2015/07/29 - 2015/08/02
14419位(同エリア27500件中)
entetsuさん
- entetsuさんTOP
- 旅行記675冊
- クチコミ3932件
- Q&A回答16件
- 2,231,012アクセス
- フォロワー99人
昨年9月のインチョンアジア大会観戦以来の韓国、通算10回目のソウルになりました。
中東呼吸器症候群(MERS)騒ぎもあって、渡航自体も気になりましたが、なんとか行って来ました。
今回はプサンへも、一泊でしたが足を延ばしました。
5日目、いよいよ帰国の日です。ソウル市観光局のウォーキングツアーで「徳寿宮」近辺を観光しています。
①成田空港第3ターミナルからインチョンへ
②「ソウルの人気スポットを巡るロマンティックナイトツアー」へ
③夕食はネンミョン(冷麺)、朝食はビビンバ&うどん(カルグクス)
④青瓦台(チョンワデ)=韓国大統領官邸を観覧しました!
⑤「サチュム -恋したらダンス」を観賞
⑥「南山ゴル韓屋マウル」を散策して、KTXでプサンへ
⑦初めてプサンにやって来た~
⑧韓国のマチピチュ「甘川洞文化村」を歩きました~
⑨甘川洞文化村観光を続けています。でも、暑い・暑い~
⑩チョッパル(豚足)のランチの後チャガルチ市場を歩きました
⑪ソウルに戻り、夜は台湾料理、朝はビビンバ&キムチチゲ
★⑫ウォーキングツアーで「徳寿宮」観光
⑬「徳寿宮トルダムキル(石垣道)」を散策して、いよいよ帰国です
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- チェジュ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イチオシ
さて、「ソウル駅都心空港ターミナル」で事前チェックイン&出国審査を終えて身軽になりました。飛行機は15:05仁川空港発ですので、午前中は遊べます(笑)。
この日も、毎回のように利用させてもらっているソウル市のウォーキングツアーに申込みしておりました。
これは、ソウルの主な観光スポットをソウル文化観光解説ボランティアの専門的な解説を聞きながら巡るソウル市の観光プログラムです。
全23コースあって、いずれも無料で、ソウル市観光公式サイト「Visit Seoul」で簡単に予約が出来ます。
http://www.visitseoul.net/jp/article/article.do?_method=view&art_id=58519&lang=jp&m=0004004004001&p=04
今回は、「徳寿宮・貞洞コース」を選んでみました。
インチョン空港への足のことなどを考えると、一番便利なコースかもしれません。
集合は、「徳寿宮チケット売り場前」に10:00です。1日3回行われる「王宮守門将交代儀式」はここからスタートです。 by entetsuさん大漢門 史跡・遺跡
-
チケットを購入しました。
@1,000ウォン。
「徳寿宮」は、元は朝鮮時代の王族が住んでいた邸宅でしたが、朝鮮時代中期に豊臣秀吉による文禄の役でソウルのほとんどの宮殿が破壊された際、臨時に王の居所がここに移され、以降、宮殿として使用されるようになりました。ソウルの5大古宮のうち、最も都会にあります by entetsuさん徳寿宮 城・宮殿
-
「大漢門」の前の広場では、1日3回行われる「徳寿宮」の「王宮守門将交代儀式」の準備がされていました。
儀式は、11:00・14:00・15:30です。 -
既に、守門将に扮する人がスタンバイしていて、一緒に写真を撮らせてもらいました。
(済みません、ピンボケ〜)
ガイドさんとも無事に会うことができ、ウォーキングツアー開始です。王宮守門将交代儀式 祭り・イベント
-
「大漢門」。
「徳寿宮」の入口の門です。
元は「徳寿宮」の正門ではなく東門で、名前も大安門(テアンムン)だったそうですが、1904年の大火災の後、1906年7月15日に再建され、「大漢門」と改称され、以後事実上の徳寿宮の正門となりました。
丹青の美しい建物です。1日3回行われる「王宮守門将交代儀式」はここからスタートです。 by entetsuさん大漢門 史跡・遺跡
-
「禁川橋(クムチョンギョ)」。
景福宮に永済橋、昌徳宮に錦川橋、昌慶宮に玉川橋があるように、徳寿宮にも禁川橋があります。これは全ての王宮に風水地理学上、明堂水があると吉であるという原理に基づき、川で外の世界とを隔てるという意味です。
橋の床には三道(サンド)があり、三道の真ん中には両端よりも一段高くて広い御道(オド)があります。この御道は王様だけが通ることができます。禁川橋 史跡・遺跡
-
「下馬碑(ハマビ)」
「禁川橋」の手前左側に碑があります。
