2015/07/27 - 2015/08/02
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ken-kenさん
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フィレンツェにあるドメニコ派のサンマルコ修道院は二人の修道士で有名です。
一人はキリストを賛美するために政治を選びました。
フィレンツェの改革に情熱を注ぎ、一時、フィレンツェを完全に自らの支配下に入れるものの、あまりの潔癖性のために自滅してしまう、火のように激しいサヴォナローラ。
もう一人は、キリストを賛美するために芸術を選び、美しい絵を描き続けた水のように澄んだフラ・アンジェリコ。
今、このサンマルコ修道院はさながらフラ・アンジェリコの美術館となって、いくつものフレスコ画や板絵が人々に安らぎを与えています。
今回、一番印象が強かった美術館でした。
そして「最後の晩餐」と言えば、ミラノのサンタ・マリア・グラツィエ教会のものが有名ですが、ここフィレンツェにもいくつもの「最後の晩餐」があります。
その二つをテーマにした旅行記です。
追記
2016年に再び訪れたので、多少の追加と写真の入れ替えをしました。
ピンボケだったり、良くない出来の写真は2015年のものです。
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サンマルコ美術館です。
サンマルコ寺院に付属する修道院にフラ・アンジェリコという修道僧がいましたが、その人が大変に絵の上手な方でした。
彼は絵を描くことによってキリストを賛美し、生涯を信仰と芸術にささげました。
そのため、この修道院には彼のフレスコ画がたくさん残っていて、そのまま美術館となりました。
ミケランジェロのダヴィデ像があり、そのため長い行列の絶えないアカデミア美術館のそばにありながら、訪れる人は比較的少なく、いつ行っても静かな雰囲気でフラ・アンジェリコの作品を鑑賞することが出来ます。 -
サンマルコ修道院はミケランジェロの「ダビデ」で有名なアカデミア美術館のすぐそばにあります。
どちらも8時15分に開館です。
アカデミア美術館は8時には長蛇の列が出来ていますが、サンマルコ修道院のほうは開館直前でも4、5人しか待っていません。
どちらも行ってみた感想ですが、正直何故アカデミア美術館だけがあんなに人気あるのか謎です。
目玉は「ダビデ像」だけのアカデミア美術館に比べ、こちらはフラ・アンジェリコの傑作群を数多く見ることが出来、遥かに感銘を受けました。
また、フラ・アンジェリコは日本人に人気のようで、日本人率が高い美術館だったと思います。
日本人って趣味がいいなと自賛してしまいました(笑)。
修道院を入った所にある内庭。
この回廊の壁にもアンジェリコのフレスコ画があるのですが、まずは先を急ぎましょう。 -
まずはこの美術館(修道院)の目玉のフラ・アンジェリコ「受胎告知」を見なければ話になりません。
1442年頃の作品です。
サンマルコ修道院は2階に修道士たちが住んでいた僧坊があります。
2階に上がる階段を登ると、いきなり目の前に素晴らしい「受胎告知」が現れます。
階段を登ったすぐそこにあります。 -
イチオシ
階段の扉が額縁になっているような感があります。
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イチオシ
清冽で透明感があり、本当に美しい絵画です。
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ダ・ヴィンチを含めいろいろな画家が受胎告知を描いていますが、日本人が人気投票をしたら、多分NO.1になるのがこの絵ではないでしょうか?
