2015/05/23 - 2015/05/23
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旅人のくまさんさん
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高山陣屋址の紹介です。江戸時代の取調室の『御白洲』も再現されていました。時代劇の『遠山の金さん』のドラマでよくお目にかかった『御白洲』の場面です。
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『大広間』の廊下からの眺めた、簾(すだれ)越しの庭の光景です。右手に見える建物は、郡代の役宅の一部です。
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『大広間』の廊下からの眺めです。半ば巻き上げられた簾(すだれ)越しに眺めた庭の光景です正面左奥が池、更に左側が『御蔵』になります。
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イチオシ
籠が置かれた『使者の間(ししゃのま)』の光景です。『使者の間』の広さは15畳、使者の控え室ですが、内命を伝える時などにも使用されました。置かれている駕籠は、寺院からの借り物の『寺僧駕籠』と紹介されていました。
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陣屋の警察機能を執り行った、『吟味所』の表示があった室内光景です。『罪人の取り調べを行った場所』と説明されていました。
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『吟味所』の畳の上から眺めた『御白洲(おしらす)』の光景です。建物は再建されていませんが、『仮牢』が併設されていました。高山陣屋には『仮牢』がなかったため、もともとは薪小屋だった建物を『仮牢』と使用していたようです。
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『御白洲』の光景です。右奥に置かれているのは重罪人や被疑者を護送した罪人駕籠、通称、唐丸籠です。
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『御白洲』の説明プレートです。『砂利が敷かれ、白く見えることから白洲』と呼ぶことなどが解説されていました。一般庶民が白洲、浪人などが板縁、武士などが縁側で吟味を受けたことも解説されていました。
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イラストで解説された、『御白洲』での取り調べ光景です。一言でいえば、拷問です。40キロの石4枚を載せられたら、足の骨は砕けるかもしれません。
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イチオシ
『御白洲』の責め道具、『責台と抱石』のアップ光景です。使用痕のある責台は、見ているだけでも痛さが伝わってきます。座らされるだけでなく、その膝の上に置かれる抱石は、1枚が40キロの重さです。
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前方に見える長屋風の建物は、『蔵番長屋』です。現在は管理棟として利用されているようです。出入口の『御門』は、この建物左側にあります。
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『高山陣屋・順路案内図』です。現在位置は、『御蔵(おんくら)』の九番蔵の前です。最後の『御倉』の見学を終えて、これから出口に向かうところです。
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最後の見学場所となった、『御蔵(おんくら)』の側面光景です。庇の長い壁面に沿って、最後の展示品がありました。
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同じく、『御蔵(おんくら)』の側面光景です。施設名などの頭に、『御』の文字が頭に付く場合は、徳川幕府直轄を含めた『官用』の意味があるようでした。
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板葺き屋根の素材である、板の造り方についての説明パネルです。日本に中央集権国家が誕生する古墳時代から飛鳥時代あたりには、板葺き屋根が誕生していたようです。
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『順路』の表示が取りつかられた展示品は、『石置長榑葺(いしおきながくれぶき)』と呼ばれる板葺き屋根の模型です。大きな石が載せられているのが特徴です。
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『鬼板』の展示と、その説明プレートです。平成8年(1996年)の玄関と御役所の葺き替えにより不要となった古い鬼板の展示でした。
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『柿葺(こけらぶき)・玄関の庇』の表示があった展示品です。杮葺(こけらぶき)は、屋根葺手法の一つで、木材の薄板を用いて施工するものです。板葺(いたぶき)の代名詞にも使われます。
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左手に見える建物は『御蔵(おんくら)』、芝生部分が再建されていない『五番蔵』〜『八番蔵』の敷地跡です。『一番蔵』〜『四番蔵』と『九番蔵』〜『十二番蔵』が再建されています。
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『御門』の中にある『門番所』の光景です。捕り物の小道具として、左から鳶口、四尺五寸棒2本と、六尺棒が展示してありました。『御用』の提灯もありました。
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『御門』の提灯です。江戸幕府直轄の陣屋でしたから、徳川家の三つ葉葵の御紋です。葵紋(あおいもん)は、ウマノスズクサ科のフタバアオイを図案化したものです。
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見学を終えて、振り返って眺めた高山陣屋址の光景です。改修、復元工事が完了して、飛騨高山の代表的な観光スポットになっていました。
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高山陣屋の現況を示した鳥瞰図です。再建されていない役宅や御蔵の建物部分は、空き地として図示されていました。
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岐阜県教育委員会名の『史跡・高山陣屋跡』の説明看板です。元禄5年(1693年)に6代高山城主が移封になり、江戸幕府の直轄領となって以来、昭和44年(1949年)に飛騨県事務所が移転し、岐阜県教育委員会が所管することとなった遷移などが記されていました。
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右端の建物が『書物蔵』です。その近くにあった、開かずの門のような木製の門です。復元工事で造られた門かも知れません。
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外から眺めた高山陣屋の建物光景です。左側の一番高い建物が正面出入口になる『御門』です。その手前が付属する『門番所』の建物と、陣屋外周の塀の光景です。
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毎朝、『陣屋前朝市』が開かれている広場からの撮影です。午後の時間帯ですから、陣屋前広場は静かでした。
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蔦が覆っていた建物のアップ光景です。ヘデラやアイビーと呼ばれる蔦の仲間の植物のようです。ウコギ科キヅタ属の植物です。
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ピンク色の小さな花が満開だった『ムラサキカタバミ(紫酢漿草、紫片喰、紫傍食)』です。カタバミ科カタバミ属の多年草です。
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イチオシ
山岡鉄舟(1836〜1888年)の若かりし頃のブロンズ像です。弘化2年(1845年)、飛騨郡代となった父の小野朝右衛門高福に従い、10歳から17歳の時期を飛騨高山で過ごしました。山岡鉄舟の本名は小野鉄太郎、山岡家に養子にいき、山岡鉄太郎となりました。
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山岡鉄舟のブロンズ像の台座にあった青銅のプレートです。『青雲・若き日の山岡鉄舟・森田茂吉』の文字がありました。題名と、寄贈者の名前のようでした。山岡鉄舟は、、幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家です。剣・禅・書の達人としても知られます。
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