「大小人員皆下馬」と書かれていて、高い地位にある人もまた逆に低い地位にある人も、この前を通るすべての人々は馬から降りろという意味。王の前では、どんな人も敬虔な気持ちを持ち、静粛にしなければならないということだそうです。
下馬碑は、王宮、宗廟、書院などの入口の前の一定の位置に建てられていたと考えられますが、これは現在韓国にたった一つ残存する王宮の下馬碑とのことです。
こちらの方がガイドさん。
息子さんがJ-POPに夢中になった時に一緒に日本語を勉強したのがきっかけで今日まで勉強を続け、ボランティアガイドをするまでになったそうです。
熱心に解説してくれました。 -
ガイドさん、「これから建物を観て回りますが、その前に私のお気に入りの所にご案内します」
-
ということで、すぐ右側の蓮池のほうにやって来ました。
この池のすぐ左の塀の向こうは、世宗大通りでその向こうはソウル広場。
通りの喧騒が嘘のように全く聞こえません。 -
咸寧殿の壁沿いに戻ります。
-
「中和門(チュンファムン)」にやって来ました。
「中和門」は、1902年に創建された木造建築で、徳寿宮の正殿である「中和殿」の正門にあたります。本来は、他の王宮と同じように左右に行閣があったのですが、今では全てなくなって、中和門の南東にその行閣の一部だけが残っています。中和門 史跡・遺跡
-
中央は王のみが通った。
もちろん、大半は輿に乗ってですが・・・。 -
竜が彫られています。
-
「中和門」から正殿である「中和殿」を望みます。
-
ここも丹青が美しい。
-
イチオシ
「中和殿 (チュンファジョン)」
1902年に建立された徳寿宮の正殿で、李朝時代末期に使用されました。正面5間、側面4間の八作屋根形式の建物です。
中和門から中和殿に続く朝廷の庭には、三道と品階石(プンゲソッ)が並びます。中和殿 史跡・遺跡
-
ここでは、王の即位式、家礼式、外国使臣の歓迎儀式、朝賀礼儀式など公式行事が行われました。
品階石は東西にそれぞれ12個ずつ立てられています。
朝鮮時代の官職の品階は9品までありますが、品階石は1〜3品まで正と従を区別して6本ずつ、残りは正・従を区別せずに6本ずつ立てられています。
正殿に向かって右側、つまり王から見て左側に武官、反対側に文官が並びました。
朝鮮時代は、韓国ドラマでもお分りのように文官が武官よりも優位でした。 -
イチオシ
今また何度目かの「チェングムの誓い」をBS日テレで再放送中ですが、ドラマ中、中宗王が医女になったチャングムに、「従九品」の位を与えようとします。
すると、赤服の文官達が、「王様〜、国の根幹を揺るがす一大事でございます〜、どうかお考え直しを〜、王様〜」なんて猛反対をします(笑)。
するとキレた中宗王が「従八品」に、そして「ではその上の、従七品に命ず!」
最後には「ではその上の、従六品を命ず!」。
最後の最後には、「正三品堂上官の地位に相当する「大長今(テジャングム)」の称号を授け、王の主治医とする〜」というシーンがありましたね。
こんな事を思い出しながら、ソウルの王宮を巡るのは楽しい。
中宗王は、チャングムを側室に口説こうともしたんですけど・・・(笑)。
イ・ヨンエさん、久々のドラマを撮影中との事。
楽しみです。 -
「月台(ウォルデ)」。
宮殿の正殿前などに1m程度の高さで設置されているテラス様の段台。
柵で覆われた「踏道」には中央に竜と両脇にはヘチが守護しています。 -
「中和殿」。
中和門とともに1902年に建設されましたが、1904年に火災で焼失、1906年に再建され、現在の姿になったそうです。中和殿 史跡・遺跡
-
ガイドさんによると、この「中和殿」の特徴は、景福宮の勤政殿など他の王宮の正殿が緑色の彩色を施しているのに対し、黄色っぽい色で塗られていることだそうです。
これは、室内天井の竜と共に、「王」ではなく「皇帝」国家の権威を表しているとされます。 -
内部には「御座(オジャ)=王の座った椅子」や、「日月五獄屏風(イルウォロアッピョンプン)」などを見ることができます。
-
天井には竜。
王とは品格が異なる皇帝の権威を象徴しています。
これは、李氏朝鮮第26代王・高宗が、後に大韓帝国初代皇帝となり、朝鮮王とは違う存在であることを象徴的に表しています。 -
「中和殿」の裏に来ています。
ガイドさんが覗いていますが、臣下が正殿の前に並んで待つ中、王はこの裏側から「中和殿」に入り、御座に座ったのだそうです。 -
別のボランティアさんのグループ。
こちらは中国語でした。
中国の人か台湾の人かは判りませんでした。 -
裏にある建物群の内、一棟は補修工事中でした。
-
工事をしている建物は「昔御堂(ソゴダン)」。
珍しい2階建ての建物です。昔御堂 史跡・遺跡