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下にプラスティックのパネルが掛かってるので、反射が気になります。
なので横から写してみました。 -
聖母マリアのアップです。
品のいい清楚な美しさです。
フラ・アンジェリコの本名はグイード・デイ・ピエトロ。
でもその信仰心と絵の素晴らしさから、アンジェリコ(天使)のような僧侶と呼ばれました。
キリスト教徒でなくても、この美しさに感銘を受けてしまいます。 -
こちらは天使のアップです。
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「受胎告知」の斜め前の壁に描かれている「キリストの磔刑図」。
1442年頃の作品。
下にいるのはドメニコ派の開祖、聖ドメニコです。
必ず頭に星のマークを付けています。
サヴォナローラの時代にはフランチェスコ派とドメニコ派がキリスト教の2大派閥だったようです。 -
サンマルコ修道院、二階の廊下。
左右にいくつもの小さな僧坊があり、僧侶が寝泊まりしていたようです。
その僧坊の全てにフレスコ画が描かれています。 -
イチオシ
その中でも特に印象に残ったのが、フラ・アンジェリコの違う構図での「受胎告知」
1440年頃の作品です。
第3僧房にあります。 -
この絵も素晴らしいです。
この時点で既に感動に震えています。 -
第1僧房に描かれているフラ・アンジェリコ「我に触るな」
1440年頃の作品。 -
第2僧房にある、「キリストの哀悼」
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第5僧房「羊飼いの礼拝」
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第6僧房「キリストの変容」
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第7僧房「嘲笑されるキリスト」
普通は周りで嘲笑っ足り殴ったりする人々を描くのですが、首だけだったり、キリストを殴る棒が浮かんでるだけだったり・・・・当時としてはすごく前衛的でシュール・レアリズムのはしりだったんじゃないでしょうか? -
第8僧房「キリストの復活」
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第9僧房「聖母戴冠」
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第10僧房「キリストの神殿奉献」
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第24僧房「キリストの洗礼」
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第31僧房「冥府のキリスト」
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第35僧房「生体秘跡」
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僧房の番号は忘れましたが、印象に残ったフレスコ画です。
「オリーブ山の祈り」 -
「キリストの復活」
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「キリストの捕縛」
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「山上の垂訓」
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「煉獄に閉じ込められていた人々を救うキリスト」
この絵の意味が分からなかったのですが、旧約の人々はキリストに帰依してませんし、罪を犯した人々もいるわけです。
なので死後は煉獄に閉じ込められていたわけです。
その中にはダビデ王とかアダムとイブとか有名人が混じっているので、キリストが死んで復活するまでの間に煉獄に行って助けてきたということらしいです。
左下に煉獄の門番の怪物がいます。 -
廊下にも素晴らしい絵が描かれています。
フラ・アンジェリコ作「聖母子と聖人たち」
1443年頃の作品
廊下が狭いので全体像を写すにはどうしても横から出ないと撮れませんでした。 -
「キリストの磔刑」
この主題の絵が圧倒的に多くて、どれがどれだかわからなくなってしまい、印象は薄いです。 -
比較的広い第39僧坊。
この修道院のパトロンだったコジモ・ディ・メディチ専用の僧坊だったみたいです。
フラ・アンジェリコとベノッツォ・ゴッツォリの共作の「東方三賢王の礼拝」1442年頃の作品
ゴッツォリはアンジェリコの弟子であったようです。
後にメディチ・リカルディ宮殿にこれとは全く違った、華麗で煌びやかな「東方三賢王の礼拝」を描いています。 -
これがのちにゴッツォリが描いたメディチ・リカルディ宮殿の「東方三賢王の礼拝」です。
1460年ごろの作品。
どちらが好みかは、人によって分かれると思いますが、この華麗な色合いはゴッツォリならではで、かなり好きな絵です。 -
「東方三賢王の礼拝」の右側部分です。
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「東方三賢王の礼拝」の左側部分です。
