垂井・関ヶ原からいつもの京都へ(後半)~プチグルメに美術館を楽しむのんびり旅のつもりが、平家物語の悲哀の一つ、高倉天皇が愛した小督局ゆかりの清閑寺と京都市内を一望する絶景の将軍塚で一気にヒートアップです~
2015/07/19 - 2015/07/20
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たびたびさん
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一日目の垂井と関ヶ原を終えて、後半二日はいつもの京都です。ただ、初日の疲れも残っているし、天気もイマイチなので、二日目は美術館を入れたりしてののんびり旅。三日目もその延長のつもりだったのですが、天気はよくなるし元気が回復したこともあったりして、途中で一気にヒートアップします。結局は、例によって歩け歩けのハードな旅となりました。
ところで、ヒートアップしたきっかけは清閑寺と将軍塚。将軍塚は、京都市内を一望できる名所として有名なのですが、歩いては行けない場所なので、これまでは自分には無理だとあきらめていました。しかし、清閑寺に行ったついでに足を延ばして遂に、初訪問を実現しました。ただ、この道はとても遠い。今振り返っても、よく行ったなあと思います。道は見通しが悪いし、車が通るたびにちょっと怖いような感じもする。将軍塚は車でしか行けない場所という説明はその通りだと思います。
まあ、どっちにしても、勝手知ったる京都市内。その場に応じて、どうにでもなる。今回もマイナーなスポットが多いかもしれませんが、すそ野が広いのも京都ならではでしょう。
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今日のスタートは、東寺から。ここはなんといっても立体曼荼羅が圧巻なんですが、そんなにさいさい見るものでもないでしょう。
ということで、今回は五重塔をバックにした蓮池をチェック。 -
イチオシ
よく知られた景色なんですが、これは私も初めてだったかも。ハスは、天竜寺や竜安寺もいいですけど、なるほど、こっちもなかなか雰囲気がありますね。ハスは朝早くないと花が開いていない。ちょうどいいタイミングでもあったようです。
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そして、もう一つの目当てはおはぎ巴屋です。
東寺の西口を出たところなんですが、外観は個人住宅とほとんど変わらないので、知らないとかなり見つけにくいと思います。開店の10時を待って入店。ご飯が今炊き上がりましたという、モワッとしたいい匂いでテンションがあがります。 -
いただいたのは、餡子と黄粉を一つずつ。実は期待したほどのインパクトではなかったのですが、元々、京都ではインパクトなんか重視していませんよね。ごはんのさりげなくほどよい粒々感が真骨頂かと思います。
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東寺から、一気に京都の北に向かって移動。樂美術館です。これは効率の悪い回り方なので、普通はこんなルートは辿らないんですが、逆にそんなこともあって、これまで来れていなかった美術館。今日は時間を気にせず、のんびり回る予定なので、こうして来れた次第です。
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企画展の「琳派400年記念 本阿弥家・尾形家の血脈を受け継ぐ 樂歴代装飾の荷担・抑制と開放」を拝見しました。
確かに、鮮やかな色彩のイメージはあまりなかった楽焼ですが、初代長次郎から15代吉左衛門までの代表作を見ると、江戸時代の作品などにも見事なオレンジ色を駆使した作品があって、本当に目の覚めるような美しさ。わびさびといった基本的な美意識はあっても、これだけの鮮やかな色使いだってできるんだよというちょっと衝撃的な作品です。また、現代の作品では濃い緑や紺を操った天地創造をイメージした茶碗があって、楽焼ってどこまですごいのかと底知れない可能性も示しています。
技法的には陶片を埋め込んで景色にするのも初めて見ましたが、その小さな陶片の美しさがとてもいいうえに、全体としての端切れを使った着物のような面白さがたまりません。
もちろん長次郎のまあるく成形した器のまるで宇宙を形にしたような凄味もなるほど素晴らしくて、これが原点ではあるのは間違いないんですが、そこにとどまらず、変幻自在に発展し続けることこそが大事なことだと思い知らされるようでした。 -
楽美術館からまっすぐ下がっていくと、小さな和菓子屋さんを発見。ここはわらびもちが看板商品のようですね。ご主人は亀屋清永で修業をして、ここでお店を開いたんですが、体力的にあれこれは作れないのでわらび餅をメインにしたんだそうです。
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小さいサイズをいただきましたが、なんか豊潤でクリーミーな味わい。もっとストレートな味わいを予想していたのですが、これはいい意味で期待を裏切られました。このアレンジの仕方は斬新だし、とにかくうまい。技もあるんでしょうが、ご主人の舌の確かさを感じる逸品だと思いました。
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そのまま、はふうへ。
名物のビーフカツサンドが目当てです。 -
イチオシ
事前に写真でも見てたとおり、レアな肉の赤色が素晴らしいですね。ただ、味の方は見た目のインパクトと違って、抜群とまではいかないかも。5000円の高級ビーフカツサンドもあって、たぶんそっちはすごくうまいんでしょう。というか、このビーフカツサンドの限界をちゃんと分かって用意しているのかもしれませんが、それをどう評価するかは微妙です。
