョーニの城砦。
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ダンテが王冠と言った意味がよく判ります。
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小高い丘がありましたのでそこに登ってみました。
車で来た人は東側の駐車場に車を止めます。 -
素晴らしい眺めです。
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結局モンテリッジョーニで一番の見どころは外観なのかもしれません。
この後カスッテリーナインキャンティ駅に戻り、一時間に一本出ている電車に乗って、エンポリ乗り換えでフィレンツェに帰りました。
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この旅行記へのコメント (3)
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- Traveljyubeiさん 2017/05/11 17:14:15
- シエナ観光
- 8月にフィレンチェに行とフランス人の友人に言ったところ、「シエナ」には絶対行けと言われ、シエナがどんな街か調べています。フィレンチェからのバス旅行で朝から往復し、午後フィレンチェに帰り、夕方ミラノに移動しようと考えています。貴ブログの見どころ、観光に掛る時間等を参考にして検討しています。参考になります。
- ken-kenさん からの返信 2017/05/11 19:55:00
- RE: シエナ観光
- Traveljyubeiさん今晩は。
コメントをありがとうございました。
> 8月にフィレンチェに行とフランス人の友人に言ったところ、「シエナ」には絶対行けと言われ、シエナがどんな街か調べています。フィレンチェからのバス旅行で朝から往復し、午後フィレンチェに帰り、夕方ミラノに移動しようと考えています。貴ブログの見どころ、観光に掛る時間等を参考にして検討しています。参考になります。
シエナはとても素敵な街でした。
フィレンツェの駅そばのバスターミナルからバスが一時間に一本出ています。
直行便ですが、バスは意外に混みます。
お昼の便でサンジミニャーノに行こうとしたとき(シエナ行きに乗って途中乗り換えます)、人が多すぎて乗り損なったことがありました。
朝早くの便なら大丈夫かと思います。
またよろしくお願いいたします。
ken-ken
- Traveljyubeiさん からの返信 2017/05/12 00:03:46
- RE: RE: シエナ観光
- 返信ありがとうございます。
朝出発し、午後フレンチェに帰ろうかと思います。貴殿のご指摘のように混んで乗り遅れないよう望んでいます。
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