キリストを抱く聖母マリアが描かれています。 -
コジモ・ディ・メディチの部屋とほぼ対局にあるのが、サヴォナローラの僧坊です。
これがサヴォナローラの肖像画です。
あまりカリスマの無さそうな貧相な顔をしています。
ただ、説教は非常に上手かったようです。
まず人を恐怖に陥れる恫喝から始まり、涙、そして救済と希望の話に持って行ったようです。
確かに信仰心が篤く、自らも清貧を貫きました。
が、そういう人物が政治を握ったために、贅沢の禁止、キリスト教以外の思想の排除など、あまりに実生活からかけ離れた政策を取り、フィレンツェは困窮し始めました。
さらにはフランスのイタリア侵略の時、フィレンツェは最後までフランス側に附いたのでイタリアの中で完全に孤立してしまいます。
また、このことで教皇のアレキサンドル6世は激怒し、サヴォナローラを追い落としにかかります。 -
これはフラ・バルトロメオが描いた「サヴォナローラの肖像」です。
大体において政治の本質は妥協だと思います。
それなのに彼は自分の信じていることだけが正義だと思い、妥協を一切しませんでした。
おかげでイタリアの中でフィレンツェ一国が孤立してしまいました。
そこへ、ドメニコ会の天敵フランチェスコ会から「火の試練」の対決を申し込まれました。
燃え盛る火の中をお互いの代表者が通り、もしサヴォナローラが火に焼かれなければ、フランチェスコ会もサヴォナローラを認めてそれに従うと言う挑戦でした。
サヴォナローラもその申し出を受けるのですが(ただし火の中に入るのはサヴォナローラではなく、彼の弟子でした)、当日、群衆が集まる中用意が整い、いつでも始められると言う時に、夕立が降りました。
その時、サヴォナローラ派の司祭たちが「奇跡だ!この雨は神が火の試練を望んでいないという証拠だ!」と叫んだため、群衆は大激怒。
特に、これでサヴォナローラは本当の預言者であることが証明されると真剣に思っていたサヴォナローラ派の市民たちは、期待が大きかっただけに怒りも凄まじかったのです。
あっという間にサヴォナローラへの信仰は無くなり、サヴォナローラは罪人として裁かれ、最後は絞首刑の上、死体は火葬と言う、キリスト教徒からすれば、一番重い刑を受けることとなります。(死体が焼かれると、最後の審判の時に復活できないため)
塩野七生さんの書いた「神の代理人」で登場人物の一人がつぶやくセリフ。
「群衆はいつだって見世物を求める。サヴォナローラも同じ奇跡なら、雨を降らせる奇跡でなくて、火の中を通り抜ける奇跡を見せればよかったのだ。」 -
サヴォナローラの火刑の絵。
15世紀末のシニョーリア広場が描かれています。 -
一階におります。
内庭をめぐる回廊の壁に描かれている
フラ・アンジェリコの「キリスト磔刑図」
1422年頃。 -
その周りの回廊にもフレスコ画が残っています。
ただ雨ざらしだったため、かなりのフレスコ画が消えているのが残念です。 -
その回廊に面した部屋の壁に描かれた
フラ・アンジェリコの「キリストの磔刑図」
1442年頃の作品です。 -
アップです。
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そして、その部屋の対面にさながらフラ・アンジェリコ博物館とでも呼びたい部屋が。
フラ・アンジェリコ「リナイオーリの祭壇画」
1433年頃の作品。 -
フラ・アンジェリコは1436年にフィエゾーレの修道院からフィレンツェのサンマルコ修道院に移っていますので、これはまだフィエゾーレ時代の作品でしょう。
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フラ・アンジェリコ「最後の審判」
1431年頃の作品。
これもフィエゾーレ時代の作品でしょう。
上部にキリストがいて、右側が地獄、左側が天国になっています。
どうしても地獄のほうにひかれてしまいます。
古い川柳に「絵で見ては地獄のほうが面白し」と言うのがありますが、洋の東西を問わず同じ事が言えるような気がします。 -
フラ・アンジェリコ「聖ペテロ・マルティールの祭壇画」
1427年頃の作品。
フラ・アンジェリコ初期の作品ですね。 -
フラ・アンジェリコ「ボスコ・アイ・フラーティの祭壇画」
1450年頃の作品。
フラ・アンジェリコの晩年の作品ですね。 -
そしてフラ・アンジェリコの板絵の最大傑作と言われている
「キリストの十字架降架」
1932年頃の作品 -
イチオシ
実に美しい作品です。
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イチオシ
サンマルコ修道院にある絵画はフラ・アンジェリコだけではありません。
元の食堂、今はお土産売り場になっている部屋の壁にギルランダイオの「最後の晩餐」のフレスコ画があります。
1486年頃の作品です。
レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノの教会に描いたものが、1498年頃ですが、それより10年ほど前の作品です。
保存状態も良く、気品にあふれる素晴らしい作品だと思います。
唯一の欠点が土産物売り場の壁に描かれているので、落ち着いて鑑賞できないと言うことでしょうか・・・・ -
こちらに一人背を向けているのがユダです。
これはまあいいとして、ヨハネがキリストの胸元で眠っています。
大体、どの画家もこの構図で描いています。
なんでこんな大事な場面で寝ているのでしょうか?