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寺町通りに出て、
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一保堂へ。
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ほうじ茶のセットをいただきます。まあ、ほうじ茶というのは番茶のこと。もっとも大衆的なお茶ですね。
ほうじ茶の入れ方から説明を受けて、急須に自分で熱湯を注いでお茶を入れます。三回くらいは出せるので、たっぷりお茶の味を味わえます。ただ、このほうじ茶はけっこう渋みもあって、大人の味。一方で、どの辺りに高級感があるのかは分からず、こんなもんかなあというのが正直な感想です。 -
ここから、近代美術館に向かいます。岡崎にはバスで移動です。
岡崎公園の入り口といった場所にある小さなせんべい屋さん。 -
ザラメの煎餅をいただきました。あまり期待はしていなかったのですが、なかなかいいお味。はっきりした甘さが堅めの米煎餅に合っていて、メリハリのある味に仕上がっています。ちょっとした個性もあると思います。
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そして、
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みやこメッセの脇を抜けて。
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久しぶりに京都国立近代美術館です。見たかったのは、魯山人の企画展です。
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実は、先般、銀座久兵衛に伺った時に、使われていた魯山人の弟子の作という器があまりにも期待外れだったので、やっぱりここで改めて本物を見ておこうと思った次第なんです。
いや〜、こんなにたくさんの作品を体系だって整理してあると見応えありますね。ここまで人を喜ばすかなあというような魯山人の痛快な作品には、まったく恐れ入るしかない。その意気ごみのようなものも伝わってきて、素直に酔いしれてしまいました。
晩年に近くなってから始めたという備前焼も完成度は高いし、奈良一閑張のデザインを模した塗椀など、こんなものに着眼したこと自体、凄すぎです。
ただ、あれと思ったのは最後のビデオ。寿司屋のカウンターさながらにしつらえた席に座って見るんですが、先ほど展示してあったまな板型の器に寿司を盛りつけているんですよ。これって、銀座久兵衛のカウンターじゃないですか。九兵衛さんもこうして本物が分かっていないわけじゃないのなら、もうちょっと何とかしてほしかったなあと改めて思ってしまいました。 -
一方で、ここに来たなら河井寛次郎の作品にも挨拶しておかないといけませんよね。しかし、コレクションの幅が限られているので、もしかして河井寛次郎は魯山人より下とみる人もいるかもしれません。しかし、それは大きな間違いですので、一応、付記しておきたいと思います。
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ここで、本当だったら、晩飯の方も一ひねりするんですが、昨日の疲れもあって、その気になれない。大丸でお弁当を買って帰ることにしました。もう体が動きませ〜ん。
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さて、翌日というか、今日が最終日です。
京都のモーニングの有名店はあれこれあります。この小川珈琲はノーチェックでしたが、評価が高いようなので、訪ねてみました。 -
ビルインのドトールみたいな小さなお店。対して、こちらは注文すると持ってきてくれるところがちょっと手作り感があるかもしれません。
ただ、全体としては、普通かなあ。手早く気軽にモーニングを食べるといった範疇からは出ていないと思います。 -
ここから、豊国神社の方に向かうんですが、これは途中のさるすべり。白いのや
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ピンクのや。今日はよく晴れたので、青空によく映えてます。夏らしい風景ですよね。
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イチオシ
この耳塚は、豊国神社門前にある史跡。豊臣秀吉の朝鮮出兵で慶長の役の際に討ち取った朝鮮・明国人の耳や鼻を埋葬して弔った塚。戦功の証として持ち帰ったもののようですが、いわゆる蛮行の一つでしょう。
盛り土をした上に五輪塔が建てられていますが、塔はかなり大きいし、威圧感もある。これまでちょっと高をくくっていたんですが、こんなに見応えがあるとは思いませんでした。 -
こちらが、豊国神社。
名前の通り、豊臣秀吉を祀る神社です。豊臣秀吉の死の翌年、その遺体は方広寺の近くの阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、その麓に廟所が建立されます。この廟所跡も残ってはいるようです。対して、この豊国神社の場所は方広寺大仏殿跡地。明治に入ってから遷座が行われます。
そして、この唐門は国宝。京都市内にはほか大徳寺と西本願寺の国宝唐門がありますが、これは南禅寺の塔頭「金地院」から移築されたもの。伏見城の城門であったという門なんです。 -
これは唐門から、さっきの耳塚の方を振り返った眺め。