-
これはパネルにあった写真を写したもの。
桜が綺麗です。
「昔御堂」は豊臣秀吉の文禄・慶長の役の時に宣祖王が避難先から還都し崩御するまでの16年間暮らした場所。
昔御堂の名前もまた「昔、王がいらした家」を意味するとか。
韓国王宮の建物としては、珍しく彩色が施されていない建物です。 -
「徳弘殿」。
1911年に建てられ、王が外国の使臣や高位官僚と接見する際の接見所としての役割を果たしてきました。
日常生活が行なわれたところではないので、韓国の家には欠かせないオンドルがないのが特徴です。徳弘殿 城・宮殿
-
天井の装飾。
ご覧のように綺麗です。 -
割合、最近になって塗りなおしているのか、丹青も綺麗です。
徳弘殿 城・宮殿
-
やや大きいこの建物は、「咸寧殿(ハンニョンジョン)」。
-
「咸寧殿」は王の寝室として使われていました。
-
「咸寧」という名前は、26代王・高宗が国の平安を祈願し付けた名前で、中心を境に東側は皇帝の部屋、西側は皇后の部屋になっています。
朝鮮末期の王、純宗は即位した頃、ここで生活をしていたとも伝えられています。咸寧殿 史跡・遺跡
-
夏は、このように扉を開け放すのだそうです。
-
なんか、今にもトンイやドラマ「イ・サン」のソンヨン(ハン・ジミンが演じました)が走って来そうな風景ですね。
-
オンドルの煙突も立派。
-
イチオシ
とびきり美しい丹青です。
-
「静観軒(チョングァンホン)」。
静観軒 史跡・遺跡
-
1900年に建立され、王宮で最初に建設された西洋式の建物。
高宗が茶菓会を開催したり、音楽を鑑賞したりした休息の場所でもあったそうです。
ガイドさんによると、高宗はコーヒー好きだったらしい。 -
この写真では判りませんが、屋根には赤いレンガが使われ、床には大理石が敷かれています。
今でも、コーヒーや紅茶を飲んで寛いでいる高宗がいるような気になります。 -
意匠をよく見ると、四隅には羽を広げたコウモリ(蝙蝠)が描かれています。
「蝠」の字が「福」(韓国語でポク)と読めることや、コウモリは多産な動物であることから、古来より福を招く縁起のよい動物とされていたのだそうです。
日本では、コウモリといえば気味が悪い、怖い、縁起が悪そう、といったイメージですが・・・。 -
イチオシ
静観軒から徳弘殿へと続くところには装飾塀が続き、アーチ状の門があります。
惟賢門 史跡・遺跡
-
これが、「惟賢門」。
西洋風の門で、意味は、賢明さについて考えたり、人徳者のみが出入りする門という意味だそうです。惟賢門 史跡・遺跡
-
装飾塀の瓦の部分です。
-
「即祚堂(チュクチョダン)」にやって来ました。
先ほど観た工事中の「昔御堂」の斜め後方にあります。
光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ・李朝第16代王)が王位即位式を行った歴史的な場所ですが、いずれも権力を用いて半ば強引に王位を継承し、正殿ではなくここで即席の即位式を行なったものです。即祚堂 史跡・遺跡
-
ここも、扉を夏仕様にして畳んで上に揚げてしまっています。
-
「毎日揚げたり下げたりしてるのですか?」と私が聞くと、ガイドさん「いいえ、夏の間はこのまんまです。昔、実際に人が生活していた時もそうでした」。
へぇ〜。 -
お隣にある「浚明堂(チュンミョンダン)」。
ここは、高宗が臣下と国政について論議した便殿です。
即祚堂とは廊下でつながっています。
なお、よく見ると「浚明堂」の「明」はヌン=目とタル=月が合わさった文字(日偏ではなく目偏)になっています。
これは、明るく見るという意味を持っているそうです。浚明堂 史跡・遺跡
-
「浚明堂」のお隣には、朝鮮王宮にはおよそ見たことの無い石造建築物。
-
イチオシ
これが、「石造殿(ソクチョジョン)」。
御影石で出来ていて、外観は19世紀初めにヨーロッパで流行した新古典主義様式で、イギリス人技師ハデイングが設計したといわれます。
一時期、宮中遺物博物館として使用されていたそうですが、今は「古宮博物館」と名を代えて景福宮内に移転しています。石造殿 史跡・遺跡
-
この石造殿では、1946年の1月16日、日本の植民地支配から解放された朝鮮半島の将来を論議するために開催された米ソ共同委員会の最初の予備会談がここで行われました。
結局、南北が分断されるという悲しい歴史がスタートしていくのですが・・・。
また、2014年10月からは大韓帝国歴史館としてリニューアルオープンしているそうです。以前来たときは、工事中でした。 -
「国立現代美術館分館 徳寿宮美術館 (石造殿別館)」。
これは、石造殿の別館(西館)として1938年に完成。