ただ、ヨハネは聖書の記述ではキリストの胸に顔を埋めているのです。
そして、ヨハネは一番若く、キリストは彼を一番愛していたという記述も・・・・
これをそのまま描いてしまうと、下手をするともろBLになってしまうから、こう描いて逃げたのではないでしょうか? -
眠るヨハネとキリスト。
これはヨハネによる福音書から来ています。
ーイエスが愛していた一番年若の弟子がイエスの胸に顔をうずめ「主よ、それは誰なのですか?」と聞いた。
という部分です。
一番若いというとヨハネになりそれじゃこれはヨハネのことだろうということになりました。
ただこれをそのまま描くとまんまBLになってしまうので、どの作家も眠ってるように描きお茶を濁してる感じですね(笑)
しかし、ヨハネも「キリストが愛しておられた」って自分で言うか!って感じなんですが、よく考えるとこれってマグダラのマリアのことかもしれませんね。
「ダ・ヴィンチコード」でもマリアはキリストの妻兼弟子であったわけですから、ヨハネがこんな風に言ってもおかしくないかもしれません。
ただ、後年になってキリストには童貞を聖母マリアには処女性が求められたので変えられてしまったのではないかと・・・・ -
朝の光が右側部分を照らしていて、幻想的です。
余談ですが、ファミリーレストランチェーンの「サイゼリア」さんの店内にはイタリア絵画が飾ってあるのですが、レオナルド・ダ・ヴィンチではなくこの絵が飾ってあります。
それ以来「サイゼリア」さんには何か親近感を感じています(笑)。 -
中央部分です。
お土産屋さんの中にあって落ち着かないところもありますが、椅子が置いてあってそこに座って鑑賞できるのは有り難いですね。 -
右側部分です。
孔雀は不死の象徴だそうです。
そしてテーブルの上に散らばっている葡萄は血の象徴だそうです。 -
左側部分です。
一番右にキリストに「お前は私のことを知らないと言う」と預言されて思わずナイフを握りしめるペテロがいます。 -
アップにしてみるとユダは手にパンを手にしています。
これは「私がパンを渡したものが裏切り者だ」とキリストが言ってユダにパンを手渡すというヨハネによる福音書から来ています。
それにしてもこのユダ、品格もあるし彼が主役だと言ってもうなずいてしまうようないい出来です。 -
ユダの足元には猫がいます。
猫は裏切りの象徴だそうです。 -
猫のアップ。
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そして、サンマルコ修道院のそばにも違う画家が描いた「最後の晩餐」があります。
アンドレア・デル・カスターニョが描いた「最後の晩餐」です。
1450年頃の作品です。
ほとんど訪れる人がいないみたいでこの作品を一人占め出来ました。
しかも入場無料で、説明書までいただいてしまいました。 -
最後の晩餐のアップです。
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左部分です。
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これは右部分です。
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この作品でも、ユダは後ろ向きで、ヨハネは寝ています。
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12使徒の後ろに描かれた大理石の模様みたいなものが面白いですね。
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イチオシ
さらに古いのがサンタ・クローチェ寺院にあるタッデオ・ガッディの「最後の晩餐」です。
1340年頃の作品。
レオナルドのものより150年以上前の作品です。
タッデオ・ガッディはジョットの弟子です。
4人の息子は画家になりましたが、分けてもアニョーロ・ガッディが有名です。
「最後の晩餐」自体も素晴らしいですが、その上の「キリストの磔刑図」がそのまま「生命の樹」になっている構図も素晴らしいです。
追記
2016年に来た時はこの部屋(食堂)は修復中で見ることが出来ませんでした。
非常に残念でした。
追記
2019年には修復が終わっていました。
これは2019年の写真です。 -
この時代の構図でも、ユダは後ろ向きでヨハネは寝ています。
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アップです。