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で、気になっていたのは、この宝物館です。
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正面入り口には鉄の灯籠。
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中に入ると、
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千利休の書状や
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秀吉の書状など。
歴史のない神社なのに、けっこうなお宝が揃っています。不思議に思って尋ねると、この神社ができると、黒田家や蜂須賀家など、秀吉にゆかりの方々から持ち込まれ、寄付されたものだそうです。江戸時代は、秀吉関係はたぶん、持っているだけでご法度だったはず。それでも、受けた恩顧が忘れられず、それぞれひそかに伝えられてきたんでしょう。やはり、京都でも秀吉の人気は絶大。徳川なんて、比ではありませんからね。
いい話を聞かせてもらいました。 -
三十三間堂の裏を進んで、
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これは、法住寺。
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平安時代中期に太政大臣、藤原為光によって創設され縦た寺です。
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「身代不動明王」像というのがあって、これは、円仁(慈覚大師)の作。木曽義仲が都に入り放火した際に、後白河上皇の身代わりとなったいう仏様。そのことで「身代不動明王」と呼ばれるようになりました。
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拝観を申し込むと内陣の手前から拝めるのですが、そんなに大きくないし、ちょっと薄暗いしで、はっきりとは分からないです。
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ちなみに、天台宗の不動明王は立っているのが特徴です。
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あと若い女性がちらほら来ていて、こんなところで何だろうと思ったら、写経だそうです。京都駅から近場で写経をさせてくれるのはここなんだということでした。
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続いて、歩いて泉涌寺の方へ向かいます。
この新熊野神社は、34回もの熊野詣を行うほどの熱烈な熊野信者であった後白河法皇によって創建された神社。 -
通り沿いに後白河法皇お手植えの楠木の大木があって、これが神社のシンボルとなっています。
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イチオシ
脇の方から入ると、楠木はこんな風に根元から見上げることもできまして、意外な迫力があります。
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ほか、境内には「新熊野神事能楽」の碑。能楽の祖、観阿弥・世阿弥が足利三代将軍義満の御前で舞を披露。これにより、猿楽が将軍家の式楽となり、その後の能楽盛隆の発端となったということです。
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奥田菓舗は、泉涌寺の近く今熊野商店街の中。
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今年は7月20日の夏の土用の入りに食べるお菓子「あんころ」をいただきました。近所のお馴染さんもきて、たくさん買っていきます。
まあ、あんころ自体はどうということはないんですが、こうした節目節目の慣わしが京都の風情だと思います。 -
剣神社は、泉涌寺の参道の一本北の通り。かつては泉涌寺の守り神だったのですが、今は今熊野一帯の産土神。子供の疳虫封じ祈願で知られる神社です。なお、剣神社の剣は、この辺りから埋葬された鏡や刀剣等が発掘されたことからきているようです。赤い鳥居が反っていて、元気がいい感じです。
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ここからは、泉涌寺の塔頭を回ります。
即成院は泉涌寺の聖域の外。境界ぎりぎりの場所になります。 -
平等院鳳凰堂を建てた藤原頼通の子、橘俊綱が創建。
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国の重要文化財に指定されている木造阿弥陀如来及び二十五菩薩像が見どころです。
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阿弥陀如来を中心とする26体は、本堂内に安置されています。いわゆる来迎図に描かれた楽器を演奏する菩薩像なんですが、それが等身大の立体像で造られていて、これは珍しい。平等院鳳凰堂を意識したものだということですが、にこやかに笑っている菩薩もいたりして、とても見応えがあると思います。京都でも、ほとんど知られていませんが、こうやってひょっこりいいものがある。京都では、分かったつもりは厳禁。絶対にやるべきではありません。
なお、山門の上にある鳳凰の飾りも平等院を向いているのだそうで、それだけ意識が強いんですね。 -