地下1階、地上3階の御影石でできた石造建物で、日本人建築家の中村興資平の設計で李王家美術館として建設されました。
今は、国立現代美術館分館として定期的に展示換えをしながら運営されているようです。国立現代美術館分館 徳寿宮美術館 (石造殿別館 ) 博物館・美術館・ギャラリー
-
「石造殿」前の庭園と噴水です。
1900年、イギリス人ブラウンの発案でイギリス人技師ハデイングによる設計で着工され、1910年に竣工したイギリス式庭園。
韓国最初のヨーロッパ式庭園でもあるとか。
日本統治時代の末期には砲弾製造に使うために、この青銅でできた噴水台も取り壊されたと言われています。
「徳寿宮」の建物をざっと観てきましたが、ここは「光海君」が即位した宮殿ですが、1615年、光海君が「昌徳宮」に居場所を移し、その後274年もの間、こちらは主人不在の状態の王宮でした。
しかし1897年、高宗がここを修理して、もとの王宮らしい姿に生まれ変わらせた後に居場所を移し、再び王宮として使用されるようになります。
高宗は、大韓帝国(1897年8月12日〜1910年10月22日)の初代皇帝になりますが、1904年の大火災でほとんどの殿閣が焼失したり、1905年には重明殿(チュンミョンジョン)で日韓保護条約が締結されるなど、朝鮮の国力は衰え、幾多の受難を経験した歴史的な場所でもあります。
都会の真ん中の今の姿からは想像も付かない歴史を感じます。 -
「徳寿宮」観賞を終えて、西門である平成門から出て来ました。
ちらっと写っているのは警官です。
正面にアメリカ大使公邸があります。
写真を撮ろうとしたら、静止されました(悲)。
この辺りから「徳寿宮トルダムキル」につながって行きます。徳寿宮トルダムキル (石垣道) 史跡・遺跡
-
「徳寿宮トルダムキル (石垣道)」 。
美しい道はカップル達のデートコースでもあります。 -
近くに「ソウル市立美術館」もあり、このようなオブジェもあります。
-
作曲家イ・ヨンフンの碑石。
同氏作曲の名曲「光化門恋歌(クァンファムンヨンガ)」の記念碑です。 -
この人が、作曲家のイ・ヨンフン氏らしい。
-
少し歩くと、このような案内板がありました。
-
路地の奥に進むと、ここが2010年8月19日から一般公開された「徳寿宮・重明殿」。
-
これが「重明殿」。
赤レンガを使った西洋風の建物。
高宗は、西洋の近代文物を積極的に取り入れていて、この重明殿もロシア人の建築家サバチンに設計させたそうです。重明殿 城・宮殿
-
イチオシ
「重明殿」は、徳寿宮とは今では少し離れた場所にありますが、1910年ごろまでは徳寿宮の敷地内にあったものだそうです。
-
こちらは「徳寿宮」の火災時には高宗が移住したところであり、また1905年には日韓の歴史的な協約、第二次日韓協約が結ばれた歴史の現場でもあります。
その後外国人の社交クラブとして使われたり、火災により全焼〜再建されたり、英親王と李方子女史に寄贈されたり、民間に売却されたり、「貞洞劇場」に引取られたり、文化財庁が引き取ったりと数奇な運命に翻弄されます。
2007年「徳寿宮」とともに国家指定文化財・史跡第124号に指定され、2010年に復元工事が完了しました。 -
入口のバルコニーの下の部分はアーチ状になっています。
なお、「徳寿宮」の「浚明堂」と同じように、の「明」はヌン=目とタル=月が合わさった文字(日偏ではなく目偏)になっています。 -
床にはこのような細工が施されていますが、保護のために透明のカバーが掛かっています。
-
時代を感じさせる照明。
-
同じくシャンデリア風の照明。
-
幾つかの部屋で歴史的な資料が展示されています。
この建物で第二次日韓協約(乙巳条約)が締結され、条約締結前後の出来事、その当時の現場の様子が分かるようになっています。
この条約締結により、韓国の外交権が奪われ、朝鮮総督府が設けられることになります。
一方、この部屋には、協約締結のあと、国・国民全体で主権回復のための闘争が始まり、その関連資料が展示されています。
高宗は大韓帝国の守護条約を締結した各国の首脳に親書を送り、協約が無効であることを訴え、1907年、ヘーグで開かれた第2次平和会議に韓国から特使を派遣しますが、その前に日本が各国に手をまわし、特使は会議場に入ることはできなかったのだそうです。 -
イチオシ
「重明殿」の観賞を終え、再び「徳寿宮トルダムキル (石垣道)」に出て来ました。
歩くには「秋」が良いそうですが、十分雰囲気ありますね。徳寿宮トルダムキル (石垣道) 史跡・遺跡
-
このような古い建物もありました。
今でも現役で使われているようです。 -
公園に来ました。
貞洞近隣公園でしょうか。 -
綺麗な所ですが、雨も降ってきたりして、誰も居ません。