「最後の晩餐」のフレスコ画はほとんど総てが教会の食堂の壁に描かれています。 -
そして2019年にこの部屋にヴァザーリの「最後の晩餐」が飾られていて狂喜しました。
ヴァザーリは1511年生まれ。
画家としてより著作である「芸術家列伝」で有名です。
メディチ家出身のトスカーナ大公コジモ一世に重用され、フィレンツェのドゥオーモのキューポラの天井画や、ヴェッキオ宮の五百人大広間の壁画を描いています。
そしてこの「最後の晩餐」
この絵の情報があまりないのはこの絵が1966年のフィレンツェの洪水で水浸しになり、50年もの間修復不可能と言われて修復工房で保存されていたからです。
2015年から修復プロジェクトが始まり、2016年にサンタクローチェ寺院に戻ってきました。
上に見えるものはまた水害が起こった時に上に持ち上げる機械だそうです。 -
中央部分です。
三枚に切り分けられてますね。
そして後ろでこのシーンを一般人が眺めています。
後にあげるアンドレア・サルトの「最後の晩餐」もそうです。 -
左側部分です。
イエスの左隣でペテロがナイフを握りしめています。 -
左部分のさらにアップです。
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右部分です。
レオナルド・ダ・ヴィンチ以降、ただお茶会しているようなのどかな雰囲気から劇的なシーンになっています。 -
右側部分のアップです。
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このヨハネは寝ているというより気絶してしまったに近いですね(笑)。
酔っ払いをイエスが介抱してる感じです。 -
そしてフィレンツェ・サンタマリアノヴェーラ駅のそばにある「フリーニョの最後の晩餐」
てっきりフリーニョと言う画家がいるのかと思っていましたが、フリーニョとは女子修道院の名前で、描いたのはペルジーノです。
1495年頃の作品。
レオナルド・ダ・ヴィンチとほぼ同時期の作品です。
追記
2016年に来た時にはこの壁画は公開していませんでした。
非常に残念です。 -
女子修道院だったので長らく修道女以外の目に触れていませんでした。
この修道院が1800年代に廃止され、始めてこの絵画が一般の目に触れた時、あまりの素晴らしさにラファエロの作品ではないかと言われたほどです。
ペルジーノはラファエロの師匠だったので、間違えても仕方ない部分はあるのですが・・・
あまりの素晴らしさに暫く見入っていました。
ここは喜捨が必要です。 -
イチオシ
ここにも椅子が置かれ、ゆっくり鑑賞できるようになっています。
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上部に描かれているのは「ゲッセマネの祈り」です。
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とにかく美しい絵です。
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ここにはロレンツォ・クレディの作品も展示されています。
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そしてもう一つ、やはりギルランダイオが描いた「最後の晩餐」がこのオーニサンティ教会にあります。
公開日は週三日
月、火、土の午前中に公開されます。 -
オーニサンティ教会の隣、回廊の脇の食堂にあるギルランダイオの「最後の晩餐」
同じ画家が描いただけあって、サンマルコ修道院のものと非常によく似ています。
この作品のほうはサンマルコ修道院のものより5年ほど前に描かれています。
1480年頃の作品。
追記
2016年に来た時は公開日が減らされて月、土の週二日になり、火曜日に来たため見ることが出来ませんでした。 -
レオナルド・ダ・ヴィンチが自らの「最後の晩餐」を描く時にこの作品を研究したと伝えられています。
-
この作品では聖書の記述に近く、ヨハネはイエスの胸に顔を近づけています。
でも、やはり寝ているように見えてしまいます(笑)。 -
場所が若干不便な所にあるにもかかわらず、ここは結構観光客がいました。
(中国人の団体がいて正直びっくりしました。) -
サンマルコ美術館の方にはユダのそばに猫がいます。
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食堂を出て、オーニサンティ教会の回廊から見た内庭です。