那須与市の墓は、本堂の裏手。木造阿弥陀如来及び二十五菩薩像を拝観した後、お参りしました。本堂からいったん外に出て、渡り廊下を少し上がった場所。墓石は異様に大きなものでちょっと予想外です。
なお、源平合戦、屋島の戦いで扇の的を射落して一躍ヒーローとなった那須与市ですが、当時、実は16才か17歳。弓の名手という名声を聞いて強く出陣を促されたようですが、京都で病にかかり、この寺で闘病平癒を祈願し、元気になったことで戦場に赴けたのだそうです。 -
しかし、戦いに身を投じ、世の無常を悟り、この寺で出家。34歳で亡くなります。若い身で、むごい戦いを目にし、ショックのあまり今でいえばうつ病にでもなったのかもしれません。現実は我々が思うような甘いものではないようです。
つまり、義経は悲劇のヒーローですが、一の谷の合戦や屋島の合戦、壇ノ浦の戦いなど。義経の戦い方ですが、天才的な戦略と言われているものでも、反面、和議を進めると見せかけて奇襲する汚いだまし討ちだったり、船の漕ぎ手を射る禁じ手を使ったりと、正直あまり気持ちの良い内容ではない。それが源氏の戦い方なのですが、最近、そんなことも分かってきて、私の中では義経の評価はだいぶ下がってしまいました。 -
泉涌寺の聖域は、この山門の向こうです。
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法音院は、泉涌寺山内に入ってすぐの塔頭。鎌倉時代末期の創建。江戸時代の初期に再興され、駿州田中城主本多家の菩提寺となっています。
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見どころは伏見桃山城の遺構の一部という書院ですが、外観からはまあそうかなと思うくらい。入口を入ってすぐに、泉涌寺七福神の寿老人が祀られています。
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少し進んで戒光寺。
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こちらは、鎌倉時代の仏師 運慶・湛慶親子の合作という、身の丈10mの釈迦如来像がメイン。
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パンフレットを紹介するしかありませんが、本堂の奥に見上げるような高さの仏様が立っていて、いきなりこれが目に入ると誰でもびっくりすると思います。華やかというか、麗しい姿もすばらしいですが、オーバーハングになった後背の迫力も圧巻。長谷観音とかは別格としても、如来像ではここまでのものにはちょっとお目に掛かったことがないような気がします。。
内陣に入れる日もあるようで、そうすると足元から見上げられて、もっとずっと迫力があるんだそうです。
なお、後水尾天皇の身代わりになったという言い伝えもあるようです。 -
ちょっと回って、これは悲田院。
聖徳太子の時代、捨てられた子供を助ける施設として造られたというものですが、泉涌寺の塔頭にもありました。直接のつながりはないかもしれませんが、流れとしては汲んでいると思います。 -
ただ、拝観も何もないので、観光の寺ではありません。庫裏の脇から京都市内を眺めることができて、それがちょっといい感じです。
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来迎院は泉涌寺の聖域にあって今熊野観音の方から行ったのですが、
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ちょっと分かりにくいかもしれません。
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ここは忠臣蔵の大石内蔵助ゆかりの含翆庭と茶室「含翆軒」が見どころ。
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ここで茶会を装って
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同志と討ち入りの
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密議を行ったとされます。
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これは内蔵助の揮ごう。
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ちょっと荒れた感じは否めませんが、
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それも含めて、味わうべきなのかなと思います。
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これは、弘法大師が独鈷で掘られて湧いたという伝承のある「独鈷水」。作庭も、元々はこの湧水を利用したものです。
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来迎院の門を出てすぐの善能寺は、無住の寺のような感じ。ただ、境内はきれいに掃除も行き届いていて、本尊の聖観音を収める本堂も美しい佇まいです。
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元々は空海の創建ですが、現在の建物は丘珠空港から函館空港に向かっていたYS-11「ばんだい号」墜落事故の遺族の寄進により建立されたものということです。
