即祚堂
史跡・遺跡
3.33
施設情報
クチコミ(15件)
1~15件(全15件中)
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即祚堂
- 3.5
- 旅行時期:2023/09(約2年前)
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浚明堂とつながっている建物
- 3.0
- 旅行時期:2023/02(約3年前)
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王の即位式
- 3.0
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
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昔御堂との並びの対照的な色調を楽しむと良いです
- 4.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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即席の即位式を行なった場所との事です
- 3.5
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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即祚堂でございます
- 3.0
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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いろいろな思惑の絡んだ建物
- 3.0
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
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「殿」では無くて「堂」の建物。
- 4.0
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
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徳寿宮内を散策中です!
- 3.5
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
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朝鮮王朝二人の王が即位
- 4.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
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光海君と仁祖(李朝第16代王)が王位即位式を行った歴史的な場所
- 4.5
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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徳寿宮 即祚堂(チョクチュダン) 王の即位式が行われた
- 5.0
- 旅行時期:2013/05(約13年前)
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即祚堂(チョクチュダン)では、昔2人の王の即位式が行われました。
一人は李朝第15代王、光海君(クァンヘグン)・・・... 続きを読む中国が明から清に変わるころの王で、外交に手腕を発揮したのですが、弟殺しのため失脚し、死後王名をつけられなかったため、君・・という皇太子時代の名で後世に伝えられる王です。
2人目は李朝第16代王、仁祖(インジョ)・・・光海君時代にクーデターを起こして王になった人です。
1904年の火災で焼失しましたが、すぐに昔御堂、咸寧殿とともに復元再建されました。
即祚堂という名前には「王が即位した所」という意味があるそうです、
また、壬辰倭乱(慶長・文禄の役)時代に景福宮から避難してきた宣祖が暮らし、国を導いた場所でもあります。
王の居室としてはシンプルですが、天井の装飾は見事です。
閉じる投稿日:2013/05/25
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徳寿宮‘即祚堂’、正殿・中和殿の後にあります
- 3.5
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
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名前の由来
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- 旅行時期:2011/02(約15年前)
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「殿」ではなく、「堂」・・・
- 4.0
- 旅行時期:2011/02(約15年前)
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