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回廊を支える柱にもフレスコ画が描かれています。
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回廊を彩るフレスコ画です。
それほど有名ではない画家だと思いますが、雨風に晒されてしまうこんな場所に描かれているのが非常に贅沢だと思います。 -
このオーニサンティ教会、教会自体にも結構見所があります。
入口付近にあったヴェスブッチ家の礼拝堂。(アメリカ大陸を発見したアメリゴ・ヴェスブッチの出た家系)
ギルランダイオの「慈愛の聖母」の絵があります。
1472年頃の作品です。 -
ギルランダイオの「聖ヒエロニムス」
1480年頃の作品。 -
ボッティチェリの「聖アウグスティヌス」
1480年頃の作品。 -
オーニサンティ教会の内部です。
-
そしてこの教会にはボッティチェリのお墓があります。
今でもボッティチェリへの手紙が置かれ、この画家の人気がしのばれます。
自分もしばしこの栄光と失意に包まれた不遇の画家の冥福をお祈りしました。
写真は礼拝堂 -
これがボッティチェリの墓です。
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そして2019年に訪れたアンドレア・サルトが描いた「最後の晩餐」です。
今回この絵を見るためにフィレンツェを訪れたと言っても過言ではありません。 -
フィレンツェ近郊の(と言っても中央駅から一駅、歩いても30分ほど)Campo di Marte駅から歩いて10分ほどのところの修道院の中にあります。
と言っても今では廃寺になっているようで、一種の美術館になっています。
この修道院の外は観光スポット何もない街ですし、修道院に行く道しるべもなく途中の教会で聞いてしまいました。
そんな不便な場所にあるのでこの通りガラガラでした。
入館料はなしでした。 -
1520年ころの作品です。
アンドレア・デル・サルトはラファエロがフィレンツェを離れてローマに行ってしまった後、フィレンツェで活躍した人です。
ただ絵がラファエロに似ていることもあって、あまり脚光を浴びてません。
実際ラファエロに比べると絵の出来もいまいち感があるのですが、このフレスコ画に関しては素晴らしいと思いました。
アンドレア・デル・サルトの最高傑作だと思います。 -
この絵もヴァザーリのものと同じく一般市民が見下ろしています。(この絵のほうが先ですのでヴァザーリが真似したんだと思います)
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レオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受けて、感情があらわになっていてすごくいいと思います。
なのに一般市民は我関せず(というか「なんか面白いことやってるよ」って感じ)という感じで見物しているのがいいですね。 -
凄く劇的な絵です。
なにも知らない人がミラノのダ・ヴィンチの絵とこの絵を見たら、こちらのほうが好きだって言う人が多いんじゃないかって言ったら言い過ぎでしょうか? -
左側部分です。
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こちらは右側部分。
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「それは誰なんですか!」って感じで詰め寄るヨハネもいいですし、「え?まさか私を疑ってるんじゃないでしょうね?」って感じの左の使徒もいいです。
弟子がみんな恐れおののいてるシーンで一人泰然としているキリストがまたいいです。 -
ところでこの修道院、もともとはヴェロッキオの「キリストの洗礼」があったそうです。
今はウフィツィ美術館にありますが、もしまだこれを持っていたら・・・・
きっと観光客で大変だったでしょうね。
なんせ一番左の天使を描いたのはレオナルド・ダ・ヴィンチなんですから・・・・ -
今はこのようにシーンとしています。
廊下にたくさんの絵が飾られています。 -
残念ながら有名作家の作品はありません。
自分が気に入った作品を2点あげておきます。
ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニの「受胎告知」 -
「聖母子像」
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