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そして、少し戻って今熊野観音寺へ。
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イチオシ
ここは西国三十三所第十五番札所なので、泉涌寺の塔頭の中では一番認知度が高いと思います。
そういう意味では何度か来ていたのですが、入口の赤い橋を渡ってすぐの空海像の辺りから、境内の青々とした紅葉が美しくて目が覚めるよう。こんなにきれいなところだったかなあとちょっとびっくりしてしまいました。 -
イチオシ
本堂を
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チェックしますが、
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やっぱり周囲の紅葉が気になります。いいですねえ。
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さて、泉涌寺の方は、今回はパスして。
再び、今熊野商店街へ。京菓子司 末廣屋は、泉涌寺の参道からに出てすぐの場所。あんころの時期だったので、ここでも食べ比べということであんころを買いました。まあ、店によって味に違いがあるのは当然なんですが、ここのあんころはきりっとした甘さがいいですねえ。私としては、こっちの方が好みのタイプのような気がしました。 -
喫茶音羽屋となっていますが、普通の和菓子屋さんなんですが、喫茶コーナーとかあったかなあという感じ。
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店の前にバス停があって待っていたのですが、赤飯まんじゅうが目に入って、ついつい買ってしまいました。しっとりした皮が期待通りのおいしさです。
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では、昼は東山安井まで。
ひさごは、八坂の塔近くの親子丼が人気のお店。たぶん、安いからだと思いますが、若い人や家族連れでいつも大賑わい。普段ならこんなところでは並ばないんですが、今回はゆったり旅のつもりなので並びましょう。 -
さて、親子丼の方ですが、悪くはないですが、とろとろの卵の加減や鳥肉の歯ごたえなどは予想の範囲内。まあまあといったところかなあと思いますが、奇をてらわないところがいいのかも。刻んだたくわんが適度なアクセントになっています。
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京都陶磁器会館は、東大路通り沿い。五条坂を上る入口にある大きな建物です。焼き物は茶碗坂をぶらぶらしながらとも考えるのですが、実際は、これといったお店がないのも事実。その点、ここは組合がやっていて、新進気鋭の作家の作品などの幅広く扱っていて、安心して楽しめる。河井寛次郎の親戚筋の作品などもあって、似てるんだけど個性も出そうと頑張っている感じを拝見したり。お店の方も親切に説明してくれるし、気持ちの良い施設だと思います。
京焼はあまりにも多種多様。どこかでうまく掘り出し物を見つけたいとか、思わない方が身のため。自分の目を信じる前に、ここをちゃんと確認するのが基本だと思います。 -
清水の五条坂下から清閑寺の方に上がって、そこから将軍塚を経由して、山科の方に向かってインクラインの辺りに抜ける道が東山ドライブウェイ。
この道を清閑寺に向けて歩きます。地図だとさほどでもない感じだったのですが、けっこう遠い。不安になりながら、歩きました。 -
あれが清閑寺ですね。やっとたどり着きました。
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こちらは、平家物語ゆかりの寺。
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参道すぐには高倉天皇の陵です。
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平清盛は、高倉天皇の中宮として建礼門院徳子を入内させますが、高倉天皇は小督局を寵愛しなかなか皇子が授からない。
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これに怒った清盛は小督局を出家させてしまいます。その小督局が入った寺がこの清閑寺なんです。
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さきほどの高倉天皇の陵は、ここに眠りたいと高倉天皇が望んだから。高倉天皇がいかに小督局を愛していたかが分かります。
ちなみに、高倉天皇は後白河天皇の第7皇子。後白河天皇の第1皇子、二条天皇、その子、六条天皇に続いて、8歳の時に天皇に即位します。
ところで、二条天皇と父である後白河天皇の関係は摩訶不思議。後白河天皇はむしろ二条天皇が天皇に即位するためのワンポイントリリーフという位置づけだったんですね。当時の実力者は後白河天皇の父である鳥羽法皇。鳥羽天皇は、祖父である白河天皇に自分の妻を寝取られて、できた子が崇徳天皇だったのですが、既に崇徳天皇を排除。自らの第九皇子、近衛天皇から第四皇子、後白河天皇に譲位させ、盤石の院政を敷いていました。
なぜ、ワンポイントなのかは少しはっきりしないところもありますが、まだ二条天皇が幼すぎたことに加えて、鳥羽天皇の寵妃でその後鳥羽法皇の膨大な遺産を引き継ぐことになる美福門院が二条天皇を養育していたという背景もあるようです。