-
花梨(カリン)がありました。
もう実が大きくなってます。 -
見上げているのが、「旧ロシア公使館邸」。
1896年、高宗は反ロシア派との対立の最中、ロシア公使館に逃げ込みロシアとの関係を強化し親露政策を取りますが、結果的に多くの権益がロシアに奪われ、民衆は親露政権に対しても反発の動きを見せます。
そのため、高宗は再び王宮へ戻り、こうした自主独立の動きに押され、1897年朝鮮初となる皇帝に即位、国号を大韓帝国と改めます。
以上で、ボランティアガイドさんとのウォーキングは終了です。
ウォーキングといっても、説明を聞いたり色々世間話をしたりですので、疲れはしません。
一生懸命の解説、有難うございました。
⑬に続きます。
http://4travel.jp/travelogue/11037926旧ロシア公使館 建造物
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!
-
前の旅行記
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~⑪ソウルに戻り、夜は台湾料理、朝はビビンバ&キムチチ...
2015/07/29~
ソウル
-
次の旅行記
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~⑬「徳寿宮トルダムキル(石垣道)」を散策して、いよい...
2015/07/29~
ソウル
-
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~①成田空港第3ターミナルからインチョンへ
2015/07/29~
ソウル
-
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~②まずは、「ソウルの人気スポットを巡るロマンティック...
2015/07/29~
ソウル
-
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~③夕食はネンミョン(冷麺)、朝食はビビンバ&うどん(...
2015/07/29~
ソウル
-
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~④青瓦台(チョンワデ)=韓国大統領官邸を観覧しました...
2015/07/29~
ソウル
-
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~⑤午後はあまりにも暑くてホテルで休憩して、結局、夜「...
2015/07/29~
ソウル
-
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~⑥「南山ゴル韓屋マウル」を散策して、KTXでプサンへ
2015/07/29~
ソウル
-
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~⑦初めてプサンにやって来た~
2015/07/29~
釜山
-
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~⑨甘川洞文化村観光を続けています。でも、暑い・暑い~...
2015/07/29~
釜山
-
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~⑩チョッパル(豚足)のランチの後、チャガルチ市場を歩...
2015/07/29~
釜山
-
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~⑪ソウルに戻り、夜は台湾料理、朝はビビンバ&キムチチ...
2015/07/29~
ソウル
-
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~⑫ウォーキングツアーで「徳寿宮」観光
2015/07/29~
ソウル
-
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~⑬「徳寿宮トルダムキル(石垣道)」を散策して、いよい...
2015/07/29~
ソウル
-
10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!~⑧韓国のマチピチュ「甘川洞文化村」を歩きました~。
2015/07/29~
釜山
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 10回目の韓国。今回はプサンへも足を延ばしてみました!
0
75