そして、実力者の鳥羽法皇が崩御すると、まずは、鳥羽法皇に押さえつけられていた崇徳上皇の不満が爆発。しかし、崇徳上皇は戦いに敗れ完全に排除されてしまう。これが保元の乱ですね。ただ、改めて、勝利者の後白河天皇も二条天皇のワンポイントリリーフだったということに満足せず、二条天皇に譲位した後も今度は自分が院政を敷こうとする。そこに発生した二条天皇派と後白河院政派の対立が平治の乱の遠因です。しかし結果としては、保元の乱の勝利により、双方に強い影響力を持っていた信西が排除されたことを発端に起こった騒乱ですが、それを首謀した後白河院政派の藤原信頼、源義朝は二条天皇派と結んだ平清盛の平氏に掃討される。最後は、二条天皇派の藤原経宗・惟方も信西殺害に関与した責任を問われ、失脚。後白河院政派、二条天皇派は共倒れの結果となり、中立的な役割だった平氏の大躍進が実現するという構図。後白河天皇は、ほどなく邪魔者だった二条天皇が死去し、その子六条天皇から幼い8歳の高倉天皇が即位することで、念願だった院政が確保されていくこととなります。
ただ、平家の立場から見れば、高倉天皇の母は、清盛の妻、時子の異母妹。高倉天皇には清盛の娘、徳子が入内し、3歳の安徳天皇が誕生することに。後白河天皇は、保元・平治を生き延び、邪魔者を排除してはいるのですが、平家の台頭は後白河法皇が得たもの比ではないのも事実でしょう。
ちなみに、高倉天皇は安徳天皇に譲位した翌年に崩御。19歳の若さでした。 -
それにしても、ここは京都市街中心部からはかなり離れていて、ある意味山深い場所なのですが、境内はかなりきれいに整備されていて、年代物のアセビの庭木も美しい。
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庭園自体にも奥ゆかしさや格調の高さが感じられるように思いました。
なんか、めちゃめちゃいいですねえ。テンションが上がってしまって、予定にはなかった将軍塚にも行ってみたくなりました。 -
ただ、それが間違いのもとというか。大変なことに。
途中の景色はあまりよくないし、草が茂って見通しが悪くなっている場所もあったりして、歩くのはちょっと危険かなあという感じ。そこをとぼとぼとかなりかかってやって来ました。これは駐車場。 -
駐車場から市営展望台に向かいます。
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茂みの間から、京都の市街が一望できるのですが、この展望台自体は、コンクリートで固めただけの粗末なもの。傷みもそれなりにあって、正直、あんまり気分は出ない。ここまで来た苦労はなんだったのか。こんなものを見に来たのではないんですよね。夜景がいいんでしょうか。なんでこんなのが、評判いいのか訳が分かりません。
とがっかりしていたのですが、 -
イチオシ
人の流れがもう一つあって、それについていくと
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将軍塚大日堂です。
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せっかくなので、拝観料を払って中に入ります。
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ここは、青蓮院の奥ノ院という飛び地境内なんですね。
まず目に入るのは、将軍塚青龍殿。大日堂の中心施設です。 -
国宝、青不動のレプリカを収めているのですが、
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あれれ。巨大な空間が抜群の気持ち良さじゃないですか。
周囲の一段高い場所に畳が敷かれていて、寝っ転がって休んでいる人もたくさんいて、ここまで山登りして疲れた人がゆっくり休めるようにという配慮もされている。これは嬉しい限りです。歩いてきた私にとっては、天国のような場所でした。 -
元気の出たところで、再び外へ。
裏へ回ると、な、な、なんですかあ。 -
イチオシ
ウッドデッキのすばらしい展望台が備えられているじゃありませんか。
この総ガラス造りの茶室という現代アート作品も日曜美術館で紹介されましたね。 -
ほー。この透明感がこの場所の開放感をいっそう強く認識させてくれるようです。作者の意図もそんなところでしょう。
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イチオシ
この広いウッドデッキこそ、将軍塚の見どころ。さっきの市営展望台を見ただけでは、感動はイマイチです。
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北へと続く東山三十六峰に、
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京都の中心街は、京都御所とかが見えています。
よく晴れているし、これは最高。これなら評判いいのも納得ですね。
やっと、見るべきものを見て、後は境内の順路に従います。 -
この石の囲いの中心が
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将軍塚なんですね。
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これが第二展望台。
でも、やっぱり、さっきのウッドデッキの印象が強すぎて、こちらでは盛り上がれません。 -
庭園もかなりよく手入れされていて、
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これは
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本家の青蓮院庭園よりきれいかも。こんなに不便な場所をよくこれだけ整備しましたね。青蓮院は、青不動だけではない。別の意味で、青蓮院の凄さを感じたような気がしました。
さて、帰りも大変。今度は山科方面、蹴上に向かって、とぼとぼと下って行きます。 -
もー、汗だく。へとへと。地下鉄で、市街まで帰ってきて、速攻で二条若狭のかき氷を食べようと思ったのですが、あまりの行列で断念。その後なんとか見つけたのがこのお店です。
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名前がリプトンなら、やっぱり紅茶かなと思って、紅茶のかき氷にしました。うーん。素直な味わいがとってもうまいです。ただ、敢えて言えば、今や、かき氷のレベルは信じられないくらい上がっている。その中に割り込むほどの出来栄えかといえば、そうではないようには思います。
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少し落ち着いたところで、先斗町経由で四条河原町方面へ。
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すると。
先斗町公園って、これですかあ。先斗町に公園があるのは知っていましたが、たぶん、今までは見過ごしていたんでしょう。しかし、夕方近くになって、西日ですけど日が当たって、向こうには鴨川の流れ。芝生の小山の上に小さな子供を連れたお父さんの姿が見えて。やっぱりなんか風情がある。小さな公園でも、ちゃんと京都してるかなと思いました。 -
時間が経つと、やっぱりこれぞ京都のかき氷が食べたくなってきました。
祇園小石は基本的には飴屋さんでしょうが、夏の時期はここのかき氷も人気です。 -
イチオシ
一番のお勧めは、いちごの甘王のかき氷だそうで、それをいただきました。シロップがどっぷりかかって、お店自慢というだけあって、奥行きのある甘酸っぱさがいい感じ。半分くらい食べたところでまたシロップを継ぎ足して食べる。最初に掛かっていてシロップと違う味のような気がしましたが、聞くと同じシロップだとか。同じシロップでも、結局、濃さによるんでしょうが、こんなに違って感じられるものなんですね。それも含めて、変化もあって、しっかり楽しめるかき氷だったと思います。これで本当に落ち着きました。
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これで帰ってもいいんですが、形だけでも晩飯は食べておかなければ。
そうなれば、いつの眺めるだけの東華菜館だったのですが、今回はお邪魔してみることにしましょうか。 -
川沿いの川床席も空いていますということだったのですが、せっかくなので、最上階へ。
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店内から出ると、
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そこには、狭い通路のような場所ですが、屋上がありました。
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なるほど。これは眺めたことのない東山のアングルです。
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ただ、かき氷を二杯食べた後だったので、この炒飯でもう十分。
室内の装飾というか、内装の感じがけっこうレトロ調だし、エスカレーターもガタンガタンと揺れる感じが古風そのもの。それを確認したことも、意味はあったでしょう。
これで、三日間の旅はおしまい。これで東京に帰ります。お疲れ様でした。
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この旅行記へのコメント (8)
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- たらよろさん 2015/10/27 22:22:02
- 最高の将軍塚日和
- こんばんは、たびたびさま
京都の名店で美味しいもの、あれこれたくさん。。。。
わぁーここもあそこも!!!と一緒に食べた気になって旅行記を拝見してました。
先日私も将軍塚で、展望を楽しんだのですが、
たびたび様がいらっしゃったのが最高の展望日和でしたね。
私はちょっと霞んでいてクリアーに見えませんでしたが、
でも、すごく良かったです。
ガラスの茶室は、何と無く直島を感じたりして、、、(笑)
はふぅの、カツサンドまだ食べたこと無いんです。
やっぱり絶品なんですね〜食べてみないと!!
たらよろ
- たびたびさん からの返信 2015/10/29 14:50:26
- RE: 最高の将軍塚日和
- それなりの気持ちでいれば、京都のグルメなんてあらかた食べつくせると思っていた時期もあるんですが、お菓子やスイーツに限ってもなかなか行きつくした感が出てきませんね。
それと、グルメだと私は別においしいものが食べたいわけじゃなくて、食文化を知りたいんですね。そういう意味では京都の食文化は楽しませるものじゃないとだめでしょう。はふうもそんな感じ。決してすごくうまいわけでもない。でも、見た目はすごいですよね。そこが京都なのかなという感じです。
対して、かつては、奈良にうまいものなしということも言われていましたが、最近はそうでもなくて、逆に、寂しいような気もしてしまう。この前の秋田では、重厚な味わいにちょっと辟易したり、まあ、いろいろやっていますので、またレポートさせてもらいたいと思います。
-
- fuzzさん 2015/10/07 17:38:56
- グルメ旅
- たびたびさん、こんばんは。
京都後半のカツサンド!!すごい赤い!!
こんな高級そうなカツサンド食べたことない!!
って思ったら、もっと上があるのですか。
「このビーフカツサンドの限界をちゃんと分かって用意しているのかもしれません」
このコメントに笑ってしまいました。
私は京都は修学旅行でしか行ったことがないのですが、何を食べても美味しかった。
親子丼一つとっても東日本で食べる味とは全然違くて。親子丼に山椒の味が
したのは生まれて初めてでしたが、京都では普通ですか?
生八つ橋もシナモンの味がして、それも当時は驚きでした。
いまでも大好きで、京都フェアがあると必ず買います。
あんころ・・・そういう食文化、慣わしがあるのですね。素敵ですね。
fuzz
- たびたびさん からの返信 2015/10/29 14:24:36
- RE: グルメ旅
- 最近、秋田から山形を旅行して、二つの県の味わいには大きな違いがあることを改めて痛感しました。山形は、どっしりとして重厚な味わいがあるのですが、私にとってはかなりうっとうしい。これまでは、稲庭うどんで、そのようなイメージが薄れていましたが、それは県南の味だったのですね。秋田市や海岸端の県中や県北はやっぱり違いますね。
山形は意外な繊細さがあって、何かと楽しめる。京都びいき過ぎるかもしれませんが、山形も秋田の県南も京都の影響を受けているから、こうなるんじゃないでしょうかね。
岩手は冷麺やわんこそばでイメージが出来てしまっていますが、本当のところはどうなんでしょうか。沢内甚句でえらく辛いものに出会ってしまいましたが、実はそんなのが地元の味だったのかも。観光客として行くと、観光客の行くような食堂にしか行かないので、それで地元の味が分かったつもりになってしまうリスクもあるのかなあ。ちょっと考えさせられる旅でした。
- fuzzさん からの返信 2015/10/29 21:17:50
- RE: RE: グルメ旅
- たびたびさん、こんばんは。
山形は私は親戚がいながら一度も行ったことはありません。
秋田の稲庭うどんは大好物です。そして我が岩手は・・・?
冷麺、じゃじゃ麺、わんこそばとソバの文化と言われてますが、
それは盛岡の名物です。(わんこそばは花巻も・・ですけども)
岩手県は沿岸、内陸、県北と食文化も方言も異なります。
でも、たびたびさんの旅行記を拝見して思ったのですが、
私がどうこう言う事もなく、よくご存じだなあと(*^▽^*)
沢内甚句、私、行ったことがないのですけどスパイスたっぷりの鶏ももは
私は興味ある所です。福田パンをご存じなのが驚きました。
私がたびたびさんに教えることなどないなあ〜って思いました。
fuzz
- たびたびさん からの返信 2015/10/30 13:45:26
- RE: RE: RE: グルメ旅
- 私のはほんの小さな情報。福田パンだって一回食べただけですし、盛岡の人の熱い思いとは比べ物にはならないでしょう。
あんまり、過大評価しないように願います。
-
- りおさん 2015/10/03 23:54:10
- 京都、奥が深いです
- たびたびさん
こんばんは〜
青蓮院には行ったことがあるのですが、将軍塚までは足を延ばしたことが無いので、楽しく拝見しました。
あんなステキなウッドデッキがあるんですねぇ。
ちょっとアクセスが悪すぎるのが難点ですが、気になります!
京都は本当に奥が深くて、他のトラベラーさんのマイナー旅行記を見ていつもワクワクしてます(^q^)
たびたびさんの旅行記も是非参考にさせてくださいね!
次の旅行記も楽しみにしております
りお
- たびたびさん からの返信 2015/10/29 14:14:32
- RE: 京都、奥が深いです
- その後、あっという間に旅行記が20以上もたまってしまっていて、四苦八苦している状態です。
ご指摘の通り、京都は、どこに行ってもちゃんと旅になるすごいところなんですが、私の持論では、最高峰は平家物語か源氏物語のゆかりの地。最近も、平家物語関係の本を読んでいたのですが、平家の人たちがかわいそうでならない。義経がヒーローであるというのは後で脚色されたものでしょう。軍事的には天才だったかもしれませんが、豊かだった都市国家を破壊しつくしたモンゴル帝国のようなものにしか思えません。
いずれにしても、奥の深い京都を楽しみたいのであれば、二つの物語を少し読んだりすることも手かと思います。
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